アンジュ・ヴィエルジュ *Skyblue Elements*   作:トライブ

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第8話「ブルーマウンテン頼んでいい?」

 

 ――これより『世界接続20周年祭』を開催いたします――

 

 20年に1度のお祭りとなれば、どうしてもテンションが上がってしまう。

 

「俺たちの出番は2日目だからな。お祭りは3日も続くんだし、今日はちょっと抑えめにしような」

「はぁ~い」

 

 春樹の忠告に美海は素直に答えたが、視線はあちこちに吸い寄せられている。

 

(それも仕方ないよな。だって豪勢だし)

 

 3日も続く祭りなので、明確な開催の告知は放送によるものだけだったのだが、いざ覗いてみると、商業地区は普段以上に人で賑わっていた。これは美海でなくとも目移りしてしまう。

 今日は明日に向けて英気を養うために、チーム全員で青蘭島の祭りに来ていた。祭りは夕玄島・鐘赤島・白百合島の3島でも開催されており、そちらはその真上にある(ハイロゥ)の向こうの世界の出し物が多いという。ただ、今日は青蘭島の中だけで楽しもうと決めていた。明日はいよいよブルーミングバトルの本番なので、軽く遊んで、明日しっかりと実力を発揮しよう、という考えだ。みんながしっかりとパフォーマンスを発揮できるようにするには、多分このくらいリラックスしている方がいいんだろう、と直感ながら確信できるのは、春樹もこのチームのメンバーをちゃんと理解できるようになっているということだろうか。

 

「でもさー。島4つで3日でしょ? 回り切れないって!」

「別に全て回らなくても良いでゴザろう? 胃袋が無限に広がるならともかくでゴザるが」

「お小遣いも限られてるし、目一杯楽しむには、目利きが大事だねっ」

「はぐれないようになー」

 

 琉花、忍、兎莉子も、通い慣れた場所の普段と違う装いに目を輝かせている。春樹は自分の判断が間違っていなかったと再確認した。こんなに楽しそうなのに「明日バトルだから」という理由で行っちゃダメなんて言われたら、生殺しもいいところだろう。

 実は、この前にバトルに出る他のαドライバーたちと少し近況を報告し合った時に、今日どうするかを聞いておいた。すると、みんな祭りには行くとのこと。どんな時でも冷静な冬吾は別として、少なくともハイネと俊太は、自分自身も祭りが楽しみで仕方ないといった感じだった。そんなことを言ったら春樹も同じだし、冬吾だってみんなと祭りを回るのが楽しみだと言っていたのだが。

 バトル相手はみんな見知った相手。自分たちの目的は、練習の成果を出し切ることもそうだが、観客を楽しませることでもある。ある意味、自分たちはこの世界接続20周年祭という祭りの中で、出し物を『提供する側』なのだ。変に緊張しっぱなしなのも逆に良くない。それが全員で出した意見だった。

 

「よし。じゃあ食べ物買い込んだら、広場で作戦会議な! 俺ここで待ってるから、なんか買ってきて。はいお金」

「はーい! ねぇねぇ、何買おっか? 春樹くんは何がいい?」

「何でもいいよ。食べたいもの買っといで」

「やっぱこういう時はたこ焼きに限るね! なんかこう、特別感あるし」

「拙者は焼きそば一択でゴザる。店主の腕前が分かるというものでゴザるよ」

「ま、まぁまぁ……とりあえず、一通り買っていこう? ほら、あれ、黒の世界の食べ物みたいだよ!」

 

 わいわいと楽しそうな4人の背中を見送りながら、春樹は近くにあったベンチに座って待つことにした。あそこに入るのは、男子として少し、気まずいものがある。4月どころかこの島に来た時からずっと思っていたが、やはり青蘭は――少なくとも青蘭学園生は――女子社会なので、男子の肩身は狭い。その男子が非常に重要な存在であるため、プログレスたちはαドライバーに強い興味を示すし、その存在をある程度は意識して行動しているようなので、肩身が狭いと言っても普通の女子高に放り込まれるよりかは遥かにマシなはずだ。とはいえこういう、楽しい状況になると、美海たちにとって自分はお邪魔虫なのではないかと思うことが時々あった。それぞれ特徴的な異能を持つプログレスとαドライバーは、それだけ普通の男女以上に役割がはっきり分かれている。言ってしまえば……『別の生き物』感が強い。

 

「あ、春樹くーん。どうしたの、こんなところで1人で」

「あ……御影先生。ども、おはようございます。そういう先生も1人ですけど」

「バレた? 今ね、葵ちゃんたちがなんか買ってくるから待ってろーって、お金だけふんだくって行っちゃったの」

「俺はみんなにお金渡して、なんか買ってきてって言ったところです」

「あはは、似た者同士だ」

 

 不意に声を掛けられて顔を上げると、そこには中性的ですらりと背の高い男性、()(かげ)(りょう)()が立っていた。青蘭学園の国語の講師だ。今年入学してきた御影(あおい)の兄である。

 春樹にとっても彼は先生というより、雄馬と並んでよく面倒を見てくれるお兄さん、という印象が強かった。というのも、彼は何を隠そう、春樹をスカウトしに当時通っていた中学校に来た先生。つまり、青蘭の関係者では――春樹の父親を除いて――最も古い顔馴染みということだ。あの時はスーツを着ていたが、こちらに来てみれば女性のような格好をしていて驚いた。しかも、女装している男性だと分からないくらい綺麗なのだ。

 彼はごく自然の春樹の隣に腰掛けた。なんだか爽やかな香りがする。男性だと分かっていても、思わずドキッとしてしまう。

 

「それで、どうしたの? もしかして、明日のバトルが不安かな? まあ仕方ないよね」

「あー……不安、っていうか。みんなを見てたら、αドライバーってプログレスにとって一体何なんだろうなー、なんて思っちゃって」

「なるほど、面白い疑問だね。その顔は『パートナー』以外の答えが欲しいって感じだ」

 

 凌雅はニコッと笑うと、賑わう人々の方へ目を向けて話し出した。

 

「僕も一時期悩んだなぁ。僕はαドライバーだけど、妹の葵ちゃんはプログレス。しかもリンクの相性もとてもいい。僕らはαドライバーとプログレスである前に兄妹で、パートナーである以上に強く繋がってるんだ。一方で僕には……まあ、恋人がいるんだけどね。ほら、リーナちゃんだよ。僕はそちらとも強く繋がってる……と思う。そっちもただのαドライバーとプログレスっていう関係じゃあない。それは、君たちも同じはずだよ?」

「俺たちも、同じ……」

「うん。確かにさ、プログレスがエクシードを使っているのを見ると、時々同じ生き物とは思えなくなるよね。だとしても、僕らは兄妹で、恋人同士で、強く繋がってる。君たちもそう。君にとって彼女らは、ただのプログレスでも、ただのパートナーでもない、もっと大事で崇高な存在なんじゃないかなぁって思うよ。例えるなら……家族、みたいなね」

「……そうかもしれません」

「なんてね。国語講師っぽく、ちょっと詩的に纏めてみました」

 

 美海。失意の底に落ちていた心に、新風を吹き込んでくれた彼女。

 琉花。暗闇の中で迷っていた心を、冷水で目覚めさせてくれた彼女。

 忍。覚悟を固めきれなかった心に、熱い炎で発破を掛けてくれた彼女。

 兎莉子。恐怖と焦燥に崩壊しかけた心を、優しく抱きしめてくれた彼女。

 

 春樹は凌雅の言わんとすることを理解した……気がした。

 

「硬く考えるのは、よくなさそうってことですね」

「おっ、いいね。ま、気軽に行こう。みんないい子だし、たまに喧嘩するくらいが丁度いいよ。僕だって葵ちゃんと喧嘩することあるし――あ、みんな戻ってきたみたい」

「葵ちゃんたちも一緒だ。……美海と彼女、なんかいつも争ってますね。うわ、どんだけ買い込んだんだよ……」

「そのくらいがいいんじゃないかな。葵ちゃんが元気そうで僕も嬉しいし。さ、行こうか」

 

 その後の一行は、春樹が予想していたよりよっぽど賑やかになった。

 

 

…………

 

 

「よくこんな暑い中で熱いもの食べられるわねー」

 

 クリスタルモールの3階のフードコート。窓際の席から広場を見下ろしながら、ふーふーと息を吹き掛けて焼きそばを冷ましているのはソフィーナだ。ここは涼しいが、外に出れば熱気地獄である。

 テーブルに着いているのはソフィーナの他にエミル、マリオン、カサンドラ、ハイネで、合計5人。12個も太陽があるのに明るいものは1つもない黒の世界の出身者は、総じて夏の暑さと日差しに弱い。白の世界出身のエミルも暑いのは苦手だそうだ――というより、こんな炎天下が大好きだ、なんて人がいるのだろうか。そのため、屋台巡りも早々に切り上げ、買ってきた食べ物をつつきながら戦術の確認をしていた。とはいえ、基本となる戦い方は何度も練習したし、相手はあの冬吾のチーム。(あらかじ)め決めた戦術通りに動いたのでは、彼の策に(はま)ってしまうだろう。必要なのはその場の判断を如何に正確に行うか。そしてそれを実行するかだ。

 

「向こうはエクシードを制限してくるかな?」

「例えそうでも、テルルさんはエクシード抜きでも驚異的なスペックですわ。となればやはり、前提通りカサンドラとソフィーナで止めておくのが手堅いでしょう」

「人数差があるとはいえ、こちらの方が不利になる場面も多いだろう。テルル君は可能な限り素早く、フィールド外に出してしまいたいところだね」

「エクシード抜きってことなら私もそうだから、カサンドラの補助だけに限らず、フィールドを広く使うべきね。それと、前言ってたやつ。いざって時のために、持ち込み可能な魔導具は一通り揃えたから、後で渡しておくわね」

「お金が掛かるからって、呪符とかは俺らで手作りしたんだ。そんなに難しいものじゃない分、効果もそこそこだから、使い方次第って感じ」

 

 プログレスの練度で向こうに負けるとは思っていない。もちろんスペックも。その上人数でも上回っているのだから、負ける理由なんて無いように思える。

 しかし、冬吾とハイネでは頭の良さが全く違う。ここが全ての根幹だ。チェスと同じようなもので、盤に乗っている駒に優劣が無いなら、勝敗を決定付けるのは頭脳しかない。

 だからこちらは、頭脳の差を補えるだけの手段を用意しなければならなかった。幸い、魔術に詳しいソフィーナとエミルがいたので、技の多彩さという点では大きくリードできているはず。後は当日、その瞬間瞬間に、それをどう組み合わせるかだ。それはハイネが指示するものでもあるが、プログレス個々人が咄嗟に判断するべきものでもある。

 

(まぁ、胸を借りるつもりで行こう)

 

 軽い気持ちというわけではなく、あくまでも変に気負わないようにするだけ。サッカーの試合と同じだ。ハイネは監督。精一杯頑張って練習し、試合になったら選手を信じて送り出す。その上で、自分も全力で彼女らを指揮し、全力で耐える。

 ここまで来たら、もうなるようにしかならない。そのために色々とやってきた。負けても悔いはない……とまでは言えない。できれば勝ちたいが、もし負けても後悔したくないなら、やるべきことは1つ。とにかく全力で取り組むことだ。

 

「呪符、わたくしのエクシードで燃えてしまったりしませんわよね?」

「それは大丈夫……なはず。じゃあこの後私の工房に行きましょう。一応動作確認しておきたいわ」

「魔術がてんでダメな私でも大丈夫なのかな?」

「だいじょーぶだいじょーぶ! カサンドラちゃん、魔力はしっかりとあるから、それをグイって込めるだけだよ~」

「それが難しいから魔術下手なんじゃないの? ……まあ、やってみないと分からないし、ぶっつけ本番というのも怖いから、とりあえずカサンドラも来なさい」

「承知した!」

 

 エミルがカサンドラの背中をぱんぱん叩いて励ましている。ソフィーナがマリオンに作成した呪符の仕組みを教え聞かせている。成り行きというか、親しい間柄だけで組んだチームではあるものの、意外と上手く纏まってくれた。それはきっと、ハイネの努力だけが成功の要因ではない。みんな頑張ったからだ。だから、みんなで勝ちたい。

 なんて思っていたら、急に隣のエミルから声を掛けられた。

 

「ね、ハイネくん」

「何――って、近い!」

「ふふっ! 頑張ろうね!」

 

 ずいっと顔を近づけてきたエミルは、嬉しそうに笑ってハイネの手を取った。まぶしい笑顔だ――外で輝いている太陽のように。生徒会長になったのも納得できる話だと思う。

 

「ちょ――エミル! 近いわ!」

「えへへ、ごめ~ん!」

「ソフィーナ、嫉妬心が強すぎるとロクなことになりませんわよ」

「そうそう! 女の子は笑顔が一番だからね! その点はエミル会長を見習うといい!」

 

 ハイネは膨れっ面で怒るソフィーナを宥めながらも、その心は明日のバトルのことでいっぱいだった。

 

 

…………

 

 

「ん~、これも美味しいわね!」

「アウロラ? まだ食べるの……?」

「ええ! だってこれだけの屋台があるのだもの。せっかくなら、楽しみ尽くしたいでしょう?」

「まあそうなんだけどさぁ……」

 

 俊太とアウロラは鐘赤島の祭典会場に来ていた。そこに並ぶ屋台の提供する料理の食べ比べを、アウロラは既に7割ほどコンプリートしていた。

 アウロラは赤の世界のお嬢様だ。歩きながら食べる、というのは彼女のマナーに反するらしく、会場のベンチに座って食べていた。で、食べ終わるとまたいくつか買ってきて、それを食べる――この繰り返しだ。隣の俊太はといえば、彼女からお裾分けを少し貰いながら、食べ終わった後のゴミを捨てに行く係だ。そのお裾分けの分だけでお腹いっぱいになりそうなのに、この子の腹は一体どうなっているんだと思わざるを得ない。

 その彼女の食べっぷりが余りにも良いため、周囲に人が集まってきているほどだ。しかも食べたものの感想を聞かれると、その全てに快く答えている。この鐘赤島の祭典会場の屋台の料理は、その大半が赤の世界のものなので、他の世界の人が食べるのには、少し躊躇があるのだろう。中には、明らかに虫を使った料理があったが、ゲテモノではなくれっきとしたグルメなのだそうだ(少し食べさせてもらったが、確かに美味しかった)。

 

「まろやかで、それでいてしつこくない……絶品ね。これなら明日のバトルも頑張れそうね!」

「そうだねぇ……」

 

 彼女にとって、これはただの暴飲暴食ではない。もの凄い健啖家な彼女だが、こうして食事によって得たエネルギーを体内に溜め込み、エクシードに変換できるのだという。今これだけ食べておけば、明日の出力には期待できそうだ。……それはそれとして、注目を集めてしまっているのは恥ずかしいのだが。

 

「お嬢ちゃん! うちのも食べないかい? ほら、お代は結構だよ」

「えぇっ? そんな、悪いです! ちゃんとお支払いします!」

 

 挙句の果てには、屋台を営んでいる店主の方から料理を持ってきた。タダでいいということは、彼女に食べてもらうことが宣伝になると思ったのだろう。周りには人だかりができているし、彼女はとても美味しそうに食べる。そんな光景を見たら、じゃあ自分も……となる人がいてもおかしくない。

 

「アウロラ! ちょっとちょーだい!」

「いいわよ、ルビー。はい、あーん」

 

 アウロラの膝の上に座っているルビーがおねだりして、彼女もお裾分けを貰っている。一方、

 

「いろんなものたべられて、いいなー……」

「フローリアは植物しか食べられないもんな。はい、お水」

 

 俊太の膝の上のフローリアは、つまらなそうに野菜スティックをぽりぽりと齧っていた。ルビーもフローリアも同じ赤の世界で生まれた妖精だが、その食性は異なる。ルビーが雑食なのに対し、フローリアは草食なのだ。そのため、フローリアにはお手製の野菜スティックとサニーレタスの束をあげている。春先には菜の花の葉っぱをそのまま食べたりしていた。ルビーが食べているものが羨ましいというより、単純に色々なものが食べられるから羨ましいということなので、アウロラの食べているものを欲しがったりはしなかった。それに、自分だけ食性が違うことに疎外感があるのだろう。明日のバトルを前に士気が落ちて、万が一にでもボイコットされてしまっては困るので、俊太はフローリアのご機嫌取りに終始していた。

 とはいえ、フローリアがいたから、俊太も少し野草に詳しくなれたのは収穫だった。彼女は植物の毒に強く、人間が食べてはいけないような植物も平気で食べてしまうのだが。

 

「ほら、あの子たち! 明日のバトルに出るんじゃなかったっけ?」

「そうだっけ……あ、ホントだ。明日は頑張ってくださーい!」

「は~い。食べた分、しっかり頑張りまーす!」

 

 パンフレットに載っているので当然だが、自分たちがバトルに出場することもバレている。好奇心からか時折投げ掛けられるエールにも、アウロラは笑顔で対応。こういうところは本当にすごいと思う。俊太は気恥ずかしくて、軽く会釈するだけだ。

 俊太は男子にしてはとても小柄だ。そのせいで、背が高くスタイルも抜群なアウロラに対し、一歩引いた想いを持っていた。5月にお互いのコンプレックスを打ち明け合い、交際を開始したわけだが……彼女に対しての劣等感はどうにかなったものの、周りからの視線は未だに気になる。どんな目で見られているのだろう。美しいアウロラに対して、こんなちんちくりんがパートナー? もっと良いαドライバーを選べばよかったのに――

 

「俊くん?」

「なに?」

「あーん」

「あー……もがっ」

 

 ぼーっとしていたところに、アウロラから何かを食べさせられてようやく我に返った。なんだこれ……と噛んでみると、甘い。今まで味わったことのない、濃厚な歯ざわりなのにすっきりとした甘さの食べ物だ。記憶の中からこれと似た味を探すなら、レモンの蜂蜜漬けが一番近い気がする。とはいえ、初めて体験する味だ。

 

「これはね、リュクサっていう果物を天日干しにして、カラカラになったやつを蜂蜜に漬けたものなの。リュクサはそのままだと酸っぱいし渋いしで、とても食べられないのだけれど、1回干してから蜂蜜に漬けると、とっても美味しくなるの!」

「なんか干し柿に似てるね」

「そうそう。でもこれはとっても貴重なものよ。少なくとも赤の世界ではね。前に言ったかしら? 赤の世界では、蜂蜜はとっても高価なものなのよって」

「あー、聞いた聞いた。こっちに来た時、その辺のスーパーで売ってて驚いた、って」

 

 赤の世界において、蜂蜜は高級品だ。これは単に養蜂の技術が確立されていないとか、ミツバチが少ないから、といった理由ではない。

 赤の世界の住民に「ミツバチといえば」と問うと、まず間違いなくこう返ってくる。「ミカエル様の御遣いだ」と。四大天使の一角、『戦導』の大天使ミカエルは、その黄色い光の翼からミツバチを生み出した、という言い伝えがある。ミカエルはその黄色い光の翼を無数の輝くミツバチに変えることができ、それを使って戦場を支配したことから『戦導』と呼ばれていた。つまり、実際に赤の世界に生息するミツバチの由来がミカエルだ、というわけではないのだが、現にミツバチは赤の世界では(たっと)ばれるべき生き物で、その巣が(もたら)してくれる甘い蜜は、まさに天使様からの贈り物だと広く知られている。そのため、ミツバチを育ててその蜜を頂戴する養蜂業は、強く責任のある一族にのみ許されてきた格式高い仕事で、別の見方をすれば、これはある種の()()だといえる。

 そして、アウロラの生家・エオース家は、代々養蜂業に携わってきた由緒ある一族だった。彼女自身、幼い頃から家業を手伝っている。そんなアウロラなので、青の世界で蜂蜜が廉価で売られていることに驚いたのも無理はないだろう。

 

「これに使われてるのは、こっちの世界の蜂蜜みたいね。味が結構違うの。でも、これはこれで美味しいし、何より誰でも手軽に食べられるから、こういう場には特に持ってこいね」

「赤の世界で食べようと思ったら、どんくらいするの?」

「そうねぇ……今俊くんに食べさせたので、5、600円ってところかしら」

「そんなにするの? やば、焦って飲み込んじゃった」

「大丈夫よ。でも、その内本場のを食べさせてあげるわ。そうだ、今度実家に帰るときに、一緒に来るといいわ!」

「え? 俺、通界許可証持ってないんだけど……」

「それまでに作りましょう! お父様とお母様に俊くんのこと、紹介したいもの」

「それって完全に――あ、いや」

「?」

 

 まるで結婚前の挨拶みたい、などと思ってしまった俊太は、顔を赤らめて俯く。すると膝の上のフローリアが不思議そうな顔で見上げてきたので、その頭を指先で撫でて誤魔化した。

 

「それ、果物が材料なんだよね。フローリア食べられるかな」

「食べられると思うわ。うちの倉庫によく妖精が入り込んでたし」

「たべたい!」

「はい。じゃあ、あーんして」

 

 素直に、あ~ん、と口を開けたフローリアの口に、小さくちぎった干しリュクサの蜂蜜漬けを入れてやると、彼女は幸せそうに頬を緩めて咀嚼した。それを見ていたルビーが「ルビーも!」と嫉妬し出したので、彼女にもあげる。すると、どうやらルビーに上げた方が大きかったらしく、フローリアが「もっと!」とねだり始めた。仕方ないので俊太が席を立ってもう1皿買ってくることに。それにアウロラが便乗して、ついでにあれとこれを買ってきてとお願いされ。

 とてもではないが、ブルーミングバトルを明日に控えているとは思えない、幸せな光景がそこにあった。

 

 

…………

 

 

 「お祭り」というものが初めてだったセニアは、いつもの数倍活気に溢れた通りの中で、目をぐるぐるさせていた。

 

「ま、マスター……」

「大丈夫。離れないようにね」

 

 冬吾はセニアの手をしっかりと引きながら前に進む。セニアははぐれないように必死になっているが、その最中も視線はあっちへ、こっちへと大忙しだ。

 

「何か興味あるものは?」

「あの赤い、きらきらしたもの」

「りんご飴ね。じゃあ買おう」

 

 どうやらセニアは、キラキラしたものに強い興味を示すらしい。それは生物として当たり前の本能なのかもしれないが、彼女の場合はそれがより顕著だ。

 それにしても、このりんご飴は真っ赤で、セニアでなくても見惚れてしまうくらい綺麗だ……と思ったら、これに使われているのは赤の世界産のリンゴらしい。聞けば、10年ほど前に青の世界から苗木が輸入され、赤の世界に根付いたリンゴの樹が実らせたものなのだそうだ。そう考えると、この世界接続20周年祭という節目に偶然にも、20年間に渡る世界間の関わり合いの歴史の一端を垣間見た気がして、なんだか感動してしまった。なので、冬吾は自分の分と合わせて、2つ購入。

 流石にこのまま人ごみの中にいると、セニアが混乱してしまいそうなので、もうしばらくして2人は通りから抜け出し、公園のベンチで気を落ち着けることにした。ここでユーフィリア、テルル、ナナと待ち合わせる約束をしている。

 

「……甘いです」

「ホントにね。このリンゴね、さっき聞いたんだけど――」

 

 セニアに先ほど聞いた(うん)(ちく)をそのまま言い聞かせると、彼女は分かったような、分かっていないような微妙な反応。それもそうだろう。彼女の活動期間は1年と少し。そんな彼女にいきなり「このりんご飴には20年の歴史が詰まっているのだからして、ありがたく食べること」なんて言われたところで、ピンと来ないのは自明の理だ。それに、冬吾だってまだ16歳。彼自身「自分が生まれるより前」としか認識できない時間の積み重ね、その重みを本当に理解しているとは言えない。

 

「明日はバトル。今日は少し楽しんだら休んで、バトルはちゃんと終わらせて、明後日は目一杯楽しもうね」

「はい、マスター」

「大きな花火も上がるし、(しょう)(りょう)(なが)しもするんだって。……って、セニアに精霊流しは分かんないか」

「それは一体、何なのですか?」

「うーん……日本でのこの時期は『お彼岸』って呼ばれててね。先祖信仰なんだけど。死んだご先祖様の魂がこの世に戻ってくると信じられてるんだよ」

「……?」

「それで、精霊流しっていうのは、そうやって戻ってきてくれたご先祖様をあの世に無事に帰ってもらうために、目印になる灯篭を水に流すんだ。本土では川に流すのが一般的なんだけど、青蘭には大きな河川が1本しかないから、基本的には海に流すんだ」

 

 冬吾は、セニアが全く理解できていないことを承知の上で話を続けた。アンドロイドにとって『信仰』だの『先祖』だの『魂』など、理解しにくい話だろう。だから、今は聞かせるだけ聞かせておく。理解できるようになるのは、この先の数年後、あるいは数十年後でも構わないのだ。

 そんな彼女が返した答えは、ある意味笑ってしまうほど単純なものだった。

 

「せっかく戻ってくるのに、帰らせてしまうのですか」

「え?」

「かわいそうです。居させてあげれば、いいのに」

「……たしかにね。でも、きっと昔の人は、死んだ魂はあの世に居るべきだって、思ったんじゃないかな」

「『あの世』とは、どの世界のことですか?」

「あー……どの世界、か。そういう風に考えたことはなかったなぁ。強いて言うなら、この世界の、もっと上の方、とかだったりするのかな……」

「マスターも知らないのですか?」

「多分、それを知ってる人はこの世に1人もいないんじゃないかな」

「そうなのですか」

 

 まさに幼い子の無邪気な質問攻め、といった感じだ。成長すればするほど、この世はそんなにばっちりルールが決められているわけではなく、白黒のマーブル複雑な模様であることが分かる。冬吾も今、セニアからそれを教わった。生と死は、それ自体はきっちり分かれているものだとしても、生者と死者、の方はそこまで厳密に分かれていないのかもしれない。だとしたら、昔の人はとても賢いな、などと漠然と思った。実際にどう分かれているのかは別として、曖昧な世界を()()()()()()()()()()やり方は、少なくとも今の冬吾にはない発想だ。

 今は亡き、優しかった彼の祖父母を思い出し、少しセンチメンタルになってしまった冬吾。それに気付いているのか不明なセニアは、再びりんご飴の処理に戻っている。

 なんだか気まずい。そう思っているのは冬吾だけだろうか。

 

「冬吾さーん、お待たせしました~」

「あ、りんご飴食べてますの。テルルも欲しいですの!」

「私たちも、色々買ってきましたよ。セニアちゃん、何か欲しい?」

 

 そんな時、ユーフィリア、テルル、ナナの3人がやってきた。ナイスタイミング、と心の中で感謝した冬吾は、せっかく買った食べかけのりんご飴をテルルに奪われるのだった。

 

 

…………

 

 

「ごめんね、来てもらっちゃって」

「ううん、いいの。お兄ちゃん今日は忙しいみたいだし」

「どーせみんなチームの方行っちゃってたし、ちょうどいい」

 

 商業地区と隣接する経済・行政地区内にあるコーヒーショップの中で、大村()()はやって来た2人にお礼を言った。

 1人は黒髪の大和撫子、沙織。もう1人はとても小柄で無表情な樹里だ。沙織が女の子らしい格好で着飾っているのに対し、樹里は半袖と短パンにサンダルと、まるで少年のような格好をしている。

 樹里の言う通り、彼女らが住んでいる満月寮の他の1年生は、みんなチームの集まりの方に行ってしまっていた(希美はアイドルとしてステージに立つ予定だ)。ひねくれ者の樹里は、みんなお祭りだけど自分だけは寮でまったりコーヒーを飲もうと思っていたらしく、沙織もそれに付き合うつもりだったそうだが、電話で早輝が誘ったところ、快く応じてくれた。コーヒーショップで待ち合わせしたのは、樹里の指定だ。

 

「まあ、まったりしたいってのは変わんない。人ごみ、苦手」

「ごめんね、樹里ちゃん。この辺はそこまで騒がしくないし……」

「普段より空いてる。ありがてえ。私、エスプレッソ」

「沙織ちゃんも。来てくれてありがとうね」

「こちらこそ、誘ってくれてありがとう。お祭りの中を通り抜けてきたけど、やっぱり普段と違う雰囲気なの、新鮮でよかったから。……私は、アイスカフェラテにしようっと」

「んー……俺も沙織ちゃんと同じのにしよ。あ、ケーキとか頼んでいいよ。コーヒーも纏めて俺が奢るから」

「えぇっ!? わ、悪いよー!」

「やったぜ。じゃあミルフィーユ頼む」

「じゅ、樹里ちゃんっ」

「早輝がいいって言ってるんだから、いいってことよ」

「樹里ちゃんが言うのもアレだけど、ホントに気にしないで。今日来てくれた2人に、俺からのお礼」

「ん、ん~……じゃ、じゃあ、モンブラン……お願いします」

 

 薄暗い明りに包まれた店の外は、普段なら閑静なオフィス街なのだが、今は祭りの喧噪がここまで届いている。先生方に聞いてみると、今回は10周年の時よりもずっと大きな祭りになっているらしい。

 頼んだコーヒーとケーキが届くと、一口コーヒーを味わった後、樹里が「で」と切り出した。

 

「どうしたの、早輝。なんか相談?」

「あ、やっぱ分かっちゃう?」

「分かる。早輝、自覚している以上に、顔に出るタイプ」

 

 妙に鋭い樹里の指摘に、早輝は困ったように笑いながらケーキを口に運んだ。その様子を見ながら、沙織も便乗してくる。

 

「ここ最近……じゃ、ないよね。5月くらいからずっと……なんか浮かない、みたいな」

「困ったな。隠すの得意だと思ってたのに」

「やべ、沙織の方が先に気付いてた」

「あれ、そうだったの?」

 

 無表情のままお茶目にペロッと舌を出す樹里。可愛らしいその仕草に和みながら、早輝は言葉を選びながら口を開いた。

 

「んーとね……なんか最近、俺、置いてかれちゃってるなー、って思っててさ」

「みんなバトルに出るから?」

「そう。俺だけ、出られないからさ。頑張ってるみんなが、眩しくて」

 

 早輝はΣのフレーム脳波を持つαドライバーである。が、その脳波が極めて特殊なため、汎用リンク率が0.1%しかない。ここにいる沙織と樹里もΣフレームのプログレスだが、2人とのリンク率はせいぜい10%といったところで、バトルに出場させることはできない(バトルに出場するためには、最低でも50%のリンク率が必要とされている)。1年生αドライバー3人の中で最も社交的な性格の彼は、まだパートナーのいないΣフレームのプログレスを片っ端から当たり、リンク率を計ってみたが……残念ながら、学園内にリンク率50%を超えるプログレスは存在しなかった。沙織と樹里の10%ですら高い方だったと分かった時は、流石に堪えたものだ。

 そんな早輝は、今回のブルーミングバトル出場を免除された。出場させられるプログレスがいない以上はどうしようもないのだが、それでもハイネや俊太がバトルのために頑張っているのを見ると、何もする必要のない自分が、酷くどうでもいい存在に思えてならなかったのだ。

 

「沙織ちゃん、5月に春樹先輩のチームとバトルしたじゃん。あれ、凄かった」

「あ、ありがと。うん……あれは私じゃなくて、みんなとお兄ちゃんが、凄かっただけだよ」

「最後決めたの、沙織だったじゃん」

「あーいや、そういう実力とかじゃなくてさ。頑張ってて、凄かったなって。……俺もなんか、頑張ってみたいって思ってるんだ」

「はぇー。で、何頑張るの?」

「それが悩みの種って感じかな」

「……なるほど、それもそっか」

 

 身体を鍛えるとか、勉強を頑張るとかは、今もやっている。ブルーミングバトルの練習に費やされる時間が存在しないのだから、そのくらいはやって当たり前だ。

 問題は、その先――αドライバーとして生まれ、その素質を持っているのなら、その方向に進んでみたい。その方向に頑張りたい。そんな思いを、努力という形で昇華させられないのだ。

 

「もし、さ。ラピュタみたいに、自分の目の前に、運命の相手みたいな相性抜群のプログレスが空から降ってきて、その子と一緒に頑張っていく、なんてなったらいいんだけどね。現実ってそんなに甘くないから……今できること、なんかないかなーって、ずっと探してるんだ」

「今できる、こと……沙織、なんかある?」

「わ、私? えっと、映像見て研究する、とか。って、それくらいやってたり……」

「……あ、えと。そうだね。映像は色々見てる」

「だ、だよねー。……樹里ちゃんは?」

「ラピュタみたいに、相性のいいプログレスが空から落っこちて来るまで待つ」

「それ一生叶わない奴だよね」

「だから、やりたいことやりながら待つ。私だったらコーヒー極める。ていうか、相性いいαドライバーいないから、極めてる」

「……なるほどね。意外とアリ、なのかな。沙織ちゃんだったら?」

「私が極めるなら……お料理、とかかなぁ。レパートリーが増えれば、毎日退屈しなさそうだし」

「そういう感じか。うーん……」

「あ、閃いた。実況の練習する。解説役狙い」

「解説役かぁ。なかなか斬新――って、なんかズレてるような」

 

 その後もいくつかの提案をされた。もちろん、というとせっかくの提案に失礼だが、残念ながらその中に「これだ!」と思うものは無い。

 しかし、2人は真剣に考えてくれていた。それ自体が早輝には――未だにパートナーと呼べる存在がいない彼にとっては、とても嬉しかった。

 提案が出尽くしたころには、3人のケーキの皿もコーヒーカップも空になっていた。

 

「2人ともありがとうね。追加、なんかいる?」

「わ、私は大丈夫だよ」

「私は飲む。せっかく早輝と会えたから、まだ時間潰す」

「嬉しいけど、その太々しさ、なんか羨ましいな」

「そう? 私は、お世辞とか言わないし、皮肉も言わない。どっちもめんどくさいから。だから、まぁ……」

「?」

「いいんじゃない? ブルーミングバトルばっか考えなくたって。αドライバーとして才能無くても、人間は人間じゃん。別の何かでも、友達とかパートナー、できるよ。こんな風にさ」

「……!」

「それじゃ、だめなの?」

 

 そう言いながら樹里は、メニューから顔を上げずに隣に座っている沙織の肩を叩く。すると、今までずっと早輝について、どうすればいいのか悩んでいた沙織はハッと顔を上げ、華が開いたような明るい笑顔になった。

 

「そ、そうだよ! ね、早輝くん。あんまり思い悩まないで。何かあったら、私たちのこと、いつでも頼っていいんだからね!」

「……うん、ありがとう。何か今の、ぐっと来た」

「ホント? じゃあブルーマウンテン頼んでいい? 自家焙煎で……3000円」

「3000円!? 流石にそれはダメ」

「ちぇ。私にしては珍しく、いいこと言ってやったのに」

 

 メニューで顔を隠して不貞腐れる樹里だったが、その耳が少し赤くなっているのに、早輝は気付いてしまった。自分でも恥ずかしいことを言ったと思っているのだろうか。そんな彼女がなんだか可愛かったので、彼は頬杖をつきながら言ってみる。

 

「……俺とあと3回お茶してくれたら、その時に奢ってあげるよ」

「マジ? やった。……けど、なんかあれね。やっすいナンパみたい。エサぶら下げる的な――」

「俺は、樹里ちゃんが嫌なら全然構わないんだけどなー」

「ゴメンって。お願いします」

 

 

 

…………

 

 

 その夜、各世界の代表が滞在する青蘭島南のホテルのレストラン。

 重鎮ばかりが滞在しているため、当然ながらホテル全体が貸し切りになっている。警備も厳重で、物理的にも魔術的にも完璧な防御が張り巡らされていた。その上階のレストランに、「ロ」の字型に長テーブルが並べられている。

 

「いやー、ゆっくり話す機会があるってのはいいね☆ でも、ゆっくり食べる時間があるのはもっといい☆」

「これ、どれも美味しいですね♪ いくつか持ち帰って、お留守番の2人とお母様へのお土産にしましょう♪」

 

 その一辺。せっかくの豪勢なディナーを押しのけて、屋台で買ってきたであろう様々なジャンクフードを楽しそうに食べる、黄色と緑色のアンドロイド。白の世界代表、世界の管理者E.G.M.A.(エグマ)直属のアンドロイドであるエスナとアルト。

 

「行儀が悪いぞ、お主ら」

「まあまあ。せっかくの異世界だもの。例え世界の代表であろうと楽しむ権利はあるさ」

「そーそー。超活気あったよね~。私あれよ、めっちゃスーパーボール? っての掬ったんよ!」

「それ、変なところに飛ばさないでくださいね。会談が始まったら没収します。あと料理の中に入ったら殴ります」

 

 その一辺。アンドロイドらに苦言を呈す長髪の幼女と、鷹揚な態度で眺める老婆。食事そっちのけでスーパーボールを何個も床で跳ねさせている褐色肌に黒翼の天使に、それを半眼で睨む白と黒の女性。黒の世界代表、政治機関『クレイドル』が管理している、世界を支える12の杖の適合者『十二杖』の4人であるアルスメル、テル=エマ、ヘカテリエル、エヴァーズ。

 

「白の世界のお2人は黄と緑、こちらの大天使は赤と青。こういった形で揃うのは、縁起がいいことです」

「あ、あの……ぼ、僕、ここにいていいのかなぁ……?」

「こちらの黄色も早く戻ってきてくれれば、世界はずっと安定するのだが。というか向こうに残してきたのがウリエルだけというのも、いささか不安だ」

「が、ガブリエルちゃん? だ、大丈夫、よ。ウリエルちゃん、『お留守番はまかせろー!』って、張り切ってたもの」

「ふわぁ……それが不安なんじゃないのぉ~?」

 

 その一辺。ディナーを食しながら、どこか遠い目をする藍色の女性と、居心地が悪そうにきょろきょろと周りを見ている長身な男性。目を閉じて考え込んでいる赤い天使に、言葉を並べて彼女の不安を和らげようとする青い天使、そして食事の皿を横にずらして眠そうに突っ伏している桜色の少女。赤の世界代表、『(いち)(じつ)』の中の『夜』を司る女神の影アマノリリスとその従騎士ダスティン、最高位天使の中で『愛』を導く大天使ガブリエルと『命』を導くラファエル、そして『一年』の中の『春』を司る女神の影セレナ(セレナの後ろにはザークが控えて、いつでも彼女の不機嫌に対応できるようにスタンバイしていた)。

 

「して……青の世界は、そなただけかえ?」

「あー……なんか遅れてるって。もう少ししたら着くから」

 

 その一辺。スープを掬いながら困ったように言う男性は、青蘭学園の数学講師であり、教務課の権限者(オーソライザー)でもある(きずき)(かい)()。世界の代表というよりその補佐で、今はその代表本人の到着を待っている。

 

「それにしても……白の世界の。お主ら、せっかく出されたものを食さないのか?」

「えー? 食べたいものを食べるのが、一番美味しいんだよ☆」

「マナーという話でしょう?」

「大丈夫ですよ♪ ちゃんと後で頂きますから♪」

「何言っても無駄なんじゃないのぉ~? だってぇ、セレナたちはともかく、そっちは本当に最強、なんだもんねぇ~」

「これで本当に力のある奴らを連れてきていないというのは、幸いなのか、あるいは……」

「えへ☆ アタシたちのこと、最強って言った☆ でも本当の最強は、会談の場に相応しくないから☆」

「始める前から喧嘩しないでくれよ」

「は~い♪」

 

 実力者揃いで、何かが起きれば収拾のしようがない辺同士のやり取りを見ながら海斗は、あいつ早く来ないかなぁ、とぼんやりと思った。

 それだけ現実離れしている光景なのだ。十二杖から4人、第二座と第三座から女神が1人ずつと四大天使が2人、E.G.M.A.(エグマ)のアンドロイドが2体など、本来は集めようと思っても集まらない――

 

(――というわけには見えないのが、こいつらの恐ろしいところだよな)

 

 彼女らは強い。強すぎる。なので、一般の人々が感じる『忙しい』など、彼女らにとっては本当に大したことなんてないのだろう。

 特に白の世界のアンドロイドたちは、この場の中でも頭一つ抜けた実力を持っている。彼女らは表向き『E.G.M.A.(エグマ)の直属アンドロイド』という扱いだが、真相は少し違う。厳密に言えば彼女らは『E.G.M.A.(エグマ)の機能を4分割したうちの1体』ずつなのだ。姉妹機として作られたからか、その外見は、カラーリングや髪型が大きく違う以外はそれなりに似ている。しかし、その内に秘める機能は全く異なっていた。

 ……というか、黒の世界の方、1人足りなくないか? と海斗がメンバーのリストを頭の中で再確認していると、同じことに気付いたらしいヘカテリエルが声を上げた。

 

「……あれ? ってか、ネロっちは? あの子いないとこっち話にならんじゃん!」

「そういえば、まだ来ていませんね。大方、家族との触れ合いを楽しんでいるのでしょう」

「あやつらめ……すまぬな、アルマに電話してくる。どうせ一緒におるのじゃろ」

「シャリオンが聞いたら、嫌っているこちらにまで来て説教しそうなことだねぇ」

 

 黒の世界の代表、魔女王の代理として来たはずのネロ・アンゲル=グラディウスがまだ来ていなかった。呆れた表情でレストランの外に向かうアルスメルに、海斗はそっと声を掛けた。

 

「苦労を掛けるな、メル」

「今更じゃよ、海斗。気にするでない」

 

 こちらも20年間、パートナーとして絆を育んできたからだろか。たった一言ずつだったが、お互いに言葉以上の感情を伝え合った。

 そんな彼女を尻目に、視線をテーブルへと戻した海斗だったが、すぐに後ろから話し声が聞こえてきた。1人はアルスメルだ。

 

「っと、長官。それからテオ、ようやく着いたか。遅いぞ」

「申し訳ございません、アルスメル様。こちらはこちらで、手間取ってしまい……」

「長官はどんくさいのだ! おかげでテオも遅れてしまったのだ!」

「ご、ごめんね、テオドーチェちゃん」

「構わぬ。どうせこちらも1人来ておらんしな。今から電話するところじゃ」

「それは……幸運、ということでよろしいのでしょうか?」

「そういうことじゃな。ほれ、相方が待ちくたびれておるぞ」

「はい。それでは」

 

 アルスメルと入れ替わりになるようにレストランに入ってきたのは、見目麗しい美女だった。真っ白で長く伸びた髪と、海のように深い青の瞳。凛々しい顔にやや哀しげな表情を浮かべる彼女は、この青蘭を管理している青蘭庁の長官だ。

 名前を、()()(かみ)、という。

 年齢は不明で、『海を操る』エクシードを持つ、旧い時代から生きるプログレスだ。

 さらに、その横からエクシード管理課の課長、テオドーチェも姿を現した。

 

「皆さま、遅れてしまい、大変申し訳ございませんでした」

 

 布津の守は、よく通る声で詫びると、海斗の隣の席に座った(他の世界の代表たちの反応はまちまちで、皆特に気にしていないようだった)。

 

「ごめんなさい、海斗くん。遅れてしまって……」

「いいって、ふーちゃん。んで、テオも一緒で、後は黒の世界のを待つだけか」

「誰が来てない――って、ネロがいないのだ! またアルマと逢引きしているのか!? 全く……」

 

 甲高い声を喧しく響かせながら、テオドーチェもその隣に座る。すると、黒の世界の辺から声が上がった。

 

「あれー? テオっち、こっちじゃないの?」

「テオは青蘭庁の者として参加するのだ。それはガブリエルも同様なのだ! おいガブリエル、こっちに来るのだ!」

「ああ、そうする。……ではまた後で」

「あれー☆ アタシたち、アウェーじゃない☆」

 

 テオに大声で呼ばれたガブリエルは、嫌そうな顔をしながらもラファエルに何か耳打ちし、席を立った。それに対して、青の世界のテーブルに白の世界の者が誰も着かないことをエスナが()()()()()指摘したが、面倒なのか誰も反応しなかった。アルトですら「しょうがないです♪」と()()()()言って宥めるだけだった。

 

 もうしばらくして、電話を終えたアルスメルが席に戻る――と同時に、『ロ』の字の真ん中に1人の少女が、突如として現れた。ウェーブした金髪に、角と翼と尻尾が生えた長い耳の女性――黒の世界代表、最高統治者である魔女王の代理、ネロ・アンゲル=グラディウスだ。

 

「遅れましたぁ――あ、出るとこミスったわ。ごめんごめん、出るから」

 

 と全く緊張を感じさせない声で囲われたテーブルの外に移動する。その光景を見た海斗は、背中に冷たいものが流れるのを感じながら、インカムに確認する。

 

「――本条。今、()()()()?」

『いいえ。長官とテオドーチェを迎え入れたので最後です。なぜですか?』

「グラディウスが入ってきた。間違いなく、ホテルの外からだ」

『……私もまだまだですね。師匠の手前、情けない……とりあえず、どこから入ったのかは確認しておきます。無駄でしょうけど』

 

 インカム越しに本条の落胆を聞きながらも……ともあれ、ようやく(めん)()が揃った。こんなヘンテコな面子で何を始めるのか、それは――。

 

「それでは……全員集まったので、そろそろよろしいでしょうか?」

 

 布津の守が立ち上がり、まず黒の世界のテーブルを見た。

 ネロが肉料理を頬張りながら言う。

 

「はーい。初めていいよ」

 

 次に赤の世界のテーブルを見た。

 アマノリリスが姿勢を正しながら言う

 

「ええ。準備はできています」

 

 最後に白の世界のテーブルを見た。

 エスナが焼き鳥を飲み込んでから言う。

 

「こっちもオッケー☆ 始めちゃって☆」

 

 3人の言葉を聞いた布津の守は一度目を閉じると、哀しげな表情をきりりと引き締めて、宣言した。

 

 

「それでは――これより『()()(かい)(かい)()』を始めます」

 

 

 時刻は、午前零時。

 世界が変わるまで、あと2日。

 


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