Baby Princess ~それぞれの日常~ 作:明棲木親池
「オマエは馬鹿だ」
それが一時間半近くもまっていた陽太郎に浴びせられた最初の言葉だった。
当の本人もそれには少なからず思うところがあり、反論は出来なかった。
「本当に大馬鹿だ」
けれど、そんなに言うことはないんじゃないか――? と流石の陽太郎も思った。
夜空の下、陽太郎は計四回は『バカ』とヒカルに言われたのであった。
「ところでオマエ、何であんなところにいたんだ?」
並行して歩いていると、ヒカルが陽太郎の顔を覗き込むようにして訊ねてきた。
「偶然散歩してたんだよ。そしたらヒカルが――――」
そこで陽太郎の言葉と歩みが止まった。
不信に思ったヒカルは怪訝そうな表情で、「どうした?」と聞く。
しかし、それはもはや陽太郎の耳には入っていなかった。
それもそのはず。彼は今になって――なんで初めに自分が散歩をしていたのか、を思い出したからであった。
途端――。
陽太郎の表情には焦りが見え始めた。
「ど、どうしよう……オレ、春風に晩飯までには帰るって約束したのに――」
「あっ……そういえば……」
すると、陽太郎の呟きに釣られるかのようにヒカルが言葉をこぼした。
「どうかした……?」
恐る恐る陽太郎が聞くと――ヒカルは頬をかきながら、どこか気まずそうに答えた。
「いや、まぁ――そのなんだ。私の方は春風に前もって夕食はいらないって言ったんだけど――」
「――だけど?」
「オ、オマエが来たから食い損ねたなって今頃になって思い出した」
そこまで言うと、ヒカルはようやく気が付いた。
自分の発言が、さらに彼を追い詰めている、ということに。
「い、いや――! ほら、私は全然平気だから! それに春風だって怒ってはないと思うぞ? 案外、冷蔵庫を開けてみたら何かあるかもしれないしな」
捲し立てるようにそう言うヒカルだったが、嘘は言っていない。
それに春風のことだから、多分そうしているのだろうと分かる。
長年姉妹をやっているヒカルだからこその意見であった。
しんと静まったリビングへと陽太郎とヒカルは向かった。
小声で「ただいま」と律儀に言うと、ヒカルはそうは言っても心配なのか、いち早く冷蔵庫を開けた。
そこにはどんぶりにラップが巻かれ、その上に『王子様へ♡』と綴られたメモがあった。
そこでヒカルはほっと息を吐く。
振り返り、陽太郎にこのことを知らせてあげようと思った――瞬間。
ぐうぅ~と静寂を破る音が、ヒカルのお腹からなった。
流石の陽太郎でも、それがヒカルは腹を減らしている、ということぐらい分かる。
「やっぱりヒカル、お腹減ってるじゃないか」
「ばっ――こ、これは違くてだな!」
言い訳も見苦しく、さらにヒカルのお腹は彼女の気も知らないで、鳴り続けた。
「駄目だ。このどんぶりはヒカルが食べてくれ」
「いや、だってこれは春風がオマエにって作ったもので――」
「それでも、食べてくれ。春風には明日オレがそのことも含めて謝るから。
それに――オレがあそこでヒカルを待つっていってヒカルを急がせちゃったから、それがなければ今頃ヒカルは腹をすかせることもなかっただろうし」
「それは……」
その時、ヒカルは何故だかその言葉がイヤだった。なにより、彼が自分を責めていることがイヤだった。
だからこそ、ヒカルは彼に何かしてあげたいと思った。
こんな馬鹿でも――いや、こんな馬鹿な私のことを待ってくれたのだから――だったら、せめて待ってて良かった、と思える何かをしてあげたかったのだ。
ヒカルは、今一度冷蔵庫に目を向ける。
そして――
「分かった。なら――私が陽太郎の分を作る」
「ヒ、ヒカルが……?」
「あぁ、だからそれでおあいこだ」
「お、おあいこって……?」
「いいから! ほら、座ってろ!」
ヒカルは未だ意図を呑み込めていない陽太郎を席へと誘導させる。
そして、隣の席の背に掛かっている、いつも春風が愛用しているエプロンをおもむろに着けた。
その光景に陽太郎は目を瞠ると同時に、戸惑いと――期待が入り交じった感情が芽生える。
ヒカルはさっそく調理に取り掛かった。
「ほら、出来たぞ」
およそ十分後、陽太郎の前には一杯の――卵かけご飯が現れた。
「これって――」
危うく言葉を引っ込める。
間違っても何でそんなに時間がかかったの、とは聞いてはいけない。
だが、香り立つごま油の匂いが自然と陽太郎の口を開かせた。
「何か、特別なの?」
それは普段とは違う味付けでもしてるの? というニュアンスでの問いだった。
だが、ヒカルは何故だか頬を赤らめると、もじもじとらしくない態度を露わにする。
「それは――まあ特別と言えば、そうなるかも――しれないな……」
「……?」
何をそんなに言いよどむのか? もしかして春風でも知らない秘密のレシピなのだろうか……?
陽太郎は期待に胸を膨らませながら、いただきますと一口食べた。
「うん! 美味しい!」
「そ、そうか――」
胸を撫で下ろすヒカルに陽太郎は、畳みかけるように感想を述べた。
「匂いでも感じたけど、ごま油の風味が凄く出てて美味しいよ。それに隠し味に――」
すると、陽太郎の『隠し味』という言葉にヒカルは過剰な反応を見せる。
「ばっ――いや、別にそんなんじゃなくて!」
「――めんつゆを使っているとこもいいよね」
「……え?」
「……うん?」
ヒカルの呆気にとられたような顔を見て、陽太郎も釣られる。
そして――
「……バカ」
また訳も分からずに陽太郎は五度目の『バカ』を言い渡された。
ヒカルはエプロンを元の位置に戻すと、そそくさと台所を後にする。
「あれ、ちょっと――」
まだ食べ終わってない陽太郎は、席を離れることなく彼女の背中をただただ見ていた。
どうしたんだろ? お腹が減って機嫌でも悪かったのか?
そう考えると、なんだか自分の中でのヒカルが変に崩れるみたいで少し面白い。
悪い子ことをしたな――と思う反面、ヒカルの料理とも言えない手料理を振る舞われたことを嬉しく思う陽太郎なのであった。 (完)