アンジュ・ヴィエルジュ *Skyblue Elements*   作:トライブ

1 / 62
Chapter 0 : Ange Vierge

  

 

 それは、遠い昔の光景――――

 

 

 虹の神殿は光に包まれたその世界の象徴たる建造物だったが、その場所に立ち入ることのできる人間はほんの一握りで、それ以外の人間はそもそも神殿がある場所すら知らなかった。しかし、彼はその一握りに入っている者だった。

 

「何故、ご理解頂けないのです」

 

 彼は、絶望の表情で眼前の存在に問い質した。

 そこは神殿の最上階に位置する、《創造の間》。陽光が差し込む荘厳なる場に、その2人は対峙していた。片方は床に跪き、片方は玉座に腰掛けている。

 

「一体、何故。世界は破滅の危機に瀕している。それをもたらす破滅の龍を打ち倒すことができれば、世界は恒久の平和に包まれるというのに!」

 

 対照的な2人だった。白髪混じりの髪を振り乱して慟哭する男に対し、赤い髪の女神はあくまで冷静に答えた。

 

「万物は、産まれ、育まれ、栄え、滅びるもの。その概念に当て嵌るのは、世界とて変わりありません。貴方の考えは、この世の概念を根底から覆すことを是としています」

「しかし……!」

 

 食い下がる男に、女神は辛抱強く、さらに言葉を重ねる。

 

「世界を破滅から守りたいという貴方の思いは良く分かります。それは私たちも同じです。しかし我々の使命は、貴方が覆そうとしている概念を護ること。それに、破滅を忌避せんがために一度ならず世界を揺さぶろうなど、決して許されることではありません」

 

 磨き上げた己の『智』を否定された男は、がくりとうなだれた。その碧い目は、絶望の色に染まっている。

 

「私は……ただ……世界を守ろうと……そのためには、この方法が最も効率的且つ効果的だということは、貴女もお分かりのはず……なのに何故、貴女方はそれを認めぬのです? 何故、別の世界の連中の言葉などに耳を傾けられるのです?」

 

 独り言のように疑問をこぼしていた男は、不意に立ち上がると、女神に背を向けて歩きだした。

 

「お待ちなさい。どこへ行くのです」

「私は、もう貴女方とは分かり合えない。私は、私の道を歩みます」

「貴方の考え方は危険です。どうか思い直してください。世界を試す以外にも、きっと方法はあるはずです」

 

 女神は男の背中に呼びかけたが、彼を説得できるとは思っていないようだった。男は、もう返事をしない。それでも女神は、自らに課せられた義務として、その背中に問いかける。

 

「何が……貴方の望む世界を変えるというのです? 何が貴方を、そこまで駆り立てるのですか?」

 

 男が立ち止まったことは、女神にとっても意外だった。振り向いたその顔は今まで通りの柔和な面立ちだったが、女神はそこに、有るか無いかの「それ」を感じ取る。

 

 それは「狂気」。

 

 男は口元を歪ませて、言った。

 

 

「私は、ただ信じているだけです。『可能性』というものを」

 

 

 男は再び女神に背を向け、歩き出した。そうして、二度と振り返ることはなかった。

 彼は永遠に神殿を去った。神殿は、一度去れば記憶からその存在が消え、二度と戻れなくなる。彼はもうこの場所に帰ってくることはできず、この場所にまつわる全ての記憶を失う事になる。例え復讐を仕掛けようとしても、彼、または彼に連なる者にそれを成すことは不可能だ。

 それなのに、女神の心中を満たしていたのは、不安のみだった。

 

 

 今、私は、とても重要な歯車をひとつ、壊したのかもしれない。

 

 

 彼女は疲れ切った様子で座っていた玉座に深く体を預けると、深く溜め息を吐く。

 男の背中を見るその眼差しは、悲哀に満ちていた。

 

 どこで間違えたのだろう――――

 どこで間違えてしまったのだろう――――

 

 

「それでも貴方は……何故……?」

 

 

 暁天の女神アーシーは、去りゆく賢者に問いかける。

 その声が届くことは、もう無いのに。

 

 

 女神の背後で、世界水晶は赤い光を湛えている。

 彼女の意思と同じ、静かな光を。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。