Guilty Bullet -罪の銃弾-   作:天野菊乃

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誤字脱字、文脈のおかしいところの訂正。


【Episode:03】

 キャロルの一件から数日。集は体育館の2階から患者たちの様子を見下ろしていた。ほとんどの患者はステージⅠからⅡだったが、その中でも潤のステージはⅣ。いのりの血液による投与も最近は受け付けなくなっていた。最早キャンサーの進行は止まることを知らず、体を蝕み続けている。もう彼は長くはないだろう。

 谷尋の表情は見えないが、感染していない潤の手を掴んで一生懸命何かを祈っている。

 ここで何か労いの言葉を掛けてやるべきなのだろうが、それで彼の病状が良い方向に向かうわけではない。集は小さく息を吐くと、隣でコーヒーを飲んでいる菫に視線を移動した。

 

「潤くんの様子は?」

「特に変わらず、だ。もう良くなる見込みもない。いのりちゃんのためにも、寒川潤への血液透析は打ち切るべきだと思う」

「谷尋が認めると思うか?」

「はいそうですか、とは言わないだろうね。私が諦めろと言ったその日に胸ぐらを掴んできた少年なのだから」

 

 潤が完全にキャンサーに覆われる前に、今のこの場で安らかな死を迎えさせる。ふとガストレアウィルスに侵食され、もう長くなかった少女のことを思い出す。

 寒川潤は、当時の彼女と同じ状況なのだ。

 

「いざとなれば俺が潤くんを───」

 

 刹那、菫から冷たい缶コーヒーを集の首筋に押し当てた。唐突に訪れたひんやりとした感覚に集は堪らず声のない悲鳴をあげる。

 集はポケットにそれを捩じ込んでから、訊ねた。

 

「君は里見蓮太郎ではない。桜満集なんだ。君がわざわざ泥に塗れる必要はない」

「だけど谷尋に弟殺しをやらせるわけにもいかないだろ!」

 

 谷尋は毎日潤を殺そうとしては躊躇しては、体育館から逃げるように立ち去っていく。懐に忍ばせたナイフを引き抜こうとして、それができなくて潤の手を握っては毎日逃げるように帰っていく。

 谷尋も心身ともに限界な筈だ。ならば、俺がこの手で潤くんを───

 

「君が泥をかぶる必要はないんだ」

 

 集の肩に菫の手が置かれる。

 

「君が背負おうとしているのは、君自身の『罪』ではないのだから」

 

 

 目を開ける。もう見慣れてしまった街並み。同じ毎日を繰り返す人々。

 呆れたことに、これをもうかれこれ数週間も続けている。いつまでもこんな日々が続くはずはないのに、だ。

 ───『集は涯が居なくなってから変わった。何か、切羽詰ってる感じがする』。

 いのりに言われた言葉を思い出す。振り返ると、最近は何かと余裕がなかったような気がする。要素としてあげたらキリがないが、しっかりしろ桜満集、と軽く頬を叩く。

 頭を冷やせ。焦ったところで何も解決しない。

 そうは思うものの、胸の奥底から込み上げてくる苛立ちは消えない。それはまるで、遠い記憶の残滓。大切なものを守るために、非情な選択を迫られ続けた誰かの記憶。

 しかし、ここで立ち止まってはいられない。状況は常に動いている。特に、潤くんのキャンサーがステージⅣに進んだ今、このままでは犠牲が増えるだけだ。

 そして今日。谷尋はこんな深夜に体育館にやってきた。

 

「こんな時間どうしたんだ?」

 

 体育館の扉の前に腕を組み立つ集。その姿を見た谷尋は嫌悪感を隠そうともせず、集の横を通り過ぎて体育館の中に入ろうとする。そんな谷尋の肩を集は掴む。

 

「離せよ」

「まず俺の質問に答えろよ。こんな時間にどうしたんだ」

「……」

「沈黙か」

 

 ため息を混じりに小さく呟きながら、

 

「お前に潤くんは殺させないよ」

「───!?」

「気づかないとでも思ったか?」

 

 なぜ、自分がこんなことをいっているのかはわからない。しかし、谷尋に潤を殺させてはならないと思った。

 もし谷尋が手を赤く染めたら最後、彼は人ではなくなってしまうだろう。しかし、この場で優しさを向けることは、谷尋の、そして潤の真実から目を逸らすことになる。

 集は蓮太郎の記憶からくる情報を元に谷尋を責めた視線で見つめる。その視線に射抜かれ、谷尋は血の気が引いた顔で集を睨みつけた。

 

「てめぇに……てめぇに俺の何がわかる!俺がどんな思いで潤の手を握っていたと……!毎日毎日、少しずつ人間じゃなくなっていく弟を見て、それでも希望を捨てずに……!」

 

 谷尋は泣き出しそうな顔で叫んだ。それは、偽りのない苦しみだった。しかし、集は一歩も引かない。

 

「その『希望』が、毎日お前を『殺害の実行者』に仕立て上げようとしていた。お前は毎日、潤くんに会うたび、心のどこかで『早く終わらせたい』と願っていた。毎日懐に忍ばせているナイフは、その願望の証明だ」

 

 集は静かに、しかし断罪するように言い放つ。谷尋は激しく動揺し、口を開閉させるだけで言葉が出ない。

 

「違う!違うんだ、潤は……俺の弟なんだ。俺はただ、俺は……!」

 

 谷尋は自身のエゴと真の愛情との間で引き裂かれ、もはや弁明の言葉すら見つけられなかった。集は谷尋のその姿を見て、かすかに目を細める。

 ここで突き放すことは簡単だ。しかし、自分がもっと考えを巡らせればもっと別の結末に辿り着けるはず。変異した『王の能力』を用いれば、潤のキャンサーももしかしたら。

 集が、谷尋に何か言葉をかけようと口を開きかけた、その刹那。

 体育館の内部から、硝子が砕け散る轟音と、人ならざる凄まじい咆哮が響き渡った。

 

「なんだ、こいつは───」

 

 集は驚愕に目を見開いた。

 異形の怪物と化した『それ』の出現に、谷尋は恐怖に支配されその場に崩れ落ちた。集もまた、この異常な変異に戦慄を覚える。

 その怪物が誰であるか、この場にいる誰もが理解できない。ただ、その存在そのものが放つ禍々しい殺意と、周囲の秩序を破壊する力を感じ取っていた。

 

「動くな!」

 

 集は即座にホルスターからグロック拳銃を引き抜き、異形の怪物に狙いを定めた。引き金が引かれ、轟音と共に弾丸が放たれる。

 しかし、その弾丸は怪物の硬質な結晶の甲殻に当たった瞬間、パチリと火花を散らしただけで、無力に砕け散った。

 

「なっ……!」

 

 集はさらに数発を頭部めがけて撃ち込むが、結果は同じ。銃弾は全く通用しない。

 

「谷尋、立て!逃げるぞ!」

 

 集は銃をホルスターに戻すと、動けない谷尋の腕を無理やり掴んで引き起こした。

 

「や、やめろ、離せ!あんな怪物、無理だ!」

「うるさい!ここで立ち止まれば死ぬぞ!」

 

 集は谷尋を半ば引きずりながら、怪物を避け、廃校舎へと続く裏路地へと誘導しながら、全力で走り出した。背後からは怪物の咆哮と、結晶の刃がアスファルトを砕く轟音が、すぐそこまで追いかけてくる。

 廃校舎の陰にたどり着いた集は、逃走を断念し、足を止めた。このまま逃げ続けても、体力の差で追いつかれるのは時間の問題だ。

 集は追いついてきた怪物を睨みつけ、自身の右手の甲の刻印を光らせる。

 

「頼るつもりはなかったが、背に腹は変えられない!」

 

 集が右手を開き、パニックに陥っている谷尋へと向かって手を伸ばした。

 

「谷尋!力を貸せ!!」

 

 谷尋はまだ完全に状況を把握できずにいたが、集の切羽詰まった声と、背後の怪物の存在に押され、反射的に集の手に触れた。集の右腕から奔流が走り、谷尋の胸元から『対象の命を断ち切る鋏』が抜き出される。

 集は即座に鋏を構え、廃校舎の影から飛び出した。

 

「うおおおお!」

 

 怪物は新たな獲物を見つけたかのように、異形の体躯を躍動させて襲いかかる。集はヴォイドの射程距離にまで近づき、怪物の結晶の腕を狙って鋭い一撃を繰り出した。

 キン、という甲高い金属音が鳴り響く。集の渾身の一撃は、怪物の結晶の腕に火花を散らすものの、完全に断ち切るには至らない。しかし、一時的に怪物の動きを止めることはできた。集は鋏を使って怪物の攻撃を凌ぎながら、その硬質な甲殻の隙間を探る。

 その激しい戦闘の音を聞きつけ、いのりたちが現場に駆けつけた。

 

「集っ!どうしたの!?」

「───っ!出てくるな、逃げろ!!」

 

 怪物は無秩序な破壊衝動に任せて、ひたすら集を排除しようと襲いかかってくる。

 その戦闘を、廃校舎の影で腰を抜かしたまま見つめていた谷尋は未だ顔の原型を留めない怪物の姿を凝視していた。

 怪物の体格。キャンサーの結晶の、どこか見覚えのある、そしてどこまでも禍々しい色合い。そして、ヴォイドで集が攻撃するたびに、かすかに溢れる異形の悲鳴。それは、破壊者の咆哮ではなく苦痛に満ちた叫びのように聞こえた。

 谷尋の視線が怪物の胸部。かつて心臓があったであろう場所を捉える。異形に変貌しているが、その根本的な構造には、毎日見続けた病状の進行の痕跡があった。

 恐怖で硬直していた谷尋の脳裏に、毎日欠かさず見舞っていた弟の姿がフラッシュバックする。ベッドの上でキャンサーに侵されながらも、必死に生きようとしていた潤。

 そして今。目の前でヴォイドの刃を受けて苦悶の声を上げる怪物の姿と、潤の姿が、谷尋の視界の中で鮮明に重なる。

 谷尋の瞳が大きく見開かれ、絶望的な確信に辿り着いた。

 

「……潤、なのか?」

 

 谷尋の口から、掠れたような呟きが漏れた。

 谷尋のその発言は集の戦闘思考を一時中断し、怪物がかつて寒川潤であったことを悟る。

 

「くそっ……!」

 

 その致命的な隙を怪物───潤が逃すはずなかった。一際大きな結晶の腕による薙ぎ払いを食らい、集はヴォイドの鋏を手放し、アスファルトに叩きつけられた。全身に激痛が走り、腹部には鋭利な結晶の一撃のせいか、一部の臓器が覗いていた。集から手を離れた谷尋のヴォイドは彼の胸元へ戻っていった。

 

「集ッ!」

 

 いのりが集に駆け寄ろうとするが、潤は集を仕留めようと結晶の刃を振り下ろした。その瞬間、いのりが倒れ伏す集を庇うように潤の前に立ち塞がった。

 

「やめて……!」

 

 いのりの身体が横薙ぎにされる。

 集の目の前で、いのりの腹部がざっくりと切り裂かれ、赤い鮮血がアスファルトに飛び散った。

 いのりは咄嗟に体を捻ったものの、薙ぎ払いの勢いを殺しきれずに地面を何度も跳ねながら校舎に激突。あまりの痛みに身体をよじり、腹部を見やった。衝撃で意識は朦朧とするものの、反射的な行動のおかげで傷は致命的ではない深さに留まっていた。祭のヴォイドを使用すればこの傷もすぐに治るはずだ。

 しかし、大切なものを傷つけられた事実。それを目の当たりにした瞬間、集ですら制御出来ないほどの黒い感情の奔流が集の心を支配した。

 

(コロ)

 

 いのりに害をなした。血は溢れ出しているものの、幸いにも傷は浅い。

 しかし、それを目の当たりにした瞬間、集ですら制御出来ないほどの黒い感情の奔流が集の心を支配した。

 

(コロ)

 

 意識が混濁する。まるで、自分が自分で無くなるようなそんな感覚。

 あの日。脳天を撃ち抜かれた日に集の中に眠っていた死神が目を覚ました。

 敵を倒すために戦い続け、その身体が朽ち果てるまで戦い続ける破壊衝動(カイブツ)

 

(コロ)

 

 大切なものを傷つけられているというのに心はどこまでも冷静だった。絶望などない。ただあるのはどこまでも純粋なたった一つの感情───どこまでも純粋で、禍々しい殺意が集の理性を塗り替えた。

 そんな集の様子に気づいていない潤は、人ならざる咆哮を上げて、微動だにしない集に飛び掛る。

 

「集ッ!」

 

 集を呼ぶいのり。しかし、その攻撃が集に直撃することはなかった。直撃する寸前、空中に飛び上がり、回避。体を捻り、そのままアスファルトに着地。

 

「……集?」

 

 いのりが集に訊ねるも、返事はない。その代わりに返って来たのは身の毛がよだつほどの冷たい視線だった。その冷たい視線とは裏腹に、集の瞳は赤黒く爛々と輝いていた。

 

(コロ)

 

「……!」

 

 まるで蛇に睨まれた蛙。戦慄と恐怖で動けなくなってしまったいのりの横を一瞬で駆け抜ける集。

 集は戦闘の前に、微動だにしない谷尋へと向き直り、躊躇なくその胸へと手を差し込んだ。再び『対象の命を断ち切る鋏』が抜き出され、集の手に収まる。

 冷たい殺気を身に纏いながら、潤の方に向き直る集。

 

「……」

 

 鋏を無造作に構えると、潤が咆哮。鉤爪を集に向けた。

 集は一息ついてから鋏を薙ぎ払うようにして振るった。

 すると、どうしたことだろうか。

 その軌跡が虚空を切り裂く一閃となった。切断線上の旧校舎は、紙のように真一文字に裂けて次の瞬間には元の姿に戻ていた。しかし、その空間の修復に反して、線上を通過した潤の両脚だけは、血と共に無慈悲に両断されたまま。命を断つ鋏が、世界の定義を曲げて『存在』そのものを断ち切っていた。

 

「……これは」

 

 本来ありえないことであった。

 本来、寒川谷尋のヴォイドは『対象の命を断ち切る鋏』である。武器としての使用も勿論可能だが、本来の用途はあくまで命を絶つこと。

 しかし、今集が繰り出した技はどうだろう。命を絶ったのでは無い。空間そのものを断ち切った。

 一体何がどうなっているのだろうか。状況を整理する。

 集は自らの右腕を見下ろしながら僅かに眉を顰めた。

 

「……これが俺の『王の能力』か。どこまでも───」

 

 殺すことに特化してやがる。いのりの耳にそんな言葉が入ってきたような気がした。

 吐き捨てるように呟きながら、地面を駆ける集。しかし、ただ見ている潤では無い。足を即座に再生させると、背中から生えた無数の触手を振り回した。

 刺突、斬撃、薙ぎ払い。ありとあらゆる手段を使って集を遠ざけようとするも、攻撃は一向に当たらず、避けられ、或いは切り裂かれる。

 気づけば集の握る鋏の攻撃範囲にまで、距離が詰められていた。

 

『……!』

 

 声にならない雄叫びを上げて、集に斬撃を放つ。先程はあの攻撃を喰らい、為す術なく吹き飛ばされたが、身体を空中で捻り、紙一重で回避。

 鋏を無造作に振るい、潤の鉤爪ごと真っ二つに切り裂く。勢いをそのまま潤の体へ鋏を潜り込ませた。

 そして、目を細めながら集は鋏をゆっくりと開いて、断ち切った。

 それと同時に、潤に纏わりついていた結晶が砂となって消滅。その機能を停止した。

 

「眠れ」

 

 横薙ぎに切り裂かれて倒れ伏したままのいのりは、腹部の激痛に耐えながら、ただ息を殺してその光景を見つめることしかできない。集の瞳は赤黒く爛々と輝き、冷たい殺気を身に纏っている。それは、先程まで苦戦していた集ではない、破壊と殺戮の権化だった。

 そんな集に近づく影がひとつ。谷尋だ。弟が目の前で消滅したことで正気を取り戻したのか、いや、その表情は怒りと悲しみ、そして恐怖がない交ぜになっていた。

 

「集ッ!お前、潤に何を……あがッ!?」

 

 谷尋を止めようにも、激しい痛みと、集の放つ異常な殺気に呑み込まれ、いのりの体は言うことを聞かない。そうしている間にも集と谷尋の距離は縮まる。

 目線を向けることなくホルスターからグロックをドロウ、谷尋に向けて躊躇なく引き金を引いた。

 腹部を中心に赤い血液が滲み、唐突に生まれた激しい熱と痛みに蹲る谷尋。

 そんな谷尋にゆっくりと近づくと、集は谷尋の頭に足を乗せて、そのまま勢いよく踏みつけた。

 

「ちょ、ちょっと!桜満くん!?なにして……」

 

 花音が止めようと歩き出すも、集がこちらを睨みつけてきた瞬間、足を止めてしまった。

 無理もないだろう。今の集の目は決して一般人に向けられることの無い。どこまでも冷たい視線。殺すことに躊躇も逡巡も微塵も見られない亡霊の瞳。

 戦場を何度も体感しているいのりですらあんな冷たい目は見たことがなかった。

 まるで感情がないのだ。光はあるが、感情がない。今の集の感情を読もうとしたならば、その深淵に呑み込まれてしまうかもしれない、そんな錯覚に陥る。

 集は谷尋の頭を踏み躙りながら静かな口調で語り掛けた。

 

「───どう落とし前を取るつもりだ。谷尋」

 

 名前を呼ばれて僅かに顔を持ち上げる谷尋だったが、肩に凶弾を浴びて再度絶叫を上げた。

 

「俺を、お前と同じ人殺しにしようとしたくせに!」

 

 痛みに悶える谷尋の口から、憎悪と悲痛の叫びが漏れた。しかし集はどこまでも無表情であった。

 

「呆れたな。何度も殺害を試みていたお前が、俺と同じだと? 俺はお前のように『救いたい』と嘯きながら殺意を抱く偽善者じゃない。お前が早々に潤を始末しておけば、いのりが負傷することはなかった。その事を理解しているのか?」

「始末、だと?なにを……俺はずっと弟を助けようと───」

 

 再度発砲。獣のような呻き声を上げる谷尋に集はどこまでも無表情であった。

 

「だったらその懐に隠し持ったナイフはなんだ。果物を切るには些か殺傷能力が高いと思うが?」

 

 一瞬、辺り一帯が冷えきったような気がした。谷尋は生唾を飲みながら、口をパクパクと動かす。

 

「なに、を……」

「気づいていないとでも思ったのか?」

「ナイフは───そうだ、林檎を切るために……」

 

 刹那、集の左腕が閃いた。

 集は谷尋の襟首を掴み、胸元のポケットにしまったナイフを取り出してから、花音たちの足元に放り投げた。包丁よりも分厚く、鞘におさまっているが人の命を簡単に奪えるであろう妖気を漂わせたナイフをみた花音たちは思わず生唾を飲んだ。

 呆然とする谷尋の頭上に、集の冷たい言葉が放たれる。

 

「これを見てなお否定するなら、言うんだ。『林檎を切るために殺傷能力の高い刃物を持ち歩く、奇妙な兄』だとな。その嘘を、今すぐ声に出して完成させろ」

 

 反論なんてさせない。一瞬の隙すら与えない。

 

「俺、は……!」

 

 どうにか反論しようとする谷尋だったが、口から言葉が出ない。

 たった一言言えばいいのだ。そんなつもりは無いと。そうすれば集は認めずとも、祭たちを納得させられるだろう。

 しかし、口から漏れるのは荒い息の音だけだった。

 力が抜けたようにただ地面に倒れ伏す谷尋。そんな姿を見ながら集は再度口を開く。

 

「それがお前の答えだ、谷尋。お前は確かに潤くんを愛していたのかもしれない。だが、お前が毎日ナイフを握りしめたとき、潤くんの心は知っていたはずだ。『兄さんをこの苦しみから解放してやりたい』と。お前の悲願は、潤くんの願いでもあった。そして今日。お前は自らの手ではなく、俺という『代行者』を使ってその怨嗟の鎖を断ち切った。晴れてお前は自由だ。だがその自由はお前が殺した弟と、傷つけた者の血で穢れきっている」

 

 グロックの照準を谷尋の後頭部に突きつける。

 

「お前はこれまでにも無関係な人間を傷つけ過ぎた。このままお前を生かしておけば、お前はまた同じ葛藤を繰り返し、新たな犠牲を生むだろう。この場で未来の被害を未然に防ぐ。それが、お前にできる『贖罪』だ」

 

 集の赤い瞳が妖しい輝きを帯びる。

 

「俺がここで確実に執行してやる」

 

 このままだと不味い、そう判断したいのりは咄嗟に声を荒らげた。

 

「やめてッ!」

 

 集の体が止まる。いのりの方に視線をずらすと、一瞬硬直したように身体が止まり、そこから脱力したように地面に倒れ込んだ。

 手からグロック拳銃がこぼれ、地面に突き刺さっていた鋏が谷尋の中に戻る。

 静寂が戻り、誰もが黙り込む中、震える声で颯太が呟いた。

 

「な、なあ。いのりちゃん?集は一体どうなって……」

 

 校舎の壁に寄りかかり痛みに耐えていたいのりは、倒れた集から目を離さないまま、颯太を見つめた。集が再び目を覚ました時のことを考え、誰もが安易に彼に近づけないでいる。

 

「魂館颯太。今はそれどころじゃない。寒川谷尋の止血手当てを優先して」

「で、でも止血のやり方なんて……」

 

 やはりと言うべきか、手渡されたマニュアルには何も目を通していなかったらしい。いのりは小さく息を吐いてから祭の方を見やった。

 

「……校条祭、あなたは?」

「ここで習った簡単なものであれば……」

「それでいい。魂館颯太、あなたは体育館にいるはずの菫を連れてきて」

 

 口答えしようとする颯太だったが、すぐ口を噤んだ。巫山戯ている場合では無いということをお調子者ながら理解したのだろう。背中を向けてすぐさま駆け出した。

 

「あれはもしかして……」

 

 集の中に眠るもう一つの魂。癒愛から聞いていた話とはだいぶ違う人物ではあるが、きっとそうなのだろう。

 いのりは自身の胸に手を当てると、死んだように目を閉じる集を見やった。

「大丈夫だよね?」と、心の中で何度も反芻しながら。




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