紅い月をまるで祝うかの様に一人の男は周囲を警戒する事無く佇んでいた。
これまでの様に単純に戦いを望むのではなく大火の如き大きな流れを作る。その為にはどうすれば良いのかをただひたすらに考えていた。
個人が出来る事は限られてくる。
殺戮の望むのではなく、純粋に混沌とした世を望んでいた。
既にこの時代はある意味では平和と言う名の停滞を作り上げ、またその停滞を本当の意味で望んでいる訳では無いと言った矛盾が孕んでいた。
何かしらのきっかけがあれば、これまで溜め込んでいたエネルギーが一気にあふれ出す。それこそが男が望んだ未来だった。
「面白い物があるな…………」
男の眼下に有るのは一台の車。
周囲にも護衛するかの様に一般車両に擬態した車が何台も走っている。
擬態している為に周囲は何も感じていないのかもしれない。だが、男の眼には明らかに魔力が練り上げられた様なオーラが見ていた。
少なくともこの国の伐刀者ではない。そうなれば外国籍の何かだった。
それが何なのかは分からないが、少なくとも面白い材料になるのは間違い無い。
喚起から来る呟きを聞いた者はこの場には居らず、護衛もまた、こちらに気が付いた素振りは微塵も無い。
だからなのか、男は気配を完全に遮断したまま走行する車を追いかけていた。
沈黙の車内ではモーリスが外を眺める程度にしならがも、内心はこれから起こるであろう可能性を考えていた。
『大国同盟』は対外的には米国・中国・ロシア・サウジなどその名の通り大国が作り上げた組織である。しかし、その組織の中は外からは分からない程の派閥が存在していた。
どんなに小さな組織でも三人集まれば派閥は出来る。ましてや、それが国ともなればより顕著だった。
実際に組織の内部には穏健派と呼ばれる派閥と過激派と呼ばれる派閥、そして中立を掲げる派閥がそれぞれのバランスで成り立っていた。
当然の事ながらその国の事情が反映されている為に、組織の中でもとりわけ上層部は権謀術数の嵐となっていた。
モーリスは基本的には中立の立場で今回の極秘会談に臨んでいた。
大戦時の敗北した理由を知れば知る程、下手に手を出せば手痛いしっぺ返しが待っている事を誰よりも理解している。
大戦時にあった異能者の集団。それが英雄と呼ばれた者が所属していた部隊だった。
しかし、詳細な情報を調べれば調べる程に不可解な部分が幾つも出ていた。
殆どの戦果はその部隊であはるが、その趨勢は事前に決まっていた。
弾薬に代表される戦争の為の物資が完全に枯渇した状況での厳しい戦いは、防衛する側の士気は最低の状態になっている。
幾らその場所を占拠したとしても、周囲に有る物資の殆どは完全に無くなっていた。
当然ながら事前に何らかの事情があった事に間違いは無い。だが、その詳細を知る事は出来なかった。
幾ら戦争だとしても国際上の最低限のルールは存在する。降伏した相手を拷問したり、斬捨てるなどの行為は基本的に禁止となっていた。
そうなれば、総力戦で戦ったとしても生き残った人間が最低でも一人位は居るはず。そうなれば何があったのかを調べる事は可能だった。
しかし、蓋を開ければ生存率は零。完全に情報統制を強いていた。
その結果、敗北した理由が分からないままに戦争は継続される。その結果が、たかが島国の小さな軍隊に降伏する結果となっていた。
当時の軍部の記録には結末だけが残されている。唯一あったのは敗北を決定付けた破壊工作をした際に、偶然外に出ていた人間が居た事だった。
唯一の生存者が語ったのは、聞くのも無残な生活を強いられた事だけ。食料物資は火にかけられ、飲料水には毒が混入されている。望むべき希望。
届くはずの物資が送られてに来る事は一切無かった。
本来であれば最前線の戦場には真っ先に送られるはずの物資が届いていない。本部では送った形跡があり、また最前線では届いた旨の連絡がある。そうなれば誰もが物資が滞っているなどと考えるはずが無かった。
幾ら鍛え上げられた兵士と言えど人間である。食料も水もなく、飢餓感が常に襲い掛かる。そんな中での戦闘行為は寧ろ拷問と同じだった。
ここが落ちれば国の負けは確実となる。その思いだけが支えだった。
しかし、そんな思いすら破壊するかの様に、砦は跡形も無く内部が破壊されていた。
そんな資料を目にすれば、誰もが何らかの特殊部隊が動いている事位は予測出来る。それが何なのかを調べる為にモーリスはかなり苦労していた。
国の部署だけでなく大国同盟の組織まで動員し、戦闘記録や最近の事案までを加味した結果が一つの可能性に辿り着く。
日本では、古来より忍者と呼ばれる諜報組織があり、その殆どが表に出ない活動がメインである事。それと同時に、その可能性を加味すれば自ずと答えが出ていた。
完全なる諜報活動と破壊工作のプロフェッショナル。自国でもそんな部隊はあるが、当時の状況下でそれを完璧にこなせるかと言えば否としか言えない。それ程までに徹底された工作だった。
今年の春に起こった事案もまさにそれに該当する。
戦時中とは違い、今の世だからこそ諜報活動が可能となっている。
一歩先すらも見えない中で不意に見えた光は、ほんの僅か。まさにそんな組織が存在すると判断出来たのは僥倖だった。
当然ながらその先を辿る事は出来なかったが、それでも噂や大胆な予測を立てた事によって現政府の官房長官でもある北条時宗の名前が漸く出てきた。
会談の際には、その組織の事をはぐらかすかと思ったが、実際には違っていた。
相手は傭兵。資金さえ積めば動く可能性がある集団だった。
だとすればこちらが予定されている行動の前に何とか動きを制限させることができるのかもしれない。
既に大国同盟の上層部は一枚岩ではなくなっている。
解放軍の様なカリスマが長として君臨はしているが、それでも全ての人間が忠誠を誓っている訳では無い。
────己の私利私欲を表に出す者。
────争いが起これば懐が潤う者。
モーリスの目から見ればそれらに違いなど最初から無い。本音を言えば、どうなろうともどうでも良かった。
だが、この組織をここまで大きくした自負はある。愛着があるからこそ、下手な行動で潰されたくないと考えた末の会談だった。
「モーリス様。そろそろ予定の場所に到着します」
「ああ。色々と済まないね」
「いえ。これが任務ですから」
気が付けばどれだけの時間が経過したのだろうか。少なくともモーリスの眼に映るのは大阪の中心地からそれなりに外れた場所だった。
外交であれば完全に愚策とも言える場所ではあるが、極秘である以上人の気配が少ない方が何かと都合が良かった。
その結果として今に至る。既に隣に座っていた側近もまた目的の場所に近づきつつあったからなのか、手元の端末をしまい込んでいた。
「明日はどうされますか?」
「まだ決定ではないが、もう少しだけ交渉の余地はあると思う」
「モーリス様の考えは分からないでもありませんが、少々警戒しすぎなのでは?実際に大戦から既にかなりの時間が経っています。当時の様な状況ならまだしも、今であれば我々の組織は魔導騎士連盟に負けるとは思えません」
「気持ちは分かる。だが、今回の件はあくまでも可能性を考えた結果だ。仮に上手くいかなかったとしても問題が起こらないならそれで良いとさえ考えている」
「それでは我々の行為は無駄でしかない!」
「口を慎みたまえ。何事に於いても完全にその機能が効率よく使える訳では無い。どんな策であっても完璧では無い以上、適当な事は出来ないのは道理だろう」
側近の言葉にモーリスは内心溜息を付いていた。
実際にモーリスは戦闘よりも内部の調整に長けた部分があった。
その為に交渉事の殆どが一任されている。本来であれば独断だと思われる内容であっても、その結果が組織に不利に働く事が無かった為に、今ではその方針に異を唱える者の方が珍しいとさえ考えていた。
だが、所属する派閥を考えれば当然なのかもしれない。
自分自身は中立だが、側近は過激派と穏健派から出ている。
この側近に関しては完全に過激派の側。当然ながらその集団が見えさえすれば後はどうとでも出来る。そんな薄暗い気持ちを持っているのは明白だった。
「ですが………」
「一度しか言わない。貴殿は何も分からない状況下で勝手に動く事を良しとするのかね?」
「…………いえ。情報収集に努めた後に行動をする。当然の事………です」
「ならば我々がやるべき事は何かね?」
モーリスの言葉に側近の表情は忌々しいと思える程に変化していた。
これが交渉の場であれば完全な下策。それどころか完全に足元を見られるのは間違い無かった。
実際にモーリスが対峙した北条時宗は日本の政府の中枢にいる人物。政治家であると同時に、政治家特有の権謀術数ではなく、国防やそれ以外に関しても完全に掌握する人物。
だからこそ、ある程度無駄だと分かりながらもモーリスは時宗と胸襟を開いた話が先決だと考えていた。
進攻するのは簡単だが、その最中に寝首をかかれる訳にはいかない。
仮に自分が掴んだ情報が本当に正しかった場合、壊滅する可能性すらそこにあった。
残念ながらこの側近はそんな事実を想像すらしていない。
そもそも大国同盟の長だからと言って、何でも思い通りに出来る事は早々無い。今回の件に関しては上層部の中で立案し、実行される物。大戦の苦杯を理解するからこそ、安全と確実性を優先しただけの事だった。
そう考えればこの人選は悪手ににもなりえる。
内心では溜息を付きたいが、そんな事はおくびにも出さなかったのは職業病の一つだと考えていた。
「……自分の考えが浅はかでした」
「そうか」
反省の言葉は告げている。だが、その本心までは分からなかった。
実際に組織は肥大化すればする程、色々と面倒な事が加速度的に増えていく。
事実、今回の件に関してもまさにその弊害が如実に現れていた。
穏健派の大半が大戦時に日本に苦渋と辛酸を舐めた記憶を残している。だが、過激派の殆どはそんな歴史を軽んじていた。
側近の考えに代表される様に、その殆どが大戦の内容を知らない者ばかり。
良く言えば勇気ある若者だが、悪く言えばだたの愚者。今回の件に関しても大国同盟としては、日本と言う国をどう考えているのかの試金石の様な部分があった。
実際にモーリスのよりも側近の方が立場的には危うい物があった。
大国が故に傲慢さが滲み出ている。今回の件での根底にあるのは魔導騎士連盟の箔を排除すると同時に、利益を自国にもたらす事。
表立ってそんな話は出ていないが、本音の部分ではそれが一番だった。
魔導騎士連盟が世間から支持されるのは、偏に何かがあった際に純然たる武力介入でこれまで信頼を勝ち取ってきたから。
その原動力の源泉がこの日本と言う国である事だから。それに尽きていた。
事実、近年の派遣の大半は日本国籍の魔導騎士が占め、他の国の魔導騎士の数は少ない物だった。
本来であれば早期に日本も加盟すれば今の様な状態になっていなかった可能性が高い。
実際に他国では伐刀者としてのランクは平均的に見ても低いケースが殆どだった。
A級に関しては言うまでもないが、それ以外に関してはCランクが殆どだった。
時折Bランクの伐刀者が出る事はあるが、国防の観点から見れば魔導騎士連盟に所属こそするが、他国への派兵は一切していない。
本来であれば組織としての自浄作用が働くはずだが、それでも希少なランクである為にその作用が働く事はなかった。
そう考えると日本ではA級こそ少ないが、B級になればそれなりに数がある。全員が必ずしも軍や正規の魔導騎士としての登録をする訳ではなくとも、他国からすればかなりの数が登録する事実に変わりは無かった。
覇を唱えるのであれば日本と言う国がダメージを受ければ魔導騎士連盟に対しての多大な牽制になる。その為の準備段階だった。
それと同時に正体不明の組織が日本にあり、正規の魔導騎士が事実上の壊滅に追い込まれた時点でその力量は考えるまでも無い。
部隊配備にも限界がある。そんな中で脅威が身近に有る以上は、介入の可能性を限りなく排除するのは当然の措置。
実際に頭では理解している。だが、本国から常にさらされる重圧は側近の思考を蝕んでいた。
表面化しないのはそれが出た時点で自分が組織の本流から一気に退場に追い込まれるから。
尻に火が付く状況である事に変わりは無かった。
「このままの状態では明日に障る。どうだね。一度ゆっくりと食事でもして気分を入れ替えては?明日で全てが決まるとは思わない。ならば、いきなり慌てた事によって互いに不幸な結果をもたらすのは愚策じゃないか?」
「……そうですね。一度落ち着いてみます」
窘められた感はあるが、モーリスの言葉は真理だった。
実際に足元を見られたままの交渉が碌な結果にならないのは側近とて理解している。
本当の事を言えば、相手はこっちの思惑など関係が無い。
互いが対等に話をするのも、どちらからも自分達の話を一方的に言うのはある意味では宣戦布告と同じだから。
幾ら組織間の問題だと言っても、一度動き出した歯車をそう簡単に修正する事は困難でしかない。それを誰よりも理解しているからこその助言だった。
側近もまた同じ事を考えたからなのか、ゆっくりと席を立つ。
この時まではこの先の未来を正しく予測出来た人間は居なかった。
「糞が!ここで何も出来なければ俺はもう終わりじゃないか!」
側近は併設れたバーで珍しく酔っていた。
本来であれば交渉をしている最中のアルコールの酩酊状態は褒められた話ではない。
本来であれば自分が今回の件に関して主導するはずだった。
元々事前に調べた結果、日本はある意味では魔導騎士連盟からの脱退の機運があった。
何がどうなっているのかは不明だが、少なくとも今回の件に関してはある程度の威圧を賭ける位の事は確実に出来るはずだった。
今回の話が出た際に、あらゆる角度から検討した結果、確実に何らかのアクションがあるはずだと考えていた。
既に大戦時の国としての威厳は殆どなく、実際に魔導騎士連盟の実働部隊に派遣されているのが日本であれば、多少の鼻薬を嗅がせればそれで終わるはずだった。
契約が纏まれば本国へ帰国した際に相応の地位が約束されている。その為には確実な実績が必要だった。
だが、まさかのモーリスの言葉に側近が描いた絵図は脆くも散っていく。
あの態度ではどちらが上なのかすら分からない程。既に話が一定以上進んでいる為に、ここから自分が挽回するのは不可能だった。
だからと言って話を壊せば責任は自分に降りかかる。
その為には外部からのアクションが必要だった。
実際に大国同盟の内部はなかり歪になっている。
本当の事を言えばまだ魔導騎士連盟の方が遥かにマシ。勿論、正確な内容は知らないが、少なくとも今の組織は色々と問題も多かった。
そんな中で一番手っ取り早い策は魔導騎士連盟の乗っ取り。その中でも一番の軍事力を持っている日本を切り崩せば後はどうとでもなる。それが組織の統一見解だった。
確かにモーリスの口から出た言葉に驚きはあったが、本当の部分は分からない。
一介の傭兵如きがそこまでの戦果を挙げるはずが無かった。
可能性があるとすれば、各国の軍部に所属する特殊部隊。それも伐刀者で構成された物。
それならば話は分からないでもない。
大国にとっては軍事力こそが正義だった。
既に大戦からはかなりの時間が経過している。今となっては日本国と言えど二流国家でしかない。そんな浅い考えが根底にあった。
「おや。随分と酔ってるみたいだが、何か面白いそうな話だな。俺にも教えてくれないか?」
気が付けば、側近のすぐ隣の椅子には見知らぬ男が座っていた。
見た感じ東洋系の顔立ちではあるが、それ以上に関しては正確には判断できない。
只でさえ東洋人は分かりにくいにも拘わらず、ここは公共の場所。そんんあセキュリティの概念すら無い場所では幾ら酔っているとはいえ、警戒をするのは当然だった。
隣に座った男はまるで十年来の友人の様に接してくる。だが、この程度の酒でどうでも良くなるほどに思考は淀んでいはいなかった。
「悪いが、お前には関係の無い話だ。それに仮に知人だったとして、簡単に機密など口にするとでも?」
「それは無いな。俺だって同じ事をするだろう」
「とにかく、俺はお前には関係ない。悪いがさっさと離れてくれ。折角の酔いが悪酔いになりそうだ」
にべもなく出た言葉に、男はそれ以上の言葉告げる事は無かった。
ここで下手に探られる訳にはいかない。だが、ここで自分が離れれば何かを隠していると思われる可能性もあった。
となればこの男を遠ざければそれで済む。そう考えた末の行動だった。
「そうかい。実に残念だ。折角の縁だ、少しだけ開放させてやろう」
先程までの穏やかな雰囲気が一瞬だけ変化する。
その瞬間、男の眼が怪しく光った様にも感じる。だが、それはほんの一瞬の事だった。
側近もまた何かをされた様にも感じたが、違和感は感じられない。
酔った末の感覚だと思い、それ以上は気にする事無く過ぎていた。
気が付けば先程の男の姿は何処にも無い。何かの気の迷いだと判断し、新たに出されたグラスを傾けていた。
都心部にしては人の通りはかなり少なくなっていた。
一番の要因は開催されている七星剣武祭。殆どが大会開催中は自宅や大画面がある飲食店に入る事が殆どだった。
時間が経過している為に選手の戦いのダイジェストやその戦術。珍しい戦いをしていればその解説など、高額の放映権を払う以上はその元を取る為に様々な番組を構成していた。
そうなればそんな施設が無い店は閑古鳥が鳴く。
その中に一際浮いた店があった。
常日ごろから高級感を醸し出す店は人が来ない事を理解しながらも営業をしている。
事実、カウンターの席に客の姿は無かった。
だからと言って厨房までが暇にしている訳でない。その奥では普段であれば中々人が入らない部屋の客の為に熟練の板前が腕を振るっていた。
「これでお出しした物は全てです。用事があれば申し付け下さい」
「そうか……ならば冷酒をもう一つ頼む」
「畏まりました」
女将は注文を受けると同時に音も無く襖を閉める。そこは日本庭園を思わせる様な庭がある個室だった。
普段であれば商談に使われる事が多い部屋だが、今日の客は純粋に料理を楽しむ為だけに来ていた。
風魔小太郎。
その名はそれなりに知られているが、その素顔を正確に知る人間は少ない。
本来であればこんな場所に来る事は無いが、今日に限ってだけ言えばその限りではなかった。
料理を楽しみ、出された酒を口に含む。その瞬間、一陣の風が周囲に舞った。
「珍しいな。まさかこんな場所に一人で居るとはな」
「……久しいな段蔵」
小太郎の言葉に段蔵もまた何も無かったかの様に縁側に腰を下ろしていた。
元々この二人はそれぞれが旗頭となって今の風魔を作り上げた過去があった。
今では互いの道が完全に逸れているが、それでも根の部分は同じ物を持ってた。
戦乱とは程遠い今の時代に咲くあだ花は、常に血を欲していた。
互いが身に着けている武技は人の命を確実に散らす物。幾ら伐刀者が世に出たとて、今の世が平和であることに変わりなかった。
小太郎と段蔵の違い。
その世に身を任せ、その中で出来る事を模索する小太郎と、混沌を作り上げ、その中で更なる技術を昇華させようとする段蔵。そこには大きな隔たりがあった。
お互いが口にする事も無く、互いに一献だけ酒を交わしていた。
「何にせよ、お前がここに居るのであれば何かあると考えるのは当然か」
「ああ」
小太郎の言葉に段蔵は一言だけ告げていた。互いに口を開いた所で何かが起こる訳では無い。そこにあるのは互いの存在を確認するだけだった。
「今、随分と面白い輩が来てる様だな。ついでと言っちゃなんだが、種は蒔かせてもらった」
「そうか……また懐が温かくなりそうな話だな」
「どんな芽が生えるかは知らん。だが、少しばかり楽しめそうだ」
「抜けてからは随分と生き生きとしてるんだな」
「それが性分だ」
そう言いながら段蔵はそこにあった徳利から酒をお猪口につぐ。短いながらにその会話だけで何となく成立していた。
互いの道は交差しなくとも、塞ぐのであれば力づくでも排除する。それがお互いの矜持だった。
「こちらに攻め入るのであれば容赦はせん」
「そうだな……面白い事になれば、それも忘れるやもしれんな」
小太郎に一言だけ告げると、並々と入ったそれを喉に流す。段蔵はそのままお猪口を徳利の傍に置く。その瞬間、段蔵の姿は消え去っていた。
「嵐が来そうだな」
小太郎の呟きを聞いた者は誰も居なかった。
七星剣武祭は既に二回戦へと突入していた。
一回戦の波乱が影響したからなのか、既に観客の状態は最高潮に達していた。
地元の雄でもある諸星雄大の敗戦は残念ではあったが、伐刀者としでではなく純粋な実力者として下した黒鉄一輝にその分の声援が送られる。
一輝自身がこれ程までに声援を送られた記憶が無かったからなのか、どこか気恥ずかしさが前に出ていた。
「流石は地元の雄を倒しただけはあるな。この声援の大半がお前に向ってるぞ」
「そ、そうかな。でも、声援にこたえる様な戦いにはしたいかな。そう言えば、あの戦い方に意味はあったの?」
選手控室ではなく、選手用ロビーに一輝だけでなく龍玄もそこに居た。
実際にここでは試合のモニターがある為に内容を確認する事が可能となっている。
事実、他の選手もまたこれから戦うかもしれない選手のデータを取る為なのか、それなりの人影があった。
一輝の対戦相手は『天眼』と呼ばれた城ケ崎白夜。当人に限ってはモニターではなく、一輝に視線を向けていた。
詳しい事は分からないが、対戦相手の為人を調べ、その相手に尤も適した戦い方をする人物。だからなのか、その視線が刺さるかの様に向かっていた。
勿論一輝もそれに関しては理解している。だが、敢えて無視をしていた。
「意味か……特には無いな。ただ、抜刀絶技に関しては何となく気になったから様子を見た。その程度だ」
「でも、彼女は襲撃事件の立役者なんだよね。やっぱり実力はあったって事?」
「さあな。仮に俺の戦い方に違和感があったなら、そんなやり方をした程度って事だ。それに奴みたいな人間は珍しくない。情報を態々開示する必要は無いだろう」
「確かに………」
龍玄の言葉に一輝もまた渇いた笑いしか出なかった。
一目の憚る事無くただ一身にこちらに視線を向ける姿はある意味ではストーカー。だが、城ケ崎白夜がとなれば話は別だった。
偏執的な情報集をする事を知られているからなのか、誰もがその行為に関して口を挟む事は無い。
仮に何かを言おうものならば、妨害されたと言われる可能性すらあった。
伊達に昨年の準優勝者ではない。
だからこそ誰もが違和感を持ちながらも行動に出る事は無かった。
そんな中、モニターからは僅かにざわめきが聞こえる。誰もがその内容に疑問を持っていた。
「二回戦の本試合ですが、薬師キリコ選手の辞退により、紫乃宮天音選手の不戦勝となります」
会場の空気は混乱に陥っていた。
実際に実戦さながらの戦いをする為に、不戦勝になる可能性は零ではない。
だが、近年の大会に於いてはIPS再生槽を設置している為に、その可能性は皆無に近くなっていた。
仮にあるとすれば急病になった場合。これに関しては流石に医療設備のある場所での治療が必要だった。
大会中に急病になる可能性は限りなく低い。ましてや昨日も勝ち上がった以上はその可能性ですらあり得ない。
未だ状況が改善される事は無い。それを理解したからなのか、大会の運営委員から正式な内容に関しての回答があった。
「……本当なのかな?」
「何がだ?」
「辞退の理由がだよ」
運営委員会からの内容に一輝は疑問を持っていた。薬師キリコは伐刀者としての実力は高い物を有している。その反面、医者としても役割も持っていた。
詳しい事は大会前の時点で話を聞いたが、その後珠雫から聞いた話では名医と呼ばれる程だった。
患者の容体が急に悪化した為に病院に戻る。それに関しては理解するが、余りにもタイミングが良すぎた。
あの時聞いた話では、大会に合せるかの様に患者には状態維持を務める事が出来る様にしてきた事。
仮に何かが起こっても対処でいる様な措置を施した事。そんな取り止めの無い事を思い出していた。
だからこそ、計ったかの様なタイミングは疑問だけが浮かび上がる。
それと同時に大会前に聞かされた事実。一輝は僅かに戦慄を覚えていた。
「そうか……詳しい事は知らんが、何かしら知っているなら、それで良いだろう。このままだとトーナメントで対戦する可能性があるのは分かるが、その前に目の前にいる対戦相手の事に意識を持ってく方が良い。慢心はしないとは思うが、思わぬところで足元は掬われる事になるぞ」
次の対戦相手を無視するかの様な態度に龍玄も少しだけ言葉にしていた。
一輝の性格を考えればその可能性は無いのかもしれない。
だが、戦いの最中で起こる偶然は些細な事を積み上げた末の必然となる場合がある。
本当の事を言えば一輝が負けた所で龍玄には関係は無いが、それでも気分が良くなる訳でもない。
これ以上はお節介だと考えた瞬間、龍玄の持つ携帯端末が震えていた。
電話が鳴ったのではなく、メールで一言だけ記載された短い文章。それを見たからなのか、龍玄は一輝が気が付く前にその姿をここから消していた。