幽玄を思わせる様に、蝋燭に灯された炎は小さく蠢いていた。
一定の間隔で設置されているそれは全部で十本。本来であれば明かりの為の物であったが、用意されたそれは本来用途に使用するのではなく別の事で使用される。まるでそれを示唆するかの様に一直線にメートル間隔で並べられていた。
その前にそびえ立つのは一人の男。僅かに足を広げ、普段であれば構えすらしないはずのそれは、珍しく集中していた。
半身に構え、拳に全てのエネルギーを凝縮するかの様に何かが集まっていく。時間にして然程必要とせずに、男は全身を発条の様に連動させ、その運動エネルギーを余すことなく拳へと連動させる。
まるで当然だと言わんばかりに突き出した拳は全ての蝋燭の炎を瞬時に消し去っていた。
「相変わらず出鱈目なやり方ね」
「遠当はまだ未完成だ。まだ時間がかかり過ぎる」
「それでも十分過ぎると思うんだけど」
「現状で満足は無理だな。停滞は衰退と同義だ。少なくとも如何なる状況下でも出来ない事には無意味だ」
誰も居ないはずの道場に突如として女性の声が響いていた。
本来であれば警戒するはずだが、声の主を知っているからなのか、何時もと何も変わらない。改めて龍玄は消え去った蝋燭を見ながら用意した一振りの刀を持ち出していた。
「そう言えば、あの後はどう?カナタちゃん、元気にやってる?」
「……お前には関係無い事だろ」
「そう?折角あれだけお膳立てしたのに?」
「何がお膳立てだ。お膳立てしてたら涙がどうして流れる」
「それは私の口からは言えないわね」
声の主は十六夜朱美だった。道場は以前に接収した物を改装したからなのか、まだ龍玄以外の人物がここに足を運ぶ事は無かった。
改修工事が完了したのはつい先日。未だ目覚める事がない道場の所有者を尻目に龍玄は多額の費用をかけ、改修していた。
朱美との話をしながらも、龍玄は先程と同じ位置に立つ。納刀された刀は普段から鍛錬に使用している物と同じ物。通常の刀とは違い重量があるからなのか、手に持った重みは存在感を示している様だった。
居合いの構えを取ると同時に、龍玄は自身の内なる力を呼び起こすかの様に構える。気配すら感じさせないそれはまるで周囲と同化したかの様に感じた瞬間だった。
瞬時に放たれる閃光。まるで事前に切られたかの様に蝋燭は七本までが真横に切られ、音を立てながらそのまま床へと転がっていた。
「で、今日は何の用件だ?」
「大した事は無いわ。ただ改修が終わったって聞いたから顔を出しただけよ」
「そうか……で、そっちはもう良いのか?」
「私は今日は休暇よ。他の人間と交代したのよ」
龍玄は朱美と話をしながらも剣閃で蝋燭を切断したまでは良かったが、残りに関しては斬れる事無く倒れていた。
遠当と同じ様に斬撃を飛ばす事が出来れば、戦いに於いては多大なアドバンテージを誇る。固有霊装が刀であれば魔力を込める事になるが、生憎と龍玄のそれは刀ではない。
純粋な技量と僅かに纏う魔力を融合させた物。この場には朱美以外の人間が居ない為に軽く流されたが、何も知らない人間から見れば、驚愕の場面だった。
その状況を確認し、改めて納刀する。静まり返った空間に響くのは龍玄と朱美の声だけだった。
「で、本当の所は?」
「少しだけカナタちゃんの様子を探ろうかと思ってね」
「随分とカナタにご執心だな。どんな風の吹き回しだ?」
「…特に気になった訳じゃないわ。ただ、彼女が健気にやってるから少しは力になりたいと思ってね」
朱美の言葉に龍玄はそれ以上何も言わなかった。
実際に朱雀が正式に依頼を受けたのは設立した会社ではなく、貴徳原財団の総帥からの直接の依頼。幾ら財界に身を置く環境にこれまで居たとしても、間接的な環境と直接的な環境は大きく意味が異なる。
事実、カナタもこれまでに幾度となくパーティー会場に足を運び、会合に顔を出している。
肉体的な疲労は直ぐに回復しても、精神的な疲労は早々癒される事は無い。会合は無理でもパーティー会場であれば可能だと判断したのか、総帥は朱雀に対し依頼をしていた。
当然その事実はカナタも知っている。父親の純粋な気持ちを受け取ったからなのか、カナタもそれ以上口を挟む事無く、現状に甘んじていた。
「そうか……あまり過度に構い過ぎるなよ」
「貴方も大概ね。情でも移った?」
「さぁな。だが、この前戦った事によってこれまでとは少しだけ雰囲気が変わったのも事実だ。それ以上の事に関しては俺の範疇を超える」
「あら……これを機に女心も学んだら?」
「お前がそれを言うのか」
「当然じゃない」
お互いがそれぞれの長だからなのか、軽口程度の会話が続いていた。ここ最近は顔を合わせる事が多いが、普段は依頼される任務が重なる事は早々無い。そんな事もあって、内容はほぼ近況報告に留まっていた。
話をしならがも自身の鍛錬が止まる事はない。まるで日課の様に龍玄は散らばった蝋燭を片付け、次の工程へと進もうとしていた時だった。誰も来ないはずの敷地に人間の気配を感じる。
龍玄だけでなく、朱美もまた同様に感じ取ったからなのか、少しだけ口元には笑みが浮かんでいた。
「で、今日は何の用件だ?」
「るせぇ!この前の続きをやりに来たんだ」
「敗者が何を語っても惨めなだけだ。負け犬の遠吠えに付き合う暇は無い」
静まり返った道場に響く声。本来であればここに居るはずの無い倉持蔵人の声だけが大きく響いていた。
既に時間もそれなりに経過しているからなのか、空は少しだけ茜色に染まりつつある。この場所に再び来るとは思っていなかったからなのか、龍玄は少しだけ思案していた。
「……ああ、確かに負けたのは事実だ。だが、あれで終わりだとは思わねぇのも事実だ。俺ともう一度戦え」
「…で、対価はどうする?」
蔵人を見ながら龍玄は少しだけ未来の事を考えていた。
前回戦った際には単純なストレス解消に近い物があった。事実、龍玄の前に蔵人は本当に手も足も出ない程に打ちのめされている。
この場所は破軍からも距離があるだけでなく、何かと都合が良い場所だった。
密かに考えているのは青龍としての部隊修練の場。その場所に部外者が混じるのは情報漏洩の観点からも良いとは言えなかった。
仮にこのまま相手をした所で時間は然程必要とはしない。しかし、前回の件を鑑みて今に至るのであれば、今後の事も視野に入れる必要があった。
「対価だと?」
「当然だ。貴様はそれなりに勝とうが負けようが恩恵はあるかもしれん。だが、こちらにとっては貴重な時間をロスしているんだ。対価を求めるのは当然だと思うが?」
「……金なら無ぇよ。前みたいな金、どうやって手に入れるんだよ」
「だとすれば無意味だな。用意してから出直せ」
前回の請求を思い出したからなのか、蔵人の声に力は無い。幾ら魔導騎士と言えど、学生の身でもあるので用意できないと睨んだ末の言葉。敗者にかける慈悲は何処にも無かった。
「それじゃ、つまらないわね。どう?以前よりも強くなったと思ったらってのはどう?」
「何だ手前ぇ」
突然の朱美の声に蔵人は最初に反応していた。少なくとも蔵人が道場内に入った際には龍玄の気配しか感じられなかった。
事実、周囲を見渡しても朱美の声はすれど姿は見えない。蔵人は改めて周囲に視線を振る。道場の壁面には腕を組んだ朱美の姿がうっすらと浮かび上がっていた。
「貴方を助けた者よ。でも、その程度の気配探知じゃ無理かしら?」
「なん……だと……」
朱美の嘲笑ともとれる言葉に蔵人もまた怒りが湧いたのか、全身に力が漲っていく。本来であれば、何も感じる事が出来ない程の隠形を身に着けている人間を相手に警戒するのは当然だが、既に怒りに支配された蔵人はそんな思考は既に失っていた。
時間と共に朱美の姿が浮かび上がる。諜報を得意とする人間からすれば、この程度の隠形は朝飯前とも言える程だった。
「そうね……龍。鉄砲玉程度には使えないかしら?それなら許可も出ると思うけど」
「鉄砲玉か。だが豆鉄砲に必要性は無いだろう」
「確かにそうね……でも、その性能を見てからでも遅くないんじゃないかしら?」
最初から蔵人の存在を無視するかの様に龍玄と朱美は会話を続けていた。
そもそも蔵人がここに来た瞬間をお互いが察知している。だからなのか、まるで最初から居なかったかの様に話を進める。自分の事を完全に無視されたからなのか、蔵人は既に限界を超えていた。
「お前ら、俺を無視するな。だったらそこの女。俺と勝負しろ!」
「あらあら。私は別に良いわよ。龍みたいに金銭のやりとりなんてしないから。それに躾も多少は必要みたいだしね」
怒りに染まった蔵人を見ながら朱美は少しだけ視線を動かしていた。
元々風魔の人間が通常の伐刀者に負けるはずがない。まるで子供でも相手するかの様に、ただ見ているだった。
「そうね……私の身体の何処かに攻撃が当たれば、再戦させてあげるわ」
朱美の声に蔵人は激昂したままだった。どれ程の力を持っているのかは分からないが、どんな攻撃も良いと言うのであれば、幾らでもやりようはあった。
蔵人自身が繰り出す固有霊装『大蛇丸』であれば、通常の刀剣類とは違い、間合は自在に変更できる。ましてや対峙している朱美の手に握られているのは緋色の鉄扇の様にも見える固有霊装。
銘までは不明だが、少なくとも攻撃の間合いが有利なのがどちらなのかは、考えるまでも無かった。
「お前みたいな女にそれ程時間をかけるつもりは無ぇ。さっさと終わらせるだけだ」
血気盛んの言葉が似合うかの様に蔵人は大蛇丸を握る力が格段に強くなっていた。
元々誰かを師として仰ぐ事はしていない。本当の事を言えば高度な技術は何も知らない人間からすれば不可思議な現象程度にしか思えていない。
ギリギリで見極める際には後少しだけ近寄れば攻撃が当たる認識を持っているが、技術がある人間からすれば完全に見切られている証拠でもあった。
隔絶した差を感じる事が出来るのかどうかが命の天秤を一方に傾ける。あれから時間が然程経過していないからなのか、蔵人はまだ朱美の力量を把握する事は出来ないまま戦いに望んでいた。
「これでも喰らえ!」
神速反射を存分に活かし、上段から袈裟懸けに一気に振り下ろす。少なくとも剣速は龍玄と戦った頃よりも早かった。
未だ反応を見せない朱美の姿に蔵人の口元が自然と歪む。歓喜を含んだそれが驚愕になるのにそれほど時間を必要とはしなかった。
「あら、随分と勝手な妄想してるのね。私も随分と見くびられた物ね」
袈裟懸けに振り下ろす刃は直撃すれば肉の一部すらも抉り取る刃。迫る斬撃に対し、朱美はその場から動く事は無かった。
自身の手に握られた鉄扇だけが直ぐに防御の為に開きだす。
大気を切り裂くそれがその程度で止まるとは誰もが思う事は無い程だった。
盾とは違い、鉄扇はあくまでも扇でしかない。固有霊装である為に、そう容易く破壊される事は無いが、少なくとも斬撃がそこで止まるはずが無かった。
小さな防御など、無きに等しい。蔵人はそう考えた直後だった。愉悦を浮かべた表情が瞬時に変わる。それが事実を表していた。
小さなそれが完全に大蛇丸の刃を防ぐ。それと同時に蔵人の手にもその衝撃が伝わっていた。
まるで鋼鉄に斬りつけたかの様な手応えは完全に刃が届いていない証拠。手応えだけを判断したからなのか、蔵人はやはりと思いながら、すぐに間合を離していた。
「逃げ足だけは早いのね」
朱美の言葉に蔵人は怒りこそすれ、それ以上の行動を感情のままに起こす事はしなかった。
斬りつけた刃が防がれた事による反作用は蔵人に事実上の警告を促している様だった。
固有霊装は当人の魂の根源とも考えられている。詳しい理論は分からないが、今の蔵人にとって、ただの女ではなく一人の強大な力を持った敵である事を認識していた。
その証拠に蔵人の視線が朱美から外れる事が微塵も無い。完全に警戒している証拠だった。
「少し位のお喋りも無いのね。貴方詰まらないわ」
無言の蔵人に対し、朱美はさも当然と言わんばかりに悠然と近寄っていた。
これまでの様に全力で走り出す事も無ければ警戒した様子で近づくでもない。純粋にただ歩くだけだった。
右手に持つ緋色の扇は既に閉じられている。花魁が歩くかの様に独特の歩法で距離を詰めていた。
朱美と蔵人の戦いを龍玄は純粋に見ていた。元々風魔と言う組織は色々な特色を持った組織の集合体でもあり、また各里によってその特徴は大きく異なっていた。
名前こそ風魔ではあるものの、実際にはあらゆる集合体の名称以外に内部の事は意外と知られていなかった。
勿論、龍玄もその例には漏れず、他の四神の事を完全に理解している訳では無い。龍玄が朱美を苦手としているのはその抜刀絶技にあった。
ここから見る限り、蔵人はまだ気が付いていない。しかし、詳細を見れば既に術中に嵌っている事だけは間違い無かった。
本人は気が付いていないが、眼の瞳孔が僅かに変化を見せている。朱美の抜刀絶技でもある『魅了遊戯』は確実に蔵人を捉えていた。
(どうして満足に動かねぇんだ)
蔵人は自分の身体が思うように動かない事に苛立ちを感じていた。
対峙してから朱美の攻撃を一切受けた記憶は無い。かと言って、何か特別な術が発動した様にも思えなかった。
自身の力の根源でもある神速反射はまるで靄がかかったかの様に反応が鈍くなっている。その結果、これまでの様に自分と相手に生じるであろう時間差が完全に潰されていた。
鉄扇は無手に近い間合でしか攻撃が出来ない。余程得物の長さがあるか、飛び道具で無ければ攻撃が届くはずがない。口にこそ出さないが、蔵人はそんな取り止めの無い事を考えながら対峙したままだった。
繰り出される攻撃は隙こそないが、躱しきれない訳では無い。しかし、これまでの動きが完全に封じられた今、反撃の糸口を見いだせないままにズルズルと泥沼に引き込まれる思いだった。
「ねぇ、貴方は攻撃の仕方を忘れたの?随分と不様ね」
「んだと!一々喋ってんじゃねぇ!」
苛立ちをそのままに蔵人は大蛇丸の刀身を伸ばし、一気に攻め立てる。明らかに攻撃の間合いが異なるミスマッチは傍から見れば蔵人を有利にさせていた。
攻撃が届かない訳がない。そんな根拠の無い考えだけが支配していた。
自身の膂力を活かし、四本の剣閃が朱美へと向かう。仮に鉄扇で受け止める事は可能でも、あの動きは龍玄程ではない。
ならばどれか一つ位は当たるだろう。その思いだけが蔵人を支配していた。
「まだ気が付かないのかしら?ここまで来た割に随分と甘い考えの持ち主ね」
朱美は大きく動く事もなく蔵人が放った四本の剣閃全てを受け止めていた。
本来、蔵人は放つ事が出来る剣閃は最大で八本。しかし、その攻撃は速度だけで威力に関してはそれ程高い物ではなかった。
小さい威力も数を当てる事によってダメージを増幅させていく。完全に動きを封じながらダメージを与える攻撃を蔵人は選択していた。
しかし、事無げに防がれた事実は蔵人の思考を僅かに止める。これ程の距離であれば相手の攻撃も受ける可能性は高い。完全にその事実を失念していた。
反撃とも取れる緋色の鉄扇は閉じているにも関わらず、蔵人の制服を鋭く切り裂く。鉄扇とは思えない切り口に蔵人は僅かに汗が滲んでいた。
それと同時に理解する。目の前にそびえ立つ女もまた一流の腕を持っている。驕った代償はあまりにも高額だった。
制服のジャケットの一部がスッパリと斬られている。何でもないはずの光景に蔵人の警戒は最大限まで高まっていた。
「女ぁ!何やったんだ」
「戦いの最中に教えるとでも?」
何でも無い言い方に龍玄は既にこの戦いの結末を見ていた。
蔵人がどう感じているのかは分からないが、蔵人は戦い始めてから見た目だけは何の変化も無かった。
既にまともな視界ですら無いのか、剣筋も完全に乱れている。刀身を伸ばす事無くただ振り回すそれは、誰が見てもお粗末だった。
魅了された事によって虚構と現実の境が徐々に曖昧になっていく。
朱美は既に仕留める為の行動へと移っていた。既に現実を失った蔵人に朱美の攻撃を防ぐ手立ては無い。まるで興味を無くしたかの様に閉じられた扇はそのまま蔵人の水月へと放たれていた。
「で、どうするんだ?」
「そうね……少しだけ評価を改めても良いかもしれないわね」
水月に放たれた突きによって蔵人は完全に意識を飛ばしていた。
元々今回の戦いに関しては龍玄は闘うつもりは毛頭なく、朱美の単なる興味から来た物だった。
実際に戦いながら精神を狂わされる攻撃は近接戦闘を得意としている人間からすれば最悪の相手でしかない。
何かを身に着けている訳では無く、自身から放たれた魔力は確実に精神を汚染させていく。その結果、数分もすれば平衡感覚は狂い、まともな思考すら危うくなっていく。
蔵人は気が付いていないが、朱美と対峙した瞬間から既に勝敗は決まっているも同じだった。
しかし、このやり方にも欠点はある。
業の中身を知っている人間からすれば距離を開けて闘うか、全身に回り切るまでに倒す事が最善だった。
勿論、この欠点を朱美も理解している。それがあるからこそ鉄扇で防御に回りつつ、全身の思考能力を失わせる促進の為に近接格闘で挑んでいた。
龍玄も対峙するが、勝ち越しはするものの、勝率はそれ程高い物ではなかった。精々が七割弱。これが龍玄の勝率だった。
そんな朱美が改めて再評価する。上がるのか下がるのか。それを判断したのであれば龍玄もまた今後に向けて考える為の材料と判断していた。
「で、結果は?」
「そうね……前回よりはマシ。って所ね。でも、及第点には遠く及ばないわ」
「だろうな。今のを見ても身体能力だけで来てるのは明白だ。だが、その前に性根が悪い。あんなに簡単に激昂してる時点で鉄砲玉以下だ」
「中々厳しい回答ね」
「少なくとも指揮官として考えるなら妥当だな」
横たわる蔵人の事は既に意識から排除していた。
ここから襲撃出来るだけの気骨があればまた評価は変わったのかもしれない。しかし、未だに動く気配が無いのは何を考えているのだろうか。
そんな些細な感情から二人は蔵人が意識を持っている事を確認した上で話を続けていた。
「あれだけ殺気を振り撒けば、どこを攻撃するのかを言ってるのと同じだ。そもそもテレフォンパンチみたいな攻撃を態々受ける必要は無かったんじゃないのか?」
「気が付いてたの?」
「当然だ。気が付かない方がどうかしてるだろ」
朱美の言葉に龍玄もまたため息交じりに話しを続けていた。既に意識が回復している事は確認している。
二人の意識は改めて蔵人へと向いていた。
(完全に油断したが……このザマなら当然か……)
水月に放たれた攻撃は蔵人の意識を瞬時に奪っていた。
当初は何も考える事無く攻撃だけを続けていたが、まさかあれ程的確に防がれるとは蔵人自身思ってもいなかった。
以前に対戦した際に龍玄から受けた攻撃は蔵人の価値観を良い意味で破壊していた。
自身の持つ神速反射は少なくとも掠る事すら無かった。
これまで何度も戦った伐刀事実上の一方的な攻撃は蔵人の攻撃をゆっくりと歪めていく。
元から身体能力だけで戦ってきたのは偏に貪狼学園内に蔵人と対等に叩ける人材が居なかった事が一番だった。
これが拍車をかけるかの様に取り巻きだけが次々と増える。自重する事無く自分のやりたい様にやって来た結果があの道場だった。
元々この持ち主でもあった綾辻海斗は伐刀者ではないが、かなりの実力者。
勿論、最初はそれ程攻撃的に話しをするつもりは無かった。しかし、如何に何を言おうがこちらの挑発には乗ってこない。だからなのか、蔵人もまた短絡的に直接的に仕掛けていた。
流派の技術は基本的には外部に漏れる事は無い。
当然道場を掲げる以上は面子と言う物があった。実際に弟子レベルを襲撃したものの、手ごたえはまるで無い。これならば学園内でやっていた方が遥かにマシだった。
身体的な瑕疵があろうが、蔵人にとっては関係ない。実際に弟子を襲撃し、そのまま道場に行く事によって初めて主でもある綾辻海斗と対峙する事に成功していた。
伐刀者ではないが、その名に偽りは無かった。
蔵人自身がこれ程戦いを楽しめると思ったのはどれ程だろうか。そんな気持ちだけが沸き起こっていた。
結果として海斗は胸を抑えそのまま意識不明となった事により、自身がこの道場の使用権を取得している。それは偏に道場を賭ければ意識を戻した当人か、、若しくはそれ以上の人間が来るだろうと判断した結果だった。
そんな中、破軍の一年である風間龍玄と対峙した際には戦いですらなかった。
大人と子供の戦い。いや、大人と赤子の戦いだと言われても仕方ないと思える内容だった。
初撃によって内臓が破壊され、後は自分の能力を実質封印されたままだった。
これまで自身の屋台骨でもあった神速反射は見る影も無い。事実上の完敗に蔵人は色々な意味で規格外の人間と出会う事が出来ていた。
実際に破軍学園は今年から能力値ではなく対戦結果だけで出場を決める実戦方式にシフトしている。
本来であれば学内の内容ではあったが、その結果は案外と誰もが知ろうと思えば簡単に知り得た事実だった。
蔵人もその例には漏れず戦った相手でもある龍玄の勝敗を確認する。まさかの負け越しに、まるで自分もまた同じく弱い存在だとかってに判断していた。
そこであの道場に行けば再戦すると同時に本当の力がどれ程なのかを再度確認出来る。蔵人はそう考えた末の行動だった。
十六夜朱美と呼ぶ女に負けた事実とその過程。先程の攻撃を受けた者が回復したからなのか、蔵人は息を殺したまま二人の会話を聞いていた。
「いつまでそうしてるつもりだ?いい加減そんな事をしてもこれ以上は何も出んぞ」
「気づいてたのかよ」
「気づくも何も、そんな分かり易い行動をする方が驚きだ」
最初から気が付いていたかの様な物言いの龍玄に、蔵人もまた忌々しい口調で返事をしていた。
幾ら厳しい一撃とは言え、いつまでも意識が飛ぶ事は無い。それに関しては蔵人も感情的になったものの、僅かに聞こえた会話に少しだけ興味がった。
あの話からすれば、少なくとも身体能力だけで戦うのは限界が見える。今の蔵人にとってはその程度の情報だとしても僥倖に近いレベルだった。
人間誰もが何も分からない状況で口にした所で素直に聞く事は無い。自身が打ちひしがれた結果の今だからこそ素直になっていた。
「だったら何で俺に聞こえる様に話をしてたんだ?」
「聞いた所で俺には関係の無い話だ。そもそもお前に評価などするつもりも無い。それに、貴様みたいな糞餓鬼にはお前が住んでいる世界の一端を見せた方が早いだろ?」
「だったら俺が強くなる可能性もあるだろうが」
「強くなる?誰がだ?そもそも身体能力だけでやってた人間など、掃いて捨てる程見てきた。そのどれもが道半ばで消えて行ったがな」
龍玄の言葉に蔵人は激昂しそうになったものの、改めて龍玄を見ていた。
最初にあった際にはそんな言葉尻だけと捉え、それ以上の警戒を見せる必要は無いと判断していた。
そもそも龍玄の視界に自分は一切映っていない。当初に感じた路傍の石のイメージが変わる事は無かった。
実際に自分から仕掛けた戦いもまた完封負けに等しい内容。隔絶した差があると、ここで漸く自身が納得していた。