英雄の裏に生きる者達   作:無為の極

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最終話 影に生きる者

 気が付けば既に暦は新たな年を迎えた事により、学内の雰囲気は大きく変わり出していた。特にこの一年に関しては、近年に無い程に濃い年となっている。

 これまでのランク偏重主義とも取れる内容によって出場していた七星剣武祭は、前代未聞のF級と言う辛うじて伐刀者と呼べる程度の力の青年が、これまた過去には必ずと言って良い程に英雄となったA級の少女を下して優勝している。当然ながら学内の於いては優勝した事実に祝賀ムードが漂っていたが、他の学園ではそんな空気は何処にも無かった。

 

 これまでにない程のイレギュラーが続いた試合の中で、一定上の実力を有しながらも誤審によって反則となった青年。本質が分からないままに行方をくらました青年など、波乱に満ちていた。

 これまでの試合であれば確実に不満が出たのかもしれない。だが、今大会に関しては、そんな不満は結果的には出る事は無かった。

 大会出場者の中には、それ以外の実力者が居た事によって負の部分を払拭している。そうなれば多少の不満もまた解消されていた。その結果、大会会場を激しく破壊せんとばかりの力と力のぶつかり合いによる決勝は、その試合を観戦していた人間を魅了していた。

 その結果、マスコミもまたその結果だけに意識を向けられ、その裏で蠢いていた策略にまで意識が回っていない。

 戦争突入すら懸念された事項は極秘裏に回避されていた。

 

 その後に続いたのが大きな火種ともなったヴァーミリオン戦役。これに関しては様々な要因が含まれている。本来であれば完全に国際魔導騎士連盟の主導の下で行われる戦争のはずが、気が付けば裏の勢力との戦いへと発展していた。詳細に関しては大本営での発表以外に知る術は無い。

 国際指名手配された人間が参加した戦争は何も知らない国々の不安を煽る可能性があったからだった。事実、学園で該当した人物は二人だけ。お互いの関係性を考えれば当然の事だった。

 

 国際魔導騎士連盟が介入したものの、日本の国の観点では大きな問題に発生する事は無かった。何故なら騎士連盟の中でも日本支部の内部は大きく変化したからだった。

 魔導騎士は派兵させる場合、その指揮権は国ではく組織が管理する。これまではそれが当然のやり方だった。

 だが、一定の期間が過ぎてからはその管理体制は大きく変わる。これまでの様に騎士連盟の主導から政府主導へと変わっていた。当然ながら緊急時にはこれまでと変わらないやり方ではあったが、それ以外に関しては驚く程に拒否する場面が目立っていた。

 

 魔導騎士はある意味では抑止力としての側面を持っている。当然ながら何らかの紛争が起こった際には真っ先の派兵される事が殆どだった。だが、実際には争いこそ起こるが、そこから先に発展する事は無く、その結果として派兵が決定した時点で有耶無耶になるはずだった。

 しかし、現実はかならずしもでそうでは無かった。表には出ていないが大国同盟の暗躍が確認されている為に、派兵にはかなり慎重になっている。それは偏に自国の戦力を育成するのではなく最初から他国を当てにするやり方に疑念を持たせたからだった。

 権利と義務を果たす際に、どちらかが行使されないとなれば不公平感が出てくる。解消するのであれば、如何なる状況下であってもある程度の解決は自分達でやる必要があった。当然ながら国際魔導騎士連盟に対し不満が高まる。本来であれば日本に対しても何かしらの問題を提起するはずが、そんな空気さえ無くなっていた。

 

 加盟国としての権利と義務。どちらかだけを一方的に享受するのは未来における不平不満を作り出す。そんな考えがそこにあった。

 人を出すか、金を出すか。そのどちらも困難な場合はどうするのか。そんなイレギュラーな状態をも考慮した結果、ここに来て漸く日本の於かれた立場を誰もが理解していた。

 従順に見えても実際には分からない。その結果としての未来を受け入れる事が出来るのは各国の懐の深さによる物だった。これまでの実績を改めて確認させる。その結果として本部の英国以上に日本を重視する様になりつつあった。

 当然ながら加盟国の各伐刀者にもその事実がアナウンスされる。高ランクになる者から事実だけがストレートに告げられていた。

 そこで漸く大よその事実が発覚する。本来であれば文句の一つも出るはずが、そんな事すら起こらなかった。

 

 キルレートが十対一。本来であればあり得ない数字。当初は誰もが信じなかったが、その数値に関しては誰からも異論は出なかった。

 本来であれば実力を偽ればどんな事が起こるのかは考えるまでもない。だからこそ異論が出ないのであればそれが事実である裏付けにもなっていた。

 事実を確認するにつれ、一つの可能性が浮かび上がる。その戦力が公表されていないのであれば、何時その刃が自分達に向くのかだった。死地を思わせる中での結果。

 勿論、そんな状況下で戦いを挑むと言う概念すら危うい。少なくともまともな精神であれば即時撤退する程の脅威。それを被害無しで撃退した事実はそのまま伐刀者の中だけで話が進み、それ以外に関しては完全に隠蔽されていた。だからこそ、その事実を知る数少ない人間はそれぞれの感情に向き合うしかなかった。

 

 

 

「随分と濃い一年だったよ。出来ればこんな事は二度と御免なんよ」

 

「今年度の様な事が早々あってたまるか。こちらとて関係各所から色々と言われているんだ。その程度なら簡単だろうが」

 

「それがくーちゃんの本来の仕事じゃないの?」

 

 独り言に近い言葉に返事をしながらも、この部屋の主でもある新宮寺黒乃は火が点いた煙草を咥えていた。確かに濃い一年であった事に変わりはない。F級の人間が優勝した事もそうだが、実際にはそれだけでは無かった。

 事実上のもう一人のイレギュラーもまた黒乃の頭を悩ませていた。少なくとも現役の寧音を下に見ると同時に、それ以外の事に関しては驚く程に淡泊だった。その正体もまた薄々とは感じていたが、それを直接聞いた訳では無い。だが、それが本当であると仮定した場合、完全に問題児になるのは既定路線だった。

 当初こそ危惧した物の、結果的にはそれ以上の事は何も起こらなかった。唯一想定していなかったのは、一足どころか二足も早い卒業だった。

 

 

「なあ寧音。恐らく二度とこんな事は起こらないとは思うが、実際にはどうなんだ?」

 

「……それ以上詳しい事は分からない…かな。下手に口にしても碌な事が無いからさ。でもくーちゃんとしてはどうなのさ」

 

「それこそ愚問だ。アイツの実力はある意味ではここでは不十分だ。それに裏の人間が表に係わる事など早々無いだろう」

 

「おっ。流石に言い切ったね。あたしでもそんな事はおいそれと口には出来ないんだけど」

 

「茶化すな。事の発端はお前だろうが」

 

 二人が口にしたのは風間龍玄に関してだった。七星剣武祭の途中辞退以降は、実際に学園に顔を出す事はかなり少なくなっていた。最低限の出席はするものの、直ぐに姿が見えなくなっている。

 寧音が何となく事情を知っている様にも見えたものの、その全容は掴めないままだった。

 本当に裏の人間だった場合、学園そのものも多大なリスクを負う可能性がある。元々龍玄が入学試験を受けたのも上からの指示だった。その上がこの生徒に関しては関与しない事を消決めた時点で黒乃のまたそれ以上の干渉はしなかった。

 

 通常の学校とは違い、ここは卒業後には魔導騎士の資格を有すると同時に、戦役の際には戦争に参加する可能性もある。そうなれば結果的には完全に実力制となっていた。

 黒乃が決めた方針もまた当時は物議を醸しだしたが、一輝が七星剣武祭に優勝してからはそんな物議すら起こらなかった。

 才能が劣った者を批判するのであれば、その対象者よりも結果を出す必要が有る。それが出来ない時点でそれ以下になるのは当然だった。

 既に学内で一輝を貶める人間が居ないのは周知の事実。ある意味では真っ当な内容になっていた。

 東堂刀華を含め、有力な三年が卒業する。この時点で学内のランキングもまた大きく変動していた。

 

 

「本当の意味での実力は知らないよ。あたしも命は惜しいから。それに、もう居なくなるんだ。頭痛の種が減ったなら良しとしないと」

 

「相変わらず他人事だな」

 

「事実だし」

 

 黒乃の努力など無視するかの様に寧音は用意されたお茶菓子に遠慮する事無く手を付けていた。理事長室から見えるのは卒業に向けた準備をしている光景。偶々目にしたからこそ思った事を口にしていただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 普段であれば余程の事がない限り、この部屋に滞在する人間は限られていた。貴徳原財団の総裁室。そこにはこの部屋の主とその娘。そして契約の対象となった人物とその組織の頭領がソファーに座っていた。

 

 

「………確かに、金額は確認した。だが、こちらが求めた金額よりは些か多いが?」

 

「それはこれまで待って頂けた誠意と、それに伴うお礼です」

 

 用意されたのは一枚の小切手。本来であれば現金で用意するのが筋だが、今回の件に関しては小切手となっていた。

 支払いが履行されるのが当然の様に銀行の保証が為されている。本来であれば何らかの確認が必要になるが、この取引に関してはその様な事は起こらなかった。

 仮に踏み倒せば苛烈な制裁が待っている。少なくとも財界の人間であれば風祭の二の舞になりたいと思う奇特な実業家は居なかった。

 それ程までに緻密な情報取集と、都合が良いように思考誘導する技術。そしてそれがもたらす結果。噂では無く事実を知るからこそ誰もが謀る事は無かった。

 

 

「そうか。ならば素直に受け取ろう」

 

 組織の頭領は一言だけ告げると、そのまま小切手を懐に忍ばせていた。本来であればそのまま換金すれば何かと不都合が起こりやすい。だが、この取引に関してはその限りでは無かった。

 

 資金に関しては特定の企業が正規の報酬として支払う事になっている。それを経由した上で現金化出来る様にしていた。本来であれば直接現金を渡す方が都合がいい。だが、折角近づく事が出来る機会を総裁が逃すはずが無かった。

 結果的に近づけるだけの何かを残す事に成功している。だからなのか、総裁もまた規定以上の金額を払った割に表情は明るくなっていた。

 

 

「それで、今後の件ですが」

 

「ああ。例の件だな。それなら我らも断る理由は無い。だが、当人がどう思うかだ。此方からは強制はしない。当然だが、その結果に関しても感知しない」

 

「当然です。それもまた(えにし)ですから」

 

 歪んだ笑みを浮かべながら告げた小太郎と総裁の言葉の意味を正確に理解出来た人間は当事者だけだった。娘はその環境から理解しているが、対象となった人物は理解していない。本来であれば多少なりとも察する事もあるが、この件に関しては完全に理解の範囲から外していた。

 小太郎が任せたのは対象者の監視であって、それ以外の要件は伝えていない。だからこそ同室になってもそれ程関心を示す事は無かった。

 不穏な動きを見せるだけの道理が無い。そう判断した結果だった。組織の長からの命令はたとえ血縁関係であってもその限りではない。特に風魔に関してはその辺りがシビアだった。

 

 一般的な組織であれば、長の血縁がそのまま引き継ぐのは良くある話。だが、風魔に関してはそんな関係すら無意味だった。

 実際に風魔は実力があると同時に、相応の数の敵対者もある。血縁関係にあると分かった時点で襲撃される事は日常茶飯事だった。

 だが、それを容易く排除できるだけの実力を持つからこそ血縁が続く。これまでの歴史の中で血縁者ではなくそれ以外の人間が就く事も多々あった。

 当代は隔絶した実力を持っている為に問題ににはなっていない。また次代と目される人間も同じだった。

 その結果、血縁であっても頭領になれるのかは別問題となる。それを理解しているからこそ、何らかの思惑がある事は予測しても任務に関して私情を挟む事は無かった。

 

 

 

 

 

「これで監視の任務は破棄する事になる。以前にも言ったが、学園には一年だけ在籍をしろ。それ以降に関しては特に何をしようが関知しない」

 

「……そうだな。特段気になる様な物は無い。魔導騎士の資格も不要だしな。俺も適当な所で辞めるさ」

 

「そうか。それと拠点に関してはどうするつもりだ?」

 

「暫くは継続する。後は今後の状況次第になるだろうな。だが、時宗の方は良いのか?」

 

「今に始まった事ではない。それに動くとなっても、それ程面倒な依頼は早々無いだろう」

 

 総裁と娘が退出したからなのか、先程までの緊張感に満ちた空気は霧散していた。元々龍玄に課せられた依頼はこの報酬を回収するまで。それ以降に関しての制限は無かった。

 予定では年末かそれ以降。これが小太郎が予測した期限だった。

 だが、その予測を上回る結果になったのは、偏に騎士連盟の噂だった。

 

 支部長そのものは変わらないが、内容は事実上の左遷。地位こそ向上したが、実情は最低の内容だった。支部長としての存在はあれど権限が無い。

 当然ながら武力を当てにしていた人間は真っ先にその対象を変更していた。報酬を払う事によって安全が保障されるのは当然の事。だが、その派兵に関しての人事権が政府に移管された時点で、ある程度の小競り合いに関しての可能性は完全に潰れていた。

 

 個人に対する運用であれば本部に照会する必要は無い。そんな制度を生かした結果だった。

 その結果、黒鉄巌の権力は相応に高くなっていた。だが、それは旧組織での話。肝心の権力の源泉が既に枯渇した以上、必要以上に付き合う必要性は無くなっていた。

 ゆっくりと人が離れる。それが財界での専らの実情だった。

 その反対に貴徳原が抱える企業にはこれまでに無い程に問い合わせが殺到していた。一部警備の人間が伐刀者であったり、その実力が伐刀者の中でも上位に入る事を誰もが知っていたからだった。

 本来であれば個人契約すら結びたいとさえ考えたものの、相手が貴徳原財団が故に、暴走する者は居なかった。その結果、契約に次ぐ契約によって会社の業績は跳ね上がる。その結果として支払いが当初の予定よりも前倒しになっていた。

 

 

「何ならカナタ嬢に手を出しても構わないんだが?契約も切れたんだ」

 

「阿呆。そんな事しねぇよ。突然関係性が変わったからと言って、態度までは変わらないだろうが」

 

「……本当にそう考えてるのか?」

 

「何が言いたい?」

 

 既に厳しい雰囲気は完全に消え去っていた。そこにあるのはニヤつく表情の一人の男。先程までの厳格など当の前に消え去っていた。

 

 

「その話はおいおいとしてだが、本当に良いんだな?」

 

「卒業に意味が無いんだ。だとすれば無駄だろ?」

 

 龍玄の意識は完全に固まっていた。本来であれば二月か三月にでも決める事柄。学園には話をしなくとも、自分のスタンスだけは既に決めていた。

 

 

 

 

 

「そうか………まあ、お前の実力ならそうかもしれんな」

 

 理事長室ではこれまでに無い空気が漂っていた。元々魔導騎士を排出する為の教育機関であるが故に、その殆どは魔導騎士としての資格を有する。ある意味では将来の先付かもしれない。だが、あくまでもしっかりとした卒業資格を持っている事が前提だった。

 当然ながら中途退学した時点でその資格は所持出来ない。それ所か世間から見れば脱落者としての意味合いもあった。

 多少なりとも厳しい目を向けられるかもしれない。だからこそ誰もが努力し続ける。そんな側面があった。

 

 

「俺が言うのもなんだが、思ったよりも中身はあった。ただ……俺には関係無かった。それだけだ」

 

 青年の言葉に、理事長の黒乃もまたそれ以上の事は何も言えなかった。全容を理解しているとは言わないが、少なくともこの学年の中では事実上の頂点に近い立場である可能性はあった。七星剣武祭の決勝で魔人となった一輝。それに対等に戦えたステラ。そう考えれば青年の実力は本来であれば並べる事は出来ないはず。だが、友人でもある寧音よりも上であれば少なくともその実力は隠しているとも考えられる。それが黒乃の持つイメージだった。

 そう考えていた人物からの言葉。黒乃もまた龍玄を引き止めるだけの材料は持ち合わせていなかった。

 

 

「参考までに聞かせてくれ。ならばこの一年はどうだった?」

 

「さっきの言葉通りだ。だが………ランクだけに拘る人間は今後は大成しないだろうな」

 

「ほう。中々興味深い言葉だな」

 

 

 何気ない言葉。黒乃からすればその程度だった。だが、実際に龍玄から出た言葉は黒乃の自尊心を満たす結果となっていた。

 黒乃が就任した当初、この学園は傍から見ても魅力の欠片も無いと思える程に能力だけを尊重していた。体面的には分からないでもない。だが、実戦経験がある人間からすれば実にくだらない物だった。

 能力が高ければ何かにつけて作戦の成功率は高まるかもしれない。だが、本当の意味でギリギリの経験をしていないのであれば、それは張りぼてと同じ事。

 事実、KOKに限らず、世界のトップランカーの大半は能力に頼る事はしない。本当の意味で自分の命を助けるのは魔力の様な曖昧なものではなく、それまでに培ってきた技術だから。

 魔力にせよ体力にせよ、それぞれに限界はある。だが、魔力の方が消耗の度合いは大きかった。

 常に安定した環境下でしか戦った事が無い人間であれば、戦場では真っ先に始末される。それを体感しているからこそ、数値では表していない部分を黒乃は求めていた。

 その結果が黒鉄一輝の優勝。純然たる実力だけで勝ち取ったそれは、確実にこれまでに無い程の価値を持っていた。そう考えると目の前に居る風間龍玄もまた黒鉄一輝と同じ場所に立っている事だけは辛うじて理解していた。

 

 

「何はともあれ、俺の事はそのまま処理してくれれば良い」

 

「……そうか。黒鉄とも良いライバルになると思ったんだがな」

 

「……ライバル、か」

 

 龍玄はそれ以上答える事は無かった。実際に魔人となった一輝と戦えば、大よそでも自分もまた実力の一部を出す必要があるかもしれなかった。戦場であれば相手を屠り去る事で情報を秘匿出来る。だが、ここでそんな事をする訳には行かなかった。

 下手に力量を図られる事になれば今後にも多大な影響を及ぼす。現時点では龍玄もまた一輝に負けるつもりは無かった。人気が無ければ多少のぶつかり合いは出来るかもしれない。ただ、それが今でないだけだった。

 それ以上の事を告げる事無く理事長室を出る。後ろにあった二人の表情を龍玄が知る事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「龍。本当に辞めるのか?」

 

「ああ。元からその予定だったんでな」

 

 三年の卒業式が終わる頃、龍玄の後ろから聞こえたのは一輝の声。龍玄が改めて振り返ると、そこには一輝だけでなくステラの姿もあった。その表情は互いに困惑だけが浮かんでいる。怒りでも悲しみでもない不可解な感情。まさにそんな表現がピッタリだった。

 

 

「このままだと魔導騎士としての資格も取れないわよ。本気なの?」

 

「ああ。最初からその程度の物に固執するつもりも無かったからな。それに、ここにこれ以上居た所で俺が学べる事は無い。一輝、その話は誰から聞いたんだ?」

 

「ネネ先生よ。一年次の過程が終わったらここを辞めるって聞いたから」

 

「成程な」

 

 一輝に出した質問をステラが答えたが、回答が出た為に気にする事は無かった。

 ステラが言葉にした事によって何を言われようが龍玄の表情が変わる事は無かった。実際に一輝に限った話ではないが、ステラもまた夏に起こったヴァーミリオン戦役以降、その実力は格段に向上していた。

 本来であれば学生の間に戦場や大規模な戦闘を経験する機会は早々無い。特別招集がかからない限りは当然だった。だが、ヴァーミリオン戦役はその名の通り、かなり厳しい戦いであった事に変わりはない。自分の命をギリギリまで昇華させる事によって実力は大幅に向上する。二人もまたその通りだった。

 

 七星剣武祭以降、龍玄は一輝とステラに対して直接戦闘をした事は一度も無い。クラスの人間や予選を見ていた人間であれば何となく分かっているが、本当の意味で理解している人間は皆無だった。

 分かっているのは休み明けの二人の状態が激しく変化している事。誰もが七星剣武祭での事を予測していたからなのか、多少は驚くも、誰もがそうだと考えていた。

 唯一、違う雰囲気を纏っている事を理解したのは龍玄だけ。七星剣武祭とは違った極限状態の戦いが急成長をもたらしたと予測していた。

 

 

「学べる物が無いって……随分と傲慢だね」

 

「事実を述べたに過ぎん。それとも、実力が上がった事に慢心でもしたか?魔力が乱れてるぞ」

 

 一輝の言葉に龍玄は鋭利な刃物の様な言葉を投げかけていた。事実、一輝が魔人である事を知っているのは極限られた人間だけ。この場に於いては当事者以外に知るのはステラだけのはずだった。

 龍玄が他人の実力を見誤る事はこれまでに一度も無い。確かに鍛えられた事はあったが、当時と今は違う様にとらえていた。だからこそ、龍玄の言葉は一輝に突き刺さる。有言実行を地で行く人間である事を一輝も理解しているからこそ、その言葉に対しての返事が詰まっていた。

 

 

 

 

 

「じゃあ、始めるぞ。お互い死なない程度に頑張れよ」

 

 何となくやる気の無い声だけが閉鎖された空間に響く。本当の事を言えば一輝とて龍玄を引き止める事は出来ないと思いながらも、敢えて挑発めいた言葉を投げかけていた。

 一輝自身は魔人になったからと言って驕った事は一度も無い。寧ろ、これまでに無い魔力操作とその感覚がこれまでとは違っている事から、それを調整する事に集中していた。魔人になったからと言いて戦闘技術が格段に上がる訳では無い。

 一つ一つの動きそのものが底上げされた結果が戦闘力の上昇につながっている。当然ながらそのステージまで上がれば、相手の事も自然と見える。一輝の眼に映る龍玄もまた、これまでに感じた事が無い程を圧力を持っていた。

 

 構える事無く自然体で立っている。何も知らない人間からすれな無防備の様にも見えるが、今の一輝にとっては最悪の相手だった。

 以前の様に圧倒的な重圧も無ければ殺気も無い。そこあるのは大気と同じ自然と調和した雰囲気だけだった。

 寧音の合図と同時に、互いが様子を伺う。視界に映るそれはまるで自分を映していないかの様だった。

 

 

(自然体だけど………)

 

 一輝は内心驚くより無かった。これまでは一度も感じた事が無かったが、相対する空気に覚えがあった。『比翼』と呼ばれた女性。世界最強の一人。その人物と同じ空気を龍玄は纏っていた。

 以前であれば気が付くはずがない事実。この状況になって一輝は漸く龍玄の異様さを実感していた。

 自然体であるが故に隙は無い。本当の事を言えばこうやって対峙する事すら厳しいとさえ考えていた。

 

 どこに打ち込んでも待っているのは絶対的な反撃。それも致命傷と思える程の物だった。

 これまでに死線に近い状況で戦って来たが故に慢心は無いと自負している。だが、そんな事すらまるで無意味だと言われているかの様だった。ゆっくりと互いの距離が縮まる。

 一輝に限った話では無く、龍玄からしても距離を縮める必要が無い程の距離。にも拘わらず、距離を縮めたのは一輝に対して重圧を与える為だった。

 互いの距離がゆっくりと狭まる。

 お互いの間にあった空気が徐々に圧縮されるかの様だった。

 

 

 

 

 

 

「イッキ!」

 

 ステラの悲鳴の様な声が響いたのはその瞬間だった。お互いの距離がニメートルを切った瞬間、互いの姿が残像となって消え去る。まさに電光石火とも呼べる攻防は龍玄へと天秤が傾いた結果だった。

 尋常ではない程の衝撃を受けたからなのか、一輝の制服は前面ではなく、背面がズタズタになり、口からは夥しい赤が白い制服を染め上げている。ステラは何が起こったのかは分からなかったが、遠目で見ていた寧音だけが何となく見えた程度だった。

 

 お互いの攻撃が交差する瞬間、龍玄は一輝の利き手を狙っていた。神速の如き抜刀術を繰り出しても、その利き手までもが神速であるはずが無い。居合いの原理を理解するからこそ、その対策は万全だった。

 事実、剣術の面に関しても一輝よりも龍玄の方が遥かに上を行く。完全に攻め手を理解するかこそ、その弱点もまた知っていた。

 切先に比べれば抜き手はそれ程早くは無い。本来であれば察知される前に斬り伏せるやり方が正解。だが、その前提は一定の距離が必要だった。

 躊躇ない踏み込む事によって生じる力を体幹が余すことなく伝える。その結果として利き手が効果を発揮するはずだった。

 

 剣術を極めればそれもまた不可能では無かったのかもしれない。一輝もまたその高みまで登っていた。だが、龍玄は歯牙にかける事無くその更に上を行く。剣術に限らず体術までもを応用するからこそ神速の抜刀術以上の速度を作り上げていた。

 それだけではない。居合いを潰した瞬間、龍玄は一輝の体躯をも破壊する為の動きを見せていた。

 意識の外からの攻撃を防ぐ術は無い。一輝は自分が関知出来ない攻撃を無防備に受けていた。

 意識の外が故に攻撃を受けた事を感じたのは遅れてきた痛みによって。ここで漸く攻撃を受けた事を認識していた。

 時すでに遅し。一輝の全身に衝撃が走る。内臓はこれまでに無い程のダメージを受けた事によって機能不全手前まで陥っていた。

 絶命する寸前での手加減。龍玄が口にした訳では無い。ただ本能がそう感じただけだった。

 

 一輝は知らなかった事だが、龍玄はあの戦い以降、小太郎と段蔵に対し一度だけ戦いを挑んでいた。小太郎に関しては何時もの事だが、段蔵に関しては完全に偶然だった。

 忍びの戦いは常に詭道ばかりではない。どんな状況でも仕掛けられたそれを完全に食い破るだけの力量もまた必要だった。

 当然ながらその力は龍玄を遥か上回る。高みに上っているのは自分だけでは無かった。龍玄もまた一輝同様に更なる高見へと昇っていた。

 

 

「命までは取っていない。気に入らないなら、お前も相手をするか?」

 

「……悔しいけど私には無理。一輝があれなら同じよ」

 

 完全に気絶した一輝を支えながらもステラもまた自分の思いを口にしていた。A級がどうではない。魔人がどうではない。純粋に龍玄の立っている場所が自分達とは明らかに違っていた。

 一撃必殺の拳を歪め、命を残したのはそれだけ実力に格差があるから。本当の意味で均衡などしていなかった。

 魔力に物を言わせればステラにも勝ち目はあるかもしれない。だが、魔力を練るだけの時間を龍玄が許すとは思えなかった。

 

 あの瞬間、あらゆる感覚でさえも龍玄を捉える事が出来なかった。第三者としてそれならば、当事者であれば尚更顕著となる。ステラもまた龍玄の実力を素直に認めるしか無かった。

 本当に同年代なのだろうか。ステラはそんな取り止めの無い事を考えていた。

 実際に自分もまた厳しい戦いを経験している。百の訓練よりも一の実戦。それが母国を賭けた戦いであれば尚更。にも拘わらず、龍玄に届かないと感じたのは初めてだった。

 これが本当の実力であればここに居る価値が無いのは無理も無い。一輝との刹那の交錯で本質を唐突に理解していた。

 

 周囲には寧音以外には誰もおらず、またその寧音もこちらの言動に介入するつもりも無い。あくまでも訓練室を借りる為の形式的なそれだった。

 

 

「ならば、気が付くまで介抱するんだな。またどこかで会える事があるかもしれない」

 

 気絶した一輝をそのままにする選択肢はステラには無かった。龍玄もまたこちらを気にする事すらしない。当然だと言わんばかりに、訓練室の重い扉はゆっくりと開いていた。

 

 

 

 

 

(怖ぇえええ!マジかあれ。もうバケモンじゃん!)

 

 何事も無かったかの様に終わった戦いではあったが、その全容は寧音を驚愕させていた。

 一輝が魔人となった事によって身体能力が向上したのは知っている。当時の戦いの中でも成長していくそれは常識の範疇を超えていた。だが、そんな一輝を一撃の下に下した龍玄は更に最悪だった。

 風魔が桁外れだと認識はしていたが、本当の意味での実力を寧音は知らない。本当の事を言えば龍玄と一輝が良い戦いをするとさえ考えていた。

 だが、その結果は見るまでも無い。それ程までに力量が隔絶していた。何気ない攻撃の様に見えたのは偏に無駄な動きが無いから。背中から弾け飛んだ衝撃はそれを如実にしていた。

 

 仮定ではあるが、もし風魔が表舞台に出ればどうなるのだろうか。命の保証がされているKOKでも、試合の流れで命を落とすのは事故として処理される。

 命を奪う事が前提で対峙すれば、その場は試合ではなく死合となる。そうなれば末路がどうなるのかは考えるまでも無かった。

 確実に自分の命が消し飛ぶ未来だけが予測できる。下手をすればアーサーであっても同じ結果になるかもしれない。

 裏の人間が表舞台に出なとは分かっていても、寧音の冷や汗は止まらなかった。

 競技では無く実戦でランクを突ければ自分など一気にランクが落ちていく。それ程までに厳しい世界だった。

 

 影が影のままでいる事がどれ程平和なのかを嫌と言う程に体感していた。頬に一滴の冷たい汗が流れる。それが何なのかを理解するまでに、寧音はそれなりの時間を擁していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────数年後

 

 

 

 

 

 

「黒鉄。行けるか?」

 

「はい。何とか」

 

 東南アジア某所ではゲリラ戦とも散れる戦いがそのまま泥沼化していた。

 奇しくも何かと介入を懸念した騎士連盟の日本支部からの派兵はそのまま容認されている。その結果、一輝もまた戦場へと赴いていた。

 KOKの様に整えられた場所での戦闘ではなく、何でもありの遭遇戦。常に精神が休まる雰囲気はなく、休憩をするのも一苦労だった。

 

 あれから魔導騎士の運用方法は大きく変わってた。以前であれば何かにつけて日本からの派兵が殆どだったが、今ではそんな環境は無くなってた。

 各国からの派兵によって魔導騎士は多国籍になっていた。当然ながら連携を取るのも事前に入念なチェックが行われていた。だが、戦場に於いてはそんな事前準備を嘲笑うかの様な事態が常に起こる。その結果、派兵チームは窮地に追い込まれていた。

 見えない圧力による消耗は試合とは比べものにならない。以前に経験したヴァーミリオン戦役でさえも、こんな事は無かった。常に厳しい環境下で最高のパフォーマンスが要求される。

 既にチームもまた、満身創痍だった。一度だけ落ち着く為に一度だけ深呼吸する。元々ここを突破しない事には活路は見いだせない。今回に限ってはそれ程までに追い込まれていた。

 

 

「……無理はするなよ」

 

「了解です」

 

 既に心が凪いでいるからなのか、精神状態は穏やかだった。最終局面が故にやる事は目的の達成と生き残る事のみ。内容は実にシンプルだった。

 死地とまではいかないが、それに近い物があった。一輝とて生き延びる事を当然だと考えている為に最悪の事は考えない。だからなのか、不意にステラの表情が浮かんでいた。

 

 

「行くぞ黒鉄!」

 

「はい!」

 

 周囲にも仲間はいるはずだが、それを期待する事は無かった。厳しい局地戦での甘えは死に繋がる。誰から聞いた訳では無い。ただこれまでの戦いによる本能から来る結果だった。

 事前にどの地点を襲撃するのかは確認している。それさえ陥落すれば、後は実に簡単な事になるはずだった。

 戦役を終えた事によってこれまでに無い程に魔力に運用は高効率化している。にも拘わらず、追い込まれたのは偏に今回の戦場が想像以上に苛烈な事だった。

 肉体だけでなく精神までもが摩耗する。これが軍の特殊部隊であればその対策ともとれる訓練をしていたかもしれない。だが、魔導騎士はその火力が故にそんな前提は無かった。

 慣れない空間と慣れない環境。今から慣れる事が出来ない以上、やれる事は一つだけ。この戦いを終わらせる事だった。

 自身の持つ技術をフルに活かして行動する。そこにはこの戦いを終わらせると言う明確な意志があった。

 

 

 

 

 

 

「何だ……何がどうなってる」

 

 辛うじて出た言葉ではあったが、一輝もまた同じ考えだった。作戦指揮所と思われる場所を急襲したものの、そこには反撃の色すら見えなかった。

 周囲を警戒しながらも探索をしたが、人影はどこにも見えない。時折大量の血痕と思われる物を見つけたが、それ以外は何も無かった。

 がらんとした部屋の中では各部署へと指示を出す為の通信機はあるが、破壊されたのか、通信機器に光は無かった。

 その先が繋がっている事も無い。事実上の陥落している事を漸く理解していた。

 

 

「これって………」

 

「ああ。俺達の前に誰かが来てやったんだろうな」

 

 一輝の言葉に、男もまた答えに詰まりながらも口にしていた。血痕がある以上は何らかの戦闘があった事は間違い無い。だが、ここに来るまでにもかなりの苦労を強いられていた。

 敵に会わない様に動くのがどれ程難しいのかは理解出来る。ましてやこの場所が要であれば相応の警戒はしているはずだった。

 だが、現実はそうではない。事実上の陥落を確認したからこそ、一輝達もまた本部へと連絡を入れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、あれは何だったんだ?」

 

「確かに不自然でしたね」

 

 帰国の途に就く途中、一輝だけでなく作戦についていた仲間と少しだけ話をする機会があった。決死とも取れる戦いのはずが、気が付けばあっさりと終わっていた事だった。

 幾ら気配を探っても、周囲には何の反応も感じられれない。それ程までに静寂としていた。

 精々聞こえたのは風の音だけ。そんな中、僅かに何かの音が聞こえた瞬間だった。

 漆黒のボデイスーツを着た人間が二人。その姿を捕捉したのは偶然だった。

 お互いに仮面をつけていた為に素性は分からなかった。だが、その動きには僅かに覚えがあった。まだ学生だった頃、一度たりとも土を付ける事すらしない敵わない相手。確証はないが、そんな気がしていた。

 

 

「だが、生き残ってなんぼだ。今回の作戦は最悪だった。最初の段階で話が違うのは、な」

 

「ええ。そうですね」

 

 今回の作戦がどれ程危うい状況だったのかは全てが終わってから判明していた。用意周到なそれは確実にこちらの戦意を喪失させる為の罠。依頼の内容もまた虚偽が発覚していた。

 味方だと思った人間が敵の可能性を含む。それ故に今回の作戦は熾烈を極めていた。

 そんな不穏な空気を吹き飛ばすかの様に男は少しだけ一輝を揶揄うかの様に話していた。ヴァーミリオン戦役の英雄。F級の魔導騎士ではなく、世間の印象はそちらの方が強くなっていた。

 団体戦とは言え、その内容は苛烈を極めている。純粋な戦いであればKOKなども含まれるが、あの戦いに関してはその限りでは無かった。

 

 代理戦争が故に敗者に残される者は何一つ無い。これが自国の人間で戦えば、国民感情も違ったのかもしれない。だが、実際にはステラだけが自国の代表として出場している。その結果として一輝の事が認められていた。

 既にそれ以降の事に関しても発表されている。本来であれば仲間を弄るのは良くないとは分かっていても、今の二人の共通点が無い以上はそれしかなかった。

 

 

「そう言えば、お前、そろそろなんだろ?」

 

「まあ、そうです……かね」

 

「何だそれ?あれだけ情報が出てもまだ恍けるのかよ」

 

「違いますって」

 

 仲間からの言葉に一輝は笑って誤魔化すしかなかった。実際にステラとの仲はそこそこ進んでいる。だが、完全にゴールしたのかと言われれば微妙だった。

 母親や姉妹は問題無いが、父親だけが未だに厳しい対応をしたままだった。

 既に父親を除く全ての人間。国民も含めて祝賀ムードが広がっている。既にマスコミにまで伝わっているが、実際には父親が最後の抵抗勢力だった。だが、多勢に無勢。その抵抗もまた風前の灯だった。

 

 

「でも、国葬にならないだけマシだろ」

 

「縁起でも無い事言わないで下さい」

 

「冗談だ。生きて帰れた。それだけ十分だろ」

 

 出発とは違い、帰りの空気は完全に弛緩していた。厳しい戦いが故に緩める事が出来るなら最大限にする。それが戦場に赴く者のメリハリだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お帰りなさい」

 

「珍しいな。こんな所まで出迎えなんて」

 

 一輝達とは違うルートで、二人の男もまた帰国していた。今回の依頼は派兵された魔導騎士の護衛。それも黒鉄一輝が対象者だった。

 本来であれば魔導騎士に対してする措置ではない。精々が遠目に監視するだけだった。

 元々今回の件に関しては受けるはずが無い依頼。ただでさえ風魔に関する内容は様々な調査をした結果でなければ応諾する事は無い。今回の依頼に関してはそんな調査すら最初から無かった。

 時宗を経由する依頼。実際には政府からではなく、ただの仲介だった。それが表向きの企業へと依頼され、風魔の元へと届く。今回の様に青龍を指名する依頼は更に違っていた。

 

 

──現在東南アジアに派兵された黒鉄一輝の護衛依頼。必ず生還させる事

 

 

 最初にこの話を耳にしたのは貴徳原カナタだった。企業の代表だけでなく、一輝の実力と素性を理解しているからこそ、今回の依頼がおかしい事に気が付いていた。

 七星剣武祭の覇者だけであればそうかもしれない。だが、戦役を得た以上あり得ないとさえ考えた瞬間、カナタの手が止まった。

 

 今となっては懐かしい記憶だが、ゲリラによる不正規戦は想像以上に厳しい状況を作り出す。事実、カナタだけでなく刀華もまた、当時はそんな事を考えていなかった。

 真綿で首を締めるかの様に襲い掛かる圧力は知らない間に肉体と精神を摩耗させる。その結果として捕縛されていた。

 当時は風魔が相手だった事も影響したが、今回の件に関しては風魔は何も関知していない。だからこそ違和感だけが残されていた。仲介役の時宗に確認する。依頼主は分からなかったが、その出所が国際魔導騎士連盟を経由した事実だけが浮かび上がっていた。

 

 国際魔導騎士連盟は当時とは違い、今は完全に派兵に関しては厳しい条件が突付けられていた。肉体だけでなく、精神も過酷な環境に置かれても変わらない者はそれ程居ない。

 そんな中で一輝もまた該当する数少ない魔導騎士だった。そんな派兵を決めた人間の護衛。そうなれば誰が依頼をしたのかは考えるまでも無かった。救国の英雄が野垂れ死にとなれば何かと問題が起こるかもしれない。となれば護衛も表立ってではなく影からになるのは当然だった。

 そうなれば出来る人間は限られる。だからこそカナタもまた龍玄に依頼していた。

 

 

「今回の依頼からすれば多少の労いも必要かと思いましたので」

 

 龍玄と同行した人間は空気を読んだかの様に姿を消していた。元々龍玄一人でも問題無い内容。それでも一人付けたのはカナタの思惑があったからだった。

 

 

「何時もと同じだ。それに一輝とて阿呆ではない。此方が何をしたのかを理解してるだろう」

 

「良かったんですか?」

 

「俺達は影だ。表に出る必要は何処にも無い。それに、今回の件に関しても報酬が高額なんだ。多少のサービスはしたさ」

 

 龍玄の言葉にカナタもまたその言葉の意味を理解していた。

 風魔の四神でもある青龍が戦場に出た時点で捕捉する事が、どれ程困難なのかは言うまでもない。神出鬼没でありながらもその力は尋常ではない。今回の件に関しても一輝達が踏み込んだ時には完全に戦闘指揮所が壊滅した後だった。

 証拠を残す事が出来ない為に、同行した一人が処理をする。仮に見つかったとしても、そこから死因を特定するのは不可能だった。

 風魔の誇る『掃除人』。痕跡を殆ど残さないそれは明らかに尋常では無かった。

 

 

「そうですか。随分と気前が良いんですね」

 

「今回だけだ。折角の(はなむけ)だ。それ位の事はする」

 

 生死が絡んだ場所からの帰還ではあったが、その会話は随分と弛緩しているとさえ思える程だった。どんな歴戦の魔導騎士であっても戦いの後は気持ちが昂っている。その為に現地で女を買う事も多々あった。

 だが、既にこれが当たり前だと考えている人間からすればそこに至る材料は無い。その事を理解しているからこそカナタもまた気にする事は無かった。

 仮にそうだとすれば、あの時点で自分もまた純潔を散らし、慰み者となれば女としての存在が崩壊している。それが無かったからこそ信頼に繋がっていた。

 

 不意にカナタが龍玄との距離を縮める。だが、そこに拒絶は無かった。お互いの距離が近いのはこれまでにそれなりの関係性を築いた結果。

 それを証明するかの様にカナタの指には鈍く光る指輪がはめられていた。送り主が誰なのかはカナタに近しい者しか知らない。当然ながら経営者としての側面しか知らない人間は相手の事は知らなかった。

 貴徳原財団の中でも異質な企業経営者。若く、美貌があるその人間に近づく者は減る事は無かった。

 当初は男避けとさえ思えるそれ。だが、時間と共にそんな風に思う人間は皆無だった。送り主の事を話すカナタの表情に嘘は無い。それが本心だった。

 お互いが寄り添うかの様に通路を歩く。その姿をまともにとらえた者はいなかった。

 

 どれ程の力を示そうが、その力が正当な結果には至らない。それは偏に風魔に限らず忍びとしての生き様だった。

 歴史の影に生き続ける。龍玄もまたその世界の住人であるからだった。

 

 

 

─── 完 ───

 

 

 




今回を持って英雄の裏に生きる者は完結とします。
原作ではまだ先の展開が読めませんが、今回のこれで区切らせて頂きました。
評価を入れて下さった皆さん。お気に入り登録してして下さった皆さん。長らくありがとうございました。



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