湾岸ドーム内に設置された会場は既にボルテージが頂点に付こうかと思う程に熱狂していた。
ここまでの試合の中で大きな波乱はただ一つ。地元の雄でもあり、昨年の王者でもあった諸星雄大を下した黒鉄一輝の存在だけ。それ以外の戦いに関しては、事前の予想通りの結果となっていた。
その中で襲撃事件を鎮圧したと称された一団もまたそれぞれが順当に勝ち進んでいる。
テロ行為を良しとしないのは、国民であれば当然でもあり、また、その力量がどれ程なのかを今大会で知る結果となっていた。
トーナメントは一発勝負ではあるが、実力に差があれば波乱は少ない。一部、不戦勝はあったものの、どの試合も観客の満足度が高いからなのか、それ程重要視される事は無かった。
気が付けばこの試合が一回戦の最終戦。事前に出された情報は観客の誰もが知っている。
襲撃事件の立役者と言われた一団の一人、多々良幽衣と破軍の最後の選手、風間龍玄の対戦だった。
「なあ、あの多々良って選手は例の襲撃事件の一人だろ?って事は実力はかなりあるんだよな」
「だろうな。実際の実力は分からんが、少なくとも他のメンバーを見る限り、弱いって事は無いだろう」
「だとすれば、対戦相手の風間って選手の負けは決まりじゃねえの」
「固有霊装も篭手なんだよな……って事は、決めてが弱い可能性もあるかもな」
七星剣武祭程の規模になれば少なくともそれなりに目の肥えた観客が多いのは当然だった。
実際に、七星剣王の名は伊達では無い。ある意味ではその時代の覇者ともとれる実力を有する事を誰もが知っているからだった。
実際にここからKOKに参加する人間も少なくない。そう考えれば、ランクこそ低いが諸星を下した黒鉄一輝もまたその一翼を担う可能性が高かった。
元々大会前に各学園から提出されるデータは、事前の発表の為の情報源として利用される。
勿論、戦い方等は記されていないが、各々の固有霊装から何となく戦術が読めていた。
実際に、今回の大会に関してもそれは変わらない。
多々良幽衣の固有霊装は刀剣類では無く、チェーンソー。
刀剣の様な精密な動きはそれ程必要ではないかもしれないが、一度攻撃を受ければ破壊力は今大会の中でも上位に入るレベル。
それに対して、風間龍玄の篭手は余りにもチェーンソーとは相性が悪かった。
何せ斬るのではなく、破壊し引き裂く。となれば、篭手で受けきれる道理が何処にも無かった。
だとすれば、態々細かい部分を見なくても戦いの結果は大よそながらに予想出来る。それが観客の一致した考えだった。
しかし、観客は何も知らない。
学内で起こった本当の事実。
そして風間龍玄の実力からすれば一輝はおろか、A級のステラでさえも学内の予選会で簡単に敗北した事実。それをキャッチしていれば色眼鏡で見る事は無かった。
本当の実力を知った時点でどう考えるのか。情報を持たないままに戦う事がどれ程危険な行為なのかを知る者は関係者以外に一人も居なかった。
「さて、今回の戦いですが、敗北は許されません。それを頭に入れた上でお願いしますよ」
「今さら何をくだらない事言ってる。アタイがあんな小物相手に負けるとでも?事前の情報だと中の下か下の上程度じゃねえか」
「小物かどうかは分かりませんが、あの風間龍玄と言う人間の情報を鵜?みにしない方が良いですよ。幾らあの戦いが結果的に終結したとは言え、二人が相手の手の内に落ちています。
依頼者でもあった月影獏牙も内閣総理大臣の椅子から落ちているのであれば、無意味な事をする必要は無いですから」
「おいヒラガ。それ以上の口は開くな。アタイが何をしようが、ここは七星剣武祭なんだ。既に依頼とは無関係だ」
平賀玲泉の忠告とも取れる言葉を多々良幽衣は強引に言葉で制していた。
実際に平賀玲泉が口にした情報は裏を取る為に関係各所から引っ張り上げていた。
調べれば調べる程、内容そのものは平凡極まりない。恐らく諜報と言う物を考えなければ、そのまま信用するのは当然だった。
しかし、問題なのはその情報の信用度。
あらゆる部分で調べても、出てくる内容は全て均一の物だけ。
ある意味では事前に用意された物ではないのかと錯覚する程だった。
平賀が思ったのは余りにも綺麗すぎた内容。
篭手が固有霊装であると同時にランクもまたそれ程高くは無い。今年の破軍の出場者を見ても何となく見劣りする程だった。
事実、Fランクの黒鉄一輝は事前の懇親会の中で相応の実力を有している事は何となく理解していた。
当然ながら噂と実際の内容がこれ程合わない人間もまた珍しい。
その結果として、大会の本命でもあった諸星雄大を下した以上は、誰の目にも劣った人間ではない事を理解させていた。そう考えれば風間龍玄の情報を見る限り、目新しい物はなく、また懇親会の中でも目立つ事は一切無かった。
固有霊装が籠手であるならば、当然使ってくるであろう攻撃方法もまた予測出来る。それを理解しているからこそ多々良は自信を伺わせていた。
ここが戦場であれば慢心を生んだまま死に至る。だが、ここは戦場ではなく七星剣武祭の名を持つ大会。奇襲攻撃も無ければ罠をしかける事も無い。これ以上は無駄だと平賀は悟っていた。
「……そうですね。貴女の実力は私も理解しています。では、存分にその実力を発揮して下さい」
「ったく最初からそう言えよ。お蔭でテンションがだだ下がりだって」
「ではご武運を……」
平賀の言葉など最初から聞くつもりがなかったのか、多々良は吐き捨てるかの様に会話をぶった切っていた。
実際にここでどんな話をしようが、戦うのは自分ではない。
人間性は別として多々良は幽衣の持つ抜刀絶技『
如何なる攻撃であっても、自分に来た攻撃はそのまま相手へと跳ね返る。その結果、待っているのは盛大な自滅だった。
幾ら篭手とは言え、相応の攻撃を返す事が出来るのであれば負けは無い。仮に最悪の事を考えれば、最低限の情報だけでも自分の目で確かめれば良いと考えて、そのまま控室を後にしていた。
「あの話からすれば、水面下で何か作戦があるのかな」
「どうでしょうか。私も直接の事は知りません。ですが、あの実力で負ける未来が予測出来ないのも事実です」
「……それは否定できないけど」
控室での一件が何なのかを刀華は疑問に考えていた。
これまでにも何度か厳しい話が出た事はあったが、今回の様な内容はそれ程大きな問題になるレベルではなかった。
依頼に近い物ではあったが、最初の段階で報酬の話が出ず、それどころか更に高額の話が飛び込んでいる。だからなのか、あの会話の内容が少しだけ気になっていた。
相手がテロリストである事を刀華とカナタは知っている。
幾ら実行犯がこいつらだと声高に叫んだ所で、事態は何も変わる事は無い。
それだけではない。実際に懇親会の会場でもまるで当然だと言わんばかりの態度で参加していた。
詳しい事は何も知らされていないが、あの作戦の風魔が出ている為に、相手にも何らかのダメージがある事は想像できる。だからと言って、それを龍玄に聞いた所で事実が分かるはずが無かった。只でさえ依頼の内容を口にする事をしない人間が、こんな事程度で口にするはずもなく、また、会場内に於いても何の反応も示さない。
実際に風魔に限った話ではなく、裏の仕事を受ける人間はほぼ間違い無く依頼人の事を口にする事は無い。でなければ非合法の任務をこなし、信用を得る事が出来ないから。
しかし、裏の事を何も知らない二人にそんな事実を知る術は何も無い。
精々が、これまでに短いながらもそれなりに付き合いがあったカナタが龍玄の態度を何となく理解していた。
基本的に風魔として動く際、幾ら知人であっても他人と同等レベルで会話をする事が殆どだった。
本人から直接聞いた訳では無いが、龍玄だけでなく朱美も似た様な反応をしている。
下手に関係性を持たれれば面倒な事しか起こらない。
ましてや、仮に人質になろうものならば、足手まといの存在に成り下がるからだった。
当然ながら人質になった所で風魔からすれば、その価値は最初から無いの同じ。あくまでも推測ではあるが、あの対応から見れば確実に何らかの任務についている事だけは間違いないと考えていた。
だからこそ、カナタは刀華にその考えを伝える。刀華もまたそれを聞いて理解したからなのか、疑問こそ持つもののそれ以上は考えない様にしていた。
「実際に今回の大会に関しては色々な思惑は有る様に思えます。ですが、今年に関してはイレギュラーな状況ではありますが、昨年以上の結果をもたらすのではないかと思いますよ」
「
カナタの言葉に刀華は内心複雑な思いがあった。
昨年までの状況下で、刀華は事実上単独で上位に入ったのと同じだった。
昔とは違い、今は伐刀者としての技術は大よそながらに公開されている事が多くなっている。そうなれば幾ら秘匿したとしてもその対策を練ってくるのは当然だった。
その結果、異能に力を入れてきた学園は表彰台からは遠のき、異能よりも実技を重視する学園が表彰台を飾る事が増えていた。
それがある意味では今の破軍の現状となっている。
昨年の秋に改選された理事長の変更に伴う事になり、漸く今年は表彰台に手が届くまでになっていた。
その結果としてランク外の人間が参戦している。
去年までの学内の規定であれば諸星雄大を下すと言った大金星を挙げる事は出来なかった。
刀華自身、今年の諸星の戦いを見て驚いた部分が多分にあった。
あの最後の払いに関しても、刀華はまさかそんな事をするなんて微塵も考えていない。
思い込みが招く敗北こそ手厳しいのだと観戦をしながらに思っていた。
「それに、刀華さんは今年で卒業です。仮に来年以降の事を考えれば、実力が底上げした方が、学園としては嬉しいでしょう。勿論、刀華さんの感情も含めてですが」
「ありがと。カナちゃんがそんな風に思ってくれてたなんて」
「当然ですよ。私だって、まだここの生徒ですから。でる事が出来なかったのは少々残念ですが」
カナタの言葉に刀華もまた少しだけ申し訳ない気持ちを持っていた。
自分だけが本戦に出場出来ないのではない。ましてや自分とは違い、カナタ自身は負傷していない。
本来であればメンバーの中で真っ先に出場する権利があったはずだった。
しかし、自分の看病と生徒会の役目。それを閑雅て出場を辞退している。
敗北の経験もなく出場出来ない悔しさを考えれば、自分の思いなど些細な事でしか無かった。
「それに、今年に関しては私は楽観視とまでは行きませんが、何となく波乱がある様にも思えます。それが何なのかは分かりませんが、少なくともそんなに難しく考える必要は無いと思いますよ」
「そっか………」
カナタの言葉に刀華も改めて気分を切り替えていた。
多々良の本当の力量は不明だが、それでもテロリストに風魔の四神が負ける可能性は皆無。そう考えれば気が楽だった。
一輝だけでなく、ステラと珠雫も順調に勝利している。
龍玄が負ける姿を想像出来ない以上、あと数回勝てばお互いが潰し合う戦いになるのは必至だった。
そこまですれば順位的には事実上の破軍だけで独占出来るかもしれない。そんなとりとめのない事を考えながらこれから始まる一回戦の最終試合に臨んでいた。
「意外と賑やかなんだな。で、あそこに時刻が表示か。都合のいい事に開始からのスタートになってるな」
龍玄が控室から選手の入場する場所へ移動する際、僅かながらに会場の様子を伺っていた。
七星剣武祭そのものに関心がある訳でも無く、この出場に関しても結果的には自分の任務にも影響があるから出ただけに過ぎない。
当然ながら一輝やステラの様に優勝を狙うなどと言った感情もまた皆無だった。
今回の戦いの相手が、解放軍の一員でもある多々良幽衣である事は事前に知っていたが、大会の会場で確認出来る端末からはそれ以上の情報に関しては確認すらしなかった。
元々この戦いに勝ち負けを見出すでのはなく、
本当の意味で相手を負かすのであれば開始一秒で事が足りる。しかし、圧倒的過ぎるかちには何かと面倒な事があるんのも事実だった。
非合法の賭けともなれば八百長の可能性もまた示唆される。仮に何らかの横槍が入るのであれば、組織事叩き潰すのが一番簡単ではあるが、その事後処理を考えると面倒以外の何物でも無かった。
当然ながら受け取る金額と手間が合わない。ならばこの戦いで相応の内容であったと印象付ける方が遥かに簡単だった。
事実、あの襲撃事件で龍玄は容易く二人を確保している。戦場に於いては結果だけを重視する為に、内容に関しては何の制限も無い。その結果として生きたまま確保し、結果として多額の収益を上げる事が出来ていた。
当然ながら今回の戦いもまたその一つ。だからなのか、龍玄の中で戦いに関しての高揚は一切無く、精々が時間の確認の為に時計のある場所を確認する程度だった。
「では、ここから入場して下さい」
「ああ」
会場までの案内人の後を歩きながらも気負う事は一切無かった。
これから始まる戦いに関しての情報は詳細まで理解している。事前に集めた情報に齟齬が無いのであれば、後はいかに見る戦いをするかに考えが集約されていた。
だからなのか、かけられた言葉に短く返事だけをする。
案内人が何を考えようとも龍玄の気持ちが揺らぐ事は何一つ無かった。
ゆっくりと開く扉からは会場の照明が煌々と照らされている。
ある意味では見世物の様にも思えるが、これが大会の趣旨である事を考えれば、当然の事だった。
一歩一歩扉に向けて距離が縮まる。その先に居るのは紛れもなく自分の対戦相手でもある多々良幽衣の姿があるはずだった。
(ヒラガがどうしてあれほど警戒するのかが解らん。戦績はパッとしない。ましてや霊装が籠手なら攻撃手段が限られるに決まってる。その程度なら憂さ晴らしにもならんだろうが)
控え室を後にしながら、多々良は少しだけ先程の平賀玲泉の言葉を思い出していた。
実際に襲撃計画を依頼された際に、初めて顔見世したものの道化師の仮面と服装によってその素性が一切見えなかった。
自分に連絡を付けた時点で解放軍のメンバーである事は何となく理解しているが、実際に多々良として解放軍の全てを把握している訳では無い。
特にこの国に関しては、解放軍の拠点は他国に比べれば格段に少ない。一時期はかなりの数があったとされているが、その殆どが何らかの理由で廃棄していた。
本来であれば理由を探るのが筋かもしれない。しかし、多々良はそんなチマチマした事を好んでする性格ではなかった。
自分の存在意義は敵対する人間の殲滅であって、色々とする裏工作では無い。
全てを自分一人で出来るなどと奢った気持ちを持っていない為に、その考えは徐々に先鋭化していた。
その結果として、情報は情報として最低限記憶に留めるが、それ以上の事を深く考えるつもりは無かった。
仮に考えた所で自分に出来る事などたかが知れる。だとすれば、今以上に自分の力を積み上げる事を選択したに過ぎなかった。
その最たる内容が月影から依頼された破軍学園の襲撃。多々良自身は襲撃の際には自分の力を最大限に発揮していた。
殺す事は不可であっても、相応の痛みを与える事は契約上問題ない。細かい内容を横にして、その条件だけで引き受けていた。
実際に襲撃そのものは成功の裡に終わっている。自分の見える範囲の中でそう考えていた。
そんな状況の中、合流予定地での結末はまさに想定外の結果。
襲撃の中で二人が捕縛され、それと同時に一体の獣が死んでいる。幾ら情報を収集しようにも、肝心の中身に届く内容は何一つ無いままだった。
結果として考えた所で何かが変わる訳では無い。その時点で多々良は考える事を止めていた。
依頼を果たした以上は報酬を受け取りそれで終わり。そのはずだった。
しかし、契約の内容は
他のメンバーとは違い、自分の相手はEランク。恐らくは学内で何らかの事情によって間に合わせの要員だと判断していた。
慢心した積つもりはないが、明らかに格下の相手。最初にそう考えた為に、それ以上の興味を持つ事は一切無かった。
自分の前を歩く案内人がゆっくりと扉を開ける。その瞬間、多々良の思考はどうやって相手を屠るかに集中していた。
「アンタが相手か。精々楽しませてくれ」
「それは難しい相談だな。楽しむ暇があれば良いが」
「何だ?口だけは達者なんだな。合図が鳴ったら精々逃げきるんだな」
僅かに殺気を込めながらも多々良は龍玄の様子を伺うべく言葉を発していた。
僅かながらでも言葉に殺気を混ぜれば、大半は怯む。しかし、この風間龍玄と言う人間はそんな事など気にする事無くそのまま会話を続けていた。
この時点で考えるのは殺気を混ぜた事に気が付かない可能性。
本来であればその時点で何らかの対処方法を持っていると判断するはずだが、生憎と人間の持つ思い込みはそんな異常を感知する事が出来ない。
まるで肉食獣が草食動物を甚振るかの様な視線を向けながら、試合開始の合図を待っていた。
お互いが一定の距離を保ち相対する。
開始直後に一気に勝敗を決めるのではなく、じっくりと楽しんだ方が良いかもしれない。多々良はその時点で龍玄の事を完全に見くびっていた。
《LET's GO AHEAD!》
試合開始のブザーが鳴った瞬間、会場の誰もが龍玄の状況を冷静に判断出来た人間は居なかった。
先程までお互いが対峙し、共に固有霊装を顕現させる。開始の合図と共に戦いが始まるはずだった。
機械音が無機質に鳴り終わった瞬間、多々良は龍玄が動いた事を理解していなかった。
まるで一人だけ時間の流れが異なっているかの様に微動だにしない。その一方、龍玄はまるでそれが当然だと言わんばかりにそのまま多々良に向って最短を疾っていた。
龍玄の左足は地面のフロアを破壊すかの様に強く踏みしめる。『震脚』を彷彿とさせる踏み込みを持ってそのままエネルギーを相手に叩きこむはずの攻撃はまるで予定調和の様にも見えていた。
踏み込んだ左足をそのままに脇腹に突き刺さる左拳。本来であれば完全にその勢いが体内を貫くと同時に、衝撃を持ってそのまま吹き飛ばされるはずだった。
「お前……卑怯だぞ」
「何がだ?」
呟く程の声を発していたのは多々良だった。開始直後の攻撃を考えていたのは龍玄だけではない。多々良もまた同じ事を考えていた。
言葉では卑怯だと言ったが、実際には違う。瞬きをした瞬間、龍玄が既に至近距離で攻撃態勢に入った姿を見ただけ。それと同時に、踏み込んだ左足が完全に自分の右足のつま先を粉砕した事を知ったのはその後だった。
末梢神経が集中するつま先が粉砕した事によって、これまでに経験した事が無い程の痛みが多々良の全身を駆け巡る。
油断していた訳では無いが、開始早々の攻撃が綺麗に決まった事で多々良は直ぐに自分の警戒態勢を最高レベルにまで引き上げていた。
「既に戦いは始まっている。貴様が知るまで待つ程暇じゃないんでな」
試合開始直後にまさか機動力を封じられるとは思っていなかったからなのか、多々良は言葉以上に内心は動揺していた。
瞬きをする時間など刹那程も無い。
目測で三メートルほどあった筈の距離が一瞬にして潰された事実に舌打ちしたい気持ちがこみ上げる。
序盤での怪我は確実に今後の戦いに於いて不利になるのは歴然だった。
だからと言いて時間が巻き戻るはずが無い。既に最大レベルで警戒する以上、ここからは自分のターンであると考えていた。
固有霊装でもある『地擦り蜈蚣』を構え様子を伺う。自分の間合いを維持したからなのか、多々良は少しだけ冷静になっていた。
(どうしてあれが目に入らなかった!アタイの目を欺く事なんて出来ない。さっきの攻撃はどうやったんだ……)
多々良の二つ名でもある『不転』は伊達では無い。元々多々良の産まれは一般のそれとは大きく異なっていた。
生まれながらの兇手の一族。幼い頃より鍛えられたその感覚が完全に効果を発揮していない事実を疑問に感じていた。
元々『完全反射』は自分に来るであろう衝撃を、言葉通り反射させ、そのまま相手に放つ物。その為には如何なる状況であっても確実にそれを感知できる能力が要求されていた。
ギリギリまで見極め、回避が出来ない状況を確認して攻撃のエネルギーを相手に返す。その為に幼き頃より視線や殺気の類には敏感になっていた。
三歳から始まった鍛錬は既に鍛錬の域を超え、日常へと変化する。その結果、多々良はいかなる攻撃ををも跳ね返す鉄壁の護りを身についていた。
その結果として解放軍だけでなく裏の人間からも職業兇手として一目を置かれている。それ程までの自信を持つからこそ、理解の範囲を超えた攻撃を理解出来なかった。
(まずは機動力を封じ込めてから、次の戦術だな)
震脚と同等レベルで足の骨を粉砕した事を龍玄は感触から判断していた。
実際につま先が痛めば、思う存分実力を発揮する事は出来ない。
脚の骨を砕いた瞬間、多々良の表情が僅かに歪んだ事を確認していた。
幾ら強力な攻撃力を持っていたとしても、それはあくまでも万全の状態である事が前提となっている。
既には破壊された時点で確実にその攻撃力だけでなく、機動力も失っている。そうなれば後は実に簡単に終わらせる事が可能となっていた。
そうなると、事前に用意された内容でもあった多々良幽衣の個人情報。圧倒的な勝利でも良いが、折角の賭け試合を多少なりとも盛り上げる必要があるだろうと考えていた。
「テメエは殺す!」
龍玄の思考と止めたのは多々良の叫び声。先程の一撃を受けた事によって完全にキレた様にも見えていた。
合図と同時に繰り出した攻撃を避ける事も無く直接被弾した事によって、肉体の損傷は想定を超えていた。
本当の事を言えば、オープニングでの攻撃は完全に手を抜いたそれ。龍玄は多々良と戦いながらも本当の敵は時間であると考えていた。
始末するだけならいつでも出来る。そもそも矮小な存在を一々警戒するつもりは最初から無かった。
開始直後の一撃は多々良自身の想像を遥かに超えた一撃だった。
これまでに幾度となく死線を経験したが、お互いが対峙した中での奇襲攻撃はこれまでに一度も経験した事が無い。実際に何をどうやったのかすら判断する時間すら与えられないままに、戦いは開始されていた。
直撃した攻撃を受けた多々良は対戦相手の龍玄の事情など何も知らない。
分かっているのは開始直後の攻撃が極めてギリギリのタイミングだと勝手に判断していた。
確かにブザーが鳴った瞬間に最接近された事は理解はするが、感情が追い付かない。
これまでに自分が鍛え上げた殺人兇手としての矜持なのかもしれない。声に出したのは威嚇ではなく自分の意思表情の為。
刹那の攻撃を受けた事によって多々良は競技ではなく、戦場での思考へと切り替えていた。その意志を示すかの様に固有霊装の『地擦り蜈蚣』が反応する。
燃料を注入されたチェーンソーは、敵対す人間の肉を引き裂かんとその存在を高めていた。
「なあ、寧音。あれで奴は全力なのか?」
「んな訳無いさ。理由は知らないけど、何かを企んでるのかもね」
オープニングでの攻防がまるで嘘の様に龍玄と多々良の試合は様変わりしたかの様に進行していた。
少なくとも黒乃だけでなく、寧音もまた龍玄の戦いを予選会の中で幾度となく目にしている。当事者は分からないが、開始直後のあの動きを見る限り、会場の観客は誰一人理解していない様だった。
一輝がやった歩法の様な派手な動きは無く、寧ろ粘体物質が動いたかの様にヌルっとしたような動きだった。
通常、戦いの最中ではなく最初の段階で動きを見失う可能性は早々無い。当然ながら誰もがそう考えていた。
しかし、その考え完全に否定する程に多々良は動く事は無かった。
当然ながら意識していないのであれば回避はおろか、防御する事すら無い。それがそのまま直撃した結果となっていた。
それだけではない。
龍玄が意識外からの攻撃を意図的に弱めている原因もまた分からない。これまでの予選会の中では事実上の一撃必殺とも取れる結果を示していた為に、この光景は違和感だけしか無かった。
強烈な踏み込みで相手の脚の甲を粉砕し、そのまま拳の追撃が入る。本来であれば確実にドクターストップが入る程。結果的に踏み込んだ事によって足が縫い留められ、身体が吹き飛ぶ事は無かった。
審判が止めなかったのか、それとも気が付かなかったのか。実際に会場で解説をしている人間もまたその事実を口にしていない。
只でさえこの七星剣武祭には解説としてプロが呼ばれている。プロが気が付かない攻撃を観客が知る術は一切無かった。
何を考えて戦っているのかを黒乃は知らない。
既に引退した身であるからこそ、寧音を自分の解説代わりに引っ張り出していた。
そんな寧音もまたその攻撃の意図が読めていない。だからなのか、黒乃は己に課せられた使命を全うしながらも、この戦いの行方を見守るしか無かった。
「企むとはなれば実力差がかなり開かないと難しいだろう」
「実力差だって?はん。あの程度と同じな訳ないさね」
「じゃあ、実際にはどれ程あると言うんだ?」
「それはくーちゃんでも答える事は出来ない」
多々良は決して無能ではない。裏の住人の目から見ても、それなりに実力がある事は分かっていた。
抜刀絶技を考えた場合、殆どの伐刀者はその能力に畏怖を抱く事になる。
自分の力が余すことなく自分に向けられる。ある意味では究極の理不尽とも取れる内容に、回避する事は不可であると語るのと同じ事。事前の情報でもある程度は予測出来るからこそ脅威に映っていた。
この時点で黒乃は寧音の言葉を完全に信用した訳では無い。何故なら実際に相対しない限り、本当の意味で理解出来るはずが無かった。人間は誰しもが自分の経験を基準に判断する。それが相応の実力を持てば尚更だった。
これまで、風魔の話を聞いてから黒乃もまた独自で調べはしたが、そのどれもが眉唾レベル。学内で唯一寧音が知るであろう実力もまたその口から直接聞いた事は一度しかない。
だからこそ今の寧音の一言が全てを語っている様にも黒乃は考えていた。