英雄の裏に生きる者達   作:無為の極

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第50話 戦いの残滓

 なかば覚醒したからなのか、有栖院凪は何となく今の状況を理解しようとしていた。

 自身がまだ子供の頃に教えられた暗殺や戦闘に関する技術を教えてくれたのは、紛れも無くこの場に居るヴァレンシュタイン。解放軍の十二使徒と呼ばれ、また、類まれな戦闘能力から『隻腕の剣聖』とまだ呼ばれている。

 

 二つ名は自分が取ってつけた名前ではなく、外部から呼ばれている物。当然ながらその能力を弟子でもあった凪自身が一番知っているつもりだった。

 この場に居たのは自分を始末するつもりであるのは容易に想像出来る。少なくとも今回の計画に反旗を翻す行動をしている以上は、その結末は当然だと思っていた。

 そんな状況だったはずが、突如として事態は一変していた。仮面の男が何者なのかは分からない。がしかし、一撃とも取れる攻撃で命を散らせる技量は尋常な能力では無い事だけは間違い無かった。

 意識が覚醒したまでは良かったが、四肢は僅かに痺れた様にも感じる。自分の意識がどうやって途切れたのかは分からないが、少なくとも今直ぐに動く事は出来ないでいた。

 

 

 

 

 

「所詮はこの程度。解放軍とは名ばかり……か」

 

 ヴァレンシュタインを貫いた刃をそのまま仮面の男が引き抜くと、糸が切れた人形の様に力なく倒れ込んでいた。

 折角の戦いだと言うにも拘わらず、この程度の技量では喜びを感じる事は何も無い。仮に横たわる人間を屠った所で、その感情が満たされる事は何一つ無かった。

 折角元の場所から移動したにも拘わらず、内容は最低の物。ならば先程少しだけ相手をした眼鏡の女生徒の方が少しだけマシの様にも感じていた。

 まだこの時間ならば終わっていないかもしれない。人知れずそう考え、行動しようとしたその時だった。

 

 

「何やら面白そうな物がここに来ているみたいだな。折角だから少しだけ遊んでみるか」

 

 呟くかの様に出た言葉ではあったが、既にその意識は扉の向こう側へと向いていた。

 何者かは分からないが、興醒めした自分を少し位は楽しませてくれる存在。そんな期待を胸に、男は行動する事を止め、少しだけ留まる事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(まだ大丈夫なはず)

 

 珠雫は自分にそう言い聞かせながらも、目的の場所へと急いでいた。

 実際に到着後に直ぐに如何こう出来るとは思えない。少なくとも一定の距離を置きながらも移動しているのであれば、仮に最悪の状態となっていても自分の技量ならば、何とか出来ると考えていた。

 事実、刀華に予選会で敗北してからの珠雫は直接的な戦闘方法そのものよりも、異能による攻撃に力を注いでいた。

 

 自分の体躯から繰り出す攻撃は固有霊装の影響もあってか、それ程重い攻撃には出来ない。兄の一輝の様に、例え異能の力が劣っていても純然たる攻撃能力があれば違う意味で戦う術があるのを理解していた。

 ステラの様に爆発的な魔力も無ければ、卓越した戦闘技能も無い。自分が非力である事を理解しているからこそ、今よりも更なる昇華をすべく鍛錬に励んだ結果だった。

 合宿の影響もあるのかもしれない。今の凪がどんな状態になっているのかは分からないが、少なくとも自分が間に合いさえすればと考えながら疾駆していた。

 時間の経過と共に、周囲の景色が徐々に変わり出す。

 人気が無くなった先にあったのは見た事も無い建造物。それが何であるのかを考える前に、珠雫は周囲を確認していた。

 

 

(これって………)

 

 周囲を確かめるかの様に珠雫は警戒していた。まるで何かの学校の様にも見える建物ではあるが、問題なのはその中身だった。

 外観は立派だが、中はまだ工事中なのか、それともこの時点で建設が頓挫したかの様にも見えていた。

 中身が全くない建物。少なくとも追跡した先にあった人工物がこれしかない為に、珠雫もまたゆっくりと歩を進めていた。

 静寂な空間に珠雫の足音だけが響く。本来であれば直ぐにでも走り出して場所の特定をしたいとさえ考えていたが、ここは間違い無く敵地。嫌が応にも慎重に行くより無かった。

 固有霊装を顕現すると同時に周囲の気配を探り歩く。効率が悪い事は理解しているが、何が起こるのかが読めない以上、自分の中にあるはやる心を押さえつけていた。

 

 

(これは…戦闘音)

 

 不意に聞こえた音。珠雫のは一気に警戒の状態を戦闘時にまで引き上げていた。

 仮に自分が襲撃されるのであれば戦闘音はある意味では囮の役割を果たす。しかし、自分の襲撃でないのであれば、誰かが戦っている事になる。

 今の状態で戦えるとすれば、意識を取り戻した凪の可能性が高い。そう判断したからなのか、珠雫はその音の発生場所へと駆け出していた。

 

 

 

 

 

 戦闘音が響いた先にあったのは、横たわる骸と仮面の男。先程の戦闘音がそれ程長く無かった為に、どれ程の力量なのかを推測するのは不可能だった。

 幻想形態ではなく実像形態。仮面の男が握る刃には、まだ赤い液体が滴り落ちていた。

 後姿の為に、何者なのかは分からない。本来であれば何らかの接触をする方が良いのかもしれない。しかし、今の珠雫にはそんな余裕は無かった。

 それが当然であるかの様に大気から水の塊を瞬時に生み出す。

 警告の為の威嚇射撃ではなく、完全に屠り去る為の攻撃。珠雫は躊躇う事もなくそのまま水の塊を針の様に形状し、そのまま一気に放っていた。

 

 

「血風惨雨」

 

 一言だけ告げた瞬間、弾丸の様にそれぞれの針が一斉に放たれる。

 仮に味方だったとしても、最悪は家の力で強引に収めれば良い。一輝が仮にこの場に居よう物ならば確実に卒倒する考えだった。

 それ程広く無い部屋であれば、この一撃で全てが終わる。珠雫はそう考えていた。

 

 元々は水の塊。放たれた針は目標に向けて一気に着弾していた。

 形を維持できなくなった針はそのまま霧散するかの水しぶきを上げて消えていく。回避されたとしても何割かは喰らうはず。数秒の未来を予測したからなのか、珠雫は油断する事無く警戒をしながらも視線は目標へと向けていた。

 水煙が晴れる。珠雫の網膜に映ったのは、何かの黒い塊だった。

 

 

 

 

 

「小娘の分際で奇襲とはな。中々面白い趣向だ。折角だから楽しませろ」

 

 珠雫に放たれたのは拳だった。

 正面から突いたのではなく、横に薙いだ物。裏拳を飛ばしたかの様にその拳は珠雫の頬に直撃していた。

 警戒をしたとは言え、直撃した事により珠雫の意識は混濁する。小柄な体格故に、その体躯は簡単に弾き飛ばされていた。

 勢いよく叩き付けれた体躯は、そのまま更に地面に激しく叩き付けられる。

 この時点で意識は完全に途切れていた。

 

 

 

 

 

「……この程度で終わりか。ならばこれ以上は無駄だな」

 

「……ちょっと待ちなさい!」

 

 仮面の男を止めたのは気絶していた有栖院凪。徐々に回復していたからなのか、目には力が宿っていた。

 先日までは自分を慕っていたはずの珠雫を裏切る事による罪悪感で苛まれていた。しかし、自分の為にここまで来てくれた事だけでなく、先程の一撃によって意識を失ったのであれば、自分がここで時間を稼ぐしかないと判断していた。

 妹分の様に慕うのであれば、罪滅ぼしとまでは行かなくとも多少の時間は稼ぐ。相手が自分の師を一撃で屠る様な人間であっても、その意志が削がれる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「裏の人間だと加味してもこの程度か。やはり解放軍の連中は所詮は二流か」

 

 仮面の男は一瞥すると同時に横たわった凪を蹴飛ばしていた。

 実際に戦闘になったのは初手だけ。その後は一方的な蹂躙だった。

 元々凪の持つ抜刀絶技は直接的な攻撃をする物ではなく、戦闘の補助的な要因が殆どだった。

 

 相手の動きを拘束してからの攻撃か、背後に回ってからの奇襲。どちらかと言えば暗殺向けのそれは、今の時点では無駄な物でしかなかった。

 初手に関しては自分の攻撃を意識付ける為にしている物。意識を態と自分の攻撃に向けて影を狙い撃てば、何とかなるはずだった。

 横に薙いだ刃は男に存在を意識付ける。ここまでは何も問題は無いはずだった。

 元から回避される事を前提としている為に、慌てる要素は何処にもない。二の太刀を狙って放つ攻撃のはずが、そこで思考が完全に止まっていた。

 

 

(どうして!)

 

 異能の力が働かない。これまで当然の様に発動したそれが、完全に沈黙していた。

 まるで最初からそんな事は出来ないかの様に魔力を集められない。自分は何もされていないはず。戦いの最中に逡巡する事は致命的だった。

 驚きはそのまま動きに現れる。これが凪がこれまでに対峙した人間であれば問題は無かったが、この男の前では致命的だった。

 

 囮同然の二の太刀に動揺が生まれれば、それは漫然と攻撃したのと同じ事。腰が入らない攻撃は反撃する為の材料としては絶好の的だった。

 薙いだ腕を捕まれた瞬間、そのまま腕の動きは加速していた。

 

 本来であれば止めるのかもしれない。しかし、今の攻撃ではそれは叶わない。完全に死に体の状態になった凪に待っていたのは無慈悲な一撃だった。

 流れた体躯の先にあったのは鉛の様に堅い拳。完全に動きを止める為に下から上に浮き上がる程の一撃は、そのまま第六、第七肋骨を粉砕していた。

 無防備な体躯はそのまま弾け飛ぶ。地面に叩きつけられるまでは行かなくとも、完全に流れは男の物だった。

 

 

「そうね。私は二流よ。対象者に情を持った時点……でね」

 

「ほう……自覚はしていたか。ならばここで散るのか?其の方が潔いと思うが」

 

「これまでならそうした……かもね」

 

 肋骨が粉砕した時点で、凪の機動力は完全に失っていた。詳しい事は分からないが、呼吸の為に動く肺によって痛みは嫌が応にも意識させられる。

 少なくともこの場に於いては自分の身よりも珠雫の方を優先したいと考えていた。

 自分の手は既に血に塗れている。相手が誰であろうとも、自分の身で珠雫を汚す訳にはいかないと誓っていた。

 

 吐血こそしないが、先程の一撃で内臓もまた悲鳴を上げていた。

 出来る事ならこの場で倒れれば楽になれる。少なくとも自分の知識の中でこれほどの相手が存在するとは思っていなかった。

 十二使徒でさえも児戯と戯れる程度。明らかに裏の人間であるのは間違いないが、それでもやはりその正体に覚えは無かった。

 有名どころであれば風魔。しかし、仮面に絵は無く『鳶』の文字だけ。朦朧としながらも意識を絶ち切る事無く思考を続けていた。

 

 

「生憎と半端な人間と戯れるつもりはない。その命は貰い受ける。仮に生き残れれば多少は考えてやっても……だがな」

 

 その瞬間、男の姿は消えた様に感じていた。

 厳密には消えた訳では無い。人間の眼で追えない速度で移動したからだった。

 均一に動いていれば多少なりとも追えたかもしれない。しかし、男は零からの急加速をした事によって眼に映る間もなく移動していた。

  この状況下での急加速。狙うのは目の前の命。よろよろと立ち上がった凪に待っていたのは死神の鎌の役割を持つ刃。先程の肋骨への攻撃を受けた反対側には刃が突き刺さっていた。

 焼ける様に感じる鋭い痛み。仮面ごしとは言え、どこか愉悦が混じった様な感情はそのまま凪へと襲い掛かっていた。

 

 

「このままここで果てるが良い」

 

 まるで動物を解体するかの様に向けた刃は既に赤に染まっていた。その元は自分の体内にあったもの。本来であれば反撃の糸口を探すが、未だ異能が使えないのであればその芽は完全に摘まれていた。

 異能を中心とした戦術で戦う事は、ある意味では伐刀者らしい物。純粋な技量だけを持ち合わせた時代であれば、ここから反撃する事も考えられる。

 しかし、その前提が崩れた今、凪に出来る事は何一つ無かった。

 

 

(このままここで終わるのも悪くはないのかもね。裏切った代償なもの)

 

 既に凪には諦観だけが漂っていた。純然たる技量で勝つ事が出来ず、逃げる事も敵わない。

 仮にここで逃げれば珠雫の命がどうなるのかを考えた末の判断だった。

 勿論、自分だけで終わるのかは分からない。だが、自分の命がここで散れば、ある意味では辛い事から逃げる事も出来ると考えたからだった。

 迫る凶刃。今はただ来るであろう未来を待つより無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ここは………確か、私……アリスを追って…………)

 

 混濁した意識は時間共に回復し始めていた。

 先程の攻撃が予想以上に重い物だった為に、万全とは言い難い状況であるのは間違い無かった。

 警告無しの攻撃をした瞬間はこちらに意識は向けていない。攻撃に関しても、水を調整する事無くそのまま放った為に、タイムラグすら無かったはず。

 しかし、自分は対象者から攻撃を受けた。

 どうやって防いだのだろうか。そんな取り止めの無い考えだけが脳裏を過る。

 時間の経過と共に考えだけでなく、現状もまた少しでも見え始めていた。

 ゆっくりと閉じた目蓋が開いてく。珠雫の眼に飛び込んで来たのは、刃を向けられた凪の姿だった。

 

 

(アリス!)

 

 その瞬間、これまでの思考が一気に吹き飛んでいた。珠雫は再度ノータイムとも取れる速度で先程と同じ業を放っていた。

 先程の様な全体にではなく、襲撃者に向けての点攻撃。一部の水はあふれ出た魔力によって氷結し始める。明確な殺意を持った攻撃は一気に襲い掛かっていた。

 

 

 

 

 

(回復が早い。水の使い手か)

 

 男は有栖院凪に視線はあったが、気配を探る動きは珠雫へと向けていた。

 この場に居る伐刀者は二人。しかし、目の前のそれは既に自身の放った抜刀絶技によって一時的に異能を封じ込めていた。

 瞬間催眠とも言えるそれは、ある意味では伐刀者の天敵。

 仮面に空いた小さな視界には潜在的な催眠状態になっている事が確認出来る。攻撃を放つ気配を感じているにも拘わらず、動くつもりは毛頭無かった。

 数多の針は自身へと襲い掛かる。本来であれば多少なりとも回避行動に移るが、それすらもしない。寧ろ、それを待っていたかの様だった。

 

 

「盾になれ」

 

 男の声は凪に届いた瞬間、自分の意識とは無関係に仮面の男の前に立ちはだかっていた。

 この時点で珠雫が何をしようとも、一度決定された攻撃が戻る事は無い。まるで自らがそれを受けいれるかの様に両手を広げて立ちはだかっていた。

 数多の針が凪に肉体に次々と突き刺さる。夥しい赤は制服を赤く染め上げていた。

 

 

 

 

 

「これ位は役に立ったか。まあ、面倒だった処分をする手間が省けたな」

 

 仮面の男は当然の結果に愉悦を浮かべていた。

 それもそのはず。攻撃の向こう側ではまさかの行動を起こした姿を目撃した珠雫の姿がそこにあった。

 確実に命を散らせる為に、相応の魔力を込めている。本来であれば横たわるはずの人間が無傷で佇み、助けようとした人間が血の海に沈む。想定外の動きだったからなのか、完全に混乱していた。

 

 

「小娘。お仲間と同じ場所に行くかね?」

 

「ひっ……」

 

「命を奪う為に来たんだろ。ならば、自分も同じ目に合う可能性は考え無かったのか?」

 

 珠雫は完全に混乱していたからなのか、仮面の男が近づくと無意識の内に後退りしていた。

 自分の攻撃をまともに受けただけでなく、伐刀者であれば身体強化は無意識でも発動できる。

 少なくとも有栖院凪はそれが可能な人物のはずだった。

 にも拘わらず、そんな事実が無いと言わんばかりにゆっくりと倒れた躰からは赤い液体が広がり出していた。

 

 仮面の男ではなく自分が放った攻撃によって凪が倒れている。

 自分のやった事を完全に理解出来ない様になっていた。そうなれば幾らBランクの伐刀者と言えど、ただの小娘にしか過ぎない。そこに待っている未来はただ一つだけだった。

 女子供と言えど、戦場では関係無い。男もまたそう考えているからこそ、錯乱した状態とは言え、伐刀者を見逃すつもりはなかった。

 仮に反撃されたとしても、この程度の人間であれば制圧は容易い。あとはその頸を刎ねるだけだった。

 

 

 

 

 

「もうそれ位にしたらどう?」

 

 珠雫まで後一メートルにまで近づいた瞬間だった。

 これまでに感じた事が無い程の重圧が周囲に漂う。何も知らない一般人や、ランクが低い伐刀者であれば確実に意識を失う程の圧力。そこに居たのは純白の戦乙女『比翼』の二つ名を持つエーデルワイスの姿があった。

 

 

「有る程な。あの圧力は貴様だったか。折角だ。俺と一当てするか?」

 

「まさか。こんな場所で戦う必要はない。それに貴方に有利な場所で戦うと考える方がどうかしてる。違ういますか?加藤段蔵」

 

「ほう……世界最強とまで呼ばれた貴様にまで名が知られているとは光栄だな」

 

「そんなつもりなど微塵も思ってないしょう。この場は引いてほしい」

 

「随分と偉そうだな。俺は雑魚とは言え、既にこいつらから攻撃を向けられている。このまま何もせずに引くと思うか」

 

 エーデルワイスの言葉など最初から無かったかの様に仮面の男は当然の様に言い放っていた。

 実際の事はエーデルワイスには分からない。しかし、この現状を見ればどうなっているのは考えるまでもなかった。

 意識はあるが混乱している少女と、未だに出血したままの青年。少なくともエーデルワイスにとっては有栖院凪は見知った仲でもあった。

 実際にそれほど会話をした記憶は無い。ただ、平賀玲泉の主導とは言え、同じ組織に一瞬でも属していると考えれば、庇うのは当然だった。

 

 今回の件に関してもエーデルワイス事態は直接の関与はしていない。ここに部外者が来ない様にするだけの役割だった。

 しかし、何の因果かここに加藤段蔵が居る。幾ら何を言われようとも圧倒的に不利な立場に居るのは間違い無かった。

 威圧すらも、そよ風だと言わんばかりに受け流す。一時期は風魔に属していた事を知っているからなのか、エーデルワイスは慎重に事を運んでいた。

 

 

「ならばどうしろと?」

 

「手土産をよこせ。ならば退いてやろう」

 

「手土産か………幾らです?」

 

「その値段はお前が付けろ。俺が退くに値する金額であれば、そうしよう」

 

「でなければ?」

 

「手付は貰った」

 

その瞬間段蔵の姿は一気に失せてた。エーデルワイスの左腕に裂傷が疾る。その瞬間、少女からは悲鳴が上がっていた。

 

 

「手付は貰った。さあ、対価は…残りはどうする?」

 

 段蔵の手に会ったのは小さな肉片の様な物だった。それが何なのかは分からない。段蔵もまた見せるつもりが無いからなのか、そのまま握りつぶしていた。

 握った事によって透明な液体が滴り落ちる。その間もエーデルワイスは段蔵から目を離す事は一切無かった。

 それと同時に一枚の紙に何かを記入し、段蔵へと投げる。難なく受け止めたからなのか、その紙を見た瞬間、段蔵の気配は僅かに緩んでいた。

 

 

「見知らぬ人間にこれだけ出すとはな。随分と今回の依頼は太い様だな。商談成立だ。ただちに、この場から立ち去ろう」

 

「次にあった際には容赦はしない」

 

「容赦……面白い。実に面白い回答だな。暫く見ない間に随分と冗談が上手くなったみたいだな」

 

「契約が完了したならさっさと消え失せろ」

 

 まるでさっきまでの出来事が幻だったかの様に段蔵の姿は消えていた。

 風魔の一員でもあり、最狂の名を欲しいままにした人間。それが加藤段蔵と呼んだ男の正体だった。

 厳密に言えば、エーデルワイスとて確実に勝てる相手ではない。ここに来る前に一人の青年と少しだけ手合わせしたが、あれはまだ多少なりとも熱くなれる要素があった。

 しかし、裏の人間でも頂点の一人となれば話は変わる。

 詳しい事は分からないが、少なくとも目の前で横たわる青年の状態を見れば確実に何らかの攻撃を受けた事だけは間違い無かった。

 

 自分の左腕の裂傷を見ながら少しだけ考えていた。自分の動きだけを見るのではなく、相手の動きすらも誘導する。ある意味では裏家業には適切な技量だった。

 結果的には多額の報酬を渡したが、あれはあくまでも必要経費でしかない。

 これが終われば再度交渉する必要があるかもしれない。そんな取り止めの無い事を考えながらエーデルワイスは青年と少女の下へと動いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「対象の鎮圧は完了した。後は、幾人か捉えたので、直ぐに回収部隊を用意していくれ」

 

《了解しました。任務開始の時点で既に準備か完了しています。到着まで大よそ十五分程度になります》

 

「そうか。それと直ぐに営業をかける。場所と人員の手配は可能か?」

 

《その件に関しては既に小太郎様より命を受けています。場所の確保は問題ありません。尋問に関しては別部隊より要請が出ていますので、そちらに任せる予定です》

 

 太陽は既に頂点から少しだけ傾いていた。

 周囲には未だ硝煙の臭いが漂うが、既に戦闘状態は完了していた。元々の依頼が依頼だった為に、それ以上の手出しをするつもりは無い。

 内容的に達成そのものは困難を極めるはずの依頼は、ある意味では好き勝手に出来る部分が多分にあった。

 何故なら依頼とは別口で何かをする場合、依頼人に不利益な事をもたらす事は無い。高額報酬がかかっていれば尚更だった。

 だからこそ、イレギュラーな依頼は自由度が高くなる。ギリギリの戦いを見極める事が出来ない人間はそもそも依頼すら出来ない状態だった。

 

 

「小太郎がやるのか?」

 

《詳細までは聞いておりません。ですが、介入する以上は何かしらの予定があるかと思われます》

 

「そうか。ならばこれで依頼は完了だ。依頼主にもそう伝えておいてくれ」

 

《承知しました。周囲に問題が無い様であれば今回の依頼に関しては完了したと伝えておきます》

 

 通信が切れると同時に龍玄は再度周囲を確認していた。

 少なくとも討ち漏らしがあれば問題もあるが、現時点では周囲に伐刀者の気配は感じられなかった。

 元々鎮圧するのが目的の為に、態々追跡する必要はない。周囲には未だ黒煙が上がる箇所もあるが、それは自分とは関係ないと判断し、この場からの離脱を優先していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。有難う」

 

 官邸は既に人払いされているからなのか、何時もであれば数人のスタッフが居るはずの部屋には誰一人として居なかった。

 本来であれば総理を護るはずの人間ですらも除外されている。時宗の前には、この部屋の主がソファに悠然と座っていた。

 

 

「さて………弁明であれば取敢えずは聞かせて頂きますが、必要ですか?」

 

「いや。今回の件は完全に我らの想定外の部分があった」

 

「だから、今回の件は自分達とは無関係だと?」

 

「そんなつもりは無い………と言った所で信じるはずは無さそうだね」

 

 総理の執務室には官房長官の北条時宗と総理の月影獏牙がお互いに座っていた。

 実際に破軍学園の襲撃の際に時宗が真っ先に確認した警察と軍は事前の情報を受けているからと言って、全く動く気配は無かった。

 実際にどんな内容を聞いているのかは分からない。しかし、破軍学園襲撃の真相が徐々に分かるにつれ両方の上層部は激しく混乱していた。

 

 治安を守るべきはずの組織が目の前で起きているテロ行為を半ば黙認していると思われれば、確実に国民からの信頼は失われる。そうなれば、今後の組織運営が厳しくなるのは確実だった。

 税金を食みながら動かない組織は不要となる。只でさえ、この国には三つの大きな組織がそれぞれ鎬を削っている。特に今回の件に関しては完全に警察だけでなく軍にも大きな失態となっていた。

 

 

「当然です。このままだと確実に国会では取り上げられるでしょう。それも我々ではなく貴方自身が」

 

「操られたのかと聞かれれば『そうです』と彼等は言うだろうからね。彼等は何よりも失態を嫌う。それは予測出来る事だ」

 

「力を見せつけるのは結構ですが、政治家の頂点がテロリストを先導する国などありますか?」

 

「確かにあれは想定外の出来事だった。だがね、北条君。僕は自分がやった事に関しては一切の後悔も無いんだよ」

 

「貴方はそれでも良いかもしれない。勿論、今回の件は過去の確執による物だと言う事も理解している。それに貴方が予測した未来。動くには十分過ぎた。

 だが、今更何をどう言おうが現実は違う。貴方には潔く責任を取ってもらうしかない」

 

 時宗の言葉を月影は真摯に受け止めていた。

 これが矮小な政治家であれば色々と弁明をするかもしれない。しかし、事態は誰の予測もつかないままに終息した為に、次に待っているのは責任論だった。

 

 実際に、この国はある意味では権力の闘争は水面下では激しく行われている。

 経済的な部分では魔導騎士連盟がKOKの興行権を持っている。一方の軍に関しては、あくまでも防衛の為に存在しているが、実際には騎士連盟と内容はほぼ同じだった。

 違うのは人道的な支援も軍が行うだけ。実か(ほまれ)か。求める物は違っても、伐刀者を組織の中に組み入れている以上は、ある種の対立があった。

 そして警察。まだ戦時中の侍局が騎士連盟に変化するにあたって、名称こそ同じだが、構成されている物は別物だった。ある意味では一つの確執。異能を持たない人間もまた色々と問題になっていた。

 只でさえ犯人を検挙しても騎士連盟の中にある倫理委員会の意向によっては無罪放免とまでは行かなくとも、刑罰がかなり軽減される事もあった。

 当然ながら現場で現行犯逮捕した所で事実上の無罪であれば、治安維持など事実上不可能でしかない。そんな複雑に絡み合った今を確実に理解しているのでば、今回の件に関しては時宗で無くとも誰もが蛮行であると考える内容だった。

 

 

「では、総理を辞任しろと?」

 

「総理では無い。議員もだ。少なくとも我々は今回の件に関しては全てが破軍学園を襲撃したテロであると発表する。それと同時に、貴方がこれまで子飼いとしてきた生徒にも霞が関から退場してもらう事になる。仮に再度出馬しようとするならば、それすらも潰す事になるだろう」

 

「彼等は僕の言葉に従っただけなんだが」

 

「それが真っ当な人間の命令ならば。だと思いますよ」

 

「そうなると、君は事務方から恨まれるんじゃないかな」

 

 時宗の言葉に月影は焦りを生んでいた。今回の件だけであれば自分の身を引く事によってどうとでもなる。しかし、子飼いまでが外されるとなればこれまで築いてきた全てが失われる事になる。

 そうなれば、本来この国が無能とも思える魔導騎士連盟脱退の大願を果たせなくなるのと同じだった。

 月影とてこれまで魑魅魍魎が住まう政治の世界で長く生きていきた訳では無い。

 回避しようと思えば幾らでも出来るはずだった。

 しかし、目の前の男が容易くそれを許すとは思えない。決意の籠った目を見た以上は、既に弁論するだけの分水嶺は当の前に越えていた事を悟っていた。

 

 

「その点に関してはご安心を、既に手は打ってありますので」

 

「当然……だろうな。君がまさかそんな適当な事をするとは思えない」

 

「では、ここで」

 

 時宗は既に用意してあったのか、一枚の白紙を目の前に置いていた。

 内容は既に記載されている。あとは月影自身が自分の名前を書くだけだった。

 月影もまたその紙を一瞥すると、淀む事無く署名をする。ある意味ではここで漸く一連の事態が人知れず収束していた。

 

 

 

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