アンジュ・ヴィエルジュ *Skyblue Elements* 作:トライブ
目の前に広がっていたのは、黒焦げになった部屋の内装。ひびの入った壁。割れたガラス窓。吹き飛んだテーブルと椅子。床に落ちてぐちゃぐちゃになったケーキ。あちこちでチラチラと様子を伺うように燃える炎。それを消すために天井のスプリンクラーから発せられる水。そして、酷い怪我を負って倒れた4人。
みんなが、転がっている。まるで、そこらへんの壊れた家具と同じように――
ひとりひとり助け起こす。おい、大丈夫か? どうしてこんなことに? 弱々しい反応の末、笑顔を浮かべ、動かなくなる。
心が、軋む。
心が、ぐらつく。
心が、裂ける。
嘘だ。やめてくれ。夢なら覚めてくれ。いっそ俺も殺してくれ。
そうだ。夢だ。これは夢だ。現実であるわけがない。あっていいはずがない。だってそうだろう? あんなにも優しく、強く、美しかった女の子達が、こんなに無残な姿になっていいわけがない。そんな残酷なことがあるはずがない。あっていいはずがないじゃないか。
だから彼は目を閉じる。これは、現実のことじゃないんだ。だから、大丈夫。
絶叫した。
あまりの大きさに、喉が張り裂けるかと思った。鼓膜が破れるかと思った。頭上から降ってくる水を浴びながら、大声で吠えた。
眼前の事実を受け入れたくなかった。受け入れられなかった。だから嗤った。嗤いながら泣いた。苦しみの絶叫を振り撒いた。
それは、愛。憎しみ。怒り。哀しみ。
それは、壊れた心から、いろんな感情が混ざり合って、濁流みたいに溢れ出ているかのようだった。
…………
早朝、美海はランニングのために上下にジャージを着て寮を出ようとしていた。
春樹に、それとブルーミングバトル実践の授業で言われたのだが、当然ながらブルーミングバトルに出るプログレスには体力が要る。フィールドを走り回り、リンクを繋ぎ、エクシードを多用するための体力が。それは、プログレスが個々で身につけるものだ。決してαドライバー頼りにできるものではない。
ブルーミングバトルの勝敗はαドライバーの体力が決する。しかし、そこに
今回バトルに出るプログレスは、お互いに3人。しかし、向こうに実践を積んだアンドロイドが2人いるのに対し、こちらが一般人2人では、持久力という点で全くお話にならない。なので、琉花と相談して、毎日数キロメートル走って体力を付けよう、という結論に至ったのだ。
しかし、寮を出たとき、普段とは違うことに気づいた。琉花だけでなく、なぜか沙織もいる。普段はストレートの艶やかな黒髪は、運動するときにはポニーテールに結われていた。
「おはよ、みうみん!」
「おはよう、美海ちゃん」
「あれ? なんで沙織ちゃんが?」
同室ながら、いないことに気づいていなかった。沙織は2段ベッドの上なので、確認していなかったのだ。
沙織は照れたように、
「私も今日から走ろうかなって思って……」
「もう3週したんだってさ」
「えっ……!?」
美海達はランニングのために満月寮のある居住地区を歩いてみて、1週が大体1キロくらいになるルートを決めており、普段はそこを3週する。しかし、沙織はそこを既に3週走っていたというのだ。
「沙織ちゃん、ホントに体力あるんだねー……じゃあ、もう入るの?」
「ううん。私ももう3週走るよ」
「で、でも……」
美海が心配そうな顔をすると、沙織は、大丈夫だよ、とニッコリと微笑んで言った。
「私、なんでか昔から体力だけはあるから。さ、走ろう!」
「……うん!」
しばらくの間、朝焼けに照らされた居住地区に、3人の走る靴音が響いていた。
…………
数日後のある日、春樹は昼休みにカレンに呼び出された。
「えっと、一体何の用?」
呼び出される謂れが全く思いつかない春樹は、単純な疑問をカレンに投げかけた。
場所は校舎最上階の廊下の突き当たりだった。昼時どころか普通の時でも滅多に誰も来ない場所だ。
カレンの隣には、なぜか同じクラスの
カレンは複雑な――それでも普段通りの無表情に見えるが――表情で、話を切り出した。
「春樹はなぜ、私たちにチーム結成の話を持ちかけなかったのでございますか?」
「――っ!」
そう来るとは思わなかった。瞬間の焦りが、顔に出る。
カレンはΩプログレス。リンク率は60%後半と低めなものの、春樹とリンクができるのだ。そして、戦闘用アンドロイドであるカレンは戦闘経験がある。
対する千鳥は、『言霊を操る』という特殊なエクシードを持つ。千鳥はエクシードの出力そのものが低いが、その対価として、フレームをほとんど指定しない、特殊な脳波を持っていた。当然ながら春樹ともリンクができる。
しかし、なぜ今自分は――『マズい』と思ったのだろう。なぜ、弁解の言葉を探しているのだろう。
「そ、その……忘れてた、っていうか」
「嘘でございます。あなたが今のプログレス達と会っていたとき、私はそこに行ったでございます」
「そ、それはその……その時はまだブルーミングバトルに出るって決まってなくて……」
「それも嘘でございます。あの日、後から三島冬吾から2人がブルーミングバトルに出る事を聞きました。それで私は、その時に会っていたプログレスたちをバトルに出そうと考えているに違いないと得心したのでございます」
ここまでされたら、もう言い逃れは不可能だろう。いままで口を閉じて俯いていた千鳥が口を開いた。
「ねえ……どうして? 私が
細かいことに頓着しない千鳥の性格上、その台詞は様々な思いが込められていた。それは、春樹も容易に理解できた。
そして、彼女らが
「違うよ。そんなんじゃない」
「――っ」
千鳥が息を呑む。カレンも表情を険しくした。
「そんなんじゃないんだ。俺はただ、きっと――どうでもいいだけ……お前らをバトルに出して、それで勝って、あるいは負けて、一緒に喜んで、悔しんで、
長いこと
「俺は……初めてのブルーミングバトルをあいつらと楽しみたかった。頑張って練習して、その成果をぶつけたかった。一緒に、笑いたかった……!」
自分でも、どうしてこんなに涙が、悲しみが、怒りが煮え立っているのか、全然わからない。1つだけわかるのは、今、自分の心に施したメッキが剥がれかけているということ。
行き場のない感情が、春樹の、自分でも覆い隠していた本心が、目を見開いて春樹の話を聞く2人に、そして春樹自身にも襲いかかる。
「俺は、今回のバトルなんて……どうでもいいんだ。きっと。俺の初めてのバトルはあいつらと出るバトルだ。それまでにやるバトルなんて――どうでもいい!」
最後の言葉は、悲しみを弾き飛ばすかのような絶叫だった。目をぎゅっとつぶり、一気に言い切る。そうしなければ、ズルズルと下の方へ引き摺り下ろされそうな気がして。
不意に、頬に熱を感じた。驚いて目を開ける。カレンが春樹の頬を平手で張ったのだ。
「……春樹、貴方様は、自分でバトルに出るためのプログレスを選びました。それを冒涜するということは、同じプログレスとして許さないのでございます」
厳しい口調で言うカレン。千鳥も、悲しげな顔を無理やり歪ませて春樹を睨みつける。
自分がないように見せかけて、どこまでも自分本位。罪悪感を無理やり正当化するために、他者を簡単に傷つける。カレンの言葉を受けて、ようやく再認識した。自分が、あまりにも醜い存在だということを。
しかし、カレンの行動にはその後があった。彼女は、春樹が二の句を継げないうちに、
「でも、貴方様の選択は貴方様のものでございます。考えを変えるつもりがないのでしたら――せめて、このくらいはさせてくださいませ」
ぎゅっ、と春樹を抱きしめた。その温もりに、弾き飛ばしたはずの涙が、溢れ出る。
「ごめんね、春樹。本当はあんなこと、言うべきじゃなかった。ほら、私ってバカだから……後先考えずに喋っちゃう。みんなこと、馬鹿にしてるみたいって気付かなかった。本当に、ごめんね……」
と、千鳥がつぶやくように言いながら春樹の頭を撫でる。
思えば、彼女らもこうやって春樹に、『個』たるものの無力さと愚かさを教えたのだ。
カレンと千鳥は自分なりに、『彼女ら』の代わりを果たそうとしているのかもしれない。
「……カレンは、冬吾側だと思ったけど。セニア、妹なんだろ?」
「一から十まで承知で事を進めるあの馬の骨よりも、一だけ知って残りを足掻こうとする貴方様の方が魅力的でございます。無論、馬鹿すぎて呆れる時もありますが」
「……そりゃ、どうも」
「要するにあんたは、あんたが思ってるほどバカじゃないし、あんたが思ってる以上にあんたを好いてる子は多いってこと」
「それは……どうかな? 俺、結構バカな自信あるけど」
「卑屈になるのは、馬鹿らしくありません。そういうことは、三島冬吾に任せるべきでございます。貴方様は……貴方は、がむしゃらに前を向いて歩くべきです」
「それを、きっとみんなも望んでる、と思う」
春樹の涙は、止まりそうになかった。
決戦の日は、もう10日前にまで迫っていた。
…………
矢のように時間が過ぎていく。
そんな、また数日後の放課後。春樹はグラウンドの脇をブラブラと歩いていた。美海と兎莉子が『神学』の専科を取ったらしく、また琉花と兎莉子が『魔法薬』の専科と取ったということで、せっかくコロシアムを使えるというのに手持ち無沙汰になってしまったのだ。冬吾に使ってもいいよ、と言ったら、
「ルールは守らないと。それに、専科が終わったら使うでしょ?」
とのことだった。なんとなく腹立たしいが、言っていることはごもっともである。その冬吾は、自身の用事で白百合島に行ってしまった。
――琉花と忍が魔法薬とか、なんかヤバいことに使いそうで怖いな……特に琉花は。
などと考えながら、グラウンドを通り過ぎる。
青蘭学園にはグラウンドのそばにアスレチックゾーンが設置されている。規模は小さいが、それなりに大きめなジャングルジムや、高校生が使う用のやたらに長い
その雲梯にぶら下がる少女がひとり。
「うわ、出た」
思わず春樹が声に出すと、その少女は、なんだという顔をこちらへ向けた。
「出た、とはなんですの」
大飯食らいのアンドロイド、テルルである。右腕で雲梯にぶら下がって懸垂していたらしいが、左手の方が、尋常ではない。
なぜなら、彼女は右手で懸垂する傍らで、左手では
「いや……よくやるよなぁ、って思って」
「このくらい……当然、ですのっ!」
テルルは当たり前だと言っているが、その右手の1点には、テルルの体重+150キロの重量がかかっているわけである。春樹は、自分がそんな状況になった時を想像してみて、腕が引きちぎれないのが不思議に思った。
1年の頃から、この雲梯はテルルのお気に入りであるが、既に彼女のせいで1回壊れているということは、知る人ぞ知る事実だ。一体どんなぶら下がり方をしたら壊れるのか。
――これもアンドロイドだからか。こんな腕で殴られたら、一発で死ぬだろ。
「こんにちは、神城春樹様」
「ん? おお、セニアちゃんか」
テルルのあまりにもショッキングな光景に目を取られて、そばのベンチに座っていたセニアに気付かなかった。彼女はデータパッドをテルルの方に向けて、データを取っていたらしい。
セニアは、どことなく浮かない顔をしている。正確に分かるわけではないが、カレンの妹機であるという以上、カレンとセニアの仕草がなんとなく似ていることが見て取れた。カレンが落ち込んだ時と同じように、微妙に俯いて上目遣いになっている。
「セニアちゃん。なんか落ち込んでるの?」
「……どうしてそう思われるのですか?」
「ん、カレンが落ち込んだ時と、なんか似てる気がして」
「……そうですか」
セニアはデータパッドを下げて更に俯いた後、テルルに向かって言った。
「テルル。春樹様になら……その……」
「言ってみればいいんじゃないですの?」
問われたテルルは、ごく素っ気ない声で答えた。彼女からしたら、それはどうでもいいという意味ではなく、セニアに任せる、という意味なのだろう。
「……春樹様、少々お時間を頂けますでしょうか?」
「え? そうだな……うん、大丈夫だよ」
セニアが、自分の隣をぺしぺしと叩いて「どうぞ座ってください」と言うので、言われた通りにする。
彼女は数秒間黙り込んだあと、意を決したように顔を上げた。
「……マスター、は」
「ん?」
「マスターは、三島冬吾様は、セニアの事を信頼なさってません」
「え?」
セニアは藁にも縋るような顔をこちらに向けると、拙いながらに言葉を紡いだ。
「マスターは、ユーフィリアやテルルやナナに……それと、貴方様に向ける視線を、セニアには向けて下さいません。マスターはチームの皆を、貴方様を信頼さなっています。だから、その視線を向けてもらえないセニアは、マスターに信頼されていません」
目を見開いて驚く春樹は、反面、確かに、と思わざるを得なかった。
冬吾は確かにセニアを溺愛している。休み時間など、わざわざセニアのクラスに行って安否を確認してしまうほどだ。
しかし――その行動の根底にある感情は信頼ではない。いや、言い様によっては、信頼
セニアはまだ生まれてから活動している期間が1年程度だという。彼女が如何に初期からある程度のデータをインプットされて生まれたアンドロイドであろうと、その精神面において、彼女は
春樹が返答に困っていると、セニアは春樹に問い掛けてきた。
「春樹様。どうすれば、マスターはセニアを信頼してくれるのでしょう。セニアは何をすれば、マスターの信頼を勝ち得ることが可能なのでしょう。強くなれば、ちゃんと与えられた役割を全うすることができれば、セニアはマスターに信頼してもらえるのでしょうか?」
それは、必死の問いだった。
お前が未熟だから、無理だろ。冬吾はお前を信用しない。
彼女の揺れる心を、言葉で煽り立てる。マスターである冬吾への忠誠心を揺らがせ、チームに亀裂を入れる。
可能だ。しかし、そんなことをしていいわけがない。第一、テルルがすぐそこにいるだろう。
だが、これは紛れもない事実なのだ。
だから春樹は、当たり障りのない言葉を選んで言おうとした。が、そのテルルに、
「思ってることを、正直に言ってやって欲しいですの」
と言われた。しかし、言っていいのか。この感情は、確実にセニアを傷つける。それでもいいのか。
「……テルルは、なんて答えたの」
「もちろん、貴方と同じ回答をしましたよ。でもセニアは受け入れられなくて。冬吾がもっとも信頼する貴方の本心を聞かせてやることは、大事だと思うんです……のっ」
テルルは一旦雲梯から降りると、バーベルを左手から右手に持ち替え、ジャンプして今度は左手で雲梯を掴んだ。
「……そう」
春樹は心を決めると、セニアに向き直った。
「……冬吾はな、めちゃくちゃ心配性なんだ」
「?」
「あいつは親から愛情らしい愛情を注がれてこなかったって言ってたけど……多分、そうだったから、セニアちゃんのことを、愛情を込めて育てたいんだと思う」
「あい……じょう?」
「セニアちゃんは、まだ活動し始めて1年とかなんだろ? 冬吾は、そんな幼い君を全面信頼することは、決してないだろうな」
それを聞いたセニアは、いよいよ絶望の表情になって俯いた。しかし、春樹は言葉を続ける。
「だけどな? それは、決してセニアちゃんが信頼できない
「逆……?」
「そう。セニアちゃんが成長した暁には、君はきっと冬吾の信頼を大いに勝ち得ると思う。だから、冬吾は今、君に余計な重石を乗せたくないんだよ。信頼されたら、
最後の一言は、きっと自分にも向けていた。セニアは顔を上げて聞き入っていた。
「だからね、セニアちゃん。対戦相手に塩を送るっぽいことになるけど……そうだな、冬吾を信じて頑張れ。冬吾に認められたいっていう思いがあるなら、それを掲げて頑張るんだ。そうしていれば、あいつも必ず、セニアちゃんが信頼に値する存在になってるってことに気づくはずさ」
言っていて、自分が嫌になる。
自分は、信頼に応えられているのか。美海達が仮に、もし仮に、自分のことを信頼してくれていたのなら。自分は、それに応えるほどのことができているのか。
――できて、ねぇよな……。
カレンにあんなことをぶちまけるくらいなのだから、結論から言えばそういうことなのだ。信頼したくないのは、もしかしたら自分も同じなのかもしれない。その動機は、余計な重石を
「……セニア、頑張ってみます。ありがとうございました。あの、どうかこのことは、マスターにはご内密に……」
「ああ、分かってるよ。頑張れ」
セニアはペコリとお辞儀をして、決意を新たにしたようだった。テルルも微笑んでいる。
対して、春樹は――
――偽善者。
…………
矢のように時間が過ぎ、気づけば、ブルーミングバトルの前日だった。
今日はお互いに最終調整ができるように、フィールドを半分ずつ使う予定だ。しかし、冬吾が用事で遅れるとのことで、向こうのチームはまだ来ていない。なので、現在はこちらのチームだけでフィールドを使えている。
美海と琉花は動きがそれなりに様になってきた。戦闘するときの様々なことを忍に教わっているため、それぞれ自らのエクシードと合わせて、結構まともにやりあえそうな気がしてきた。本来なら、そこら辺をサポートするのも春樹の役目なのだが、戦闘云々について語れないのは春樹も一緒だったので、忍に一任していた。
「やー、結構上達するもんだねー!」
美海が満足そうな声を上げた。ホバリングの腕前はかなり上がり、今ではリンク無しでも安定して浮いていられる。もちろん、高速で移動するとなればまだまだ粗が目立つものの、少なくともユーフィリアの攻撃を回避することはできそうだ。
「だねー。私もなんとなく様になってる気がするぜー」
返答する琉花は空中に浮かべた水球を何個にも分裂させて遠くに飛ばしては、それを回収してひとつの球にまとめる、ということを繰り返していた。つい1週間前、エクシードのレベル上昇によって、干渉することのできる範囲が広がっていることに気付いたため、その練習を急遽行い、ここまでモノにできたというのだから、琉花の飲み込みの早さには感心させられた。
「うむうむ。2人とも、だいぶ動けるようになってきたでゴザルな。これなら拙者ひとりで奮闘せざるを得ないという状況を回避できそうでゴザル」
忍は既に戦闘が完成の域にあったので、この数日間はもっぱらエクシードの質を高めることに集中していた。自分の忍術との合わせ技もいくつか開発しており、それを見せられる度に、その多芸さに舌を巻かされた。
「みんな、すごいですっ。ちゃんと動けてます!」
春樹の隣で3人を眺める兎莉子も声を弾ませている。ここのところ、時々何か言いたげな表情になるが、その度に「どうしたの?」と聞くと、「な、何でもないです、ごめんなさい!」となってしまう。しかし、それ以外の時は本当に良くみんなの様子を見てくれて、春樹も気付かないような場所に気付いてくれることもあった。現に、琉花のエクシードの干渉範囲拡大について最初に言及したのは兎莉子だ。
春樹も、かなり満足いく出来に仕上がったと思う。正直、嬉しい。しかし、カレンと千鳥に励まされてから、そしてセニアの相談に乗った時から、胸の奥に
自分の発した言葉と、自分の取る行動のギャップ。
セニアに『信じて頑張れ』などと言っておきながら、自分はやっぱり心のどこかで美海達を信じきれていない。そのギャップに、心がぐらついているのだ。本人が自覚している以上に。
でも、そうだ。別に美海達だって春樹のことを全面信頼しているわけじゃないだろう。流石に出会って2ヶ月、琉花や忍に至っては1ヶ月も経っていない。そんな奴のことを一方的に信頼するなんて、流石にない。だから、自分も
そんな危うい中で保たれているバランスは、最悪のタイミングで崩壊を迎える。
「これなら明日も結構頑張れちゃうかもね!」
「そうだな。向こうは強敵だけど、頑張ろう」
一旦練習を切り上げて美海達がフィールドから出てきたので、春樹もαドライバーゾーンから出てリンクを切断する。
「しっかし、ハル先輩が
「え?」
琉花が言う。それを聞いた春樹の心が、軋む。
「なんかさ、去年はヤバいαドライバーがいたらしいじゃん? 無理やりチームに引き込もうとしたり、すぐにこう……なんつーか、エッチなことしようとするαドライバーが。なんか、今はいなくなっちったんだっけ? それを寮の先輩から聞いて、ハル先輩は大丈夫かなー、って思ってたけど、めっちゃ紳士で
「や……ちょっと言い過ぎじゃない?」
「あ、それ、拙者も思ったでゴザル。まあ、そんな不貞な輩と比べるまでもなく、春樹殿は殿方として非常に
「そう……あ、ありがとう」
同意する忍。心が、ぐらつく。
「わ、私も……その、怖い人じゃなくて良かったって思いますよ。みんなのことも色々考えてくれるし、それどころか、バトルじゃ役に立てない私のことまでちゃんと見てくれて……私、春樹さんのような
「幸せって……大げさな」
心底嬉しそうに微笑む兎莉子。心が、裂ける。
「だよねー! 春樹くんが私たちのことちゃんと
にこやかに言う美海。それに頷く3人。
カレンと千鳥は、そしてあの4人は。春樹の心情を理解した上で、すくい上げてくれた。
しかし、この4人はそうではない。教えていないから当たり前なのだが、春樹を理解せず、自分の思いを春樹にぶつけてくる。
つまり、間違っていたのは――――
心が、砕ける。
「やめろ!」
その
「やめろよ……そんな、人が優しさだけで出来てるみたいなことを言うのは……俺は……」
ああ、こんなことを言うつもりはないのに。言いたくなんかないのに。言ってはいけないのに。ここまで苦しいのは自業自得なのに。なのに――頭では理解していても、心は。
壊れた、心は。
「お前らのことなんか、信頼してない! 俺は、お前らに信頼されるような人間じゃない!!!」
絶叫するように言葉を叩きつけると、春樹はそのままコロシアムのゲートに向かって駆け出した。美海達の制止を振り切り、逃げるために。
頭では理解していても、
心は、これっぽっちも言うことを聞かない。
…………
コロシアムへ向かう冬吾とそのチームメンバーの横を、ものすごい勢いで春樹が駆け抜けた。
「は、春樹?」
すれ違う直前、冬吾が問いかける。しかし返答はない。
「待って、春樹くん!」
その後ろから、美海と琉花、忍が追いかけてくる。それだけで冬吾は――いや、ユーフィリアも、何が起きたのかを全て察してしまった。彼女らが春樹に何をしたのか――
「待って、みんな」
冬吾は腕を上げて美海達を制止する。
「なんで止めるんですか! 冬吾先輩!」
止められた怒りからか、涙を浮かべて叫ぶ美海に、冬吾はあくまで落ち着いて答える。
「今は、1人にさせてやってくれ。コロシアムに行こう。そこでみんなに、全て話すから」
…………
春樹が中等部にいた頃、春樹は、自分と相性のいいプログレスが1人もいなかった。無論、それなりに社交的な性格をしていた春樹はプログレスの友達も多かったが、自分はブルーミングバトルとは縁遠いαドライバーなんだな、と信じていた。その頃の彼からすれば、高校2年生なんて遥か彼方の時間で、実感がわかないということもあった。そういうαドライバーが1人くらいいたって、別にかまわないだろう。それも個性だ、と。
そう思い込んでいた。心の叫びを無視して。
「そんな春樹には、高等部1年に上がると同時に、相性のいいプログレスが4人もできたんだ」
冬吾は、フィールドの人工芝の上にみんなを座らせ、自分も座って話し始めた。
冬吾の目から見て、最初は、なんだかギスギスしてるなぁ、と思った。そのうちの1人、黒の世界出身の子とのリンク的な相性は特に良かったのだが、性格的な相性はそれほど良くなかったらしく、妙なとっかかりから、いつも言い争いをしていた。
それでも、その言い争いは互いを罵倒するような醜いものではなく、むしろ如何に相手をうまく言い負かすかのバトルみたいで、見ている方も面白かったし微笑ましかった。何より、本人らも言うほど互いのことが嫌いでは無いようだった。むしろ、互いを思っているからこそ、その感情がすれ違っているようでもあった。周りからすれば「早くくっつけよ!」と、もどかしいことこの上なかった。
残りの3人とは普通に仲がよく、なんだかんだ言って春樹たちは5人でいることが多くなった。無論、言い争いはよくしていたが、それも含めて『心地よかった』のだ、と春樹は言った。
「1年の頃、彼はよく言ったんだ。『俺のチームができたから、俺はこのチームで、お前のチームと一番最初にバトルする』って。僕は彼らが最高のチームになるって思った。」
冬吾は昔を懐かしむように言った。そんな語らいをしたのも、遠い昔のように思える。
「春樹はああ見えて、随分と臆病で、ちょっと自己中心的な節がある。なんだろうな、自分の保身に走りがちっていうか。そんな彼が、自分のことなんか省みずにがむしゃらに走れたんだ。彼女らのためだったから」
美海は、少し春樹に依存しているところがある。それと同じように――いや、それよりもはるかに――春樹はその4人に依存していた。だから、自分を省みることなく一生懸命になれていた。
その時までは。
「でも、彼の誕生日に――」
…………
いつか来た島の東、真っ白な灯台の前に腰掛けて、春樹は暮れなずむ海を眺めていた。
胸を支配するのは、ほとんどが後悔だった。なぜ自制できなかった。あんなこと、言わなければ良かった。言わずに済んだ。なのに、言ってしまった。
チームを壊した罪の意識、そして、明日への恐怖――
2か月前にここに来たときと、まるで変わらない。変わっている点を強いて挙げるとすれば、それは自分が失ったものが、誰によって失われたか、ということだろう。
あの時は、絶対に許すことのできない悪に。
そして今は、大嫌いな自分に。
その時のことが、嫌でも頭を支配し始めた。
…………
「今日はありがとな、冬吾」
「いやいや、こっちこそ楽しかったよ」
いよいよ本格的に寒くなってきた11月の暮れ、昼下がりに、春樹は冬吾と自宅マンション前で別れるところだった。
「ユフィもテルルも、直接お祝いできなくてごめんねって言ってたよ」
「別に気にしねーよ。まあ、先に会ったらありがとうって言っといてくれ」
「了解」
春樹は、自分の親友に微笑みかける。
「……今朝、さ。
「へえ、十和に教えてたんだ。彼も律儀だね」
「でも、俺、あいつの誕生日知らなくてさ……しかも、十和だけじゃなくて
「じゃあ返事の手紙出しなよ。『誕生日いつ?』って」
「でもさ、それで過ぎてたりしたら、なんか恥ずくない?」
「恥ずかしくないよ。ま、頑張りな」
ばん、と冬吾に背中を叩かれる。その感覚は、普段よりも心なしか心地よいものだった。
「……俺、幸せ者だな」
「そだね。でもこれからもっと幸せ、なんでしょ?」
「だな……まあ、プリエがまた変なことやって、ケーキが爆発してなきゃいいけど」
「美波ちゃんとセーレちゃんがいるし、大丈夫でしょ」
2人して軽口を叩いて笑い合う。
「それじゃ、またな」
「うん、楽しんできてね」
そう言って、冬吾と別れる――瞬間。耳を裂かんばかりの爆音が轟いた。同時に、目の前のマンション――春樹の自宅マンションの3階の窓ガラスが、内側から砕けて路面に降り注いだ。
「っ! 危ない!」
冬吾が咄嗟に春樹を庇い、また春樹も身をかがめてガラスから身を守った。そこら中から悲鳴が聞こえる。
――今の音。それに、場所。
3階の突き当たりに部屋。マンションの貸し部屋。
「ま、待って春樹!」
冬吾の制止など、耳に入らなかった。一目散にマンションに駆け入り、オートロックを解除して、自動ドアが開くのを待つのももどかしくそれをこじ開け、エレベーターなど待っていられず、階段を駆け上った。途中にいた、警戒状態の警備員を後ろからなぎ倒し、その怒りの声に耳もくれず、ただ走った。そして、予定の部屋、内側から吹き飛んだように転がるドアを踏み越えて部屋に入った。
目の前に広がっていたのは、黒焦げになった部屋の内装。ひびの入った壁。割れたガラス窓。吹き飛んだテーブルと椅子。床に落ちてぐちゃぐちゃになったケーキ。あちこちでチラチラと様子を伺うように燃える炎。それを消すために天井のスプリンクラーから発せられる水。そして、酷い怪我を負って倒れた4人。
「お……おい、なんだよ、これ……」
みんなが、転がっている。まるで、そこらへんの壊れた家具と同じように――
「――っ! み、ミミ!」
我に返った春樹は、一番近くに転がっていた身体を抱き起こす。瞬間、ぞっとした。右腕が、ない。断面からは大量の血液と、微弱な電気が流れ出ている。
「は、ハル……ご、ごめんね。ミミが、ちゃんと、見え、て、れ ば……」
「み、ミミ……」
青ざめた顔で弱々しく、それでも気丈に笑顔を浮かべた彼女は、残った左手であちこち欠けたバイザーを下ろすと、そこに文字を表示させた。『Happy Birthday HARUKI!!』――
その表示が明滅し、薄れ、消えた頃には、彼女の意識もまた途絶えていた。
心が、軋む。
「プリエ……プリエ!」
何を考えていいのかわからなくなって、動かなくなったミミの身体をそっと床に下ろすと、また目に入った身体を抱き起こす。新雪のように綺麗な白だった翼は黒く煤け、先端に火がついていた。慌ててそれをはたいて消す。最早熱も痛みも、感じない。
「はる、き、さん……私、ケーキ、ちゃんと、作りまし、た……あんなに、なっちゃって、ごめんなさい」
薄く笑んだプリエは、残念そうに、床に落ちてぐちゃぐちゃになったケーキに目を向けた。喉から漏れ出る声は、綺麗な鈴のような声ではなく、死に際のような掠れ声だ。
「そんなの……どうだっていい! なんで!」
「春樹さん、は……私の作った、ケーキなん、て、どうでも、いいんですか?」
「なっ……違うよ! でも!」
「じゃあ、まってて、ください。新しいの、作ります……ああ、でも、まずは、そうですね……こっちが先、でした」
痛みに顔をしかめたプリエは、最後の力をうんと振り絞って笑顔に――みんなを癒し続けた笑顔になり、
「お誕生日、おめでとうございます……――」
そして、力尽きたようにぐったりとした。春樹が揺すって、意識を戻そうとするが、反応はない。
心が、ぐらつく。
頭が半分狂い始めたのか、春樹はプリエの身体を優しく床に横たえ、テーブルの下敷きになって弱々しく蠢くものを、必死になって助け起こした。
「セーレ……セーレ!」
弾き飛ばされた食器の破片で全身が傷だらけで、チャームポイントの頭の上の猫耳、その左側に白い陶器の破片が突き刺さっている。慌ててそれを引き抜くと、背筋が凍った。思わず声を上げてしまうほど、血液がどっと溢れてきた。
「い、痛い……痛いよ、春樹……」
「せ、セーレ! 大丈夫か!? なんで、こんなことに……」
受け入れたくない。春樹がセーレに問いかけると、彼女は苦悶の表情で、
「キッチンの下が、爆発した……それだけ……」
ハッとしてキッチンの下を見ると、そこは完全に破壊され、黒く焦げ付いている。
しかし、その破壊は、キッチン下だけにとどまらず、そこら周辺にも及んでいる。そんな強い爆発が起きたのなら――!
「はる、き……誕生日、おめでとう……それと、ね、ずっと、言いたかったの、言わせて……」
「セーレ……?」
傷ついた彼女を見たくない。でも、視線は勝手に吸い寄せられる。セーレは、見たこともないくらい幸せそうな表情を浮かべた。
「だい、すき、だよ。春樹」
そして彼女もまた、動かなくなった。その顔には、最後の笑顔の名残が、刻まれたままだった。
傷さえ見えなければ、眠っているかのように安らかな顔で――
心が、裂ける。
「み、美波……」
春樹は、最後の身体に飛びついた。息が一気に上がる。彼女の脇腹から、椅子の脚が突き出ていたから……
「美波! 大丈夫か!?」
そんなはずはないのに、聞かずにはいられなかった。揺すると傷口を広げてしまうかもしれない。
彼女は、答えなかった。ただ苦しそうに顔を歪めたまま、悪夢にうなされているような顔のまま。あの暖かな笑顔はどこにもない。苦しみに彩られ、黒く煤けたその頬に、一滴、雫が落ちた。春樹の、涙だった。
嘘だ。やめてくれ。夢なら覚めてくれ。いっそ俺も殺してくれ。
春樹は美波の顔を見下ろしながら、漠然と思った。
そうだ。夢だ。これは夢だ。現実であるわけがない。あっていいはずがない。だってそうだろう? あんなにも優しく、強く、美しかった女の子達が、こんなに無残な姿になっていいわけがない。そんな残酷なことがあるはずがない。あっていいはずがないじゃないか。
だから春樹は目を閉じる。これは、現実のことじゃないんだ。だから、大丈夫。
春樹は安心したような表情になった。そして俯き、ぐっと奥歯が砕けそうなほど噛み締めて。
心が、砕ける。
絶叫した。
あまりの大きさに、喉が張り裂けるかと思った。鼓膜が破れるかと思った。頭上から降ってくる水を浴びながら、大声で吠えた。
眼前の事実を受け入れたくなかった。受け入れられなかった。だから嗤った。嗤いながら泣いた。苦しみの絶叫を振り撒いた。
それは、愛。憎しみ。怒り。哀しみ。
それは、壊れた心から、いろんな感情が混ざり合って、濁流みたいに溢れ出ているかのようだった。
…………
必死になって追いついた冬吾は、戦慄が走り抜けるような音を聞いた。
破壊されきった部屋の中で、美波を抱き上げた春樹が発する、声。
その日、その時、冬吾は始めて知った。自分が遠い未来に、幾千、幾万と聞くことになる、その音を。
人が真に希望を失ったときに上げる、魂の声を。
壊れた心がその散り際に上げる、絶望の叫びを。
混沌に染まった世界の悲鳴を。
…………
「やっぱり、ここにいた」
「…………」
気づけば、冬吾が後ろに立っていた。振り返ると、冬吾は春樹にバッグを放った。
「忘れ物だよ」
「……そうか」
特に感情の篭らない声で返事をすると、投げ渡されたバッグを脇に置き、再び視線を海へと戻した。夕日は既に沈み掛け、辺りは薄暗くなっている。我ながらなんて子供っぽい――
「みんなに、全部話した」
「――っ!?」
耳に入ってきたその台詞を理解したとたん、サッと頭に血が上った。振り返って立ち上がった……かと思うと、春樹は自覚のないまま、冬吾の胸ぐらを掴んでいた。
「な、なんで!?」
「どうせ言ってないだろうと思ったからだよ。案の定だったね」
「余計なお世話だ!」
「お前に、そんなこと言われたくない」
冷たい声でそう言われて、手を振り払われる。次の瞬間、視界が勝手に横を向くのと同時に、頬に熱を感じた。カレンに叩かれた時よりも、ずっと深い熱。――冬吾に、殴られた。
地面に倒れる。冬吾は、聞いたこともないほど冷たい声で言った。
「あまり、失望させるな。もう少し強いかと思ってたけど、とんだ期待はずれだったよ。まさか、ここまで腰抜けだったとは思わなかったよ」
呆然としていた頭の中が、徐々に赤く染まっていく。赤く。赤く。
「もう立ち直れたかと思ってたのに。美海ちゃん達のおかげで、傷が癒えてると思った。でも実際は違ったね。むしろ、彼女らを大きく傷つけた」
どうしてそんなに辛い言葉を吐くんだ。どうして俺を傷つけるんだ。
そんな、女々しい疑問の裏で、グラグラと煮え立つ
「お前がみんなになんて言ったか、聞いたよ。『信頼してない』だとか『信頼されるような人間じゃない』とか言って、逃げ出したらしいね? 雄馬先生が言ってたことを忘れたの? どれだけプログレスを『信じきれるか』が大事なのに。お前はみんなを信じて、理解しようとしなかった。それに、信頼されるべきかされないべきかなんて、
付け上がるな。
始めて冬吾の方を見た。その顔は、単純な怒りを浮かべていたのではなかった。薄い怒りと軽蔑――その裏にはっきりと見える、悲哀。
春樹の立場を理解している――違う、している
「黙って聞いてれば、ズケズケとものを言うなぁ……」
ゆらり、と春樹が立ち上がる。春樹には生憎、武器があった。今この瞬間だからこそ冬吾を痛めつけられる、武器が。
「プログレスを理解してねぇのは……信じてねぇのは、お前も同じだろ……?」
「何?」
訝しげに眉をひそめる冬吾。春樹は内心で
「セニア!!」
「――っ!?」
「セニアちゃんだ。お前が一切信頼してねえのは……信頼しようともしてないのは」
「それは……仕方がないじゃないか。セニアはまだ幼い――」
「セニアちゃんは、お前に信頼されたいって言ってたぞ。俺なんかに相談するほど思いつめて――そうなったのは、お前が無意識に彼女を拒み続けてたからじゃねえのかよ?」
「そんなことは……!?」
冬吾が言い訳に走った瞬間、春樹は冬吾に向かって飛びかかり、爪が手の平に喰い込むほど固く右手を握り締め。思い切り振るった。
ごつっ、という嫌な感覚。一生忘れない。人の肉体を傷つける感覚。
冬吾の頬を、殴り飛ばした。
「それを言い訳にして、あの子を信じねえお前は、腰抜け以外の何なんだ!? いい子ちゃんぶって笑顔であんな幼い子を傷つけて、そんな口で俺を馬鹿にするなんて、よくできたな!?」
今度は、春樹が冬吾を傷つける番だった。溢れてくる感情を言の葉の刃に変えて、切りつける。
「俺は怖かった! みんなを信頼して、みんなに信頼されて、それでまた、みんな失って――! もう嫌だった! 二度とあんな思いしたくなかった! 大切にならなきゃ、失ったって何とも思わない! だから俺は、みんなを最後のところで拒み続けた。みんなが理解されたがってたって、わかってたんだよ! わかってるんだよ、自分が最低野郎だってことは!」
口から溢れる、自分の本心。カレンによってむき出しにされた、始めてのブルーミングバトルは彼女らとが良かったとか、そんなものさえ建前に過ぎなかったのだ。心を支配していたのは、結局のところ、単なる恐怖だった。
「でもお前はどうだ!? 結局お前はセニアちゃんの何を理解してた!? 彼女の本心を、お前は理解してたか? できてなかった! しかも、お前は彼女が『理解されたがってる』ことすら理解できなかった! お前はあの子を信用しないで、しかも彼女の本心を探ろうともしなかった! お前お得意の『分かってますオーラ』で彼女のことをずっと拒んでた!」
怒鳴る声は、半分絶叫に近かった。いつの間にか、目からは涙が溢れ出していた。悲しみではない。そして恐らく、怒りでもない。
「それとおんなじだ! お前は俺を理解できない! 俺を分かったような気になって説教垂れてんじゃねえ! お前には理解できない! 始めて全力を出させてくれた女の子を4人も! いっぺんに失うなんてことは! どんな気分か
冬吾の表情が苦悶に歪む。春樹は、もう歯止めが利かなかった。
「無理だ! これはな、なってみなきゃ理解できねえんだよ! 何もかも失って、たった独りになるってことは! だから……二度と俺の気持ちを理解しようとなんかするな! お前にできるのは、俺だけじゃねえ、誰ものことを
「黙れ!!」
冬吾も、黙っているだけではなかった。立ち上がり、春樹の胸ぐらを掴む。
「僕は理解したいと思ってる。お前のことも、みんなのことも、勿論セニアのことも……
その怒声に焚き付けられて、春樹も胸ぐらを掴んだ。
「俺は理解しようと思えばできる。みんなのこと、理解できる! 理解して欲しがってることがわかるからだ。
2人とも息を切らして、言いたいことを全て言い切った。ありありと敵意を込めた視線をぶつけ合うこと数秒の後、どちらからともなく手を離した。
冬吾はフラフラと背後に転がっていたバッグを手に取ると、それを乱暴に肩にかけ、春樹の方を向いた。
「明日、僕はお前を負かす。みんなの思いを知ってるのにそれを拒んでる……お前みたいなやつなんかに、負けない」
春樹はその視線を真正面から受け止め、逆に太々しくに笑った。
「それはこっちのセリフだ。そもそもみんなを知ろうともしないし知ることもできない……お前なんかに、負けない」
また数秒間視線が交差し、冬吾は背後を向いて、岬を立ち去った。春樹も振り返り、海を見つめる。
…………
夜。美海から貰ったスカイブルーのマグカップに氷水を入れて晴れ上がった頬を冷やしていると、携帯電話が鳴った。美海から、電話だ。一瞬手が強ばったが、それを無視して電話に出た。
「……もしもし?」
『あっ、春樹くん!』
美海は、心底心配そうな声だった。
『あのね、私、チームの代表で電話掛けてるの。相談して。それで、昼間はごめんなさい。春樹くんのことをなんにも知らないで、無神経なこと言って……』
「なん……だ。別にいいよ。悪いのはお前らじゃない。何も話さなかった俺だ」
美海に対しての申し訳なさが、心の底から湧いて出た。
「なにもかも隠してて、ごめん」
春樹の謝罪を聞いた美海は、数秒黙りこんだ後、声を発した。
…………
「あのね、私、夢があるの」
『夢?』
「うん。春樹くんが見せてくれた、夢」
満月寮から外に出た真正面、海岸線の道路のガードレールに寄りかかって、美海は満月を見上げた。
「私は、高く飛びたいの。誰よりも、ずっと」
自分の素直な思いを、たどたどしくも言葉にして、春樹に伝える。
「私も、春樹くんに隠してた。私もね、怖かったんだ。みんなに嫌われるのが」
『美海が、か?』
春樹が意外そうな声を出した。美海はくすくすと笑う。
「そうだよ。私、中学生まではみんなに嫌われてたから。だって嫌じゃん。自分の周りに変な力持ってる奴がいたら」
『それは……』
夜風に、普段はツインテールに結っている、美しい茶色の髪が
「私はね、昔から思ってた。このエクシードを使って、みんなから逃げたかった。だぁれもいない、ひとりきりの場所、空に逃げたい。誰よりも高く飛べれば、誰もついてこれない。ひとりになれるって、そう思った。でもね、春樹くんとリンクしてみて、わかったの。ひとりじゃいられないってこと」
美海は満月を見上げ、満面の笑みになる。
「私が空高く飛ぶその時、春樹くんに……ううん、違う。私は、大好きなみんなと一緒に、飛びたいの」
…………
「……そうか」
春樹は、美海の思いを聞いて、不覚にも涙ぐみそうになった。しかし、それは気合で堪える。
そして、新たな志を胸に、それを言葉に。
「なら、俺も……美海と一緒に行きたい。とりあえず、最初の晴れ舞台には俺が連れて行くから……その後は、俺を引っ張ってくれるか?」
『もちろんだよ! 明日、頑張ろうね!』
美海の元気いっぱいな声を聞いて、少し心が凪いだ。おう、じゃあ明日遅刻すんなよ遅刻常習犯。と少し冗談をかまして2人で笑ったあと、電話を切った。
ベランダに出て、満月を眺める。美海も、この月を眺めているのだろうか。
「絶対に負けない」
口に出して、心を入れ替える。もう、いたずらに心を扱う時間は終わった。
その胸にあるのは、真摯な思い。ただ、冬吾に勝ちたい。そのために、残されたわずかな時間すら絶対に無駄にしない。
美しく月の光を弾く波は、ただ静かにさざめき、春樹を見守っている。