きの子抄   作:星輝子

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その3

・・・

 

 

 次に書こうと思っているのは、初めてのレッスンの話だ。私にとってはとても大事なきっかけだったと思っている。アイドルになる、という意味では、もしかしたらオーディションに出たことや寮に引っ越してきたことよりももっと大きなことだったかもしれない。意識が変わるというか、認められたと自分で思えるようになったというか、私にとってはそんな大事件だったんだ。私なんかがわかったようなことを言うのは違うかもしれないけど、人が変わるきっかけなんて小さくたってぜんぜんおかしくない。そんな体験をしたことがある人は私以外にもきっといるんじゃないか。

 

 

 表現力のレッスンということで、親友にレッスンルームに連れていかれた。

 すこし面倒かもしれないけど、この時点でもまだ親友は慣れない大人の一人です。でも他にどう書いたらいいかわからないからこのまま書かせてください。

 レッスンルームは体育館みたいな床をしていて、壁の一面は鏡張りで窓のほうはガラス張り。廊下のほうの壁と残りのひとつの壁は普通の壁 (とは言っても防音だ) で部屋自体はけっこう広い。その階には同じ部屋がもういくつかあって、普段からいろんなアイドルがいろんなレッスンをしている。私はそんなところに連れてこられて、それじゃあ表現力を磨きましょう、なんてことになったんだ。

 そう親友から聞かされた瞬間、もともと表現力どころかぼっちでコミュニケーションそのものが不全だった私にその課題は重荷すぎるように感じられたことをよく覚えている。かみ砕いて言えば、演技とか歌に思いを乗せて伝えるとかそういった内容だったから。頭の中の思いは言葉になって出てくる前に喉の下のあたりや口のなかでぐにょぐにょして、伝えたい相手に届く前にその人がいなくなってたりするのが私にとってのいつもどおりだったんだ。だからしゃべる機会もどんどん減っていって、親友に会う前には、いつかしゃべるという機能が完全に退化するかもしれないな、なんて考えてにやにやしていたこともある。

 話が逸れちゃったな。とにかく私はそのレッスンに対してあまり前向きな考えは持っていなかったんだ。これは自然なことなんじゃないかと思う。

 

 ただそれでも親友は出会ったばかりなのに私のことをある程度は把握してくれていたみたいで、初めはお遊びみたいな感じから始めようっていうことになったんだ。ちなみにそのレッスンルームにいたのは親友と私だけで、広いなかにぽつんといる感じは案外と嫌いじゃなかった。たぶん他の誰かがレッスンなり個人練習なりをしていたら私の声なんて聞こえなくなってたんだろうと思う。

 そのお遊びっていうのが、私の数少ない特技のひとつであるキノコの物真似だったんだ。侮っちゃいけないぞ、キノコとはいえそれぞれ個性は豊かなんだ。攻撃的なキノコもいれば穏やかなキノコだっている。繁殖方法を調べてみればキノコも意外と複雑な生物だとわかってもらえると思う。

 それでそのとき、私は親友のリクエストに応えて山で出会った毒キノコの物真似をしたんだ。やんちゃで挑発的で、自己主張の強いやつだったな。するとそれが親友に褒めてもらえたんだ。自分以外の誰かを演じることが表現の入口のひとつなんだって教えてくれたんだ。そう聞いた当時はさっぱり理解が追い付かなかったけど、いまならなんとなくその言葉のかたちが掴めるような気がしている。たとえばライブならたしかに普段通りの私の声だとみんなに届かないから、私以上の私の力を借りないとならない。ある意味ではこれも演じることの一種なんじゃないかって実感があるんだ。だから最近はそういう意味なんだろうって思ってるんだけど、もしも的外れだったら恥ずかしいな。

 親友が教えてくれたようなことを言われるなんて私はちっとも思ってなかった。なにせキノコの物真似はひとりで遊んでるときにやってるだけのものでしかなくって、それがまさかアイドルとしての活動に役立つなんて誰も考えないだろう。きっと、この瞬間だったんだと思う。自分が認めてもらえたって自分で信じることができたし、キノコの物真似が役に立つなら百種類だって増やしてやろうって前向きに考えることができたんだ。

 まあ、演技らしい演技はいまだにちっともできないけどな。

 

 

・・・

 

 

 寮に入ることだったりで外から見たらすっかり変わっていたはずの私の生活は、ほんとうの意味ではやっとそこで変わったんだと思う。もちろんキノコの鉢植えは手放さないしコミュ障でぼっちなのには変わりなかったけど、私の中にはじめてアイドルっていう言葉が根を張った。まだまだおぼろげでしかなかったけど、それになるんだって考えるようになったし、そのためにいろいろ練習するんだって受け入れられた。もしも福島にいたころの私にこの気持ちを伝えたら、きっと不思議そうな顔をするんだろう。

 すこし難しい話かもしれないけど、そんな変化が原因で山に入ったときのキノコとの向き合い方も変わったんじゃないかとも思っている。昔も今も採ったりはしないけど、昔と比べてもっと丁寧に観察するようになった気がする。いつでもキノコの素敵さは変わらないけど、そのキノコを見るのはいつだって私だから、私がよく見るようになればキノコの素敵なところはもっと広がるんだ。それはちょうどキノコが自分の居場所を広げるように、広げたらまた次の場所が目につくみたいにどんどんつながっていく感じで、でも幸子ちゃんや小梅ちゃんに話しても誰もピンと来てなかったみたいだから私にしかわからない喩えなのかもしれないな。

 

 とにかく私の初めてのレッスンはこんな感じだったんだ。それ以降は他のアイドルといっしょに体力トレーニングだったり他の基礎のレッスンだったりをしばらく続けた。体力がないとそもそもステージに立てないんだ。だからどうにかこうにか、そのときは他のアイドルとはいっしょだけど上手にコミュニケーションを取れないままに頑張った。でも表現力のレッスンだけはいつも隔離されてたな。たぶん特別に下手っていうのもあっただろうし、キノコの物真似なんて周りから見れば怖いものでしかなかったに違いないから当然のことだったんだろう。

 

 

 いま私は自分の部屋にいて、この文章をノートパソコンで書いている。窓の向こうの外は曇っていて、もしかしたら糠雨が降るのかもしれない。キノコ的にはいい天気と言えそうだ。実はこれを書いていることは秘密で、私以外には親友しか知らない。つまり誰にも見つからないところで作業する必要があって、そう考えると自分の部屋っていうのはどうも理想的な環境らしい。トモダチのキノコたちもいるしな。それに普段から部屋にこもっていることの多い私だから怪しまれることもなさそうだ。書くまでもないかもしれないけど、こうやって文章を書けるのはちょっとした時間だけなんだ。寝る前とかがいちばん多いかな。そのうち休みの日にたくさん書けることもあるのかもしれない。いつもは学校もあるしお仕事もあるからそんな機会はそうそうないと思うけど。

 直前に書いたとおりにいまは寝る前の時間で、とても静かな時間だ。もう騒いだら怒られちゃうな。だからゆっくりと机の上のノートパソコンに向かうことができる。無理はしないことに決めていて、布団に入る時間も決めてあって、だから書いている私からするとほんとうにちょっとずつしか進まないんだ。その意味だと学校のパソコンの授業はものすごい助けになったな。私がふだんパソコンを使うとしても、それは音楽関連に限られていたから。キーボードを上手に使うなんて習うまでは考えてもみなかったかもしれない。

 

 こうやって考えてみると私は人生を変えるような出来事にたくさん出会ってるような気もしてくるけど、それはきっとアイドルっていう要素が大きいんだと思う。その要素はいろんな別の要素に胞子を飛ばしてつながって、誰も予想もしないようなところからキノコみたいに顔を出す特性を持っていると私は思っている。カワイイもサイキックもロックもゾンビもなんでもかんでも地盤がアイドルならどうにかできちゃうんだろう。だから短い人生で経験してきたことが大きな出来事みたいに見えるんだろう。そういう意味なら、親友に出会ったときかオーディションに行ったときかはわからないけど、たしかに私は魔法をかけられてしまったのに違いない。残念ながら着ている服はドレスにはならなかったみたいだけどな。

 

 

 

 

 

 

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