表向きは只の道場でしかないこの場所は、ある意味では武の頂点に近い物があった。
実際にここに来る人間の全てが一流と呼ばれる程の技量を持っている。
当然ながら外部からの影響を一切受けるつもりが無いからなのか、ここでの内容は基本的に知る人間は限られていた。
郊外に近い為に、余程の事があっても周囲の邪魔にはならない。だからなのか、苛烈な鍛錬をしても何の制限も無かった。
「この程度なら二度と来るな!」
「まだまだ!」
怒声に近い声は、何も知らない人間からすれば思わず身構える程の迫力を持っていた。
伐刀者に限らず、流派を持つ道場からすればあり得ない。
本来であれば門下生を必要とすれば、多少なりとも手心が加わる。しかし、ここに関してはそんな物など最初から存在しなかった。
怒声を上げるのは無理もない。この道場の本質は風魔の前線基地となる為に、全てが組織に属する人間ばかり。当然ながら伐刀者だけでなく、それ以外の人間もまた組織の中には存在していた。
世間的には魔導騎士連盟の様に伐刀者だけで構成された組織は存在しない。当然ならがその武力を考えれば、ある意味ではそれが最強の組織であることに変わりなかった。
しかし、伐刀者と言えど人間である。疲労感が続けば固有霊装を展開する事は難しくなり、その結果として伐刀者で無い者にも負ける可能性がある。
元々伐刀者は異能を使用する前提で動く為に、武を極める概念は薄かった。
当然ながら同じ土俵に立てば、単純な技量の問題でしかない。それを誰よりも体現しているからこそ、風魔は己の肉体を極限まで鍛え上げる事に終始していた。
非能力者でそれならば、伐刀者となれば実力は段違いになる。それを分からせる為なのか、道場の中では休憩する事無く次々と戦うより無かった。
「何だ?伐刀者がこの程度とは片腹痛い。さっさと去れ」
男は当然だと言わんばかりに刃を振るう。刃引きされた模造刀ではあるが、その威力をすれば骨を叩き折るのは簡単だった。
肉体を苛めるのではなく精神を折る。それによって面倒な事をする必要が無くなると思っているかの様だった。
襲いかかる剣閃をこのまま受ければ待っているのは明確な意識の途絶。既に開始からそれなりに時間が経過しているからなのか、相手となった青年の意識は途絶える寸前だった。
横薙ぎに来る斬撃を辛うじて回避する。本来であれば、ここから反撃になるが、既に体力は限界寸前。回避するだけの体力しか残されていなかった。
そうなれば、やれる事は限られてくる。何時もよりも距離をとって一呼吸着ける。ここで流れを断ち切る予定だった。
「甘いぞ!」
男は回避される事を前提としていた。
初撃を放った瞬間、一気にその距離を詰める。先程まであったはずの空間は瞬時に潰されていた。
待っているのは二連撃。大きく回避した為に完全な死に体だったからなのか、そのまま連撃は鈍い音をたて直撃していた。
「一輝。今日からは経験を積む事を優先する。お前はこれまでの戦いで、それ程対人戦の経験は無い様に感じたんだが、気のせいか?」
龍玄の言葉に一輝は何も言えなかった。
実際に対人戦の経験は破軍に来てからが殆ど。それも今年に入ってからだった。
一度は留年したが、その時は旧経営陣の策略によって半ば飼い殺しに近いまま無為に時間を過ごしていた。
幾ら見取りで学んでも、肝心の間合いの取り方や攻防における戦略は実戦による経験が物を言う。
幾ら想像したとしても実戦における経験不足はどうしようも無かった。
「いや。本当の事を言えば実戦に関しては事実上今年に入ってからが殆どかな。でもそんなに不足してる様に見える?」
「見えるも何も、極限の中で生き残れる経験は、他に比べれば何よりも代えがたい物だ。単純な技量だけを見ればそれなりだとは思う。が、それだけだ。
身体強化は確かに有効ではあるが、基本値が低くてもそこそこ戦える。厄介なのは、
龍玄の言わんとする事は一輝も理解していた。
実際に苦戦した数が少ないのは、偏に異能に重きを置いている現実があるから。剣技に重きを置いた人間であれば厳しい戦いになるのは当然だった。
事実、一輝は龍玄の抜刀絶技をまだ見た記憶が無い。予選会の全てが純粋な技量だけの戦いだった。
自分と戦った際にも、その兆候は感じ取れない。基本となるべき基礎の部分が自分と比べても異様だった。
底が見えない技量に身体強化が加われば、その結果は考えるまでも無い。ましてや自分の一刀修羅はその典型的な物。だからこそ、一輝はそれ以上の抗弁は出来なかった。
「厳しい経験は本当に辛い時にその意味を成す。日程的には厳しいが、これからはあらゆる事態を想定してやってもらう」
「因みに内容は?」
「取敢えず百人組手からだな。相手は道場の人間だ。各自の武器の特性は違う。十分に味わうんだな」
「……そりゃどうも」
百人組手の言葉に一輝の表情は引き攣っていた。只でさえ厳しいにも拘わらず、ここに来て更に武器の特性までも違う。
当然ながら戦えば戦う程に最適化する事が出来る一輝からすれば、厳しいの一言しか出ない。
武器が変われば間合も変わる。
要求されるのは純粋な強さの中に肉体の強靭さと冷静な思考能力が要求される。
肉体だけでなく精神も追い込まれれば、今度は判断力すらも鈍くなるのは当然だった。手も足も出ず、自分に出来る事をやる以外に退路が無い。一輝はその提案に頷くよりなかった。
スパルタなのは当然の事。ここで要求されるのはただ生き残れる手段と技量を身に着ける以外の選択肢が無いだけだった。
「初回はこんな物だな」
冷水をかけられた事によって一輝の意識はクリアになっていた。
何人と闘えたのか数えていない。ここで明確な人数が判明すれば凹むのは間違い無かった。
実際には最初から濃密な内容だった。
宝蔵院で学んだ為に瞬殺ではなかったが、間合と攻撃の瞬間を潰すやり方は狡猾と言うよりも上手いとしか言えなかった。
攻撃の瞬間に僅かに呼吸が深くなる。人体の構造上、息を吐く瞬間に行動する為に、ある意味では分かりやすかった。
攻撃のタイミングが解れば潰すのは造作も無い。常に先手を取られた攻撃は一輝に攻撃の芽すら作らせなかった。
鋭い一撃に精神は常に摩耗していく。
一人一人に集中すればするほどに一輝の動きは単純になっていた。
駆け引きの無い動き程単純な物は無い。一人目を倒しただけにも拘わらず、疲労と倦怠感は全身を駆け巡っていた。
休憩時間など設けられていない。二人目からは最初から必死だった。
槍の様の様に攻撃の間合いは広く無いが、その分攻撃の回転は尋常ではない。
小太刀を持った人間は最初から一輝に張り付いたままの攻撃を執拗に続けていた。
振り切ろうにも、行動を予測しているのか振り切れない。そうなれば隕鉄の様な武器では反撃は難しかった。
至近距離からの攻撃方法が無いだけではない。だが、常に行動を予測されたのであれば、それをするだけのゆとりすら無かった。
そこからの記憶はかなり怪しい。気が付けば一輝の意識は完全に飛んでいた。
「もう少し抑えたやり方って……」
「ぬるま湯が希望なのか?ならばその辺の道場にでも行くと良い」
突き放す言い方に一輝は何も言えない。厳密には厳しいのではなく、余裕を作る事が出来ない程に追い込まれているからだった。
これ程までに厳しい攻撃を一輝は経験はおろか、見た記憶すら無い。
世間が言う達人に近い技量を持つのであれば、一輝の技量など無と同じだった。
時間があれば良いが、既に日程は決定している。ここで止めれば自分が自分を許せるとは思えなかった。
「冗談。参考に聞いてみただけだよ」
口では強がりとも言えるが、肉体は正直だった。
百人組手とは言うものの、実際に対峙出来たのは数人程度。これが普通の道場であれば苛める様にも感じるが、今回に関しては本当の意味での実戦だった。
躰のあちこちから悲鳴が上がる。本来であれば相応の回復させるのが通常だったが、この組手に関してはその限りではない。
戦いに於いては常に万全の状態である事は無く、その殆どが厳しい環境下での戦いを要求される。少なくとも一輝の中にこれ程までに厳しい状態で戦った記憶は無かった。
辛うじてあったのは倫理委員会に拘束された中での戦闘。しかし、それであっても一定時間の休憩は認められていた。
衰弱した肉体であっても回復出来る時間があればどうとでも出来る。しかし、この組手に関してはそのゆとりすら無かった。
態と間合が大きく異なる武器での戦いに脳は常に解析を要求され、肉体は損傷を抑える様に動く。追い詰められれば当然ながらその動きは鈍くなっていく。
その結果、待っているのは容赦ない一撃。
着ている道着の下には至る所に大きな痣が生まれていた。
少し動くだけで痛みが走る。常人であれば確実に心が折れる内容も、これまでに膨大な戦闘経験を蓄積出来なかった一輝にとっては、こんな程度の事は些細な事でしかなかった。
「どのみち残り時間は少ない。まだ動けるなら続きをするが?」
「望む所だ」
龍玄の言葉に一輝の眼には力が溢れていた。
これだけの目が出来るのであればまだ心が折れる事は無いはず。今回のこれに関しては接待にクリア出来ない事は間違いない。
そもそも一輝は知らないが、これは中忍の昇格試験と同等の内容。クリア出来れば大した物だが、今の一輝にとってはこれをクリアするにはあらゆる物が不足していた。
厳密にこれで何かが養える要素は何も無い。しかし、自分の持つ経験と覚悟に向き合えるだけの要素だけはあった。
後はどのタイミングで気が付くのかだけ。この試練を超えた人間にのみ備わる物は最初から持ち合わせていた物が顕現するだけの事だった。
「一輝。そろそろ時間だ。これが最後の戦いだ」
どれ程熱望しようが、時間は誰にも平等に流れていく。既に予定された期限の最終日となっていた。
これまでに組手で倒す事が出来たのは精々が十人。そのどれもが全力を出し切らなければ勝つ事はおろか、その場に立つ事すら厳しい内容だった。
満身創痍の状況での戦いは確実に肉体だけでなく精神も蝕む。
常に戦いに意識を向け、対峙した瞬間から勝利への道筋を立てていく。これまでの様に相手の動きを観察してからでは敗北は必至だった。
事実、そのやり方で勝てたのは最初だけ。幾らフェイントをかけようが、空間を活かして距離を取ろうが、その全てがあっさりと潰されていた。
攻撃の起りが分からない為に、様子を見る事が出来ない。それを理解するまでに相応の時間が必要だった。
だからこそ、お互いが対峙した瞬間だけが解析出来る唯一の時間。そこに要求されたのは筋肉の付き方による攻撃範囲の把握だけ。後は殆どが本能に近い物だった。
だからこそ一輝は今の自分の状態がどうなっているのかに気が付かない。
最初の目的でもある戦闘経験の蓄積は予定通りに進んでいた。
「分かった。相手は?」
「俺だ。遠慮はするなよ」
不敵に笑う龍玄の言葉に、一輝はここで漸く理解していた。
これまでに手も足も出ない状態で負けた原因をはっきりと理解する。お互いが対峙する空間の間合いが圧倒的に異なっていた。
元々武器と無手では有効範囲はかなり違う。勿論、一輝とてそんな基本は理解していた。
しかし、理解しただけであって、それが本当の意味で実践出来ていない。何故ならばその有効範囲は無手の龍玄の方が圧倒的に上だったからだった。
組手の際には攻撃の起りは何となく理解出来た。しかし、今の龍玄に関しては攻撃だけでなく、動きのほぼ全てに起こりが見えない。
無拍子からなる動きはある意味では最悪だった。
距離を詰められた瞬間、待っているのは明確な敗北だけ。それがお互いの距離を取った瞬間に理解していた。
「最後なんだから、やれるだけやると良い」
嘲る事も無く、ただ事実だけを淡々と話す。そこにあるのはこれまでの自己鍛錬に裏打ちされた実力だった。
改めてお互いが対峙する。そこに待っているのは考えるまでも無かった。
「これでここでの工程は全て終わる。明日からは大阪入りの準備をするんだな」
「……………そうだね。色々と有難う」
「礼を言われる様な事をしたつもりは無い」
道場に大の字になって一輝は天井を眺めていた。お互いが対峙した瞬間、イメージ出来たのは自分の明確な敗北。それを強引にでも払拭しようとした瞬間だった。
本戦と同じだけの距離が瞬きした瞬間、零になる。待っていたのは全力でと言った後の戦いの模倣。自分が空中に浮いている時点でどうしようもなかった。
手首の関節が決まり、人間の本能とも言える反射によって態勢が崩れた所を投げられていた。
以前と同じであればそこで終わる。しかし、待っていたのは容赦ない追撃だった。
手首関節が決まったまま固定されている以上、固有霊装は何の役にも立たない。至近距離で攻撃を往なす技量を一輝はまだ持ち合わせていない。
剣術の流派の中には至近距離でのやり様もあるが、本職からすれば児戯に等しい行為。結果的には一方的に攻撃を受けて終了していた。
組手をした事で、本当の意味で龍玄の実力の底が見えなかった。
深淵を覗くかの様に何も見えない。そんな人間を容易く裁く父親の小太郎の技量もまた何も見えなかった。
エーデルワイスとは明らかに違う。そこにあるのは生存競争に勝つ為だけに積まれた鍛錬の成果だけだった。
圧倒的な差があったからなのか、一輝の中では蟠りも無い。それと同時に仮に本戦で対峙しても、どれ程醜態をさらしたとしても出来る限りの事をしようと心に誓っていた。
「参考までに言っておく。お前の実力はそれ程捨てた物でも無いぞ」
「気休めって事?」
「阿呆。気休め程度でそんな事は言わん。ただ、少しだけ落ち着け。俺から言える事はそれだけだ」
「そう………気に留めておくよ」
互いにそれ以上の会話が続かなかったのか、道場は静まり返る。未だ一輝は気が付いていないが、この言葉の意味を理解するには少しだけ時間が必要となっていた。
七星剣武祭は学生の試合ではあるが、ある意味では色々な団体の青田刈りの側面があった。
基本的にここで上位に入る人間の殆どは卒業後、それなりの所に就職する事が多かった。
KOKの様にプロになる人間、魔導騎士連盟に所属する人間。または国の組織に属する人間と多種多様。ある意味ではここでの結果は強烈な自己アピールの場だった。
学園側は、その立場から明確に認めないが、生徒の誰もがその事実を知っている。
それと同時に、その年代の伐刀者の頂点とも言える結果もまた色々な意味で注目される要素だった。
それはこの国だけに留まらず、騎士連盟のほぼすべての支部も見ている。その結果、ここで作り上げた圧倒的な知名度は人生に於いても相応のアドバンテージが存在していた。
そして、それは大会を彩る一つのイベントへと発展していく。
本戦の前には各選手のお披露目の意味を持って、簡単な懇親会も開催されていた。
「でも、学生の試合でこんな事までするなんて知らなかった」
「それだけこの七星剣武祭は注目されているんです。代表になるだけでも、それなりに実力が求められる訳ですから」
「でも、幾ら何でもこれはやりすぎじゃないかな」
「ここではドレスコードがあるのは当然です。ここは選手の控えですが、隣は各団体の招待客が来てますから」
完全に場違いだと言わんばかりに一輝は周囲をキョロキョロと眺めていた。
以前にヴァーミリオン公国大使館のレセプションに行った際にはアルバイトではあるが、会場の雰囲気と確認している。企業だけでなく国の首脳までもが来る大使館とは格は違うが、それはあくまでの自分の立ち位置から来る物。黒子と主役ではその意味は大きく違っていた。
ドレスコードがある時点で要求されるのは正装。学生であれば制服もまたそれに準じるが、実際には建前でしかなかった。
部屋が違うとは言え、要人もまた同じスペースに存在する。そうなれば相応の振る舞いが要求されていた。
武だけに留まらず、文も求められる。特に今回に関してはこれまで以上に厳しい警戒態勢を取っていた。
破軍を襲撃したのであれば、この国に喧嘩を売っているのと同じ事。そうなれば最悪は戦争に発展する可能性もあった。
そうなればこの場に居る人間の全ての身体検査が要求される。
その結果、懇談会に参加する人間全てに事前に着るであろう服のチェックが要求されていた。
寸鉄を帯びた時点で排除される。特に伐刀者であれば尚更の事。万が一が起こらない様にとの配慮でもあった。
「招待客ね…………」
「そんな事よりもお兄様。中々お似合いですね」
「そう?以前に一度だけ着ただけだったから、それ程でも無いと思ったんだけど」
珠雫の言葉に一輝は改めて周囲を眺めていた。
実際にフォーマルな場に学生が顔を出す事は早々無い。当然ながら今回の様な場面では着慣れる様な事が無いからなのか、数人の人間はどちらかと言えば着るのではなく、着せられていると言った言葉の方が正解だった。
学年でも三年、それもこの大会に過去にも参加している人間であれば多少な慣れているのかもしれない。そう考えれば一輝が着慣れているのはある意味では違和感があった。
「いえ。十分に着こなしています。そんなお兄様が私は……」
「珠雫。どうかしたの?」
何故か頬が赤くなる珠雫に一輝は疑問を持ちながらも周囲を確かめる。
何となくだが、こちらを伺う様な雰囲気を感じる。それが何を意味するのかは分からなかった。
珠雫は横に居るが、視線は何となく自分に向いている。一輝は気が付いていないが、周囲から見るその雰囲気は明らかに異様だった。
タキシードを着こなすだけでなく、その雰囲気から感じるのは学生では有り得ない程のオーラ。魔力の様な物ではなく、どちらかと言えば生命力と言った方が分かりやすいのかもしれない。
実際に道場で叩き込まれたそれは一旦休息を取った瞬間、一気に開化したかの様だった。
追い込まれた環境下での生存はそれに対応するかの様に能力を底上げする。ある意味では異質な者が紛れ込んでいるだった。
「い、いえ。何でもありません」
「そう。そう言えば珠雫もそのドレスは良く似合ってるよ」
「お、お兄様………」
何気ない言葉に珠雫の目は徐々に潤んでいる。もしここに人が居なければどうなっていたのだろうか。珠雫の目に映る一輝は少なくともここ最近とは大きく変わっていた。
短期間で何があったのかは分からない。がしかし、今の一輝には紛れも無く自信が滲んでいた。
「ちょっとシズク。こんな所で何してるのよ!」
「まさかここに来るとは………」
「今、舌打ちしたでしょ。私だって参加者なんだからここに来るのは当然よ」
先程までの潤んだ眼差しは瞬時に消え去り、それと同時に感情は一気に氷点下へと変化していた。
本来であればステラはこの会場ではなく、隣に居るはず。しかし、何がどうなったのか、ここに顔を出していた。
「皇女殿下は外交を担うのではありませんか?」
「そうね。でも、優秀なスタッフが居るから、私は出場者としての親交を温める事を優先しただけよ」
二人の下に視線が集まったからなのか、突如として穏やかな会話へと切り替わる。
ステラはその立場がそうさせ、珠雫はその出自からそうさせている。変に目立てば一輝にも迷惑がかかると思った結果だった。
会場そのものはざわついている為に、二人のやり取りもまたそのまま消えていく。口にこそ出さないが、互いの視線はぶつかりながら火花が起こるかの様だった。
「そう言えば、イッキ。修行の成果は……かなり出てるみたいね」
「あれが修行だとすれば……かな」
ステラの言葉に一輝は苦笑いするしかなかった。
確かに自分から言い出した事ではあるが、あれを本当の意味で修業だとは考えたくなかった。
永遠に終わらないと錯覚する程に組手だけが続けられる。
攻撃する人間が同じであれば、最終的にはその思考を読み取り勝利に導く事は可能かもしれない。しかし、相手は常に自分の予測を容易く超えてくる。
しかも、ご丁寧に一人の人間が同じ武器を使う事無く攻撃する為に、一輝もまた思考を読む事を最後はしなかった。
同じ人間であれば武器が違えど思考回路は変わらない。これがこれまで自分が積み上げた経験に基づく対処方法だった。
しかし、あの組手に関してだけを言えば、最初からあからさま癖を作る為に、行動が読み切れなかった。虚と実が混然となっているのと同時に得物まで変わる。終わりの方になってようやく間合に対する対処方法だけは辛うじて身に着けた程度だった。
だからこそ、気が付かない。ステラが言い淀んだのは本当に同じ人なのかと思える程。
自分もまた西京寧音の下で修業したが、それでも一輝の伸び率を考えれば、心中は穏やかではなかった。
「修行の間は完全に消息不明みたいな物でしたから、私も何も知りません。良ければ教えて頂きたいです」
「それに関しては流石に今は言えない。ここは懇親会の会場ではあるけど、一から十まで口にして良い場所じゃないから」
一輝の言葉に珠雫だけでなくステラもまたさり気なく周囲を見やる。確かに会話はしているが、意外と意識はここに向いているのが直ぐに分かった。
ここでは一輝の実力をブラフだと考える人間は誰一人居ない。明確に実力があるとだけ考えている。これまでの破軍であれば一笑したかもしれない。
しかし、ここは本戦会場。誰もが一輝の事を噛ませ犬だとは考えず、自分達の勝利の障壁の一つだと認識していた。
「別に口にしても構わんぞ。その程度の事で修業だと言われればこっちも困る」
「リュウ。貴方、どこに居たの?」
「ちょっと野暮用だ。それにここいこれ以上居てもそれ程身になる事は無さそうだしな」
龍玄もまたタキシードに身を包んでの会場入りをしていた。
元々警備の関係で着る機会が多い為に、この場では一番身についている。場慣れから来る態度にはそれなりの貫禄があった。
だからなのか、少しだけ疑問が湧く。これ程の存在感を示せる人間がどうして気が付かなかったのだろうか。誰もが余りにも自然に表れた為に、その特異性に気が付く事は一切無かった。
懇親会会場は少しだけ喧噪が強くなる。そろそろいつ部の招待客による来賓の挨拶が始まる。
既にこれからのスケジュールを知っている人間はゆっくりとその方向へと視線を向けていた。
「貴女は仮にも一国の皇女ですから、大人しく隣の部屋に居れば良かったんじゃないですか?」
「私も参加者よ。あんな所じゃなくても問題無いわ」
「どうやらもう少し世間と言う物を理解した方が良いんじゃありませんか」
「あの、二人共そろそろ抑えないと」
ここは何時もの学園内ではなく、格学園が来る代表者が集う場。そう考えればこの二人のやり取りは余りにも危険だった。
品格を下げるだけでなく、見えない何かもまた失われていく。珠雫だけでなく、ステラも相応の立場だけに、仲裁に出た一輝もある意味では必死だった。
「お二人共、そろそろ止めにしませんか?」
「十六夜さん。どうしてここに?」
一輝の言葉に珠雫とステラの動きは停止していた。十六夜朱美の事を一輝だけでなくステラもまた知っている。今の状況で知らないのは珠雫だけだった。これが何時もであれば反論の一つもするかもしれない。しかし、弥生から出る雰囲気が完全に黙らせていた。
「今日は要人の護衛よ。そろそろ来賓の挨拶もあるし、このままでも面白そうだけど、品位を疑われる事になるわ。黒鉄君が注目されてるみたいなんだから、ここはお淑やかに…ね」
「そうですね。ここで品位を落としても良い事は何一つ無いようですから」
「そう。分かってくれると助かるわ」
その言葉に、会場内の空気は少しだけもとに戻りつつあった。突然現れた人間が誰なのかは、ここに居る人間の殆どが知らない。仮に知った所でどうしようも無かった。
まるでそのやりとりを事前に知ったかの様に、会場内にアナウンスが響き渡っていた。