アンジュ・ヴィエルジュ *Skyblue Elements*   作:トライブ

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第4話「君はやっぱり、見どころあるよ~」

 練習日の朝。美海たちがコロシアムに着いた時には、既に雄馬が来ていて、彼女らを待っていた。

 そして、彼の横には、見覚えのない女性が立っていた。柔らかな金髪を(なび)かせた、柔和な表情の美女だ。黒くシンプルな女性もののスポーツウェアを身に纏っているが、体つきはかなりグラマラスだ。ウェアの端々から除く白い素肌が、逆にその女性らしさを強調しているように見えた。ふと、青蘭での暮らしが長い春樹の方を振り返ってみたが、彼も初対面らしい。そして、その女性の格好がそこそこ煽情的だからか、若干目を背けている。おっ、紳士だなぁ。と美海はぼんやり思った

 

「おはよう、今日はよろしくな」

「おはようございます! こちらこそよろしくお願いします!」

 

 今日の主題はチームの練習ではなく、美海に風の術を教える、ということだった。なので、普段はコントロール・ルームにいる雄馬が、今日はフィールドに来ている。

 そんな雄馬は横の女性の紹介をしてくれた。

 

「彼女は青山(あおやま)(さち)。まあなんというか……俺の部下、みたいなもんかな。美海と同じく、風を操るエクシードを持ってる」

「講師に部下っているんですね」

「今はそういうのいいから」

 

 春樹の突っ込みは受け流し。紹介されると、その女性――幸は、外見に違わない優しい声で自己紹介をした。

 

「はぁ~い。雄馬くんの部下の、幸です。みんなのことはずっと見てましたよ~。今日のメインは美海ちゃんだけど、他の子もちゃ~んと見ますからねぇ。よろしくお願いしま~す」

 

 やんわりと間延びした、妙に気の抜けてしまうような声。聞いていると、なんだか眠くなってしまいそうだ。にしても「ずっと見ていた」とは、どういう意味だろう……。

 しかし、気合十分の美海には、そんなものなど関係ない。

 

 美海は正直、焦っていた。理由は主に2つ。1つ目は、下手にチームの中でエクシードの出力が最も高い分、いわゆる「パワー馬鹿」のような存在になりつつあることを悟っていたからだ。

 無論、パワー馬鹿であろうとも、力業とて技である。有効なタイミングでの力押しは、相手に大きな負担を強いる。しかし、それは技量あっての物だろうと思ってもいる。それは、エクシードの出力でもリンク率でも劣る忍が、その類稀なる技量によってチームのエースを務めていることを顧みれば、当然のことだろう、

 そして、前回のバトル以降、力押しよりも技術を高める方面で特訓を続けている琉花。結局、この2人に影響されたというのが事の本質なのだが、これはあくまで理由の1つ。

 

 もう1つの理由はかなり切迫した問題で、それはここ最近、エクシードの操作が難しくなってきているからだ。

 出力が安定しない。操作により強い力がいる。これは何も美海に限った現象ではなく、なんなら琉花と忍も同じような問題があると教えてくれた。

 だが、美海は元から桁外れ……とまでは言わずとも、かなりエクシードの出力が高い。なので、その『振れ幅』とでも呼ぶべきものが大きい――と雄馬は教えてくれた。最初に貰った時からすでに4回交換している、エクシード操作サポーター兼ブルーミングバトル用の武器であるレイピア《ミストラル》を使っても、操作は難しくなる一方だ。

 そういえば、前回のバトル前、紗夜と練習していた時もそうだった。土壇場の一瞬でエクシードの操作ができなくなってしまい、地面に激突したことがあった。そして、今の感覚はあの時に非常によく似ている。操っていると思っていても、風が言うことを聞いてくれていないのだ。これに気付いた時、美海はこう思った。

 

「エクシードの出力を抑えたまま戦えなきゃ、チームのお荷物になっちゃう」

 

 美海のエクシードは、良くも悪くも影響範囲と影響力が大きい。全力で風を吹かせれば、フィールド内の全員を――もちろん、敵味方関係なく――吹き飛ばせてしまう。彼女が全力で戦うということは、チームメンバーに余計な負担を強いるということでもあるのだ。現に、4月のバトルでレベル5になった時、同じくレベル5になったセニア以外のメンバーは、全員地面にしがみついてフィールド外に吹き飛ばされないよう必死だった。もしあの場面で味方が1人でもフィールド外に飛ばされてしまったら、ブルーミングバトルのルール「レベル5終了後から30秒間、プログレスはフィールドに入れない」によって、取り返しのつかない不利を被る可能性だってあったのだ。最悪の場合、忍と琉花が両方吹き飛ばされ、あの時の戦闘の展開で美海がフィールド外に出てしまったことにより、フィールド内にプログレスが1人もいなくなって負けていた。

 琉花も忍も大丈夫だと言ってくれるし、実際美海の風を利用するような戦術を春樹と一緒に考えたりもした。だが、それは美海が風を操れることが前提のはずだ。今のように、制御下から外れた風は、文字通りただの暴風でしかない。

 

 このままじゃダメだ。

 

 春樹のために。チームのために。自分自身のために。強くならなきゃいけない。

 

「もう始めちゃおうかなぁ。え~とぉ、雄馬くんはどうする~?」

「俺はコントロールルームに戻っておくよ。αフィールドは必要だし。鍛え方はお前の裁量に任せる」

 

 そんじゃ頑張れよ。と言って雄馬はフィールドから出て行った。いつも通りの役に戻るらしい。その雄馬を見送ると幸は今度こそ美海らに向き直った。

 

「よぉ~し、それじゃあ始めよっか。とりあえず、美海ちゃん以外の子はフィールドの外に出ててねぇ」

「えっと、青山さん。俺はどうすればいいですか? αドライバーゾーンに入ったほうがいいですか?」

「幸でいいよ~。妹もいるしねぇ。春樹くんはねぇ、うーんと……今は気兼ねなく動いてもらいたいから、美海ちゃんにはトークンとリンクしてもらうよ~。他の子と一緒に見学しててねぇ」

 

 春樹は「分かりました。お願いします」と幸に言うと、美海の背中を叩いて、

 

「頑張れ。ずっと見てるから」

「……うん、ありがとう」

 

 その優しい声にまた励まされ、美海は幸と対峙した。今はαフィールドが起動していないのでエクシードは使えないが、もう少しすれば雄馬がαフィールドを展開するだろう。

 

「まずは、思うがままにちょっと飛んでみてねぇ。あ、それとも、今飛ぶのは危ないかなぁ……」

「大丈夫です!」

「そう? じゃあ行ってみよ~」

 

 αフィールドが展開された。エクシードがレベル1状態で使用可能になる。同時に美海はトークン(仮想αドライバー)とリンクし、レベルが上昇し始めた。

 

(よし、まずは安定飛行だね)

 

 エクシードが解放された美海は、周囲から風を集めるように吹かせ、身体を持ち上げるように操作する。まだ操れている。そこから飛びたい方向に向かって風を操り、同時に落下しないように下からも。ずいぶん慣れた行為だが、改めて自覚すると、結構難しいことをしている……気がする。フィールドの外に出ないように、ラインのギリギリを飛び回るのは、チームを組んだ当初から今までずっと続けている、美海の基本練習の1つだ。

 

(ひとまず、いい感じ――ん、()()ね)

 

 何がというと、エクシードレベルだ。自然増加で、2に上昇。エクシードがさらに解放される。普段なら高揚感しか得ないものだが、今は少し()()。びゅう、と風が勢いを増した。同時に、少し姿勢を崩しかける。

 

「美海ちゃ~ん、大丈夫~?」

「だ、大丈夫です!」

 

 返答のためにホバリングに移行しながら声の方向を向くと、幸も風を操って飛び上がっていた。美海と同じように――

 

(ううん。全然、ちがう)

 

 同じように、ではなかった。幸はまるで重力など存在しないかのように飛んでいた。ふわり、とも、ひらり、ともつかない……なんと表現すればよいのだろう。とにかく滑らかなのだ。滑らかに直進し、滑らかに方向転換。上昇も下降も、まるでそこに意図が存在しないみたいに滑らかだった。羽ばたく鳥のようですらない。敢えて例えるとすれば、水中を泳ぐペンギンが、そのまま空を泳いでいるようだ。

 しかも、美海本人も風を操るから気付いたのだが、幸の風の影響はほとんどない。美海のように、周囲から風を吹かせて飛んでいるのではないらしい……? 美海にはその理由が咄嗟に分からなかった。

 どうすれば自分にも……と考える美海の元に、幸がすぃーっと飛んできた。

 

「うーん、映像見た時から思ってたけど~……美海ちゃんは、風で『飛ぼう』としてるねぇ」

「じゃあ、どうすればいいんですか?」

「風を扱う上で一番大切なことを教えるね~。風はねぇ、『道』なんだよ~」

「道……?」

 

 すいすいと飛び回る幸は、相変わらず穏やかな笑顔で続ける。

 

「そう、道。自分が今どこにいて、どこを通って、どこに辿り着きたいか~。これをしっかり意識するの~」

「どこから、どこへ……?」

「うん~。風はねぇ、吹けば何処(どこ)かから戻るんだよ~。こちらからあちらへ吹く風あればぁ、何処(いずこ)からこちらへ吹く風があるの。そしてその『何処』を知るにはねぇ、自分がどこから来たのかが重要なんだ~。それをしっかり読み取ればぁ、何処へだってするする飛んでいけるよぉ」

「どこから、来たか……」

「美海ちゃんのエクシードは、確かにとっても強力です~。でも、キミもまだまだ完璧じゃないよねぇ。それなのに全部操ってやろうと思うから、掴み切れないんだよ~。そんな時はねぇ、割り切っちゃっていいのさぁ。今ある風をちょちょいって引っ張ってぇ、行きたい場所までかる~く道を敷いたら、後はそれに乗って飛ぶだけ~。簡単でしょう?」

 

 美海はエクシードレベルがさらに上昇するのを感じた。また、エクシード操作が不安定になる。だが、今は恐れていない。幸の言葉通りに考える。自分が今どこにいて、どこを通り、どこへ辿り着きたいか。そして、その風の道が、何処から続いているのか。今、自分の周りに吹いている風を認識して……行きたい場所に向かえそうな一片を掴み、すーっと引き延ばす。通りたい場所を通し……辿り着きたい場所まで。

 難しい。幸の飛びっぷりを見た後だから、なおさらそう思う。自分がいかに力にものを言わせていたか、よく分かる。今、この操作の1つ1つに求められているのは、力強さじゃない。正確さだ。そして、周囲の風を認識するということ――

 

「――って、美海ちゃ~ん!?」

「ふぎゃ!」

 

 考えすぎてホバリングが疎かになり、いつの間にか地面まで下降してきてしまった。姿勢を崩したのが地面にほど近い場所で良かった。地面に転がった美海のそばに、幸がそっと降り立った。なんて穏やかな風の操り方だろう……。

 

「大丈夫~?」

「は、はい……でもなんだか、ちょっと分かったような気がします!」

「うんうん。じゃあせっかくだし、一緒に飛んでみよっかぁ。風の道、しっかり感じてねぇ。はい、手を繋ごうね~」

「はい!」

 

 差し出された幸の手を取り、2人は空へ舞い上がった。

 

 

…………

 

 

「あ……落っこちた。何とも前途多難そうでゴザルなぁ」

「まあまあ。みうみんだって頑張ってるし! あ、手を繋いで飛んでる」

「飛び方から指導してるってことは、今すぐ完璧になるわけじゃないけど、将来も見据えた感じの特訓なのかな」

「だ、大丈夫だといいんだけど……でもエクシードはそこそこちゃんと操れているみたい」

 

 フィールド外の日陰から、飛び回る美海と幸を眺めながら、チームの残り4人は話していた。琉花と忍は柔軟体操をしながら。これが終わったら、美海の練習が終わるまで格闘の練習に移るつもりだ。

 兎莉子は、チーム共用として購入したタブレット端末で、美海と幸が飛行する様子を録画している。この兎莉子が、ここ最近とても役に立っている。エクシードがやや暴れがちになっているため、こうしてフィールドの外側から状況をちゃんと見ていてくれる人員は非常に有益なのだと、皆実感していた。

 

「我々も少々安心するでゴザルな。ここ最近の美海殿の風の暴れっぷりは、本当に心配になるくらいでゴザったから」

「ねー。とか言って、私らもちょっとエクシード暴れがちだけど……大丈夫なん、シノ? 術に影響出たりしないん?」

「術は予め組んでおくもの故、大した影響はゴザらん。しかし、咄嗟に出力を上げようとした折に暴走、などとなってしまっては笑えんでゴザルな」

「パワーがあることはいいことだと思ってたけど、こうなってみると難しいなー。まぁ、目に見える水ってだけいいのかな。みうみんの風なんて目に見えないし、下手に範囲でかいから、めっちゃ大変そうだもんなぁ」

「俺もしっかりリンクしてやらなきゃダメだな。こう、甘えが出てるのかもしれないし」

「ハル先輩にそう思わせないために、頑張んないとな」

「ちょぉー痛い痛いでゴザル! 押しすぎ!」

「頑張んないとでしょうがシノ! 曲がるってーの! 心配しない!」

「後で同じことし返すでゴザルからな!」

「意気込みはいいけど、あんまやりすぎんなよー」

「あ、あははー……ほどほどにね? ……あ、また落ちちゃった。大丈夫かなぁ……」

 

 また空中から落下し、幸に助けられている美海を眺めながら、春樹はこのチームを()()したいのかということに思案を巡らせていた。

 この特訓で、美海が成果を上げてくれれば、チームの戦略の組み立ては一層やりやすくなる。美海の風を全面的に信頼し、戦略に組み込めるというのなら、やりようはいくらでもある。メインアタッカーにすることも、サポーターにすることも。

 一方で、春樹には未だ目覚めない4人のプログレスがいる。彼女らが復帰したら、どうしたものか……。戦えるのは4人の内2人だが、どちらも今のチームには存在しないタイプのプログレスだ。それに、チーム人数が5人を超えて、控えができるということは、プログレスがフィールドから出ることに対するデメリットがいくらか軽減されることを意味する。となれば、プログレスをもっと大胆に動かすこともできるだろう。

 また、人数が増えるということは、ブルーミングバトルにおいて痛覚フィードバック率が上がることを意味する。現在・3人の場合のフィードバック率は40%だが、5人になると70%まで上がる。範囲攻撃を受けるなどして、チームのプログレスが同時に痛覚を発生させた際、3人なら40%ずつ合計120%だが、5人だとフィールド内の4人からそれぞれ70%のフィードバックがあるため、春樹が受ける痛覚は280%にまで跳ね上がる。これは無視できない問題だ。自分がそれに耐えられるのかどうかも、考えなければならない。となれば、対戦相手次第でプログレスの人数を絞ることも、有効な戦略となるだろう。

 

(ともあれ……大切なのは、ちゃんと向き合って、理解することだよな)

 

 エクシードは未知の力。単純な考えでは、その可能性を引き出すことはできない。そのプログレスやエクシードの表面だけ見ていては、きっとチームとして強くなれない。

 この4か月で、春樹はできるだけチームメイトの4人とコミュニケーションを図ってきた。それは非戦闘メンバーの兎莉子も例外ではない。というより、非戦闘メンバーだからこそ、というべきだろうか。とにかく、4人のことは出会った当初に比べればかなり深く知ることができている。そして、美海は今、自分のエクシードのさらなる可能性を1つ、引き出そうとしている。

 ならば、それにしっかりと付き添い、見届けるべきだ。もし必要なら、アドバイスできるように。助けてあげられるように。

 

(頑張ろう、美海……今は辛くて苦しくても、そばにいるから)

 

 通算4回目の落下する美海を見ながら、春樹の視線は鋭く、そして熱かった。

 

 

…………

 

 

 数回の休憩を挟み……1時間半もすると、美海の飛行はそれなりに上手くいくようになった。

 

「うんうん。だ~いぶ、上手く飛べるようになったね~。さすが、飲み込み早いねぇ」

「は、はいっ! ありがとうございます!」

 

 飛行する美海の下で、幸は忍と琉花に対する訓練を付けていた。美海の飛行がそれなりに勢いが良くとも、地面の方にはほとんど影響が出ていない。今までとは違う飛び方を、きちんと習得できているようだ。

 

「忍ちゃんはホントに言うこと無しだねぇ。琉花ちゃんも、よく頑張りました~。じゃあ2人は休憩ねぇ。お水飲まないと、熱中症になっちゃうからね~」

「お手合わせ、感謝するでゴザル」

「はい、ありがとうございました!」

 

 疲れた様子の琉花と忍がフィールドから出ていくと、幸はエクシードで飛び上がってきた。それにしても、幸は全く疲れた様子を見せない。それどころか、汗ひとつかいていないように見える。これは一体どういうことなのだろう……。

 

「さあ、最後は美海ちゃんの戦闘訓練だね~。体力は大丈夫~? 一回、休憩しよっか?」

「大丈夫です。お願いします!」

「いいお返事~。じゃあ始めよっかぁ。空中の戦闘で大切なのはねぇ、上と下を使うことだよぉ」

「上下に激しく動いて、相手をかく乱するんですよね」

「うーん……激しく動けばいいってものでもないんだなぁ、これが。空中で戦闘になるってことは、当然相手も空中戦ができるってことだよねぇ? だから、上下移動に対してアドバンテージを見出すのは、難しいかなぁ。大切なのはぁ、左右に動くのと同じくらい自然に上下に動くってことだよ~。ちょっとやってみよっかぁ。さぁ、一発、打ち込んでおいでぇ」

「い、いいんですか?」

「大丈夫大丈夫~。私、強いからぁ。あ、それとぉ、移動の意識はちゃんとそのままねぇ。フィールドはできる限り広く使って~、どこから、どこを通って、どこへ行きたいかは、ちゃぁ~んと意識ねぇ」

「はい! 行きます!」

 

 そう言うなら、と美海は意気込んで、ブレスレット状態の《ミストラル》に力を込めてレイピアに変えた。そしてそのまま勢いを付けつつ、風の通り道を作る。突進するように見せかけて、左下を抜けて背後に回り込み、背中側から上を通って真上から攻撃する――

 と思って突っ込み、左下に抜けようとしたのは良かったが、そこで驚いたのは、幸がくるりと身体の向きを変えたことだ。それも後ろを振り返ったわけではない。足が上に、頭が下に……つまり、上下にひっくり返ったのだ。

 

「えっ!?」

「隙アリだよ~」

 

 そのままミストラルを持っていた手首を軽く握られ――また驚く。いきなり竜巻に巻き込まれたかのように身体が回転したからだ。遠心力で渦の外側に引っ張られながら、握られた手首が内側に引き戻してくる。視界がめちゃくちゃに入り乱れ、平衡感覚を完全に失う。

 

(マズい――!?)

 

 ぐるぐると回転させられる中で、方向感覚も分からなくなった。幸の手が離され、何処かへ飛ばされる。しかも、単に飛ばされているわけではない。恐らくこの感覚……幸が作った風の道に()()()()()()()

 

(こっちも、風の道を作らなきゃ……!)

 

 美海はとっさの判断で、自分の頭の方向へ風の道を引き延ばした。飛ばされる自分の身体をホバリングする時の要領でいくらか安定させ、幸の風の道から自分で作った風の道に、何とか乗せ替える。

 ようやく向きが分かった。遅すぎることは反省。しかしとりあえず、身体のコントロールは取り戻した。先ほど中途半端に引いた風の道をさらに引き延ばし、もう一度幸の方へ向かう。

 

「すごいねぇ。落ちちゃうかなぁって思ったけど、ちゃんと復帰してくるなんて、やるね~。やっぱり美海ちゃんは、出来る子だねぇ」

「まだまだっ!」

 

 下をくぐるのは無意味。逆にこちらが驚かされてしまった。幸は「左右に動くのと同じくらい自然に上下に動く」ことが大切だと言っていた。そして彼女は、後ろを振り向くのと同じくらい当たり前のように上下を入れ替えた。空中戦に慣れた者にとって、上下移動で意表を突こうとしても、背後を取ること程度の驚きしか与えられない。無論、複数人で戦っていればそれは相応の有利となるが、1対1ではほぼ意味がない。

 となれば、正攻法で真正面から攻めるしかない。背後に回る、上下に移動するのは、その後でもいいだろう。現状、攻撃のリーチが長いのはレイピアを持っているこちら。中距離からヒットアンドアウェイを繰り返す、美海お得意の戦法が使える。その戦法を、新しい飛び方で行うのは、確かにいい特訓だ。

 意識は風の道。一撃打ち込んで離れ、また一撃与える。風の道をすっと引き、勢いよく幸に突っ込んだ。

 

「おっ、直球勝負だねぇ。いいよ~、その思い切り。でも、ちょっとだけぇ、直線的過ぎかなぁ」

 

 幸はにこやかな笑顔のままそう言うと、ひゅっ、と軽く斜め上に避けた。でも美海も慌てない。多少の方向調整は可能だし、例えレイピアで突きが出来なくても、峰打ちは可能だ。方向を見て、攻撃を調整――

 できない。幸は上に避けながら、なんと寝返りを打つように、横向きにくるりとロールした。それは美海の頭上を簡単に越え、気付けば美海は背後と上空を同時に取られていた。

 マズい。咄嗟に後ろを振り返った美海だが、幸の動きはまだ止まらない。回転の向きを横から縦にしながら、今度は美海の右に移動。まるで上下逆さまのフィギュアスケーターのようだ。美海は幸の動きを追うので精一杯。そして、そこで風が吹いた。その風は、幸のロールに合わせ、しかも彼女に引き寄せられるように渦を巻いている。しかも、今までの彼女からは想像できない強さだった。一瞬とはいえ風のコントロールを失った美海は、その渦に巻き込まれてしまう。

 不意に、背後にいる幸の腕が、美海の腰に回された。完全に真後ろを取られてしまった。そのまま先ほどと同じようにぐるぐると回転させられ……今度ははっきり分かる。真下に投げ飛ばされた。しかも、勢いは先ほどより強い。

 

(復帰は――ムリそう……っ!)

 

 その美海の判断は正しかった。何とか風を一筋掴み、自分の下方向へ、滑り台のように引いて、投げ飛ばしの勢いを斜めにずらしながら地面に軟着陸するのがやっとだった。

 

「いい判断だねぇ。うんうん。君はやっぱり、見どころあるよ~」

 

 軟着陸のためにかなり強引に風を引っ張ったため、息が切れている。フィールドにすっと着陸した幸は、美海にくっついた人工芝を払いながら、頭を撫でてくれた。

 

「ごめんねぇ、いきなりスパルタでぇ。でもねぇ、風の感覚はこういう風に掴むの~。どうかなぁ?」

「……私も」

「?」

「私も、幸さんみたいになれますか?」

 

 幸の方をまっすぐ見つめる美海の瞳は、涙に潤んでいるようにも、期待に輝いているようにも、どちらにも見えた。それを見た幸は、より一層笑みを深めて、

 

「頑張ればぁ、私よりずっと強くなれるよ~」

 

 

 その日の練習後、美海は雄馬と幸に深く頭を下げて、今後も練習する機会を取り付けてもらった。

 

 

 

…………

 

 

 青蘭島の行政や経済、あるいは教育などの主要な機能は、青蘭諸島の他の島々が近い北側に集中している。そして、平坦な土地が多い東は、青蘭諸島を守る機動隊の基地が所在している。西側には、実は何もない。青蘭島の中央の山・(あお)()(ざん)の斜面に近いため、道路とちょっとした道の駅的なサービスエリアが点在するだけだ。

 では南側はどうなっているかというと、実はリゾート施設が集中している。遮蔽物が何も存在しないため日当たりが一切遮られず、青く澄んだビーチも広々としているため、リゾート地としては絶好の地だといえるだろう。大雑把に言えば東西に引き延ばした楕円形をしている青蘭島において、この南側の土地は資産家の別荘や、大きなログハウス、中には海上に設えたコテージ群なども存在しており、海辺でのバカンスを存分に楽しむことができるのだ。しかも、土地が余りがちな青蘭島の施設の例によって、ホテルやコテージなどに宿泊する際、部屋の広さの割に使用料がとても安いのも魅力的だ。青蘭島北側・商業地区のクリスタルモールほどではないが、そこそこ大きなショッピングモールが存在し、グルメやショッピングを楽しみやすいのも高評価の一端を担っている。青蘭諸島にやってくる人々の多くは、このリゾート地、青蘭庁が決めた正式名称『サファイアリゾートベルト』に滞在する。

 そんなサファイアリゾートベルトの一角、青枝山に程近い場所に建てられた木造のログハウスに向かう、1人の男性の姿があった。名前はアルマ・カミュオン。青蘭学園の体育の講師である、黒の世界出身の男性だ。世界接続20周年祭のブルーミングバトルに出場するαドライバー、ハイネ・カミュオンの実の兄である。線の細い美少年のハイネと異なり、アルマはどちらかといえば、力強さと妖しさが入り混じる美青年だった。そんな彼も、今はアロハシャツを羽織ったラフな格好だ。これでは妖しさも何もあったものではない。

 

「昔はこの辺に住めたら、なんて思ってたけど、よく考えると北側に移動するのめっちゃめんどくさいよな。ぐるって回らなきゃいけないし」

「今のお(うち)も、とても素敵ですわよ? 変に欲張るものではありませんね?」

「分かってるって。キーアは心配性だなぁ」

 

 そのアルマは肩に、少女のような何かを乗せていた。『少女のような何か』と形容したのは、それが明らかに人間らしくないからであり、なんと、身長が1メートル弱、下手したら70センチ程度しかない。くりくりとした瞳は紅紫(バイオレット)黄金(ゴールド)のオッドアイ。手足は木の枝のように細くしなやかで、艶やかな黒髪は腰のあたりまで伸びている。なによりも特徴的なのはその身に纏う、まるで水晶を織り上げたかのように煌めくドレス。同じく水晶で作られたような日傘を差して、アルマの肩に、そこがまるで玉座であるかのように鷹揚に腰掛けていた。

 名前を、クルキアータという。黒の世界の最高統治者・魔女王が、超高純度の水晶塊から削り出したという自律人形(オートマトン)だ。元々クレイドルの命令で青蘭に赴任していたアルマの護衛役であり、それ以外に青蘭の情報を収拾するための存在だったが、今はアルマの家に住み着き、そこそこ気楽に生活している。

 

「『G』のゴタゴタは随分続きますね?」

「キーアなら、もう答えは見えてるんだろ」

「答えだけなら、可能ですわよ? しかし、道も無いのに答えだけ知って、一体どうしようというのでしょう? 今あたしが知っている答えは『大丈夫』ということだけですし? ……ええ、まるで何の足しにもなりませんね?」

「いやいや、安心できるよ」

 

 クルキアータ(アルマは『キーア』という愛称で呼ぶ)は、実は人形ながらプログレスで、そのエクシード《ルキオラ・ヘクト・アイ》は『過程を無視して結論を得る』という極めて稀な力である。それだけ聞けばやりたい放題出来てしまいそうだが、実際はそう簡単ではなく、答えを『理解する』ためには、エクシードですっ飛ばした過程を辿る必要が往々にして発生する。普段は家で暇を持て余している彼女は、そんな暇を使って『過程を辿る』という思考に延々と耽っているのだ。

 

 軽口を叩き合っているうちにアルマが辿り着いたログハウスのドアを開けると、1人の女性が出迎えた。

 

「ごめん、遅れたな、アリサ」

「気にすんなし。まだみんなでケーキ食べてるよ。キーアちゃんも食べる?」

「はい、頂こうかしら?」

「おっけ、紅茶2杯入れちゃうわ」

 

 女性は開いた手の指を、何か糸でも引っ張るようにくいくいっと動かしながら、2人をログハウスの中に(いざな)った。

 その女性は派手な外見だった。身長はそれほど高くないが、ウェーブの掛かった髪を大雑把にツインテールにしているため、シルエットが大きく見える。しかもビジューのようなアクセサリーを編み込んでいた。服装はシャツとスカートとシンプルながら、すべての指にリングが嵌められており、大きく開けられたシャツの胸元からは、豊満なバストの谷間と、首から下げたアクセが見えている。そのシャツの左胸には、青い蘭を取り囲む明るい紫の、小さなピンバッジが光っていた。

 名前を、アリサ・マイネル。黒の世界出身で、青蘭学園の初代生徒会長だった過去を持つ。今は青蘭庁執行部魔術犯罪捜査課、通称『魔捜課』の一員であり、こんな外見ながら犯罪捜査のエースである。

 

 ログハウスのリビングは、極めて混沌としていた。

 

「遅いぞ、アルマ。デートに遅れる男はモテんぞ」

「デートじゃないし。普段は図書館塔に籠りっきりだからあんまり見ないけど、やっぱり食欲旺盛なんですな」

「うるさい。この(からだ)は、ヒトが食べる食べ物だとエネルギー補給にかなりの量が必要なのじゃ」

 

 まず、大きなテーブルの近くのソファにふんぞり返っているのは、青蘭学園の化学教師であるアルスメル。すぐそばにケーキが乗った皿がいくつも、ふわふわと空中を漂っている。彼女は、ふんっ、と鼻息を鳴らすと、そのうちの1つを捕まえて、フォークで綺麗に切り分けて食べ始めた。外見は10歳くらいかそれ以下かくらいの、愛らしくあどけない幼い少女だが、実際は数百年の時を生きる錬金術師の大老である。また、黒の世界の魔女王が直々に指名した《十二杖(じゅうにじょう)》の1人でもある。黒の世界で錬金術を嗜んでいれば、その名を知らずにはいられないほどの有名人だ。しかし、今はそんな威厳もどこへやら、ケーキの甘味に頬を緩ませている。こうして見ると、本当に普通の幼い少女のようだ。

 

「やあ、アルマ君にクルキアータ君。よく来てくれた」

「アムベルこそ、今は忙しいんじゃないのか?」

「確かに忙しいが、だからといって横との連携を疎かにするわけにもいくまい。ともあれ、航空管理局からの連絡が来る前から準備はしていたから、問題という問題もないな。強いて言うなら、この隙を狙われないか心配だ」

「それは大丈夫でしょう? なにせ、貴女に、貴女の部隊ですものね?」

「信頼してもらえるのはありがたいね」

 

 ソファにゆったりと深く座り、ティーカップを優雅に傾けているのは、ダークシルバーのロングヘアをひとつに束ねた美女だ。目を閉じて紅茶を味わう姿は、とてもリラックスしているように見えるが、それでも獲物を待ち構える猛獣のような、獰猛で鋭利な雰囲気が漂っている。身に纏っているのは、こんなログハウスに相応しいとはとても言えない、青蘭機動隊の制服だ。ダークブルーをメインとした、騎士のような制服は、彼女のオーラと非常にマッチしている。

 彼女の名前は、アムベル・マカリスター。黒の世界出身で、青蘭機動隊のプログレス小隊の隊長を任されている、歴戦のプログレスだ。

 

「お疲れ様、(しずく)。ようやく梅雨シーズンも去ったな」

「お疲れ様です、アルマさん。これでようやく、少し休めそうです」

「本当にご苦労なことだよな。今期の摘発数、かなりの量だったって聞いたけど」

「ありがとうございます。それでも、まだ核心は掴めない感じです。何か、こう新しい動きがあるみたいな……あ、失礼しました。これは後で話す機会がありますね」

 

 濡れたように艶やかな黒髪の美女は、(あま)(みや)雫。雨を支配し広域を探索するエクシード《蕾雨郷(エテジア)》を持つ魔捜課のプログレスだ。自然に雨が降る季節である6月から7月は毎年寝る間もないほど働き詰めなので、今は少しやつれて見えた。しかし、ケーキを口に運ぶその表情は柔らかなものだった。

 

 そして、そんな面々が揃うリビングを、数体の人形が飛び回っていた。クルキアータよりも大幅に小さく、1体1体は30センチほどの可愛らしい西洋人形だ。そんな人形たちが、アルマたちの前に紅茶のカップを運んだり、資料の束を整理していたり、キッチンで火の様子を見ていたりと、せわしなく働いていた。

 

「さーて。人も揃ったし、食べながらでいいから、ぼちぼち始めよっか~。アムベルさんも時間ないしね。アルマ君もキーアちゃんも、テキトーに座って」

 

 アリサが、相変わらず指をくいくいと動かしながら声をかけた。この人形たちは、アリサのエクシードで動いているのだ。

 アルマがテーブル近くの椅子に座り、クルキアータがその膝に座った。大きな円形のテーブルの上には、何も置かれていない。――いや、その中央に、何やら盆のような薄く丸い板が置いてある。

 

「では始めようぞ。気になる点があれば指摘する。《リビアンデザートグラス》起動」

 

 アルスメルがケーキを頬張りながら行儀悪く唱えると、その盆は突如としてテーブルと同じサイズまで広がった。厚みは一切変化していない。それからすぐに、その盆の底から、キラキラした無数の砂粒が重力に逆らって立ち昇り始めた。無数の砂粒は寄り集まり、凹凸を作り、10秒と経たずに何かの形を成す。中央が山のように盛り上がった楕円形――青蘭島だ。そして、砂粒で出来ていたそれは、いつの間にか硝子(ガラス)で出来ているかのように透き通っていた。その形の正確さたるや、特に北側が形作られている部分が顕著で、ビルやマンション、クリスタルモールのような建築物が、精巧な硝子(ガラス)細工(ざいく)のジオラマとして現れている。そして、その中を、幾筋もの光のラインが複雑に行き交っている。

 これは、アルスメルが発明した、青蘭諸島魔力監視システム《リビアンデザートグラス》である。伸縮自在で持ち運びに労力を使わず、中に秘められた無数の硝子の砂粒が結晶に成形されて実体化する。見たい場所だけを見ることができ、範囲内の魔力の流れを光のラインで表している。今は青蘭島だけ表示されているが、操作次第では他の島々はもちろん、海中や上空さえ表示させることが可能だ。

 

「さて、どこから始めようか。アリサ、お主から話せい」

「おっけー。んじゃ、アタシからね。とりあえず《マニューバー》の中継地点を増設したよ。増設個所はここね。はい表示」

 

 アリサが合図すると、光のラインが複雑に絡み合う中で、十数か所に青い光が灯った。その中の5つは、他のものより殊更(ことさら)に強い光を放っている。

 

「霊力管の周辺に仕込んで、外部の目を誤魔化してるよ。地面の下と建物の中だから、《蕾雨郷(エテジア)》の影響は受けない。まー、しばらくはこれでどうにかするしかねーってカンジ。でも今まで以上に警戒範囲は広げた……っつーより、密度を上げた、って言った方がいいか。他の島はまだ増設してない。運用テストは今のところ2週間経過で、特に問題なく稼働中ね。以上。質問ある?」

 

 アリサのエクシード《マニューバー》は、物体を自由自在に操るというものだ。今ログハウス内で動いている人形はすべて彼女のエクシードによって操られている。だが、単に『操る』と言ってもそこまで大きなものを操ることはできず、この人形サイズがちょうどいいくらいで、人間などの生物はもちろん、他人に操縦されている車すら操ることができない。

 ではなぜ彼女が魔捜課のエースと言われるのか。それは彼女の物体操作能力において強い部分が『操る強引さ』ではなく『同時に操れる数』と『操れる範囲』だからである。具体的に言えば、彼女は同時に百以上もの物体を操作することができ、しかもそのエクシードが及ぶ範囲は、なんと青蘭諸島全域に及ぶ。物体を操作するというエクシードはしばしば散見されるが、ここまでの数と範囲を併せ持つのは彼女くらいのものだろう。そして、彼女のエクシードを受けて情報を取集することのできる端末は――街灯や道路標識など、一見してそれとは分からない形で――青蘭諸島中に設置されている。つまり彼女は、青蘭諸島のどこにいても、範囲内の情報を取集することが可能なのだ。もし仮に、今この瞬間に白百合島の情報を得たいと思えば、容易に実行してのけてしまうだろう。

 彼女の言葉を受けて、皆しばらく黙っていたが、その沈黙をアムベルが破った。

 

「質問をひとつ。中継地点の性能は既存のものと同じかな? 情報の連携が今まで通りだと助かるんだが」

「いや、ちょっと改良……というより、後付けができるような領域を確保してる。なんで、連携できる情報は『今のところは』今までと同じ。あともう2週間もテストして問題ないなら本稼働させるし、他の島にも設置する計画が立ってる。事後報告になっちゃってゴメンね」

「なに、構わないさ。それより、後付け領域というのは……」

「アレよ。《蕾雨郷(エテジア)》の影響を受けない人形作りに励んでてさ。それが上手くいったら、監視の目をこっちから移動させられるようになるっしょ? それの操作領域ってーのが、主な目的ってカンジかな」

「承知した。私からの質問はこれで十分だ。他の者はどうかな?」

 

 誰も声を上げなかったので、次はアムベルが口を開いた。それと同時に、《リビアンデザートグラス》の縮尺が変わり、青蘭諸島全域を表示した。海中となる部分にも、幾筋もの魔力線の光が走っている。また、青蘭島以外の各島の上空部分には、それぞれの世界への(ハイロゥ)の光も表示されていた。

 

「次は私から。よろしいかな、アルスメル様?」

「構わんぞ。報告するのじゃ」

「では……まず、青蘭庁と航空管制局からの要望で、賢緑島の基地から輸送機・戦闘機と人員を移動させた。要望通り、世界接続20周年祭の準備をしているように見せかけて実行したが、当然ながら移動させた分、賢緑島の警備が薄くなっている。アリサ君や雫君をはじめ、魔捜課には普段よりも少し気を配って情報を集めてほしい。多少無防備を晒すのは頂けないが、もしかしたらこの『エサ』に釣られて、賢緑島にファントムが現れるかもしれない」

「当ったり前じゃん。任せてよ。」

「雨が降るならですが、お任せください」

「頼もしいね。次に、5月に発生した青蘭学園生の魔力中毒事件を起こした犯人のプログレスについてだが……ここしばらく接触を図っている。これは魔捜課の面々も存じている通りだろう。事件の記憶に関しては、やはり芳しくないが、彼女が黒の世界のグロースエンパイアの辺りで活動していたのは間違いなく、その辺りから記憶がないらしい。クレイドルには周辺地域の調査依頼を申請したが、どうやらファントムや四世界府の残党どもは、黒の世界の北の方を拠点として活動しているようだ」

「あの地方、一年中雪降ってるもんな。色々と見えにくいだろう」

「ああ。とはいえ、あの世界でなら悪巧みなどいくらでもできる。それに、《蕾雨郷(エテジア)》で発見することができず、界港を通ることもなく世界間移動できている点から、白の世界の反E.G.M.A.(エグマ)派が絡んでいるのもほぼ確実。こちら側からではどうしても対応が後手に回ってしまうのがもどかしいが……」

「それは仕方あるまい。こちらも《リビアンデザートグラス》のアップデートは急ピッチで進めておる。とにかく機動隊には、奴らが現れた瞬間に対処してもらうしかあるまい。すまぬが、我々が奴らの転移技術を解析するまで、もう(しばら)くの間、場当たり的な対応を要求することになる」

「その事についてなら問題ない、アルスメル様。そのために普段から訓練している。それで、(くだん)のプログレス……イリアス・フェムト君についてだが、正体を隠して我々、というより私が引き取りたいと思っているが、どうだろうか」

 

 今まで、《リビアンデザートグラス》上で移動する輸送機や戦闘機の動きを見ながら話を聞いていたアリサと雨宮は、アムベルのその言葉にさっと視線を交わし合い、アリサの方が口を開いた。

 

「まー、魔捜課としてもだいぶ調べ尽くしたしねー。親方は、アムベルさんが引っこ抜くなら、それはそれで構わないって言ってたよ。ただ、彼女のエクシードの調査がイマイチねー」

「それは使わせて調べればいい。もちろん情報は共有する。それに、何かあっても私なら抑え込める」

「そこは心配してないっつーの……んまあ、状況が状況だし、今(りゅう)()()に行くとして、囚人をぶち込むのはともかく、出すのは何かと憚られるから、少なくとも20周年祭が終わってからにしてってハナシ」

「分かっているさ。とりあえず、各種申請書を用意しておくよ。私からは以上だが、何か質問はあるかな?」

 

 またしばしの沈黙。次に口を開いたのは、意外にもクルキアータだった。

 

「先ほど貴女が仰っていた『エサ』についてですが……敢えて『()く』という案はあるのでしょうか?」

「いや、食いつくなら食いつけという感じだ。こちらもバタバタしているのだから、事件など起きない方がずっといい。それに、幹部レベルはまず釣れるまい。下っ端を幾ら捕らえたとて、4月、5月と同じように、無駄に龍慈架を埋めてしまうだけだろう」

「それはごもっともですわね?」

「だが、どこから兵力を集めているのかは知っておきたいところだ。5月の子……イリアスか? 彼女はグロースエンパイア周辺で捕らえられたようだが、4月に生徒を拉致した連中は、むしろ元々南の方で結集していたそうだ。男爵の居城があの辺だったからな。親方は雑魚ばかりと嘆いていたが、それはそれで収穫があるだろ。下っ端を釣るのも、別にデメリットしかないとは思わないんだが」

「それもそうなんだがね、アルマ君。しかし、しかしだ。敢えてファントムを引っ張り込むのは決して得策ではないだろう? 連中がどこから青蘭の様子を見ているか、ほとんど分かっていないんだから。もし実際にエサを撒いたとして、それが揺動だと気付かれてしまった日には、それこそ『G』のことまで掘られかねない。……まあ、今までの傾向からして、既に漏れている気もしないわけではないが」

「どうせ連中は、何もしなくたって来ますものね? アルマ、焦りほど大きな隙はありませんことよ?」

「ん、その通りだ。敢えて住民や生徒を危険に晒すことはない……俺としたことが、ちょっと焦ったな。申し訳ない」

「いや、君の焦りも分かるよ。何せ、学園の生徒が何人も犠牲になっているし……男爵絡みでは死者すら出ている。権限者(オーソライザー)として、早急に事態を好転させたいと思う気持ちはもっともだ。我々機動隊も、尻尾をつかめればと歯痒い思いをしているが……」

「内側は(わらわ)らの問題じゃ、アムベル。生徒が犠牲になったのは妾ら教務課の責任なのじゃから、機動隊は外を警戒してくれれば()い。それにアルマ、お主がそう()いてどうする。何のためにお主がいると思っておるのじゃ」

「……そうだな。ゴメン、忘れてくれ。俺は俺の仕事に集中するよ」

 

 アルマは、彼にしては珍しく殊勝に謝ると、ソファに一層深く身を埋めた。膝の上のクルキアータを撫でながら俯くその表情からは、生徒の前では決して見せられない、焦りと疲れが見て取れた。

 その場にいる全員、そのことに気付きながらも、敢えてそれには何も言わず、次に雨宮が話し始めた。

 

「私からは一点だけです。先日、6月中の摘発データを連携しましたが、7月中ももう少し調査を進めます。特に青蘭島の西居住地区内で怪しい動きがいくつか。また、先月末ごろ、夕玄島の東居住地区でファントムの構成員らしき人物を拘束しましたが、例によって記憶は抜かれていました。警戒は強めていますが……」

「ふむ……その件なら読んだぞ。まあ夕玄島じゃしなぁ……界港からそのまま居住区に降りられてしまっては、対応が難しいのもあろうな」

「はい。その通りです。こちらも何とか追いかけてはいますが、夕玄島は上空の(ハイロゥ)の影響で、普段から空気中の魔力が他の島より濃い傾向にあります。蕾雨郷(エテジア)での捜索が難しく……申し訳ございません」

「雫君が謝ることはないだろう。君がいなければ、彼らは皆、野放しだったのだから。それに、クレイドルから黒の世界側の(ハイロゥ)近くに、機動隊の駐在許可を頂けた。輸送機を1機送ってあるが、そちらでも警戒を強めている」

「それは良かったです。それで、ここからは私の所感になるのですが……ファントム内に新しい動きがあるような気がしていまして……」

「新しい動き、ですか? それは、白の世界の反E.G.M.A.(エグマ)派と繋がったから、以外の理由でしょうか?」

「以外、ではないと言いますか……彼らが繋がったとみられるのは、少なくとも去年からです。そして、なんというか、大きな違和感のようなものを感じるようになったのは、6月くらいからのことでして……こう、なんと言いますか。ファントムと反E.G.M.A.(エグマ)派が、より深く繋がったところで、何かあったのでは、と……」

「……お互いの『核』みたいなものが結び付いた、ってところか」

「そう、それです。明らかに巧妙さが増しました。4月の段階では、既存の技術で男爵の出現位置を予測できたというのに、5月のイリアスさんの出現は予測できませんでしたし、彼女自身で世界間転移を行った跡もありませんでした。これって明らかに変ですよね? 妙な気がします。まるで、より強固な拠点でも手に入れたかのような十全さです……」

 

 雨宮は俯きながら、彼女の感じたことを、ぽつぽつと言葉にしていた。それを聞いたアルマも、少し思い当たることがある。それはまさに、雨宮が言った『4月と5月の違い』だ。

 4月の事件――美海が拉致されかけた事件だが、初動捜査に雄馬と海斗が動き、その報告を受けた段階で男爵――『ブロッサ男爵』と呼ばれる、黒の世界の悪名高い権力者が絡んでいると判断した魔捜課は、その出現位置を予測するべく動いた。魔捜課は、特殊な方法で法外な世界間転移を検知することができる。もちろん、世界間転移には様々なパターンがある上に、界港が開いていると正確な検知が難しいが、男爵が訪れる直前に出現位置を予測でき、そのおかげで彼を倒すことに成功した。

 翻って5月、青蘭学園で起きた魔力中毒事件。兎莉子と樹里、2人の犠牲者を出しながらも、主犯のイリアス・フェムトの拘束には成功した。しかし彼女は洗脳されていた上に、洗脳していた領域ごと引き抜かれたせいで、事件にかかわる記憶は何も残っていなかった。また、本来、世界間を移動すると、どうしても霊体に跡が残るようになっている。これは移動する世界間の概念や法則の違いから来るもので、時間が経てば慣れて消えていくが、少なくとも1ヵ月は残る。その跡が残っていなかったのだ。1ヵ月前から彼女が潜伏していた可能性も考えられたが、彼女の洗脳前の記憶の最後が、事件発生の約3週間前だったことから、この可能性は(つい)えている(実際に当時、現地で彼女が活動していたことの確認も取れた)。付け加えると、4月の事件の際に拘束したファントムの下級構成員らには、この跡が残っていた。

 明らかに向こうの技術の巧妙さが増している。焦っているのはアルマだけではない。魔捜課も、機動隊もそうだ。今は魔捜課が処理に当たっているが、いざ本格的にファントムが攻めてきた際に応戦するのは機動隊となる。そうなった時、果たして今の装備で、今の兵力で、技術的に向上しているファントムに対抗できるのだろうか。

 

 皆が嫌な可能性に口を(つぐ)み、考え込んでいる。そんな中、敢えてアルマは口を開いた。

 

「……最後は俺ってことでいいか?」

「……うむ、そうじゃな。報告せい」

「それじゃあ。まず、クレイドルから返事が来た。『G』の結界を構築するために、(じゅう)()(じょう)を3人連れて来るとのことだ。誰を連れて来るかは未確定だが、エヴァーズは来るそうだ。本人曰く、ソフィーナの調整をしておきたいらしい」

「エヴァーズと、あと2人か……どうせヘカテリエルかハイディ辺りが来るんじゃろ。まさかサヤメを寄こすとも思えんしな」

「シャリオンは異世界のこと死ぬほど嫌ってるし、アルティオネが森から出るわけもないし、多分その辺りだと思う」

「え、調整って……ソフィーナちゃん大丈夫なん? バトル出るんしょ?」

「このことはまだ伝えていない。それに、調整もブルーミングバトルの後に行う予定だ。もし何かあったら、ハイネにも辛い思いをさせてしまうから、万全を期すつもりでいる」

「なーら安心……なんかなぁ。だってまだ15歳っしょ?」

「杖に慣らすなら早い方が良いじゃろう。確かにソフィーナはまだ未熟。しかし素質は飛びぬけておるからして、触れる程度なら問題あるまいて。どんな影響が出るかどうかは、やってみなければ分からんのがネックじゃが」

「……何も起きないと良いのですが」

「何か起きてくれた方が良いかもしれませんよ? ソフィーナに早くモノになってもらわなければ、いつまでもエヴァーズが2本持ち続けることになってしまいますからね?」

「だからと言って急ぐのも良くないだろう。ソフィーナ君にも学生としての身分がある。頑張ってもらいたいのは山々だが、青春を知らずに大人になると、時折悲しくなってしまうからね。私みたいに」

 

 アムベルの芝居がかった言い方に一同が噴き出した。当の本人は何ということも無さそうだが、実際、彼女は青春と呼べる期間を味わったことはなかった。

 皆でひとしきり笑った後、アルマが話を続ける。

 

「さて、これが本当に最後なんだが、教務課で色々と相談してな。『G』の調査に我々権限者(オーソライザー)から3人出ることになった。俺とデルタ、それから海斗が行く予定でいる。そこで、アムベルの部隊から5人ほどプログレスを出して欲しいんだが……どうだろう。教務課からは美穂しか出せなくてな。できれば俺とデルタの分……Ωリンカーの子を頼みたい」

「そういうことならこちらも手配しよう。というかΩリンカーなら、私が出るというのはアリか?」

「調整がつくなら構わないし、むしろ大歓迎だろうけど……大丈夫か? 調査期間は何週間とかだろうし、これ言ったら親方に怒られたりしない?」

「う、それはマズいな。……よし、考えておこう。メンバーを決めたらいつものルートで伝達する」

「感謝するよ。人数は最悪足りなくてもいいから、なる早で頼むな。予め会って、いろいろと合わせておきたい」

「時間がないものな……承知した。Ωリンカーを5人な」

「よし、これで俺の言うことは以上だ。他に何かある人はいるかー?」

 

 アルマがそう呼びかけると、アリサがすっと手を挙げた。

 

「あれ、まだ言うことあったの?」

「ありまくりだし! 熱中してたらケーキ余ってんだけど! あと紅茶も冷めてんですけど!」

「ケーキなら妾が頂くぞ」

「アルスメル様さぁ、このケーキその辺のクッキーみたいに貪ってたけど、1ピース1500円もするんだけど! もうちょっと味わって食べろし!」

「む? そういうことは先に言わんかい、このバカ娘。ま、妾は至高の錬金術師。金銭的な悩みなど理解不能じゃからして――」

「昔は十二杖として尊敬してたのに、この島に来てからマジで尊敬する気無くしてるわ-!」

 

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