アンジュ・ヴィエルジュ *Skyblue Elements*   作:トライブ

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第4話「はい。記憶しました」

 歴史によれば、世界が接続された当時、青の世界に対して最も友好的だったのは赤の世界だったという。

 

「ねえねえ、きれいだね!」

「そうだな……花畑なんて、滅多に来ないもんだけど。こうして見ると、これはこれでいいもんだ」

 

 鐘赤島の一角には、赤の世界との友好の証として、向こうの世界の植物を集めた植物園がある。春樹と美海は、その周りを囲んでいる花畑にいた。

 花の種類など、両者ともほとんど知らない。その辺に立っている説明書きを読んで「へぇ~」となる程度だが、それでも(かお)り高い花々に囲まれて、えも言われぬ開放感に満たされることには違いなかった。赤の世界出身のプログレスに聞いたところ、赤の世界の植物には霊力があり、魔法に用いられることもあるのだとか。

 

「昨日ね、海辺のレストランに行ったんだよ。春樹くんは知ってるお店かな。ジルさんって人がいる……」

「ああ、あそこね。去年何回か行ったよ。連絡先、なんか交換させられたし」

「そうなんだー! 今度一緒に行こ! あのねー、クイズ出されたんだけど……」

 

 他愛もない話に花を咲かせながらブラブラと歩いていると、突然美海が何かに気づいたようだった。

 

「あれ? この花の中に……」

 

 美海が1輪の薄いピンク色をした花のそばにかがみ込んだ。なんだろうと春樹も覗き込んでみると、半開きの花弁の中に小さな人型の何かが眠っていた。

 

「ねえねえ! これ……!」

「こらこら、あんまり大きな声出さないの。起こしちゃうでしょ」

 

 春樹がたしなめると、美海は口をギュッと一文字に結んで、改めて花の中を覗き込んだ。暖かそうな花弁に包まれてスヤスヤと安らかに眠る姿は、まるで妖精のようだ。というか、

 

「随分ちっちゃな妖精だね……生まれたばっかりなのかな」

「え、妖精?」

 

 思わず素っ頓狂な声を上げた美海を春樹はまた制止しつつ、そこから離れるために彼女を連れ立った。

 

「赤の世界には『妖精』っていう種族があるんだよ。詳しいことは知らないんだけど、力の強くなる場所で自然と生まれるんだって」

「へぇ~……って、『力が強くなる場所』ってどういうこと?」

「詳しいことは知らないって言ったでしょ。でも、聞いた話じゃあなんていうか……『そのまんま』の意味らしいんだ」

「?」

 

 さっぱり意味が分からずに首を傾げる美海。『そのまんま』……とは、『何のまんま』なんだろう、とでも言いたげだ。ただ、春樹だってよく分かっているわけじゃない。

 

「例えば花なら花の力が、鉱石なら鉱石の力が強い場所があるんだって。だからさ、ほら……」

 

 春樹は辺りをぐるりと見回した。まさに『花の絨毯』という表現が相応しいくらい、一面に花が咲き乱れている。

 

「ここは、花の力が強そうじゃん」

「そうだねぇ……一面、花だらけだもんね。じゃあ他にも、妖精さんがいたりするのかな!?」

「随分と食い気味だな……こんだけ広ければ、絶対にいるだろうね。まあ、のんびり行こうか。ひょっとしたら寝てない子もいるかもだしね」

 

 ご機嫌な美海と並んでしばらく歩いてみると、ねぼすけな妖精たちもようやくお目覚めの時間なのか、ひらひらと(はね)を揺らして花の中から出てきた。

 

「わぁ~、すごいすごい!」

「あんまり脅かすなよ」

「はいはーい」

 

 美海が寄っていくと、妖精が3匹ほど集まってきた。妖精はそのほとんどが好奇心旺盛で悪戯好きなため、小さな指で美海の鼻の頭をつんつんと突っついたり、ツインテールの片方を頑張って持ち上げようとしている。

 

「あはは、くすぐったいよー」

 

 美海の頭の上に座ってご満悦な表情をしていた妖精を美海がひょいと捕まえ、手のひらの上に乗せると、妖精は翅をパタパタ、目を白黒させて慌て始めた。

 

「喋らないんだね」

「人間の言葉を喋ったり理解できるのは、知能の高い一部の妖精だけなんだってさ」

 

 美海が手のひらに乗せた妖精の頭をよしよしと撫でてやると、向こうもようやく落ち着いたのか、気持ちよさそうに目を細めて甘え始めた。それを見ていた残りの2匹も、ズルいズルい! と言う代わりに美海の手のひらに乗っかろうと押し合い圧し合いを始めた。

 

「あっ! こらこら~、ダメだよ。ちゃんと1人ずつね~」

 

 手のひらの上の妖精を肩に乗せて、2匹目の妖精を撫で始めた美海を眺める春樹は、不思議な感情を覚えていた。

 

(よく懐かれてるな……)

 

 昨日下見に来た春樹は、妖精たちにちょっかいをかけられまくっていたのに。

 美海からは、何か人を惹き付ける何かを感じる。ある種のカリスマ、とでも言うのだろうか。本人は割とドジでぽけぽけで、元気ながらも頼りない面はいくらかある。しかし、彼女の魅力はそんな点も含めてのものであり、その魅力は、どこか美海のお世話をしたくなるというか……要するに、放っておけないのだ。()()()()魅力を、彼女は持っている。おそらく、彼女の自覚していないところで。

 

(ちょっとずるいよなぁ……でも、あれも美海の特性ってことかな)

 

 ほぼ無条件で人に好かれる美海。少しばかりの嫉妬を感じた春樹だったが、それで別にどうこうする気にはならないのも美海の雰囲気のせいなのだろうか。

 そんなことを思っていた春樹は、頭の上に何かがパラパラと落ちてくるのを感じた。手に取ってみると、土だ。後ろを見ると、3匹の妖精がしてやったり顔で笑っていた。妖精たちに頭の上から土を振りかけられたのだ。春樹は頭を振って土を落とすと、はぁ、とため息を吐く。

 

 流石に怒った。

 

 

…………

 

 

 白の世界は、他の3つの世界との距離を測るべく、全てにおいて静観を保っていたという。

 

 三島冬吾は白百合島のとある場所に足を運んでいた。とても重要な用事がある、と、彼のプログレスであるユーフィリアから伝言を聞いていたためである。

 

 Dr.(ドクター)ミハイル。白の世界で「ドクター」と言えば大体この人物を指す、というほどに有名なアンドロイド技師だ。冬吾が向かっているのは、白百合島に設置された彼女の出張ラボだった。

 去年、そこにはアンドロイドの調整の為に何度か行っていたため、特に道を間違えることなく到着する。ラボは3階建てと低めだが、敷地面積がやたらに広いため、狭いという印象は全く受けない。施設の裏には広大な庭園(という名の飛行訓練場)もあり、来るたびに冬吾は、贅沢してるなぁ、と思う。ミハイルは白の世界にだっていくつか研究施設を持っているのだ。

 とはいえ、どうせ大した用事ではないだろうというのが冬吾の所感だった。相手が目上の人間であるため逆らう気にはならないが、そういえば前回呼び出しを食らった時は、脳波に反応して展開する装甲を自慢されただけだった(仕組みもそれなりに教えてもらったため、勉強になったのは事実だったが)。

 

『おはようございます。ご紹介の方ですか?』

「おはよう。三島冬吾です。えと、ドクター・ミハイルに招かれてます」

『少々お待ちください。――――シェイプ・チェック。確認できました。三島冬吾様、ミハイルラボへようこそ』

 

 入口の門の前で、来客対応用のAIと手慣れた風に会話し、門を開けてもらう。今でこそ普通にやり取りしているが、初めての時は、それこそカルチャーショックだらけで、興味津々でAIと会話していた結果、門の前で10分も使ってしまった。

 

「おはよう、冬吾。時間通りだな」

「おはようございます、ドクター・ミハイル。お出迎えして下さるなんて珍しいですね」

「たまには外の空気を吸ってもよかろう」

 

 冬吾の前に現れた、白衣を纏った女性こそ、Dr.ミハイルだった。(つや)やかな黒い髪をポニーテールに結い上げており、少しキツそうな印象を与えるツリ目には真っ赤な(ふち)のメガネをかけている。30代だと聞いているが、その美貌にはまったく曇りがない。とはいえ、それはきちんと手入れされていればの話で、少なくとも今の彼女の美貌は、目の下にできた濃い隈によって台無しにされていた。

 

「また寝てないんでしょう? 隈がくっきりですよ」

「まだ67時間しか起きていない。今日来た奴のせいで、この分だと最長記録更新かもな」

「ちなみに最長記録は?」

「計った中だと278時間と34分ってところだな。さあ、付いてきなさい」

 

 うわぁ、それだと丸10日以上は起きっぱなしってことかよという表情を浮かべる冬吾の前をずんずん歩いていくミハイル。エレベーターで3階に上り、そこから一番奥の部屋を目指している。そこは冬吾が何度か訪れた、ミハイルの私室だ。

 

「ユフィとテルルとナナは?」

「下の階で調整中だ。テルルの腕部装甲の故障箇所の修理、ユーフィリアのエンジン点検、ナナの薬剤補充。やることはいくらでもある。そういや、デルタがセラフィック・ブースターの新型を持ってきていたな……まあ、調整が終わり次第引き合わせるさ」

「へぇ……マスターが、新しいセラフィック・ブースターを……って」

 

 え? 何と引き合わせるって?

 と冬吾が聞くよりも前に、ミハイルが自室のロックを解除し、ドアを開いた。その中には、大きなぬいぐるみをぎゅっと抱いた1機のアンドロイドが、ぺたんと床に腰を下ろしていた。そのアンドロイドは、ドアの開く音に反応して、こちらを見た。まず、ミハイルを。そして、視線が冬吾に移った。

 すっ、という音が聞こえそうなくらいに透き通った眼差しが、冬吾の視線と交差した。目が、逢った。

 

 これが、運命、なのだろうか。

 

 その一瞬は、永遠だった。冬吾の頭の中に、彼女の情報が流れ込んでくる。短くカットされたサラサラの白い髪、側頭部に装着された脳波増幅装置、額に描かれたプロダクトサイン、何の感情も感じさせない口元、起伏に乏しいボディライン。そして何よりも、磨き上げた水晶玉のように澄んだ、瞳。全ての要素が時計を動かす緻密で精巧な歯車のように噛み合い、その美貌のアンドロイドを作り上げていた。

 

「今朝一番に来たんだ。バイタルコードΩの46。プロダクトコードOHP-232、セニアだ」

 

 ミハイルの言っていることは、ほとんど冬吾の耳に入っていなかった。唯一理解できたのは、

 

「セニア……」

 

 彼女の名前。

 冬吾がぼんやりとその名前を口に出すと、またそれに反応したのか、アンドロイド――セニアはぬいぐるみを置いて立ち上がった。小さい。身長が150センチもないことは明らかだ。182センチある冬吾の胸に頭が届くかどうか、というくらい小さい。

 

「セニア、これが――」ミハイルは冬吾の背中をぐいと押して前に突き出した。「――今日から()()()()()()()()()()

「えっ? 聞いてないんですけど」

「言ってなかったからな」

 

 完全に初耳だった冬吾は、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。せいぜい新装備を自慢されるだけかと思っていたのに、予想外過ぎた。

 泡を食う冬吾をよそに、セニアは冬吾の全身をくまなく見回している。セニアの内部プログラムにセッティングされたマスター認証(イニシャライズ)システムは、彼女が生まれてから初めて使用されていた。

 緊張しながらセニアの認証を待ち……セニアが長く2回、(まばた)きをした。それからぺこりと一礼し、口を開いた。

 

「おはようございます、マスター。SW=コードΩ46、セニアと申します。どうぞよろしくお願いします」

 

 鈴を鳴らすような柔らかな声とは裏腹に、口にされたのは鋼鉄のように硬いフレーズ。アンドロイド特有のヤツだが、ここまで『機械っぽい』アンドロイドは見るのすら初めてだ。

 

「ほら、まずは名乗ってやれ」

 

 ミハイルが耳元で囁いた。それもそうだ、と冬吾はセニアに向き合う。

 

「えと、三島冬吾です。よろしく」

 

 やや緊張気味の名乗りを聞いたセニアは、トコトコと冬吾に近寄ると、彼の胴体――主に肋骨のあたり――をペタペタ触り始めた。冬吾の7割程度の大きさもないであろう彼女の手のひらが彼の上半身の上を滑り、非常にくすぐったい。

 

「ちょ……何すんの!?」

「申し訳ありません。認証の過程をひとつ飛ばしていたのを失念していました。マスターの感触を調べています。シェイプ・チェックと顔認証は偽装される恐れがあります。セニアには触覚が存在するため、上半身の形状を記録するマスター認証システムが搭載されています」

 

 一通り触り終えて満足したセニアは、1歩下がって再び腰を折ると、その水晶玉のような目で冬吾を見た。

 

「非礼をお詫びいたします。改めて三島冬吾様を、セニアのマスターとして登録しました。以後、どうぞよろしくお願いします。マスター」

「あ、そ、そう……よろしく、セニア」

 

 冬吾は引きつった笑いを浮かべながら、横で腹を抱えて笑いをこらえていたミハイルに耳打ちする。

 

「……この子、誰が作ったんですか?」

「もちろん、私だ」

「じゃあ、触覚使用のマスター認証システムなんて機能を積んだのも?」

「無論、私だ」

「この子、今何歳ですか?」

「まだ5歳だな」

「……今の、そんなに面白かったですか?」

「客観的に見て、相当面白い」

 

 笑いのツボが致命的にズレているミハイルは放っておくことにした。きっと、設計した本人だからこそ面白いのだろう。それならそれで、余計にムカっとくるものがあるが。

 セニアは冬吾を見上げたまま、微動だにしない。命令されるのを待っているのだ。

 冬吾はそれを、異常に感じた。

 

「……ホントに、バイタルがΩの46なんですか?」

「本当だ。なんなら、設計図を見せようか?」

「いや、結構です……」

 

 アンドロイドには固有名称の他に、《プロダクトコード》と《バイタルコード》という、2種類の識別方法がある。

 プロダクトコードとは、その名の通りアンドロイドの制作規格(プロダクト)としての識別コードで、セニアの場合はOHP-232。これはそのアンドロイドの製品プロジェクト名や型番などが縮めて付けられることが多い。つまるところ、セニアは「OHP」規格アンドロイドの「232」号機ということになる。はっきり言って、単一個体を識別するだけならこれのみで十分と言える。

 そして、それとは別に存在するバイタルコード。これは当該アンドロイドの「機械パーツと生体パーツの割合」を示す。「機械化率」を示すΩと、「生体使用率」を示すΣ、どちらかの記号のあとに続く数字が、記号の示す割合のパーセンテージとなる。バイタルコードがΩ46であるセニアは、「Ω=機械化率」が「46」%である、ということだ。余談だが、逆に先頭の記号を「Σ=生体使用率」にした場合、その数字は100-46で「54」%になる。バラバラなのは、使用するアンドロイド用の兵装の規格のせいだという。

 

 これを踏まえて冬吾が異常に感じたのは、セニアの機械化率が46%である――逆に言えば、半分以上が生体パーツ、即ち「生きている」――にも関わらず、彼女が余りにも「機械らしすぎる」ことだった。冬吾の知っているアンドロイドは数体存在するが、その中にも、セニアよりも機械化率が高い個体はいくつかあった。しかし、彼女の「機械っぽさ」は郡を抜いていて、正直、そこらのAIよりも機械らしいと言っていい。少なくとも、性格面においては。

 

「こんなに柔らかいのにな……」

 

 セニアの、如何にもぷにぷにしていそうな頬っぺたを優しく摘まんでみる、と、想像以上の柔らかさだった。餅肌という言葉は確かに存在しているが、今感じている柔らかさは、まさに餅肌としか表現のしようがない。そして、当のセニアは、まるで表情を変化させない。

 

「感情の変化が鈍い――というか、感情はあるんだが、表に出てこないだけらしいんだ。ま、いろいろ試してやってくれ、()()()()?」

「なんだろう、なんか腹立たしいんですが」

 

 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて肩を叩いてくるミハイルを横目で睨み付けてみるが、元の顔が優男のため、いまいち決まらない。それよりも、とりあえずテルルに食べさせる用に買ってきた飴の袋がバッグに入っていることを思い出した冬吾は、袋を開けて一粒取り出し、包み紙を剥がしてセニアに渡した。キラキラしたザラメの付いた、青いサイダー味の飴だ。

 

「マスター。これは何でしょう」

「何でしょう……って、飴玉だけど」

「如何なる用途に使用する物ですか?」

「如何なる用途……って、食べるため、かな」

「しかしマスター。この物体は食料としては硬度が高すぎます。錠剤のように飲み込むには体積が大きすぎます」

「……ドクター。ホントにこの子、5歳ですか? 飴玉なんて3歳児でも知ってますよ」

「5年間の内4年間は凍結状態にあった。活動時間は1年……いや、それ以下だな」

 

 それを先に言ってほしい、という言葉を飲み込みながらセニアを見ると、渡された飴玉を不思議そうに眺めている。

 

「マスター。この物体は食料よりかは、むしろ芸術品ではないでしょうか」

 

 微妙にズレた指摘がセニアから入る。そういう観点はなかったなぁ、と妙に感心してから、笑いをこらえているミハイルを横目でチラ見して、この親にしてこの子有りか、と若干ため息。

 

「……セニア、飴玉は噛むんじゃなくて舐めるんだよ。ほら」

 

 冬吾は自分も袋から飴を取り出して、口に放り込んだ。幼い頃に食べた記憶が今でも残っている、冬吾の一番好きな飴玉だ。

 セニアは興味深そうにそれを見つめた後、おもむろに自分の手のひらの上に置かれた飴玉を口に入れた。

 

「どう?」

「……甘いです。糖分が多量に含まれているのですね」

「そうだね。それが飴だよ。覚えた?」

 

 セニアは、しばらく飴を口の中で転がしていた。白の世界では摂取したことのない、異常な量の糖質。こんなものを日常的に食していたら、あっという間に健康状態が失われてしまうだろう。しかし、

 

「……はい。記憶しました」

 

 セニアは、どことなく満足そうにそう言った。その様子を眺めながら、冬吾はセニアの頭に手を伸ばし、その髪をやさしく撫でた。セニアは特に反応を示さず、ただ熱心に飴を口の中で転がしていたが、偶然にも、冬吾の方もよく分からない満足感を感じていた。

 

 

…………

 

 

 赤の世界は、古より伝わる伝承に従い、すべての世界に対して和合の使徒を送ったという。

 

 昼食を摂り終えた春樹と美海は、鐘赤島の中でも人気が高いビーチである『コーラルビーチ』へとやってきていた。

 

「うわぁ、すっごい綺麗!」

「夏になったら泳ぎに来るか?」

「うん! 行きたい!」

 

 旅行会社のパンフレットに描かれた嘘くさい透明な海よりもずっと透き通った海に興奮を隠しきれない美海。コーラルビーチはその名の通り、少し沖に出ると広大な珊瑚礁が続いている。オーストラリアのグレートバリアリーフまでとはいかないが、世界でも有数の珊瑚礁だ。しかし、青蘭諸島の閉鎖性により、取り上げられることは少ない。

 ビーチ周辺にはレンタルで泊まれるログハウスがいくつかあり、ホテルも存在する。ここは青蘭諸島でも数少ないリゾート地なのだ。他には、青蘭島南部の『サファイアリゾートベルト』に加え、賢緑島にも点在している。

 レストランでの食事は、かなり気に入ってもらえた。昨日冬吾と一緒に来て、美海にはどれが合うだろうと2人して考えていたのは内緒だが。

 

「ねーねー、足だけなら入ってもいいかな?」

「まあ、いいんじゃないか? タオル持ってる?」

「持ってるよ!」

 

 ポシェットからタオルを取り出した美海は、それをポシェットごと春樹に押し付けると、靴と靴下を脱いで海の方へ行ってしまった。なんとも行動力に溢れる少女だ。海に入っていいか、と尋ねてからまだ30秒も経っていない。

 春樹は砂浜に腰を下ろして、きゃあ、つめたーい! とはしゃいでいる美海を眺める。夏場にはなんだかんだ言って毎年来ているので、流石に昨日はここに来なかった(野郎2人で海というのもなんだかアレだったので)が……今感じている、この不思議な感覚はなんだろう。ここでこんな感情になったことは、今まで1度もない。

 寄せては返す波、ひとつとして同じものはない。成長して自分も変わり、もう元には戻らない、ということなのだろうか。そうだとしたら、少し物悲しい気分になる。いつか自分は、こうして水と戯れる少女を、ただぼんやりと眺めていることができなくなってしまうのだろうか。そして、こんな感情を覚えることすら忘れてしまうのだろうか。

 美海はプログレスだ。これから先、体の成長及び劣化は急激に遅くなる。それは果たして『変わらない』ということなのだろうか。それとも『変わりにくくなる』のか。まだ16年しか生きていない春樹にはそんなことが分からないし、当然美海自身だって分かるはずはない。

 そもそも、『変わる』とはなんなのだろう。自分の今の生き方――スタンス、心の持ちようは、年齢と共に『変わる』のだろうか。死ぬまで今の生き方を変えずにいられるかと言われれば流石に違うだろうが、なら1年後、5年後、10年後――自分は『変わっている』だろうか。

 1年後のことは分からないが、1年前なら分かる。そして、自分の心が1年前と今とでは、少し変わってしまっていることも。大切な人々を失って、『変わる』ということを考えている今と、そもそもそんなことを考えてすらいなかった1年前では、一目瞭然だ。

 なら、大きな衝撃がなければ人は『変わらない』のだろうか。体が変化し続けているのに、心が変わらない、などということはありえない。だとすればそれは、『変わっていない』のではなく、『変わっていることを認識できない』というだけのことなのか。自分は5年後、10年後に生き方が変わり、あまつさえそれに気が付けないのか。

 

 寂しい。

 

 ふと春樹は、自分の心がそんな感情を抱えていることに気付いた。理由はさっぱり分からないのに、浅瀬に立ってはしゃいでいる美海を眺めていたら、急に涙がこみ上げてきた。潮風が目にしみたというわけではない。慌てて目を拭い、頭を振って気持ちをリフレッシュ。

 どのくらいそうしていたのだろう。飽きもせずに水面に立つ美海は、何やら貝殻を探しているようだ。確かにコーラルビーチにはきれいな貝殻がよく転がっているし、たまに大きめの珊瑚の欠片も落ちていたりする。島の工芸品店で、それらを加工したアクセサリーも売っている。

 

「春樹くーん! 見て見て―!」

 

 美海がこっちこっちと手招きしてくるので、腰を上げて近くに行ってみる。美海の手には、蛋白石(オパール)のような光沢を持つ貝殻が握られていた。

 

「ほら、すっごくキレイ!」

「後で工芸店にでも行くか? そういうのをアクセサリーに加工できる体験みたいなのできるけど」

「え! 行きたい!」

「それじゃ、さっさと海から上がりな。もう10分も経ってるぞ。このままじゃ日が暮れちまう」

「そだねー。あ、でも砂がついちゃう……」

「ほら、あそこの桟橋に座って待ってな。水買ってくるから」

 

 少し離れた場所にある木製の桟橋を指さすと、美海が何か言うよりも前に、春樹は駆けだした。どうせまた遠慮合戦が始まってしまうだろうから。

 この数日間で分かった。美海のそういうところは確かに美徳ではあるが、少し()()()きらいがある。先輩であり、曲がりなりにもαドライバー候補にしているであろう春樹に、もう少し委ねるのが普通ではないのか、と思う。少なくとも、《彼女ら》はそうだった。

 それとも。

 

 ――残りは、内緒です!

 

 彼女も隠しているのかもしれない。その隠し事が、過度な遠慮を生むのかも。案外、引け目を感じているのか?

 しかし、それも全て春樹の中での想像に過ぎない。単に美海が超絶謙虚な良い子ちゃんだということも十分に有りうる。

 

 自販機でペットボトルの水を買って桟橋へ戻ると、美海は言われたとおりに桟橋に腰掛け、水平線で曇り空と繋がっている海を眺めていた。その横顔はどこか寂しげで、それとは別に、浮世離れした《何か》を湛えているかのようだ。

 まるで、ここではない、別の世界を見ているかのように――

 一瞬、話しかけるのを躊躇う。その横顔を見ていたかったというわけではない。何故か、邪魔してはいけない気がしたからだ。

 

「……美海、ほら。これで足を洗いな」

「あっ、春樹くん。ありがとね」

 

 春樹は美海の隣に腰掛けながらペットボトルを渡した。彼女の笑顔は、先程までの元気が削がれたように淡い微笑だった。この数分に、いったい何があったのだろう。

 

「あのさ、春樹くん」

 

 美海が足を流しながら、ポツンとつぶやく。

 

「綺麗すぎるものって、なんかさ、怖くならない?」

「え?」

 

 あまりにも予想外の質問に、気の抜けた声が出てしまった。美海は、果たして自分が口に出していることを認識しているのかしていないのか分からない、ぼやけた表情をしている。

 

「昨日ね、夕玄島で夕日を見たの。私、怖かったんだ。綺麗すぎて。なんていうか……触っちゃったっていうか……()()()()……ホントは、触っちゃいけないのにね……」

 

 春樹には、美海が言いたいことがなんとなく理解できる気がした。春樹にも、似たような体験があるからだ。

 それは幼い頃、山の上にあるホテルに泊まった時。早朝、陽光に照らされた雲海を目の当たりにした時。まるで、ボロボロになった壁を、今にも巨大な力が突き崩そうとするかのような、その黄金に煌めく、ひび割れにも似た幾筋もの光に、心を奪われた。そして、()()()()()()()()のだ。その荘厳さに。

 人の手では変えられない、世界の真理。美海の言葉を借りれば、世界の、その()()()

 感慨に浸りながら美海の横顔を見る。と、何かがおかしい。普段は焦げ茶色の瞳が、淡い青色の光を帯びている。

 

「おい、美海? ちょっとこっち見て」

「え?」

 

 軽く美海の肩を掴んでこちらを向かせると、瞳の奥で揺らめいていた青い光は、既に薄れており――――消えた。

 

「あ、あれ? 私、今何を……?」

 

 我に返ったように辺りを見回す美海。自分が何を言っていたのかも自覚がないようだ。

 

 ――――気のせいだったのか?

 

「春樹くん、どしたの?」

「いや……なんでもない。ただちょっと、元気なかったぞ」

「そう? 私はいつでも元気だよ!」

 

 濡れた足をタオルで拭きながらにこやかに答える美海。今は普段と大差ないようだが……先程の美海は明らかにおかしかった。いったい何故なのだろう。

 

「あのさ、美海」

「なあに?」

 

 ふと春樹は、自分が美海に対して隠し事をしていることを思い出した。やたらにデカい奴と、小さい奴。小さい方をバラしてみて、もし大丈夫だったら、あるいは…………

 この小さな嘘でさえ、センチメンタルな気分に浸っている今でなければ、言えない。

 

「俺さ、美海に嘘ついてた。昨日は俺が友達に誘われたって言ったろ。あれさ、実は俺が友達を誘ったんだ」

「えっ、どうして?」

 

 わずかに滲んでいるであろう失望の色を見ないように心がけながら、言葉を紡ぎ続ける。

 

「この島、俺、好きでさ。ここには毎年来てるんだ。夏になると暑いから、海水浴したいじゃん。でも、じゃあ他にこの島のこと詳しいかっつうとそうでもなくて……でも、美海にはここの、っていうか青蘭諸島のいいところ、たくさん知ってもらいたかったんだ。だから昨日、友達を誘って下見に来たってわけ。偉そうに解説とかしてたけど、あれもほとんど付け焼刃の知識でな……だから……」

 

 失望したか?

 そう話を結ぶよりも前に、美海は、

 

「そうだったの。ありがとう!」

「え?」

「私なんかのために、わざわざ下見までして、いいところを教えてくれたの? 嬉しいなぁ。おかげで私、鐘赤島が大好きになったよ!」

 

 美海の顔いっぱいに浮かんでいたのは、満面の笑み。戸惑いながら春樹は尋ねる。

 

「……怒ってないの?」

「なんで怒らなきゃいけないの?」

「だって、嘘ついたんだよ?」

「そうだけど、正直に話してくれたから、別にいいよ。それに、悪い嘘じゃなかったし」

「……そっか。優しいな、美海は」

「えへへ、そーでしょうそうでしょう。私は心が広いのです」

 

 冗談めかしてそう言った美海は体を傾けて、ことん、と自分の頭を春樹の肩に預けた。

 

「み、美海?」

「でも嘘吐いたからね。ちょっとだけ、こうしてもいい?」

 

 美海は海を眺めながら、妙に艶のある声で言った。

 

「まだ、見てたいんだ。春樹くんと、この景色を」

「……そうか」

「それに、流石にちょっと疲れちゃった。あはは」

 

 春樹はついうっかり、美海の肩に手を伸ばしかけて――止めた。美海とは、そういう関係じゃない。《まだ》ではなく、《決して》。

 そのせいで、春樹は《大きい方》の嘘を口に出すタイミングを見失ってしまった。言わなきゃいけないのに、今、言えたのに……。

 そのまま2人とも無言で、しばらく海を眺め続ける。視界の向こうにある賢緑島の上空には(ハイロゥ)が無いが、機動隊の基地から輸送機が飛び立つのが見えた。

 

「それじゃ、行こっか!」

「そうだな。まだ見せる場所はあることだし」

 

 ――弱虫。

 

 と、下に向けた視界の中で、キラリと光るものがあった。

 

「よし、行くか」

 

 と言うやいなや、春樹は桟橋を飛び降りて、足のバネを効かせて下の砂浜に着地。見つけたものを拾う。

 それは、先程美海が見つけたものと似た、綺麗に煌く貝殻だった。

 

「ほら、これもアクセサリーにしてもらおうか」

「あ、キレイ!」

 

 エクシードを使い、砂を巻き上げながら降下速度を落として着地した美海が、春樹の差し出したそれを受け取る。しかし、美海は何かを「うーん」と考えて、言った。

 

「でも、どうせならさ――――」

 

 

…………

 

 

「楽しかったなぁ」

 

 美海と春樹は寮へ帰るバスの中、最後列に座っていた。

 

「今日はありがとね。また誘ってね!」

「ああ。それじゃ、また」

「うん、またね~!」

 

 寮の前に着いたので、美海はバスから降りる。大きく手を振ると、春樹は小さく振り返した。

 今日は、途中から春樹の様子がおかしくなった。おかしいというか、少し元気がなくなったというか……桟橋に座って海を眺めていた時に、またあの『自分が浮き出る』感覚に襲われ。春樹の元気がなくなってしまったのは、その辺からだった。

 

「私、何か悪いことしちゃったかな……」

 

 春樹に別れを告げるとき、「誘ってね」などと美海らしくもない消極的なセリフを言ってしまったのは、春樹に対する申し訳なさが募っていたからだ。本来なら「次はどこ行こっか!」と逆に誘いにいってもおかしくないのが美海だ。

 今になってようやく雲は晴れてきて、夕焼けが綺麗だ。寮の正面からは3つの(ハイロゥ)がすべて見えるため、これはこれで幻想的だ。昨日の夕玄島で見た夕日も美しかったが、これも相当なものだろう。美海は写真を1枚撮って、あとで春樹くんに送ろう、などと考えていた。

 春樹の様子は、元気がなくなったというよりは、『枯れた』と表現する方がいいかもしれない。初めて美海と出会ったとき、岬で見せた、あの透徹した視線を持つ表情。心の底を見透かしているかのような、あの目。

 美海は、春樹のことが好きだ。男性として……はどうなのか分からない。今まで恋愛などしたことがないから。だけど、彼の優しさはなんとなく、甘えたくなってしまうような包容力がある。その優しさは、大好きだ。

 しかし、その裏側で彼にそこはかとない恐怖を覚えているのも確かなのだ。あの美しい、悟りに満ちた視線。美海が頑張って隠しているはずの《それ》を、まっすぐ見つめる瞳。

 

 美しい。

 だから、怖い。

 

 寮の入口で寮母の小春さんに今晩の献立を聞き、カレーだと言われて嬉しくなり、自室へ駆け上がるスピードが上昇。

 2階へ到達し、すぐさま一番奥の自室に着く。鍵を開け、リビングに入った。

 

「え?」

「え……?」

 

 その光景は、実に美しかったのだ。だから……というわけではないが、すぐには動けなかった。

 

 彼女は、窓から差し込む夕日を全身に浴びていた。艶やかな黒い髪は日を受けて煌き、こちらを見つめる視線は水晶のように透き通っている。健康的な肢体は芸術品のように滑らかで、腰から臀部に至る曲線は、同じ女性である美海すらも魅了した。

 が、美海が完全に凍りついたのは、どちらかといえば美しかったからではなく、彼女が着替え途中だったからだ。しかも上半身は裸で、下半身も下着のみだった。

 美海は、自分の胸の大きさが平均以下であるということを自覚しており、密かなコンプレックスでもある。対して目の前の彼女は、決して大きすぎず、だからといって小さいわけでもない、まさに理想的な大きさの胸だった。しかも、形がいい。カップは綺麗に整ったお椀型をしていて、その先端はツンといじらしく尖っている。

 なぜ美海はここまで事細かに状況を観察できたかというと、美海だけでなく、目の前の少女も完全に凍りついていたからだ。

 沈黙が部屋に充満する。その間に、少女の顔はみるみるうちに赤らんでいき……そして、

 

「きゃあああああ!?」

 

 その沈黙は、絹を裂くような彼女の悲鳴とともにあっさりと破られた。美海は、わたわたと手を振り回して、頭に浮かんだ弁解の言葉を必死に垂れ流すので精一杯だった。

 

 

 美海と沙織は、こうして出会った。

 

 

 

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