誰かのための私の物語 短編集   作:航鳥

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真冬の深夜の手持ち花火

「楽しみは最後までとっておこうよ」

彼女がそういって笑い、線香花火だけが残った。

生憎、あれからすぐに深夜警邏にあたっていた警察官に怒られてその花火に火が灯ることはなかった。

 

彼女と別れてそろそろ5年が経つ。

別れた理由はもう覚えていない。そのくらいありふれた理由だったのか、特筆すべきでもない些細なことが原因だったのか。とにかく、僕はそれについて覚えていない。

そのくせ、一人前の喪失感だけがどこか僕の心の片隅に居座っている。

 

今や彼女は何食わない顔で成功の道を歩んでいったと聞く。反面、僕は砂漠のサボテンのようにただ過ぎる時を眺めていた。夜に星を思うこともなく、昼に雲を眺めることもない。ただ消化試合と化した毎日を形容し難い心苦しさと共に歩いた。

毎日少しずつ離れていってどんどんボヤけて見えにくくなっているのに僕の視線は5年前から動いていない。

 

はあぁー

溜め込んでいた煙を吐き出す。

5年か。5年あれば色んなものが変わるものだ。テレビの画質は上がり、音楽プレーヤーの音質は上がり、買い物はネット一つで事足りるようなった。

そして僕は口から煙を吐き出すようになった。

 

先日、一人暮らしを始めることが決まった。色んなものを廃棄した。溜め込んでいた本やCDを売り払い。お気に入りだけを残した。耐陰性の強い観葉植物は冬に差し掛かっていたその日でも強く葉を広げていたので新居に持っていく事にした。

後の物は全て捨てた。

その捨てられた全てが、自分と重なって感じられて、小学校の入学から14年の間お世話になった椅子と机には、最後だからと、子供のように弄くり回した。椅子は高さを何度も変更したり机は全部の引き出しを徒に開け放してみたりした。

何の悪戯か引き出しの中からは、あの日の線香花火が出てきた。

目を疑う光景だった。一瞬、それが何だか気づくことが出来なかった。

暫くして、その線香花火が残る事になった経緯を思い出すと一層、僕の喪失感は増した。

 

新居に移り、引っ越し後の片付けにひと段落した深夜3時頃、僕は昼間見つけた線香花火を持って新居周辺の散歩がてら外へ出た。

 

前の家よりも少し都会に近づいた新居周辺の街は、夜になっても車が絶えることなく、街の光も濃いものだった。

目まぐるしい光と、聞こえる線路の音から離れていく、自然と少しずつ静かな場所に身が運ばれるのを感じる。

 

途中、見えたディスカウントショップに入り大きめの花火セットを買った。

この寒い冬に何考えてんだという目で店員は僕を見ていたが、僕もそんな目で自分を俯瞰していたと思う。

全く、人間拗らすと何しだすか分かったもんじゃない。

 

道中、潮の香りが漂って来たので誘われるようにその匂いを追った。

更にしばらく歩くと防風林を隔てて潮騒の音が聞こえて来た。

漸く、海に出たようだ。

暗くて静かで波の音しか聞こえない。近くに人気はなく、肌を通過する潮風は真冬の冷気をはらんでいた。

 

冬の深夜の花火大会、始めるとしますかね。

買ってきた花火セットを開け中身を広げる。備え付けられてあった小さな蝋燭を取り出し煙草用のライターで火を点ける。

 

線香花火の先を火に近づける。

 

「チッ、やっぱし5年も放ったらかしてたら着くわけねーか」

 

火は線香花火に灯らなかった。

まあ、当たり前だ。引き出しの中で放置され続けたそれが湿気にやられていないことの方が稀な気がする。それに灯ってもらいたかったかどうかすらよくわからない。

 

一人だけの砂浜でその一人の呟きが消える。代わりに潮風と波の音がしじまに響く。

 

早々に“取っておいた”線香花火を諦め、景気付けに買ってきた花火セットの中から適当に花火を3本ほど見繕う。

 

僕は一人、手持ち花火を振り回した。

誰も見ていない、ここにいるのは自分だけ。そんな事実が背中を押して僕は狂ったように花火を続けた。

しかし、最初こそ陽気に振り回していた花火だったが半分が終わる頃にはすっかり虚しくなって、30分とせずに締めの方向に向かっていた。

 

最後に、と買って間もない新しい方の線香花火を取り出し、ライターに火をつける。

思えば線香花火自体、しばらくぶりだ。

“楽しみ”だったそれは、一体どんなものだったのか。

イメージは浮かぶがそれに伴う感情が思い起こせなかった。

まあ、やってみれば思いだすだろう。

 

「あー待って、待って。楽しみは最後までとっておきましょうよ」

 

ライターの火を線香花火に近づけようとしたその時、唐突に掛けられたその声に思い出の蓋が開かれる。

その一言は何度も繰り返し僕の頭の中で反響する。

 

「まだこんなに沢山残ってるじゃないですか。全部使い切らないと次がないですからね、花火っていうのは」

 

突然現れたその少女は残りの花火を拾い上げそう言った。

彼女が一言発するごとに僕は現実と非現実を右往左往する。そんな不思議な魔力を彼女は持っていた。

僕は、たじろぎ、それを隠してそっけなくその少女に応える。

 

「ああ、そうだな。5年前の花火には火が灯らない」

 

「なんでそんなに例えがピンポイントなんでしょうかねー。まあ、構いませんけど。あ、火貰えますか?」

 

「はい」

 

少女の手元に蝋燭を動かす。

すると彼女は嬉々として両手の花火を火に近づける。

少女の手に携えた花火は赤ともピンクともいえないような色の火を放つ。

 

周りの闇が少し晴れ、僕の目の前の少女の姿が鮮明に浮かび上がった。

少女は夏を思わす白いワンピースに、厚手のカーディガンを羽織った調和もロクに取れていないような格好をしていた。

冬に抗ってるのか屈しているのか、よく分からない格好だ。

ただ、彼女から覗ける肌は透き通るように白く“消え入りそうな少女”という印象を僕に与えた。

 

少女は上機嫌に花火を2本、鼻歌交じりにぐるぐる振り回す。

僕はそれをただ眺めた。

 

海に広がる白波、不思議な透明感をもつ少女、冬の高い空、その下の花火、冷たい潮風。

 

どれをとっても噛み合わない不可思議で幻想的なその光景は僕に時間の感覚を忘れさせた。

 

少女は一人、花火同士を繋ぎ繋ぎ消えないように火を移しては舞った。

 

悠久のようでもあり、刹那のようでもあったその時間は、彼女自身の声で終わりを告げた。

 

「あーもしかして、これがさっき言ってた5年前の花火ですか?ちょっと貸してもらっていいですか」

 

「別にいいけど、どうせ火着かないぞ?」

そういって、ライターと線香花火を彼女に手渡す。

 

「さてさて、どうでしょう?」

 

何やら嬉しそうに彼女はそれらを受け取る。ライターを点けるのに幾らか苦戦した後、彼女は火のついたそれを線香花火へと近付ける。

瞬間、彼女の指から垂らされた線香花火が火を灯す。

 

その瞬間、その光景を見たとき、夢の続きが始まった気がした。

 

「着いた!?」

僕は、一握の感動と衝撃で立ち上がる。

すると、少女の白い手からる垂れ下がる刹那の夢はその身を落とした。

 

「ちょっと、そんな激しく動くと風が起こるじゃないですか」

 

少し、拗ねたような口調で彼女がそういう。

 

「驚いちゃって、つい」

申し訳なさから身振り手振りで謝罪の意を表現する。

 

「まぁ、いいですけど。どうせだから全部チャレンジしてみましょう?あなたもほら」

 

そういって彼女は半分に分けた線香花火の束をこちらに渡す。

 

「ほら、着きましたよ。なんか5年ものって聞くと嬉しさも5倍ですね」

 

それはどんな理屈だろう。幸せそうな考え方だ。僕は少しおかしくなって笑う。

 

「あーあ、こんな真冬の深夜に一人で花火をしているのがどんな変人かと期待していたのに、案外普通の人ですね、あなた」

 

「なんだろう、普通と言われただけなのに大分貶された気がする」

 

「はて、気のせいじゃないですか?」

 

「まあ、そうだな。きっと気のせいだ」

 

火の玉がじわじわと膨らみながら火花を散らせる、たまに激しくなったかと思うと、急に勢いを失い地に落ちる。

 

「これ5年前のものなんですよね?」

「そうだけど?」

「思い出の品か何かですか?」

「まあ、そんなものだ」

 

その後、5年前のもの全てを使い切るまで彼女とは隣り合ってその小さな火花を眺めた。

 

最後の花火が落ちた時、僕は完全に夢から醒めた気がした。

 

結局、さっき買った方の線香花火までは使い切るに至らなかった。

「またいつか、次あった時の楽しみにとっておきましょう」

少しだけ彩度を上げた帰路を線香花火を片手に握り僕は歩いた。

 

きっとその“次”があるならば、この花火は確実に火をつけてくれるだろう。

 

そういう不思議な確信と共に。

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