何も知らない人間からすれば、何を考えているのかその思いをうかがい知る事が少ない一人の少女は少しだけ今の状況に対し、少しだけ窮地に追い込まれていた。
勿論、その状況を打破するのは簡単ではあるが、実際にそれを実行するには些か手持ちの駒が完全に不足していた。
事前に何故確認をしなかったと言われればそうかもしれない。しかし、急にこんな依頼が来るとは誰も予測する事は不可能だった。
「カナちゃん、どうかした?」
「刀華さんですか。どうかと言いますか、少しだけ困った事になったのでその対処をどうしたものかと」
カナタの言葉に刀華はカナタの目の前に有る物に視線を動かしていた。
破軍の学生であれば些細な調べものやその他の事に関しては生徒手帳一つで片が付く。しかし、カナタの目の前にあるのは一台のノート型のモバイル端末だった。
詳しい事は分からないが、少なくとも教室や自室ではなくこの生徒会室で使用している時点で切羽詰っている証拠でもある。
カナタの本当の部分を知る人間はそう多く無い。しかし、今の刀華の目に映るカナタはどうしようもない程に困り果てている様にも見えていた。
「そう……でも、そんなに難しい話?」
「内容そのものは問題は無いんです。ですが、簡単にそれを実行できる人間が居ないのもまた事実なので」
先程から幾つかの画面が切り替わると同時に指示を出す為に、カナタの指はキーボードの上を舞うかの様に動いていた。
カナタの立場がどうなのかを知っている人間は破軍の中でもそう多くは無い。生徒会役員の中で言えば、刀華と泡沫がギリギリ知っている程度だった。
経緯に関しては刀華は事実上の当事者。そして困っている内容は聞くまでも無かった。
時折止まる指と同時に珍しく眉間に皺が入る。こんな表情のカナタを見るのは珍しいからなのか、刀華は自分で入れた紅茶を飲みながらその様子を見るしか無かった。
「あんまり根を詰めすぎるとダメだよ。少しは休憩したら?」
「そうですね……幾らやっても肝心の人材が居ないのであれば、どうしようもありませんね」
普段であれば自分で淹れる紅茶ではあるが、刀華の淹れたそれは同じ茶葉でも自分とは味わいが異なっていた。
香りは少し薄いがそれでも味はしっかりとしている。飲んだ事によって落ち着きだしたのか、カナタもまた刀華に今回の顛末を少しだけ口にしていた。
「確かにそれだと限定されるのは仕方ないかもね」
「はい。ですが、肝心のあてにしていた人が不在なので、回らないのも事実なんです」
「詳しい事は分からないんだけど、なんでそんなに居ないの?」
刀華の疑問は尤もだった。カナタの話によると、来週末に行われる会合の警備依頼が今回の最大のネックだった。
元々カナタの会社に来る依頼は、どちらかの言えば身分が高い人間の集まりが多く、実際にカナタの立場も影響するからなのか、その手の依頼が途切れる事は無かった。
今回求められているのは伐刀者か若しくはそれに準じたレベルの力量を持つ人間。それでいて礼儀を弁えた者が対象だった。
会合の警備は基本的には物々しい雰囲気ではなく、限りなく正装に近い格好で問題が無い人物が要求されている。
勿論、カナタの会社にもそんな人材は多数登録されている。本来であれば困る要素は何処にも無いはずだった。
「実は、緊急の依頼があったとかで、予定していた人達がごっそりと居ないんです。こちらも事前に聞かされたので対処はしてますが、実際にはあと数人の手配が足りないんです」
緊急の依頼の言葉に刀華は誰の事を言っているのかを何となく理解していた。
元々風魔との接点があるのはカナタの経営する会社しかない。表からの依頼であれば頭を抱える要素はどこにも無かった。しかし、要求されている内容を十全にするとなれば人材は確実に限られていた。
そんな中でのこの状況。少なくとも刀華には大よそながらその意味を正しく理解していた。
「……それは仕方ないよ。そもそも向こうにだって予定はあるんだし」
「それを理解しているからこそこちらも何も言えないんです……」
そもそも風魔の人間を護衛や警備につかせるのはカナタとしても本当の部分では良いとは思わなかった。
それに頼れば今度は居なくなった際に現場が回らなくなる。いつまでこの会社を経営するのかは不明だが、少なくとも報酬を払った後も続く可能性だけは多分にあった。
カナタがどう考えているのかは経営には関係無い。実際に細かい契約関係がどうやって結ばれているのかすら知らない。
本来であれば経営者にあるまじき由々しき事態ではあったが、今それを追及した所で現状はどうにもならない。
目先の事ばかり追いかける必要は無いかもしれないが、未来に向ける為に目先が完了しない事にはどうにもできないのも事実だった。
「因みに、どんな人が望まれてるの?」
「実際には数人で問題無いんですが、少なくとも人付き合いの中で違和感を持たせず、周囲の状況を把握出来るか方です。それでいて万が一の際にはその状況を回避出来る実力がある方が望ましいですね」
カナタの言葉に刀華もまた一緒に考えていた。数は無くとも男女のくくりが無ければ何とかなりそうな気がしないでも無い。しかし、現実問題としてそこまで出来る人間が早々居ないのもまた事実だった。
「因みに、風間君は?」
「違う場所に入る予定なんです」
「……そうなんだ……」
一番最初に浮かんだ名前ではあったが、恐らくはカナタもそれを既に勘案していたはず。にも拘わらず、事実上の即答に刀華もまた悩んでいた。
それと同時に一つの考えが浮かぶ。だからなのか、最初にカナタに確認する必要があった。
「カナちゃん。それって学生でも大丈夫なの?」
「条件さえ満たせば問題はありません。ですが、基本的には荒事の可能性も考慮する必要がありますので、学生の場合はそれなりに力量は要求される事になります」
「だったら、一度確認してみても良いんじゃないかな」
刀華の言葉にカナタもまた改めて考えていた。
現時点で当たれる人物には全て当たっているものの、実際に快い返事が来る事は無かった。
商売敵に塩を送る様な真似は基本的にはあり得ない。少なくともビジネスの世界では無償の提供ほど怖い物は無い。
そんな事が当然の様にあるからこそ返事にも期待していなかった。そんな中での刀華の言葉。
可能性を考えれば最悪の状況下でも動く事が可能な人物を探し出す必要があった。
「そうか。こちらとしても特段規制がある訳じゃない。経験を積むと考えれば多少なりともその環境に慣れる事も必要だな」
「でしたら……」
「ああ。学園としては特段問題は無い。だが、あくまでも本分は学生であるのは違いない。だが、ある意味で言い経験にはなるだろう」
「有難うございます」
カナタと刀華が最初に向ったのは理事長室だった。実際に極秘裏で行っても問題にはなりにくい。
それが今までの考えではあったが、今回の件に関しては事実上のアルバイトをするのとは多少なりも事情が異なっていた。万が一に際に伐刀者は自衛手段としての固有霊装の展開は許可されている。しかし、学生の身分である以上はある程度の情報公開は必要だった。責任の所在を明らかにしない事には最悪の展開のあり得る。その可能性を回避する為だった。
万が一の事を考え黒乃の許可を取る。これで漸く前に進ませる事が可能となっていた。
「で、肝心の内容と人選はどうするの?」
「その事なんですが、出来れば刀華さんにもお願いしたいと思います。今回の内容はちょっと気が張るので」
「私は構わないんだけど、後はどうするの?」
「それなら考えはありますが、実際にはお願いしないと分かりませんので」
刀華の質問にカナタも答えを用意していたからなのか、直ぐに返答が返ってくる。
人員が少ないのは向こうも知っているはず。多少は協力して貰っても問題無いだろうと、カナタは独り考えていた。
「お願い出来ますか?」
「確認するだけなら構わない。だが、その結果がどうなるのかは保証し兼ねるぞ?」
「その時はまた考えますので」
ここ最近は、夕食の時間は割と固定される事が多くなったからなのか、カナタは思い出したかの様に龍玄に確認をしていた。
今回の件では生徒会の人間にお願いしようかとも考えたものの、場所と内容を考えると流石に厳しい事に間違いはなかった。
泡沫は基本的には荒事には向かない。だからと言って雷や恋々もまた性格を考えれば適切では無かった。
出来る限り目立たない様に出来れば最良。となれば、龍玄の伝手を頼るのが一番だった。
龍玄もまたカナタの意図を理解しているからなのか、話だけはしてくれる。結果はともかく、自分の頼みを聞いてくれた事が少しだけ嬉しく感じていた。
「え?アルバイト?」
「ああ。無理にと言う訳じゃないが、時間に余裕があれば手伝って欲しいと思ってな」
龍玄の言葉に一輝は僅かに驚きの言葉を上げていた。
元々破軍はアルバイトそのものを禁止している訳では無いが、その学園の特性によってアルバイトに関しては事実上生徒の主導による自粛を促していた。
一番の理由は周囲の目。KOKに代表されるように、伐刀者そのものに忌避感は無いが、それでも自分の周囲にそんな人物が居れば、何らかの思惑が発生する可能性は否定できない。
事実、世間が持つ伐刀者のイメージはどこか粗野で暴力的なイメージも少なからずあった。
武器を所持していなくても固有霊装を展開すれば、それが瞬時に身に降りかかる可能性もある。
仮に罰則規定はあっても、それとこれは違うからと余計な事を思われる位なら最初からする必要は無いとなっていた。現時点では伐刀者だから刑罰が重くなる法律は存在しない。
しかし、突然所持した物が凶器となるのであれば、伐刀者と一般人の間には埋まらない溝が出来る可能性があった。だからこそ律する事を学園では優先して教える。それはある意味では当然の事だった。
そんな中での龍玄の言葉。突然出た話に一輝は無意識の内にステラの方を眺めていた。
「僕でも出来る内容?」
「要求されている条件は厳しいが、一輝は問題無いと判断しただけだ。実際に誰もが出来る内容ではないからな」
「……そっか。だったら、ステラもどう?」
龍玄の言葉に一輝はステラにも同意を取ろうとしていた。
決して尻に引かれているわけではなく、純粋に今回の様な話は早々ある物ではなく、寧ろ特異なケースとも言えた。
それと同時にステラも留学生として来日しているのではれば、何かしらの経験をしても良いだろうとの考えもあった。純粋な気持ちを察したからなのか、ステラもまた同じく龍玄に視線を向ける。
直接言われた訳では無いからなのか、その視線に龍玄は改めて今回の内容と日時を伝えていた。
「……ごめんなさい。話は嬉しいんだけど、その日は都合が悪いの」
「確か、大使館のレセプションだったよね」
「うん」
改めて日時を聞いた際に、一輝もまたその日の事を思い出していた。
少し前に予定を聞いた際にあった日程。流石のステラも母国の絡んだイベントを無視する訳には行かないと、事前にその話を一輝に伝えていた。
「そうか……一輝はどうする?」
「僕は構わないよ。それにそんな事なんて今までした事なかったから」
「そうか。場所は改めて伝える。色々と済まないな」
「気にしなくても良いよ。こんな事も経験だから」
一輝の快諾に龍玄は内心ほくそ笑んでいた。
一輝には伝えていなかったが、今回の内容はとある大使館主催の会場警備。本来であればカナタが伝えるべき内容ではあったが、龍玄もまたその内容を知っている。
ステラの予定に事実上ねじ込まれる一輝がどんな反応をするのかを考えながらも、悟られない様に話を進めていた。
「ここが今日の会場だ。既に準備は整っている。悪いが後ろを着いて来てくれないか」
「ああ。でも、ここって……」
まるで何事も無かったかの様に時間は経過していた。
既に決まった以上はキャンセルする事は出来ない。そんな取り止めの無い事を考えながら一輝は龍玄の後ろを歩いていた。
事前に聞かされたのは会場警備。しかも、外と中の警備のうち、一輝が割り当てられていたのは会場内の警備だった。
元々、大使館レベルの警備は常に外部委託する事はない。当然ながら自国の人間を中心にするのが当然ではあったが、今回の件に関してはその限りではなかった。
元々国内には様々な大使館が存在している。大国と言われる国であれば立派な建築物の中にあるが、小国レベルではビルの中に間借りするのが一般的だった。
当然、今回の大使館もまた後者に近い。一輝も事前に聞かされたのはとある小国とだけしか言われなかったのは、偏にその内容が機密に近いからだった。
「見ての通りだ。ヴァーミリオン公国の大使館新設レセプション会場だ」
「ちょっと待って。そんな事、聞いてないんだけど」
「当然だ。大使館レベルの話を学内で言える訳無いだろ」
「それでもだよ。だって、ここって事は……」
龍玄の当然だと言わんばかりの言葉に一輝は珍しく狼狽していた。
学内で聞いたのは会場警備のアルバイトであって、まさかこんな会場だとは思ってもいなかった。
普段は冷静になれるはずの一輝も、流石にこの会場に関しては驚く以外の表情が出来ない。
ヴァーミリオン公国である以上は当然、その第二皇女でもあるステラもここに居るはずだからだった。
「とにかく、時間は早々無い。それと、会場警備だからって制服なんて物は無い。取敢えず、これにさっさと着替えてくれ」
「ちょっと……もう少し説明してくれよ」
「残念だが時間がもう無いんでな。とにかく急いでくれ」
龍玄が用意したのは略式のタキシードだった。
本来であれば黒のスーツでも良かったが、今回の件に関しては当然の様にドレスコードが存在している。
外部の人間は完全にスーツだが、会場内は物々しい雰囲気を取り払う為に今回の関係者と同等の扱いとなっていた。
一式を手に取るも困惑は止まらない。元々ここが会場では無い龍玄にすれば、ここで戸惑う一輝をずっと眺める事は出来なかった。
不意に部屋のドアの向こうからノックが聞こえる。当然とばかりにドアを開けた先に居たのはドレスアップしたカナタと刀華だった。
「あの……本当に僕で良かったんでしょうか?」
「はい。風間君が推薦したのであれば、私は疑う事はありませんので」
「ここは破軍学園じゃないから、そんなに緊張しなくても良いよ」
目の前のカナタと刀華に一輝は先程以上に戸惑ったままだった。
破軍学園の中でも序列一位の東堂刀華と、同じく二位の貴徳原カナタ。まさか今回の件にこの二人も絡んでいるとは思ってもいなかった。
部屋を開けて紹介した後、龍玄もまた他の場所へと移動している。既に着替え終わったからなのか、自己紹介と同時に今回の件の内容を打ち合わせていた。
「黒鉄君は会場内の警備なんだけど、基本的には壁際から周囲を見てほしいのです。中心部は私達が招待客に紛れてする形になるから、連絡時はこれを使って下さい」
カナタから渡されたのは耳につけるタイプの通信機だった。元々今回の警備はそれ程会場が大きく無い為に人員は然程多く無い。
しかし、大使館レベルとは言え今回の内容は明らかに外交に近い性質を持っている。龍玄から聞いた際にはまさかこれ程の内容だとは予想すらしていなかった。
「それと、これだけは最低限守るべき事ですが、ここで起こった内容を外部に漏らしてはいけません。仮に漏れた場合はそれなりに処罰の対象になりますので。
それと仮に親しい方が居てもなるべく一緒になる事は避けて下さい。警備と招待客が一緒になる事は好ましくありませんので」
「はい。分かりました」
カナタの言葉に一輝の表情は自然と引き締まっていた。
大使館の中は事実上の外国でしかない。カナタが注意したのはここに誰が来るのかを知っているからだった。
一輝とステラが同室であることは知っているので、当然目にすれば何となくでも意識が向いて行く。これがただの招待客であれば問題は無いが、実際にはステラの立場はホスト側に近い。主催者と警備は等しく話すのは何かと問題を孕む可能性がある事を示唆する為だった。
一輝に説明をすると同時に刀華もまた自身の役割を果たそうと、何かを考えている。先程まで悪戦苦闘していた光景は中々に楽しい物だったが、ここではそんな雰囲気は微塵も無かった。
大使館のレセプションと言う名のパーティーは大きな問題も無く開催されていた。
元々小国の大使館レベルであれば招待客はそう多くは無い。本来であればカナタにしてもこれ程悩む必要性は何処にも無かった。
しかし、今回の内容に関してはこれまでの状況を大きく覆していた。
一番の要因は本来であればありえない招待客。皇族でもありステラの存在だった。
対外的には留学として来日しているが、その皇族が来ているにも拘わらず何もしないのは外交上、決して良いとは思えない事だった。
ステラ自身が数少ないA級の魔導騎士としている以上、本人に余程の落ち度が無い限り、身の安全を危険視する事はない。
元々は期間限定の留学である以上、大事にするつもりは毛頭無かった。
しかし、ここでヴァーミリオン公国の人間であれば誰もが予測しながらも実現する可能性を考えない訳では無かった事態が浮上する。
まさかの父親でもあるシリウス・ヴァーミリオンの鶴の一声だった。
幾ら魔導騎士としての技量を信頼しているとは言え、それと父親としての心情は別物だった。
実際に破軍学園におけるステラの事は大よそながらにも聞いているが、やはりそれだけは物足りないと判断した結果だった。
幸いにして日本とは多少なりとも親交はある。だとすれば最低限の期間位は愛娘をサポートする必要があると判断した結果だった。
対外的にはそれっぽい内容で設立されているが、実際には単なる娘可愛さ故の身びいき。それだけの為に今回の大使館設立に至っていた。
本来であれば外交になる為に外務省が動く可能性が高い。しかし、元から今回の件に関してはそれ程重要な位置付けであるとは政府も考えていなかった。
知人でもある黒鉄巌の言と、官房長官でもある北条時宗の意見が一致した結果だった。
外交のつながりが薄くても対外的にはそれなりの対応をする必要があった。
政府から動かすよりも民間を利用した方が何かと都合が良い。これまでの実績と個人的なつながりを持っている為に、今回の話はカナタへと舞い込んでいた。
「刀華さん。周囲の様子はどうでしょうか?」
《今の所、問題無しよ》
耳朶に響く音声でカナタは周囲の状況を確認していた。
今回の会場警備は会場内部には男二名、女三名。外部には男四名が派遣されいてた。
今回の警備に於いて一番苦労したのは会場内の警備に関してだった。
会場の空気を壊す事無く自然に対応できる人間はそう多く無い。本来であれば風魔からの人員を当てにしていたものの、依頼が急遽入った事によってその目算は泡となって消えていた。
しかし、龍玄の普段の話と予選会での内容を見る限り、今回の黒鉄一輝の人選は中々の物だった。
見た目も威圧される事はなく、実力も予選会で裏打ちされている。
咄嗟の状況では分からないが、最悪は自分が対応すれば問題無いと考えていた。事実、今回の会場内部の警備には朱美が派遣されている。
カナタ付きであれば自然とその内容にも及ぶために、今回の件に関しては大いにその力を発揮していた。
「ですが、少し疲れた様にも感じますが?」
《それは……例のあれのせいだから》
「そうでしたか。ですが、今回の件では必要でしたので」
刀華からの通信を聞きながらカナタは内心面白がっていた。
刀華が疲れた様な声を出したのはあのリゾート島以来。今回の警備に関しては朱美と面合わせをした際に唐突に朱美が提案した事がキッカケだった。
「今回の警備のお手伝いをする東堂刀華さんです」
「急遽でしたが、今回はよろしくお願いします」
「私は十六夜朱美よ。今回の会場警備を担当するわ」
どこか緊張した面持ちの刀華を見ながら朱美の視線は刀華の頭頂から足元まで動いていた。
カナタが短い期間とは言え、朱美と一緒に動く事になって分かった事が幾つかある。それはその人の魅力を引き出すと同時に、その変化を楽しむ点だった。
元々朱美の諜報能力は自身の見た目にも影響している。
自分の見た目がどれ程の価値を持っているのかを完全に理解した上で利用している点だった。
元々朱美の能力はそれに由来する部分が多分にある。先祖の能力が歩き巫女だった事もあるからなのか、対人関係の踏み込んだ部分にまで近寄る能力は天性の物だった。
そんな朱美が刀華と言う素材を目にして何もしないはずがない。これから刀華の身に何が起こるのかを予測したからなのか、カナタは静観する事を決めていた。
「あの……どうかしましたか?」
「ねぇカナタちゃん。この子、会場内の警備なのよね?」
「はい。その予定です」
「だとすれば当然、野暮ったい服なんて用意してないわよね」
「当然です」
カナタと朱美の会話に刀華は何を言っているのかを理解していなかった。
会場内の警備である事と、その場所が大使館である事は聞いたが、そこから先の展開が何なのかが理解出来ない。
会話だけ聞けば、ある意味ではそうだろうなとは思いながらも下手に口にする事はしなかった。
実際に表面上は穏やかではあるが、刀華とてこんな会場に足を運ぶ機会はこれまでに一度も経験していない。カナタは自身の事がある為にそれ程気にしないが、刀華からすれば今回の内容は未体験だった。
心臓の鼓動がやけに大きく感じる。カナタと朱美の会話には何の違和感もなかった。
しかし、自身のこれまで鍛え上げた伐刀者としての感性が危険だと警鐘を鳴らす。撤退が出来ない以上、今は俎板の鯉でしかなかった。
「刀華ちゃん。早速行きましょうか。時間は有限なんだから」
「あの、これからどこに……」
「女は時間がかかるのよ。幾ら警備とは言え、見た目が浮くのはちょっと良くないわね」
刀華の質問に答えるつもりがないからなのか、刀華の手を引きながら朱美は移動を開始していた。
確かに時間的にはまだ余裕がある。それはカナタからも聞かされた為に刀華はそれに従っただけだった。
未だ要領を得ないままの刀華を見ながらカナタは僅かに笑みを浮かべる。これから何が起こるのかを知っているからこその笑みだった。
「あの……これから一体何を?」
「身だしなみを整えるのよ。折角素材が良いんだから、少し位は磨かないとね。今回は特に外交の問題もあるから」
「あの…それって……」
「任せて。とびっきりに仕上げるから」
外交の言葉に刀華は少し身構えていた。確かに大使館レベルであれば外交問題に発展する可能性は否定できない。
ましてや今回の件はカナタの会社の問題もあるからなのか、刀華もまた下手な事を口にする事は無かった。
仮に自分の動作一つ、言葉一つで国際問題に発展するとなれば、流石に刀華と言えど何も出来ない。本来であればカナタに詳細を聞けば良かったが、自分がキッカケを作った手前、何も言う事は無かった。
近づく朱美に刀華はなす術も無い。迫り来る朱美の姿に刀華は少しだけ気合を入れ直すしか出来ないままに時間だけが過ぎ去っていた。