我が名はスカサハ、影の国の女王哉   作:Marydoll

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これで過去編は終わり

次回からは北米神話大戦です


希望、ついに途絶え

猛然と槍で斬り払う。

一人一人、戦士としての格は常人のそれを大きく上回るオイフェの兵士たちを、スカサハは一息で数十人薙ぎ倒した。暴風を纏う一陣の暴虐に、兵士たちはたたらを踏む。そしてどうにか態勢を建て直した頃に、降りかかる数百の弓撃。本来ならば幾らかを防ぐことができたであろうが、優に百を超え、さらには身体の軸が確かではない今の彼らでは、それを回避することはできないーーつまり、彼らは死の結果を受け入れるほかなかった。

血肉が抉られ、骨が潰される痛々しい音が連続する。スカサハは気にすることなく戦場を駆け抜ける。

さらにスカサハの動くその周りで、数多の罠が作動する。それは罠の張られた場所を十全に把握するスカサハだからこそできる荒技。自身は敵を引き連れるように罠の合間をすり抜けるーーそれを知らない敵は悉く罠に掛かりその命を落としていく。

しかし、だからといってその罠の存在を警戒しながら、スカサハの弓兵たちの射撃を避けることは不可能。オイフェ軍は、徐々に、けれども確実にその数を減らしていった。

 

「……ッ、投石ッ! 放てッ!!」

 

そんな風に敵の兵士を殺害していきながら、スカサハは敵の遠距離攻撃を封殺する手も、同時に打っていた。

ずらりと並べられた盾を抜くために、弓を使っていてはあまりに稚拙に過ぎる。故、あの防壁を打ち壊すためにスカサハが用意したのは、岩。スカサハの屈強な兵士十数人で運用される投石機による攻撃であった。

数十個の岩石が空に飛び上がり、破砕音を轟かせて地を揺らす。その重量を盾で防ぐのは不可能。オイフェの兵士たちは皆々、潰されひしゃげるか、退避してーー次弾の弓に射抜かれるかして死に絶えていった。

戦争は、スカサハの軍が優勢である。それは偏に、指揮官が存在するかしないかの違いによるもの。スカサハに相当する優れた指導者であるオイフェが居ないというのは、歴然とした唯我の差を生み出していた。

戦場を駆け抜けながらスカサハは遥か遠くの戦闘を気にしていた。

クー・フーリンとオイフェの闘いが、今どうなっているのか。それが気になってしかたがなかったのだ。

その未練を振り切るように槍を大振りして、さらに次の戦場にかけようとするーー

 

ーーその時である。

 

スカサハがちょうど、彼らのいる方向から目を離したのとほぼ同時。

爆炎が空を灼いたーー

 

「ッ!?」

 

スカサハは驚き、そちらに完全に意識を向けてしまう。その瞬間を狙い澄ましたのように、大量の矢がスカサハ目掛けて飛来する。しかし、たかが数瞬の空白如きでどうこうなるような存在ではない。スカサハは槍を一振りし、その全てを払い落とすーーだが、その意識は未だ爆炎の中心近く。つまりオイフェとクー・フーリンの居場所に向けられていた。

 

「なんだあれは……?」

『ーーあれはオイフェの魔術(・・・・・・・)ね。それとクー・フーリンの投槍(・・・・・・・・・・)

「ーーーーッ!』

マブの言葉を飲み込むのに数秒。理解して行動に移すまでは一瞬。スカサハは立ち上る炎の方向へ向かって走り出したーー

嫌な予感がするのだ。

ずっと、ずっと付き纏う、古傷の疼きにも似た焦燥感。なにか、わたしは間違いを犯してはいないか。どこか、可笑しなところはなかったのか。そんなものーーと、思う。だが、そう自分を納得させようとすればするほどに身を焚く既視感の燻りが不吉な音をたてて燃え広がっていく。小さな火種がいつの間にか、もう既にどうしようもない結果に成り下がっていた、『あの時』と同じように。

喪失の予感だけが、スカサハの胸の内を支配していくのだ。

叫ぶーー

 

「マブ! 二人はどうなっているッ!?」

訪ねた相手は、けれども答えを返しはしなかった。それどころかマブの気配すら感じなくなってしまった。

焦燥はそのまま身体に表れる。

どういうことだこれは。

木々の隙間を縫い、加速し続ける。木々の根を踏み潰し、落葉を蹴り飛ばしながらーー次第に熱くなっていく風を身に浴びて。

まだ、叫ぶーー

 

「マブッ、マブッ、マブッ!!!」

 

返事を、二人はどうなった?

教えて、お願いだからーー

マブ、マブーー

 

「マブッ!!!」

『…………あ』

 

マブの声が、風の音に紛れて聞こえたような気がした。それは微かでか細く、勘違いであったかもしれない。だがスカサハはその小さな声に希望を見出したーー

 

「二人はっ?」

『ダメよ、ダメよスカサハ来てはいけないッ』

 

マブの痛ましい声が聞こえたーーしかし、時既に遅し。

炎の中心近くまで辿り着いたスカサハは、その光景を目にすることとなる。

妖精の策謀はここに完了する。

何処かで、笑い声が聞こえたような気がしたーー

 

 

 

 

鉄の打ち合う音に火花が付き纏う。猛る慟哭の声、声なき沈黙の炎が交わり、混ざり、そして高くたかくへと上り詰めて消え去っていく。

未だ熟しえない己の拙さを恥じて猛る。クー・フーリンは自身の手の甲から弾ける血幕を振り切って槍を振るう。隙を見せれば喰らい付かれる。まるで獣と獣の闘争。そこにあるのは本能のみ。身に染み付いた技も(すべ)もただ、今は目の前の敵を斃すためだけにーー

基礎の、それ以前のもの。誉れ高き師の教えは色褪せたりはしない。一瞬の油断が身を滅ぼす。そのような熾烈な戦闘の中でーーだからなんだとクー・フーリンは赫々たる瞳に紅の光を滾らせる。

スカサハがクー・フーリンにもっとも重きを置いて指導したのは、細やかな小手先の技よりも寧ろ、槍を振るうその基本にこそあった。敵が二度振るう間に、三度四度と槍を振るえるようなはやさを。敵が一を壊す間に、十や二十を打ちこわせるような力を。何度もなんども、もう既に身に付いただろうと、傍目に見ればそう思えるような結果をクー・フーリンが掲示したとしても、スカサハは愚直に長い間、それだけを彼に求めてきた。スカサハはクー・フーリンの才能の丈を知っていたーーそれが、或いは己を直ぐに超越する程のものであることを認めていた。だから彼女は、いつかクー・フーリンがここを立ち去り、自身の導きなく強さを求める時に、クー・フーリンが迷うことがないようにーーそれだけを教え続けてきた。クー・フーリンはいつかスカサハの業をすべて修めるだろう。そうすればスカサハの役目は終わるーーそれからはクー・フーリンが己のみで目指すべき高みがある。その時、きっとクー・フーリンはその悉くを乗り越えていくだろう。スカサハは知っている。彼は生粋の戦士であるーーそれこそ、闘争の中でさらに強くなってしまうほどに。故にスカサハは考えた。今のクー・フーリンに最も必要なのは、強くなることではなく、強くなるための(・・・)基盤であると。誰よりもはやく強く槍を振るうクー・フーリンは、多少の苦手など封殺出来るだろう。そうやって長引く戦闘は、より彼を成長させる。スカサハは、誰よりも、或いはクー・フーリン本人よりも彼のことを案じ、彼の未来を見据えていたのだーー

そんな堅実な攻勢たりえるクー・フーリンの守勢の背後に、オイフェはスカサハの姿を見定める。ならば加減も手心も必要あるまいーー先までの考えも溝に捨ててしまう勢いで追撃の速度を加速させていく。スカサハのことを第一に思えば、その弟子を殺さない程度に行動不能にしてしまおうという考えは、無為自然。

前進それのみを知るかのように、オイフェはクー・フーリンを猛襲する。 轟音と共に空転する武具は、クー・フーリンの槍に阻まれて逸らされていく。力で押し切ることが出来ない。手数で穿ち抜くことが出来ない。クー・フーリンは、ここに来てーーオイフェとの数十分の戦闘の中で、オイフェと互角に闘える程までに成長していたのだーー!

 

「ダァぁらァっ!!」

「ツっシッ!」

 

クー・フーリンの腕が霞んで見える。彼の叫びに、オイフェは小さく吠えることで応える。オイフェの槍が右斜め下から振り上げられ、クー・フーリンの槍を弾き返すーーオイフェの槍はそのまま振り下ろされて……クー・フーリンはそれをオイフェと同様に弾き飛ばす。刃と刃の弾ける細やかな音が迅雷となって地を駆け抜けていく。クー・フーリンはオイフェの連撃の中にある一瞬の隙間を縫って彼女に迫るーーだが、それも寸前でオイフェに阻まれてしまう。だがこの男ーー!

クー・フーリンの戦闘には、序盤の頃とは明らかに異なる点が存在する。それはつまりーー

あり得ぬとは言うまい。オイフェの攻撃をいなしながら後退していたはずのクー・フーリンが、いつの間にか自身の槍の領域の中に居留まり続けているということに、オイフェは極限まで引き伸ばされて希薄な意識で気づいていた。闘争の中で成長するーー?

巫山戯た話である。これは成長などという生温いものではないーーこれは、もはや進化である。小一時間の中で、クー・フーリンの実力は途方もない飛躍をしていた。オイフェは自分の万雷の刺突を全て弾きながら(・・・)、自身に攻撃を仕掛けるクー・フーリンに密かな賞賛を送る。クー・フーリンはオイフェの槍を危なげもなく相殺して、その中で攻撃の一手さえも織り交ぜてきているのだーー

オイフェは幾万もの殺すつもりの攻撃をしている。

だが、クー・フーリンはオイフェのそれらの攻撃を防ぐために幾万も槍を振るい、その上で(・・・・)オイフェを攻撃してくるのだ。

獲物を定めた猛犬も、自分が徐々にオイフェの居る高みに近づいていることを感じていた。気分が高揚する。これが闘争。これが、強者との闘いなのだ! 弱きを殺し、斃すだけでは足りない渇きを満たす殺し合いをーー

クー・フーリンは滾る身体のそのままに槍を振るっていたーーオイフェのどこか冷めたような目線には気づかずに。

次第に自身が押され始めていることに、オイフェは気付いていた。しかしーー他に気づいたこと、もあった。

それはある意味、戦場においては致命的な欠点。現状のクー・フーリンに唯一と言っても良い足りないもの。

それはーー

全力で殺しにくる格上との戦闘ーーそして。

戦士としての青さーー

 

「ーー莫迦が」

 

一閃。

クー・フーリンは、自身の過ちに気付く。

気分の高揚に任せた動きはどうにも単調で、分かりやすい。だから、オイフェはそこに付け入る隙を見たーー

クー・フーリンは気付く。

嵌められたーー!

オイフェに合ったと見た穴は、オイフェ自身が態と作り出した隙ーーという名の罠。オイフェの背を追い、近づいていくの実感する中でーー未だ若輩のクー・フーリンは、自身の槍がオイフェに届く瞬間を錯覚してしまった。不自然なオイフェの隙を、思わずついてしまうほどに。クー・フーリンは高揚していたのだーー

 

「ーーーー死ね」

「ーーーーーーーぉ、おぁラっ!!」

 

全力で突いた槍を、また全力で引き戻す。オイフェの槍が胸を貫くそれを防ぐためにーーそれも単純。

また、失敗した。

オイフェはクー・フーリンの胸元に作られた槍による障壁にーー振り払うようにして横合いから叩きつけた。

必死に引き戻した槍の衝動そのままに、それを後押しするように槍を払われたクー・フーリンは、左腕をそのまま左方に広げるように開いてしまうーー圧倒的な隙。

戻せない。

次の攻撃は避けられない。

不味い、マズイ、まずい。

負けるーー負ける?

クー・フーリンは浮かび上がったその思いに怒りを覚える。負けるだと? 本当にそう思うのかテメェは。クー・フーリンはオイフェの槍による突きが頸に迫るのを遠巻きから見るようにして、感じていた。

ゆっくりと流れる時間。加速する意識。

クー・フーリンは左方に崩れた身体の軸をーー戻さずに許す。

「ーー!」

「グっがぁあっ!」

 

流された力そのままに、クー・フーリンは左方向にーーくるりと回転する。オイフェは目を見開く。

クー・フーリンを殺さんとした死の槍は、彼の髪の一房をもぎ取って、空ぶるーー

オイフェと入れ替わるようにして回転しながら、彼女の背後に回り、そしてーー

槍を振るうーー!

勝った、そう思ったーー

だが、やはりオイフェは感じていたーークー・フーリンの青さを。詰めが甘いとは言わない。確かにこの位置どりは必殺の一撃を生むには最高の状況だーー敵が常人であれば。

クー・フーリンは強い。

しかし、オイフェも強い。それはクー・フーリンをして敗北しかねないほどの、強さ。

振るわれた槍はーーオイフェを穿つことなく……停止した。

 

「ーーーーあ?」

「ーー私は、戦士だ」

オイフェは言う。

 

「ーー魔術師でもあるがな」

 

クー・フーリンとオイフェの足元に光るのはーーエーテルの輝き。

オイフェは振り向きざまに、槍を振るった。それはクー・フーリンの腕を斬りはらい、彼を遠方へと吹き飛ばした。

この勝負、オイフェの勝ちであったーー

 

 

背後に突然現れた女が、存在しなければーー

 

 

 

後悔先に立たず、という言葉は嫌いであった。そんなことを言われても、だったらどうすれば良かったというのか、あなたは私に教えてくれるというの?

自分が次の瞬間に死んでしまうだなんて、思ったりはしない。突然、知らない誰かの身体になってしまって、たくさんの身に余る期待を寄せられても、それに応えてあげよう、だなんてことを言える程に、私は強くなんてないのだから。

私を本当に信じて、愛してくれたのは、きっと彼女だけだった。

私の臆病さを認めて、そんな中で私を傷つけないように、彼女は私のことを考えてくれていた。

私は、彼女のことが大好きでーー

 

あの子がいれば、きっとそれでよかっただったのにーー

 

 

ーースカサハは、その光景を目にすることになる。

これで、希望は絶たれたーー

 

 

 

 

自身の身体に走る激痛に気付いたのは、自分が倒れ伏していることに気が付いた後のことであった。朦朧とする意識で、身に宿った明らかな『呪い』の存在を感じながら、オイフェは無理やり顔を捻り、向ける。

クー・フーリンは、植物のつるのようなものに縛り付けられていた。必死に抵抗しようとするが、どこか力が衰えているように見える。

鋭い痛みが、頭痛として刺さる。

クー・フーリンの槍は、己には届かなかった。才覚に満ち溢れた彼の業に、オイフェは最後まで食らいつきーーそして勝利したはずなのに。どうして私は倒れているーー?

 

この胸を貫いた刃は、一体誰のものだというのだーー?

 

「ーーふふ、フフフフ」

 

頭上から女の声が聞こえる。

胸の傷が、身体にまで広がる痛みに変わるのを苦悶の表情で感じながらオイフェは、その声の主をギロリと睨みつけた。もはや疑いの余地など存在しなかった。

このタイミングで、このように行動に出るものなど一人しか居ない!

「ーーきさッ、まァァァ!」

「あは、あはははーーなんて無様! 本当に無様な姿! あんな男一人に手を拱いて、だからたかが魔術師一人の刃に倒れてしまうのっ!」

見上げた先にいたのは、やはり声の通りーー女。

オイフェには、その余りに短く際どいスカートがもはや淫祀さ以外の何物も表現しないほどに悪どく、醜く見えた。桃色の髪の毛がけたけたと笑う彼女の身体に合わせて踊り狂う。右手に持つ漆黒の短剣に赤く滴るそれを見つけて、オイフェはさらに憎悪の炎を燃やした。

 

「淫鬱な妖精気取りがッ……! 貴様がっーー」

「本当に愚かな女。けれどスカサハとは違って、ただ愚かなだけ。可愛くもなんともないわ」

「ーーぐぅゥォ」

 

全身の骨肉を軋ませながら、血脈を沸騰させるような熱を抱きながら、オイフェは立ち上がろうとするーーだが、出来ない。

オイフェには魔術的素養が大いに存在した。その点に関しては、偉大なる魔女であるスカサハをも上回り、故にその心身を蝕む異常を『呪い』であると評していたーー

だが、違う。

それは寧ろ、『毒』。

妖精マブが、忌々しきオイフェに向けた怨念が発送させた、この世最悪の毒。

かつて当時一番の賢者と、十二の試練を乗り越えた大英雄をして耐え切れなかった、悪蛇の血。

ーーヒュドラの毒を……

 

オイフェに、用いたのだ。

マブはオイフェに怒りと憎しみを感じていた。丁度、オイフェがマブに感じているものと同じように。

「ふふふ、痛いでしょう? 苦しいでしょう? 何せ、神の力にも勝る呪いを受けた蛇の毒。それと『同じ概念』を、貴女の身体に植え付けてあげたのよ?」

「ギィッ、ガッ、ザマッゥ……!!」

「必死になっちゃって……ふふ、でもごめんなさい。貴女が何言ってるかーーぜーんぜんわからないわぁ!」

 

憎悪と怒りが、次第に痛みと熱に押し潰されていくのが分かる。身体中を毒が犯して、壊していく感覚を実感していた。

けれど、オイフェはーー

 

「ナァァァ、メェぇ、ルナよッ! ぐぅクズがぁ……!!」

「あら? 立てちゃうの? 凄いわねえ。ほら頑張ってがんばって。もう少しだけーー頑張ってね(・・・・・)

 

ついに立ち上がったオイフェは自身の槍を、蛮神にも勝らん力で掴んだ。槍を支えに立ち上がるーーしかし満身創痍。今にも前方に倒れ伏してしまいそうな身体を、オイフェは必死に律していた。ここで倒れるわけにはいかないのだ。この妖精マブの、想像以上の悪辣さを知ってしまえばーーここで死するわけにはいかないのだ。スカサハが、もう不必要な傷を、負うことがないように。その芽は全力で潰さなければならないーーやらなければ、ならないのだ……!

身体はーーもう、動かない……

 

ーーしかし。

 

「……何者だ、テメェ」

オイフェの身体を支える者が居た。その立ち振る舞いは彼女に似ている。当たり前か。誰よりも彼女の業を身につけ、彼女に導かれた彼の姿が、今はどうにも眩しくて仕方がない。

羨ましかったのかも、しれない。

スカサハと多くの時を生きた自身でさえ手に入れられない瞬間を、己がものとするこの男が、どこかいらだたしかったのかもしれない。

悔しかったのかも、しれない。

 

クー・フーリンは、槍を右手に(・・・)握っていた。オイフェを支えるのは、彼の厚い胸板ーー左腕は、存在していなかった。

二の腕の半ば辺りからどす黒い血と肉が滴り落ちていた。クー・フーリンはそれを気にせずに、ただ目前の妖精のみを睨みつけている。

 

「…………ふーん? どうして、立てたのかなぁ? 貴方には『ゲッシュ違反の概念』を与えたのに、大したものねーーほんとうに」

「何者だと、訊いている。質問に答えろよ、女狐」

「私? 私はーー」

 

クー・フーリンは、そしてオイフェは、これから遥か未来において対峙する怨敵の名を、今この時、初めて把握することになった。

それを知った時には、もう多くのものが手遅れになっていたとしてもーー必ず討ち果たすと心に誓った怨敵の名を。

妖精マブーーその名を騙る女は、なんと妖艶な笑顔か。嫌らしく、いじらしく、そして死にゆく女を哀れむように自身の名を告げた。

 

ーーそう、彼女の名前は……

 

「ーーメイヴ。私の名前は、メイヴよ……憶えておきなさい、犬っころ」

「……………………」

 

犬と、そう呼ばれた。

クー・フーリンの静かな怒りを、オイフェは間近で感じていた。しかしそれが激情に変遷することはなかった。クー・フーリンは、怒りの中でも冷静さを失うことなく、女をーーメイヴを睨みつける。

ヒュドラの毒、と言った。クー・フーリンも知っている。だからこそ、あり得ない話であるのだ。

百歩譲ろう。

最大限の譲歩をして、ヒュドラの毒そのものを持ち出してきたのならば、理解はできなくとも納得しよう。だが、この女は、そうとは言わなかった。

メイヴはこう言ったのだ、『その概念』……と。

神の呪いにも勝る。まさしくその通りだ。かの蛇の毒は、神さえも恐れたと言われる猛毒ーーだからこそなのだ。

この女が、神の呪いにも等しい怨業を為すことができるという点が、微塵も理解できないし、納得できない。

今尚その身を縛り付けるゲッシュの効用にしてもそうだ。ゲッシュの違反を誘発させた、というのならばわかるのだーーあり得ない。そんな思いが、不覚にもクー・フーリンの胸中に溢れていた。

 

「そういえばぁーー」

「あん?」

 

殺すか?

そう考えたーーだが。

言ったはずだ、妖精の策謀はすでに完了している。手遅れなのだ、数多くチェックをかけられた。彼女は二人にわざわざ告げに来たのだーー戦いの終わりを。

ーーあなたたちの負けだ(チェックメイト)と。

 

「ーーその女、どんな色で燃えると思う(・・・・・・)?」

「ーーーーーーは?」

 

クー・フーリンは驚きに目を見開く。

しかしそれはーーメイヴの言葉に対するものではなく……

自身の身体を強く突き飛ばしたオイフェに対するものであった。痛みで喘いでいたオイフは、メイヴの言葉を聞くのとほぼ同時にーー心臓が焼き尽くされるような熱を感じた。

クー・フーリンに加えられた力は存外に強く、彼はオイフから数十歩以上もの距離離れることになるーーだから。

その場で唯一、確とオイフェの『死に様』を見ることができたはずのクー・フーリンは、それをスカサハに伝えられることが出来なくなってしまったーー何故ならば。

クー・フーリンが思わず地面に付きそうになった左手が存在しないことに気付いてから、身体を捩って態勢を立て直すとーー既にその場は紅蓮の炎に飲み込まれる寸前まで達していたからである。同心円的に広がった『爆炎』は、オイフェを中心としたものであるように、クー・フーリンは思えた。

戦士にあるまじき姿である。戦闘の最中に、クー・フーリンは呆然とその炎を見上げていた。

メイヴは、何処かから嗤い、言う。

 

「オイフェの魔術は、その多くを『火』の属性に偏らせていたのよ。知らなかったでしょう?」

「ーーーーーー」

 

燃え盛る炎は、揺らめきながら天蓋さえも焼き尽くさんばかりに成長していた。まるで生きているかのようにーークー・フーリンにはそう見えた。

「だから、彼女の属性を暴発させたの(・・・・・・・)よ。その結果がーーこれってこと」

 

暴発?

暴発させて、ここまでの炎を生み出したというのか。クー・フーリンの胸のうちからは、場違いにも、先まで闘争を繰り広げていた女への賞賛の念が込み上げていた。だが、致し方のないことでもあっただろうか。

その炎は、余りにも美しかったのだ。

なんと高貴な魂であるのだろうか。生半な燃料では、ここまでの光を纏いはしまい。

 

「ーーさあ、終わりにしましょう。最期の役者も……素敵なお姫様ももうすぐにここまで辿り着くみたいだから」

「ーーーーッ、あ?」

 

メイヴの言葉に、クー・フーリンは気付いた。遠方より高速で此方まで駆けてくる女の気配を。

クー・フーリンは悟った。己のーー否。自分『達』の敗北を。オイフェもクー・フーリンも、メイヴの策謀の前に敗れーーこうして、一人の女に二度と癒えぬ傷を与えてしまうのだと。

 

炎が収束していくのと同時にーー

 

メイヴの気配は消え去って……

 

クー・フーリンはスカサハの姿を、目の端で捉えていたーー

 

 

 

 

なんだこれはーーと。

スカハサは、今にも風に吹き飛ばされてしまいそうな命の灯火の前に、何処か現実味を感じられずにいた。

分かっているはずなのだ。

だって、自分が彼女のことを見間違えるはずもないのだからーー

だったら、尚更。

これは、一体なんだというのだ。

 

「あ、ァ、ぁ……?」

 

綺麗な女性であった。

彼女は高潔で、とても強いヒトであった。

その焼け爛れた肌には、かつて美貌など微塵も感じられない。焼死体。そう言われてしまえば納得せざるを得ない。その様な人の死に方を見たことがない常人であってもそう思うだろう。けれどーー

それが、オイフェのものであると言われてーー納得など出来るものか。

 

「な、ぃ……これ……?」

 

自身の視界が濡れていることに、気付くことさえできない。

力なく跪き、その痛々しいオイフェの身体を弱く抱き起こす。

わからない。

分からないーーなんだこれは。

 

「おいふぇ、……おいふぇーーオイフェ……?」

「………………ァ」

 

その瞳が、微かに見開かれたような気がした。だが、その瞳は乾ききっていて、もうきっと、スカサハのことなどーー何も見ることが出来なくなっている。もしかしたら耳も聞こえていないかもしれないーーだが。

 

「、ぁ……ァ、ッあ」

「オイフェ? オイフェ? いるーーここに居るッ。私は……」

「う、ぁ、ぁ、い」

「あ、あ、どうして……? どうしたあなたがこんなことに……?」

「っ、ぁ、ぁ、い」

「ーーえ? なに? なんて言った? ねぇ、オイフェっ? オイーー」

 

オイフェの手がゆっくりとスカサハの方に向けられる。スカサハはその手を掴もうとする。離さぬように。嫌だなんで、行かないでーー助けて。

誰かーー

なんで、なんで、なにーー

 

「イヤ、いや、嫌だ……」

「………………………ァア」

 

目がーー閉ざされた。

掴もうとした手は、力無く地面に打ち付けられる。肉片が飛び散ったーー

 

ーー限界だった。

 

ーースカサハを今まで、その場に引き止めていた鎖は崩れ去り、堰が壊される……

 

「ァァァああああーー」

 

オイフェが死んだ。

今、目の前で。

最期の瞬間に、自分を求めてくれたというのに。

それにさえ応えることができず。

オイフェーー死んだ?

死んだ、しんだ?

 

「ーーアアアアアあああああッっ!!!!」

哭き叫ぶ声が、空に響いたーー

 

これで、彼女らの物語は、終わりを迎えた……

 

妖精の笑い声が、聞こえたような気が、していたーー

 

 

 

 

メイヴは、抑えようともせずに、声高く嬌声を上げていた。

 

勝った、

 

勝った、

私の勝ちだ……ッ!

「ふふ、あは、あはははははッ! これでいいのッ。これで、貴方は救われるのッ!」

 

邪魔な女は消えた。

苛立たしい男も、これでスカサハに愛想を尽かされて居なくなるだろう。

 

だったら、あとあの子にはなにが残るーー?

「私よッ! 私だけが貴方を助けてあげられるのッ! ねえ、そうでしょうスカサハ? ねえ、ねえ、ねえッ!」

 

妖精の声が響き渡る。

 

その手にはーー『黄金の杯』。

メイヴは嗤う。

次のステージへ進もうーー

 

 

 

 

 

「ねえスカサハ。あの子をーーオイフェを助けたくはない?」

 




ヤンデレってすごいよね、最後までチョコたっぷりだもん
愛する人のためならば、何をしてもいい感は否めないですよね
態々オイフェの美しい顔を破壊してから殺すところが特に恐ろしい……

オルタ師匠、期待しててね!

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