英雄の裏に生きる者達   作:無為の極

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第54話 目指すのは

────世界最強とは

 

 この言葉を口にすれば、誰もが各々の思うべき人物の名を挙げるのかもしれない。

 KOKや闘神リーグの頂点を指すのかもしれない。

 それとも実際には分からないが噂程度でしか聞いた事が無い人間の名かもしれない。

 それ程までに曖昧でもあり、また明確ではないのは間違い無かった。

 

 一般からすれば、伐刀者の持つ能力は既存の軍を遥かに凌ぐ。

 本当の意味での一騎当千。

 戦闘能力の高い伐刀者であれば、通常武装した一個連帯すらも灰塵へと導く。少なくとも大戦の英雄でもある黒鉄龍馬と南郷寅次郎はそれ程迄の結果をもたらしたからこそ、今のこの国がある。近代史であれば教育課程の中で誰もが一度は目にした情報。

 当然ながら、自分の目で見た事がある物こそがそうなのかもしれなかった。

 

 しかし、それは一般の目から見た判断であり、実際にそうだと言う訳では無い。

 伐刀者。それもとりわけ限りなく上位に居る人間からすれば、ある意味ではエーデルワイスの様に純粋な力を持つ物こそがそうだとも言える。

 きっかけは一人で一国の軍隊を退ける程の実力を示した事。これがまだ大戦の最中であれば頷けるが、現代に於いては軍の中にも伐刀者は在籍している。

 過去と比べるのは無理があるが、少なくとも既存を伐刀者でそれを可能とする者は皆無に等しい。

 その結果、犯罪者でありながら、誰もが捕縛しようとすら出来ない。仮に強引に捕縛した所で直ぐに抜け出せるのであれば、それは人的資源の無駄遣いとしか言えなかった。

 だからこそ、その内容を知るにつれ、比翼の二つ名と共に浸透していた。

 そんな人物と敵対すれば、待っているのは絶対的な死。少なくとも彼女を良く知らない人間は誰もがそう考えていた。

 当然、生き残れた人間は辛うじて遠目から見た程度の感想。それが世間が思う事実だった。

 

 

「少年。その技術はまだ拙い。上を目指すのであれば過酷な未来だけが待っています。それでも尚、上を見続けるつもりですか?」

 

「当然だ。僕はこんな所で終わるつもりは毛頭ない」

 

 女性の冷たい言葉に青年は自分の持てる力の限りで応戦するしかなかった。

 相手は比翼。自分の実力からすれば、生き残れる可能性は皆無かもしれない。

 だからと言って、これ程までに最上の相手の業を受けきれれば、自分の力は更なる階梯を登れるのは間違い無かった。

 

 力を惜しむ事無く一気に決める。対峙するだけでも精神が削られる感覚は、最早異常としか言えない。

 短期決戦。それだけが青年に残された唯一の手段だった。

 これ以上の会話は無駄でしかない。青年は直ぐに気持ちを切り替え、自分が出来る最大限の事だけに集中していた。

 無意識に沸き起こる感情。それを押し殺しながらも瞬時に切り替え集中していた。

 

 

「そうですか。ですが、私もここを素直に通す訳には行きません。申し訳ありませんが、ここで沈んでもらいます」

 

 その瞬間、先程まであったはずの姿は無くなっていた。距離にして約五メートル。一呼吸程度は出来るはずの距離。

 本来であれば確認してから反応するが、相手の動きを完全に信用したからなのか、青年はただ一刀だけを全力で振るっていた。

 何も無いはずの空間。本来であれば完全に空振りするはずのそこに、突如として衝撃は疾る。

 青年は気が付いていないが、比翼の二つ名を持つ彼女の攻撃はまともに受ける事が出来る人間は限られていた。

 一刀で斬り捨てられる未来に抗う。最初のエンカウンターは青年に事実上軍配が上がっていた。

 

 

「思ったよりも出来る様ですね。どうしてそこまで?」

 

「貴女には関係の無い事。僕はその先へ行く為に、ただ押し通るのみ」

 

 会話をするつもりすら無いからなのか、青年は獣の様にしなやかに動きながら常に相手の出方を見ていた。

 事実上の世界最強。比翼の二つ名を持つのは尋常ではない。だからこそ、青年もまた己の犠牲を考える事無く、目の前の頂きにただ挑むのみだった。

 固有霊装の漆黒の刃が僅かに煌めく。まるで青年の意思を感じ取ったかの様に、その存在は確かな物となっていた。

 

 

 

 

 

「どうやら行動に澱みは無いようですが、些か練度が足りない様ですね」

 

 エーデルワイスの声に青年は反論する事は出来なかった。

 互いに交差する剣閃は当初の予定を覆すかの様に互角の様相だった。しかし、互角だと思われたのはその瞬間だけ。その後は一気に劣勢に追い込まれていた。

 青年が互角だと判断出来た訳では無い。実際に初撃を防ぐ事が出来たのは、偏に相手の出方を探り、その練度がどれ程なのかを確認する為。

 エーデルワイスと実力が並ぶ人間であれば確実にその行動は悪手だった。

 しかし、エーデルワイスと並ぶ人間は早々居ない。勿論、ここに来た時点で何らかの機微に敏いのは予想出来るが、それがそのまま実力と同じでは無い事は間違い無かった。

 

 元服したとは言え、戦場の習いも知らない少年。それがエーデルワイスが判断した結果だった。

 だからこそ、初撃の様子を見る為に、それなりに加減した行動で一当てしたに過ぎなかった。

 そこから得られた回答は一つだけ。まともに叩けばそのまま即時終了する未来だった。

 練度が足りないのは、本当の意味で自分の限界ギリギリを知らない証拠。

 本来、自分よりも上位の人間と対峙したのであれば、様子を見るのではなく、自分のでいる事を優先する。それがある意味では戦場で生き残れる秘訣だった。

 しかし、ここは戦場では無い。

 生き残りをかけた戦いの前には綺麗も汚いも無い。死は自分の主張を覆されたのと同意。だからこそ、本来であれば第一に考えるのは逃走だった。

 明確が理由があるから引かない。その青臭い理論に、エーデルワイスは少しだけ考える部分があった。

 

 そもそも伐刀者を相手に魔力や異能を使わずに戦おうとする人間は限られている。

 当然ながら学園に行く人間であればそんな手段を選ぶはずが無い。

 己を理解出来ない人間に未来を感じる事は無いとさえ考えていた。だからこそ、断罪するかの様に言い放つ。

 これで心が折れるのであれば、ここでの任務はそれで終わるはずだった。

 

 

「練度が足りない?そんなの最初から知ってる!」

 

 エーデルワイスの声を打ち払うかの様に青年は出せるだけの声で感情を露わにしていた。

 これまでに疎まれた事など数える事すら放棄している。自分にとって学ぶべき師はおらず、外から見える光景だけが全てだった。

 だからこそ、照魔鏡の如き洞察力をもって今に至る。

 エーデルワイスの放った言葉など今更だった。

 初撃の攻防は既に脳裏から消え去っている。あれは単なる偶然に過ぎず、その結果を鑑みず、今出来る限りの事をするしかなかった。

 ここで抜刀絶技を使えば珠雫を追う事は出来なくなる。だからこそ、異能を使わない最大の攻撃を選択していた。

 

 

「その気負いは良いですが、もう少し現実を見るのも悪くは有りませんよ」

 

 子供に諭すかの様にエーデルワイスは青年に話しかけていた。

 まだ練度が足りず、粗削りな面は言い様の無い事実。しかし、常に上を見定める姿勢はひょっとすれば何かしら化けるのかもしれないとさえ思える程。

 少なくともこれまでに一度も感じた事がない感情だった。

 だからと言って、放置はしない。

 仮に将来性があろうが無かろうが、今この場に於いては決定的な敵性でしかなかった。

 未来があるかどうかなど関係無い。先程までの考えを消し去るかの様に、この瞬間一気に勝負に出ていた。

 音も立たない二刀から繰り出す斬撃。その先にある未来は考えるまでも無かった。

 

 

 

 

 

(来る!)

 

 エーデルワイスの動きは一気に変化を遂げていた。先程までの様に何となく感じるそれではなく、既に動きすら感知出来ない程のそれ。

 青年もまた自身の動く速度域とは明らかに違うことだけは理解していた。

 しかし、音もなく来る斬撃を回避出来る技量など持ち合わせていない。今出来る事はただ前に進むだけの力を残すのみだった。

 その瞬間、不意に全身の力が脱力する。完全にとまでは行かなくとも相応の脱力状態からの動きはこれまでに無い程の速度を孕んでいた。

 勘なのか、偶然なのか。青年はだらりと下げた刃をそのまま大腿へと向かわせる。

 本来であれば、ただそこに動いただけの行動。その瞬間、待っていたのはこれまでに感じた事が無い程の衝撃だった。

 鋭く重い音と同時にこれまでに感じた事が無い衝撃。確実に偶然だと思える事によって、一瞬での決着とはならなかった。

 

 

「まさか、あの斬撃を防ぐとは思いませんでした」

 

「偶然ですよ」

 

 対峙しているにも拘わらず、会話をするだけのゆとりがあった。

 僅かに驚きの色があるからなのか、エーデルワイスも想定外だったのは間違いない。

 青年にとっても偶然出来た事に虚勢を張っても無駄だと思ったからなのか、ただ事実だけを口にしていた。

 

 

「そうですか。偶然ですか。狙ってやった訳では無いのですね」

 

 エーデルワイスの言葉に青年は少しだけ疑問に思っていた。

 あれ程の斬撃を狙ってと言うのであれば、過去に同じ事があったのかもしれない。少なくとも自分にはあの斬撃を見切る事は不可能。だからこそ、それを可能にするだけの技量がどれ程なのか興味が湧いていた。

 本当の事を言えば、今直ぐにでも戦いを止め、その事実を聞きたい。しかし、今となってはそんな事は不可能だった。

 お互いに譲れない物がそこにある。それがあるからこそ、今こうやって対峙しているに過ぎなかった。

 

 

「本当の事を言えば、もう少しやりたかったのですが、仕方ありませんね。ここで終わりです」

 

 まるで獲物を取る獣の爪の様に二刀は大きくその存在感を示す。

 元々これ程の時間を要するつもりは無かった。楽しい時間はここで幕引き。それを思わせるかの様な優雅な動きに青年は少しだけ意識が逸れていた。

 その瞬間、先程までの形が瞬時に消える。青年の前にあったのは斬撃を繰り出した後の残滓だけが残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ゆ、め…………か」

 

 不可視の斬撃を喰らった瞬間、一輝は見慣れない天井を見つめていた。

 先程までの攻防がまるで実際にあったかの様に感じる。

 気が付けば全身から汗が滲み、心臓の鼓動はまだ早いまま。

 破軍襲撃の際に戦ったエーデルワイスの様にも感じたが、戦いの内容は極めて異なっていた。

 随分と話し込んだ様にも感じる。あの時は必死に戦った為に記憶そのものは曖昧ではあったが、結果的には惨敗どころか、歯牙にもかけない程だった。

 圧倒的な実力。これがある意味、世界最強の一旦である事をその身で感じ取っていた。

 

 無拍子から繰り出す斬撃を回避する事は簡単には出来ない。

 肉を切らせて骨を断つ前に、骨ごと断たれた結果。そこにあったのはただ負けた事実だけだった。

 本当の事を言えば、一輝にとって自分が弱い事実を既に受け入れている。黒乃から今回、龍玄の出場を言われた事も、本当の事を言えば悔しい感情が無い訳では無い。

 憤ったところで結果が好転するはずが無い事だけ。そんな感情に一々リソースを割く必要が無かったに過ぎなかった。

 

 実際に純粋な技術だけで終わらせる人間は、破軍にはほぼ居ない。誰もが異能の力でサポートし、人外の能力を行使する。それはある意味では教科書にも載る程に基本的な考えだった。

 伐刀者であれば相応の魔力も持ち合わせている。当然ながら一輝のスタイルに合う人間は誰一人いなかった。

 刀華でさえも、実際には異能を行使する。純然たる身体能力で戦おうと考えれば、宝蔵院まで足を運ぶ必要があった。

 だが、宝蔵院槍術は天下にその名が広まっている。合宿の様に宝蔵院胤栄に手ほどきを受けて貰う事は出来ない。

 どれ程の人間がその門を叩き、激しく打ちのめされたのかを知っているからこそ、あり得ない結果だと考えていた。

 そうなれば、自分の事を理解している人間で実力があるのはただ一人。自分がどう思われているのかを知った上で一輝は龍玄に頼み込んだ結果、ここに来ていた。

 やってるのは常に実戦。そこに安息はなく、常に戦いを意識させられていた。

 油断をすれば一瞬で意識が刈り取られる。それがどれ程過酷なのかを身をもって体験していた。

 

 

(まだ早いか)

 

 近くにあった時計は四時少し前。

 これが何時もの鍛錬であればあと一時間もしない内に動く時間。これから寝るには既に神経が昂ったまま。

 このままボンヤリするのではなく、改めて身を引き締める為には、少しだけ身体をほぐそう。そう考えて、動き出した瞬間だった。

 何となく感じる氣の奔流。明らかに自分の知る人間のそれではなかった。

 

 

(これは…戦っているのか)

 

 半端な時間だったからなのか、一輝はこのまま再度寝ると言う選択肢を取る事はなかった。

 と言うよりも、明らかに尋常ではない気配に興味が優先する。

 この道場が通常のそれとは違う事は知っているつもりだったが、まさかこんな時間から既に全開で戦う事をする様には思えなかった。

 

 

(何だ、これ………)

 

 氣を辿ると、そこは道場だった。どれ程の時間が経過したのかは分からないが、少なくとも室内の気温は外に比べれば段違いに高くなっていた。

 幾ら夏の朝とは言え、気温はそれ程高くは無い。にも拘わらず、そこだけはまるで切り取られた空間の様だった。

 膨大な熱量の正体は氣の昂ぶりだけでなく、尋常ではない運動量がもたらす熱量。

 巨大な熱源はそのまま拡散する事無くその場に留まっていた。

 その中心には二人の男。一人は友人でもある龍玄。その相手は父親だと紹介された小太郎だった。

 

 

(この距離であの……攻防)

 

 一輝が驚愕するのは無理も無かった。実際に互いの距離はそれ程離れていない。

 目測でも精々がニメートル程。その狭い空間にあったのは互いの交差する拳と蹴り。自分もクロスレンジでの戦いにはそれなりに自信を持っていたが、今の目に飛び込む光景を考えれば、自分の持っていた自信など塵芥に等しかった。

 狭所での攻防はある意味では危険を孕む。至近距離から繰り出す攻撃の速度はあり得ない体感速度を持っている。それがどれ程危険なのかは、一輝もまた理解していた。

 何も知らない人間から見れば、どこか殺陣の様にも見える程に動きが洗練されている。

 目が肥えたはずの一輝でさえも、尋常ではない攻防に思わず息を飲む。気が付けば、その攻防に見惚れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「龍。お願いだ。一度で良いから全力でやらないか?」

 

「別に構わんが、本当に良いのか?」

 

「ああ。今の自分がどんな状態なのかを知りたいんだ」

 

 早朝の攻防を見たからなのか、一輝は龍玄に本当の意味で全力で戦って欲しいと考えていた。

 あの戦いに魔力は存在せず、純粋な技量だけの物。少なくとも、これまでに見た戦いの中でも一番だと言っても過言では無かった。

 学内の様に異能を活かした戦いに不満がある訳では無い。実際に本戦ではそうなるのが当然の事。

 確かに刀華と戦った際には戦闘面の方が充実はしていたが、最終的には異能有りきだった。

 戦いの経験と言う意味では有難いが、自分に置き換えれば無い物ねだりの戦法でしかない。だからこそ、出来ない事を悔やむのではなく、出来る事を昇華させた方が遥かに良い結果をもたらすと考えた結果だった。

 

 

「知りたい………まあ、良いだろう。直ぐに準備するんだな」

 

「ああ」

 

 龍玄の言葉に一輝は改めて自分を鼓舞していた。

 実際に龍玄がどれ程の戦闘力を持っているのかは誰も知らない。これまでに見た予選会を全てが事実上の瞬殺で終わるのは、偏に対処するだけの余裕すら与えない攻撃が起点となるからだった。

 勿論、試合数が進めば対策の一つも誰もが考える。しかし、そんな対策など最初から無であると言わんばかりに終わるとなれば、その底は全く見える事すらなかった。

 勿論一輝とて無策ではない。

 夢にまで出たエーデルワイスとの戦いの様に、ある程度は戦えると踏んでいる。

 勝ち負けよりも重要な物を確かめる。今はまだ負けても問題無いと考え、お互いの戦う場所へと足を運んでいた。

 

 

 

 

 

「さて、本当に良いんだな」

 

「ああ。僕も全力でやる」

 

 道場の中ではなく、外に出たからなのか周囲の空気はまだひんやりとしたままだった。

 これまでであれば、これから起きて動き出す時間。何時もよりも早い時間ではあったが、今の一輝は、先程の攻防を目にしてから既に臨戦態勢に入っていた。

 目算が間違っていなければ、エーデルワイスとまでは行かなくとも、それに近い事だけは感じ取れる。

 根拠は無いが、一輝は何となくそう考えていた。

 龍玄の言葉に軽く返事をする。互いの間は僅か三メートル程の空間があった。

 一輝は隕鉄を正眼に構え、全方位からの動きに警戒する。一方の龍玄は構える事無く自然体のままだった。

 

 

 

 

 

(隙が何処にも無い)

 

 互いに戦闘態勢が整った瞬間、一輝の目に映ったのは、あらゆる攻撃が無力化される未来。少なくとも自分の持つ技量では確実に反撃を受ける事だけは間違い無かった。

 龍玄は構えすらしていない。

 自然体が故に、そこから繰り出される攻撃の速度がどんな未来をもたらすのかがはっきりと見えていた。

 

 このまま膠着状態が続いたとしても何ら問題は無い。しかし、一輝が自らそう言ったにも拘わらず、手も足も出ないのは完全に想定外。

 焦りそうな気持をギリギリでコントロールする。視線はそのまま龍玄に向けながらも一輝はどうやって攻略すべきなのかを必死に考えていた。

 

 

「どうした?自分から言っておいて何もせずか?」

 

「………残念ながら今の僕には勝ちの目が見えない」

 

「ならば、ここで終わるのか?」

 

「いや。全力で当たらせてもらうよ」

 

 一輝の言葉と同時に戦いは始まっていた。

 勝ち目は無くとも何らかの結果は出す。一輝もまたそんな事を考えた瞬間だった。

 

 

「えっ」

 

 どこか気の抜けた様な声が出た瞬間、一輝の体躯は宙を舞っていた。

 攻撃を受けた訳では無い。自身の肉体には未だ衝撃を受けた形跡は何処にも無かった。

 分かっているのは意識が僅かにそれた瞬間に決着がついた事実。しかも、自分の躰にも拘わらず宙を舞った躰は動かす事すらかなわない。

 当然ながら受け身を取る事も許されない時点で、一輝は背中から地面に叩きつけられていた。衝撃の余りに肺の空気が強制的に吐き出されていた。

 

 余りの出来事に未だ意識が追い付かない。自分は確かに視線を切るとなくそのまま見ていたはずだった。

 しかし、今の自分は完全に地面に叩きつけらた事によって、視界は蒼穹を映している。何が起こったのだろうか。一輝はただ茫然とするよりなかった。

 

 

 

 

 

「どうした?お前はそれだけの事しか出来ないのか?」

 

「もう一度頼む」

 

 一輝の思考を現実に戻したのは龍玄の声。何が起こったのかすら理解出来ない決着はあまりにも衝撃が大きすぎていた。

 エーデルワイスとの戦いでさえもそこそこに相対したはずが、今は完全に触れる事はおろか、その姿すら認識する前に終了している。

 龍玄の言葉に思わず反応こそしたが、実際にはショックを隠しきれなかった。

 

 

「構わんぞ。それに一方的に嬲るのはつまらん」

 

 上からの物言いではあったが、それも仕方がなかった。

 自分の技量よりも上である事は薄々理解していたが、まさかこれ程だとは思ってもみなかった。

 距離を一気に詰めただけでなく、その攻撃方法が全く見えない。衝撃も無いからなのか、そこに至るまでの過程ですら不明のままだった。

 防御の一つでもと思った事すら過信していたのかもしれない。だからなのか、一輝は再度龍玄と対峙していた。

 

 

「先手は譲ってやる」

 

 手招きするかの様に掌を上に四指が動く。完全なる挑発行為ではあったが、一輝はここで逆上する事無く冷静に判断してた。

 相手の動きが見えない以上は、幾ら鉄壁の護りの能力があっても無意味でしかない。だとすれば後の先ではなく、先の先で動くより無かった。

 先程とは違い、今度は腰だめに刃を構える。

 速度差を補うには抜刀術で行くしか無かった。

 

 お互いの技量差は不明だが、実際に自分もまた戦いに勝つための手段を選べる程に戦術は広くない。

 挑発だとは分かっていても、一輝は敢えて引っかかる事によって勝利を手繰り寄せようとしていた。

 自分タイミングに合わせるのであれば、そのタイミングを最初から無くせば良いだけの話。抜刀術から繰り出す斬撃であれば、多少なりともどうにか出来るだろうと勝手に判断していた。

 刀身を鞘から抜くのではなく、鞘そのものを引く。無駄な動きを排除する事によってコンマ零零秒の世界を歩く決意をした。

 煌めく刃が起こす現象に一輝は先程までの無駄な思考を捨て去る。ただ斬る事だけを意識していた。

 

 

 

 

 

(まだ甘いな)

 

 居合いの構えに龍玄は一輝の気持ちを読んだかの様に見えていた。

 神速の抜刀をしたとしても、その意識と筋肉の動きは狙いを完全に定めている。幾ら無心を装っても、肉体は雄弁でしかない。

 狙いが分かるのであれは、後は只の作業でしかなかった。

 鞘を引く事によって抜刀速度を上げる工夫は関心するが、ただそれだけだった。

 

 龍玄もまた小太郎と同じ様に居合いの抜き手を潰しにかかる。

 一輝の腕の筋肉が僅かに膨張した瞬間、龍玄の右拳は一輝の右手を破壊していた。

 小枝が折れたかの様に軽い音が響く。カウンター気味に入ったからなのか、一輝の右手の三指は完全に潰れていた。

 幾ら強引に動こうとしても、躰の反応は正直になる。僅かに鈍った動きの前に、龍玄は拳ではなく左手の掌底を一輝の腹に叩き込んでいた。

 問答無用で勁の衝撃が一輝の全身に拡がっていく。

 その感触からは見るまでも無く、一輝の躰はゴム毬の様に弾け飛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「世の中は広い。俺なんかよりも強い奴はごまんと居る。武の道は果てしなく遠いぞ」

 

「でも、世間からは英雄と呼ばれたんでしょ」

 

「所詮は造られた紛い物だ。本当の意味なんかじゃない。少なくとも本物の強者と会えたならその出会いに感謝するんだな」

 

 まだ幼い頃の記憶なのか、自分の声は完全に当時のまま。

 目の前に居るのは自分が今の道を進む事になったきっかけを作った、曾祖父でもある黒鉄龍馬。世間からは大戦を終わらせた大英雄と呼ばれた人物だった。

 完全にこれが自分の過去の記憶だと理解している。だからと言って自分の意識下にも拘わらず、当時の状況をただ見ている様な感覚だった。

 自分の事でありながらどこか映像を見ている様な感覚。なぜこんな場面を見せるのかが分からなかった。

 

 

「誰に造られたの?」

 

「あ~まだお前には早い。だが、俺や寅次郎なんかすら相手にならないのが居る。良いか、慢心すればその時点で成長は止まる。今は分からなくとも努々忘れるな」

 

「うん。分かった」

 

 その言葉と同時に頭を撫でられる。どこか懐かしい感覚だけがそこに残されていた。

 

 

 

 

 

「ここ……は」

 

 まるで夢から覚めたかの様な感覚。先程までの動きがどうなったのかすら理解出来なかった。今の一輝の周囲には水がぶちまけられたかの様になっている。そこに居たのはバケツを持った龍玄の姿だけがあった。

 

 

「これで終わりだ。意識と飛ばした時点で終了だ」

 

「そっか………」

 

「指を潰したんだ。治療だけは先にしておけ」

 

 龍玄の言葉に一輝はそれ以上何も言う事が出来なかった。気が付けば自分の右手の三指は完全に潰れている。ここで漸く痛みを実感していた。

 自分から言い出した事ではあったが、結果的には惨敗。しかも、こちらの攻撃が何一つ届く前の結果だった。

 夏とは言え、かけられた水によって体温は奪われている。その瞬間、一輝の躰は僅かに震えていた。

 それが水なのか、先程の戦いでの感覚なのかは分からない。予想以上の差に少しだけ気分は落ち込んでいた。

 

 

 

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