【習作】アイツが転校してこない世界で   作:死んだ骨

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 これは、ただの青春を謳歌する少年が、たった一つの偶然が引き起こすのをはじめとして彼女の戦いに介入する物語。
 現実じゃない。でも紛れもない現実。いままでの時間は嘘じゃない。否定されていいものじゃない。否定されないためにも、覚悟を決めているのなら手助けをしなければ。
 ずっと前に決めたのだろう。

「……俺が、守るっ!!」

 そう十年も前に誓ったのだから。


1章
魔法使いの夜① 


 美咲市総合病院。そこには、一人部屋の病室に何人かの教師が、入院している生徒の様子を見に来ていた。

 心配をしていた教師の一人が彼に声をかける。

 だが、彼から帰ってくるのは生返事ばかりであった。

 教師と目線の合わない彼。その焦点の矛先はただ、窓を通して見える雨雲だけだった。

 その日の教師達の試みは、今日が初めてではなかった。これが、三日目なのだ。

 医師はカウンセリングを彼にしているようだったが、それすらも聞き入れはしなかった。

 そして四日目の本日。

 美咲高校の教師の一人、彼の担任である山城 和樹は切り札に頼るべく、手にずっしりと伝わる重い黒電話に手を伸ばした。

 

 内容を省略すれば、結果は成功。電話に出た彼女の説得は成功し、無事手がつけられない彼に対して切れる手札のジョーカーを呼び寄せることができた。

 生憎の雨で、しかも昨日徹夜でもしていたのか彼女の顔は優れない。顔つき自体はいいが、目の鋭さによって損なわれている為、彼女の可憐さは微塵も感じられない。

「それで、山城先生。アイツは大丈夫なんですか?」

 事前連絡もなく呼び出された彼女は当然、事の顛末を知らない。風の噂で事故にあったことは聞いていたが、わざわざ彼女自身が呼び出されるほど手がつけられないとは想像が及ばない。

 普段から温和で笑顔が崩れない人であって、彼女にとって山城 和樹は教師像としては最低の部類だと判断している。

 そんな先生がいつにもまして温和さが垣間見え無いということは、それ程の大事であることを証明している。

「まあ、命に別状はないって医師の方から説明はされているんだけど。そのね、彼に何を言っても無反応なんだよ。心ここにあらずってところかな。僕には手のつけようがないよ」

「――まさかアイツ、精神に異常でもきたしたんですか?」

 彼女の口からは、とても彼がそうなるとは考えていなかった様子が(うかが)える。

 現に山城は、彼女と彼が小さい頃からの幼馴染という情報を知っていたからこそ彼女を呼び寄せたのだから。その彼女にも反応を示さないとなると完全にお手上げになってしまう。

「それがたまに反応はあるんだけど、全部生返事なんだよ」

 彼についての話をしていながら病室に向かっていたので、すぐに彼の病室へと着いた。

 山城が先に彼女が病室に入るのを進める様を見て、それを彼女は半眼で見る。要するに一人で戦場にいってらっしゃいと、自分は引っ込んでいるからという意思表示を彼女は確かに受け取った。

 案の定、病室に入った彼女は山城の言う「手のつけようがない」という意味が瞬時にわかった。

 まず、部屋の空気からして死んでいた。

 まるで人がいないような空き部屋。確かに存在するはずなのに、それを感じさせない薄れた気配。

 そんな雰囲気を壊すように彼女は窓を見つめたまま身動きのない彼の正面に立つ。目に付いた首に掛けてあるアクセサリー(・・・・・・)に、病室でも付けるのかと呆れる。

「……ちょっと」

 彼の顔の前で手をひらひらと翳してみる。それでも彼の視線は動かなかった。

 そんな反応に苛立った彼女はきっちり彼の焦点の先から逆に辿るように睨みつける。その距離実に15センチもない。

 そこでやっと彼の目先は彼女を捉えた。

 

 澄んだ瞳。長いまつげ。嗅いだことのある香水の匂い。見知った髪の長さ。学校の中で最高峰の凹凸をもつ彼女の姿。それを彼がこの距離で見間違えるはずもなかった。

「……何だ、青子か。いつにもまして目つきが悪い。睡眠でも邪魔されたのか」

「ええ。(まもる)のせいで折角の休日の睡眠を邪魔されたわ」

「俺のせい?」

  その返答は間違いなく青子の言わんとすることを理解できていない証拠である。

「そうよ。護が先生達の声に全く反応しなくて、医師のカウンセリングも同様に無視するから、わざわざ生徒会長兼幼馴染の私が来たわけ」

  わかる? と嫌味ったらしい言葉遣いの彼女に彼は情けないと頭を抱えた。

「それは悪かった。今度、何か旨いものでも奢るから許してくれ」

 柔らかい笑顔で彼は青子に謝る。両手を顔の前にやるその姿からは、とても先ほどまで教師たちの声を耳に入れていなかった様子は伺えない。

 ――だが、一見何の問題もないように見えるが、青子にはしっかりと彼の違和感を感じ取っていた。

 まさにこれを幼馴染の勘と言わずして何と表せばいいのか。

 幼馴染の僅かな変化を見つけた時は、こんなにも置いていかれた気分になるだろうかと青子は考えた。

 ということは、二年前のあの時から彼女が決定的に変わってしまった時の護は、一体どんな気持ちだったのか想像に難くない。

 きっと、聞けなかったんだ。青子自身、話す気のないオーラを全身から放っていたからなのか、彼からその変化を問われる事はなかった。今の今まで一度も。

 ただ、その日を境に幼少の頃から仲の良かった二人の間に微妙な亀裂が入った。

 高校から二人を知った人達はきっと、さぞ仲睦まじい姿に見えるのだろう。

 けれど、中学の二人を知っている人からすればその距離には開きがあるように見えるのだ。

 距離自体はそう開いていないが、深い溝が確かに存在する。見えない壁が、確かにあるのだから。

 ただ、そんな彼からは聞いちゃダメというより、聞いて欲しいという雰囲気が青子には伝わった。

「じゃあ今度近くで出来たお店連れてってよね」

「ああ。まかせろ」

 やはり、その顔には違和感がある。

 聞くなら今だ。それを逃すと更に距離が遠ざかる気がする。例え何時か完全に分かれることになっても、今だけはこの気持ちを享受したかった。

「……護」

「ん?」

「……迷ってたみたいだけどさ、結局決められたの?」

 その彼女の問いに虚をつかれたように一瞬だけ呆然とした。すぐに済まし顔に変わったが。

「まあ、決めたよ」

「…………」

「俺、サッカーやめることにする」

 覚悟はしていた。彼からどんな言葉を漏らされても動揺しないと決めた青子は言葉には出さなかったが事実心では動揺していた。

 護がサッカーをやめる。

 それがどういう意味を持つのか。

 ただの一選手が辞めるのなら別にそれ相応の事情があるだけだが、青子にとってそれは信じられない事であった。

 彼がサッカーを始めたのは小学校に入学してすぐのことだ。

 放課後に試合をしていた上級生を見てから一目惹かれて始めた競技であったから。

 彼の才覚はすぐに芽を出しあっという間に少年サッカーチームのレギュラーに選ばれていた。ユースの誘いもあったらしいが、部活動での試合に参加できなくなることに納得できずに辞退。

 そして二年前、中学二年頃には県選抜入りをしていたのだ。

 部内で選ばれたのは彼ただ一人のみ。何の取り柄のない美咲高校の部活動で唯一名が上がる程の人物。

 約十一年ひたすらに打ち込んできた青春を捨てると、彼は言ったのだ。

 

 その彼を見て、どこか青子は自分と似ていると微笑んだ。

 彼女にも決断しなければいけない選択を迫られた過去がある。

 その選択に後悔はないし、これからもきっと同じままだろうと。

「そう。護が決めたなら、それで納得のいく理由があるんでしょう。なら、私から言う事はないわ」

「……ありがとう」

「でも、うちの学校部活動に入ってないとダメなの知ってるでしょう。早く次の居場所見つけときなさい」

「……まあ、決めてはあるよ」

 あっさりと言う彼はきっと入院してからの三日で悩む時間があったからだろうと思い当たるのは簡単だった。

「手続きは私がしといてあげる」

「流石会長さまさまだな」

「ただとは一言も言ってないけどね」

 そのにっこりスマイルの彼女に彼は思わず吹き出した。

「抜け目ねえな青子」

「護、それは褒め言葉として受け取っておくわよ」

 そして互いにそれぞれ進むべき道に進むだろう。

 その道が交差するときは、もうすぐだ。

 

「いいからとっとと帰れよ。俺はもう一人になりたい気分なんだよ。思春期ってやつよ」

 話は終わったと、それを表すため彼は解散宣言を下す。

 聞いて欲しいことは聞いてもらった。なら彼女にもう用はない。

「あらー? それがわざわざ来てくれた幼馴染に対する言葉?」

 今まで客用の椅子に座っていた青子が護の腰掛けるベットにするりと移り彼の隣に擦り寄って肩をぶつける。

「な、お前病人に何てことするんだよ! この鬼会長が! だから皆にあおあおって呼ばれんだろうが!」

「あおあお言うな!! 鬼会長は許してもいいけど、あおあおは止めて!!」

 

 そして二人の暴言のぶつけ合いは一時間も続くことになり、結局は言いたいことをぶちまけてスッキリして仲直りするのが彼らの日常だ。

 その日の夕方、彼――神崎(かんざき)(まもる)は空を見上げていた。

 念のため、あと一日だけ入院してからの退院という結果に彼女のおかげでおさまり、今日がこの病室で過ごす最後の夜を迎える。

「……俺は、一体何を忘れているんだろう」

 呟いた言葉の意味を、彼は理解していない。

 何を忘れたかを忘れているため、思い出そうとしても全く出てこないのが悩みの種。

 ただ、彼の場合は違うのだが。

 その答えはぼんやりと月を見ながら――。

「【運命の夜】って、一体なんのことなんだ」

 

 

 翌日午前、退院手続きを済ませた護はすぐ隣の合田協会へと歩みを進める。

 随分前に改装されて現姿に様変わりした協会の手前、そこに年にたった数回しか合わぬ人物がいた。

「失礼ですが、どちらのお客様でしょう」

 そう言って、言葉を続けようとする彼女の発言を止めるように。

「護ですよ、唯架さん」

 お、これはという反応とともに、目を閉じたままの彼女が何の迷いもなく傍まで歩いてくる。

「護さんですか。例年通りなら訪れるのは少し先ではなかったと記憶しているのですが」

「まあ、ついこないだから今日まで入院してたんですけど。退院したんで。せっかく近くにあるんだから寄っちゃいました」

 入院という言葉を聞いて心配する顔があらわれる。

「此処に居るということは問題ないということですか」

「ええ。それと、確かこの時期って掃除するはずでしたよね。良ければ手伝います」

「それは感謝します。一応ボランティアのチラシは配布しているのですが人がいなくて」

「まあ、そう簡単に来れる所じゃないですからね」

 雰囲気的に、思わず口からこぼれた。

「それも護さんのおかげで何とかなるでしょう。貴方なら時間はかからないのですから」

 彼の掃除スキルを知ってるからこその信頼であった。

「もちろんです」

 慣れてますからという言葉は、彼女の前では不要であることに違いはない。

 

 外の窓ふきを僅か一時間程度で終わらせ、室内の掃除も同じく一時間で片付けた彼は唯架にことが終わったと伝えてすぐにアルバイトに向かった。

 

 

 その次の日の夜、彼はすべてを思い出す。

 

 バイト帰り、ただその日は夜道を散歩でもしたくなった軽い気持ちの寄り道であった。

 否、予感めいたものが頭から溢れ出て、胸騒ぎが止まらなかった。

 普段通らないような道をわざわざ通り、家に帰るのを躊躇うように道草を食う。

 そこは昔、何度も遊んだことのある公園を前にした時だった。

 耳をつんざくような爆撃音。

 それは爆竹などでは考えられない騒音であった。そのことから、即座に脳内にあった爆竹を使って遊んでいる様な輩とは逸脱した存在であることを把握する。

 だと言うのに、静まり返った空気。まるで活動しているのは目の前の公園だけのような錯覚。

 咄嗟に身を潜めた自分を評価したいほどに張り詰めた空気であった。

 草木から盗み見る光景は、とても今までの生活の中で信じられるものではなかった。

 二人組の女性が、裸のような格好をしている髪の長い女の人を殺している。殺された女は、たった一瞬でしか見ていなかったが、とても生きている人間の動きじゃなかった。

 厳密に言えば、髪の長い片割れが同じく髪の長い女の人に向かって手をかざして燃やしたのだが、ふとそれをしでかした犯人の人相を見て目を見張った。

 澄んだ瞳。長いまつげ。嗅いだことのある香水の匂いまでは感じ取れないが。見知った髪の長さ。学校の中で最高峰の凹凸をもつ彼女の姿。例え大量の人ごみの中でさえ彼女を区別できる彼にとって犯人を特定するのに数秒とかからなかった。

「誰!?」

 そして、彼女の掛け声とともに最高速度の反射でその場を駆け出した。

 息を切らせながらとにかく走る。渾身の力で地面を蹴り、腕を振り続ける。

 自然と足が向かう先は大通りに向けて。

 道中、始終護の頭はパニックそのものだった。滅多に見られない光景に頭の回転は速くなっている。

 "……青子が人殺しなんてあるはずない! " 

 否定する最中、どこか間違っていないと肯定する自分がいた。

 頭痛が鳴り止まない。あの場で彼女に見つかったその瞬間から、彼にとって知らない知識が次々と波のように押し寄せてくる。

 知らない友達。知らない家族。知らない町並み。知らない道具。知らない学校。知らない歴史。知らない自分。まるで追体験するように頭を駆け巡ってゆく記憶の数々。

 彼女が何者なのか。中学卒業とともに青子が変わった理由。あの場で青子の隣にいたもうひとりの少女の名前。知らない世界。知らないはずの魔術について。知らないクソ爺。会うはずのなかったこの世界の住人なら誰でも知っていそうな偉大な二人目。その後の、彼女の姉、仲の良かったあの人の正体。

 それらすべてが実を結び消え去っていた主人格が呼び覚まされた。

 

 既に、彼は大通りのベンチに腰掛けていた。

 肩で息をする様はとても冗談には見えない。

 顔をよく見れば血の気など全くなかった。

 この季節に血の気のなさ。今にでも寒さに震えそうなほどなのに、冷や汗は止むことはなかった。

 それでも、彼は必死で考え抜いた。自分がここにいる理由。

 そんなもの、わかるはずがないのに。堂々巡りになることを理解する。

 存在理由に対する思考はすぐに捨て、別のことについて頭を巡らす。

「……この時期なら既に山から降りてきてるはずなのに! アイツが、芳助と俺がいるCクラスに転校してきてないって、……じゃあ、一体誰があの狼を倒すんだ……」

 そんな事、わかりきっているのに。体中が汗で濡れながらも彼の思考は冴え過ぎていた。

 自分が置かれている状況に、これからどうなるのか、何をしなければならぬのか、どうすれば彼女たちを生存させられるのか。似たような状況下に置かれる話を何度も見た。想像上のものでも、自分も体験してみたいなんて夢物語に溺れていた。

 即ち、その手は自分に委ねられていた。

「……無理に決まってんだろッ!!」 

 当たり前だ。

 彼は山から降りてくるはずの彼とは違う。

 正真正銘ただの一般人だ。記憶がちょっとばかし戻っただけの人間だ。

 手段など、何も持ち合わせてはいないのだ。ただ一つだけ、気まぐれで貰ったものはあるが、それでどうにかなるはずもない。

 そして、その日から震える手を必死で抑えながらいずれ来る死闘の日までに。頭を抱えながら、ただ時間を浪費していた。

 

 

 巡る日。退屈な古典の授業。活用系だとか一度目の高校生活でうんざりするほどの厄介さで何とか五段階評価の3を獲得することができたそれをもう一度など死んでもゴメンだと思っていた。

 事実、死んだのだから間違ってはいない。ただ、明確にどのように死んだかは覚えていないし記憶も実は曖昧だ。詳細に覚えているのはこの世界についての知識のみ。

 そして、昨日の光景を目の当たりにして落ち着いて夜は眠れるはずもなく、怯えたまま朝を迎えた。

 自分がこれから鳶丸に昨日の事を告げ口するとしても、未だにこの震える手は収まる気配がない。

 四時限目の授業を締めるチャイムの音に合わせ、一斉にクラスメイトがお食事モードに移行する。

 それを証拠に今日も恒例のアレをするらしい。八人分の机をくっつけて、鎮座する余り缶のピラミッド。

「芳助、俺は今日パスするな」

 申し訳ないとポケットに手を突っ込みながら片手を額に当てて断る。

 その言葉を聞いた男子からクレームが一斉に押し寄せる。

「おいおい護! 逃げる気か! "逃げない不死鳥"様がまさかそんな! いくら病み上がりでもそれは許されんー」

 "逃げない不死鳥"だなんて、知らない人にとっては意味のわからない単語に、懐かしいとは思うが申し訳なさそうに芳助に謝る。

「今日は先約があるんだ、悪いな」

「くそーー! 腰抜けはほっといて、俺たちでこの缶詰の処理をはじめるぞ!」

 男子共を一致団結させる芳助のリーダーシップには恐れ入る。

 すぐに廊下に出るとばったり鳶丸と出くわした。

「なんだ、生徒会室で待ってろって言っといただろ」

「いや、念のためだ。まだ病み上がりだろう?」

 不器用ながら心配してくれるその姿は、何とも言えない優しさ――いや、素直に友情を感じる。

「殿下も心配してくれることなんてあるんだな」

 護の言葉に、恥ずかしさか顔を赤らめて激高する。

「うるせーー! さっさと行くぞ蒼崎大好き魔め!」

「鳶丸。それは褒め言葉だ」

 はっきりと、真顔で言う。

 護の真っ直ぐさに、己の失言に後悔するように頭を抱える鳶丸。

「ああー! お前なんか蒼崎にのされちまえばいいのに」

  それは自分がされた事をやはり根に持っているからこその言葉なのだろう。

  事実、それを機に鳶丸は青子の事を女としては見なくなったほどだ。

「そんなことは起きないぞ」

「んでだよ」

「俺が負けるに決まってるから、そうなる前に謝ってる」

 そう断言する護に情けねえと言いたげな鳶丸の顔が見える。

 だがすぐに鳶丸も嫌悪感あふれる顔に変わった。

「それは一理あるな」

「腹パンで気絶したときのこと思い出したか?」

 腹を抱えながら面白おかしく指を指す。

「くそ!  あんな出来事忘れられるかっての」

「アイツ何だかんだ言って、実は蹴り主体なんだぜ」

 その怒りをぶつけるようにたどり着いた生徒会室のドアを開ける。

 部屋に入った途端、鳶丸の目つきは変わった。

 同様に、護も静かにドアを閉めて、昨日から振るえ続けている手(・・・・・・・・・・・・・)をポケットから出した。

 お互いに無言。

 話を受ける万全の状態で鳶丸は護の対面に腰掛ける。

「それで、何があった」

 その言葉は予め護が今朝のうちに聞いて欲しいことがあるといったからだ。

 その時の護の様子は尋常ではなかった。

 何かに怯える子羊のように。

 これまで護のそのような姿を見たことのなかった鳶丸は真剣に話を聞く。

「――昨日、人殺しを見たんだ」

 

 

 その少し前、彼女は2ーCの教室まで訪れていた。

 語ることでもないが、彼女は数分後には生徒会室に来るだろう。

 きっと、その時には彼のすべきことは終わっているのだが、彼が生徒会室で彼女と鉢合わせした時の反応は想像に難しくない。ただ、気取られないように一言交わすだけ。

 その出来事によって、今日の放課後に彼女の探す人間の居所が顕になるのだから。

 

 鳶丸に前日見たことを話したあと、彼はすぐに家に帰って運動着に着替えた。

 自分に出来ることはこれだけしかないと、それをしていないと時間が無駄なように感じられるほどイメージを止めなかった。

 例えどんな形であれ、もしその場面に立ち会った時に恐れないように。アイツと同じ事はできなくても、先を知っていればその分時間短縮くらいは出来る。

 ただ、あいつほどの身体能力と精神力を持ち合わせていない護は、それを補う為に今もそのイメージを明確に自分自身の身体能力でどこまでできるかを想定して、その分何ができないのかを想定する。

 きっと怪我をするだろう。怪我の範囲で収まればいいほうだ。それでも、動けるのならあとは我武者羅に知っていることをこなせばいいだけなのだから。

 それを成せるか否かわからずとも、やらなければならないのだから。

 もし明日の夜の決戦を超えても、神崎護が金色の狼に勝てるすべは一つもない。

「それでも、……勝てない相手に挑まなければならない。此の身はただ彼女のために」

 覚悟が有れば、施しはやって来る。

 

 後ろに、赤い影が迫ってくるなんて――

 

 

 次の日の放課後。

 神崎護は一つも授業を聞いていなかった。決して教室に居なかった訳でない。

 意識は常にキツィーランドでの戦闘を想定する。

 時間さえ稼げれば、必然とあの人形はやって来る。

 そうすれば自分が殺される期間は伸びる。

 そして、自分が出来る最低限のフォローをしなければ明日は拝めないし、次のブロイ戦で協力できることもないだろう。

 そんな事を永遠と頭の中で巡らし遂には放課後。

 クラスにいたのは芳助だけだった。

「護! 大丈夫か? 意識あんのか!?」

「悪い。大丈夫とは言えないが、ありがとう芳助。お前のおかげで戻って来れた」

「戻ってこれたって! 本当に大丈夫なんだろうな? 実は脳に問題があるんなんて事になったら俺、――」

 ここらから心配してくれる芳助に、護は救われた気がした。確かに何時もバカ騒ぎしている能天気な奴だけど、根っこは本当に優しいいやつだ。相手に気が使えるだけでも十分なのに、こいつは人の心を掴むのがうまいと思ったことが何度もある。それはきっと嘘偽りない欲望に直向きな馬鹿だからこそだろう。

「心配するな。俺にはやらなきゃいけない事がある。それまでに死ぬ訳にはいかないから、先に行くぞ」

「ちょ! 置いてくなってー!」

 一回に降りて、やっと騒ぎに気がついた。

 校門前に人だかりができていて、その先を見れば見知った顔がそこにあった。

 芳助を人ごみに置き去りにして、さくさくと歩みを進める。

 抜けた先には、青子と、これが初対面になる久遠寺 有珠。

 此方から伺えるのは、お前を待っていたと彼此十年以上の付き合いの護でも二度も見たことがない程冷徹な眼差しを向けられた。

 そんな珍獣の様な雰囲気を発していても、神崎護は何も知らないと猫を被って話しかければならない。

「青子、ここで一体誰を待ち伏せてんだ」

 そして、一瞬の確認として久遠寺 有珠の視線が青子の目を見て視線を切った。

「……結局、そうなるワケか」

 彼女が零した意味を理解しておきながらも、とぼける事しか今はできない。

「ずっと此処にいたら風邪ひくぞ。それと、陸上部の手続きありがとうな。あの日以来、お礼言ってなかったからさ」

「それって、御礼参りってこと?」

 その言葉に動揺を外に出さなかった自分に驚いた。

 青子が言った言葉は"アイツ"の場合と同じ御礼参りだった。

「なんで俺が、普通逆だろ青子。報復されるなら、俺の方ってことじゃねえのか?」

「分かってるじゃない」

「伊達に幼馴染やってないからな。それと、休める時に休めよ。じゃないと体を壊すぞ」

「別に、護に心配されることでもないから」

 冷たい返しに護の顔は怪訝そうに青子を見つめる。

 青子にとっては高校になってから見慣れた顔であった。

 彼女の、安易に事情を聞くなという意思を護が受け取った証拠と言えるのだ。

「……じゃあ用事があるからまた明日」

 そして背を向けた彼に声をかける。

「ちょっと待って、意味のない例え話だけど聞いて」

 その答えはもう彼の中で決まっている。

「――――」

「貴方が空腹で死にそうな時、側に同じ空腹で死目前の二匹の動物がいるとするわ。護に銃をあげる。それでどちらかの動物を撃って。右はライオンで左は子猫。選ぶのは貴方の自由だから」

 護は青子が何を期待してるかよく分かっていない。けれど、この質問は彼にとって未来を示すことになる話だ。そんな事、十二年も前に決めてある。あの爺さんにも同じことを言った。

 一泊おいただけで、彼は口を開く。

「自分の命を賭けてライオンを殺すさ。結果はどうであれ、命の奪い合いだ。人間では絶対に勝てない相手でも、手段が手に入るのなら可能性はある。俺はライオンから猫を守るために盾となり矛となるさ」

 あっさりと自分を壁にして確実に戦うと言った。

「……早死にするわ、アンタ」

「そうだな、どれだけ足掻いたってあと数週間で死ぬ命だ。それが成功か失敗かなんて判らない。なら全力で残りの余生を楽しむだけだ」

「……え?」

 満面の笑みで見つめられて、呆然とした青子。

 すぐに彼の言葉の真意を確かめようとするが、彼は忽然と姿を消していた。

「どういう事よ、それ」

「青子」

 処刑の鐘ならぬ番人の声がする。

 それがどういうことかもう確信せずにはいられない。

 あの日に見ていたのは神崎護その人だった。だが、彼の言った意味に困惑しながらも、彼の処刑場は変わらずに時間は回る。

 

 決戦の夜、落ち着かない気持ちを紛らわせるために町を徘徊した。空を見上げれば、"月"なんてものはどこにもない。雲が多くて判りづらいが、確かに見当ることはなかった。

 もしかしたら今日で最後になるかもしれない町並みを見るのも、なんだか気持ちの整理ができていなくて、もやもやしている為実感がわかない。ついでに、必要な物の調達も終えてる。

 午後九時になったのを腕時計で確認し、住宅へと歩みを進める。

 郵便ポストに入れてあった手紙に何が書いてあるか、それが何なのか護に理解できないはずがない。

 一旦家に入り、調達してきたそれに細工をして、それを隠すように服の下で胴体に巻きつける。体に当たる金属部分が冷たいが、いずれ収まると意識しないで再び家を出る。ドアノブにカギをかけて、手に持つ二つの物を裾を上げて巻きつけた。決して外れないように、また、防御面でも役に立つことを祈ろう。

「キッツィーランドに来たはいいが……」

 知っている内容の記されている手紙を念のために読むが、その指定場所は変わらず、彼は目的地へと到着していた。

「本当なら、中学卒業して春休みに青子と来る予定だったんだが、二年も遅れちまったな」

 静かに履く吐息。

 どうやって生き残るか。

 確信はない。

 けれど、その足は勝手にあのハウスに矛先を向けた。

 人の気配のない閉園した遊園地。

 その目的地へとついた途端、きっと真後ろにいることを信じて呼びかけた。

「で、青子。要件は何だ。夜中にこんなとこに呼び付けて」

「な!?」

 かろうじて、ゴミ箱に突っ伏することはなく踏みとどまった。

 数瞬の後、物陰から出てくる彼女。

「――――」

 その姿は彼女の体のラインを強調しているような服だった。

 顔もよし。スタイル良し。性格も、付き合う側に耐性があれば何も問題のない高物件。

 それでも、彼女の冷めた眼差しは、確実に何かを実行するという決意のもとにある。

「……此処で、どうするつもりだ」

「アンタがそこに入ったら私も追って出口を封鎖して、逃げ道をなくすつもりだったのよ」

 それは失敗したけどね、と彼女は肩を落とす。

 再度、決意に溢れた目で、彼を睨む。

「私はね、本当はアンタみたいな人って嫌いなのよね」

 一歩踏み込む彼女の突然の独白に、心臓はずきりと痛みを上げた。

「無神経に人の家の事情を聞いておけばいいものを、変に空気を読んで聞かないことが私のためになると考えて、これなら、初めからそんな優しさなんて見せなければよかったのに」

 その先は、彼でも分かる。

「私は、私の感情を揺らす人が嫌いなの」

 ふと伸ばされた右手。

 瞬間、一秒もかけずに顔の真横を通り抜けた。

 吹き荒れる砂埃、破壊音、それが人体に当たれば重症以上の結果は余儀なくされるだろう。

 今先ほど彼女の得意とする魔術が齎した後ろの光景など目もくれず、護は青子を睨みつける。

 " 一撃目が外れてくれたのは本当に良かった "

 もし、それが確実に当たるものとしたら彼に次はなかったのだから。

 一発、その魔術の早さがどれくらいなのか彼は正確に判断した。

「――――は」

 目で捉えられるのなら、全ては避けきれなくても急所から外すことはできる。

 それなら、この場であの展開に持って行ける確率はある。

 彼には自信がなかった。

 彼女の放つ魔術が一体どれくらいの速度を持っているのか。

 本来なら、此処にいるべき"アイツ"はそれまでの生活もあって、動体視力に関しては比べ物にならないほど護より上なはずだ。

 その"アイツ"が魔術にギリギリでついて行けるってことはどんな意味なのか。

 正直、反応することさえ不可能ではと考えたが、どうやら奇遇であった。

「それで、あの場所で見知らぬ彼女を殺したのか」

「今ので理解できたんでしょ? 二度目になるのよね、アンタにとっては」

 いや、肉眼で見たのは二度目だとは口が裂けても言えない。

「あ、命乞いは意味ないわよ。恨み言はいくらでも。殺す側の義務として、一言一句聞いてあげるわ」

 殺す側の義務、そんな優しいものは殺す側には必要ないと考えるのは不思議じゃないと思う。

 彼女の意見は、殺す責任としてそういう類の言葉はしっかりと戒めとして刻むのだろう。忘れないために。

「遺言はもちろん聞いてくれるんだろうな?」

 変に物分りのいい彼に、違和感を感じながらもどうせ実感がなかったり、突然出来事で恐れの神経でも麻痺っているのだろうと彼女は考える。

 そんな彼に現実を突きつけようと決めた。

「アンタが諦めるのなら、聞いてあげる」

 その返答を合図に、再び右手は掲げられた。

「運がなかったわね。語れることはないけど、アンタには死んでもらう。魔術は隠匿するもの――て言ってもそっち側には関係のないことだしね。大事なのは、アンタが私に殺されるってことだから」

「それは、俺を殺すってことで間違いないんだな!」

 蒼く光るのその腕。

 "あの刺繍のような模様は、魔術刻印でいいんだよな"

 余計な知識が頭をめぐる。

 他の人物で言えば、直ぐに思い当たるのは遠坂凛だけだ。彼女の場合は左手の先から肩にかけてびっしりと刻印詰め尽くされていたイメージがあったが、青子はそれほど無い。そういえば、イリヤには体全身にあったような気がするが、あれは令呪だった気がする。

 場違いな思考の中、魔術の起動音によって現実に呼び戻される。

 そして青子の腕から連続で魔術が掃射される。

「だから、そう言ってるでしょうがっ!」

 刹那、彼はミラーハウスの中に逃げ込む。

 初めて入ったミラーハウスの通路を駆け、非常に後悔しながら嘆いた。

「こんなんだったら青子と来るために温存するべきじゃなかった!」

 やはり、好きな女の子とは新鮮さを味わって楽しみたかったものである。

 だから、男友達と来た時だってこの施設には入らなかった。

 それがこんな結果になるなんて、やっぱり自分の行動に苛立ちを覚える。

 全力で走っていたためか、長い通路はすでに終盤を迎え、ロビーに躍り出た。

 青子との差はかなりある。

「足速くてほんと良かった……!」

 一階が逃げ道のないことは知っているため、二階の階段をめがけて走る。

 そして、ホンの少し息を整えている合間に青子はロビーにたどり着いた。

「アンタ速すぎんのよ!! それに二階に上がるって一階の出口封鎖した意味ないんじゃない!」

 忠告して二階に上がらせるのが魂胆であったのだろうが、前提が間違ってる。

「それにしても、お前俺に追いつけんのか?」

 階段の上から見下げるように視線を射抜く。

「舐めんじゃないわよ!」

 怒りによって振るわれる腕によって発射される魔弾は彼には当たらない。

 それで、不思議そうに自分の腕を見ていると判断したのか、ふふーんと気になるんだと言わんばかりに微笑む。

「これね、いつもは薬で見えないようにしてるんだけど今日は特別。アンタには分からないでしょうが、魔術刻印っていってね魔術師の証みたいなもんよ」

「魔術師ってやつは皆お前見たいに魔弾を撃ちまくるのか?」

「さあ? 私が知ってるのはたった数人だから。ただ、今日は何時もより調子が良くて効率がいいから、うん、あと40は受けられるわよ」

 げ、と呻き声が漏れた。

 彼女はその反応に満足しているが、彼は全く別のことでやらかしていた。

 全力で走ったせいで、彼女が"アイツ"の時見たいに撃ち流してないからその分、魔力の減りが無くて回数が増えてしまった。

「まあそれも、俺に追いつけたらな」

 そう言って走り出す彼。

 慌てて追いかける彼女。

 実際、二人の距離はみるみるうちに縮まっって行くことになった。

 青子にとって狙いやすい中距離。近すぎては接近という玉砕覚悟をされたら不利になるが、問題は護の足が早すぎたためその心配すらすることはなかった。

 確かに、小学生の頃から無駄にタイムはよかったと記憶している。

 中学でも、当然のように体育祭ではクラス内でタイムの早い人順に呼ばれる為、一番ではないが確実に二番手には選ばれる程だ。

 学年でも五人以内には入れる位ではと、中学の時のリレーを見て思う。

 あの時の四位という絶望的な状況をひっくり返したのも観ものだった。

 四人で走る750メートルリレーで、一番手は陸上部の短距離専門の子ができるだけ後ろを楽にさせる役目を買ってでた。しかし、その作戦は成功したものの、二番手の子が足をもつれさせて転倒したのだ。

 その合間にみるみる抜かれて最下位の四番手。

 三番目の選手も一般人に比べれば十分速いが殆ど変わらないため差が少し縮まる程度だった。

 そして、護が四番手からスタートしてすぐに距離を詰め、インコースを反則ギリギリで抜いてすぐに二着に踊りでて、そして最後の走者は150m×2の為抜かすには十分な距離がある。

 結果、死ぬ気の奮闘で神崎護はリレーで一位を飾った。

 最下位から一位などと体育祭では盛り上がる展開に不覚ながら青子もハイになっていた。

 同じクラスなので喜ばないはずがない。

 そんな話があれど、この場ではなんの意味もない。

 彼がこのミラーワールドに一度も入ったことがなかったのは幸いだった。

 もし道筋を知っていたら追いつくことなく逃げられていたかもしれない。それでも、万が一そのような事態を想定して準備は施してある。それも意味を成しそうにないが。

 結果、彼は鏡にぶつかるのに怯えながら急停止急発進を繰り返す。

 通路を曲がるときなど、進路がモロバレなので、ただそこに向かって魔弾を打ち込めば自然と護がその位置に行くことになる。 

 

 必死で避けながらただ奥へ、逃げぬく。

 正直、逃げきれると慢心した自分がいたことを彼は彼自身を愚かさで殴りたくなった。

 飛んでくる魔弾によって飛び散るガラスの破片。頬を切り血は流れ、魔弾が掠った右腕は火傷を追っている。

 時間が経つにつれ、彼女の魔弾の正確さはマシになっていった。

 初めのうちは見当違いな方に飛んでいたが、今では殆ど真横を通り抜ける。

 顔を必死で守りながら、腕や足、受けれるところで上手く掠めながら逃げる。胴体に掠めることもあったが、中に巻いてある物のおかげで怪我にまでは発展していない。ただ、本来の用途で使えなくなったらそれは発狂しそうなほどごめんだと。

「――――っ!!」

 ふと頭の後ろに感じた熱。

 迫り来る死の音に偶然足が縺れて転げ回った。

「――もう頃合か」

 動かぬからだ、溜まっている乳酸、まだまだ走れる体力は温存して、心は折れ始めていた。否、自分をそう思い込むことで顔に出すためだ。人間ってやつの思い込みはバカにできない。気分が悪いと思い込めば、それが強ければ強いほど本当に悪くなるものである。それを使用して、彼の顔は逃げるのを諦めた死を待つ人間と見えるだろう。

 もっとも、狙いは別にあるが。

 コツコツ、とブーツに付いているヒールの音が響く。

 気づけば、目の前に彼女がいた。

「もう降参?」

 幕引きは決まったと、無用心にも彼女が注意していた距離感を詰めた。

 仰向けに倒れながら、彼は甘いなと思う。

 そのまま、警戒して殺してしまえばいいものを、殺す側の義務とやらで律儀にそばに歩み寄る。

 もしここで飛びかかったらどうなるんだろうと考えるが、軽く蹴りを貰いそうだと笑った。

「どうして殺されるくらいかは気にならないの? 普通そういうもんじゃない?」

「……殺される理由くらい把握してる」

「ほんとに言ってる?」

 信じられないと、彼女の口から落ちる。

 しかし、すこし捻れば出てきそうなものだが。それは自分が襲われる立場とわかっていて精神状態が安定しているからだとは気づいてない。

「青子の言う魔術を、何も知らない一般人に見られたから、それを始末するためとかだろ。それにもし魔術があるとしても、今の今までそんな話が表社会に出てこないってことは、引き込まれたか始末されたか二択しかないと思うがな。まあ、記憶を消すって手が魔術には有るんじゃないかとは思うんだが、その手段は俺には向けられないんだろう」

 あってる、と顔で教えてくれる彼女に対して、申し訳なくなった。

 本当は全部知ってると、話したくなる気持ちなんてあってはいけない。

 彼という異物は、同じ異物でない限り話すことはないんじゃないかと思う。

 彼が昔、記憶を消される前に一度だけあったあの爺さんだけは特別だが。

 それも、話すことはないだろうが。最終手段としてはいつまでも残しておこう。

「まあ、お前が俺を殺して、決して踏み越えちゃいけない線を超えるってなら俺が犠牲になってやるよ。その代わり、遺言くらいは聞いてくれるんだろ」

「……ええ」

 彼がこの前自分の余生は数週間もないといったことの理由が分からぬ事と、余りの潔さに腹が立つ。確かに彼女は彼が殺そうとしているが、自分の死を決意することはそんなに簡単なのか彼女には知り得ない。

「――まあ、何だ。とりあえず家族には、今までありがとうだけでいいよ。迷惑いっぱいかけたくせに、恩返しは一度もできないまま。……クマにも謝らなきゃな。急にマッドベア辞めたら迷惑になっちまうが、仕方ない。芳助にも鳶丸にも、心配してくれてさんきゅなって。お前らは本当にいいやつだった」

 遺言は聞くと決めたが、初めてのその重さは計り知れなかった。心の奥で、殺したくないと訴える小さい自分がいる。それを大きい彼女が咎める。お前の決めたことはそんな事で曲がるのかと。

 それでも、こんな言葉、彼女が受け止めるには重すぎた。

「それと、青子。……お前は本当に、物心着く前から一緒だったよな。いつも一緒で、どこにでも二人で行ってた。橙子姉【ねえ】の嫌がらせに何度俺が巻き込まれたか覚えらんねえ程あったよな」

 拳が信じられないほどキツく固められる。

 はたしてそれはどちらの拳だったのか。

「なあ、お前が変わったのって、魔術のせいか?」

 はじめて、彼の口から聞かれたあの日からの事を。その言葉は、紛れもなく、記憶が戻る前の神崎護本心の言葉だった。魔術をしらなかった彼では見つけられなかった変化の理由。

 最後だから、彼女は素直になろうとする弱い心が悲鳴を上げる。

 だが、強い彼女の心がそれはダメだと押さえ込む。

「……その通りよ」

「は、まあ良いか。もう関係ないことだし」

 関係ない、そんなこと言って欲しくなかったと青子は泣きそうになる自分と、振るえる口のせいで何も言えなかった。

「それよりも、たださ、これだけは約束して欲しいんだ」

 強い決意に満ち溢れたその瞳。

 吸い込まれるように見つめる青子。

「……幸せに成らなかったら、呪い殺すから」

 そんなこと、無理よ。と彼女は全霊を持って感じた。

 何時も側にいた。

 居るのが当然で、彼は彼女の半身で。

 周りにカップルと見られても気にならなかった。

 お互いに、それ相応の感情は持ち合わせている。 

 それでも、今まで余りに近すぎていまさら大事なその言葉がどちらも言えなかった。

 そして、言えないまま、彼女はその日から魔術を知った。

 ずっと言えないまま、最後の機を迎えてしまった。

 良いのかと、このまま彼を殺して心の奥にあったその言葉を伝えなくて。

 今彼は、踏み込んではいけないと判断していた事について問うことができた。

 それはこれが最後だと思っているから踏み出せた一歩だと彼女は考えた。

 なら、彼女も踏み出すべきだと、そう口を開けようとして彼にありえぬ言葉を浴びせられた。

「――辛気臭いイベントは御終いだ。友達が来てるぞ、青子」

 顎で後ろにいるぞと示して、そんなばかな、と振り返る青子は驚愕に目を見張り硬直した。

 その瞬間、彼――神崎護は準備態勢からいつでも動ける体制に移行していた。

 次に呟かれる発生音と共に全力で彼女を助けるために。

「――え、人形……?」

 幽霊のように、何食わぬ顔で此方を見据える。

 遠目からでも、確かにその異様な存在感を放つ彼女の造形にそっくりである人形。

 狩りの時間だと言わんばかりに対象にされた青子。

 瞬きひとつの間に、その右腕は真っ直ぐ伸びる。

 そのあまりに突発的出来事に硬直したままの彼女は避けられない衝撃に身を打ち引かれる。

 それを。

「ちゃんと出来た。案外いけるじゃないか!」

 興奮した護が青子を抱き寄せて回避した。

 急な抱き寄せに慌てて彼から離れて、困惑する。

 それは確かに避けれない物だったはず。

 事もあろうか、彼は硬直した彼女を抱き寄せて鏡に寄り掛かるように回避した。

 言葉にすれば簡単でも、それを実行できるとはわけが違う。

 何でそんなことが出来たのか、ただ彼を呆然とした姿で見つめるしかできない彼女だが、それを彼が言った言葉で現状がどれだけやばい事なのか認識できた。

「あの人形、この前青子が殺したやつじゃないのか?」

 するすると、元の居場所へ帰るように収縮していく右腕。

「それとは別物みたいね。あんな自動人形を使い捨てなんて、金持ちかそれとも馬鹿なのか」

 ぎらりと、完全に収縮の終えた人形が次のフェイズに移行する。

 だらりと降りた右とは別に左腕が伸びる。

 それを彼女が護を突き飛ばしながら魔術によって弾く。

 よし、と内心思ったのも両方だった。

 彼女が初手のアレを喰らわなければ撤退することにもならない。

 けれど、それではあの地下を圧殺する方法は使えず、戦いを続行する。

 なら彼がすべきことは何か。

 一般人らしく、彼女の手を引いて逃げるのみ。

「行くぞ!」

「ちょっと……!」

「いいから!」

 そう言って手を離して彼女を自分の前に配置する。

 それを先導しろという意味として理解した彼女は迷いなく走り回廊を曲がる。

「それよりもどうしてあの場面で私の手を引いたのよ! あそこで戦えばよかったのに」

「それは困る。あんな狭い場所じゃ巻き込まれるし、残念ながらまだ死にたくない……!」

「ちょ、それってどういう事よ。さっき遺言をつらつらと語ってたじゃない! それが今更――」

 信じられないと、今の今で考えが変わったのか、なんて薄情なやつ。と苛立つ顔。

「当たり前だろ! 言ったことは本心からだが、あれは青子が近寄ってくるためのブラフに決まってんだろ!!」

「騙したの!?」

「お前が油断しただけだ!」

 その言い合いも続けながら、四つほど通路を超えて少しだけ足を止める。

「どうするんだ」

 現状に、全く動揺もせずに事の決着をつけるか問う。

 その不自然さに、怪訝そうな目を向けて。

「やけに慣れてない? 護」

「――――!」

 想定もしない言葉に、心臓を鷲掴みされた気分だった。

「い、いや、実感がわかないだけだと思う。まだ実は混乱してるんだっ! あの人形に似たものを前に見たことがあって!」

「まあいいけどね、別に」

 そうやって、話を終わらせるつもりだったが、似たものを見たことがある、その言葉に目を見開かせて彼女は反応する。

「前に自動人形を見たことがあるの!?」

「前に、――っ!!」

「なんですって?」

 ぼろっと零しかけた口を慌てて塞ぐ。

 "迂闊だった……! "

 冷や汗が吹き出る。

 此方をギラリと見る彼女に、どう言い逃れするか。

 それを考えていたところに、ある意味救いの手が現れた。

 

 合わせ鏡によって映し出される人影が、人形が曲がり角の向こう側にいると教えてくれる。

 "ガンドが来るはずだ……!!"

「今の言葉、きっちり話してもらうからね」

 戦闘態という脱力の刹那、赤い青子の魔弾とは正反対を示すであろう玉が幾つか飛んでくる。

「っ、邪魔すんじゃないわよ……!」

 わけのわからない、彼が何を知っているのか、それを聴きそこねた怒りが障壁として右腕が振るわれることによって盾となる。

 防げたことに安堵したとともに、呪いを弾けるはずのない彼がどんな様になっているのか慌てて周囲を探るが、いない。と思いきや、背中に温もりを感じた。

「ちょっとっ! 何で背中にくっついてんのよ」

「仕方ないだろう! あんなの防げる手段なんて持ち合わせてないんだ。だったらその手段を持ってる青子に盾になってもらうのは当然だろう!」

 間違ってはいない。確かにその判断に誤りはなく正しいはずだが、彼を呆れたように睨む。

 普通、こういう場合の配役は逆であると思うのが女心。

 そんなことは今は考えるべきではない。

 それを教えてくれるかのように、護の気分は軒並みに上がって吐き気を催した。

 咄嗟に口を抑える。

 "防いだと思ったが、魔術回路に魔力を流さないと呪いは喰らうんだった!"

 青子の背中に寄り添いながら力なくうなだれる。

「大丈夫!?」

 その様子を見て、魔術回路を持たない護には呪いの対策がないと判断してもう一度腕を振るう。

「関係ないやつ巻き込んでんじゃないわよ……!」

 それを待っていたと、呪いではなく、右手が此方を指す。まず間違いなく伸びてくる腕を避けるために。

「行くぞっ!」

 額に汗を浮かせて、青子を横抱きにして走る。

 今の彼に彼女の事を抱っこする必要もないし、そもそもできない。

 精々横抱きにしてこの場から離脱することぐらいしか選択権はないのである。

 眼前に二階の中心、という場で歩を緩め青子を地面におろした。

 同時に、倒れこむようにガラスに体を預ける。

 熱にこそ発展しないもの、熱一歩手前の微熱状態が続いてるようで気持ち悪い。心なしか血色も悪く、軽い貧血症状が見られる。

 その様子を見て青子は、少し先の曲がり角に視線を向ける。

「護。二階は中心まで行くと下に降りる階段があるんだけど、それは私が壊したから使えない。でも、実は上級者用に分かりづらいけど右に曲がるところがあるの。抜け道ってやつね。アンタならちゃんと探しながら行けば降りれる階段までたどり着けるでしょ」

 その言い方は、アンタ一人で逃げろと言っているのと同じ。

 まるで時間を稼いでくれるみたいに、人形から逃げてきた通路側を通せんぼするように立ちはだかる。

「本来魔術師どうしの争いに一般人には手を出さないって決まりがあるけど、あの人形はそれを守ってくれない。目的はあくまで私でしょうから、行きなさい」

 それでどちらが勝ってもひとまず今日は逃げれるでしょう。なんてルールを守ろうとする彼女を見て、そうは行かないんだと、彼女を咎める言葉が喉で引っかかる。

「…………」

「方向音痴じゃないんだから、きっと脱出できるはずよ。それじゃ、明日また」

 身を引き締めて人形のもとへ向かう彼女の後ろ姿は、強がり精一杯の年相応の女の子だった。

 逃げたいと思う気持ちがあった。

 このまま逃げれば、俺は助かると。確信に似た事を知っている。

 だが、ここで逃げれば青子は”死ぬ”。

 あの人形の腕の伸縮によってあっという間に距離を詰められ、たった数センチの間合いで呪いを浴びせられる。

 それは魔術回路に魔力を流す彼女でも防ぎきれないほどのもの。

 後ずさる右足を、前に踏み出す。出口が塞がれていることは知っている。態々確かめに行く必要もないし、そんな時間は無いと考えたほうがいい。

「なら、俺に出来ることは一つしかない」

 彼女の境地を救うことだと、使命にも似た強迫観念が燃え上がる。

 その意思は、ただ燃え尽きるためにあるもの。

 恐れを持ちながらも、その足は静かに彼女の消え去った通路に伸びていた。

 

 戦闘音が聞こえる。

 それは徐々に大きくなり、確実に距離がもう少しというところまできているという事。

「アイツは人形だ。重心もあるはず、だから青子に集中している間に足をかければ――」

 オルゴールの音色が聞こえる。

 それはあの人形が発する呪い。

 "あの人"が作った自分を呪うことで永遠と起動する厄介なシロモノ。

 衝突音が聞こえた。

 それはどのシーンか。

「――負けるかぁ……!!」

 声が確かに届いた。

 例え、魔術回路のジャミングを受けていなくても、人形の新しいパターンにやられた。

「タイミングは――、人形の左手が青子の心臓を打つ前!」

 青子が壁際に詰められて、人形の腕が突き刺さった右手の方に転がる。

 けれど、焦点がずれ今にも倒れそうだった。

 それは護も同じ。

 抵抗のない彼では彼女より尚ひどい。

 けれどそれすらも意志力でねじ伏せる。とともに、経験というものはバカにできないと身にしみる彼であった。不思議と、何かに呪いを遮断されている気がする。これもあの苦痛のおかげかと思うと少し報われる気がした。 

 気怠さに負けた青子の心臓に、ついに左手が打ち込まれる。

 そう、まさに、左手が彼女を対象に決めたとき、彼は地面を狩るように、人形の足をかける。

 打ち出される人形の左手が方向を変え、地面に突き刺さる。

「二回目だぞ青子。敵の前で動けないってのは致命的だ」

 軽い貧血気味の彼女を今度こそはお姫様抱っこで抱えて逃走する。

 

 十分な距離をとったことを確認して彼女を下ろす。

 だが、またも地面に座り込んで壁に体を預ける。

 人を抱えて走るなんて経験は消防士でない限りそうそうある経験じゃない。

 希にサッカーで二人一組でおぶって走ることをしていなければきっと足がもつれていたことだろう。

 彼女の体重が決して重いわけじゃないが、結果的に内心で重いと考えてしまったことは口にはできない。

「ちょっと、アホマモ」

「んだよ」

 アホマモ――それは大いに馬鹿をやった時の神崎護の愛称と呼ばれるものだ。

 それが聞こえたということはそうとう怒っているか、自分の情けなさからか、護が彼女を助けた時にごくまれに聞くことのできる彼女のある意味デレ要素だ。

「いい気にならないでよね。あんな所に割って入ってくるなんて、自殺願望もいいとこ。殺す対象に恩を売られても曲がらないから」

「その対象に命を救われてもか?」

「あんたなんかいなくても対処は出来た」

 強がりだな――とは言える雰囲気ではなかった。

 もしかしたら、なんて考えも浮かぶが、結果的にこういう形に収まるならそれはそれでいい。

「……俺は今日は死ぬつもりはない。だけど、お前を残して逃げる正常な判断もできない」

 なぜ、と目で問われる。

「それが俺の"根源"だから」

 あえて、魔術師的な言い回しに有用した。

 それに僅かにも反応する彼女の姿は少し可笑しかった。

「それに一階の出入り口の通路、どうやら破壊されていた。俺の逃げる手段も元から消されてたってわけだ。ならお前のそばにいて出来ることをしたほうが生存率は大いに上がる。万が一青子が負けてたら俺も無残に殺られるだろうさ」

 急な話題転換に、何が言いたいのと無言のまま圧力をかけてくる彼女に告げる。

「まあ、あれだ。できるだけアイツ倒すのに協力するから、三週間だけ見逃して欲しい」

 まさか人形が逃げる通路を破壊していたことに、敵の徹底ぶりに称賛する。

 それに護の言いたいことも意味がわからない。

 その言葉は今日の昼前にも聞いた。

「それ、昼も言ってたけどどう言う意味?」

「……三週間のことか?」

「ええ」

 そんな彼女に、彼は静かな怒りの目を向けていた。

「――俺を殺す気のある"お前に"話すことなんて無い」

 そして、後悔した。そんなこと聞くべきではなかったのだ。

 殺す側は、殺される側のことに関与すべきではない。

「ごめんなさい。忘れて」

 なかったことにしてくれと、気の小さくなった彼女が地面を見る。

「ダメだ」

「え……?」

 どうしてと、呆然とした表情でこちらを見る。

「さっきも言っただろ。これでも俺は青子が固まってる時に何度も動いたし、役には立つ自信がある。体力はまだ十分ある」

「何ができるってのよ。魔術が使えないあんたに」

「それはお前が決めることだろう。ここでは俺は駒だ。大将のお前が俺に命令するんだろう」

 でなきゃ駒は動けないだろう? と真剣に言ってのけた。

 彼女は大きくため息をついた。

 まけたわー、とかつぶやいている。

 ただ彼女は気がついていなかった。

 護の汗の量が異常だということに。

 護は額の汗を拭う。

 "やべぇ……頭がガンガンする"

 顳かみを抑えて意識を保つ。

 気を抜けば倒れそうだ。

「アンタ……! さっき近づいたから呪いでっ!」

「こんなの十年前のクソ爺に食らったものに比べればマシだ」

 何よそれ、と状況を知らない青子が言う。

「それに十年前に今よりも辛いことなんてあったら大泣きしてるでしょ」

 当然のツッコミに苦笑いした彼。

「声すら上げられなかったけどなそん時は」

 締まらない。せっかくの雰囲気は彼との会話で消え去った。

 彼の会話に乗ったのも彼女自身だが、自然と一言二言言葉を交わすとすぐに冷徹な部分をはがされるような気がする。 

 どっかに隠れとけばいいのに、頭の隅でそう考えるが、先程彼は彼女のとなりが安全だと言った。

 きっと、どこかで隠れているよりかは彼女のとなりの方がよっぽど安心するんだと理解して、ちょっとだけ彼女は情けないと笑った。

「分かったわ。協力しましょう」

「その意見、乗った」

 やっぱ俺たちはこうでなきゃな、何て言う護は拳を突き出して彼女にも促す。

 それに応じて彼女も彼の拳に自分の拳を軽くこつん、とぶつける。

 その行為は、二人のあいだで慣れ親しんだ協力を示す証だった。

「じゃあ、護にはあの人形を引き付ける役を与えるわね」

「何か仕掛けでもあるのか?」

 その仕掛けは知っている。この屋敷を下の階層から崩して倒すことだ。

 あの衛宮切嗣もケイネス・エルメロイ・アーチボルトの拠点を破壊するためにやった方法でもある。

「実は、やり過ぎた感はあるけどまさか使うことになるとは思わなかったんだけどね」

「俺用の?」

「そ。屋敷まるごとぶっ壊す凄いやつ。もし護に逃げ切られた場合に用意してたんだけどね」

 その言葉を聞いて護は全身から冷や汗がだらだらと流れ出ることに気がついた。

 もし。

 もし、神崎護が蒼崎青子から逃走に成功していたらやるつもりだったことは。

「ひとついいか?」

「何?」

「もしの話だ。俺がこの迷路を知ってて、青子から逃げ切ってたら爆発するつもりだったとかある?」

 その問いに。

 当たり前じゃない。なんでそんなこと聞くのよ馬鹿ね。何て当然のように言った。

「ここやっぱり来なくて正解だったっ!! 何でそんなこと忘れてたんだよバカ野郎!」

 自分の頭をポンポン殴りながらしゃがみこんで暴言を吐く。

 そして数秒の後、護が口を開く。

「それで、どうやって俺はアイツを引き付ければいい」

 すっかり立ち直った護は青子に手段を聞く。

「私はさっきの右に曲がる抜け道から下に降りて仕掛けてた魔術式を発動する。せめて三分は引きつけて。其の間、護は円を描くマラソンをすればいいわ。鏡のつなぎ目で確認すれば上手くいく」

「距離を置いて、角を使って永遠と逃げのびればいいのか?」

「まあそんな感じね。ここなら左回りで六、三、七、二枚目にあるからぐるぐる回ってれば安全ね。それと、時間に余裕なんてないから、出来ることをやったら先に出口に向かうこと。それじゃ任せたわよ」

 そう言って種を返すように足音を抑えて消えていった。

「悪い、青子。『俺は嘘つきなんだ』って、言うの忘れてたよ」

 何故なら――

 自分を呪うオルゴールの音色が聞こえる。

 十メートル先の角から流れる。

 機械音にも似た足音が急に止まり、変化を始めた。

 生理的不快音には届かないももの、好意的には捉えられない音。

 それは人形が人型から蜘蛛のように携帯を変えたからだ。

「こうなるとは知っていても、気味が悪いな。燈子姉の趣味って前からこんなんだったっけか」

 護は応戦する事もなく、形を変えた"それ"は一階に降りていた彼女へと向かう。

 その光景を目の前にして頭を抱える。

「これで青子の事助けないと俺、生き残れないじゃん。まあ、蹴りと魔術を組み合わせた戦闘方法を見付けたのがこの戦闘だからいい経験になるはず……下手に手を出して影響を出すよりいいよな」

 そう思ってふと思い返すと。

「俺、青子の魔術回路をジャミングするアレ、避けさせちゃったよな……?」

 答えなど帰ってくるはずもない。心に残る僅かな不安を捨て。

 そして、彼がするべきことをする為に一階へと降りに行く。

 探し物は消化器なんて決まりはしっかりと覚えている。

 

 一分と少しして、急に変化は始まった。

「来たか」

 一階から地下に降りる階段の傍らで、消化器を持ちながら彼女を待つ彼。

 崩落してくるモノを、大きいものだけは避けてそれ以外は問題ないと意識するのをやめる。

 徐々に揺れは大きくなり、もうまもなくこの屋敷は崩落するだろう。

 ちらりと、青い光が地下に通じる階段から漏れた。

「――――」

 彼は振るえる足に喝を入れる。

 狙われてるのは青子だ。

 彼はただ、彼女に向かって伸びる手を消化器によって弾けばいい。

「それだけだ。できる、できる。できなきゃ――未来なんて無い……!」

 覚悟は緊張に固まる体を動かす燃料。

 それは確かに、彼女を助けるという名目でこそ回転する燃料剤になる。

 地下から出てくる。彼女。それは少し離れた位置にいる彼に気がつかず、少しの躊躇いを持って全速力で走る。

 位置は十分だ。彼は天井から落ちてくる破片と、地面に重なる障害物を蹴飛ばし、地下から彼女を追いかけて這い上がってくる人形を見て、出来ると、心にもないことをイメージする。はじめから出来ないなんて思ってたら、出来ることもできなくなる。そんな本心から思った言葉だ。

 青子の背後に付くように、彼もまた走る。

 そして、きっとガラスの破片で、地下から這い出る人形と、後ろに付く神崎護の姿に気がついたであろう。

 そして、人形から伸ばされる左腕。

 無我夢中で弾くように消化器を振り抜く。

「――――っ!」

 が、"アイツ"のように、並外れた精神を持つ者との差が出た。

 僅かに消化器を振るう手が遅れて、神崎護の脇腹を抉るように人形の左腕が掠めた。

 当然、回路も使えない、当然強化も行えない。そんな彼が人形の攻撃を受ければどうなるか、簡単だった。

 鈍い金属音がする。

「中に巻いてて助かった!!」

 軽くはないが、彼の胴体(・・)に巻きつけてあった"必勝"の為に必要な道具が、攻撃を緩和してくれただけのこと。

「っ護――手!!」

 ことを終えた彼の力なく垂れる腕を彼女につかまれて、消化器を手放してとにかく走る。

 並外れた二人の身体能力のおかげで、無事に崩落する廃墟から脱出して夜空を拝む事ができた。

 地響きが収まる頃には、心臓の鼓動も小さくなっていった。

 これで終わり。

 今日起こった厄災は幕を閉じる。

 何も知らない人間なら、そう思うはずだ。

 しかし、神崎護という人間には、まさにこれからが戦いだった。

 この瞬間から、気を抜くことなんて許されない。

 最大限の注意をする。

 そう決めて、彼女から生死を聞かれた。

「残念ながら、まだ死んでないみたいだ」

「ちぇっ」

 高校に上がってから聞いたこともない可愛らしいその言葉が、これから起こることに対する勇気をくれる。

 秘策なら、彼の胴体に巻きついている。

「で、護。アンタ役に立つとか言ってなかった?」

 ぎくりと、背筋が伸びる。

 目に見えて狼狽しながら答える。

「いや、その、あのお人形さんがさ、蜘蛛みたいな姿に変わってすぐに青子の方にいちゃったんだ! 距離をとってたから、とても向かい合う気になれなかったんです!」

「…………」

 彼女の視線が突き刺さり、自然と、悪かったと。

「ああ、わかったよ。覚悟なんてないけど、殺るって言うならスパッとどうぞ。あと何年かしたら、井戸からテレビを通じて青子のとこまで化けて出て行くからな」

「なによそれ」

 意味のわからない彼の言葉にぶすっとして。

「未来で大ヒットするホラー映画ってやつだよ」

「未来でもわかるっての? アホらし。まさにアホマモね」

 そう言って、決意を見せるかのように立ち上がる彼と彼女。

 彼の目は納得が言ったようには見えないが、彼女の方ではそれについては良いかななんて思い始めていた。

 彼女がここぞというところでミスをしたとき、きちんと護はそれをフォローしていた。

 そういえばと、彼女は昔を思い出す。

 中学二年といえば、だれでも思春期の男は荒れるものだと。

 その例に漏れず、神崎護も荒れていた。

 持ち前の175を超える身長を活かして、サッカーで培った肉体を使い、男友達とつるんで敵対していた男どもと喧嘩していたことだってあった。

 それは全校生徒の知ることであり、神崎護については特に噂が広がっていた。

 俗にいう、"逃げない不死鳥"だと。

 一体一だと神崎護に勝てるものは少なかった。

 彼よりガタイの良いのをぶつければ足止めは出来ても、持ち前の身体能力で、持ち前のずる賢さで、あらゆる手を使って相手の手段を封じて倒している。とてもじゃないが、中学生では歯が立たなかった。

 だが、そんな彼でも三体一になれば勝てるはずもなかった。

 二人によって押さえつけられれば抜け出せることなどできず、余った一人にされるがまま。

 だが、本来の状況は違っていて、護の仲間の二人が倒されたことだ。

 動けなくなった仲間をかばい続けて結果的に三体三が、一体三になっただけのこと。

 敵の三人は、何度も何度も仲間を庇う神崎護を殴り続けた。

 それがどれだけ続いたか。

 人は全力で殴ることを繰り返せば疲れてくるものである。

 まるで喧嘩の時間だけ、マラソンを続けているみたいに、疲れが貯まる。

 それを証明するように、神崎護はどれだけ時間が経とうとも、決して倒れることはなかった。

 ダルマのように、転べば、また立ち上がり、転べば、再び立ち上がる。

 どれだけ殴られようとも、仲間だけは殴るなと、標的は俺だと言わんばかりに、何度も相手に向かっていく。

 そして付けられたあだ名が"逃げない不死鳥"。

 決して一騎当千でない。

 数に頼れば簡単に勝てる相手。

 だが、その闘志に相手は敗北したのだ。

 殴り疲れた敵の三人はこれ以上やっていても無駄だとと分かり、喧嘩には勝ったのに、心で負けたようなそんな気分を胸に逃げ帰った。

 それが神崎護。

 そんな昔話を青子は思い出して、笑う。

 "こいつは、私を置いて逃げなかった。それでいっか"

 なんて、ここ二年の青子では考えもしなかった甘い事に満足する。

 役割はロクにこなせてはなかったが、しっかりと守ってくれたことには変わりがない。

 どうせ護の方からたった三週間でいいと言われている。

 その間に、記憶を消す方法でも探せばいいかと、納得した。

「護。約束はこれから守ってもらうことにするわ。結果的にアンタに助けられたのは事実だから。それに二回も」

 我ながら情けないと思う彼女だが。

「サービスね。今夜はもう護を殺すなんてこと起きないわよ」

「良いのか?」

 喜ばしいのに、彼からはそんな雰囲気が伝わってこない。

 その理由を、彼女は勘違いしてそっぽを向く。

「――こっち見ないでよ」

「見てないって」

 そう。確かに、初めは彼女のことを見ていた。

 しかし、彼はずっと警戒していた。

 時間から考えて、もう”彼女”はここにいる。

「てことは、取り敢えず一週間以上は見逃し?」

「さあね。そんときになったらちゃんと考えるわ」

 肩の力を抜くように、彼女はため息をつく。

 死線という中で築かれたものでも感じているのか、たとえそれが消えてなくなってしまうものでも、これで今夜はおしまいと、この場をあとにしようとする青子。

 それを阻むように、死を執行する番人の声が落とされた。

 

「随分と身勝手な事ね。それは貴女一人で決めること出はなかった筈よ、青子?」

 嘘でしょ、なんて言いたくなる青子は、彼女の名前を呼ぶ。

 目撃者は逃がさないと、ルールに徹する黒衣の少女が立ちふさがる。

 

 警戒していた。

 ”彼女”が間違いなくやってくるのは当然であった。

 目の前で、青子と本来なら名前すら知らない少女。

 "……あれが有珠。常に動ける準備を"

 その二人が彼についての話を進める。自然と、構えるように足を前に出す。

 だが、いつの間にか、彼の足は地面から絡みつかれたように重くなっていった。

 どうしてか、わからないことはない。

 今も青子と有珠の会話は続いている。

 ”彼女”の視線も青子に向いている。

 だが、その意識は彼に向いていた。

 殺す。その単純な目的を、隠さず暴力的に冷たい目が示していた。

「――っくそ」

 誰にも聞こえない声で、彼は落とした。

 青子や人形に向けられていたものとは決定的に違う。

 青子は少し遊びが入っていた。いや、覚悟しきれていなかったといえばいいか。明確でない殺意ほど怖くないものはない。

 人形の目的は全て青子だった。

 けれど、”彼女”の標的は間違いなく神崎護その人。

 何の手加減もなしに、つい先ほど――彼女の魔術の代表、"夜の饗宴"が地面に落とされたのを見ていた。どこからか、殺し合いの合図のように鐘の音が聞こえる。

 尚も、二人の睨み合いは終わらない。

 青子の、ぐうたらアリス。なんて言葉はかろうじて聞こえた。

 そんな中、ただ護は足を動かそうと必死だった。

 これから来るモノに反応するため、焦りが生まれる。

 きっと彼女が反応してくれる。

 そう知っていても怖かった。

 もし万が一。

「――そこの彼をいなかった事にするのは、私だけで十分だから」

 くい、と指が動いた。

 "死んだ"

 直感的に、本能で悟った。

 例えこの足を動かせても、後ろに飛べば下半身に突き刺さり真っ二つになる。

 前にしゃがみこんでもその動作の前に急所に突き刺さる。

 右に避けようが左に避けようが、半身は確実に直撃してショック死でこの世とサヨナラになる。

 そんなもの二度とゴメンだというのに。

 身体は、反応してくれなかった。

 それを、青い光が助けてくれた。

「――――っ、……」

 それと同時に、恐れを抱いた。

 一般家庭用のフォークの大きいモノを放った彼女にではない。

 自分がここで死ぬと認めてしまった、諦めてしまった、飲まれてしまった自分が怖かったからだ。

 今のこの状況でこの程度なら、いずれあの金の狼に立ちはだかる時、彼は正常でいられるのかと。

「あ、やば」

「……ルールを破るつもりなの?」

 ただでさえ冷え切った空気に、威圧感がまし彼の足はバカ正直に震え始めた。

 その彼の様子に気がつかない青子は、あちゃーなんて言っているがそんなことを見ている余裕も彼にはない。

「今夜コイツに死なれるのは困るの。日を改める気はない? 今日くらいは見逃したい気分になったんだけど」

「私情でルールを犯すの?」

「問題ある? コイツにはムカつくけど命を助けてもらった借りがある。その恩を仇にするつもりはないわ」

「それは私たちで決めたモノよりも大事なこと?」

「今の場合はね」

 一旦目を閉じ、”彼女は”そういうこと。と頷いて。

「つまり、私と戦うと解釈してもいいのね?」

「……早いか遅いかの違いよ。それが早まっただけ。決まってたことでしょうが!」

 青子の二工程の魔術は簡単に有珠に阻まれる。

 その様子を、蚊帳の外になった彼が見て思う。

 "これさえ外せば……!"

 自然とそう思った。

 握り締める首に掛けてあるアクセサリー。

 これをどうにかすれば、彼は――。

 しかし、外れることはなかった。

 以前、記憶を消される前に言われたことを思い返す。

『"ソレ"は、貴様が覚悟を決めた時に反応して外れるようになっている。覚悟を決められなければ、いくら外そうとも外れはせん。誰かに構わずな』

「なんだってそんな役に立たないもん、付けやがったんだくそ爺め……!」

 その一方、両者の会話は進んでいる。

 すると、地面を突き破って出現する槍。

「護、後ろに跳んで!」

「――――っく」

 動かない足を、彼女が呼びかけながらも手を引いたおかげで先程までたっていた地面の破壊に巻き込まれずに済んだ。

 彼女の包囲の仕方に疑問を持ち、逃げれるのなら逃げると告げた青子の言葉を無視して、”彼女は”緑色の液体が入る瓶を持つ。

 その危険性を危惧して、咄嗟に魔弾を複数撃つが、簡単に地面から這い出てきた槍によって防がれる。

 辛うじて見上げた彼は、瓶の蓋があくのを見た瞬間、電力の通っているはずのない、終わった遊園地に光が灯るのを見た。

 "フラットスネーク、とんでもねえよ、固有結界並じゃないのかこれ"

 世界を書き換えれば、もと一般人の観点からすれば、アリスのこれと、衛宮士郎や吸血鬼たちが持つ固有結界に対して変わりはない。

 同じように見えて全然違うなんて思えない。

「ごっこ遊びをしましょう。逃げきれるものならやって見せて。この夜を超えれば貴女の勝ちにしてあげるから」

 その言葉と同時に、"月"が浮かび上がる。

 それがこのブロイの心臓だと彼は知っている。

 あれが、あれを壊せば勝ちだ。言おうと懸命に口に出そうとするが。

 喉元が震えて、音を発することができない。

「――ぁ、ぁれが、ぁれを」

 当然、二人に聞き取られる大きさではなかった。

 ふと、青子が視線を彼に向けると、その様子に気がついた。

「……護! アンタ何してんのよ!」

 こちらに目を向けながらも、彼女は既に魔術回路の切り替えを終えていたのか、右腕を振るう。

「嘘――なんなのよ、これ」

 必死に絞り出そうとしていた声をやっと出せるようになった彼は、全霊をかけて叫ぶ。そうでなければ、とても声を出せなかったから。

「青子――!!」

「何よ!?」

 彼の方へ向いて、周囲が囲まれていることに気がついた。

 慌てて、歩くパンに向かって魔弾を放つ。

 目に見えて分かる威力の向上に、どこか安心する護。

「こっちよ!」

 手をつかまれて、やっと彼は動けるようになった。

 手を引く彼女が、彼に話しかけるが、返答は無い。

 それに重い。死と向き合った一般人が、動けなくなった。

 引っ張ることでやっと踏み出せた彼は、足取りが重くて当然なのだ。

 "アホマモ……! やっぱりただの人だった!"

 走り続ける彼女に、彼は何とか彼女を引き戻した。

「こっちはダメだ。先にカニがいる、引き返すぞ」

「なんでアンタにそんなんわかるのよ!」

「――いいから、信用しろ!!」

 嘘一つ無い、確かにその先にそのカニがいると、睨みつける彼の目は冗談に取れなかった。

「っわかったわよ!」

 引き返して出くわすは焼きたてパン。

「焦げ目なんて付けやがって」

「進化したってことでしょうね!」

 魔弾を振るい、先と同様に蹴散らす。

「正門ってこっちでいいのよね!?」

「ああ、そこの店を右に」

 そして、二人共抜けた先を見て目を見張る。

「……なあ、一旦隠れよう」

「休憩を入れるってこと?」

「外まで周る気だろ?」

「そうね、気は進まないけど仕方ないわ」

 もう、自分の足で走り始めていた彼の手は軽く、簡単に先導できた。

 何かにひらめいたように口を開く彼女。

「あそこの射的のカウンターに隠れて!」

「ああ」

 倒れこむように、カウンターに背を預けて、となりで魔弾を何連発かはわからないが連射する。

「予想通り、ここではスナーク化しないのね」

 外を見て、安全と判断し腰を下ろす。

 その機を狙ったかのように、先程まで繋いでいた手をもう一度彼は彼女に重ねた。

 なにすんのよ、と突然の行動に驚くがすぐに彼の手がどうなっているのか確認できた。

「……正直、俺は舐めてた。さっきの人形の時はいけると思ったんだ。確かに青子を殺す気だったけど、正確には俺が狙われたのは一度もなかった。青子も、遊びが入ってたし、殺気ていうやつもあまり感じなかった」

 けど、と彼の振るえる唇を彼女は見てしまった。

「あのフォークが俺に向かってくるのが分かってても、避けられなかった。青子があれを弾いてくれなかったら、死んでたんだ」

 彼の独白はを彼女は黙って聞いていた。

「死ぬって、心で認めちゃったんだよ。最低でも、あと三週間以上は生き延びなきゃいけないのに。その役目を終えるまで、俺は死ぬことなんて許されないのに」

 彼女の手を握る力が強くなる。

「でも、青子の手を握って震えは止まったんだ」

「え?」

 どうしてか困惑顔をした彼女に微笑む。

「お前といると、力がわくってことだよ」

 その言葉に吹き出し、彼女も笑う。良かった。元に戻った。なんて、さっきまでの怯えようが嘘みたいに消えた彼はとても頼もしく見えた。

 今でも彼女は内心で恐怖を持っているのに。だからこそ、二人は半身なのだ。

 片方が片方を補完し、そして逆も然り、二人揃えば、敵はない。

「でだ、裏技くらいあるんだろう」

 彼の問いに答えるように、本来ここにいるはずの"アイツ"に説明したことと同じ説明を護は受けた。

 

 重要な話を終えてから、何度も後ろを確認する

「もし、もうひとつの出口が使えなかった場合を考えてるか?」

「残念ながら無いわ。正体を見つけるのにも、探しようがないもの」

「……。わかった、じゃあ、休憩は十分だ。行くぞ」

「ちょっと待ちなさいよ!」

 急に立ち上がる彼を止めようとするが、その理由に今気がついた。

「――なんなのよコイツ!!」

 

 最後の砦をピエロが頬張る。

 破壊された遊具を見て、愚痴をもらす。

 ふと上を見上げれば、龍がいる。

 観覧車が途轍もない大きさに変化を遂げている。

「まさに最終段階ってやつだなこれは」

 増え続けるスネークに魔弾を打ち込むが、数は減ったように見えない。

 その光景を見て、もう後はないと踏んだ。

「なあ、さっきも聞いたが、本体を壊せれば出れるんだよな」

「そうよ! 童話の怪物は現実にないものよ! 今までおかしな奴とか、現実にありえないものが本体!」

 その言葉を彼は復唱する。

「現実に有り得ないものでいいんだよな!?」

「そうよ! 命のある人形とか、空飛ぶゴーカートとか」

 彼に告げながら、それがおかしいなんて世界ではなくなっているのを再認識していた。

 そのようなものは、この世界では当たり前に変化しているのだ。

 だから、彼女に見つけようがない。

 それを彼は、予め知っていたように口にした。事実知っていた。

「それは間違ってる。空飛ぶゴーカートなんてここでは当たり前なんだ。そして、現実にないものが正体ってことでいいんだな?」

「分かったっていうの!?」

 彼の言葉に動揺しながら逃走経路を確保するために魔弾を無造作に掃射する。

「冗談だったら許さないから!?」

「自信はある!」

 種を返して、今まで彼女に先導されていた彼が今度は逆に彼女の手を取り、先導を始めた。

「取り敢えず、もうひとつの出入り口に向かう! きっと彼女はそうするしかないと思い込んでる!」

「そうするしかないとしか考えられないもんね。でも本当に分かったの!?」

 それは真実か、そうでなかったら絶対ぶっ殺すなんて彼女の顔に書いてある。

「だから、それを壊すためにそっちの出入り口の方が近いんだよ!!」

 万が一、彼の推測が外れていても外に通じる鉄柵を超えれば出れる何て考えが青子の中で巡る。

 彼の推測がほとんどの確率で外れているとしか、彼女には考えられないのだ。

 疑っているわけではない。

 この魔術を知らない彼に見つけられるはずないと、勝手に思い込んでしまっているのだ。

 そして、前を走る護が空をチラチラと見上げる様子に釣られて上空を見る。

「気づいてたの?」

「ああ、飛ぶ卵なんて見るのはこれで最後にして欲しいくらいだ」

「……あの卵、割る卵よ!」

「知ってる! 卵が割る意外何があるっていうんだ!」

 それに反応し、腕を振るおうとする彼女を止める。

「下手に刺激するな! どうせ効かない!」

「やってみないとわかんないでしょうが……!」

 再度、彼女は腕をふるって魔弾をぶつける。

 しかし、彼の忠告したとおり何の効き目も見て取れなかった。

「あれ、ブロイキッシャーね。護、何が何でも目を離さないでよ。視界の隅にでも入れとけば問題ないはず!」

「さっきからずっとやってる! それと、目の前の大群吹き飛ばしてくれ!」

 卵と目の前、両方を見て彼は進言する。

「当然!」

 魔力を流し、魔弾を放つが、完全に破壊できなかった。より、硬くなったパンをもう一度魔弾をぶつけることで粉砕した。

 どころか、舗装された道まで破壊し尽くす。

「売店もぶっ壊すなんて威力上がりすぎだろ!」

「うっさいわね、さっさと行くわよ!」

 残り数百メートル。

 このままたどり着ければ私たちの勝ち。なんて甘い考えが青子の中で浮き出す。

 そして、護は、この後に、出番が待っている希望の綱の感触をただ感じていた。

 

 それこそ、絶対の檻の中を表現するものは無いんじゃないかと言えるほどに、無数に折り重なった柵。

「結局こうなるわけね」

「まあ、予想通り過ぎて俺にとっては拍子抜けだ」

 そうして、彼女は彼と向き合う。

「念のため聞いて上げる。護の言う正体って何? 万が一にも納得のいく回答を得られなかったら、アンタには一人でこの柵を超えてもらう」

「だから、合ってるって。百%自信はある」

 どうしてそんな言葉が履けるのか、その根拠はと問われる。

 問いに応じる様に彼は手を柵の向こう側を指す。

「まさか、この柵が正体だなんて言うつもりはないわよね?」

「ああ、当然だ。俺が指してるものがなんだか分からないのか?」

 もう一度、彼女は差された方角を見る。

 その先には、柵を除いて毎日みる夜空しかなかった。

「期待したあたしがバカだった」

 打つ手なし、なんてしゃがみこむ事はしないものの、彼女の気分的には正にそれだった。

「なあ、青子」

「なによ」

「今日、俺がこの遊園地に来るときと今で違うものが無いかわからないか?」

「関係ないでしょ。今の状況と」

 不貞腐れたように、諦め切った彼女に熱を入れる。

 諦め、それは逃げだ。彼女が逃げるなんて、そのような引け越しを見たくもない。

「あるさ。決定的なものが違う」

 彼はただ"それ"に向かって指をさし続ける。

「俺は、此処に来るまでに一度も月なんて見ちゃいないんだ」

「え?」

 その言葉は彼女の中で暴れまわるように脳内を探す。

 "月を見ていないですって?"

 そんなはずないと、否定する前に彼が決定的な証拠を突き出す。

「今日は、月が現れない新月だ」

 

 そうして、ありえぬ者の破壊のプランを話し合う。

 彼がその撃破方法に協力できる事柄は一つ。

「あそこから青子の髪を風に載せればいいいんだな」

「そうよ」

 そのまえに、ちょっとなんて言って彼は青子に引き寄せられた。

 彼女のきめ細かな肌をしっかりと確認できる距離、息を吐くことさえ躊躇う程の距離。

 不意打ちっていうのは知っていても、心構えをしていなかったら意味をなさないのだから。

「――空気のおもり(かるく、よわく)胸のふるえ(うまく、はやく)ひかりは先立つ(チクタクチクタク)かげは遅れる(いそげやいそげ)

 " "アイツ"が、魔法みたいだ何て言うのも間違いじゃないな"

 これを魔法と言わず他に何と呼べと。これからやることの恐怖が、緩和される。体の疲労も心なしか癒えたきがする。

鳥は空に(とぶ)魚は海に(およぐ)貴方は彼方に(かけぬける)秘文も不安も靴の底に(チクタクチクタク)旅路の一歩は曙に(きてきならせ)輝く星はするりと降ちて(ほしはいつでもきたのそら)今は貴方の心の中に(どこまでも、いつまでも)

 静かに心の残りな温もりが離れる。

 暗示が成功した、と叫く彼女を見つめて、やっぱりこの思いは本物だななんて再認識する。

 抑えられない気持ちは行動に移る。

「青子、これ、他の誰にもやるなよ」

 キツく、けれど優しく包み込んでその恋心の対象を抱く。

 当然、拒まれようとする手が邪魔をするも、決してはなさない。

 彼女の耳元で、と息を吐くように呟く。

 その動作に擽ったさ感じてる彼女が愛おしい。

「俺はやっぱりお前と生きていたい」

 例え、魔術に関係がなくとも真に願うその気持ち。

 神崎護と、神崎護のカラをかぶる彼等二人が願う気持ちだった。

 十秒ほど、経つときには抵抗なんてものは皆無だった。

 これで何もいらないと、彼女の腰に回した手を離す。

「――――っあ」

 名残惜しさでもあったのか、無意識に出た言葉は彼を満足させるには十分だった。

 それから、自分がどんな表情をしていたのか理解して慌て出す。

 いきなりなにすんのよとか、別にアンタに抱かれていいなんて思ってないからとか、必死で違うからと連呼する様は見ていてとても面白かった。

 落ち着きをたった数秒で抑えて、これからは別行動と彼女が告げる。

「ミラーハウスみたいなドジしたら、最悪の末路に一直線だから」

「わかってる」

 そうして、ジェットコースターへと向かう彼を止める。

「それと! 明日話あるから! 生き残こらなかったらアンタの骨砕くから!」

「心配すんなって、青子が成功させればいいだけだろ」

 当然よ、そう言って走り出した。

 彼も続いて反対方向へと駆ける。

 

 それは、地上四十メートルの高み。

 遊園地の中心に向かって延びる骨組みの上を、軽快にとは行かずとも、足を踏み外すことなど考えない速さで登っていく。

 風が強い。

 それだけでこの高さでは死につながる要素の一つ。

 少しでも風に負け、手を話せば彼に先はない。

 けれどそんな彼は全く別のところを見ていた。

 頂上に到達する手前。

「あの人形、やっぱり動いてる。もしかしたら動かない何て希望を持ってたが、そんなことない訳か」

 よそ見をしながらも、視界の端に卵を見ている。

 逆に、浮遊している卵を見ていないと、地面を見てしまうから逆に都合が良かった。

 仮に地面を見ても、彼には高さなど、恐怖より楽しみを与えてしまうのだから。問題はないのだが。

「やっと、頂点か。バンジージャンプよりかは全然マシだな。まあ、命綱ないけど」

 遊園地全体を見渡しながら、これから起こる嵐の工作をしている青子を見つける。

 そして、次に俺がすることは何かと考えて、彼女のいる広間から青い魔弾が打ち上げられる。

 しっかりと足場を確認して、葉っぱに彼女の髪と小石を丸めて投げた。

 風は逆らうことなく、彼女の方へと流れる。それをしっかりと確認して。

「さて、出番だ」

 唐突に、服をたくし上げる。

 上げた状態を維持するため口で服を噛み、両手で結ばれた"それ"を解く。

 全ては解かず、ソレの先につけた金属部分だけを、軽く80センチ程伸ばして、両足に引っ掛ける。

 そして、体に巻きつけていたものともう一つ、サッカーを習っていたり、サッカー部に一度でも入部して必要なものを揃えれば確実に必要になるもの。

 脛に巻き付けていたそれを肘に巻きつける。

「やっぱ、ジェットコースターは滑るに限る――!!」

 何一つ戸惑うことなく、真っ直ぐ下に伸びるレールを、四点を端に揃えて絶叫を上げて滑車のように滑り降りていった。

 彼女が放つ第一射めの大きなビームの余波によってレールを滑り落ちる彼に突風が襲う。

 けれど、それは彼に意味を持たなかった。

 レールの四角にしっかりと手足を固定している為何の問題もないのである。

 垂直に近い道を降りた加速を利用して、その目的の位置まで滑る。

 速度が落ち始めたらすぐに彼は立ち上がって両足の先につけていたフックをレールに引っ掛けた。

 完全に胴体からほどけたソレは、力なく垂れるように地面へと伸びている。

 そして、少しばかり長さがないが、それはこの時に限っては工を結ぶ。

 卵から視線を切って、いかにもこれから割れますという卵は、彼のいるレールの上に落ちてくる。

 それを。

「じゃあな卵」

 引っ掛けてある縄にくっつけたフックの、ちょうど真ん中を持って飛び降りた。

 無残にも卵から生まれたものはレールに虚しく当たるだけであった。

 万が一脱臼覚悟に、片腕だけ残せる様に、左腕でしっかりと持つ。

 それは確かに無重力状態が続くようで。

「タワーオブテラーだけは苦手なの忘れてたぁぁぁぁぁぁあ!!!」

 この時代に有るはずのない、未来の遊具と同じ状態である無重力に悲鳴を上げる。

 そして、数秒の後、腕が取れるかのような痛み――とてもじゃないが無理やり引はがされるんじゃないかと想像して、地面からホンの数メートルのところで左手を開放した。

 彼が地面に背中から落ちて強打し、瞬間的に意識は白に染まるが、咳き込む事で体中の骨の合唱で戻れた。

 無理矢理に立ち上がる頃に、彼女の三発目が展開された。

 左腕の感覚は死んだが、それを庇うことなく走る。

 空に眩い光りの槍が降り注がんと青子を標的にする。

 そして、背後から這い寄る人形。

「青子!!」

 横たわる彼女を右手で鎌みたく掬い取り大きく前に前転する。

 刹那、彼女がいた場所では串刺しにされた人形が見えた。

 

 青子はこの世のものとは思えないものを見た。

 まるで物語のヒーローのようにピンチを救いに来る主人公の姿を。

 どういう方法を使ってここまで来たのかは知らないが、動けなくなった彼女をしっかりと抱えて串刺しにされる運命から救ってくれた。

 そんな彼が震えているのを肌で感じて、怖かったの? なんて真顔で聞こうとしたら。

「お前を助けられて良かった――それができて本当に良かった」

 なんて、彼女を助けられないことが怖かったと口にしたんだ。

 これで、今夜のイベントは幕を閉じる。

 この先の問題は、彼にとってあと一つ。

 それは今夜のように、上手くいく可能性など天文学的確率なのだから。

 

 動きが止まった遊園地の片隅で、灯っていた光が消えていくのを護と青子は見ていた。

 最も、護の場合は、青子を助けるということに全身全霊で軽いアドレナリンの放出のおかげで麻痺していた痛覚が、ぶり返していてただ左肩を抑えて悶えている。

 それでも、となりで何か言いたげにそわそわしてアンタには興味ないですよと見えを張りながらもこちらを気にしているさまは例え幼馴染でなくとも気がつくはずだ。

「……アホマモ、すごいアホなことしなかった?」

 背を向けている護の方へちらりと目線を向ける。

 だめか、何て思ったら振り向いて目があった。

 急に熱を帯びたように顔が赤く染まる。

「機会があったら今度話してやるよ。それにあんなすごいレーザービーム放った青子の方がよっぽどぶっ飛んでるだろ」

 その物言いに違いないなんて思う彼女がいる。

 いつからだろうか。

 彼が彼女のピンチを救う場面を見るようになったのは。

 きっと、出会った時から何て乙女チックに考える青子。

 最も記憶の濃い中学時代も、振り返れば今日のような場面がいくつもあって、それはそれはまるで。

 彼女にとって、本物のヒーローであった。

 ただ彼女を守るために。彼は奮闘して、この日も協力して敵を打倒した。

 今までとなんら変わりないふたりの関係。

 "……惚れるのもわけないわこれ"

 互が必要だから、互が協力し合うから、相互関係は生まれ、そして互の壁はなくなる。

 さしあたって、そんな関係になりたい気持ちを再確認にしてしまったのだ。

「――――はあ、あ」

「どうした?」

「恋する乙女は辛いってね」

 腰を上げて彼女はやれやれなんて頭をかく仕草をする。

 その言葉に反応して痛みを堪えながら彼も立ち上がる。

「誰に恋したんだ!? まさか変な奴に引っかかってないよな!! な?」

 急な慌てっぷりも、彼が彼女のことをどう思っていてくれてるのは丸分かりなわけで、つい余計な言葉が出てしまった。

「護は、好きな人いないの?」

 決意を含んだ目で、どんな言葉でもかかって来いと、男前なその目を見て、やっとこの日が来たのかと彼の方も、今まで言えなかったその言葉を喉元まで持ってくる。

「俺の好きな奴は――」

 一瞬の間、ふたりの距離はキスをしようとする恋人同士よりも近く、彼らを阻むものなどこの世に存在しないかのように近づき、触れることなく交差した。

「ぉまえだ――」

 僅かに聞こえたその言葉に歓喜していたら、そのまま倒れるように彼は彼女に体重を預けていた。

 耳元で聞こえる呼吸が、彼は生きていると教えてくれる。

 きっと、初めての体験で、今までより何より厳しい夜を超えて、溜まりに溜まった疲労がついに出たんだろうと寄りかかる彼を見て思う。

「重いなあ」

 体重だなんて事、ある訳もなく。

「背負えるかな」

 家になんてこともない。

 ただ、彼女が口にしたことは、これからの人生を背負っていけるかと、そういう意味であるのだ。

 彼の膝が折れるように、彼女もまた地面にしゃがみこむ。 

「ありがとう」

 完全に眠った彼を眺め、ポケットからガラス瓶を取り出し、それを開封する。

「それでも、我慢してよね。『護』」

 返事のないはずなのに、彼は瓶へと吸い込まれていった。

 

 その次に目覚める時の対処法など、彼には考えてる余裕なんてものはなかったのは当然であろう。

 生きることだけに必死であった彼に、その先にある中継地点など見えてなかったのだから。

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