倫理委員会に所属する赤座守の邸宅は都内の中でも一等地に近い場所に建てられていた。
本来であれば、赤座の役職ではそこに邸宅を持つ事は難しい。それは魔導騎士連盟の職員であれば誰もが知っている事実だった。
倫理委員会は伐刀者の量刑を図るのが主だった仕事になる。元々この組織が出来た当初は、伐刀者が故に理解出来ない部分や、一般人に対しての問題を解消し、更生の為に裁量を図るのが目的だった。
しかし、この組織そのものが一部の一族が代々歴任している為に、当初に出来た際の考えは徐々に失われつつあった。如何に清らかな水を注ぎこんでも、淀んだ池が浄化する事は有りえない。戦後の恩賞だったはずの組織が、気が付けば汚職の温床になりつつあった。
裁判には関係ないとは言え、その量刑に関しては一定上以上の口出しは可能となっている。
同じ傷害でも、倫理委員会で取った採択は少なからずとも裁判にもかなり影響していた。当然ながら伐刀者の中でも資金力がある人間は、それ相応の交渉を委員長に持ちかける。その結果、赤座には本来であれば有りえない様な大金が流れ込んでいた。
不正に手を染めれば相応のコストが発生する。そんな事を理解しているからなのか、赤座の邸宅には裏から手を回した事による護衛が常駐していた。
「しかし、こんな程度の任務で報酬があれだけあるとはな。ある所にはあるんだな」
「おい、下手に依頼主の事は口にするな。秘匿する内容も報酬に含まれているんだ。こんな所で油を売る暇は無いだろ」
「少しは楽にしたらどうです?幾らなんでも俺達が出張ってるんだ。下手に侵入する人間は居ないでしょう」
緊迫した空気を感じる事は殆ど無かった。実際に邸宅の警備をする場合、その殆どは警備会社を通じて依頼される。本来であれば、それで良かったはずだった。
しかし、赤座はその状況を良しとはしていない。それは単純にこれまでに仕事の兼ね合いで吸い上げた金の絡みが要因となっていた。
実際に倫理委員会の採択をするのは委員長が殆どになる。建前上は審議官が複数居るが、その殆どは委員長に対し、意義を申し立てる事はしなかった。
役所と同じく、ここもまた上からの引き上げによって出世が出来る。ましてや、今の委員長が名家でもある黒鉄家の流れを汲んでいる事から、周囲もまた引き上げられる事を望んでいた。
当然ながらそれを知る者は確実に恨みを抱き、相応に恨まれる事も出てくる。それを警戒したからなのか、赤座は自身の伝手を使って根来衆を雇入れていた。
「だからと言って、何もしなくても良いはずがない。……そろそろ時間だ。巡回するぞ」
一人の男の声に、もう一人もまた嫌々ながらに返事をする。実際に根来衆はその腕前から銃火器を得意とする忍。本来であれば警備の仕事を受ける様な組織では無かった。
実際に平和になれば忍の役割は殆どが諜報活動に終始する。これが戦国の世であれば他の組織もまた動く事はあったが、一度覚えた平和の味は依頼主となるはずの人間に二の足を踏ませていた。
そうなれば実際に待っているのは、組織の穏やかな崩壊。一部の組織を除くと、残っている組織は最早数える程だった。
一部の大手は既に忍ではなく武士となっている。だからこそ、人間性が劣っているとしても、その戦闘力を買われる事が多々あった。
これまでにも何度か侵入者を撃退している。そんな経験があるからなのか、今の三人は口でこそ実績がと言っているが、実際にどうなのかを知る者は当事者以外には居なかった。
「月の明るさも無いのは少し不気味だ……」
男はそれ以上の言葉を口にする事は出来なかった。
既に事切れたからなのか、そこに生命の輝きは残されていない。僅かな闇には何一つ映し出される事はなかった。
「俺はやつらの始末をする。それと、お前達は家の中に居る人間の処理をしろ。それまでに根来衆を見つけたら同じく始末するんだ」
「はっ」
赤座の邸宅から少し離れた場所で青龍は部下に指示を出していた。元々根切であるのは当然だが、やり方に関しては小太郎から指示が出ていた。
今回の依頼は内閣、厳密に言えば時宗から出ている。そうなれば表面上は、何かしら偽装する事が条件として出ていた。
何をどうするのかは、あくまでも青龍の判断に委ねる。部下への指示が的確であれば、青龍もまた今後の行く末を判断する為の試練として出されていた。
「それと、家人が居た場合はこれを使え」
青龍が用意したのは、二振り幅広の鉈の様な物だった。
実際にそれが何を意味するのかを下忍は詮索する事は無い。上忍からの指示が絶対である為に、各々がそれを受け取っていた。
「騒ぎは起こすな。それと何をするにも必ずそれを使え。それ以外での攻撃は処断の対象とする」
青龍の言葉に二人はそれを腰の部分へと括りつける。確認が完了したからなのか、青龍は再度邸宅の壁面へと視線を動かしていた。
邸宅の壁面は目視で三メートル程の高さ。元々外部からの侵入を防ぐ為に作られた物ではあったが、風魔からすれば無に等しかった。
僅かに助走をつけると同時に片足を壁面に着ける。
その瞬間、男達は直ぐにその場から消え去ったかの様に壁面を乗り越えていた。
音も無く着地すると同時に、指示の通りに行動を開始する。明かりが無い庭先は風魔の支配下の様だった。
一度侵入が出来れば後はそれ程問題は無かった。事前に確認している見取り図では大よそながらにどこに居るのかが予測出来る。
青龍からすれば赤座の存在など気にする程でも無かった。
現状でやるべき事は根来衆の抹殺。それさえ終われば後は児戯と同様だった。
人知れず移動を続ける。目前に見えたのは根来衆と思われる人間だった。
「こちら異常無し。これから次の場所へ移動する」
青龍は気取られる事無く一人の男の傍へと接近していた。
通信機を使っている為にこちらに気が付く事は無さそうに見える。元々が殲滅であるからなのか、青龍は背後から一気に襲い掛かっていた。
(こいつらは下忍か。あまりにも杜撰なはずだ)
物言わぬ骸に視線を動かし、念の為に確認をする。持ち物を見れば大よそながらに予測が可能だった。
基本的には夜間のみの契約だからなのか、戦闘服をそのまま着ている。見た目には判断出来ないが、一度表面の服をめくると、そこには階級を示した物が付けられていた。
根来衆は忍ではあるが、その本質は戦闘傭兵。同じ傭兵でも風魔の様に色々な部隊がある訳では無かった。
実際に既存の組織を吸収して大きくはなっているが、特段銃器以外に得意とする事は無い。当然ながら周囲に対する警戒はするが、それはあくまでも通常よりは上と言うだけで、それ以外に特筆すべき部分は何も無い物。
厄介なのは、中忍以上が組織的に居た場合だった。
銃火器は青龍とて使用するが、一つ一つの業に対する洗練に度合いは根来衆に軍配があがる。しかし、今屠ったこれは、そんな事すら出来ないレベルだった。
めくった先にあったのは、本来であらばあるべきはずの証。根来衆は対外的な階級以外にも、分かり易い場所に刺青をする点だった。
詳しい事は分からないが、これまでに根来衆と何度か対峙した際にはそれらしい物があった記憶がある。
それがあった人間はどれもが戦いに対し、手慣れた様なイメージがあった。だからこそ、それが無い為に青龍もまた下忍であると認識していた。
僅かに時間を確認する。先程の通信の先に居るのは間違い無く指揮官クラスなのは確定だった。
それが中忍なのかは分からない。
それだけでは無く、移動がどの場所なのか分からない。恐らくは通信が途絶えた事を確認すれば騒がしくなるのは間違い無かった。
本来であれば、このまま放置しても問題無いが、ここで下手に見つかると面倒事が発生しやすい。そう考えたからなのか、青龍は横たわった骸を茂みへと放置する。
残りは二人。青龍は再度闇の中へと溶け込んでいた。
「おい、何かおかしくないか?」
「何がだ?」
巡回した場所が場所だったからなのか、出会ったのは偶然だった。
元々今回の依頼は長期に亘る任務の為に、常に人員は入れ替わっていた。
同じ人間が同じ場所に居続ければ、色々な思惑が絡んでくる。その結果、組織が崩壊しようものならば問題になるからと、根来衆としては定期的に人員を変更していた。
傭兵はあくまでも金銭と契約が間に介在する。当然ながら依頼主は報酬を払う為に、それなりに有利な立場にあった。気に入らなければ契約は即時解除される。当然ながら報酬が期待できるはずが無かった。
元々根来衆は傭兵ではあるが、国内では思ったよりも活躍出来る場は少ない。特に伐刀者が絡む案件に関しては最たる物だった。
異能を使う事によって、自分達の仕事が次々と失われて行く。当然ながら根来衆に待っているのは穏やかな衰退だった。
国内を見れば大きく活動しているのは風魔しかない。他の優秀な組織は、傭兵や忍ではなく、魔導騎士の立場で表に出る事が多くなっていた。
勿論、根来衆全部が劣っている訳では無い。伐刀者には無い巧みな戦い方は、色々な意味で戦場を支配出来る程だった。
しかし、それが可能なのは中忍以上の場合のみ。
下忍であればそこまで業が熟達している訳では無い為に、今回の様に直接的戦闘にはなりにくい依頼が多かった。
だからこそ、時事上の哨戒としてだけではなく、それ以外の有効性を見出す為に今に至っていた。
そんな中で不意に感じた違和感。それが何なのかを理解できないままに互いに顔を合わせていた。
「空気が違う。少なくとも、この感じはどこか戦場に近い様にも感じる」
「だが、それだけでは……」
そこから先の会話は続く事が無かった。
まるで示し合わせたかの様に闇の中から一人の賊の姿が浮かび上がる。
漆黒のボディアーマーに、同色の仮面。その仮面に描かれた模様は龍そのものだった。
死を呼び寄せるかの様な雰囲気を纏い、時間の経過と共にその全容が浮かび上がる。その瞬間、根来衆の人間は厳戒態勢に入っていた。
「風魔だ!」
「くそっ!よりによって青龍かよ!」
仮面を見た瞬間、即戦闘が始まっていた。
風魔の四神の中でも青龍の名は死神の代名詞だった。
これまで対峙した人間が生き残った確立は限りなく無となっている。仮に生き残れたとしても、それは最早人間とは言えない状況だった。
精神を破壊され、四肢も全てが欠損となっている。噂が広がったのはそれが原因だった。
頭領でもある小太郎の存在は既に周知の事実だが、青龍もまた同等だった。
その事実を他の組織が知らないはずがない。だからこそ、龍の仮面を見た根来衆は本能のままに行動を開始していた。
根来衆の持つ銃器は警備用に改造されている。
所有する全てのそれにの銃身には消音器が付けられていた。早撃ちの要領で行ったからなのか、相手の動きを僅かに見た瞬間、大気が圧縮された様な音だけが響いていた。
青龍の視線の先には根来衆が何かを話していた。
既に一人を屠り去っている為に、このまま時間だけが経過すればいずれそれが明るみに出る。時間が限られているのであれば、今は色々な意味で好機だった。
態と気配を濃密にし、異常な雰囲気を作り出す。それは獣が威圧するのと同じ行為だった。
幾ら下忍と言えど、気配を探れば対応は早い。
既に根来衆の手に持っている銃器は青龍の胸を狙っていた。
強引に小さくしたような発射音。その瞬間、青龍は当然の様に左腕を銃口の延長上に差し出していた。
元々戦闘がある時点で武器は所有している。しかし、防御にはどれも適さないからなのか、自身の展開する固有霊装を利用していた。
大気が圧縮した様な音が出た瞬間に、続けざまに金属が弾け飛ぶ音が響く。銃弾を青龍が弾いた証だった。
突如として始まった戦闘を察知する人間はこの屋敷の家人では誰も居ない。闇の住人同士の戦いは直ぐに始まっていた。
「反応だけは良かったんだがな」
「化物が!」
青龍の言葉に根来衆は一言だけ吐き捨てる様に口を開いていた。
早撃ちの技術は少なくとも他の忍や傭兵に負けるとは思っても居ない。事実、これまでに屠った人間の全てが早撃ちの前に沈んでいた。
しかし、風魔の青龍にそれが通用する事は無かった。
僅かに聞こえた金属音は着弾していない事を示している。本来であれば驚愕のあまり動く事も難しいと思われていたが、やはり相手が相手だからなの、逡巡する事無く根来衆は逃走していた。
「逃げ足だけは早い……か。まぁ良い。当初の予定通りにするか」
お互いが距離を取っただけではなく、根来衆は青龍に対しそれぞれが味方同士当たらない様に移動していた。
実際にはまだそれなりに距離がある。そうなれば幾ら風魔と言えど、こちらに分があると考えていた。
先程の弾かれた銃弾は偶然にしか過ぎない。技術的に可能である事は敢えて考えず、今出来る事を実行するだけだった。
その結果が今に至る。良案か愚策なのか。根来衆はその考えの回答を身を持って知る事になっていた。
「まさかあれ程だとは………」
根来衆の一人は後ろを振り向く事無く前だけに意識を向けていた。
これまでに風魔の話は聞きはするが、実際にこの目で見たのは今日が初めてだった。
忍の領域は余程の事が無い限り、交戦する事は多く無い。事実、戦闘に関しては根来衆や風魔位が精々だった。
伝聞でしか事実が明かされていないのは、これまでに敵対して生存した人間が少ないのが実情だった。
表の戦いではなく裏の戦いでは、どちらかの命が一方的に散る事が多い。それは自分もまた経験し、そうしてきたからだった。
下手に生き残りが居ると、今度はその情報を活かした上で攻め入る事になる。何も知らない状態とは違い、万全の準備をした組織を相手にするのは、かなり厳しい結果になりがちだった。
そんな事から、その殆どの組織が風魔に対して情報を持たないまま戦闘を繰り返してきた。
その結果、名前と戦果だけが先行していく。実際に噂は噂でしかない。男もまたそう考えていた。
しかし、風魔を相手に逃げ切れるのだろうか。男はふと忍び込んだ思考を無視するかの様に、目的の場所へと一心不乱に移動していた。
「ここで死ね!」
男の声と同時に聞こえたのは銃火器の作動音。侵入者が強敵だった場合、事前に仕込んだ罠によってそのまま殲滅する予定の場所だった。
根来衆は移動しながらも弾倉を素早く交換し、作動した銃火器を使用する。その為に、この場所におびき寄せていた。
如何に風魔と言えど、幾重にも放たれる銃弾から逃れる術は無い。少しだけ先の未来を予見したからなのか、男の表情は愉悦に浸っていた。
手元にあるスイッチへ指が伸びる。多少の誤差をもろともしないそれを押せば、全てが瞬時に終わるはずだった。
「お前、遅すぎるぞ」
「何……だ…と……」
確実に距離を取ったはずだった。この後待っているのは横たわった風魔の死体のはず。にも拘わらず、男は驚愕しながら自分の腹部を見ていた。
本来であればありえない場所からは手刀で貫いたからなのか、四指が見える。背中からの致命的な一撃。
ゆっくりとそれが抜けた後は夥しい赤が地面へと流れていた。
全身が脱力したかの様に力が抜けたのか、男はそのまま膝から崩れ落ちる。本来であれば、確実に反撃されるはずがない距離を保ち、万全の態勢だったはず。そんな事を考えながら目に映るのは腹から出た四指。
どこで何を間違ったのかは現実を直視出来ないままに男の目からは生気が抜け、そのまま骸へと変化していた。
「た、助けてくれ」
「それは俺に言う言葉じゃないな」
「なん……で……」
青龍の言葉の次は既に無くなっていた。同じく崩れ落ちたその背後には風魔の人間が立っている。
霊装を展開していたからなのか、直接の原因となった直刀の刃は直ぐに消え去っていた。
「家人の始末は完了しました」
「例の物を使ったか?」
「はっ。仰せの通りに」
「では、最後の仕上げに入るか」
「承知しました」
先程まで人間だった物には目もくれず、青龍と配下の人間は今回の対象の下へと移動を開始していた。
既に根来衆が居ないのであれば、後は絶やすだけ。最後の仕上げを残す所だった。
「……ん。気のせいか」
赤座は僅かに何かが聞こえた様に感じていた。
元々自分の職種を考えれば、ある意味では報復措置を考える輩が出る可能性があるからと、特別な伝手を使って今回の自宅警備を依頼していた。
通常であれば気にする必要は無い。しかし、今回の件に関しては最悪は何かしらの圧力がかかる事が予想されていた。
捏造した証拠を基に、自身の管轄でもある倫理委員会と懇意にしているマスコミに、リークと言う形で情報を流す。
世論の形成さえ出来れば、後は容易く出来るはず。自分が考えた計画に絶対の自信を持っていた。
当主でもある巌から依頼されたのは、愚息の一輝を予選会で潰す事。これまでの官僚組織を絶大な物にする為には、幾ら身内であっても同じだった。
直接何かを言われた訳では無い。あくまでも自分が感じた事をそのまま実行しただけだった。
他の審議官は何も知らない連中。既に一輝に与えている食事にも緩和的な毒物を使用している為に、そろそろ結果が出る頃だった。
そんな取り止めの無い事を考えながらワイングラスをゆっくりと揺らす。先程聞こえた様な音は恐らくは気のせいだと考えていた。
香りを楽しみ、グラスの中の物を口に含む。芳醇な香はこれからの自分の未来を歓迎するかの様だった。
誰も居ない書斎だからなのか、聞こえるのは微かなエアコンの音だけ。赤座は少しだけ目を閉じた瞬間だった。
「お前が赤座守だな?」
「貴様は誰だ?」
目を見開いた先に居たのは一人の男だった。
漆黒のボディアーマーに、同色の仮面。そこに描かれた龍が何者なのかを示していた。
「貴様に名乗る名は無い」
その瞬間、赤座は自身の固有霊装を即時展開していた。厳しい態勢ではあるが、やれない事は無い。椅子から立ち上がり、そのままハルバートを横なぎにするだけだった。
態勢を整える為に僅かに逸れた視線の先には先程の男の姿は存在していなかった。
視線を切ったのは刹那の出来事。気が付けば自身の顎に感じた衝撃が赤座の意識があった最後だった。
「おい、これから何をするつもりだ!」
「見ての通りだが?」
赤座が目覚めた先にあったのは一振りの短刀とグラスだった。
それが何を意味するのかは分からない。しかし、この現状であればどうなるのかだけは予測が付いていた。
しかし、何故自分がと言う思考だけが先行するからなのか、その先が見えない。
少なくとも自分は当主の要望に最大限に尽くしたはず。当然ながらそこから待っているはずの未来が輝かしいものになるはずだった。
しかし、今の置かれている状況はその真逆の物。余りにも簡潔に言われた言葉に、赤座の理性は崩壊寸前だった。
「お前ら、こんな事をして黒鉄家からの報復があるぞ!それでも良いのか!」
「黒鉄家がどうかしたのか?」
「赤座の一族は黒鉄家の本流に連なっているんだ!その当主に手を出す意味が分からないのか!」
言い叫ぶ言葉の意味は青龍だけでなく、他の人間もまた理解している様に見えていた。
ここで黒鉄家の名前を出せば、まだ生きる望みがあるはず。少なくとも自分がやった行為に関しては問題が無いはずだった。
幾ら叫ぼうが、既に自身の体躯は拘束されている。ここで異変を起こせば警備の人間が来るはず。だからこそ高額の依頼料を払ったはずだった。
「言っておくが、根来衆は既に全滅したぞ。金額を渋って下忍なんかに依頼するからだ。それと、この件に関しては既にお前は黒鉄家の一門ではない。何しろ、当主自らがそう宣言したんだからな」
仮面越しの発せられた言葉に赤座の顔色は一気に青褪めていた。
一門では無いとはどう言う事なのか。自分はこれ程までに尽くしたはずなのに。そんな取り止めの無い言葉だけが赤座の脳裏を過る。
それだけではない。大枚を払ったはずの護衛が全滅している状況もまた悪夢だった。
既に自分には生存の道は残されていない。拘束されている為に逃亡すら許されていない。この状況に、赤座は己の未来がどうなるのかが見えていた。
「馬鹿な……ならば、これまでやって来た事は何だったんだ……」
「そんな物は知らん。おい、時間も無いんださっさとやるぞ。武士なら武士の一門らしい終わりにしてやるぞ」
赤座の口に強引に何を飲ませると同時に、直ぐにその効果は表れていた。
拘束を解いた所で逃走は出来ない。既に意識は薄らいでいた。
赤座の為に用意した短刀を自分で持った様に握らせる。武士の終わり方らしい幕引きをさせる為に、青龍と風魔の下忍はただ決まった行為をするだけだった。
「この度は誠に申し訳ございませんでした。既に責任者は辞任。担当部署に関しても上位の人間は全て引責辞任させましたので」
「ですが、貴国が我が国に対し傷つけた名誉はその程度でしょうか?ステラ皇女殿下が受けた物はそんな軽々しい物ではない」
ヴァーミリオン公国の大使館の中では時宗と大使が面会を果たしていた。
今回の件に関しては魔導騎士連盟の支部長でもある黒鉄巌は3カ月間の一割減給処分、倫理委員会の上位でもある侍局もまた、事務次官を筆頭に幹部陣は全て解任となっていた。
幾ら捏造された写真とは言え、その様子は全国民が知る事となっている。
大使が言う様にステラの名誉は色々な意味で傷つけられていた。
本来であれば外務の担当者が大使と面談し、今後の件に関して調整を果たすが、今回の件に関しては時宗が内閣の代表として訪れていた。
「その件に関しても翌日には掲載した新聞社から誤報である旨の全面記事を一面にし、それ以外の件に関しても一切合切が事実無根である事も公表します」
「しかし、当事者が辞任程度では……」
「ええ。ですので、当事者は責任をとる為に、割腹自殺をしましたので」
「………え?」
突然の時宗の言葉に大使は二の句を告げる事は出来なかった。
割腹自殺の意味が分からない。責任をとっての辞任は実際にはどの国でも同じ事だった。
実際に解任された人間が再び統治の下に来る事は無い。大使が時宗に発した言葉のそれはある意味ではポーズだった。
しかし、その時宗から予想外の言葉が出た事によって思わず硬直する。
言葉の意味を正しく理解出来なかったと判断したのか、時宗は改めて言い直していた。
「そうですね。貴国に分かり易く言えばハラキリですか。流石は武士の系譜。己の所業を恥じた故の結末です。お疑いになるならば証拠も見せますが」
お互いが座るソファーの前に置かれたテーブルの上には警察が撮ったであろう写真が数点残されていた。
当事者でもある赤座守だけでなく、その家族もまた惨殺されている。
余りにもショッキング過ぎたからなのか、大使の顔は青褪めていた。
「警察の見解では気が振れた本人が家族を惨殺し、その後自らの腹を斬ったとの事です。家族の痕跡もまた、本人の固有霊装を展開した結果であると記されています」
冷静に出された写真の意味を伝える為に、時宗は細部まで大使に伝えていた。
余りにも苛烈な結果。まさかこれ程の内容を示されたのでは、これ以上の抗議は死者に鞭を打つ行為であると大使は考えていた。
「そうでしたか……流石は侍の国。実に苛烈ですな」
「此度の件は貴国の名誉を考えれば、まだ手緩いかと」
「いえ……この件に関しては本国に余すことなく伝えさせて頂きますので」
「我が国は今後も友好を保ちたいと考えていますので」
「そうですな。我が国も今後の未来を共に歩み続ける事が出来ます故に」
時間にして小一時間程の会談はそれ以上続く事は無かった。
実際に渡した写真が全てを物語る。この場で偽物を提出する意味が無いからなのか、この件に関しては大使館側から何かが出る事は無かった。
「さてと………面倒な事してくれたと思わない?こっちも仕事がまだ残ってるんだけどね」
「私の口からは何とも言えませんので」
公用車を運転していた人間はバックミラー越しに時宗を僅かに見ていた。
大使館の中で何を話していたのかは分からない。少なくとも最初の段階で時宗が何時もと変わらない事実は運転手の目から見ても違和感しかなかった。
突如として起きた醜聞は瞬く間に収束に向かっている。運転手は前を見ながらも変化の少ない時宗を眺めるだけだった。
「そっけないね。
時宗の言葉に運転手が思い出したかの様に出発直前の状況を思い浮かべていた。
侍局の事実上の粛清は確実に混乱をもたらす事になる。当然ながらその後釜に座ろうとする人間は完全に黒鉄家以外の者から選出されるのは間違い無かった。
本来であれば、権力闘争などと非生産的な行為に暫くの間走り回る事だけは間違いないと考えていた。しかし、一介の運転手からすればそんな事は何の意味も無い。
だからなのか、時宗の指示通り総理官邸へとハンドルを切っていた。