「……いや、涯にしてはあのカリスマ性がないな……別人か?」
集は立ち上がり辺りを見渡してから小さく呟く。
「これは───集の失われた記憶かなんかかよ……」
「そうだ」
振り返ると、横には目深にまでフードを被った青年が立っていた。
「……お前は……スクルージだったよな」
スクルージは、何も答えずに顔を持ち上げて浜辺で倒れる少年を見つめた。
水に濡れた艶のないブロンドの髪。顔は見えないが今の集よりも一回りは下であろう。
「……死んで……いや、息は浅いが生きてる!」
集は地面を蹴って少年に近づこうとするも、その肩をがっしりとスクルージに掴まれた。
「お前、なんで止めるんだよ!」
「……止めておけ。どうせ近づいたところで何も出来はしない」
スクルージは浜辺を歩く蟹に手を伸ばし───その手は空を切った。
「こういう事だ。今の俺たちは
「このまま悠長にしてろってことかッ!?」
「そうは言っていないだろ。見ろ、向こうから誰かが来ている」
集は舌打ちをしながらスクルージが指さす方向を振り向く。
「……集と……いのり、さん?」
そこに居たのは今の集より幼い顔立ちをした少年と、薄桃色の髪をした楪いのりに酷似した少女だった。スクルージはそんな集の呟きを「違う」と否定する。
「あれは桜満
「……集に姉貴がいたなんて、聞いた事ねえぞ」
集の記憶を有する集は記憶を巡らせる。しかし、集に姉がいたという記憶はなく、一人で育ったという記憶が───
「……っ、あれ?」
───瞬間、記憶の一片が鮮明に思い出された。
見覚えのない記憶に集は思わず片目を押えて呻く。
臙脂色の絨毯よりも遥かに赤いものが地面一帯に広がっている光景が目裏に焼き付く。続いて、隠しようのない濃密な血臭が集の鼻腔を突き指した。そして、目の前に倒れているのは誰だろう。どこか、見覚えのある容姿をしている気が───
「どうした」
「……っ、いや、なんでもない」
頭を振って集は答える。
今のは一体なんだったのだろう。もしかして、ユウの見せた幻か。もしそうだとしたら悪趣味にも程がある。
気づけば、少年の救助は終わっており胸を撫で下ろす真名の姿があった。
少年は慌てふためいた様子で集と真名を交互に見て怯えていた。
「俺は桜満集。お前の名前は?」
今の集の性格からは考えられないほどの強気な態度に、集は思わず眉をひそめた。
そんな集を見兼ねた真名は、集の後頭部を叩き叱りつける。
「いって!?」
「ダメじゃない集ッ!この子怖がってるでしょ!!」
しかし、件の集は反省の色をまったく見せず、適当な返事で聞き流していた。
どうやら、この時から集の自己中心的な行動は始まっていたようだ。お前のお陰で俺は散々な目に遭ってるよとボヤきながら集たちを見守る。
「……僕の、名前……」
ふと真名は少年の様子がおかしい事に気付き、不安な表情で少年の顔を覗き込んだ。
「もしかして、名前わからないのか?」
無遠慮な問いに真名がまた怖い顔になる。その表情に気押されて集は二、三歩後退り、浜辺に尻餅をついた。
弟は姉より弱しという言葉があるが、それは本当なのかもしれない。集は微妙な表情を浮かべて、その一部始終を眺めていた。
「それじゃあ仕方ないわね……じゃあ、海から来たからトリトン。どう?」
「おお!いい名前じゃん!よし、今からお前の名前はトリトンだ!」
なんでこの男は人がものを言う前に話を進めてしまうのだろう───集は目頭を抑えて呻いた。
その日から少年、トリトンは桜満集の弟となった。
桜満家に家族として迎えられたトリトンはその夏を大島で過ごした。
遊び相手がいなかった集にとって、トリトンとの日々はかげがえのないものであった。
集は毎日のように彼を連れ出し、山や森や川や海やと毎日違う場所に連れて行った。
トリトンはいつも息を切らしながら必死に集に着いて行った。
ふとスクルージは集に視線を落とした。どこか上の空の集に疑問を抱いたスクルージは肩を揺すって呼び掛ける。
「どうした」
「……いや、出来の悪い映画を無理矢理見せられている気分だなと思っただけだ」
本音を言うと、集はこの光景を半ば呆然としか見ていなかった。
頭の中は先程の鮮烈な光景だけだ。忘れようにも、忘れられない。
寧ろあの光景を忘れろと言われる方が無理があるだろう。あの地獄のような光景は集の記憶か、それとも自分の記憶なのか。
───
気がつけば月日は流れ、夏も終わりに差し掛かろうとしていた。
そんな時だった。真名に異変が起きたのは。
その日は朝から雨が降り注いでいた。とてもじゃないが外で遊べる天気でなかった為、集は本を読んで時間を潰していた。
「ねえ、集」
本を読み終えて閉じた瞬間、真名が音も無く集の隣に座った。
「な、なに?」
集は声を上ずらせて隣に座った真名を見ると、真名は妖しく微笑んだ。
それは、到底少女のものとは思えない女の顔で。集はなんだ、この女はと頬に冷や汗を垂らした。
真名はジリジリと集ににじみ寄ると、顔を近づかせて囁く。
「……集は私の事好き?」
「き、急になんだよ!」
突然で直球な問い掛けに、集は変に焦った。自らの弟の初心な反応に真名は妖しく微笑む。
「私は集の事大好きよ。ねえ、集はどうなの……私のこと、嫌い?」
上目遣いで集の顔を舐めまわすように見る真名。集は嫌悪感に思わず眉を顰め、スクルージはその視線を鋭くした。
「……俺も好きだよ。お、お姉ちゃんの事」
はっきり口にすると集は照れたように頬をかいた。真っ赤に染った顔を背けるように、集は天井に視線を移動させる。
「本当?嬉しいわ!」
真名の喜び様に集は違和感を覚え、集は拳銃のホルスターに伸びた手を右手で制止した。
次の瞬間、真名は集を覆いかぶさる様に強く抱きしめていた。
「お姉ちゃん!?」
「…………」
集は暴れるが全く振り解ける気配がない。
「く、苦しいよ!」
集がそう言い放つと、真名は抱きしめる腕を僅かに緩めて集の耳元で呟いた。
「……トリトン。あいつね、私こと大人の目で見てくるの」
「えっ?」
唐突な真名の言葉に目を白黒とさせる集。
だが、集には理解出来てしまった。
トリトンは明らかに真名に恋心を抱いていた。それは性的なものではなく、年相応のものであったが、彼女はそれを性的なものと捉えてしまったのだろう。
真名は嫌悪感に顔を顰める。
「───気持ち悪い。吐き気がしそう」
「……お姉ちゃん?」
真名の棘のある言葉に明らかな動揺を見せる集。
ふと我に返った真名はいけないわ、と集から身体を離して再度妖しく微笑む。
「……だけど集は特別。いいのよ、私を大人の目で見てくれて」
雷鳴が轟く。青白い閃光が薄暗い室内に過剰なまでの光を入れた。
その時、真名の髪に隠されていた何かが一瞬垣間見えた。彼女に寄生でもするかの埋め込まれた紫を反射する結晶。
間違いない。人間が結晶に変わっていく不可解な現象。鋼皮病に彼女は発症していた。
集は震える声でスクルージに訊ねる。
「……まさか……あいつが……」
「そうだ。桜満集の姉、桜満真名は人類で初めてアポカリプスウィルスに感染した始まりの女───イヴだ」
「……涯の言っていたはじまりの石に触れた少女が集の姉ってことか……まるでゾンビ映画だな。石に触れた途端、謎のウィルスが───ッ!?」
瞬間、集の頭を貫く様な激痛が走った。あまりの痛みに思わず片膝をつき、息を荒く吐く。大量の情報が次々に詰め込まれていき、頭の中が焼き切れそうだった。
集の忘れ去られていた記憶が、一つ一つ蓄えられていく。
痛みが和らぐまで耐え抜き、明滅した視界で目前を見やると、そこは見慣れた大島の風景ではなかった。
「……ここ、は───」
そこは冷たく暗い、さっきまでいた場所とは比べ物にならないほど静かなところだった。
草木の生えない荒れ果てた大地に、地面に転がる大量の空薬莢。そして、積み重なるように山積みになった人間の死体───。
これは、明らかに集の記憶ではなかった。
「───どこ、だ……?」
同時に、この場所には長時間居てはならないと直感的に悟った。
「……どうやら、ここは桜満集の記憶ではないらしいな」
突然横に現れたスクルージになんだ、居たのかよと声を漏らす集。
そんな集の呟きに特に気にした素振りを見せず、立てるかと左手を差し出してきたスクルージの腕を掴み、立ち上がると集は首を巡らせ辺りを見渡した。
ここは里見蓮太郎の記憶でなければ、集の知っている場所でもない。なら、この場所は一体───?
「間違いなく、お前の記憶だろう」
「俺の記憶?そんな訳ねえだろ、俺はこんな場所知らな───」
───と、ここで言葉を止めた。止めざるを得なかった。
「……俺はこの場所を知っている?いや、そんな訳あるわけないだろ───」
……本当に?本当に、俺はこの場所を知らないのか?
さっきもそうだ、あの地獄のような光景を俺は───里見蓮太郎は知っているんじゃないのか?
思い出そうと思考を巡らす。しかし、思い出そうにも思考がうまく纏まらず、ただただ時間が過ぎるだけだ。
本当に、本当にこの光景を集が知っているのならば、忘れるはずないのだが。
再び鋭く突き刺すような痛みが頭に襲いかかる。
「なんなんだッ。なんなんだよ、これ……!」
あまりにも多すぎる情報量に吐き気を催す。
それを見兼ねたスクルージが集に肉薄、鳩尾に拳が放たれた。
「許せ」
スクルージの声が頭蓋の奥の方から聞こえてきた。
意識が呑まれるようなその感覚に、体が倦怠感を覚える。
霞む視界でスクルージを睨みながら集は膝を崩した。
「……っ、スクルージ……てめぇ」
「……桜満集。どうやらお前が真実を知るにはまだ早かったようだ」
四方八方から闇が迫ってくる。とてつもない孤独が押し寄せてきた。
スクルージが膝を折り、集に何かを言う。
「桜満集」
消えかけの意識の中、スクルージの声は何故かはっきりと聞こえた。
「───いいか、よく聞け。お前が手にした王の能力は、その力を持つ者を孤独にする。お前が手にしたその輝きは、決して奇跡を起こせる力などではない。触れるモノ、関わったモノ、すべてを破壊し作り替える力───」
意識が完全に闇に呑まれる寸前、スクルージの瞳は、紅く妖しく輝いていた。
「───呪われた力だ」
凄まじい轟音がして目を覚ました。
視界が上下に激しく歪み、遠近感が崩壊した世界が目に映る。そして、地獄のような光景が目前に拡がっていた。
「……っは」
たたらを踏みながら何とか立ち上がり、地面に落ちた刀のヴォイドを手に取る。
体の熱が失われ、氷のように冷たい。激しい吐き気と頭痛。なぜ立てているのか不思議でならない。
立ち上がった集を見て、目の前に佇んでいたユウが集を睨んだ。
「……まだ思い出していないようですね。
集は歪んだ視界で敵を見据え、構える。
天童式抜刀術『心地光明の構え』。天童式抜刀術攻の型。
集は白い吐息を吐くと、風に流れて消えた。瞳を閉じ、ゆっくりと開ける。
「……
直後、大地を蹴る。正面から激突した刀と剣。凄まじい衝撃波が全身を貫いた。
「てめぇを倒していのりさんを救うッ!」
次回episode33を投稿、そしてepisode:finalで第一期終了です。
救いは(期限:The Everything Guilty Crown 投稿まで)
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必要
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不必要