1945年4月末日、日米一時停戦の合意。特艦隊の沖縄突入によって沖縄戦が早期決着となり、更に沖縄戦時の日米数万人が確認した日本艦艇不沈事件による両国軍事大規模な混乱によって起きたモノである。最後に沈んだ船が大和であったことから、それらの関係性を疑う者も多くいたが、結局のところ判明せず。その際には随伴艦隊はほぼ無傷。
所謂艦艇での攻撃が日米ともに不可能になり、海上での戦闘行動を一切行えなくなった。
援護砲撃なしでの沖縄戦は継続不可能と判断した米国と、更に日本側が行った日本軍沖縄降伏命令が速やかに実施された故に必要がなくなったという理由もある。
その後、全波通信での両国軍停戦命令により日米戦争は一時停止。
1945年5月8日ドイツ降伏文書の推進式が行われたことにより、米国内で厭戦反戦運動が活発になる。
1945年5月10日パリ緊急会談、翌11日パリ宣言(日本に対する無条件降伏内容の発表)
1945年5月15日大日本帝国第87臨時議会招集。
1945年6月21日一時停戦により更なる厭戦気運の高まり、日本が無条件降伏に応じる旨を通達。翌22日玉音放送。
1945年7月21日戦艦ミズーリ艦上にて降伏文書調印。
時は流れ1965年、核が一度も落とされなかった核実験のみで、核開発が各国競争に発展することもなく、降伏文書調印後によるソ連による日本侵攻も起こらなかった世界。
米国へ送られた旧大日本帝国海軍の艦船は未だ日本側からの出資の元各地に分散して抑留されていた。
そこに特艦隊の艦船も全てそろっている。
1965年7月21日、艦艇返還式。
これ以上の港の圧迫を続けるのは得策でないと前年同日に米国議会にて決議され、武装凍結された艦船を日本へ返還することが決まったのである。
旧日本国海軍生存者による引き渡し式の元、西海岸を出港した艦隊は航海の途中通信が完全に途絶える。
数十隻の艦艇全てが忽然と太平洋のど真ん中で消失したのであった。
これは2016年4月現在に至るまで、海底調査を含め一切の情報が得られていない。
沖縄戦時の混乱を含め、近代史における最大の謎とされているモノである。
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「……ここどこだろうな」
「海よ」
そんなことは言われずとも知っている。辺りを見渡せば長門を旗艦とする特設第一号艦隊の艦艇が見える。そこには1945年5月までに存命の艦艇は海防艦を除きすべてそろっていた。本来の正史ならソ連や中国に渡される予定だった艦も全てアメリカがごっそりもって行った為に相当数の艦がそこには存在した。
沈まなかった理由をそうまでもして知りたかったらしい、がしかしどうやらその理由は分からず仕舞い。今日《こんにち》を迎えた。そもそもその理由は今現在なぜか存在する艦娘であると私はほぼ確信しているのだが。
そして現在、当然ながら無くなった右目も指もそのままで私は海上を彷徨っていた。
……若くなったことを除けば。本国では既に戦争を知らない世代が生まれてきて、この前私も戦後世代の子供から『海賊のおじいちゃん』と指を指されて、あながち間違いでもないと笑ったモノである。
「一つ納得いかんのだが……」
『私でもですな』
それは妖精さん?の存在である。
あの海戦の死にぞこないは全て、体の欠損で艦艇の運営が出来なくても記念的な意味含め乗艦している。むしろ腕一本足一本ない人間は大勢いるが、艦を浮かべて進めるだけなら彼らにだって出来るのでほとんどの人員は仕事についているのだが。
『なぜ、木村提督だけはそのままなので?』
最大の疑問は彼らは五体満足の妖精さんへ変身とういうか、変体というかしており、私だけはそのまま点である。
「……知らん、いや、なんでむしろお前たちはその体なのかこっちが聞きたい、それに今は提督ではないぞ」
『まぁ、体の不自由なくなった点では満足ですがな』
「地味に羨ましいぞ」
この調子なら他の艦艇に乗っている軍人も彼のようになっているのだろう。地声そのままの妖精さんへ。
「それで、叢雲。長門と連絡は付くか?」
「あ~、この事態を受けて、最終指揮権を木村中将に移行する旨が打診があったわよ」
間違いない、現実逃避してやがる。
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仕方なしとばかりに艦隊行動を停止させ、長門へとカッターを出す。その後登場したすべての艦娘、艦長妖精を招集。これらは叢雲艦橋で行い、艦の維持を池田艦長(妖精)任せる。元々特艦隊指揮は私であったが、艦長は彼であったのだが、今までは艦長を挟んで操艦要請という形をとっていた。その為。ちょっとした指揮系統の正順化だけであるが引継ぎは必要である。
「木村利正、乗艦を願います」
『許可します、木村中将、貴方の乗艦心から歓迎します』
……うむ、野太いな。
しかし、長門も変わったモノである。近代化改装前の初期艦橋ではパコダマスト構造という日本独自の艦橋構造であった。これはドレッドノート始めとする、金剛や伊勢扶桑型の初期艦橋、とは異なった形状で本来なら天城型戦艦にも同じものが前部艦橋上部構造物として建てられる予定であったものだ。
魚雷の発射管も舷側の艦首艦尾に両舷1基ずつ、中央部水上発射管2基、計八基あった全てが取り除かれている。防御区画的な意味も、そもそも駆逐艦が登場し小型艇突撃もなくなり、艦隊運動しかしなかった戦艦では使わないという意味もあって取り除かれたのであるが、これらも時代を感じさせるものだ。
「兵器の進化というものは恐ろしいモノだ、今は自動追跡噴進弾が主流になりつつある。幸い核が広がらなかったのが救いなのか」
『我々人類は戦後に何を学んだのでしょうなぁ……殺すことばかり考えております』
……人類?いや、もはや君も人類じゃないだろう。声には出さぬが。
目の前で三体合体を行い(妖精トーテムポール)水密戸を器用に開ける彼ら?彼女らを見て思う。というより、手際が良さ過ぎるだろう、君たち少し前に妖精になったんじゃないの??
「すまん、ありがとう」
『では、こちらへ指令室へ案内します』
少し遠い目をしながら、艦橋内部を行く。しかし、基本は駆逐隊として前線に居たので、中将としての階級を持ちながらも会議や長門に乗艦することなぞほぼなかった。重大な海戦の時は基本蚊帳の外、という表現は私自身の役目を厳かにするようで気が引けるので避けたいが、事実そうであった。
開けられた扉をそのままにゆっくりと作戦室を見渡す。そこには見知った顔が……居なかった。いや、そもそもおかしいだろう。何故、宗像艦長も鷹だ艦長も峯崎艦長も変わってるのに私はそのままなのか?確かに、特徴はそのまま出し声も一緒だが、顔は原形をとどめてはいない。現代医学も真っ青である。
さて、既に全員そろっているようである(現実逃避)。灘風、漣、潮、初霜、有明、霞、雪風、天津風、磯風、浜風、朝霜、涼月、冬月、春月、宵月、夏月、花月、松型多数(生存艦多すぎ)、橘型(全艦)駆逐だけでこの数だ。更に巡洋艦数隻、戦艦数隻、空母数隻、多いな!?今思えば、流石に日本にこれだけの艦を持って帰ってどうしようというのだろう?いや、まぁほとんど鋳潰される予定だったんだろうなぁ。これだけの維持費にどれほどの税金が……。
戦後賠償の代わりに相当つぎ込まれたとは聞いているが、金の算段は私の管轄じゃない。案外、艦娘補正とかでそこまで維持費掛かってなかったかもしれんしな。
……現実逃避は止めにしよう。いや、確かに艦娘集めろと言ったが、流石に多いだろう。作戦室すし詰めじゃないか。前世で見たことない彼女らは松、橘型の艦娘だろか、彼女たちは生存艦が多いので2体合体(肩車)をして会議室に居る、なんと涙ぐましい努力であろうか。
「すまない、少々考えてモノをいうべきだったな」
「いや、木村提督。これは生きて今を居る貴方方に会いたくて皆集まったのだよ。流石に私にだって自分のことだ、妖精さんも合わせてこれだけの数が入らないことは分かっているさ」
……ふむ、ホンに宇宙警察だな。夏はいいが冬は悪夢を見そうだ。
「ん?どうかしたか?木村提督」
「いや、何流石は帝国が誇る戦艦。艦娘となっても美人だと感心していたところだよ」
「そ、そうか。そう言ってもらうのは嬉しいな。ありがとう」
どもって頬を赤らめ目線を右下に落す美女。すまん、長門よ。息を吐くように嘘をついて誤魔化した。だが、美人だと思ったことは本当だ、許してくれ。
「さて、会議を始めよう。座る場所は……ないな」
当然である。すべての作戦台も全て通路にたてられているのだから、椅子が置いてあるはずもない。正直出入り口付近の一角が少しだけ空いているぐらいだ。全体を見渡し呟く。
「さて、始めようか」
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結局、偵察機を飛ばしてみて、様子を伺うという事になった。がしかし、正直に言えば、危機感だけは非常に高い。艦娘が居るという事は、それと敵対する存在が居るという事に他ならない。幸い、これだけの艦艇が居ればほぼ怖いモノはない。天城葛城の両空母にしまね丸、海鷹、鳳翔と数では非常に多い。艦載機はほぼ搭載されていないが。
零式含む艦載機の多くは好事家に売り飛ばされたらしい。今頃レシプロレースにでも出て元気に飛び回っているいることだろう。直線でスーパーコルセアなんかに勝てるとは思わんがな!
誰だ、空母のことをただの箱だと言ったやつは。否定はせんが、温かい目線で見守るのが常だろう。
全空母合計で20機程度しかない。そもそも一時の間、彼女たち空母は復員船であった。格納庫に薄い畳がひかれ、一応居室として『ごろ寝』が出来る様になっていたのだ。実際には『すし詰め』状態で帰還兵や移民は乗せられていたので、寝られたとしても三角座りであったらしいが。
復員船としての役目を終えて、1948年に米国に引き渡された時、各空母は完全に艦載機を積んでいなかった。今の20機も占領時に技術研究目的で鹵獲された機体の一部を返還する形で乗せられていたものだ。
動態保存されていない機体は更に60機ほど乗せられているのだが、これはもはや航空機ではなくオブジェクトなので艦載機として数えていない。これらの機体は一部はレストアされる予定だが、後は戦史航空博物館に納められるモノであった。
要するに格納庫が空いていないので、乗せる機体がもしあったとしてもスペースがなかったのだ。居室を再び格納庫に戻せば良いのだが、艦船の返還を書いた条約の中に出来得る限り引き渡し時の状態を守って返還するという一文があった。
これも戦後、戦中の過ちなどを少しでも正しく伝えられるようにとの日本側の要求である。そして、そう言われれば本音がどうであれ、戦闘可能状態での引き渡しであっても米国は断り辛い。
つまり、航空機に余分はないが、代わりに弾薬などはある程度残されて積み込まれているのである。当然、信管は抜き去られているが、これらも別保管なだけで艦載されている。普段戦闘海域外を航行する状態と何ら変わりなので、実際には何時でも撃とうと思えば撃てる状態と言っても過言ではない。
もし深海棲艦がいたとして対空戦闘も、これだけの艦隊密度であればそこそこ出来るだろう。
「……なぁ、叢雲に戻っていいか?」
「……ダメです」