雷使い ~風と炎の協奏曲~   作:musa

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選択の果て

「嘘でしょ、何なのよ、この精霊力(チカラ)は……ッ!?」

「これは父様? ……いや、違う。じゃあこれはまさか!?」

 和麻と煉に合流した途端、力尽き倒れた綾乃だったものの、和麻によって口移し(わた)された霊薬の効果で、既に完全回復を遂げていた。

 その後しばらくして、再び来襲してきた流也と対峙していた三人は、だがその直後に莫大な炎の精霊力を感知して驚愕の声とともに空の彼方を仰ぎ見た。

 この場に居合わせた者たちの中で、唯一事情に通じていた和麻だけが冷静でいられたが、さしもの風術師といえど、その力の規模には流石に戦慄を禁じ得なかった。

(まさかこれ程とは、な)

 和麻は苦々しく一人ごちた。

 予想と現実の差異を、まざまざと見せつけられた気分だった。とはいえ、『出す』までに随分と手間取ったようだが、それでも結果は上首尾に終わったらしい。和麻は風の探知を行使して妖魔の消滅と春香の生存を確認した。

『馬鹿な、何だコレは!?』

 不意に山林の中を陰々と木霊するように声が届いた。

 風巻兵衛だ。近辺の山林に潜んでいたはずだが、想定外の出来事に動揺を隠せなかったのか、荒げた声を轟かせた。

「なぁ……爺さん。テメエまさかとは思うが、大和の奴が神炎使いだってことぐらいは、知っていたよな?」

 呆れたように問うてくる和麻の声に、兵衛は苛立ち混じりに答えた。

『当たり前だ、そんなことはとうに承知している!』

「……嘘、あの人――神炎使いだったの!?」

「え……知らなかったのですか、姉様!?」

 新たな事実にまたもや驚愕する綾乃に、そんな“姉”の様子に言葉を失う煉。

 そうした姉弟コントを無視して、兵衛は先を続けた。

『神炎使いのことは、昔からよく知っておる。だがこの力の規模はあり得ぬ! これではまるで宗主が――』

 言葉に詰まる兵衛に、和麻はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべるや、老風術師の言葉を先取りするように続けた。

「まるで宗主が――炎雷覇を手にしているかのようだ(、、、、、、、、、、、、、、、)、か?」

『……ッ』

「あんた、何言ってるのよ?」

「兄様?」

 そんな戸惑う神凪の炎術師たちを見据えて、依然、和麻は意地の悪い笑みを張り付かせたまま、もったいつけるように口を開いた。

「どうやら神凪も風巻も、大和が神炎使いだってことは把握していても――奴が上級精霊と契約を交わしていることまで知らなかったようだな」

『上級精霊だと!? 馬鹿な、あれはただの伝説ではなかったのか!』

「ほ、本当ですか、兄様!?」

 ともに愕然と声を張り上げる兵衛と煉。そんな最中、綾乃だけが周囲から取り残されたように困惑げな面持ちでぽつねんと立ち尽していた。

「えっと、上級精霊って、何……?」

 そう問いを投げかけると、和麻はさも呆れかえったとばかりに溜息をついた。煉もまたあんぐりと口を開けて言葉もない様子だ。

「お前なあー」

「姉様、本気で言っているのですか?」

「な、何よ、知らないものは仕方がないでしょ! だいたい上級精霊ってただのファンタジー用語じゃなかったの!? なんでそんなモノが現実に存在しているのよ!」

 羞恥のあまり頬を赤く染めつつ声を荒げる綾乃だったが、もはや最後の方が完全に逆ギレだった。

 和麻の弟とは思えないほど心持ちの優しい煉は、怒り心頭な綾乃をなだめつつ、懇切丁寧に上級精霊の知識を伝えた。

「……一群の精霊を一柱の神や英雄に見立てて、具現化させた存在? あれ、その言葉、何処かで聞いてことがあるような?」

 綾乃は小首を傾げながら、考えをめぐらせた。

「へぇ~、まんざらアホでもないらしいな。目の付け所は悪くない」

 そんな綾乃を眺めながら、和麻はさも感心したとばかりに褒めたたえる。

「何ですって!?」

 ギロリと目を細めて、綾乃は険悪な眼差しで和麻を睨みつけた。

「姉様、兄様は姉様を褒めているんです! そうですよね、兄様!」

 緊迫化する二人の間にその小さな身体を割り込ませ、煉は必死になって“姉兄”の中を取り持とうと奮闘する。

「ん? ああ、たしかに褒めているぞ。アホの割には頭を使っているな、てな」

 だが彼の兄は、はなはだ非協力的だった。

「兄様!」

「――煉、退いていなさい。流也より先にコイツを斬るわ」

 双眸に殺意を滾らせ、綾乃は緋色の刃を握り締める。

「お、落ち着いて下さい、姉様! その流也がまだ目の前にいるんですよ!」

 煉の制止の声に、綾乃ははっと身を強張らせ、慌てて流也に視線を送る。が、妖魔に動く気配は見られない。空の彼方へと頭を向けたきり、騒がしい綾乃たちに一瞥もくれることはない。やはりこの尋常ならざる精霊力の持ち主を警戒しているのだろう。

 綾乃はほっと安堵の吐息をつく。そうして彼女は怒りのボルテージを少し控えめに、だが険悪な眼差しだけはそのままに和麻を睨みつける。

「……目の付け所は悪くないって、どういう意味よ?」

 先刻の和麻の言葉の前半部分を、取りあえず忘れることにしたらしい綾乃がそう訊いてくる。

「言葉通りの意味だ。お前の聞き覚えがあると言った――『一群の精霊を一柱の神や英雄に見立てて具現化させた存在』――の下りは、精霊獣の術式にも通じる部分だからな」

 今度は和麻も茶々をいれることなく真面目に答えた。

「ああ! そうよ、精霊獣! だから、聞いたことがあったのね。……あれ、でも何で?」

 ようやく合点がいったとばかりに、綾乃はうんうんと何度も頷いた。が、新たな疑問が浮上して、またもや小首をかしげる。

「簡単だ。上級精霊こそが精霊獣の原型(オリジナル)だからだ。

 精霊獣、あるいは精霊式と呼称され現代においても伝承されるあの術式は、もともと上級精霊を模倣して創り出された魔術なのさ」

「上級精霊を模倣?」

 天上界でもなければ魔界でもない、この地上を平然と闊歩する神の如き力を有する存在――上級精霊。その在り方(メカニズム)を解明するに至って、古の魔術師たちは願った。コレを人為的に創り出せないものか、と。

 上級精霊の『核』である人々の想念――神々、英雄たちの伝承を、魔術師たちが編み上げた仮想人格(術式)に置き換え、一個の生物に見立てることによって一群の精霊を統制し、人造の上級精霊を創り出そうと試みたのだ。

「……それは、成功したの?」

「まさか、当然失敗したさ(、、、、、、、)

 そもそも始めから不可能だったのだ。

 上級精霊の『核』たる人々の――全人類の想念を、たかだか数える程度の魔術師たちが、たかだか数える程度の歳月で編み上げた術式如きで、代替えできる筈もなかった。

 総数が違う。歳月が違う。上級精霊とは全人類の想いを呼び水に、『世界』が数百、数千年の歳月をかけて現出させた奇跡の産物。集合的無意識――ヒトという名の『神』が創り上げた神造の生物なのだ。

 いかに魔術師たちが探求に励もうとも、最初から再現できるはずもない試みだったのだ。それを察した魔術師たちは、一人また一人と見切りをつけて、別の魔道の探究に『真理』を求め出した。

 結果、『人造の上級精霊の創造』という魔道探求は、急速に廃れはじめ、現代では完全に失伝した。――ただ一つの遺産だけを残して。

「それが精霊獣……」

「まぁ、そういうことだ。たしかに『人造の上級精霊』は創り出せなかったものの、それなりに便利で使い勝手の良い『魔術武器』なら既に完成していたからな」

 だから現代まで遺産の継承が成されてきたのさ、と風術師はそう言って魔道の歴史を締めくくった。

「……ねぇ、今の話だと上級精霊って神話の数だけ存在しているってこと?」

 だが綾乃は依然、納得がいかないことがあるらしく神妙な面持ちで質問を重ねてくる。

「いや、必ずしも神話の中の神さま連中が、全部が全部、上級精霊として現出するわけでもないらしいが、それでも古代じゃ相当数いたらしいぜ。もっとも現代じゃほとんど見かけなくなったがな」

「何でよ?」

「古代の神話が廃れたから上級精霊も消滅したって説を唱えている連中もいるが、真相は解っていない。だから今じゃ上級精霊は、『伝説の存在』扱いされちまっているのさ。

 ……しかしまぁ、上級精霊といい、上級妖魔といい、風巻家の人間は妙なものを引っ掛けてくる才能があるのかねぇ」

 和麻は呆れた口調でそう溢した。

「ちょっと、そんなこと言ってる余裕あるの? あたしたちはその妙なものの内一つと、これから戦わなくちゃいけないのよ!」

 あまりに場を弁えない風術師の言葉に、綾乃は苛立ちまじりに吐き捨てた。

「そうなんだよなぁ。ああ、めんどくさい。……おっと、噂をすれば影――来たぜ」

「兄様?」

「何が――ぁ」

 気のない表情から一転、不敵な笑みを浮かべる和麻に、煉と綾乃は訝しげな眼差しで彼を見るも、だが二人はたちどころにこの場所に近寄る気配を察知した。

 視線を向けると、樹間の奥から不意に人影は現れた。

「あれは、たしか風巻家の……」

 必死の形相で走り寄ってくる男の姿を見定めて、綾乃は眉根を寄せて呟いた。

『お主、藤次ではないか……!』

 兵衛の言葉を聞きとがめたのか、藤次は足を止めて歓喜のあまり顔を綻ばせ、頭上を仰ぎ見た。

「おお、その声は頭領! お願いします、どうか助け――」

 言いさした言葉は、だが虚空より飛来した黄金の剣によって遮られた。

 刃渡り二メートルを優に超える長大な刀身は、まるで薄紙を貫くように藤次の胴体を串刺しにし、彼の身体を大地に縫い止めた。

 藤次は恐る恐る自らの身体を検めるや否や、

「……あ? ……い、いやだ! 私はまだ死にたくない!」

 絶望に表情を凍らせて絶叫した。

 だが黄金の剣は、食らいついた獲物の状態に微塵も斟酌することなく、まるで藤次の生命を啜り取るかのように刀身をますます妖しく輝かせる。次の瞬間――目映い黄金の輝きが藤次の全身を包み込むや、激しい轟音と共に地上から天上目掛けて稲妻が駆け抜けた。

 すると、風巻藤次がいた場所は、もはや誰も――いや、何一つとて残されていなかった。

 そこ(、、)には、ついさっきまで、たしかに一人の人間が存在していたはずなのだ。息を吸い、心臓が脈打ち、血液が身体中を駆け巡っていた――生きたニンゲンが。

それが完膚なきまでに消滅していた。天が強引に彼を連れ去ってしまったかの如く。あるいは風巻藤次という人間は、そもそも最初から存在していなかったかの如く。

「……ッ!」

 煉は恐怖に身を竦ませた。

 無理もない。未だ戦場の匂いに慣れていない少年にとって、先の光景はあまりに衝撃的であり過ぎた。煉より少しばかり経験のある綾乃ですら、顔色を失っていた。

 だが実際のところ――二人が本当に戦慄していたのは、さっきの残酷きわまる展開と言うよりは、むしろその気になりさえすれば、自分たちもまた同種の光景を繰り広げることが決して不可能ではないという事実の方だった。

 とりわけ何ら対魔能力を持ち合わせていない一般人相手なら確実に可能だろう。そして、自分たちはそんな人々と、普段何食わぬ顔で「善き友人」として接しているのだ。彼らのうち誰一人として知る由もない。時と場合によって、自分たち炎術師は、彼らの生命を蹂躙できる怪物になり得るということに!

 こんな現実を思い知らされ、自分たちは今後、彼らとどう接すればいいのだろうか。

深い苦悩の海に沈む綾乃と煉の耳元に、そのとき呆れるほど呑気な声が届いた。

「ほぉ~、完璧な証拠隠滅か。やっぱり炎術は便利だねぇ」

「兄様、不謹慎ですよ!」

「そうよ。いくら敵だったとはいえ、人が死んだのよ!」

 軽率過ぎる和麻に向けて諌める言葉を投げかけながら、綾乃と煉は内心で安堵していた。

 実際、あのままでは思考のどつぼに嵌っていただろう。ここは既に死地なのだ。余計なことに思考を割いている余裕などない。……あるいは、和麻は自分たちを正気に立ち返らせるために、敢えて馬鹿げた発言をしたのだろうか?

 綾乃は探りを入れる視線で和麻を見つめるも、相変わらず風術師はへらへらと締まりのない笑みを浮かべているだけだ。どう見ても深謀遠慮を巡らせているようには見えない。

 やはりただの勘違いだ。そう思い直し、綾乃は流也へと意識を集中した。どのみち戦いの流れが変わった。決着の時は近いと本能が告げていた。

 神凪の姫君の予測の正しさを証明するかのように、かつて風巻藤次と呼ばれた人間が存在した空間を、まるで踏みつけるようにして宙から巨大なものが舞い降りた。

 激震と同時に露わになる黄金の巨体。鹿頭人身の巨人――タケミカズチ。

『何処にいる、兵衛ェェッ!!』

 その巨人から激烈な怒号が迸った。

「これが、上級精霊! これが、風巻大和のチカラ……ッ!」

 いま綾乃の全身を駆け抜ける戦慄は、この場に居合わせる全員が等しく感じているものだったに違いない。あの和麻ですら、あらためて間近で目の当たりにする上級精霊の偉容を前にして、いつもの減らず口を叩く余裕はなかった。

 それでもいち早く冷静に返ったのは、やはりこの風術師であった。和麻はたちまちに普段の締まりのない笑みに戻り、巨人を見上げながら揶揄するように口を開く。

「残念だったな、兵衛ならとっくの昔に逃げたぞ。もっとも、そんな物騒なモノで乗り込んで来られれば、それも当然だろうがな」

『では奴は何処にいる。お前ならば、当然捕捉しているだろう』

 黄金の巨人は鹿頭を下向かせ、和麻を見据えながら、先に上げた咆哮が嘘であるかのように、とても落ちついた声色で言った。胸の内に宿る激情を完璧に制御できている証である。

「まぁ、たしかに知らないとは言わないさ。けど、タダで教えてやる理由もないな」

 和麻は肩を竦めてそう嘯いた。

『貴様……』

 黄金の巨体から滾る憤怒が周囲の炎の精霊に伝播する。

「ちょっと、下手に挑発なんかしないでよ!」

「うッ」

 炎の精霊と感応できる炎術師だからこそ、その精霊を通じて大和の強烈な圧力をダイレクトに感じ取っているのだ。しかし、和麻は二人の抗議の声を黙殺して、口元を挑発げに歪めて黄金の巨人を仰ぎ見る。

『――八神、何が目的だ』

 和麻の視線を受け止め、大和が感情を押し殺した声で問いかける。すると、風術師はゆっくりと右手を掲げて、流也を指し示し言い放った。

「そんなもん、決まっているだろう。奴を仕留めるのに手を貸せ」

『いいだろう』

 即答だった。鹿頭人身の巨人は、おそらく和麻の答えを予期していたのだろう。あまりの展開の早さに目を白黒させる綾乃と煉を横目に、大和と和麻はこの先の詳細を詰めていく。

「せいぜい気をつけるんだな。流也はさっきお前が始末した妖魔より強力だぞ」

『ふん、そんなことは貴様に言われずとも承知している。八神、時間が惜しい。本気で俺に戦って欲しければ、貴様の方も切り札を晒せ(、、、、、、)

 大和の言葉に、和麻は肩を竦めただけで答えなかった。が、黄金の巨人は風術師の反応を肯定の意と受け取ったのか、それ以上言葉を重ねることなく流也へと向き直り――その直後、漆黒の暴風が鹿頭人身の巨体へと襲いかかった。

 再度激震に見舞われる大地。吹き荒れる大気。だが、まだそれで終わりではなかった。今の今まで沈黙を通してきた流也は、眼前に現れた黄金の巨人を脅威と看做したのか、ここにきて嵩に懸かたように激しく攻め立ててくる。

 矢継ぎ早に繰り出される暴風の連打は、全弾黄金の巨人をつるべ打ちにする。だが――

「嘘、無傷……!?」

 それは鹿頭人身の巨体の前に、ことごとく屈服した。

 綾乃は先だって対峙したからこそ、あの妖魔の法外な攻撃力の程を誰よりに解っていた。

 故に断言できる。何の防御手段も講じずに、あれを防げる筈がないことを。

「なるほど不滅の概念、か」

「不滅?」

 和麻の呟き聞きとがめた綾乃は、風術師を問いただす。

「ああ、上級精霊――あの黄金の巨体を構成する炎の精霊すべてに不滅の概念、『屈強』の意思が付加されているのさ。……おそらく大和の意志力と精霊力を超えない限り、奴に対するありとあらゆる攻撃は強制キャンセル――つまり『燃やされる』んだろうな」

 和麻の淡々とした解説に、その意味するところを理解して唖然とする綾乃と煉。

「兄様、大和さんの意志力と精霊力を超えない限りって、そんなの誰が超えられるっていうんですか? きっと父様でも……」

「そうだな、たしかに親父でも、宗主でも無理だろう。――それこそ炎雷覇でも持っていない限りは、な」

「え?」

 二人の疑問の声を無視して、和麻は自問自答する。

 果たして自身の『切り札』は、大和の上級精霊(あれ)を超えられるのか?

 膨大な戦闘を経て鍛え抜かれた風術師の直感は――是、と答えた。おそらく不可能ではあるまい。だが……

(やはり奴とは、もう二度とやり合いたくないな)

 和麻は「恐怖」ではなく、「億劫さ」から強くそう想った。戦闘愛好者ではない和麻としては、昨夜のような胆の冷える戦いは、二度と御免だった。

『おい、神凪ども! 喋っている暇があるのなら、早く手を動かせ。この戦いはお前たち一族の問題だろう』

 度重なる攻撃の嵐に晒されているにも拘らず、黄金の巨人は微塵も怯むことなく両手を突き出す。直後、雷光が瀑布となって迸り、漆黒の暴風を蹴散らしながら流也目掛けて殺到する。

「は、はい!」

 素直な煉は大和の叱咤の声にすぐさま応じ、炎術を行使する。

「何を偉そうに言ってるのよ! もともとあんたの一族が仕出かしたことでしょうが!」

 一方、素直ならざる綾乃は文句を溢しつつも、炎雷覇を振りかざし黄金の火炎流を走らせる。

 雷と火は混じり合い、溶け合うことで極大の雷火と化し、妖魔を討ち取らんと輝き奔る。

 対する流也は、眼前に迫る脅威を前にして、即座に攻撃を取り止め防御に転じる挙に出た。突如、流也を護るようにして噴き上がる大気流。気圧の障壁は真っ向から雷火と激突した。

 超々高熱の束は、だが風の外壁を抉り取るだけでそれ以上侵攻できない。

 後もうひと押しだなと、和麻は戦況を冷静に見積もる。漆黒の城壁と黄金の破城槌は、現状五分の割合で競り合っている。従って、和麻が次の一手を有効に指すことができたなら、勝利の天秤は一気にこちら側に傾くだろう。

 その最後の一押しを加えるべく、風術師は精神を奥深くへと沈める。『扉』を開け放ち『彼の者』が坐する空間へと己が精神を繋げる。

 そして和麻の脳裏に拡がるのは、果てなき遥かな蒼穹。天と地が別たれた――世界創世の時代より存在する『始源の一』たる力が満ちる次元。この空間そのものが『彼の者』なのだ。

 和麻は『彼の者』と繋がることによって、惑星(すべて)の風を統御する権能を授けられるのである。

 やがて一陣の蒼い風が吹き寄せる。神聖な霊気を帯びたその風は、雷火と絡み合うようにして一体化、蒼い奔流となって風の障壁を瞬時の遅滞もなく吹き散らす。無論、その結界に護られていた流也もまたその運命から逃れようはずもなく、蒼い奔流に呑み込まれ消え失せた。

 後には、戦いの終わりを告げる静寂が訪れる。

 

 

           ×               ×

 

 

 なぜだ? どうしてこうなった?

 兵衛は木々の合間を全速力で疾走しながら、しかしその思考は混乱の極みにあった。

 自身が練り上げた計画は完璧であったはずなのだ。一〇〇を超える下級妖魔に上級妖魔二体を擁した新生風牙衆。

 これほどの戦力ならば、たとえ神凪家と正面から決戦を挑んだところで充分に勝利を見込めるほどであった。実際凡百の指揮官ならば、そうしたに違いない。だが兵衛は、より必勝を期すためにさらなる策を講じた。

 まず老風術師は春香を誘拐することによって、大和を完全な支配下に置いた。これは大和が、風牙衆の決起に最初から非協力的であろうことを事前に予期していたがゆえの処置であったのは勿論だが、それだけでなく、当時風牙衆における最大の懸念材料であった神凪最強の炎術師たる厳馬の対処を、大和に命じる意図もあった。

 そしてもし仮に、任務に失敗して死んだところで、それはそれで何の問題もなかった。風牙衆の汚点がたいした手間をかけることもなく消えてくれるからである。

 逆に任務に失敗しても生き残っているか、或いは成功して帰還してきたならば、そのときはあらためて妖魔を憑依させた春香を使役し、大和を始末する算段だった。

 一方、和麻を計画に巻き込んだのは、大和の場合とは打って変わり、完全に兵衛の独断であった。

 かねてから進めていた計画の準備も滞りなく済み、いざ決行するという段に至って、無能故に神凪家から放逐された落伍者が、よりにもよってこのタイミングで日本に舞い戻ってきたと知った兵衛は狂喜した。そして、兵衛はそのとき和麻を利用した策を閃いた。

 神凪家を恨んでいるに違いないあの落伍者を生贄の羊に据えることで、風牙衆の反乱を宗主たち目から逸らし、その隙にじわじわと内側から神凪家を破滅させるつもりであった。

 そうして最後には、重吾や厳馬を筆頭に、累々と積み重なった神凪一族の屍の山の頂を踏み締めて、兵衛たち風牙衆は三〇〇年に渡る屈辱と恥辱に塗れた歴史に終止符を打つことができた筈だったのだ。

 ……なのに蓋を開けて見ればこの有様だ。いま破滅しようとしているのは、神凪でなく兵衛の方だった。

 こうなった原因は、大和と和麻にあるのは明白だ。兵衛はあの二人の力量を完全に読み間違えていたのだ。まさかあれほど法外な力を持っていたとは想像もつかなかった。

 いま兵衛の脳裏には、留めようもなく「if」の考えが過っている。

 大和に対しては、春香を誘拐した折にあの娘を盾に取り、始末しておけばよかった――

 和麻に至っては、手など出さずそのまま放置しておけばよかった――

 事実、その通りにしていれば、間違いなくこんな惨めな境遇に陥ることはなかっただろうに。

 だがそれも今となっては詮無い話である。それに兵衛はまだすべてを諦めたわけではない。

 それは、決してただの負け惜しみなどではなかった。真実、老風術師には起死回生の策があった。

 その鍵となる存在こそ――風巻大和に他ならない。

 どれほど強大な力を備えていようとも、依然、大和は身の内に致命的な弱点を抱え込んでいることに変わりはない。即ち、彼の姉、風巻春香である。

 あの娘を手中に収めさえすれば、大和を意のままに操れることは既に証明されている。ならば、再び春香を誘拐せしめ、今度こそあの“血の裏切り者”を、神凪を滅ぼし尽くすためだけに使役してやればいい……

 兵衛はそんな企てを胸中で秘め育てていた。――が、それ故に気づかなかった。いや、本当のところ、老風術師はすべてを理解していたのかもしれない。

 なぜなら、彼もまた痩せても枯れても優れた風術師の一人に違いないのだから。ゆえに気づかぬはずがなかったのだ。自身に迫り来る、かの者が宿す莫大な炎の気配に。

 兵衛の行く手を遮るように、黄金色の巨体が大地に降り立つ。もちろん、鹿頭人身の巨人――風巻大和が化身した姿、上級精霊たるタケミカズチである。

 何という強大な力だ――兵衛はあらためて間近で目の当たりにする上級精霊の威容に、恐怖に先んじて畏怖の念が込み上げてくる。

 今この力を行使しているのが、長年に渡り神凪家に蔑まれてきた風巻一族の人間であると言う事実に、兵衛は無性に笑いたくなった。たとえその力の源が、とうの神凪一族のものだったとしても。

 あるいはこれもまた、神凪と風巻の融和のカタチなのかもしれないと、兵衛は思った。

 彼とて何も最初から神凪討滅を信条に掲げていたわけではない。若かりし頃は、兵衛もまた神凪と風巻の良き未来について真剣に思いを馳せたこともあった。

 だが、時を追うごとに神凪は絶対に変わることはあり得ないと確信するにつれて、次第に兵衛の考えも変わってしまった。

 だからとはいえ、兵衛は変質した己の心の在り方を後悔する気持ちは微塵もない。それは自分自身の「正しさ」を今もなお確信していたからだ。

 だが――己の敗北だけは、流石に認めざるを得なかった。故に、

『終わりだ、兵衛』

 そうして向けられた死の宣告も、兵衛は何の動揺もありはしなかった。

 ただ黙したまま、黄金の巨人が右手に持つ長大な雷剣を振りかざす様をじっと見守っていた。

 風巻兵衛はここで終わる。それは仕方がない。運気と力量が足りなかったが故の当然の末路である。だが願わくば、どんなカタチでも構わない。風牙衆の未来に繁栄が約束されていることを祈るばかりである。

 散り逝く兵衛には、もはやそう願うしかなかった。そして、それを最後に風牙衆の長は、振り下ろされる断罪の刃に従容と身を委ねた。

 

 

 かくして、風牙衆の反乱計画はこうして幕を閉じた。

 


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