夕方までの喧噪がまるで嘘だったかの様に訓練場の中は静まり返っていた。
ここには予選会特有の熱狂的なアナウンスも無ければ観客も居ない。精々が数人の人影があるだけだった。
そもそも事の発端は個人的な要望にしか過ぎなかった。
本来であれば正規での戦闘をすれば問題ないが、生憎と当事者の予定が付かない事実が今の状況を作り上げていた。
事実、この閉鎖された空間には都合三人と当事者二人の計五人だけ。それが何を意味するのかは言うまでもなかった。
耳が痛くなるほどに静まり返った空間。関係者以外立ち入り禁止のはずのこの場所に、突如として二人の男女が姿を現してた。
「今回の見届けをさせてもらう」
「どうやってここに?」
「貴様に答える義務は無い」
突如として現れた男女は漆黒の仮面を付け、まるで暗闇から滲み出たかの様にその姿を現していた。驚きを見せながらも黒乃は一言だけ言葉を発する。
慇懃に返って来た返事と同時に、黒乃の隣にいた寧音と刀華は冷や汗をかいていた。
「何だ?貴様みたいな人間でも教員をやれるとは、ここはどうなってる?」
「いや~何となく?」
「そうか……だとすれば今回の貴徳原カナタは貴様が指導した訳では無いと言う事か?」
「私は……何もしていないさ」
完全に冷え切った会話に、寧音は何時もとは完全に雰囲気が違っていた。
漆黒の仮面を付けているのは風魔小太郎と四神の一人でもある朱雀。身体のラインがギリギリ分かる衣装と同時に、姿は視認出来るが、気配はまるで感じられない。
これがまだ幻だと言われた方がマシだとばかりに、周囲にも伝わるかの様に冷え切った雰囲気を作りあげていた。
「小娘か。なぜここに?」
「私は……カナちゃん、カナタの友人ですから」
「そうか……今宵の戦いは青龍であると理解しているのだな」
「もちろん…です」
刀華はあの時の事を思い出したのか、少しだけ身体が震えていた。
普段は決してそんな事を感じる事は無い。明確に感じる死のイメージは嫌が応にも当時の事を記憶の底から引き摺り出していた。
対応を間違えれば待っているのは死の一文字だけ。どれだけ努力をしようが小太郎の前では無意味でしかないと思える程の考えだけが過っていた。
「我々は見届けるだけだ。貴様等には用は無い。邪魔をするなら容赦はしない」
漆黒の仮面の男は一言だけ告げると同時にそのまま姿を消し去っている。突如現れたかと思った矢先に消えた気配は二人の深い深呼吸と共に現実に戻していた。
「寧音。まさかとは思うが……」
「正解だよ、くーちゃん。下手な会話してたら頸と胴体が永遠に離れてたかもね」
「そうか。で、見届けとはどう言う意味だ?」
「それは私にも知らない事さね。何でも知ってる訳じゃ無い。だったら当事者に聞いたらどう?」
黒乃とて何も知らないままに過ごしてきた訳ではない。先程の人物が誰なのかは考えるまでもなかった。
『風魔』の頭領でもある風魔小太郎その人。誰もが知る人物像そのままの人物に黒乃もまた全身の鳥肌が粟立ったままだった。
それと同時に先程の言葉に引っ掛かりを感じている。
小太郎の言葉を正しく理解するならば今日の対戦相手は風間龍玄だったはず。にも拘わらず『青龍』と告げた言葉の意味は一つだけだった。
不意に隣を見れば寧音だけでなく、刀華もまた同じ表情を浮かべている。
これからどんな対戦が始まるのだろうか。そんな取り止めの無い考えだけが脳内を駆け巡っていた。
静寂だけが周囲を取り巻く環境にカナタは独り精神を集注していた。
こちらかの申し出とは言え、対戦相手が風魔の四神。自分の今の因縁の相手にカナタは今日のこの時間まで時間が許す限り脳内でシミュレートを繰り返していた。
しかし、何をどうやっても自分が明確に勝つ事はおろか、有効打を当てる事すら想像できない。何度やろうが見えるのは明確な敗北だけだった。
何も知らない人間がからすれば、今のカナタは殉教者か自殺志願者。そう捉えられてもしかたないとさえ思われていた。
事実、今日に至るまでカナタは何度も自問自答した結果だった。しかし、それ以上に自分が当時よりもどれだけ高みを目指しているのかの目安にはなる。
自分の決められた未来がどうなろうと、今はただ純粋に時間が来るのを待つだけだった。
「あら?少し固くなってないかしら?」
「え……朱美…さん?」
「今日は私が見届けに来たのよ」
まさかの登場にカナタは少しだけ驚いていた。
カナタの記憶の中では、この控室には人の気配は何処にも無かった。
事実、今回の戦いに関してはほぼ秘匿に近い状態になっている。ましてや朱美は完全な部外者。本来であれば即退出すべきはずだった。
そんな中での見届けの言葉にカナタは全てを理解していた。
今宵の戦いが何を意味し、そして誰の為の物なのかを。
ハッキリと認識したからなのか、先程まで緊迫していた空気は更に高くなっていた。
「一つだけ良いかしら?どうして貴女はこうまでして戦おうと思ったの?」
「どうしてなんでしょうね……本当の事を言えば、私にも分かりません。事実、先程まではどうしてなんて考えもありましたから」
朱美の質問にカナタは極自然に答えが出ていた。
確かに自身の高みを目指すのは魔導騎士としては立派な考えに間違いは無い。しかし、それと今回のこれとは意味合いは大きく違っていた。
朱美が聞くまでもなく、青龍と対峙して勝てるビジョンは未だに見えない。下手をすれば自身の命すら失う可能性の方が圧倒的だった。
今回の件に関しては十全に闘うつもりは無い事位はカナタも理解している。だからなのか、朱美の質問にカナタは改めて自身の考えを深く考えていた。
「そうね……本当の事を言えば風魔の四神の中でも青龍は一段、いえ二段は私達よりも上よ。それでも戦うと考えるのならば、何かしら思う所があるのかと思っただけよ。
それと先に言っておくわ。今回の報酬の件だけど、これが終わってから二十四時間以内に三千万の支払いが請求される事になるわ。私と頭領が来たのはその確認の為。貴女にとっては良い話では無いかもしれないけど、万が一の事があってからでは遅いから。
心を乱す様でご免なさいね」
「いえ。それには及びません。元々こちらの我儘ですから。それに、多分ですが、私自身がもっと知りたいと思ったからこそ臨んだんだと思います」
「あら……そう」
カナタの言葉に朱美は何かしら満足したのか、少しだけ目が細まっていた。
元々同性から見ても惚れ惚れする美貌が少しだけ深い物に変わる。カナタが何を考えた末の言葉なのかを考えたからなのか、朱美はそれだけを告げると、そのまま控室から外に出ていた。
「さて、どうなるんだろうね」
「お前は気楽で良いな。こっちは胃が痛くなりそうだよ」
「いや。今回の件は本当に傍観者だって。多分だけど、ここに見届けで来てるのは何らかの思惑があっての事だし、少なくとも問題があれば止めるのは確実さね」
「成程な」
寧音の言葉には説得力があった。傭兵である以上、タダ働きをするとは思えない。見届けと言う以上は最悪の事態だけは避けるだろうと予測しただけだった。
時間が来たからなのか、静寂と保っていた訓練場に扉が開く音だけが響いていた。
既に決まっているからなのか、審判すら居ない。黒乃と寧音の視界に入ったカナタは覚悟を決めた武人の様な表情を浮かべていた。
それと同時に反対側の扉もまた重い音と共に開いて行く。そこにはあるはずの姿がどこにも無かった。
「あれ?」
「どうした寧音」
「姿が見えないと思って……」
寧音の言葉は最後まで語られる事は無かった。暗闇の向こう側には姿こそ見えないが、圧倒的な存在感だけが漂っていた。
平和なはずの学園内にも拘わらず、どこか死の匂いがする戦場に足を踏み込んだかの様に空気が重くのしかかる。まとわりつくそれが何なのかは考えるまでもなかった。
暗闇から浮かび上がるのは漆黒の仮面に龍が描かれている。風魔の四神『青龍』の姿が浮かび上がっていた。
誰もが思わず息を飲む。話には聞いていたが、まさかこれ程の圧力を持っているとは思わなかったからなのか、黒乃のスーツのパンツには不自然な程に皺がよる程に握りしめていた。
「さて、今回の件だが自分が誰と契約をしているのかを身を持って知った方が良いだろう」
静寂の中で青龍が放った声だけが響いていた。勿論、カナタ自身がこの言葉に憤りを感じる事は何処にも無い。我儘を押し通した結果がこれであると同時に、自分の力量がどこまで通じるのかの試金石だと考えたからだった。
本来であれば戦う前に負けるなんて事を考える必要は何処にも無い。しかし、目の前の人物と対峙した瞬間からそんな気持ちすら持つ事はなかった。
純粋に戦いたい気持ちだけが浮かび上がる。それが開始前のアナウンスの代わりだった。
《LET's GO AHEAD!》
機械的に鳴った音声がここに戦いの幕を切った思った瞬間、突如として硬直した時間が動き出していた。
まるで決まっていたかの様にカナタの躯体は横に弾け飛ぶ。大型トラックに撥ねられたかの様にカナタは地面に叩きつけられ地面を滑っていた。
誰が何をしたのかを考える必要は何処にも無い。青龍の一撃を自分の目で捉える事が出来た人間はこの場には誰もいなかった。
「貴徳原カナタ。これでも手加減してるんだ。早々に意識を飛ばす様な事はするな」
青龍の言葉にカナタの身体は少しだけ動いていた。
少なくともこれまでの戦い方を知っている人間からすれば、カナタが動き出す可能性は零に近いはず。にも拘わらず、目の焦点が碌に合わないままにヨロヨロと立ち上がっていた。
気が付けば、試合開始の前に展開したはずの固有霊装が少しだけその存在感を失いそうになっている。
先の一撃がそれほどのダメージを負わせている事実に観客席にいる全員が間違い無く目を見開いていた。
「当然……です。でなければ、ここまでお膳立てした意味がありませんから」
未だ焦点が合わない目を無視するかの様にカナタは立ち上がっていた。
衝撃を伴った一撃は誰も反応する事すら出来ない。対峙したカナタもまたブザーの音が鳴り止むと思った瞬間に青龍を見失っていた。
気が付けば衝撃だけを一方的に受けただけ。以前のままであれば、この時点で戦意は完全に失っていたはずだった。
青龍が追撃してこないのは何の為なのかを考える事もなく自身の肉体がどれ程の損傷を受けているのかを確認していく。
先程の衝撃で左上腕骨と橈骨が破壊されたのか、動かす事すら困難な程に痛みが走る。
これまでの事を考えれば、一撃で葬り去るかの如き攻撃ではなく、確実に力を抑えた状態での攻撃であることに間違いなかった。
既に痛みはカナタの精神を犯すかの様に訴える。それがこれから続く何かの合図の様にも思えていた。
「そうか……何かを決意した様だな」
「……ええ」
泰然自若の様に立っているはずの青龍はまるで隙を作って誘いをかけている様にも見えていた。
しかし、対峙しているカナタからすれば、それは大きな誤認だと思えていた。
自然体の立ち姿は無駄なく攻撃する事を可能としている。刹那の戦いを考える人間からすればその無駄に見える隙こそが最大の要点だった。
既に見えない程の攻撃を繰り出せる人間が追撃する事無く立ち上がるのを待っている。
完全にどちらの実力が上なのかは考えるまでもなかった。
無意識の内に言葉数が少なくなる。完璧な先制攻撃を直撃したカナタにとって青龍は自身の最大の壁の様にも見えていた。
待ってるのであればこちらも慌てる必要は何処にも無い。ゆっくりと立ち上がると同時に、まだ顕現している固有霊装の刃をカナタは自身の身体を使ってゆっくりと手折っていた。
「では、改めて」
「精々楽しませるんだな」
カナタはそう言いながら自身の抜刀絶技でもある星屑の剣から発生させた粒子を周囲にばら撒いた。
元々粒子レベルのそれを肉眼で把握する事は不可能に近い。勿論、目の前の青龍にそんな事が通用するとは思っていないからなのか、カナタは先程以上に警戒を高めていた。
自身の魔力を活かすと、見えない粒子は自身の周囲を包み込む。攻撃ではなくまずは防衛を優先したからなのか、少しだけ落ち着きが戻りつつあった。
「まさかあれ程とは……」
黒乃は先程の行為にただ茫然とするしかなかった。
これまで伝聞でしか聞いていない存在であると同時に、数度の戦闘しか見ていない。
勿論、全ての戦闘が全力で無い事位は認識していたが、まさかこれ程の差があるとは思っていなかった。
貴徳原カナタは学園序列二位の実力を誇っている。本来であれば一位の刀華を除いて理論上は負ける要素がどこにも無いからこその立場のはずだった。
試合開始と同時にピンポン玉の様に弾かれた姿は、少なくとも黒乃が破軍にきてから見た記憶は一度も無かった。
完全実力主義を打ち出した予選会でも常に危なげない戦いで全てを完璧に下している。
しかし、今の戦いはこれまでの物などすべて置き去りにするかの様に一方的だった。
気が付けば隣に居る寧音もまた、何時ものおちゃらけた雰囲気が微塵も感じられない。
恐らくは自身が対峙したと仮定してのシミュレートをしているのかもしれない。そんな考えが過っていた。
隔絶した差があまりにも大きすぎる。それと同時に少しだけ後悔した部分もあった。
戦績だけで決めた場合、青龍と対峙したカナタはともかく、風間龍玄と対峙した人間は間違い無く敗北の一途しか辿る事が出来ない。少なくともこれまでに無傷で勝っている人間のほぼ全員は敗北にまみれるのは決定事項だった。
異能と言うべき魔力を行使すれば、その集中した瞬間を狙われる。仮に剣技だと仮定してもその差はあまりにも一方的だった。
既に賽が投げられている以上、黒乃がどうこうする事は出来ない。始めたばかりではあったが、これ程の差が開いているとなれば確実に頭が痛くなる結果しか思い浮かばなかった。
「当然だよ……それに、前よりも早くなってるさね。少なくとも生徒が勝てるレベルは無いだろうね」
「だろうな……だが、黒鉄やヴァーミリオンなら多少は変わるんじゃないのか?」
「くーちゃん。言いたくないけど、目の前のあれは五割も出して無いんよ。幾ら気配を追おうが、察知した時点で攻撃は完了している。だとすれば同じ世界の住人でなければ無駄なんよ」
黒乃の考えを読んだかの様に寧音は事も無げに話していた。
純粋な速度だけ見ても既に視覚で追えないだけでなく、致命的な一撃を与える攻撃は既に約束された未来と同義だった。
まだ尻に殻が付いたままのヒヨコと、完全に自分の世界を生き続け、その生存競争に勝ち続けた猛禽類が同じ立場で無い事は言うまでもない。
ある意味では絶望でもあり、ある意味では希望でもある。それが何を意味するのかは考えるまでも無かった。
「可能性の一つとしてなら、あの御姫さんならばって事は言えるけど、現時点で言うならば、瞬殺だろうね。態々実力の差を見せて絶望の淵に叩き落とすのは少し過激かもね」
「だが、あれも自分の力を過信せずにここまで来ている。可能性と言う点であれば零ではあるまい」
「詳しい事は知らないけど、それは希望が高すぎるさね。少なくともA級リーグでも上位の人間でギリギリ可能性が見込めると考える方が正しいと思うけど」
寧音の言葉に黒乃は改めて舞台を見ていた。
お互いが動く気配は無いものの、見えない部分ではどうやって攻撃をするのかを考えている様にも見える。
既に抜刀絶技を行使した為に星屑の剣は視認できない。このままでは時間だけが悪戯に浪費する。誰もがそう考えていた。
「まさか、ここまで違うとは……」
カナタは内心で思った事が少しだけ口から漏れていた。
元から隔絶した差があるのは理解していたが、自分が視認する前に攻撃を受けるとは思っていなかった。
今回の戦闘までに自分で出来る限りの事をしてきたにも拘わらず、最初からそんな事を感知しない程に攻撃を加えた事は想定外だった。それと同時にまるで存在感を示すかの様に左腕は痛みを訴えている。
自分の感覚では少なくとも左腕を動かす事は出来ないとだけ理解していた。
これまでにカナタは刀華から抜き足による一連の攻撃を体験している。
自身の知覚外からの攻撃を察知出来たのはこの戦いの前日だった。いざ対峙した瞬間、青龍の姿を捉える事は不可能だった。瞬時に繰り出された攻撃は確実にカナタの肉体に多大な損傷を与えている。それと同時に放たれた言葉は明らかに自分に対して手加減をしていると言外に伝えていた。
「さて、ここで選択肢だ。ここから地面に沈むのか、それとも抗うのかを選べ。どちらにしても抗うのであれば苦痛だけが残る事になるがな」
青龍の言葉はこれまで暮らしていた龍玄の言葉とは大きく異なっていた。
何も知らない人間からすれば別人とも取れる程の違い。事実、青龍は未だ固有霊装を顕現すらしていない。
本来であれば有りえない行為ではあるが、今の状況でそれを口にすれば、自分は明らかに格下であると公言するのと同じ。それと同時に、そこまでの価値は無いと言われているのと同義だった。
此方の都合に合わせているからなのか、攻撃の意思は殆ど感じられない。だからこそカナタは抜刀絶技を行使する事によって、反撃を試みていた。
「地面に沈む選択肢はありません。ここから反撃させて頂きますので」
「そうか……だとすれば、瞬時に楽にしてやれる事だけがこちらの温情だな」
既に周囲には粒子化した刃を展開している。このままこちらに突っ込んでくるのであれば微粒子は体内へと侵入し、内側から喰い破る。その結果として大量の吐血と共に地面に沈むのは既に定番の戦闘法だった。
本来であれば多少なりとも躊躇するはず。しかし、目の前の青龍はそんな事すら気にしないと言わんばかりに行動を開始していた。
気が付けば構えた先にある拳に視認できない程の圧力を感じる。少なくともカナタだけでなく、学園内の人間でその行為が何を意味するのかを正しく理解した人間はいなかった。
「このまま沈め」
青龍は一言だけ吐き捨てるかの様に呟いた瞬間だった。
先程構えていた拳は何もない空間に突き出される。本来であればそれが意味する事が何なのかを理解する事は出来なかった。
しかし、青龍が態々無意味な行為を戦闘中にする事は無い。それを悟ってのは大気が破裂した様な感覚を捉えたからだった。
防御の様に展開した星屑の剣は対象が大気だった為に、反応する事無くそのままカナタへと通してしまう。
幾ら防御の為とは言え、粒子に隙間が無い訳では無い。全てをすり抜けたそれは威力を落とす事無くカナタへと襲い掛かっていた。
大気の塊はそのまま反応出来ないカナタの腹部へと直撃している。
大気すら攻撃手段に成り代わる。青龍が放ったのは単なる体術でもある『遠当』だった。
直撃した事によってカナタの躯体は再度呆気なく弾き飛ばされる。先程と同じ様に見えるそれは明らかに異質な光景だった。
「まだまだ………」
大気の塊を直撃した事によってカナタの口からは一筋の赤が流れていた。
本来であれば粒子化したそれは成人男性を軽く持ち上げる程の能力が存在する。しかし、青龍が放った大気の塊は通常の攻撃とは違い、隙間があればそのまますり抜けていた。
完全な壁であればそのまま弾けるが、隙間がある以上、多少の速度が落ちる程度。それと同時にただでさえ見えにくい大気はすり抜けた事によって散弾の様に襲い掛かっていた。
よろめきながら立ち上がるも、カナタは事実上の満身創痍となっている。
気が付けば身に着けている服も散弾となった大気の影響で幾重にも斬り刻まれていた。
何をしたのかを理解は出来なくとも、その攻撃が何をしたのかだけはかろうじて理解している。不可視の攻撃と自身の防壁を容易く抜けられた事で思考が硬直する。
青龍の前での思考の停止は死に繋がっていた。
「ほう……まだやるのか?」
「折角ここまでしたんです……から」
息も絶え絶えにカナタは辛うじて今の態勢でいる事しか出来なかった。
どれだけ思考を続けても、勝てるのはおろか攻撃すらまともに与えるビジョンが一切浮かばない。自分は一体どれほどの相手に対しそう考えたのだろうか。カナタの心中は徐々に後悔に苛まれ様としていた。
「一つだけ聞こう。何故そうまでして戦いたいと思った?」
「何故……」
「考え無しに戦うはずが無い事は理解している。当然何かしらの思惑があっての事だろ?」
青龍の言葉にカナタの中で少しだけ後悔の感情が薄れ始めていた。言われるまでもなく、本来のスケジュールであればカナタの白星で終わる。
にも拘わらず、今回の戦闘に於いてはどちらが勝とうがお互いに黒星が付くのは既定路線。冷静に考えればカナタには何一つ利が無い事は明白だった。
そんな経緯を青龍が知る由も無い。その質問に対し、カナタは改めて自身の中での感情を思い出していた。
「私は……私の騎士道はこれまで家の為だと信じてやってきました。勿論、その考えは今も変わりません。ですが、その内容は大きく変わりました。私自身が私と言う物の価値をチップにどこまでやれるのか……ただそれだけが知りたかったんです」
カナタの中に後悔の文字は既に消え去っていた。思いを口にした事によって改めて自分の掲げた目標に向けただ只管に進むのみ。どれだけ泥臭くなろうが、どれ程みすぼらしくなろうが、自分の決めた道を愚直に歩む。その先に障害があったからそれに挑む。それだけの話だった。
「そうか……ならば真の意味での世界を知ると良い。これで終いだ」
「させません!」
カナタの言葉に何かを見出したのか、青龍は再度姿を消すかの様にその場から姿を消し去っていた。
『斬影』による移動はカナタの想像が正しければ目の前に障害があれば自滅するはず。半ば無意識の内に、粒子化した刃を全て自身の前に壁として立てる。カナタだけでなく、観客席にいた黒乃や刀華もまた同じ事を考えていた。速度が出た移動術はその速度によって身を滅ぼす。カナタの乾坤一擲の攻撃を予測したのか目を見張ったままだった。
「中々良い判断だったな。だが、思い込みは命取りだ」
姿を消し去る程の速度を出した事によって半ば自滅を誘ったまずの攻撃は、まるで事前に予測したかの様に完全にすり抜けられた感覚だけが襲い掛かっていた。
カナタの目の前に出した防壁に手応えは感じられない。僅かに聞こえた声はカナタの左耳から聞こえていた。カナタが意識と保っていたのはここまでだった。
カナタと青龍の戦いを見た刀華は全身が粟立ったかの様な感覚に支配されていた。
結果的には防戦一方ではあったものの、その戦いを見れた事に感謝していた。
それと同時に、お互いの状況はまるで異なっている。かたや満身創痍、かたや何も無かったかの様に。あまりの差にどれ程上を見れば良いのかを少しだけ考えていた。
事実、破軍に限らず学園を卒業した後の進路はそれぞれの置かれた立場によって大きく異なる。戦闘系の技能を持つのであれば、目指すのはKOKのA級を頂点としたリーグへの参戦。もしくは他の闘神リーグや、魔導騎士へとなる事が事実上の既定路線だった。
事実、刀華もまた同じ事を考えていた。しかし、今回の戦いを見る限り、本当に自身がその頂きを目指す事が可能なのかを改めて考えていた。
冷静に考えても風魔の人間は間違い無くどちらのリーグでも頂点を狙う事が出来る。しかも、今回の戦いですら抜刀絶技を一切見せていない。
それどころか固有霊装すら顕現していないのは、単純にそこまでする必要が無かった事の裏付けだった。
冷たい汗が形の良い顎を伝って地面へと垂れる。元々隔絶した差があるとは思っていたが、まさかこれ程だとは思わなかったからなのか、刀華は自身が考えていた頂きがどれ程高い位置にあるのかを改めて考えなおしていた。
「流石にあれだけの差を見せられれば考えるのは当然だろうね」
「西京…先生……」
「因みに言っておくけど、A級リーグでもあれとまともに闘える人間はそう多く無いから、安心しなよ」
刀華の意識を現実に寄せたのは寧音の一言だった。驚きのままに刀華は寧音の顔を見る。直接の関係は無いにせよ、事実上の同じ師である為に他人の関係ではない。だからなのか、刀華は寧音の浮かべた表情に疑問を持っていた。
「あの……それは……」
「実に簡単な話さ。あれと私達を同じ土俵で考えたらダメって事さ。事実、私も青龍には勝てない。こう言う言い方は好きじゃないけど、KOKは命の保証はされてる。勿論、過酷だと言われる闘神リーグでさえも最低限の規律はあるんよ。
でも、あれらにはそんな規律は何一つない。事実上の裏に生き、裏に消えていくんよ。一緒だと考えない方が身のためかもね。誰もが水面に映った月を取る事が出来ないのと同じって事」
寧音の表情は少なくとも学園内でも見た事が無い表情だった。幾ら上を見ようが、その上は実在するのかと言われれば何も言えなかった。目標にするにしても高すぎれば自身の立ち位置を見失う。まだ学生の刀華は知る必要が無い。それをやんわりと忠告していた。