英雄の裏に生きる者達   作:無為の極

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第72話 謀の崩壊

 時計の針が動く音だけが静寂な空間に響いていた。時間は既に深夜から早朝に近い物へと変わり出している。作戦らしき物が発動した時間から逆算すれば、そろそろ何らかの結果が出ると思われていた。

 

 

「そうか………ああ、分かった。少しだけこっちで時間を稼ぐ事にする」

 

「……ああ。だが精々が業務開始までになる………それなら簡単だ。直ぐに連絡しておこう」

 

 不意に時宗の持つ携帯端末からの着信音はまるで存在を示すかの様に鳴り響いていた。

 事実、着信を知らせた相手は登録されていない番号。本来であれば未登録の番号など無いはずのそれは、誰なのかを語っているかの様だった。

 二言三言だけ話をすると通信はそのまま消える。その相手が誰なのかを考える必要は何処にも無い。小太郎からの話は極短い物だった。

 

 

「さて。済まないが、警察の方には少しだけ規制をかける様に指示を出す。それと、君経由で構わないから、今回の件に関しては追加の依頼を頼む事にするよ」

 

「承知しました。ですが、それは別になりますが宜しいでしょうか?」

 

「当然だ。それに、今回の様な危険度はそれ程でも無いと思うから」

 

 目的を口にしないままに会話だけは進んでいた。幾らここが魔導騎士連盟の支部関連の施設だとしても、万が一の可能性は否定出来ない。本来であれば事前に何らかの確認をするのは望ましいが、時宗は敢えてそれをしなかった。

 下手に出てこよう物なら何かと問題が発生する可能性が高い。常駐する職員の部屋ではなく、明らかに上位の人間が滞在する部屋からとなれば信用問題にまで発展するから。黒鉄巌の性格を考えればあり得ないと言い切る事は出来なかった。

 権力と容易く人をたぶらかし、その認識を大きく歪める。これまでの歴史を見れば当然の事。時宗もまたその魅力がどれ程なのかを理解していた。

 

 事実上の腹心に近く、そしてその暴力は当代一。政府の中でも極一部の人間しか確認していない『魔人』の中でも上位の人間は数える程。本来であれば時宗もまたその権力を使う側ではあるが、風魔との関係はそれ程近しい物ではない。

 今の関係は時宗の思考を小太郎が気に入ったに過ぎず、また、その力を正確に利用するからでもあった。私利私欲におぼれた瞬間、風魔はその掌を容易く返す。それを誰よりも知るからこそ、時宗は正常でいられた。

 だが、自らも伐刀者でもある人間はそうはいかない。

 幾ら自分が正しく律する事が出来たとしても、その周囲までもが正しくは無い。

 既に魔導騎士連盟の外郭団体でもあった倫理委員会は事実上の利権となっていた。現に処分した今でさえも完全に浄化されたとは思っていない。多少は自浄作用が働いているがそれでも完全とは言えなかった。

 信用はすれど信頼はしない。それが今の政府と魔導騎士連盟の距離間だった。

 

 

「そうそう。例の海上保安庁の件はどうなってる?」

 

「湾岸エリアで一隻だけが検索されています。ですが、今の所は令状が無い為に強制的に調べる事は出来ないと下から上がっています。我が国の中ではありますが、外国船籍である為に、調査は出来ないかと思われます」

 

「君なら?」

 

「距離がありますので、正規での手続きをされた方が賢明かと」

 

「何か掴んでるのかい?」

 

「完全ではありません。ですが、例の飛来物はその船からの可能性が高いでしょう。予測と観測された情報から一致していますので」

 

 淡々と時宗の質問に答える秘書もまた、あらゆる可能性を考えた末の回答だった。

 既に時間が経過しているだけでなく、仮に小太郎と言えど海上を移動するには余りにも距離があり過ぎていた。

 移動が出来ないのではなく、見つかる可能性が高い。遮蔽物が無い海上故の結論は、時宗もまた納得できる内容だった。

 

 

「少しだけ助けてくれると助かるんだが」

 

「では、その様に伝えておきます」

 

 当然とばかりに秘書は自分の持つ端末から何かを指示していた。その内容は知るまでも無い。時宗の言葉を正しく理解すれば、それは国籍が偽装された船の制圧に過ぎなかったからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、この後の予定についてだが追加の依頼が入った。直ぐに動くぞ」

 

 周辺に敵勢力の影響が無くなった事を確認した瞬間、小太郎から新たな指示が飛んでいた。

 既にこの周辺は戦域ではなく、今はそれを隠蔽する為の作業へと移行している。

 周辺に飛び散った血糊を除去剤で落とし、骸となったそれは順次ボディバッグへと積めていく。元々風魔の組織の中でも後方支援を専門とする部隊は手慣れた様子で作業を続けていた。

 そんな中での新たな依頼。間違い無く今回の戦いの続きだった。既に戦闘は終了したとは言え、誰もが集中を切らしていない。だからなのか、小太郎の言葉に九人の視線は一気に向けられていた。

 

 

 

 

 

「制圧か。また随分と面倒な事をするんだな」

 

「仕方ないだろう。今必要なのは生きた証だ。交渉一つするにも、ある程度の材料は必要だろう」

 

 外国船籍に近づくのは一隻の巡視船。元々事前に許可が下ろされた船なだけに強引に侵入するのは困難だった。

 勿論、海上を走り抜けるのも一つの手段かもしれない。だが、何の遮蔽物も無い環境下での移動は丸腰で死地に飛び込むのと同じだった。当然ながらそんな物は作戦とは言わない。憂国の感情も無ければ、最初から無駄だと分かっている作戦をするつもりも毛頭ない。その結果、時宗からの依頼によって一隻の船が用意されていた。

 

 車とは違い、海上を疾る船はそれ程速度が出る物ではない。ましてや相手は武装している可能性が極めて高い。その為に、海上保安庁の船に限りなく偽装した物を時宗は用意していた。

 まるで跳ねるかの様に船底は小さく上下に揺れる。本来であればこれ程の速度を出す船を海上保安庁は持っていない。並々ならぬ関心を持った人間であれば真っ先に気が付く可能性があるが、生憎と外国船籍の船の乗組員には違和感すら感じる様な部分は無かった。 

 未だ沈黙をしたままの船は間違い無くこちらの存在を理解しているはず。だが、対外的にこちらへの攻撃はおろか、通信をする事は簡単には出来なかった。

 ここは間違い無く日本の海域。急遽立ち入り検査があったとしても拒むだけの要素はどこにも無かった。

 当然ながら、近くにまで寄った所で反論もまた難しい。それを理解しているからなのか、最接近したにもかかわらず沈黙を保ったままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「海上保安庁の船と思われし物が接近しています。どうしますか?」

 

 オペレーターの言葉に指揮官は表面上は冷静沈着を保っていたが、内心では焦燥に駆られていた。元々今回の作戦に関しては、何時もの様に入念に下調べをする事もなくそのまま実行されていた。

 大国同盟の中でも暗部は特に破壊活動を中心に、非合法な手段を取る事が殆どだった。勿論、表に出来ない様なやり方は褒められた物ではない。一度でもその内情を知れば誰もが眉をひそめる程だった。

 敵対すれば苛烈なまでに相手に喰らい付き、そのまま攻め滅ぼす事は今に始まった事ではない。だが、味方からすればある意味頼もしい物だった。

 絶対的な力で蹂躙する。だからこそ暗部は大国同盟の中でも独立した機関となっていた。今回の作戦もまたこれまでと同じ結果になるはず。指揮官もまたそんな程度の考えしかなかった。

 

 大戦の勝利者でもあるこの国は、歴史の観点からすれば圧倒的な勝利者ではあったが、今は戦時中ではない。大戦が終わってからの数十年。敗戦国もまた着々と地力を高めていた。

 純然たる武力だけでなく、搦め手の要になる経済力。その両輪を激しく回す事によって今日の状況が出来上がっていた。

 

 気が付けば、大戦の戦勝国だった日本は国際魔導騎士連盟の一会員でしかなく、自分達とはかなり異なった立場に立っている。只でさえ判断が遅い組織が、今回の様な事案に対して腰をそう簡単に上げるとは思っていない。最大戦力を差し出す国に対し、他の加盟国は明らかに一段階は下の戦力しか出せない。そうなれば結果的にはこの国は独自で防衛するしかなかった。

 戦局を作り上げるのは現場ではなく、上層部の判断による物。幾ら素早く意思決定をしたとしても、そこから戦力を抽出し、出動させるには相応の時間が必要だった。

 僅かな時間すら惜しむ程に厳しい状況の中での体制の遅さは致命的。軍にしても同じだった。

 警察に関してはこちらが気にする要素すら存在しない。これが冷静な場面であればもっとまともな対処をするはずも、今は完全に冷静さを失ったままだった。

 

 

「そのまま放置しろ。何らかの放送があれば時間を稼げ。その間に、踏み込まれても大丈な様に隠せる物は直ぐに隠せ。奴らも適当に対応するはずだ」

 

 指揮官の言葉に全員が理解する。それと同時に関係各所にもまた通達が走っていた。

 その言葉に誰もが急ぐかの様に行動を開始する。伊達に厳しい局面での作戦を経験した訳では無い。淀みない動きに指揮官もまた僅かに明るさが出始めたモニターから視線を外す事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に良いんでしょうか?」

 

「今さらだろ。それに報酬はもう貰ってる。俺達の仕事はあの船に近づくだけなんだ」

 

 目視でも細かい部分まで確認で居る程に巡視船に偽装した船は近づいていた。

 この船はあくまでも偽装した物であって、決して本当の所属ではない。多額の報酬によって今回の件を依頼された者だった。

 当初に聞かされた条件は明らかに良すぎる。高額の報酬であれば有る程危険度は青天井の様に高くなるのは世の常だった。

 勿論、依頼された内容は船の操縦のみ。相手の船に何らかの事をするのではなく、純粋に近づくだけの内容だった。

 それだけでない。素性は分からないが、明らかにこの船に乗船している人間は堅気ではない事だけは間違い無い。勿論、詮索をしよう物ならば自分達の命すら危ういと感じる程だった。

 第六感を働かすまでもなく感じる空気。触れた瞬間に容易く切れるかの様な感覚に船の操縦をした二人の男は僅かに震えていた。

 

 

 

 

 

「ここまでで良い。後はこちらが勝手にやる」

 

「あの……帰りはどうするんで?」

 

「無用だ。貴様等はそのまま引き返せば良い」

 

 沈黙を破るかの様に小太郎の声が響いていた。相手の船に乗り込むのであればまだ接近する必要があるはず。ここからでは何をどうしても不可能だった。

 だが、その考えもまた否定された以上、男達もそれ以上は何も言えない。只でさえ危険な橋を渡るのであれば、依頼主の言葉は絶対だった。

 ここならば接近していない為に命は護られるのかもしれない。碌な会話もしていないが、何となく乗り込んだ人間の存在が危険なイメージを抱かせる雰囲気は無かった。

 

 

「全員が下船してから、一分後に離れるんだ」

 

「は、はい……」

 

 否応ない言葉に男達は頷くよりなかった。何が起こるのかを判断出来ないが、具体的な指示を出している時点で何らかのやり方があるのだろう位の感覚だけがあった。気が付けば、言葉を発した人間以外の九人が艦橋の裏側へと移動する。その瞬間、信じられない光景が広がっていた。

 

 

「行くぞ」

 

 端的にでた言葉と同時に、誰もが海上を走り出していた。ゆっくりと起こる波でさえも障害物の様に回避しながら最短を疾る。本来であれば動いた際にはっせいする波紋もまた波によってかき消されていた。

 突然の出来事を瞬間だけ呆然とする。人間が海上を疾る光景が珍しかったからなのか、小太郎の指示を思い出したのは予定の時間ギリギリだった。

 

 

 

 

 

 明け方に近いとは言え、それでもまだ闇の方が勝っている時間帯。その僅かな時間で戦端は再度開かれていた。

 至近距離とまでは行かなくとも、目視で約五十メートル。その程度であれば風魔の者からすれば気が付かれる前に接敵するのは容易い物だった。目視で約ニメートル。その瞬間、十の影は素早く飛び上がっていた。

 壁面に足をかけると同時にそのままの勢いで乗り込んで行く。幾らレーダーを確認しようとも、既に内部に侵入した時点で無意味だった。音もなく目的の場所へと移動する。必要な人数以外はそのまま排除する事が今回の要点だった。

 どんな組織でも上位の人間以外が任務の正確な内容を把握しているはずがなく、また、それを捉えた所で何の意味も無かった。目的の艦橋まではそれ程距離が離れている訳では無い。誰もが自らの任務を理解しているからこそ、何の指示も無くその場から散開していた。

 

 

 

 

 

「なあ、この後はどうするつもりなんだ?」

 

「さあな。だが、向かった全員が確認出来ないんじゃ、生存は無いだろ」

 

「それって本当なのか?」

 

「上は隠してるみたいだが、どうやら本当らしい。事実、艦橋のメンバーは誰一人居住区に姿を見せていないんだぞ」

 

 館内をパトロールするかの様に二人組となった男達は当たり前の様に会話を続けていた。本来であれば小銃を肩にかけているはず。だが、この船に近づくそれが海上保安庁の船の可能性が高いからと、一旦は武装を完全に解除していた。

 万が一の事を考えれば精々が護身用にナイフを持つ程度。この船が外国船籍である以上、その可能性もまた低いと判断したからなのか、完全に警戒心は弛緩していた。

 

 

「だとすれば、少しヤバくないか?それに俺達の立場は……」

 

「さあな。俺達の様な下っ端が知り得る情報なんてたかが知れている。仮に責任を被ったとしても俺達には関係の無い話さ」

 

「違いないな。さっさと終わって欲しいぜ」

 

 人の気配すらも感じない廊下は男達の軍靴の音だけが響く。この場所で襲撃を受ける可能性を最初から排除した時点で命運は決まっていた。

 突如として背後から差し出された手によって、男の意識は一気に失う。それをやったのは下忍達だった。

 影に引きずると同時に装備をはぎ取る。周辺に人影が無い事を確認したからなのか、手にした苦無はそのまま心臓へと吸い込まれていた。物言わぬ骸に用はない。万が一でも浮かび上がらない様な処理をされた後、窓から生ゴミを放り出すかの様にそのまま音を立て、海中へと沈んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうなってやがるんだよ!」

 

 船内の状況は不安という名の空気に汚染されていた。当初は気が付かなかったが、何となく船内の雰囲気が異様な物へと変わっている。本来であれば館内放送で一斉に指示が出るはず。にも拘わらず未だそれが出ないのは異常だった。

 何となく気が付いたのは命の危機が迫ったが故の勘。生存本能とも呼べるそれが今の状況を作り出していた。

 

 

「まさかこんな場所まで来るなんて」

 

 悲観に開けるれるのは当然だった。まさかの丸腰の状態を作り上げた上で接敵するなんて考えを誰も考えていなかった。

 未だ何が起こっているのかを完全に把握した者は居ない。だが、これまでに無い程の緊張した空気は船内に居る全員に伝播していた。

 

 

「直ぐに武器庫に急ぐぞ」

 

「大丈夫なのか?幾ら何でも命令違反は洒落にならんぞ」

 

「そんな事言ってたら俺達はあっと言う間に終わりなんだよ」

 

 誰が何を言った訳では無い。高まった緊張感が爆発したかの様に誰もが各自の装備を取りにその場所へと移動し始めていた。足音の数が徐々に多くなる。既に船内の統制は無きに等しくなっていた。

 

 

 

 

 

 

「どうやら戦闘配備につきそうだな」

 

「ああ。こっちも目的地まであと僅かだ」

 

 船内の動きは青龍と小太郎も察知していた。下忍と中忍の部隊には臨時で朱雀を付けている。事実、今回の役割は極めてシンプルだった。

 船内の武装を一度解除させたと同時に確実に数を減らす。混乱を招いた隙を青龍と小太郎が一気に制圧する作戦だった。

 船内の様子は監視カメラでも確認は出来る。だが、始末した現場の全てがカメラの死角でも出来事が故に艦橋は気が付く事はなかった。

 不穏な空気を機械越しに確認は出来ない。気が付く頃には二人の目の前には艦橋の厳重な扉が存在していた。

 

 

「隔壁だがどうする?」

 

 艦橋の手前が故に窓は無く、周囲には迂回する様なルートは無い。可能性の一つとして立て籠もる事を前提としているからなのか、天井にもダクトらしい物は無かった。

 仮に引き返すとなれば無駄な時間が発生する。青龍の思考を遮ったのは小太郎の言葉だった。

 

 

「ならば、向こうから開けさせる」

 

「成程。それが一番か」

 

 小太郎の言葉に青龍もまたこれから何が起こるのかを理解していた。小太郎の持つ抜刀絶技は大気を操る事が可能となっている。暗闇での指向性を持った会話もまたその能力の一端だった。

 幾ら頑強な扉であっても、異能までを防ぐ事は出来ない。頑強な扉はそれ程時間を必要としないままに自動的に開け放たれていた。酸素が減少していたからなのか、扉が開いた瞬間、大気が吸い込まれるかの様に流れる。

 その隙を逃す事無く密集した空間に二つの影が一気に躍り出る。

 そこには慈悲の言葉は存在しなかった。

 

 

 

 

 

「貴様!我々がどこの所属なのかを知ってるのか!直ぐに拘束を解くんだ」

 

「大国同盟の暗部の連中だろ。何を今さら言ってるんだ。それともお仲間と同じ場所に行きたいのか?」

 

 青龍と小太郎を止める事が出来る人間は誰一人居なかった。艦橋(ブリッジ)とは言え、大型船ではなく、中型船に近いこれはそれほど大きくはない。司令官と情報官が二人、それと技術員と思われる人間が三人の計六人だった。

 技術員に関しては最低限の事が出来れば問題無い為に一人を残して斬り棄てている。情報官もまた同じだった。

 目の前の惨状に理解が追い付かないからなのか、二人は共に捕縛されている。指揮官もまた為す術もないままに捕縛されていた。

 

 

「我々の任務は貴様の始末ではない。それは別の人間が考える話だ。そこの女。今回の通信のログと情報を全て開示しろ」

 

 指揮官の言葉を無視するかの様に小太郎は情報官に指示を出していた。戦場に於いては男女の性差は存在しない。本来であれば何らかの言葉が出るのが普通だが、技術員の命を散らした業はあまりにも鮮やかだった。

 銃器を持ってはいたものの、それに手を伸ばす前には喉笛が斬り裂かれている。既に倒れた肉袋からは夥しい赤が広がっていた。

 

 

「ですが………」

 

「ならば消えろ」

 

 反論する事や、逡巡する時間すら与える事なく女の命はそのまま消え去る。気が付けば、もう一人の女が座っていた場所からは黄色い液体が広がっていた。

 元々情報官を失った所で端末さえ生きていれば情報を吸い上げる事は容易い。小太郎が口にしたのは、その手間を省くだけだった。

 情報さえ完全に吸い上げる事が出来れば証人の生死はどうでも良い。時宗からは生かしてと依頼されたが、完璧な情報があれば本当の事を言えばどちらでも良かった。

 

 

「さて、もう一度だけ聞こう。やるのかやらないのか、どちらだ?」

 

 仮面越しの言葉には明らかに殺意が乗っていた。幾ら鍛え上げられているとは言え、目の前で同僚が惨殺された時点で返事は一つしかない。情報官は無言のままに首を縦に振るよりなかった。

 手慣れた操作によって端末からは今回の件に関する通信ログと命令書が浮き上がる。既に隣で捕縛された指揮官もまた口を開く事は無かった。

 画面の情報を全て確認する。この時点でこの船は大国同盟の中でも一部の人間から依頼された事が明白になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「官房長官。例の船より情報を入手したとの連絡が入りました。それに伴い、生存者は二名。指揮官と情報官との事です。それと何らかの形で火事が起こる可能性が高いとの事です」

 

「そうか……ありがとう。直ぐに海上保安庁に連絡してほしい」

 

「承知しました」

 

 冷静な秘書の言葉に時宗もまた小さく溜息をついていた。こちらが裏から手を回せる事は全て完了している。後は完全に政治の話となっていた。

 秘書が言う火事もまた脱出の際に火を点けて退却する為の囮。すべてに於いてが完全に風魔の手の内で行われていた。

 

 

「まだ少しだけ時間があるから、二時間程仮眠を取るよ。それと官邸にも同様に伝えておく様に」

 

「では直ぐにそうさせて頂きます」

 

 既に時間はそれなりになっていた。未だ周辺では何が起こったのかを把握した人間は居ない。日程が滞って居なければ今日が七星剣武祭の決勝となる。これまでであれば優勝に向けたセレモニー等に関する事に費やした時間は、全てが事件の収束に向けられていた。

 官邸では優勝者に関する準備をしながらも今回の事案を同時に処理している。既に時宗の中では誰が優勝しようがどうでも良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の件ですが、こちらとしても正式ではなく、極秘裏に動く事にします」

 

「そうだな……下手に大事にするには少し荷が勝ちすぎたか」

 

「情報に関してはどうなってます?」

 

「既に公安に回している。大国同盟も一枚岩では無い事は分かっているが、まさかこれ程(いびつ)になってるとはな」

 

 総理の部屋では人払いをしたからなのか、総理以外には時宗と外務大臣の三人だけがここに居た。

 今後の処理を考えれば何らかの抗議をしない事には次も同じ事が起こらないとは限らない。だが、今回の作戦に関しては表立っての動きは一切無かった。

 海上保安庁からの情報では火災が発生した船には人影あったものの、全てが完全に消し炭となっていた。検視をするにしても死因の特定が出来ない。本来であれば更に細かい検査や原因の特定が急がれるが、今回に限ってはそれ以上の詮索は許されなかった。

 

 

 ────暗黙の了解。

 

 

 それが今回の現場に携わった人間の総意。それ程までに奇異な状況だった。

 緘口令を特別に敷いた訳では無い。事実湾岸エリアに接岸する船がこれだけでなく、焼け残った後から辛うじて分かったのは、この船が何らかの武装船籍であった証拠だけ。下手に情報開示すれば誰かが何らかの責任を追わされる事になるのは必須だった。

 情報流出の懸念に関しては時宗だけでなく外務大臣も心配はしていない。誰もが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からだった。

 

 

「実際にはどこの国が?」

 

「例の国ですよ。毎回の事ながら碌な事をしませんがね」

 

「今回の件、大国同盟のエイブラハム・カーターはどう動く?」

 

「まともに返事をするかは知りません。それに右腕のモーリスがまだ療養中です。まともな返事を期待するのは不可能でしょう。なので、今回の件に関しては十分すぎる程に楔を打ち込む事にしました」

 

「……君が言うならそうなんだろうな」

 

 時宗の言葉に総理も外務大臣も口を挟む事は無かった。只でさえ時宗の持つ権力は内閣の中でも最大を誇る。卓越した話術や優れた交渉術。それが世間が感じた印象だった。

 だが、内部から見ればそのどれもが正解でもあり、不正解でもある。それ程までに有言実行していた。事実、総理だけでなく外務大臣もまた時宗の恩恵を受けている。その一端がここにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静まり返った室内には一人の男の寝息だけが聞こえていた。

 本来であればこの寝所に侵入する事は不可能に近い。それ程までに周囲の警戒は凄まじい物があった。

 一国の首席であれば国内外からも狙われる可能性が高い。歴代の誰もが同じ事を考えた末の結果だった。

 周辺に近づくだけでも膨大な数のボディチェックが行われ、顔見知りであっても同じ事。それ程までに厳戒態勢が備えられていた。

 侵入者には容赦はしない。それがこの国のスタンスだった。

 

 

(さて、仕上げとするか)

 

 僅かに空間が揺らぐ。そこから滲み出るかの様に一人の仮面の男が懐剣を手に一枚の紙を手にしていた。書かれた内容は警告文。本来であれば暗殺すらも可能だが、下手に混乱を招くよりはとの考えによって、今回の作戦が実行されていた。

 至近距離にも拘わらず、未だ気が付いた様子はない。事前に強い睡眠性の気体が充満している事もその要因の一つだった。

 一枚の紙を枕元に懐剣で突き刺す。一瞬だけ呼吸音が止まった様にも見えたが、呼吸は直ぐに元に戻っていた。

 その状況を確認したからなのか、再度その姿は消え去っている。起きた際には一度騒動起こるのは当然だった。

 だが、この騒動が外部に漏れる事は一切無かった。そこにあったのは極秘裏に出した命令の一部。通信ログの一部も添えられていたからだった。

 国家主席が知るかどうかはどうでも良かった。その紙を見れば誰なのかは明白だったから。

 遠回しに今回の事件の首謀者が誰なのかを示唆する。この時点で外交に於いての主導権は完全に失われていた。

 

 

 

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