「目を覚ましてくださいよ」
「……」
「本当はもう起きているんでしょう? わかっているでありますよ」
冷たい水が頭からかけられる。布袋をかぶせられているため、水に濡れた布が口と鼻を被い息ができなくなった。その様子を楽しんでいるのが感じられる。しばらくすると布袋が頭から取り外され、光が飛び込んできて。呼吸困難に陥っていたからか息が荒くなる。そんな橋本の頭が乱暴に上げられる。まだ光に慣れていないせいで妙に眩しい。
「橋本提督、お久しぶりですね」
「誰かと思えばあきつ丸じゃないか。その制服……随分と出世したみたいだな」
「えぇ、あの事件のおかげで」
「まだまだ一兵卒だったお前が今じゃ士官か。時の流れは驚く程に早いもんだ」
「その通りであります。そして今では……元上官をこうして尋問しているわけなのですから」
「いったはずだ。尋問と暴力は乖離するべきだと。嘘の情報を手に入れてしまっては、今までの時間も労力も水の泡になってしまうからな」
「時代は変わったんですよ」
鳩尾に思い一撃が入る。呼吸が詰まる。
「暴力で引き出した情報が嘘であってもかまいません。どうせ結果は変わらないのであります」
「いったいぜんたい、陸軍省は何を考えているんだか」
「それだけは変わっていませんよ。軍の統一化。大日本帝国に最強の軍は一つだけで良い。海軍は海を支配することで図に乗っているようですが、そうじゃない。物資の運搬も兵員の育成も全て、元を辿れば陸で行われている。つまり、陸軍の支配下を借地しているからこそ海軍は存続できている。それを理解できない愚か者を粛正しようというだけであります」
「随分と偏った考えだ」
「……お喋りはもういいであります。さぁ、第666艦隊がどこへ消えたのかを答えるでありますよ」
「断ったら?」
「殺します」
「殺したら情報は引き出せないぞ」
「勘違いしないでほしいであります。我々は未だに地下に潜伏している組織があることを知っているであります。あえて放置しているに過ぎない。しらみつぶしに壊滅させてもいいでありますが、手間を省くためにわざわざ橋本さんに聞いているだけ。ここで殺してしまっても殺さなくても、第666艦隊の壊滅の未来は変わらないであります」
「そうかい」
沈黙が流れる。
尋問は我慢比べだ。あきつ丸が言ったことがどこまでハッタリなのかはわからない。少なくとも抵抗組織がまだ存在していることを認知していることは事実だろう。それでも、どこに潜伏しているのかはハッキリとわかっていないはずだ。嘘と真実を交えて対象を揺さぶる。古典的且つ効果的な方法だ。橋本がかつて教えたやり方だ。だからこそ橋本は何も語らない。自分の命はあの事件の時にとっくに終わっている。まだ生きつづけているのは、託された願いを成就させていないからだ。それでもここで命尽きて願いを叶えられなくても悔いはない。できることはやったはずだという自負がある。
結局先に根負けしたのはあきつ丸だった。
「相変わらず強情ですね。そこで頭でも冷やしてください」
散々水責めと暴力を繰り返したが得るものはなかった。あきつ丸は引き際をわきまえている。彼女ならばこのまま丸一晩放置して、橋本の精神力を削ぐ作戦に移るだろう。
だが、それが命取りとなることをまだ彼女は知らない。相手が元上官という枠組みで見てしまっていることが彼女の失敗だ。相手は陸軍で神格化され、海軍では死神と恐れられた男なのだ。
「いるんだろう?」
虚空に向かって話しかける。しばらくすると鉄の扉が開き、誰かが中へと入ってきた。
「お久しぶりですね」
「久しぶりだな。随分と雰囲気が変わってしまったようだ。残念だよ」
「貴方がそれを言いますか……!」
怒りのこもった言葉が浴びせかけられる。
橋本はやれやれとため息を付きながら顔を上げた。五月雨が生きていた頃と比べれば随分と容姿に気を遣わなくなってしまったようだ。それでも特徴的な髪型に見覚えはある。
「阿武隈、お前が武装蜂起に加わっていると知ったら五月雨は悲しむぞ」
平手打ちが橋本に放たれた。乾いた音が独房に響き渡る。
阿武隈の手は震えていた。怒りのためか、悲しみのためか、それとも別の理由なのか……橋本にはわからない。
「……失礼しました。やるべきことはわかっています」
「頼んだ」
必要最小限の会話だけがされた。阿武隈は橋本が縛られている縄を解く。自由になった橋本は自身の体に特に傷がないことを確認すると立ち上がった。
「どうして……貴方みたいな人に」
「五月雨は最初の犠牲者だった。彼女は俺に救いを求めた。しかし、俺はそれを受け止めることができず、最悪の事態に発展してしまった。俺にできることはあの時にはたせなかった責任、艦娘の自由意志の尊重を叶える世界を創ることだけだ」
「……」
「阿武隈、お前のことは黙っている。だがな阿武隈、忘れるな。ここにいても未来などない。五月雨はお前の幸せを誰よりも願っていた。自ら幸せを手放すんじゃない」
「……もう遅いですよ」
阿武隈は静かに笑った。涙でぐしゃぐしゃに濡れている顔は一生忘れられない。
「そうか」
それ以上何も言わずに橋本は部屋から出て行った。