「そういえば、あなたのお名前は?」
古手梨花が農道を歩きながらモモンガに訪ねてきた。
モモンガは梨花の家への道――モモンガのいたところではまず見かけないような地面がコンクリートではなく土が均されただけの旧い道――を歩いていた。横を見れば日本の歴史の一般教養である田んぼと呼ばれる――実物は初めて見た――穀物を栽培するときに使用される水を貯めた農地があった。
「名前……か……」
モモンガにとっての名前は2つあった。2138年で現実世界で使ってた名前――鈴木悟――。そしてDMMO-RPGであるユグドラシルで使っていた名前――モモンガ――。しかしモモンガはそのどちらも名乗る気はなかった。
まず、モモンガはこの世界に来ている人間が自分だけとは考えていなかった。サービスが終了する間近のユグドラシルでも接続している人間はモモンガを除いてもある一定の数の人間が接続していたからだ。他のサービス終了までログインしていた人間がこちらの世界に来ていてもおかしくはない。
では、その人間たちに会うにはどうするか?
モモンガがギルドマスターをしていたギルド、アインズ・ウール・ゴウンはユグドラシルをやっていれば一度は聞いたことがあるギルドだった。
では、名乗るべき名は?
アインズ・ウール・ゴウン、それは40人の仲間たちと築き上げた最高の、そして最強のギルド。本来ならその名は一人が独占するべきではない。でも、今だけは名乗らせて欲しいと思う。ナザリック地下大墳墓、そしてギルド、アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターとしてたった一人残った者として。
「そうだな……。」
呼吸器のない身体で息を吸い込む。そして名前とともに息を吐いた。
「私の名はアインズ、『アインズ・ウール・ゴウン』」
今このとき、モモンガはアインズ・ウール・ゴウンという名になった。そしてアインズはその名が轟き、ユグドラシルプレイヤー、そしてもしかしたら来ているかもしれないギルドの仲間たちがその名を耳にするのを願って。
*
古手梨花と羽生がその名を聞いたとき、鳥が囀り、木々がざわめいた気がした。もちろんそれは気のせいではあるが、それほどの迫力があったというわけだ。
「アインズ・ウール・ゴウン?聞いたことがないわ」
「ですです!」
羽生も同意したように声を上げた。それに対してアインズと名乗った骸骨はその返答を予測していたかのように「そうか……」とだけ言った。
では、なぜ、羽生すら知らないような存在がここに……。いや、オヤシロさまである羽生ですら綿流しの謎は解けてないのだから、知らなくても道理は通る。
考えてもしかたがないため、なぜ神のような力を持った骸骨がいるのか、ということについて考えるのは諦める。羽生のようなものと思えば心のなかにストンと落ちる……ような気がする。
そうこう歩いているうちにひとつの2階建ての家屋が見えてきた。
逆V字になったいわゆる切妻屋根と呼ばれるその屋根は、雨捌けがよく雪が積もりにくい。この地域は冬になったら多い時で降雪量は1mを超え、2階に達するときもあるほどだ。
玄関に当たる部分は簡素なドアだけがあり、その横には現在閉じたシャッターがある。左側面には木材や梯子があり、決して人が住んでいるとは思われない見た目だった。
その家屋、いや倉庫ともいうべきその小屋こそが現在古手梨花が住んでいる家だ。
(そういえば沙都子にこのことをどう話そう……)
あの小屋には古手梨花以外にもう一人住んでいる。梨花の親友である北条沙都子だ。ある事情により沙都子は梨花の家に泊まっているような状況になっている。
いたずらっこだが意外に弱い部分もある親友のことを考え、人外であるアインズと会うことになるであろう小屋に向かわせるのは止めることにする。
「アインズ?ゴウン?あの小屋に住んでいるけど別のとこを案内するわ」
「アインズでいい。小屋は何かあるのか?」
「今一緒に住んでいる子がいるの。その子は普通の子だからあまりあなたに会わせたくはないわ。代わりと言ってはなんだけど、以前使っていた方の家を案内するわ」
「以前……?他に家があるならそこに住めばよいのでは?あんな倉庫のような……失礼、小さな家にわざわざ住むこともないだろうに」
「大丈夫だわ。事実倉庫でしたし」
そう、そこは倉庫小屋だった。梨花は昔のことを思い出し少しだけ空を見上げる。
「倉庫に住んでいるのはいろいろ事情があるの。気になるなら後で話すわ。終わったことですし」
「いや、話したくなければそれでいいんだが……」
そういってアインズは話を濁した。何かを察したのだろう。そうしてくれるとこちらも有り難い。過ぎたことではあるが、あまりいい思い出ではないから。
そうしている内に梨花が前まで住んでいる家が見えてきた。さっきの小屋とは違い、少々古びた面影はあるがこちらは人が住むために作られた家屋だ。
「ここが私の家よ」
梨花はそう言ってアインズを案内した。