「それでは、今日はここまで。日直は黒板消しておくように」
授業終了チャイムが鳴り、数学教師はさっさと教室を出ていく。
午前はこれが最後の授業だ。今日は午前授業なので残すはSHRのみとなる。
秋人は教科書の類を机に片付け、席を立つ。
向かうは窓際の席。そこに居るのは机に突っ伏している高町美由希がいた。
「おーい、大丈夫か?」
取り合えず声を掛けてみる。
美由希はそのままの状態でうめき声を上げるだけでこちらに見向きもしない。
「高町、お前どうしたんだよ」
「うぅ……さっきの数学がぁ~」
ようやく答えたかと思ったらこんなことを言ってきた。
彼はこの様子で多少は理解した。軽い知恵熱のようなものだ、と…。
「はーい。HR始めますよ」
彼女に用があったのだが、その前に担任が教室にきてしまった。
「悪い高町。後で頼みたいことがあるから、放課後残れる?」
「…………おっけ~だよ」
片手を挙げてひらひらと振りながら答えた。
秋人はそれを見届けてから、自分の席に戻っていく。
◇
「さっきはゴメンね、八神くん」
放課後、秋人はもう一度美由希のもとに行こうと席を立つ。
が、その前に本人の方から訪ねてきてくれた。
「平気か…?」
「うん、さっきのはまあよくあることだから気にしないでね。それで用って何かな?」
よくあることなのか、と心の中で軽いツッコミを入れながら話を続ける。
「用っていってもすぐに済むものだから、帰りながら話すよ」
教室を出るように促すと、彼女は首肯き一緒に教室を出た。
廊下に出ると、互いに並ぶように歩き始める。
「それで話なんだけど……」
「待って! わたしが言い当てる――――用ってズバリ、妹さんのことでしょ?」
歩き始めるなり美由希は人差し指をビシッと伸ばして言い放ってきた。
その通りなので、秋人は首を縦に振り頷く。
対して彼女はふふんと、鼻を鳴らして嬉しそうだった。
「もうすぐうちの妹が誕生日なんだよね。それで翠屋でケーキの注文をしたいと思ってさ」
「ああ、なるほどね。んー…でも少しこの話をするのは早くないかな?」
下駄箱で靴に履き替えながら美由希は首をかしげていた。
「いや、早めに言っておけば店の方に迷惑がかからないかなーと。繁盛してるじゃん? 翠屋」
別にこれはお世辞でも何でもない話だ。
翠屋。秋人たちの住む海鳴市では”超”がつくほど人気のある喫茶店兼洋菓子店である。
秋人は甘いものが大好きなので、当初この店を発見した時には目を輝かせていた。
今となっては、八神家の恒例行事には此処の洋菓子無くしては始まらない、というほどに利用させてもらっている。はやても翠屋のケーキは好物の一つとしているので尚更だ。
勿論それは、横にいる彼女も知っていることでもある。
「そんな事別に気にしなくても平気なのに。うちはバレンタインやクリスマスみたいな行事事以外は基本的に落ち着いてるから大丈夫だよ」
それでも休日は結構混むけどね、と最後に付け足して話した。
だったら、と秋人ははやての誕生日に必要なものを記したメモを美由希に渡す。
受け取ったメモを彼女が開いて確認するのを見計らって、会話を続けた。
「注文したいのは……チョコレートケーキのホールを一つと、シュークリームを四つ。それと苺ショートケーキにモンブランと、あとは――」
「うわー相変わらず凄い量だね。このメモ書き見るだけでお腹いっぱいになりそう。……毎回思うんだけど、これ食べきれるの?」
苦笑を浮かべながら訊ねてきた。
「全然問題ない。それと今時期って新作か期間限定のケーキってある?」
「え? えっとー…今はフルーツタルトがオススメかな?」
ほほぅ、と秋人は顎に手を置いて思い浮かべる。
「タルトは大好きだ。それもお願いしようかなー……ってどうした高町?」
「八神くん。一つ君に訊きたい事があるんだけども、いいかな?」
「は、はい」
突然彼女の雰囲気が変わった。
思わず秋人はその場で姿勢をビシッと正した。
なぜか、この時の彼女には逆らえない……見た目普通の女の子なのに。
「
デ、デザート欲……。
断じてそんな気持ちは無い!
「そ、そんなことは無いぞ高町。俺は単に喜んで欲しいだけなんだ! だ、だから……うん、問題ない!」
「めちゃくちゃ声震えてるけど……はぁ、まあいいか。じゃあこれと、フルーツタルトを追加注文でいいんだよね?」
秋人は有無を言わずに首を縦に振って肯定した。
そして丁度よく、互いの家に向かう分かれ道にたどり着く。
よかった、と気づかれないように胸をなでおろした。
「また近いうちに翠屋に行くから、その時に改めて注文させてもらうよ。取り合えず今日は知っておいて欲しかっただけだから」
「うん、りょーかい。じゃあこれはお母さんに言っておくね。それじゃあ八神くん、また明日~」
別れの挨拶を済ませてから彼女を見送った。
美由希の姿が見えなくなると、秋人は腕時計に目を移して時間を確認する。
時計の針は十三時を指そうとしていた。
はやても昼食を作って待っているだろうし、さっさと家に帰るとしよう。
◇
「悪い、はやて遅くなったー!」
自宅の玄関を開けて、秋人は奥にいるはやてに聴こえるように声をあげた。
すると、リビングの方から車椅子に乗ったはやてが迎えてくれた。
「おかえりー兄ちゃん。ご飯できとるから手、洗ってきてな」
「ああ、着替えてくるからちょっと待っててくれ」
はやては笑顔で頷くと、巧みに車椅子を操作しながらリビングに戻って行った。
秋人は一先ず手を洗ってから、私服に着替えようと自分の部屋に戻ることにした。
五分ほどして普段着に着替えたのち、リビングへと足を運んだ。
そこには既に料理を終えたはやてが、テーブルに最後の皿を並べていたところだった。
「悪いね、全部やらせちゃって」
「朝はわたしが手伝えなかったから、これでおあいこや」
見ると、今日はパスタのようだった。
食欲のそそられる香りが漂ってきて、いい感じに腹の虫が騒ぎ始めた。
急いで椅子に座ると、秋人は手を合わせてからフォークに手をつけた。
次いで、はやても同じくフォークにパスタを巻きつけながら口に運び始める。
「今日は学校どうやった?」
「んー…特に変わったことは無かったかな。授業の方も問題ないし」
「兄ちゃんは頭がいいからな~、授業中は暇で寝てないかいつも心配してるんやで?」
どうやら要らぬ心配をさせていたようだ。
彼は一度フォークの手を休めて、視線をはやてに向ける。
「俺の方はいいとして、はやて。ちゃんと俺の出した宿題はやったのか?」
秋人が話すと、はやてはピクッと一瞬手が止まったのを見逃さなかった。
はやては申し訳なさそうな顔をしながら、おずおずと口を開く。
「えっと~…やったにはやったんやけど、ちょこっと解らない問題があって……」
「なんだ、そんなことだったか。俺はてっきりサボったのかと思ったよ」
思っていたことをはやてに伝えると、口元を尖らせて不機嫌そうな顔になる。
「サボったりなんかせえへん。せっかく兄ちゃんが教えてくれるんやから――――」
「ありがとうよ。じゃあ食べ終わったら解らない所を教えるから、用意しときな」
はやてが頷くと、二人は食事を再開した。
時刻は十四時を過ぎた頃。
昼食を済ませた秋人とはやては、リビングに備え付けてあるロングソファーに座っていた。
勿論はやては車椅子から降ろしてある。目の前のテーブルには勉強道具が並べられているが、どれも手をつけられていない状態だった。
「教えるのはいいんだけど、書かないと憶えないんじゃないのか?」
「うんー? 科目は社会だから平気や」
そう言うはやては、秋人が以前小学生の時に使っていた社会の教科書を眺めていた。
そんなものなのか。自分は書かないと憶えないから、見て憶えられる人間が羨ましく思う。
「まあはやてが良いならいいんだけど、このポジションはどうなの?」
「これも全然問題無しや! それにわたしは足が動かないから兄ちゃんが支えてくれないとソファーから落っこちてまうで?」
うっ、と言葉に詰まった。
今の位置は秋人がソファーに座り、その間にはやてが座っている状態だ。
はやては上を見上げ、目線が合うとニコニコと微笑みだした。
「ふふ、ほんなら兄ちゃん。ここなんやけど――――」
「……はやて、見事に引っかかったな。その回答は間違いだ」
「え!? ほんまに……むぅ」
してやったり、と今度は秋人がクスッと笑う。
はやてに出している問題は、当時彼が実際に出されていたテストなどを再利用していた。
秋人は教師のように一から十まで教えられる人間では無いので、殆ど教科書と市販の各種ドリルで対応していた。今はまだこれで賄えるが、これから先はそうは言ってられないのが現状だ。
「じゃあ……コレでどうや!」
「おー流石だな。それで正解だ」
「やたー!」
大袈裟に両手を挙げて喜ぶはやて。
彼女の凄い所はやればキチンと自分のものにできるところだ。秋人は素直に凄いと思っている。
それからは教科書やドリルを見ながら口頭で問題を出し、それをはやてが答える。といった感じで、勉強を進めていった。
◇
「じゃあ今日はここまでにしておこう」
時間にして一時間ほど勉強をしたところで教科書を閉じる。
はやてを退かして立ち上がり、秋人は身体を伸ばして深く息を吐いた。
横目で見ると、はやても同じ体勢で疲れたのか同じく身体を伸ばしているようだ。
「んんー! 疲れたぁー。頭がパンクしそうや」
「お疲れ、と言いたいところだけどこれから病院にいくからな」
「あぁー……そやった。兄ちゃん上着持ってきて~」
ぽすっとクッションに顔を埋めて気だるそうに答えた。
まるでダメ人間のような物言いだ。
彼は短く息を吐くと、出かける準備をするために一度部屋に戻っていった。
ショルダーバックに必要なものを入れて黒のダウンを着る。それから自分の部屋を出て、はやての部屋に向かいキャメル色のダッフルコートをクローゼットから引っ張り出した。
リビングに戻ると、テレビをつけてニュース番組を見ているはやてがこちらに気がつく。
秋人はソファーに座っているはやての下に行くと、コートを手渡した。
「えー、兄ちゃんが着させてくれへんの?」
「それぐらい自分で着なさい。ほら」
「ちぇー……」
渋々といった感じではやてはコートに手を掛けた。
彼はそれを見届けると、部屋の戸締りを始める。
「兄ちゃん着終わったー」
「あいよー」
はやてがコートを着終わるとテレビを消し、秋人ははやてを抱きかかえて部屋を出た。
その横には車椅子があるが、それを無視して玄関に向かう。
車椅子は二台あり、室内用と外出用に分けられて使われていた。
玄関にあるのは簡易車椅子で重量も軽く持ち運びが楽だが、秋人はどうにも”簡易”という単語を見てしまうと些か強度に問題があるのでないか? と変に勘ぐってしまうようだ。
実際はそんな事が無いようにされているはずだが。
そんな理由を持ち合わせているためか、秋人ははやて一人がこれで出かけようものなら全力で止めるようだ。それはもう鬼のような形相で。
その場合は室内用の車椅子を使ってもらうことになっていた。
幾ら心配性の彼でもはやてを家に引きこもらせることはさせない。
はやてには色々なものを見て、知って欲しいから。
はやてを外出用の車椅子に乗せると、秋人は後ろから車椅子を操作する。
施錠を済ませ、家を後にした。
「今日はでっかい検査するん?」
「いや、軽く診て貰う程度だと思うよ。あとは先生とお話だけだな、終わったらスーパーで買い足ししに行くからそのつもりでいるように」
「うん、解った。ほな、バス停まで全速力でゴーや!」
危険だからやらないぞ、と予め言っておく。
秋人はペースを変えずにバス停まで向かうのだった。