第二特異点´ AD.0060 羅馬抹殺同盟 カルタゴ   作:らるいて

4 / 7
第4話

 

 ハンニバルは自陣の奥にありながら戦場の推移を把握していた。そして現在ハンニバルの心を占めるのは諦観だった。

 

「届かねぇ、か」

 

左翼でブーディカが消滅した直後に正面で巨大な爆発が発生した。ハンニバルが考えるまでもなく、スパルタクスだ。この爆発により金床を突破できるか期待したハンニバルだったが、その期待は極僅かな時間だった。膨れ上がったスパルタクスとダレイオス三世の魔力の動きが、障害が消失したにしては遅すぎたからだ。スパルタクスはともかく一緒に送ったダレイオスは狂気の中に指揮官としての判断力を保っている。勝機があれば見逃すはずがない。故に、ハンニバルは未だに金床が健在であると考えた。ハンニバルはあの二人の狂戦士を正面に当ててなお、突破ができないとは思っていなかった。ハンニバルの失敗はレオニダスの力量を見誤ったことにある。

 父ハルミカルからかつての特異点の話を聞き、レオニダスが味方に居ない事からその存在は予想の範疇にあったハンニバルだが、その防衛能力は低く見積もっていた。理由はひどく単純で、ぐだ男たちに突破されたからだ。ハンニバルはダレイオスでレオニダスを突破することは難しいと考えていたが、だからこそのスパルタクスだった。ダレイオスとスパルタクスが同士討ちをすることも計算の内だった。宝具の特性上ダレイオスへの損害は軽微であるし、スパルタクスの宝具による魔力蓄積が早まる分むしろ有利に働くとハンニバルは考えたのだ。

 ハンニバルが自らレオニダスを見ていれば、ハルミカルがかつての戦いに積極的に参加していれば、もっとレオニダスについての情報を持っていたならば、ハンニバルが勝利しただろう。そこまで考えてハンニバルは首を振った。意味がないからだ。

 

 既に大局は決した。現段階でそのことに気が付いているのは、ハンニバルを除いてただの一人だ。ハンニバルの右翼で戦いを繰り広げるオドアケルの相手である二人組の一人。三国志における伝説的な軍師。諸葛孔明。その孔明の皮を被った未来人。軽く考えただけで意味の分からない存在であるとハンニバルは笑った。

 

 結局ハンニバルは新たに行動することなく、ただ座して待つことにした。しばらくすれば此処に自らを含めて五騎のサーヴァントと一人のデミサーヴァントが集まることになる。敗戦が確定した以上、話してみるのも一興とハンニバルは考えた。

 

 

 

 以後の戦場はハンニバルの想定通りに推移した。正面は突破できず未だ、立ち往生しており両翼の兵とサーヴァントはハンニバルの本陣への包囲を完成させた。包囲が完成するとぐだ男達が行ったのは敵の残存兵力の掃討。包囲を維持したまま、ハンニバルの金槌、ダレイオスとスパルタクスを襲った。さしもの二人の狂戦士も、数の暴力には勝てず打ち取られた。

 そんな逃げ場を失った状況でやってきたのはハンニバルの配下。二騎のサーヴァントを相手に戦い抜き、無事にここまで退いてきた類稀なる戦闘能力と指揮能力を持つサーヴァント。狂化なども外付けされていない現在ハンニバルが最も頼りにできるサーヴァントだ。

 名をオドアケル。西ローマ帝国の傭兵でありながら、終には西ローマ帝国を滅ぼしイタリア王になった男。ゲルマン人の王。その実績を買われて召喚されたサーヴァントだ。その後は東ローマに屈服し、従属して権勢を誇り、果ては暗殺されるという最期を遂げるのだが、そんなことは西ローマ帝国を滅ぼしたという事実の前に些事と霞んでしまう。サーヴァントとして召喚されたオドアケルは長いものに巻かれる主義と公言してはばからないのだが。

 オドアケルは敗戦の確定した絶望的な状況の中にあって、普段と変わらぬ軽い調子で話しながらハンニバルの前に現れた。

 

「いやぁ、旦那。ありゃむりっすわ。どっちかならともかく両方相手は勝てませんわ」

「お前さんが勝とうが負けようか、変わらねぇよ。ダレイオスとスパルタクスが突破できてねぇんだから、こりゃ俺の失態だ」

 

謝罪をしながらも微かたりとも、申し訳なさを感じさせないオドアケル。ハンニバルはそれに対して自嘲で返答する。

 

「旦那の読みが外れたのだって仕方ないっすわ。人間なんすから失敗ぐらい、ん? 元っすかね? まぁどうでもいいや。旦那ができなきゃそら不可能っすわ。旦那は古今最高の戦術家っすからね」

「最高の戦術家が、この様かい。笑えねぇな」

「自分の戦術に負けて失墜するのは用兵家としての名声っすよ。そして勝ち目のない戦いに挑んだ戦略家としての名声っすよ。戦術家としてのハンニバル・バルカの名は些かたりとも曇らないっす」

 

オドアケルはハンニバルが気を落としているのを初めて見た。驚いたがそれをやはり表に出さず、軽くとぼけてみせて励ます。大将は常に無意味に自信に溢れていなければいけない。打算と同時に戦場に立つものとしてのハンニバルへの尊敬がオドアケルの口を動かした。

 

「んなこた知ってるよ」

 

オドアケルの言葉に一瞬たりとも躊躇わずハンニバルは即答した。当たり前の事をいうなとまで言わんばかりの傲慢にして冷徹な声だ。英雄が自らの軌跡に誇りを持つのは当然のことでオドアケルもそういった矜持を持っている。しかし、ハンニバルのそれは何かが違った。ハンニバルが持つ矜持と、オドアケルの矜持は何か性質が違う。それが具体的に何かまではオドアケルには見当が付かなかったが、だからこそオドアケルはハンニバルに従ってきたのだ。

 

「でなけりゃ俺の名が残る筈もねぇ。けどなぁ、二度目ともなると流石に親父に申し訳なくてなぁ」

「……うすうす感じてたっすけど、旦那ってファザコンっすね」

「カカカカ。悪いか」

 

ハンニバルの次の言葉が出ると同時に、オドアケルにとって心地良い冷えた空気が霧散して、先ほどまでの調子に戻る。オドアケルはわずかな未練を断って会話を続けた。

 二人は敵が、ぐだ男達が来るまでの僅かな時間を軽口を交わし合って過ごした。

 

 

 

 ハンニバルとオドアケルの下に、降伏勧告の使者達がやってきた。ブーディカを撃破したぐだ男、マシュ、ヴラドの三人と、オドアケルを退けたアレキサンダー、諸葛孔明の計五人だ。大将であるネロは頭痛が酷く外に出れる状態ではなかった。どうにか意地で戦場まで来たものの、ずっと寝込み指揮も満足に取れないでいた。

 ハンニバルとオドアケルはやってきた五人を迎え入れあらかじめ用意しておいた卓に着くように促す。先ほどまで戦場の地図や各部隊を表す駒の置かれていた長机だ。

 ハンニバルとオドアケルが一方に、もう一方には孔明とヴラドのみが座った。ハンニバルと向かい合うのは諸葛孔明、オドアケルの正面にはヴラドが座る。ぐだ男とマシュ、アレキサンダーは立ったまま話を聞くことにしたようだ。

 向かい合う四人だったがまず孔明が口を開いた。

 

「一応聞くが、降伏する気はあるな?」

 

半ば確信に近い形で降伏の意志を確認する。孔明はハンニバルとオドアケルが降伏しないとは考えていない。史実を見ても最終的にローマに降伏している二人であるし、何より二人とも闘い続ける人種とは捉えなかった。孔明にとっては問とすら呼べない批准にハンニバルは笑って頷く。

 

「こちらから申し出る予定だったぐらいだ」

「それは良かった。手間が省ける。では聖杯を持つ、首謀者の所まで案内してもらおうか」

 

そこには、敗れたモノの持つ自らへの諦念や勝者への劣等感と言ったものは存在しなかった。あったのは純粋な勝者への賛辞。孔明は予測通りに事が進んだと得心したが、他のものは驚嘆を隠せなかった。潔さとも違うハンニバルの姿が不可思議に感じた。特にヴラドからすればハンニバルの横で不満を隠そうとしないオドアケルや、苦しみもがいたブーディカの方が敗者の姿として相応だと思うほどだ。己ならば、敗北を受け入れた無気力がある。だが、ハンニバルにはそれも、敗者の悲哀もない。どちらかといえば勝者の余裕、否、他人事かのような暢気さの気配すら感じる。

 孔明はハンニバルの態度を追及せず、気にも留めずに聖杯の所へ連れていけという。その言葉に、ハンニバルの様子以上に驚いたのがマシュとぐだ男だった。マシュとぐだ男はハンニバルが敵の首魁と考えていたからだ。それを聞いて孔明は呆れを隠せず顔を顰め、しぶしぶと言って様子で説明した。

 

「まったく。……まず、ハンニバルから聖杯の気配を感じないだろう。聖杯がこの場に無いのは確実だ。次に、聖杯を持つ者が降伏なんてしない。聖杯がある限り勝機は消えない。たとえそれが燃え尽き症候群に常に罹っているような奴でもだ。最後にこの男が聖杯を手にしていたとしたら、遺憾だが。本気で遺憾だが、こと軍略で勝てる奴はいない。まず間違いなく私たちの負けだ」

 

孔明は簡潔にぐだ男達に話すと、ハンニバルの方を向く。そして再び問いかける。これもまた問と呼ぶに及ばぬ只の答え合わせ。分かっていながらも口にすることが重要である。他人が説明して納得させるよりも本人からの言葉の方が信じられやすい。孔明は計算づくでハンニバルに問う。

 

「なにより、貴方に願いはないでしょう。聖杯に託すほどの熱意を貴方からは感じない」

「おう。分かるか。あぁ、折角だ。一つ自分語りでもしていいかい、無理だってんならこのままおとなしくしてるが」

 

ハンニバルは肯定する。その上で嘆願した。これは愚痴だ。ハンニバルを召喚した父親に対する愚痴。今も聖杯の力で見ているだろう敗北を認められない、敗北することを知らない愚者に対する万感の思いを込めた、ただの世間話。ハンニバルにとってこの演説の聴衆はぐだ男達勝者ではなく、父親であるハルミカル。面と向かって言えなかった罵詈雑言の嵐を此処でなら言えるのだ。敗北し父の期待を裏切り部外者となり、未だ完全にカルデアの軍門に下っていない今だからこそ言えるのだ。

 

「お前の言う通り。俺に願いはねぇ。満足して死んだ。失敗もあったし、いや、最期にゃ成功なんてなかったような人生だったが。それに不満はねぇんだ。だってよ。俺は最初の誓いに忠実であり続けた。親父との約束、神への誓いを忠実に、カルタゴの為にローマと戦い続けた。その果てが死だってんならそりゃしかたねぇさ。及ばなかっただけだからな。俺は明確にローマに負けたんだよ。ザマに至っては俺の戦術でだぜ。滑稽じゃねぇか」

 

ハンニバルは嘲けるように笑うと、そこで一度息を吐く。吐き切って、眼を閉じながら思いっきり吸って、目を開いたハンニバルは狂気を宿していた。一息ついただけだというのに何かが明確に変わっていた。敵意はない。悪意もない。ただ対岸の火事を眺めていた人間が、川を渡ってやってきた。それだけだ。マシュとぐだ男は気圧され息を呑んだ。孔明は元から寄っていた眉間の皺を深くした。ヴラドは感嘆の声を漏らし、アレキサンダーも目を輝かせながら笑った。オドアケルは高揚を抑えきれず歓喜の声を溢れさせた。

 

「だってよ、こりゃ戦術(オレ)を超えられないから真似しますっつう降伏宣言だろ? だったら、俺は戦術家としてローマに勝利した。それでいい。それで十分だ。それだけで十分だ。奴らは戦術(オレ)を超えてねぇ。奴らは戦術(オレ)に追いついた。奴らは戦術(オレ)を呑み込んだ。そして奴らは俺を乗り越えた。俺に勝った。ただそれだけだ。どこまでいってもそれだけだ。俺は奴らに負けたが俺の戦術(オレ)が奴らに勝った。だからこそ奴らは俺を恐れた。だからこそ奴らは俺を徹底的に潰しに来た。何故か! 奴らが敗北を認めたからだ。奴らが敵わないと諦めたからだ。奴らが戦術(オレ)に屈したからだ。確かに俺は奴らに負けて奴らは俺に勝った。だがそれだけだ。ただ一つ、最も大きな場所で奴らは戦術家(オレ)に勝ってない」

 

ハンニバルは断じて言葉を止めた。最高ランクの軍略スキルを持つ男の自負に、後の征服王でさえ圧倒された。征服王ですら、戦闘王ですら、ガイウス・ユリウス・カエサルでさえも軍略スキルのランクはBだ。ハンニバル・バルカの持つそれに及ばない。此処にいる者はハンニバルほどの生粋の戦術家ではない。ハンニバルの持つ狂気にも似た矜持を、受け入れこそすれ、完全に理解することは不可能であった。ただ一人、オドアケルのみが、このハンニバルに惚れこんだ男のみが聞き惚れていた。

 ハンニバルはいつのまにやら立ち上がっていた己に気が付くと、苦笑いを浮かべて着席する。同時に場の空気も緩む。オドアケルは内心惜しんだがそれは例外だった。ハンニバルは眼帯を掻きながら言葉を続ける。そこにすでに狂気はない。

 

「だからこそ俺は受け容れた。勝ったからこそ俺は負けて受け容れた。根本的に俺は将軍じゃなくて戦術家だったってこったな。まぁそれはいい。負け惜しみみたいなもんだ。聞き流してくれ。でもよ。本当に負けねぇで終わっちまったんなら、それは。負けてねぇのに敗北を受け入れられる人間は、まぁ、そうは居ねぇんだ。だからこんなバカげたことしちまうし、だからこそ奇跡に縋るんだ。敗北しないまま終わっちまったんだったら、そいつが、勝利を望むことがおかしい事はないだろうよ。なぁ、親父」

 

ハンニバルが父を呼ぶ。そこで孔明が真っ先に気が付いた。聖杯を手にしているサーヴァントが誰なのか。ハンニバルが出張るまで、ローマと戦っていたのが誰なのか。

 

「ハルミカル・バルカ、か」

 

つぶやいたのは孔明。それに呼応したわけではないが、この場に居ないものの声が響く。ハルミカル・バルカが聖杯を介して、ハンニバルに話しかける。そこには戦い敗れた戦士へのねぎらいがあった。それ以上に親子の情があった。子供の心を知らなかった親の後悔があった。

 

「――あぁ。よくやったよハンニバル。まったくもってその通りだ。なるほど。お前がその姿なのは望みがなかったからか。悔いが無かったからだったのか。親だっていうのに、子供の事すらちゃんと見れてなかったんだなぁ。だとしたら、お前には悪いことをしたな」

「そうでもねぇさ。俺は、親父と共に戦えて嬉しかった。あんなこと言っても、なんだかんだかつて成し得なかった難事に再び挑む喜びだってあった。感謝してぇぐれぇだ。ありがとうよ」

「――そういってくれると救われる。だからな。ハンニバル。これは最後の頼みだ。俺を見届けてくれハンニバル。俺はこれから激情に身を委ねる。俺は消えるがお前は自由だ。今まで俺に従ったお前が、今度はお前の在るように生きろ。お前が生きた世界を守って見せろ。ハンニバル。俺を敗北させてみろ」

「任せな」

 

短く一言ハンニバルが答えると、ハルミカルの声は聞こえなくなった。ハルミカルはハンニバルとの接続を切った。ハンニバルは明確に野良サーヴァントとなった。これは一つの親子の決別。敗北しても満足した子と、勝ち続け不敗のまま終わった親の必然。子はいずれ親を超える。それが互いに死んだ後、ようやく明言されただけ。そこに隔意はない。敵意もない、憎しみもない。あるのは親子として互いへの愛情と、戦士としての敬意だけだ。

 ぐだ男やマシュ、他のサーヴァント達の視線に気が付いたハンニバルは、眼帯を撫でて気まずそうにオドアケルに視線を向ける。親指立ててのサムズアップ。ハンニバルは観念して声を上げた。

 

「とにかく、これからよろしく頼むぜ」

 

 

 

 結果だけ述べれば、ハンニバル・バルカ、オドアケルの二人のサーヴァントが自らの意志によってぐだ男達に降り人理修復の側に回っただけの事だ。サーヴァントとして、世界の守護者としての本来あるべき姿に戻っただけのこと。強大な敵が一転して味方になるという、慶事。

 決戦に向けて士気を高めるぐだ男達一行。例外は何かに違和感を覚える孔明と、もはや寝たきりとなり身動き一つとれなくなったネロ。ネロが特異点である以上、これ以上時間を掛けている余裕がないと判断したぐだ男達は、そのままハルミカルの待つ場所へ向かう。

 

 

 

 ハンニバルとの通話を終えて、ハルミカルは笑った。自らの息子が、いつのまにやら一人立ちしていた。あの見た目の理由にすら気が付かなかった己も己だが、言わなかった息子も息子だと頭を抱えながら笑った。ひとしきり笑い終えるとはぁっ、と一息吐いて疑似聖杯に向かう。言い換えれば自殺に向かうハルミカルの足取りは今から死ぬと思えぬほど軽いモノだった。

 

 ハルミカルは己が道化に過ぎぬことを知っていた。ハルミカルの願いを歪め、ネロへの呪いへと形を変えさせたものの存在を知っていた。いや、気が付いていた。気が付いて目を逸らしていたのだ。己の激情に身を預けたのだ。だがこの激情をハンニバルが終えるという。いや、ハンニバルは既にローマに勝ったとまで言い放った。本人の言うように狂気に塗れた負け惜しみとはいえ、ハルミカルの心は救われた。ハンニバルは負けていなかったのだと、そのままに心に落ちた。

 だがカルタゴが滅んだ事実は変わらない。だからこそ、ハルミカルは当初の予定通りに自らを聖杯にくべ新たなサーヴァントを召喚する。否。サーヴァントの枠にすら収まらない、文字通りの怪物を召喚する。不完全な召喚になってしまうだろうが構わなかった。その怪物が目的を達成しても良し。ローマは滅ぶ。達成できぬも良し。ハンニバルが勝利するならば、宿敵がその天敵に救われるという愉快極まりない慶事を以って良しと見做す。ザマぁみろと毒づきながらハルミカルは聖杯の前に立った。

 

「よう、待たせたな。今俺がお前を呼び出す。この身を焼き尽くし呑み込んで、欠片に過ぎない霊核に縋りついて降臨すればいいさ。ハンニバルが俺に引導を渡す。お前を諸共に滅ぼす。ザマぁみろ。お前は俺のついでで無様に消えるんだ。嫌なら世界を滅ぼせ。その手でローマを滅ぼせ。それでも万々歳だ。お前がお前でローマを滅ぼす。ザマぁみろ」

 

 ハルミカルは聖杯の前で笑う。聖杯の呪いに語り掛ける。ずっとハルミカルを侵して、激情を燃えたてさせ世界を滅びに向かうように誘導していたそいつに対して、初めての反抗を示した。聖杯に宿る者こそがローマが誇る神祖ロムルスが本当に防ぎ、耐え続けてきた呪いの正体。それこそが、第二特異点セプテムから続くこの特異点の正体。薄々気づいていたからこそ悪意に呑まれてなお、最後の良心でハンニバルを召喚し、その存在に抗おうとしたのかもしれないとハルミカルは追憶する。故にこそそのハンニバルと決別した今、今度こそそれを召喚する。絶望したからではない。希望を抱いたからだ。

 ハンニバルがいる。ハンニバルにより、これは打倒されるだろう。それを信じているからこそハルミカルは道化である事実を否定せず、受け入れて、その思惑に乗る。召喚に挑む。正しく言えば今、召喚せねば、呪いがネロを蝕み人理は崩壊する。召喚すれば、ネロは呪いから一時的に開放される。呪いが姿形を得て世界に現れるからだ。であればこそ、その呪いの人型を倒せば、この特異点での人理焼却は失敗する。

 既に召喚は始まった。膨大な魔力に耐えながらハルミカルは、ザマぁみろと笑う。これより召喚する存在はローマだ。そのローマをハンニバルは殺し、滅ぼす。ローマ帝国はハンニバルによって滅ぼされ、世界はハンニバルによって救われる。あぁ、其れこそまごうことなきカルタゴの、ハルミカル・バルカの勝利に他ならない。

――本当、頼むぜハンニバル。

それがハルミカルのこの世界での、最後の思考となった。

 

 ハルミカルは己の残り僅かな霊核を聖杯に捧げた。疑似聖杯は全ての魔力をその霊核へと注ぎ込む。膨大な魔力により霊核は崩壊し、聖杯の欠片と混ざり合い新たな核を形成する。疑似聖杯はぼろぼろに崩れ落ち、ネロへと与えられた呪いもその核に流れ込む。あふれ出した膨大な魔力はどす黒い靄となり周囲を侵食する。靄に触れた物体は魔力に耐え切れず崩壊する。やがて靄の中で核を基準とした人型が形成される。靄は人型に触れるとその人型をも侵蝕しようとする。しかし人型は逆に靄を吸収する。周囲の魔力は欠片も残さずサーヴァントとしてこの人型に呑まれてゆく。遂には黒い靄は全て、疑似聖杯を形成したすべての魔力は人型に収束した。

 人型は歩く。この世界を滅ぼそうとする呪いが世界に足跡を刻んだ。

 

 

 

 最初に異変に気が付いたのはヴラドだった。まだ何の異常も起きていない、平時と変わらないうちにヴラドは気が付いた。それは生前の因縁。ヴラドであったからこそ気が付いた。魔力が形を成す前に、その存在が世界に降臨する前に、サーヴァントとしての本能とまで呼べる、生前に刻みつけた宿敵の気配。

 

「これは、この気配は! 奴だ!」

 

突如として絶叫にもちかい大声を上げたヴラドに周りのサーヴァントは皆驚いた。事情を聞こうにもヴラドは狂化スキルでも付いたかのように荒れ狂う。

 

「また奴とまみえようとはな! 此度こそは勝利する! 此度こそは世界を守り切って見せようぞ! 我が杭を以って忘れ得ぬ恐怖を! 幾度でも刻みつけようぞ! 故国を穢した蛮族の長よ! ――メフメト二世!」

 

ヴラドがその名を叫ぶと同時。尋常ならざる魔力の奔流を、全てのサーヴァントが同時に察知した。ロマニは魔力異常に押し流されて通信が途絶した。

 

 だがそれに気づく者はいない。気づく機会すらなかった。皆が皆、衝撃を受けていた。

否、ヴラドのみが気づく可能性があった。だがかつての宿敵の気配に高揚した彼は見落とした。宿敵の気配が歪んでいることに気が付きこそすれ、それはハンニバルのいう歪み切った聖杯の魔力によるものと判断した。その歪みの根本的な原因を推察できなかった。その本質を見切れなかった。

 

 

 

 ロマニはあまりの異常に声を失う。通信が途絶することは今までに何度もあった。慣れているからあわてることはない。また落ち着くまでお茶でも持って待てばいいだけだ。だがこれはおかしい。魔力の異常。それよりもなお重大な事態が進行している。かつてない程に、特異点が揺らいでいた。それこそ、人理を纏めて焼却しかねないほどに。かつて、ソロモンが姿を現したという、その時に匹敵するほどに。

 とにもかくにもロマニ一人の手に余る。ダヴィンチちゃんの工房と、そう、外部の協力者にも。ロマニは急いでダヴィンチちゃんに連絡を入れ、ダヴィンチちゃんがやってくると留守を任せて駆けだした。

 

 

 

 取り戻した帝都の一室。皇帝の部屋でネロは目覚めた。ネロは遠くで自らを呼ぶ声を聴いた気がした。

今までの不調が嘘のように気分がいい。犯されるような快楽にも似た爛れた感覚が体を痺れさせる。気分は最高潮。頭痛もしない。特異点が修復されたのだろうとネロは辺りを付ける。自らの不調の原因が、特異点の揺らぎにあると、ロマニに言われていたからだ。ならば快癒の理由は特異点が修復されたからに違いないとネロは考えた。

そして、同時に急がねばならないという焦燥感に駆られた。原因は分からなかった。ただネロはまた推測した。ぐだ男とマシュの下へ行かなければ、特異点の収束が始まり記憶が失われる前にまた別れの言葉を告げなければ、と。

 そうと決まればネロの行動は早かった。宮廷を抜け出して駆けだす。ネロに理由は分からないが、マシュが、ぐだ男が皆が居る方向が分かった。邪魔する部下を押しのけてネロは、本能に任せて火照る体に鞭打って決戦の地へ向かう。

 

 

 

 

 

 あるいはあのカエサルよりも心地よい、あのロムルスよりも安心感のある声がネロにのみ聞こえた。全てを捨ててでも、共にありたいほどの悦楽と官能を乗せた、それでいてどこかで聞いた声がネロの脳内に蕩けた。

――そうじゃ。それでよい。妾と共になろう。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。