窓から覗く空の色は灰色。青く澄みきった快晴――ではなく、どこまでも灰色で濁った空がどこまでも広がっていた。
カツカツとチョークが黒板を叩く音を耳にしながら呆然と外を眺める。
────灰色の空からは大粒の雫が降り落ちている。
少し強めの雨なのか窓にポツポツと雫が
(……はぁ。どうしちゃったんだろう)
心ここにあらず、といった様子で美由希は視線をとある席に移した。
そこの席は誰も座っていない無人の状態であった。しかし、本来ならそこにとある男の子が着席していなければならないのだが、なぜだか今日は彼の姿が見られない。
(八神くん……何かあったのかな)
とある男の子――――八神秋人と連絡が取れない。昨日の夜辺りから何回かメールや電話やらと連絡手段を取ってみたが一向に応答がないのだ。もしかしたら携帯の電源でも切れてしまっているのではないかと、次に妹である八神はやてにも同様に連絡を入れてみたのだが、こちらも同じく返信が来ない。
まさか二人揃って電源落ち、ということはないはずだ。もしかしたら自宅の電話なら繋がるかもしれないと考えてみたが、そういえば自分は番号を教えて貰っていないことに気がついたのでこちらもなくなく諦めた。
(番号は今度教えてもらうことにして、本当にどうしちゃったんだろう? 今日ははやてちゃんの誕生日なのに……色々と打ち合わせやら何やら話すことがあるのになぁ)
前々から二人で企画していた誕生日パーティがいよいよなのに、当の兄妹が音信不通となれば不信感を抱かずにはいられなかった。担任の教師も彼がどういった理由で休んでいるのか解らないようで、今の状態では彼らが何をしているのか知りえない。などと様々な葛藤が美由希の脳内で巡りに巡っていて、授業もままならない状態だった。
(う~ん、やっぱり会いに行くしかないよね。やっぱり心配だし! ……心配)
そこで真っ先に思い浮かんだのは、なぜか兄である秋人の方だった。ハッと小さく首を振って頭の中の映像を無理やり消し去る。どうしてそこで彼が出てきてしまうのだ、と。
(ち、ちがくて……はやてちゃんだよ。うん、そうそうー……)
しばしの沈黙を挟んだ後、コツンと机に突っ伏す美由希の姿が見られた。
結局その日は彼が学校に来ることはなかった。美由希は学校が終わるのと同時に教室を出て行き、外は未だに雨が降り続いているため傘を差して帰路に着く。
「…………、」
その道中でも何回かコールする。けれどそのどれにも相手は応答してくれない。雨音を静かに感じながら無言で携帯電話に視線を落とすことしばらく、
「──よしっ」
ギュッと携帯電話を握りしめながら何かを決意する。そして彼女は自宅とは逆方面に足を運び始めた。
さらに歩くこと数十分。美由希は八神家の前まで足を運んだ。天候のせいもあってかここに来るまでの間に人の気配が全く無いことに少々疑問を抱いたが、まぁそんなこともあるだろう、と軽く受け流しておきながら目の前の建物に視線を移す。
────部屋の明かりはついている。
一階と二階ともカーテンを閉め切っているため中の様子は分からない。しかしその僅かな隙間から光が漏れているのは確認できたのだ。
美由希はそのまま玄関先へと向かい、扉の前で立ち止まる。ここからでは中の物音は聞こえない。集中して耳を澄ませば聞こえないことはないのだが、それは彼等に対して失礼だろう。
スッと指先をインターホンへと運ぶ。
「…………、」
押す。次いで聞き慣れた呼び鈴が室内へと響き渡る。しばらくその場で待っていると奥の方から足音が近づいてきた。
(……あ、れ? この感じ)
そこで違和感を感じた。こちらに歩み寄ってくる”音”に対して美由希は顔をしかめる。
一定のリズムで運ばれるその
――――即ち、それは武人の忍び足。
「……誰」
少なくともこの家の住人ではないのは確かだ。手を引っ込めて数歩後ずさる。雨を凌いでいた傘を畳み、それを腰辺りに構える。お陰で雨が直接降りかかってしまうが、そんなことはどうでもいいとばかりに美由希は集中力を高めていた。
それと同時に気配がこちらに近づいてくる。
「……っ」
ピタリ、と足音が止む。とうとう扉一枚を挟んだ先に謎の人物は居ることになる。
次の瞬間にはガチャリ、と扉が開かれ、傘を握る力が強まって――――
「――――どちら様だ?」
「えっ」
間抜けな声と共にポロっと傘を落としてしまった。
「そうか、ある――――いや、はやての友人だったか。これは失礼した」
「い、いえこちらこそ……ありがとうございます」
パタン、と扉を閉めて制服の肩にかかった雨粒を落とす。目の前には髪を一つにまとめたポニーテールの見知らぬ女性が、持ってきたタオルを差し出してくれたので、美由希はお礼を言って濡れてしまった部分を拭い取る。
その間に目の前の女性は美由希の傘を傘立てに置いて支度が終わるのを待っていた。
「タオルありがとうございます。えっと……」
「シグナムだ。はやてのもとに案内しよう」
その言葉にお願いします、と返してシグナムと呼ばれた女性の後についていく。
「あの、シグナム……さん?」
「なんだ?」
声をかけるとシグナムは立ち止まり、顔だけをこちらに向けてくる。
そんな些細な仕草に対しても美由希は一種の警戒状態になってしまう。一度感じてしまった”違和感”というものはどうにも簡単には拭えないものだ。ましてや自分の友人の自宅に見知らぬ人間がいるから尚更に。
そんな心境をしってか知らずか、シグナムはフッと目を伏せて再び歩み始めた。
「そこまで警戒するものでもないだろう――――と、私が言うのはおかしいか」
「い、いえそういうわけでは……シグナムさんははやてちゃん達とはどういう関係なんですか?」
「私か? ふむ、そうだな」
リビングのドアに手をかけた所で呟く。そしてしばしの沈黙を挟んだ後、シグナムは扉を開けて彼女にこう言った――
「私は――――私
その先に居たのは三人の人間だった。一人は金髪のシグナムと年の近い感じの女性で、こちらの存在に気がついては柔和な笑みを浮かべて近づいてきた。
「シグナム。さっきのは誰だった──あら、お客さん?」
「あぁ、ある──はやての友人だそうだ。名前は……」
「あっ、すみません名乗らなくて。私は高町美由希といいます。はやてちゃんと、兄のあ、秋人君とは仲良くさせてもらってます!」
「これはご丁寧に、私はシャマルといいます。はやてちゃんとは『親戚』のような関係ですよ♪」
「親戚――――ですか」
私見では、二人とも日本人とは思えない容姿というか、雰囲気を感じる。英国とか、その辺りの生まれだろうか。
視線をシャマルからシグナムに移す。先ほど彼女の呟いた『騎士』というのはどういう意味だったのだろう、と。
「うん? あぁ……先ほどのアレは、ジョークというヤツだ。気にするな」
「ジ、ジョークですか」
苦笑を浮かべるしかなかった。当の本人は涼しい顔して言っている辺り、本気なのかもしれないのが恐ろしい。横にいるシャマルもシグナムの言葉の意味を理解したのかそうでないのか解らないが、こちらも困った表情を浮かべている。
一見して冷静に見えて、意外とお茶目な一面があるのかもしれない、と美由希は自己完結することにした。
「あっ、美由希さんや!」
はやてのその姿をみる限りでは、至って問題ないように思える。どうやら彼女自身はいつも通りのようだった。
「こんにちはー。いらっしゃい!」
「うん、こんにちははやてちゃん。それと誕生日おめでとう!! 良かったよ~元気で」
美由希の言葉にどういうこと? と小首を傾げる。
「二人とも携帯が通じないし、八神くんは学校に来ないしで心配してたんだよ?」
「えっ、ほんまに? そういえば携帯電話は……ヴィータちょっとええかな?」
はやては隣でゲームをしている女の子──ヴィータと呼ばれた彼女に呼びかけた。ヴィータははやてに呼ばれるとすぐにゲームを中断して振り向いてくる。
「どうしたのはやて?」
「ちょっとテーブルにあるカバンを取ってきてくれへん?」
「カバン? あぁ、わかった」
はやてが指差した先を見てすぐに立ち上がる。そしてカバンを手にとってこちらに戻って来る際に、
「…………、」
ギロッと物凄い形相で美由希を睨みつけていた。その目は敵意というか、殺意のようなものがにじみ出ている気がする。
「あ、あはは。どうも初めまして! 高町美由希です。えと、ヴィータ……ちゃん?」
できる限り平静を保ちつつ、笑顔で挨拶を交わす。『敵意』や『殺意』に敏感な彼女にとっては、今の状況は少しばかり息苦しいものとなっていた。なので咄嗟に笑顔を作って話しかけてみたのだが、
「──ちっ」
舌打ちされてしまった。それはもう、明確に。ここまでハッキリと『拒絶』されてしまうと、清々しいというかなんというか……。
(な、なんかしちゃったのかな私っ!? ど、どうしよう……)
絶賛テンパり中の高町美由希がそこにいた。出会って数分も経たずに嫌われるなんて思いも寄らなかった彼女は、一体どうしたものかと頭を悩ませることしか出来ないでいた。
「こら、ヴィータ!」
そんな中で、はやてが少し咎めるような口調でヴィータの名前を呼ぶ。
「ダメやよ初対面の人に舌打ちするのは。ちゃんとキチンと挨拶せなアカンよ」
「はやて……」
ヴィータは美由希の時とは百八十度うって変わって、寂しがりのウサギのような、小動物を連想させる態度になっていた。
(か、かわいい……)
シュンとしているヴィータを見て、抱きしめたくなる衝動に駆られる。だが、もし今それを実行してしまったらこの先の彼女とは一生口もきいてくれなくなる可能性が出てくる。それは流石に嫌なので、美由希はグッと堪える――――
「……ヴィータだ。よろし──うわっ!?」
「可愛いぃぃ~~!」
ことが出来ずに、彼女の交わした誓いは五秒と経たずに崩落してしまった。
抱きしめたヴィータの体は予想以上に軽く、まるで雲でも掴んでいるかのようで夢心地だ。
「ギャァァ!? は、離せコノヤローッ!!」
「お人形さんみたいだねヴィータちゃん! あっ、ほっぺもプニプニでマシュマロみたいだぁねぇ~~♪」
「お、おい! いきなり触るな頬をスリ寄せるなぁぁ!!?」
「美由希さんテンション高いなぁ」
「い、いや……はやてちゃん止めなくていいんですか?」
腕の中でジタバタと暴れまわるヴィータをほっこり顔で愛でる美由希。傍からははやてがしみじみと二人の戯れあいを眺めていて、隣にいるシャマルがどうしたものかと慌てふためいている状況が出来上がっていた。
「二人とも仲良しなのはええんとちゃう?」
「え、えーと……どちらかというと一方的な気がするんですが」
「まぁ、このままやと話が進まなそうやし……美由希さん」
ちょいちょい、といつの間にか回りだしている二人にはやては声を掛ける。
「うん? どうしたのはやてちゃん?」
「ヴィータが可愛いのは分かるんやけど、そろそろお話を再開せえへん? あと、ヴィータ目ぇ回しとる」
「えっ!? あ、ごめんねヴィータちゃん」
「――きゅぅ」
美由希はぐったりと腕の中でもたれ掛かっているヴィータをソファに降ろし、はやてに向き直る。
「ところではやてちゃん。八神くんはどこにいるのかな? さっきから姿が見えないんだけど……」
「切り替えが早いなぁ美由希さん。えと、兄ちゃんは……」
はやてが口を開こうとした瞬間、ガチャリと再びリビングのドアが開かれた。
その先に居たのは
「――――あれ、高町?」
寝巻き姿の八神秋人が一匹の大きな犬? を連れて入ってきた。
赤い瞳に蒼い毛並み、一見して狼のように見えるその生き物は秋人の背後に寄り添うように歩いている。
「八神……くん。その格好」
「あ、あぁ。ちょっと起き抜けでさ……悪い」
「う、ううん。大丈夫だよ」
秋人は薄く笑ってこちらに歩み寄ると、ソファに腰掛けた。手足はだらん、と伸ばしていてその姿はとても気だるそうに見える。
「もしかして熱でもあるの? 凄い辛そうな顔してるよ」
「……単に起き抜けだからだよ。本当についさっき
目を細めて天井を眺めている。そこでふと周囲に視線を向けてみれば、それぞれが違った反応を見せていた。
まずリビングの入口で壁に背を預けているシグナムは、目を伏せたまま動かない。自分達の会話に割り込まないようにしているのか、あるいは無関心なのか彼が来ても一瞬目を開けた程度でそれ以降の変化が見られない。
次いでキッチンに移動していたシャマルは、秋人が部屋に訪れると同時に驚きをあらわにしていた。信じられないものでも見るかのような表層で秋人に視線を巡らせている。
「兄ちゃん、起きて平気なの?」
そんな最中、はやてが彼に訊ねる。その瞳は僅かに揺れていて今にも泣き出しそうな雰囲気を醸し出していた。秋人は視線を天井からはやてに移して小さく微笑む。
「あぁ。ごめんな、心配させちゃって……せっかくの誕生日なのに」
「ええよ……わたしは大丈夫や」
ニコッと笑って頷く。
「高町も悪いな。電話とか返せないで」
「だ、大丈夫だよ。それよりも八神くんこそ本当に平気なの?」
目は虚ろで眼下には大きな隈が出来ている。はやての様子と、そして目の前の彼の状況を考えるに昨日何かがあったはずだ。それだけは理解できる。
(それにシグナムさん……いや、シャマルさんもか。さっきから”気配”が鋭い)
目を回しているヴィータはともかく、残る二人が発する一種の『気』が異様だった。とても一般人が放つような気ではない。本当に彼女たちは八神家の『親戚』なのだろうか。
「俺は大丈夫だよ高町」
「…………、」
自分の問いかけに秋人は大丈夫、の一点張りでそれ以上は答えようとしない。片隅に宿った”不信感”が更に強くなる一方で、いくら何でも考えすぎでは? とも考える自分がいる。
「それよりもゴメンな。わざわざ来てもらっちゃってさ」
「ううん、気にしないで。何かこの様子だと日を改めたほうが良さそうだね……残念だけど」
「……そうだな」
秋人と共に視線を移すと、そこにはうんうん呻くヴィータを介抱しているはやての姿がある。
「はやてちゃんって本当にしっかりしてる子だね……。たまにホントに小学生なのかなーって思うときがあるよ」
両足が麻痺で動かない中、何食わぬ顔で日常を過ごしている女の子。正直、とても自分には出来そうにない。それは自分がその状況に置かれていないから言えることでもあるが……。
「……俺は、」
美由希の言葉を聞いていた秋人がポツリと呟く。
「はやてが寂しくないようにって出来るだけ一緒にいる時間を確保してきたけど、逆にそれがアイツに負担を掛けてたのかもしれない」
幼くして両親を失い、八神秋人という存在を除けば他には誰もいない
――共に過ごした記憶がある。これは非常に大きい差だ。
「色々と不満やら何やらあるだろうに、って。今日の誕生日だってそうだ。学校に通えていれば”友達”が一緒に誕生日を祝ってくれたかもしれない。一日中家に引きこもってないでさ……」
「八神くん……」
そこで秋人はハッと我を取り戻し、慌てて美由希の方に振り向く。
「わ、悪い。いきなりこんな話して……まぁ、最近は高町と話してるうちに結構明るくなってるんだぞ? なのはちゃんたちだって良くしてもらってるし。ホントに助かってる」
「――――っていいよ」
えっ? と秋人は美由希を見る。彼女もこちらを真っ直ぐと見ていて、お互いに見つめ合う形になってしまった。
若干の気恥かしさが頭を過ぎる。美由希の瞳は何処か真剣味を帯びていて、けれどその表情は柔らかいままだ。そして彼女は秋人にこう言った
――――もっと私を頼っていいよ、
◇
パタン、と静かにドアを閉める。そしてそのままドアに背中を預ける形で小さく息を漏らす。
左手を自分の頬にそっと這わせると、確かに熱を帯びていた。紅潮している。手で直接触れなくとも自覚できるほどに熱を帯びているのが分かる。
――――あぁ、あれは不意打ちだ。
あれは卑怯だな、とどうしようもなくだらけている両頬を這わせていた手でつねる。痛い。当たり前だ。
背後からは賑やかに話している妹たちの声が聞こえる。そんな中で時折耳に入る彼女の声が心臓の鼓動を刺激する。
「――――青春だな」
いつの間にそこにいたのか、顔を上げてみればすぐ隣にポニーテールの女性――シグナムが小さく笑みを浮かべながら壁に背をあずけていた。
「……余計なお世話だ」
「そう言うな。あの女――高町といったか、中々見所のあるやつだと私は思うがな」
見所のある。果たしてどのような意味で発した言葉なのか解らないが、明らかにからかっていることは断言できた。
「まさか私の『気配』を察するとは思ってもみなかったぞ。出会い頭に視たあの”型”は果たしてどこまでの実力か……」
「……あまり勝手な行動はしないでくれよ。俺はまだあんたたちを
緩みきった表情から一変して、睨みをきかせているのは八神秋人だった。今にでも噛み付かんばかりに鋭い視線をシグナムに向けている。対して彼女は相も変わらず涼しい顔のまま目だけを秋人に合わせていた。
「お互い様だな。まぁ、本来ならば貴様の言葉を聞き入れる必要性はどこにも無いのだが……我が主の『親族』ならば致し方あるまい、といった所か。自重しよう」
そこで一旦会話が途切れる。後から訊いてみればこの連中は美由希に対し、自分の『親戚』として説明したらしい。まぁ、無難な選択といえるだろう。
秋人自身も当時の
「なぁ……お前たちは何者なんだよ。なんで今、このタイミングで現れたんだ! なんでよりにもはやての――――」
鎖の本から出現したと思われる四人の騎士。それは確かにはやての誕生日である六月四日に現れたのだ。まるでそれが定めであるかのように。様々な騒動の果てにこうして五体満足で戻ることはできたが……。
「さっき目覚めた時は、昨日の出来事は全て夢だったんじゃないかって思ってた。タチの悪い冗談だったと。けれどやっぱりあれは夢でもなんでもなく、紛れもない現実だって理解した」
先ほど美由希に顔色が悪いと指摘されたが、まさに今自分の体調といったら最低最悪と言っても過言ではなかった。両の手の指先は力が入らず軽く握ることしかできないし、眩暈もひどい。今こうして立っていられる自分を褒めてやりたい程だ。
「”何者”なんだと問われれば、答えは一つ――――我らは『闇の書』の『
どこぞの漫画の世界かと連想させられる言葉の羅列に頭を悩ませる。本当に物事というものは唐突にやってくるものなんだと、改めて思う。
――――闇の書。
これが彼女たちとの出会いと、始まりの切欠なのだ。頁は全てで六百六十六。『闇の書』と伝えられたその書物は、その全ての項目を埋めることによって完成する。その暁には、書の持ち主である『主』に絶対的な力と地位を与えるという、にわかにも信じがたい説明を受けたのだ。
「おまけに『魔法』ときたもんだ。もうあまりにも突飛な話でまるでついていけない。何なんだよ……」
「理解しようとしなくとも、貴様には関係のないことは確かだな。八神秋人」
「関係はあるだろうがっ!」
声を強めてシグナムに掴みかかろうと腕を伸ばす。しかしその途中で足に力が入らずに彼女の前に
「あぁ、確かにまったく関係が無いと言うのは嘘になるな。貴様の『魔力』を糧に一歩、完成に近づいたのだから」
そう言って何処から取り出したのか、彼女の手元には現況たる鎖の本――――もとい、『闇の書』を持ち得ていた。
徐に本を開いてページを捲って中身を確認を行う。
「貴様を『蒐集』して得たページは”十”……か。魔法技術が発展していないこの世界で中々の保有量だな」
大半が白紙のページに何かが書き記されていた。文字は読めない。異文化の言語を用いているようで、その内容はまったく理解できないが、どうやらそのページが『蒐集』を行った証になるらしい。六百六十六頁のうち、八神秋人を『蒐集』したことにより得た十頁を差し引けば、残るは六百五十六頁だ。数字だけを見れば途方もないように思える数が未だ残っている。
「我らが本来活動できていれば、数日で完遂してみせるのだがな……」
曰く、同じ相手には二度も『蒐集』することは出来ないらしい。そのことを考えれば自分は既に蒐集された身となるのでこれ以上の危害は加えられないと見ていいだろうか。
「そうだな。我らには貴様に対し危害を加える理由が無い。少なくとも今は、だがな」
「どういうことだ」
言いながらシグナムはスッと秋人の横を通り過ぎる。
「……どこに行く気だ?」
「なに、少し町の様子を見てこようとな。しばらくはここを拠点に活動するなら地理ぐらいは把握しておいて損はないだろう? というわけでしばらく留守にする」
「おいっ!」
有無を言わさずにシグナムは外に出ていってしまった。勝手な行動はするなと、先ほどの忠告は意味を成さなかったようだ。
「……本当に何なんだよ、お前らは」
呟き、壁にもたれ掛かるように秋人は床に座り込む。
この先一体自分たちはどうなるのだろうか。得体の知れない住人が増え、未だ片付かない問題も山積みのままだ。
――――どうすればいい?
頭の中でぐるぐると疑問が絡まる。
この先の未来に不安と疑念を抱きながら、八神秋人は一人苦悩する。