アンジュ・ヴィエルジュ *Skyblue Elements* 作:トライブ
7月に入って、いよいよ気温が上がってくる時期になった。長袖の洋服は箪笥に仕舞われ、半袖の出番がやってくる。
「暑いねぇ」
「いよいよ日差しが強くなってきたもんね」
「そうだねぇ。汗かいちゃう」
今日は土曜日。学生にとっては嬉しい休日だ。青蘭学園に通う生徒は、こういう休日には商業地区まで出てきてショッピングを楽しむものである。無論、日向美海と岸部沙織も例外ではない。異能力エクシードを持つプログレスと言えど、中身は普通の女子高校生なのだから当然だ。
仲良しの希美は、まだ寮に残っている。やることがあるからとのことで、それが終わったら急いで行くと言っていた。
「どこで希美ちゃん待とっか」
「うーん、港湾地区近くの噴水公園とか。あの辺、セレクトショップ多いでしょ? アクセサリーとか見たいんだよね」
「それいいね! じゃあそうしよっか」
夏の訪れを感じさせるような日差しを浴びながら、美海と沙織は東居住地区から商業地区に向かって歩いていた。海沿いの道は潮風を感じられて、この青蘭諸島に来てから4ヶ月が経つのに、まだ新鮮な気分になる。実際、美海も沙織も、まだまだ青蘭諸島の詳細な情報を知らない。
「もう少しでね、私のお母さんが、青蘭島に移住してくるの」
「そうなの?」
歩いている最中、沙織がぽつりとそう漏らした。美海が聞き返すと、沙織は少し照れくさそうに「うん」と答えた。
「本土での手続きが終わったから……もう、残すものは何もないからって」
「そっか。よかったね」
「うん。だからなんていうか、お土産、っていうのも変だけど、これからもよろしくねって」
親の話題は、両親から冷たい扱いを受けてきた美海にとっては少し思う所がある。希美との大喧嘩の後、美海は喧嘩の原因を沙織に教えるために、自分の両親のことを話した。話が終わった後、沙織は少し考えてから、自分の身の上のことを少し語ってくれた。それによると、沙織の父は、彼女がまだ幼い頃に亡くなっている。両親についてデリケートなのは、美海だけではないのだ。
父がいない家庭は、どうだったのだろう。学校で、心無い悪口を言われたかもしれない。小学生くらい幼いと、考え無しの男子には片親を馬鹿にする子も存在してもおかしくない。だが、沙織はまったくそういった負の感情を見せなかった。
『私も、お父さんがいないから……美海ちゃんと、似てるのかな』
沙織はそう言って優しく微笑むだけだった。その時の沙織はひどく大人びて見えて、大喧嘩していた美海は少し恥ずかしくなった。
「お母さんもね、プログレスなんだ」
「そうなんだ! へぇ~、そんなこともあるんだね」
「うん。とは言っても、お母さんのエクシードが何だかは知らないんだけど」
「そうなの?」
「本土は平和だから、使う機会も無かったし。私もそうだったけど、本土でプログレスだってことがばれると、居心地悪いから」
「それは……そうだね」
青蘭諸島は、あまり広くないからこそ治安がかなり良く、離島でありながら他の3世界がそばにあるため娯楽も多い。選ばれた者だけが行くことができる楽園のような島々だ。逆に言えば、行く権利を持つ者を選定しているからこそ、楽園で有り続けられる、とも言える。青蘭諸島へは日本からしか行くことができず、その権利を持つのは、原則として日本国籍を持つプログレス及びαドライバー、そしてその親類3親等までのみ。しかも、それらにしても、身辺調査から血統調査まで、多岐に渡る厳重な審査がある。スパイなどの侵入を防ぐためだ。美海らと同じクラスに所属しているエミリー・マックは、非常に珍しい例だと言えるだろう。
特定の人間が、常人よりも有益な権利を持っている場合、人間はそういう人種を妬むものだ。かつて美海も、青蘭学園からスカウトされた際、それを知ったクラスメイトから心無い陰口を叩かれて大いに傷ついた記憶がある。冬吾の両親のように、青蘭に対するアンチ思考を持つ人間も一定数存在するほどだ。
とはいえ、こちらに来てしまえば、そう気になることでもないが。
そんな話や、勉強の話やらをしながら、
「ん? なんか、にゃーにゃーって」
「確かに聞こえるけど」
ふと、猫好きゆえに猫の鳴き声に敏感な美海の耳が、猫の鳴き声をキャッチした。妙にくぐもっている。
沙織もそれに気づき、なんだろうと辺りを見回すと……
「あっ、あれ!」
「箱?」
木の陰に、タオルケットが被さったダンボール箱が置かれていた。タオルケットが、ぽこん、ぽこんと、内側から時折持ち上がっている。
美海が近付いてタオルケットを取ると、そこにはまだ小さな仔猫が2匹、入っていた。
「猫ちゃんだ! 可愛い~」
「確かに可愛いけど、この子たち、捨て猫だよね」
「そ、そうだよ。どうしよう……」
2匹の仔猫は、初めて見る美海達のことを警戒する様子もなく、無邪気にじゃれあっていた。大きさからして、生後1ヶ月がいいところだろう。可愛い。非常に可愛いが、明らかに捨て猫だ。寮に持って帰ろうか、と一瞬思いついたが、それはあまりにも無責任だと思い直した。もしかしたら、寮の中に猫アレルギーの人がいるかもしれない。そもそも、寮でペットを飼っても良いのだろうか。
(そういえば、文月寮には妖精さんが2人住んでたよね)
赤の世界からの留学生が住んでいる寮・文月寮には、赤の世界から来た2人の妖精が住んでいる。妖精の中でも非常に知能が高く、何よりヒト語を喋れるので、美海はとりあえず2人を「人」と数えていた。だが厳密に言えば、妖精は赤の世界では虫か何かと同じような扱いになるらしい。もし本当に「虫」と数えたなら、文月寮は虫を2匹飼っているということになるが……そこは寮監の匙加減次第なのだろうか。
「とりあえず、希美ちゃんに連絡しよっか。ここにいるよって」
「そうだね。希美ちゃんが来るまでは、この子達の様子を見ておこう」
沙織が希美にメッセージを送ると、2人は仔猫達を眺め始めた。美海は抱き上げたがったが、それは沙織が制止した。出元が分からないため、何か病気や寄生虫に感染している可能性があるからだ。
とにかく、捨て猫たちは素人の自分たちがどうこうするべきではない。
という話をしながら、仔猫たちが箱の外に出ないように見張っていると……
「おい、お前達。そこで何をしてる」
後ろから声がかかった。びっくりして振り返ると、そこには1人の男性が立っていた。それを見たショックで、沙織は腰を抜かした。美海は後ろにすっ転んだ。
ただの男性ではなかったのだ。短く刈り込んだ金髪に、ミラーコーティングのサングラス。耳にはシルバーの鋭いデザインのイヤーカフを付けており、首元にはぎらつく金属のネックレスがじゃらじゃら。黒ランニングの上からアロハシャツとジーパンという服装自体はまだ普通だが、そのアロハシャツはものすごい極彩色だし、その袖口から伸びる手にもアクセが巻かれていて、バックルは銀のいかつい髑髏型。大きな手、その指という指にごついリングが嵌められており、手が常人の倍くらい大きく見えた。見上げるくらい背が高く、顔立ちはシャープで、鼻も高いが、それらの印象全てが、彼の身に付ける装飾品によって攻撃的になっている。
何かと言うと……振り返ったら、恐ろしく厳つくてでかいヤンキーがいた、ということだ。
「ひぃっ!?」
思わず声が出た。だけどこんな奴が後ろに立っていたら、誰だって声が出るだろう。そんな様子の2人を見て、男はニヤリと笑った。
「日向美海と、岸部沙織か」
「な、なんで私たちの名前を?」
「この間のブルーミングバトルに出ていただろう。その時に知った」
発せられた声は、意外にも低くて落ち着いた声だった。なんとなく恐怖感が薄れた気がするくらいだ。だが、容姿がやばすぎるので、警戒心はまるで解けない。
何となく敵対的な雰囲気を感じ取ったのか、男は2人のさらに後ろ――ダンボール箱に入った仔猫たち――を見て、訝しげに口を開いた。
「……猫か?」
「え、えーと、あのっ」
「こ、この子たち、捨て猫みたいで……」
その返答を聞いた男は、足を一歩前に踏み出した。
何をする気なんだろう。多少ショックが薄れた美海は、どうしようどうしようと、そんなに良くない頭をフル回転させて、この男にどう抵抗するか考え始めた。
が、それよりも前に沙織が動いた。彼女の左腕が、青い炎に包まれたのだ。エクシードを使う気だ。
「こっ、この子たちを、傷つけないでっ!」
ちょっと早とちりが過ぎるんじゃないですか沙織さん、と焦る美海の横で、沙織の腕から溢れた炎が広がり、美海とダンボール箱を包み込んだ。だが、全く熱くはない。沙織のエクシード《
対する男は、サングラスの向こうの目がどうなっているのかは分からないが……口を呆れたように曲げた。
「学園の許可なく、エクシードを使うな」
そう呟き、一瞬息を吸い込むと、ヒュッと音を立ててすぼめた口から息を吹き出した。すると、まるで突風に煽られたかのように、沙織の炎が――炎
その混乱の中で、先に立ち直ったのは美海だった。右腕のブレスレットに力を込めると、それは瞬時に銀色のレイピアに変化した。美海のエクシードを制御している呪具《ミストラル》だ。
美海は慣れた手つきでミストラルを構え、そこに風を纏わせる。とにかく、この男をどこかに吹き飛ばして――
「一体全体、何やってんだいあんたら」
そこに、また聞き慣れない声が掛かった。今後は女性の声、しかも上空からだ。驚いて上を見上げ――ようとして、付近の異変に気付いた。美海と沙織を、金色の霧が覆っている。しかも、何故か身体が動かない。
「よっと」
掛け声と共に、周辺の木の上から飛び降りてきた女性も、また奇抜な格好をしていた。なんと、この暑い中で、ライオンのたてがみのような色のファーが付いた黒いコートを着ているのだ。髪は明るい茶色で、短く切り揃えている。それに、いかにも「いたずらっ子です」と言わんばかりの顔つきをしている。身長は美海らと大差ないが、明らかに身に纏うオーラが違っていた。
「旦那、何青蘭の生徒をビビらせてんすか」
「別にビビらせたわけじゃ……それを言うなら、テメェこそ何勝手にエクシード使ってんだ」
「そっちのツインテの子が旦那をぶっ飛ばそうとしてたから止めてやったんでしょうが。マジでぶっ飛ばしてたら、こっちの子の処分が重いし。ほら、これで動けるよ」
黒コートの少女がさっと手を振ると、美海らを包んでいた金色の霧は跡形もなく掻き消えた。その少女とヤンキーみたいな男が言い争いを始めたので、美海も沙織も地面にへたり込んで、事の成り行きを見ている他なかった。
「大体ミスティカ、なんでテメェがここにいるんだ。親方から別の仕事任されてたはずだろ」
「通り道でたまたま旦那を見かけたから寄っただけだよ! そんなことくらいでオヤジは怒んねぇって!」
「テメェも一応社会人ならな、もっとマシな言い訳考えろ!」
「あーこれだからザークの旦那はケツの穴が小せえって言われんだよ! そんなだから、こないだだってセレナさんが――」
「ばっ、セレナの話は止せ! テメェこそ、ガブリエルにあーだこーだ言われんのが嫌だから親方の――」
「はァ!? が、ガブリエル様はどーでもいいじゃん!」
美海らそっちのけでどんどんヒートアップしていく様子にあっけにとられながら、そっとダンボールの中を覗いて仔猫たちを見てみると、くりっとした瞳で、不思議そうにこちらを見上げていた。
「……かわいいね」
「……そうだね」
2人して現実逃避しようと、仔猫たちの可愛い様子を眺めていると……
「おまたせ~! ……って、ザークさん、ミスティ先輩。何してるんですか?」
「ん? ああ、小鳥遊」
「あ、希美っち。おひさ」
走ってきたらしい希美が目をぱちくりさせて、言い争っている2人に声をかけた。
…………
「アッハハハ! ザークさん、そりゃビビるでしょ! 美海はともかく、沙織とか超ビビリなんだから。もう少しファッション抑えたらいいのに」
「ほら見ろ、やっぱりビビらせてんじゃないすか」
「……済まなかった、2人とも」
どうやら希美と知り合いだったらしいヤンキーみたいな男は、神妙な面持ちで――と言っても目はサングラスに隠れているが――美海と沙織に頭を下げた。
「ザーク・スプリングだ。青蘭庁執行部、魔術犯罪捜査課の者で、一応、赤の世界出身だ」
「ざ、ザークさん、ですか」
「よ、よろしくお願いします」
よーーーーく見れば、極彩色のアロハシャツの左胸に、青い蘭を紫が取り囲むデザインのピンバッジが付いている。見慣れないが、これは魔捜官の証だ。つまり、ヤンキーに見えるが公務員だったということだ。
ついで、黒コートの少女も自己紹介してくれた。
「あたしはミスティカ。赤の世界出身で、天使だよ」
「て、天使さんですか。レミエルちゃんとかエルエルちゃんみたいに?」
「あの2人を知ってるんだ。そうだよ、ほら」
少女――ミスティカはぐるりと首を回すと、勢いよく手を広げた。すると、黒いコートが羽根となって解け、黒い翼になって広がった。ライオンのたてがみのようなファーも、鳥の翼で言う
そして、翼の下は流石に半袖シャツだった。胸元にバッジもある。
「おぉー、すごいです!」
「でしょ? あたしもこのヤンキーと同じところに勤めてっから、なんか困ったことがあったらおいで」
「すごーい。いわゆる、堕天使ってやつですか?」
黒い翼に感動した美海が何の気無しに放った一言。それを聞いたミスティカは一瞬固まったあと、
「ちがーう! 赤の世界にもね、最初からこういう黒い翼で生まれてくる天使がいるの! 断じて! 堕ちてなんかないんだよ! 分かった!?」
「ひぃっ! 分かりました!」
「うむ、ならよろしい。ま、不出来な天使なのは否定しないけどねー」
物凄い剣幕で怒ったかと思えば、美海が謝った途端にケロッと笑顔になっているミスティカ。これは中々癖が強そうだぞ、と美海も沙織も思った。
そんなミスティカが、ふと何か思い出したかのように美海に声を掛けた。
「そういや、この前サヤセンから聞いた、風使いの子って君でしょ。日向美海っち」
「そ、そうです……って『サヤセン』って誰ですか?」
「蒼月紗夜。あのいけ好かないヤツ、あたしの一個上の先輩なのさ。一応先輩だし、紗夜先輩、略してサヤセンね」
「紗夜先輩とお知り合いなんですか」
「まーね。あたしはみ出ものだったからさ、入学してからずーっと注意されっぱなしで」
翼を元のコートに戻しながらサラッと言うミスティカ。その横で、希美が口を開いた。
「とか言っちゃって。ミスティ先輩って、紗夜先輩の次の代の生徒会長だったんだよ」
「えっ、生徒会長!?」
「こら希美っち。余計なこと言わなくていーの。もう昔の話さ」
「って言っても、たった3年前のことじゃないですか」
「げっ、もう3年も経ったのかよ。時間が過ぎるのは早いなぁ。まあそんなもんだから、困ったことがあったら力になってあげるよ。連絡先教えといてあげてね、希美っち」
「はい、オッケーです」
ミスティカはうんうんと頷くと、何やら金色の霧のようなものを纏い始めた。先程美海らを覆ったものと同じだ。
「んじゃ、あたしは仕事に戻りますよ。旦那も道草食ってないで、さっさと戻ることっすね」
「余計なお世話だ。さっさと行け」
「はいはいよー。そんじゃ、バーイ」
と言うが早いか、彼女の輪郭が霧に薄れ――晴れた頃には、そこには誰もいなかった。
「い、今のって、エクシード?」
「うん。ああやって移動できるから、神出鬼没なんだよね、ミスティ先輩って」
唐突に現れた、元青蘭学園生徒会長が見せた実力の片鱗。そういえば、先程はあの霧で動きを止められたのだ。まったくもってすごいエクシードだ、という感想しか出てこない。
ミスティカの消えた後から目を離せずにいると、後ろで咳払いが聞こえた。ザークだ。
「さて……だいぶ逸れたが、お前ら、その猫は動物病院に連れて行け。そこで感染症とか寄生虫の検査をしてもらえ。そのまま預けるのも手だが……どうするんだ?」
「ど、どうしよっか。寮で飼えないかな」
「誰がお世話するのよ」
「そうだよ。この子たち、まだ小さいし」
美海たちはあーだこーだと言い合った末、結局病院の判断を仰ぐことにした。里親を探すにせよ、万が一寮で飼うにせよ、とりあえず仔猫たちを安全な状態にしなければならない。
「……そうか。なら、急げ。場所は分かるか?」
「は、はい! 今調べました」
「よし、じゃあ行け。何かあったら連絡しろ。いいな?」
ザークは指2本で名刺を渡しながら言った。3人が頷くと、商業地区の方を顎でしゃくった。早く行け、ということなのだろう。
「ありがとうございました!」
「礼はいい。それと」
と、そこで彼はニヤリと笑って、
「学園の許可無く、エクシードを使うなよ」
「は、はいっ。失礼します!」
僅かに飛んでいくことを考えていた美海は、その思考が見透かされたみたいで少し恥ずかしかった。
「見かけによらず、いい人だったね、ザークさん」
「あの人は見かけで誤解させる天才だよ。もう少しまともな格好すればいいのにね」
「そうだよ……見かけが怖すぎて、私、間違えてエクシード使っちゃったの」
「沙織が? へぇ、やるじゃん」
なるべく揺らさないように美海が抱えた箱の中を見ると、2匹の仔猫は戸惑ったように辺りを見回していた。
「大丈夫だよ。きっといい飼い主さんが見つかるからね」
「もし見つからなかったら、寮で飼えないかなぁ」
「小春さんがいいって言えばいいんだろうけど、そう上手く行くもんかなぁ」
3人は軽口を言い合いながら、商業地区へ向かった。
…………
去っていく3人の背中を眺めながら、ザークはしばし佇んでいた。
街中には至るところに監視カメラがある。この公園も例外ではない。監視カメラの映像を辿れば、あの仔猫らを捨てた人間を特定することは、恐らく可能だろう。そして、特定した人物の家へ赴き、どうして猫を捨てたのか問い詰めることもできる。生き物を捨てるのは条例違反だ、罰則を与えるぞ、と脅しを掛けることができる。
が……。
「……楽しそうだから、いいか」
ザークはそう呟くと、仕事に戻ることにした。