鬼の上官
横須賀鎮守府 1967年 10月24日
「那智大尉!」
第666部隊専用のドックに、まだ若々しい声が響いた。
声の主は、黒の艦隊などという異名には不釣り合いな聡明さを持っている。
髪は黒く、幼さを残すその顔立ちからしてまだ任官し立てだということが容易に想像できる。
「なんだ、吹雪」
「私は……あんなこと認めません!」
「何の話をしている」
「どうして……どうして、羽走を見捨てたのですか! あの船には……まだ、多くの船員の方が残っていたのですよ!」
「阿呆が……」
「ちょ、ちょっと吹雪!」
「ふん……」
深い海色の髪をツインテールにした少女とピンク色の髪をポニーテールでまとめている少女が走ってきた。
ツインテールは心配そうな表情を浮かべているが、ポニーテールはどこか迷惑そうな目で吹雪を見つめていた。
那智は、ふんと鼻で笑うと淡々と答える。
「愚問だな。我々の任務を覚えているか」
「……海域深層に残存する敵機動部隊の壊滅です」
「そうだ。我々が早急にその任を行わなくては、帝国海軍はさらに多くの装備と人員を失っていた。一隻の船と数隻の軍艦。数十人の将兵の命と数百人の将兵の命。天秤にかけた時、どちらを優先するかは明白だ」
「ですが! あの時、隊を二分することも可能だったはず! 救助を行うこともできたはずです!」
「時間の無駄だ。そんなことをして何になる」
「そんなことありません! 人の命が関わっていたのですよ!」
「人の命が関わるというならば、私の行動を間違っていたと貴様は批判できるのか? どちらも人命が関わっていたことは同じ。ゆえに先も言ったが、機動部隊を排除することが優先された」
「それでも!」
未だに噛みつく吹雪に、ツインテールが実力行使に出る。
といっても、殴る蹴るなどの暴行を加えるわけではない。
後ろから羽交い締めにして、口をふさぎ無理矢理黙らせるだけだ。
出撃の度に、吹雪と那智は口論になり、それを止めるのが彼女、五十鈴の仕事となる。
何もかもいつも通りだった。
「もう、ストップストーップ! 一回やめよ? ね?」
「くだらない。吹雪、貴官は軍人ならば、命令は絶対だと教わらなかったのか」
軍艦色の制服と帽子をかぶったマックスが静かに告げる。
いつの間にか来ていたドイツの政治将校は、いい加減こいつをつまみ出せ、などと物騒なことも言い出した。
それも仕方ないのであろう。
この部隊の技術の多くは、ドイツから提供されたものだ。
そのため、部隊の規律が乱れることがないよう政治将校という監視まで派遣されているくらいである。
そんなところに、平和ボケした思想を持つ吹雪のような艦娘は不必要などと判断されるのは必然だった。
ようやく口を閉じた吹雪に、マックスはさらに追い打ちをかける。
「……」
「命など関係ない。命令されたことか否か、それのみが最重要項目だ」
「……でも」
「でももくそもあるか!」
「時間がない。話はこれで終わりだ。マックス中尉、行って良いですね?」
「……わかった」
「大尉! ……くっ」
離れていく那智の背中に声を掛けようとするも、寸でで吹雪は思い留まる。
これ以上ことを荒立て、隊のメンバーに迷惑はかけたくなかった。
その様子を見ると、残っていた隊員たちもその場を後にしていく。
「吹雪も早く、艦装を外しなよ」
「不知火ちゃん……」
「じゃあ」
「……どうして……どうしてみんなそうやって割り切れるの」
私はおかしいのだろうか?
私は不良品なのだろうか?
そんなことはない。間違ったことなど言っていない……。
吹雪は拳を血が滲むほど握り締めた。
●○●○●
柔らかな秋の日差しが執務室に差し込んでいた。
提督は机に向かいながらも、那智の報告に耳を傾けていた。
「……だ。本作戦の最大目標であった、敵機動部隊の艦載機の
「……そうか。ご苦労。」
陸軍上がりの提督。
当初は海軍とそりが合わなかったようだが、今ではその手腕も認められ第666部隊の指揮官として信用されている。
過去に何があったかは知らないが、陸軍からの派遣となっているとなると、それなりにドロドロとした何かを経験しているのだろう。
報告が終わっても立ち去ろうとしない那智に、提督「橋本」は不審そうに声をかけた。
「どうした」
「また、言われた。命を軽視していると」
「……吹雪か」
「あぁ」
思わずため息が出る。
いつもこうだ。大きな作戦のあと、那智は普段は気丈に振る舞っているその姿からは想像できないほど、弱い姿を見せる。
その原因が、過去にあるのか? それとも新任の吹雪にあるのか? そもそも、那智の心の問題ではないのか? 様々考えられたが、どれもしっくりとした回答を得ることができないでいた。
「……まだ、彼女は新任だ。この部隊の存続意義を完全に把握していないのだろう。大目に見てやって欲しい。それに、那智も気にすることはない」
「そうは言ってもだな……」
「第666部隊は、たださえ部隊損耗率が異常に激しい。それは、我々が無理難題の任務を命じているからにほかならない。だがな、補充要員が入るたびに気にしていても仕方がないぞ」
「言われなくても、わかっているつもりだ。だが……」
今日はいつもよりも酷いな。
そう思うも、適当にあしらうことはできない。
那智のすべてを知っている上官として、部下の憂いを払うことも仕事だと橋本は心得ている。
「……お前のことは俺たちがよくわかっている。お前の無念も恨みも悲しみも。お前が本当は、誰よりも命を尊んでいることも」
「……」
「苦労をかけているな」
「いや、私こそすまない。提督にいらぬ心配をかけた」
「……」
「……私は提督を信頼している。その期待にはかならず応えたい」
「その結果、全ての命をもてあそぶこととなってもか」
橋本の質問に那智は黙る。
だが、答えは既に決まっているようだ。
それの解を口にすることが、どれだけ恐ろしいことかを橋本は知っている。知っているが、問わねばならない。そして、答えなくてはいけないのが部隊を率いる隊長の義務でもある。
「……提督が望むなら構わない」
「そうか。那智、妙高には会いに行ったのか?」
「……もちろんだ」
「嘘をつくな。お前が会いに行くわけがないだろ」
姉として慕っていた妙高に那智が会いに行くわけがない。
意地の悪い質問だと、橋本も思っていた。
「……お前が責任を感じることではない。アイツは……アイツの任をこなしたんだ」
「……馬鹿野郎。命を捨ててまで……どうしてあんなものを守ったんだ」
「愚問だな。その答えは、自分が一番わかっているだろ」
「頭でわかっていても……心が理解してくれないものだ」
「吹雪が言いそうなことだ」
その言葉に、那智は思わず頬を緩める。
今、一番の問題児である彼女と同じようなこと言っているなど……とんだ皮肉じゃないか。
「確かにな。私も、部隊長でありながら甘いところが多い様だ」
「……気にするな。お前たちは兵器ではない」
「提督が言うのならば、その言葉で十分だ。失礼する」
「大鳳が会いたがっていたぞ」
かつての同僚の名を挙げられ、那智は笑みを消す。
進んで会いたい相手ではなかった。
しかし、わざわざ橋本から言われたとあっては断ることもできない。
その辺のことを大鳳も狙っているのだろう。
まったく、変なところで頭のキレる奴だ。
「わかった。後で時間を作ろう。では」
那智の姿が完全に見えなくなることを確認すると、橋本は背もたれに寄り掛かった。
年季の入った椅子が、ギィと不穏な音を立てる。
「……現実はお前が思っているほど、優しくはない。だがな、そう諦めることもないのだ。いい加減自分を許せ、那智」