喜を~】
ここはキッツランド大陸西のはずれ、デルバール島。この島は漁業と観光業に経済面を依存した、今にも大国に飲み込まれそうな小国である。常は波濤穏やかな海に船が幾隻も並んで、割れた石畳の上島民が名物のオレンジ・キャロルをかじって往く、平和な島であった。――そう、ただ一点をおいては。
◆
「では、オープンといこうか」
今はそのデルバールに宵闇が忍び寄ってきている。闇は赤煉瓦の街並みを容赦なく冷やし染み入って、あたりを暗色に染め変えてしまう。海の果てに太陽が吸われ消え去っていく、その折に彼女は叫んだ。
「ダイヤのエース、ハートのクイーン、そして、二枚のジョーカー! ほれごらん、あたしの勝ちだよ!」
人相の悪い男らとの賭けものに勝ち、うら若き娘は喜びに顔をほころばせている。娘の名はアリア・ロサージュ・イノヴィア。ロサージュはキッツランド語で薔薇を、イノヴィアは常には聞かれぬが、命、という意味がある。確かに、今年で十七になった娘アリアの美貌は薔薇のごとく、眼をひくものがあった。うねった黒髪が白いワンピースのスカートひだまで届き、鼻筋は通り、紅い唇など彼女の燃え立つような情熱のありかを示していた。中でも特筆すべきは、その金の瞳であった。それは占いをする魔女に言わせれば【神から愛されたあかし】であったが、町の民からは【神に疎まれてこの世に落とされたあかし】として、毛嫌いされた。それゆえ、だろうか。養母のシスターの運営する修道院にいながら、このように悪い連中とカードで賭けを繰り返すのは。
(あたしはみんなから疎まれている)
孤児ゆえ、本来は弱者に優しく、寂しがりやである。排斥されている、疎まれている。 そう思うと彼女の胸は、どくどくと鳴り響いて、頭を悲しみの音色で満たしていくのであった。しかし、アリアはそういったことを見抜かれるのが大嫌いなので、わざと悪ぶり、強がった。
「さあさ、あんたら用意はいいかい? このカードの並びじゃ三十ベスタは確実だよ! とっとと耳を揃えて」
「何をしているのですか、アリア」
お出し……と言いたかったアリアのその耳が、修道服をまとったシスターによってつままれ、次には首根っこをおさえられる。
「げえっシスター!!」
振り返り、驚きおののき、アリアは言葉をなくす。常は強がり、町の品位を落とす不良として名を馳せたアリアも、この養母には弱い。なにせシスターは上背もあり、瞳は涼しく、鼻梁高く、黙っていたら紫のバラのように品と威厳があって美しいのだ。
「この娘は連れて帰ります。みなみなさま、ごきげんよう」
シスターによって古びた、烏色の屋敷から連れ出されたアリアは、ぶうと口をすぼませた。
「ったく、せっかく勝ってたのによ」
「おバカさん。あのようなごろつきが、お金を出すかと思いますか。まったく、あなたときたら夕のお勤めの際はいつもいないのだから。いい加減私はあの連中と顔見知りになりそうですよ」
「へえへえ、申し訳ありませんでしたー」
このアリアのまるで反省の色がない態度にも、シスターはほうっとため息をつくばかりで矯めようとはしない。そうしたとて無駄だとわかっているからかもしれない。それに。
「せっかくあいつらが巻き上げて、修道院の屋根の修理にでもあてようと思ったのによ」
彼女のこの一言に、シスターが思わず微笑む。
「嘘おっしゃい。お前はそんな殊勝な子ではありません」
「あー! 疑ったなー!ちくしょーシスターったらいつもそうなんだもんなー」
アリアの機嫌を損ねたと思ったか、シスターが急に、にこにこしだす。
「はいはい、それより修道院に早く戻りますよ。夕餉が出来ていますからね」
「うお、飯か楽しみだ」
金と飯と男を愛するアリアのことを、シスターは呆れながらも憎くは思っていないのであった。
◆◆
ぼろぼろの修道院に戻り、アリアは抜け出しの罪で夕餉のあと作務を言いつけられた。白亜のだだっぴろい、歴史だけはある教会の清掃である。少ない水に布をあてて、しみ込ませ、アリアは悪態をつきながらも一人、拭き掃除を始める。
「ったく、ちくしょーシスターめ。いつかあそこで荒稼ぎしてこんなぼろい教会潰してやる」
そんでもって新しい、綺麗な掃除の必要のない教会を建ててやるんだ。そうまでは口に出さないのが、この娘の可愛いところで、シスターに気に入られる一因でもあった。
教会に祀られるは、全知全能の神としてこの大陸で広く崇められている、ロド、という神であった。男の姿をしていて、身を押し包む黒い衣の裾が翻っている像が多い。それはこの争いの多い大陸のうちで崇拝される、戦の神、だからであり、その翻る裾は波間をかきわけても争いに赴き、その黒い衣はいかに血に濡れそぼっても戦い抜けと、そういった意味合いが込められていると聞いた。それゆえに顔だちがやや恐ろしく、歪んでいて、腰にささる剣が抜かれていないのまた恐怖を誘う。
(何で、こんなのが崇拝されてんだろ。このせいで、このせいで……)
像を強い力で磨きこみながら、アリアの表情が引きつっていく。
アリアは戦争孤児だった。先の宗教戦争で、ロドを崇拝するものとそれを否むものとで争いが起こり、火種はこの国でも黒く芽吹いた。ひどい戦争だった。多くの民が家を失い、家族を失い、深手を負った。今でも五年前のことはありありと覚えている。砲弾が破裂し、腕を飛ばされながら必死に娘を探す母親、黒焦げになった父親を揺り動かして号泣する少年たち。
(戦争で犠牲になるのは、常に弱者だ)
アリアはつぶさにそれを見聞きしてきた。それゆえ彼女は戦争を忌んでいたし、それをあおるような姿のロドのことも、好きではなかった。戦争終結から五年。最近は天災が多く、豪雨も降り続いた。おそらくまたどこかの誰かが言い出すのであろう。
(このような天災は、ロド様を崇拝しないものがいるからだ)
そして争いはまた続いていく。何か、止める手立てはないものか。
「ちょっとお、アリアさん?」
ふいに、ロドから意識を取り戻され、アリアは驚いたままに振り返った。同じく修道院にいる修道女のセイミーに、眼光鋭く睨まれているのを知った。
「あなた、いつまでそんなに拭き掃除しているつもり? とっととこちらの部屋掃除も手伝っていただきたいものだわね」
「……へいへい」
アリアは不愉快を顔にみなぎらせ、祭壇をおり、セイミーのあとについていった。
(ったく、せっかく人が考えごとをしていたってのに)
それから彼女はこんなことを心中考えた。
(――ロドをめぐる争いがやむ為には、ロドが死ねばいいんだ――)
あるいはもしこの世にいるのだとしたら。
(絶対あたしが殺してやる。人の命を奪う神なんて)
そのとき、少し、地が揺らいだ気がした。
◆◆
あの日の記憶は、いったいいつのものなのか。それも知らぬまま、アリアは夢の中であの日にいた。黒焦げの二体の死体。その脇で泣き叫ぶ幼いおさげの自分。それへと強い腕が伸びてくる。黒い袖をそよがせる、強い腕が。
はっと眼が覚める。もろい古い木のベッドからは、蜘蛛の巣かかる天井が見えた。朝霧の冷たさがひそやかに伝わってくる。
(あれはシスターだと、思っていた)
だけど、あたしを抱きすくめた腕は、あの力の強さは、女のものではなかった? それにあの黒いローブ。
(まさか、あれがロドだったりしてな)
陽光はいまだ射してはこない。
はは、と乾いた笑いをかみ殺して、またアリアは夢へと落ちていった。
◆◆
翌日の朝の作務も散々だった。養母アナスタシアでない、いじわるなシスターによって、枯れ果てた薔薇をへし折って捨ててこいと命じられ、それはアリアの細い手指をいたく傷つけた。薔薇のとげが指に食い込み血を膨らますたび、アリアの心中はむなしさを感じ、また気持ちが鬱屈としてくるのであった。
そんな訳で無論夕の作務になど出ず、アリアはまた町に繰り出した。途中、地鳴りが聞こえたが、何もなく無事目的地に着けた。烏色の寝床、と名付けたぼろの屋敷に入り、悪友たちとカードで賭ける。今日は珍しくシスターが来なかったので、アリアは存分にゲームに興じることができた。
「まあたアリアのやつに負けた! ほんと、お前さんの強運ぶりには舌を巻くよ」
「そうだそうだ。こんな噂を巷で聞いたが、お前ら知ってるかい」
葉巻の細いのをくゆらせながら、男の一人がランプの薄明りのもとで口走った。
「なんでも、もうすぐ世界の終わりが来るって話だよ。巷じゃ女子供がみんなおびえてるってさ」
「ははっ」
これにはアリアも、他のひげ面も笑った。世界の終わり? 確かに最近は地鳴りや揺れが多少はあるが、とてもそうは思えない。まして、先の大戦で疲弊しきった世界の国々が、再び争いに立たんとなどするはずがない。
「いや。どうも本当らしいんだよ。そいつらがいうには、ロド様が怒っておられるって。先の大戦で自分の名で戦が行われたことにお怒りになって、この世界を滅ぼすおつもりだって。それがロドこそ邪教だって言い張るやつらともめているらしくってねえ」
「おお、こわこわ」
「……また、戦になるかもしれんな」
ひげ面たちが大仰に肩をさすってみせる。アリアは微笑をたたえながら、内心は複雑であった。また、ロドのせいで――。
「こんな話もある。なんでも王都には、この上なく美しい姫さんがいて、それを天上のロド様の妻にさすべく生贄として殺さねばならないというんだ。でないとロド様のお怒りはおさまらず、この世が、この大陸が滅ぶって話だ」
「へえ、それは興味深いな」
この返しに、思わず面々、後ろを見やる。そこにはこのごみだめのような場所に降り立った、孔雀のように華やかな美男が立っていた。男は枯れ葉色のシャツにズボン姿で、決していい仕立ての身なりではなかったが、それでも一目で身分の高さがうかがわれた。
「その話、もっと伺いたいものだ」
「あたし、興味ないね、そんなん」
アリアが吐き捨てるように言うと、その男は少し困ったような表情を見せる。
「ほら、男前、賭けなよ」
アリアがそう言うと、男が財布から二千ベスタ札を出したので、みなみな驚いた。ベスタは本来金色のコインであって、札などはこんな僻地にて見られるはずがなかった。それほど物価の隔たりがあったのである。貧しい僻地はさらに貧しく、都市はさらに発展するような経済政策が神官によってとられているせいだとは、僻地の面々にわかるはずもなかった。
「よし、俺は二千ベスタ賭ける。もし、それでこの勝負に勝ったら」
「勝ったら?」
みなが尋ねると、男は。
「この娘を俺のものにしたい。どうだ、いいだろう」
と、にわかにアリアの腰に手をまわし、にやと、笑んでみせた。わお、と男たちは歓喜と興奮の渦に包まれ、
「面白れえじゃねえの」
などとのる気をみせた。肝心のアリアはというと、ちっと舌打ちしながらも、いやな気はしなかった。もともと金と美男が大好きな女であるから、一時はそれも一興と思ったのかもしれぬ。どちらにしろアリアは本気にはしていなかった。
「いいよ。じゃああたしが勝ったら、その二千ベスタは全部あたしのもんだ」
あたりには安酒と古い煙管の匂いが饐えて広がっている。やんややんやと盛り上がるうち、ふと気が付くと一人減り二人減り、おやじたちの姿が消えていった。みな、
「眠くなった」
だの
「気持ち悪くなってきた」
だのして、ねぐらへ帰っていった。アリアだけは賭けに夢中になっていた。はたと目線を上げると目の前には先ほどの美男しかいなくなっていた。
「おや、おひらきかい」
そう言ってアリアが立ち上がり帰ろうとすると。
「おい」
男が声をあげて呼び止めた。
「まだ賭けの商品をもらっていないんだが」
「なんだい、それ」
「賭けに勝ったら、あんたを頂くといったろう」
男は好きだが、美しすぎる男も、粘着質な男も嫌いなアリアは、途端に不機嫌になった。
「はあ? 本気だったのかい? 悪いけどあたしらみたいな育ちの悪いのは、嘘をついて場を盛り上げるのが大好きなんだ。さあ、わかったら帰っておくれ」
「そうはいかないな」
あん? とアリアが怖いような瞳で睨み据えても、男は微塵も介さない。
「あんたには大切な責務があるんだ。この世を救うという、な」
「ああ? 何言って……」
おわっと声を発したときには、既に男に押し倒されていた。飴色の床が近くに見える。それから上には、碧色の瞳をした、ブロンドの美しい男の顔が。
「なっ何しやがんだい!」
「俺とともに来てもらおう。わがマスターのために」
世界を救う? わがマスター? アリアの頭が疑問符でいっぱいになっていく。さっきからわからないことだらけだ。皆の言う、世界の終わりの話も、この謎の男がいう話も現実離れしておかしい。
「いいか。今からいう話をちゃんと聞けよ。お前はな、伝説の巫女の……」
「ふんぬ」
「ぐわっ」
押し倒され、伸びていた足を彼の股へ蹴り上げるようにすると、男は鈍い悲鳴をあげ、もんどりうった。うししとアリアがほくそ笑んで去っていく。
「あんたが何を考えてるかしらねーが、あたしはただの田舎のやっかいもんさ。そんな変な話をして、いちいちからかわないでおくれ」
じゃあな、と手を振り、修道院に帰ると。
珍しくシスターが入口にいなかった。おかしい。普段なら門のところで、地獄の使者みたいな顔つきで仁王立ちしているのに。今日はいない。
「シ、シスター?」
おそるおそる灯りともる教会に入ってみると、シスターはそこで一人、何かを必死に祈っていた。ロド像にひざまずき、手を組み合わせて、ひたすらに祈りをささげていた。そこでアリアははっとした。あの気の強く、冷静沈着なシスターが涙を流していたのだ。これにはアリアも驚いた。
「シ、シスター。何を泣いているんだ……」
ふいにシスターが振り返る。ようやっとアリアの存在に気が付いたか、シスターは気丈にも涙をひと拭きで拭い去り、それからはいつもの凛呼とした表情を見せた。
「……いいえ。ただあなたの帰りが遅いので、ぐれていないか、男に身を任せていないかと不安に思い、祈っていただけです」
「あ、ああ。そうかい。悪かったね」
それから、アリアも常の元気な朗らかな声音で。
「いやー今日変な男に会っちゃってさー」
ぴくり、とシスターの背が震えるのを、アリアは気づいていない。
「あたしが世界を救うだとか、マスターがどうのこうのとか話し始めてさーいやーったくまいっちゃうよね。変人ってこれだからいやだね」
「アリア」
その時、いつもに似ず厳しい声音がアリアへ飛んだ。
「この修道院を、出ていきなさい」
「……は?」
この突然の物言いに、アリアは驚いて目を見開く。その金色のまなこを見やって、シスターがうつむく。
「あの御方の使者が来たということは、世界の終わりが近いということ。もう、お前のことはここでは救いきれません。どうか出ていって。この世界のために」
「な、なにを言っているんだよシスター……」
「明日の朝には出ていくようになさい。私からあの御方に手紙を書きます」
「は、はあ!? 何言ってんだよシスター! あたしはっあたしはいやだよっ確かにあたしはやっかいものだけど、あたし、あたしはあんたを……」
ほんとの母みたいに思って……。その言葉が発されると同時に、教会のステンドグラスをたたき割って、黒馬が走りこんできた。黒馬はつばきを口にみなぎらせ、歯を見せ口の端を怒らせて唸っている。その上には宵色のローブを纏った謎の人物が、馬首をこちらへ向けている。
「きゃああああ」
その悲鳴もそのままに、シスターがアリアの腰をかきいだき、教会を走り去る。
「シ、シスター、なんだよこれ、どういうことだよ、これ!」
震え声ながら必死に叫ぶアリアへと、シスターが早口で怒鳴る。
「詳しく話す時間はありません! 早くあの御方の使者のところへお行きなさい! そしてこの世界を、救って……」
「シスター……?」
銃声がとどろいてすぐ、シスターはバランスを崩し、床になだれた。
「シスター、シスター! ひっ」
シスターを揺り動かさんとした時、アリアは彼女から流れ出ていく大量の血に触れて、思わず青くなった。
「アリア、どうか、この世界、を……」
「シ、シスター? いつもの冗談、だよ、な……シスター……」
もう何度揺り動かしてもシスターは動かなかった。ただただ、いつも自分を案じてくれたその顔が冷え切って、死相をあらわしてゆき、もう二度と、彼女はほほ笑んでくれなくなったことをアリアは悟った。
「シスター、シスターをよくも……」
その時、アリアは自分が紅い色合いの涙を流しているとは知らなかった。ただ自分が怨嗟の言葉を並べるうち、黒馬に乗った男が身をよじって苦しみだしたのはわかった。
「よくも、よくも……」
身をよじって落馬し、地に倒れ伏す男の後ろで、またローブを纏ったものが馬で走りこんできて、アリアに銃口を向けた。そこで、ガラスを割れる音が響き、現れたのは今朝の男であった。今度は碧色の軍服を纏い、金のタッスルを揺らして庇うようにアリアの前に立ちふさがる。
「わがマスターに害なすものよ。死んでもらおうか!」
碧服の男が短剣を抜き去って放ると、それは見事に敵の胸を刺し、またその者も倒れた。馬蹄はなおも外で続いている。おそらくこれきり、二人きりで来ているのではないだろう。
「さて、逃げるか」
「嫌だ」
「なぜ」
男が急いた口調でも微笑みながら尋ねると、アリアの瞳には涙が次々たまっていった。
「シスターが、シスターが死んじまったんだ……シスターが、シスターは」
そこで極まったがごとく、アリアは泣きじゃくった。
「シスターが死んじまったんだよ! あたしのことを誰より案じて、愛してくれた人が……」
「シスターは、何か、言っていたか?」
これに、アリアはおぼろながらも思い出したことがあった。あの御方の、使者に……。
「あの御方の使者のもとへ、と、言って、いた……だけど、あの御方が、あたしにはわかんないんだよ」
「案ずるな、それは俺だ」
「あんた、が?」
いまだ何も分からなく、混乱したままのアリアへ、男が強いまなざしをしたまま頷く。
「そうだ。お前を迎えに来たんだ。これからはシスターの代わりに俺がお前を守る。ずっと、ずっとな」
「どういう、ことだい」
「まずはとにかくここから逃げるぞ」
自分を横抱きにかかえ、走り出す男に、アリアは抵抗を示さなかった。自分を狙う者たち、殺されたシスター、自分へとむけられた銃口、それから守ると告げた青年騎士。碧色の軍服は王都にいる王の直属の近衛兵のあかし、とは知っていた。これから導き出せるは、自分は何か大きなものに狙われている、ということだった。それも利用されて生かす、というたぐいのものではなさそうだった。あの黒衣のものたちはまっすぐ、自分に銃口を向けた。殺す気なのだ。何をおいても。
教会裏の地面にうがたれた穴は地下通路になっていた。そこをくぐり、郊外に出たときにはもう、空は朝もやが澄んで、青い空が見えていた。青草をわたる風のなか、丘の草原に二人、立つ。
「あんたらは、何なんだい」
もう涙を流し切った顔で、アリアが問う。男がひざまずいて、アリアへと述べる。
「アリア、もうじきまた戦の種が芽吹くかもしれない。それを救えるのはお前だけだ。どうか、助けてほしい」
「どういうことだ」
「あんたも、生贄の話は知っているだろう」
それへ、アリアがうむ、と顎をひく。
「あの、姫君を犠牲に、という話だろう」
「そう、しかしその姫は何の罪もないばかりか、王族の末、我が国の尊ばれるべき神官だ。その御方を殺させる訳にはいかぬ。だが先ほどのローブのものたち、ロドの苛烈信者たち通称ネシスは、本気で姫であり神官であるマリアンヌ様を殺し、この世の異変と終わりを終焉とさせようとしている。われらはそれを何としても止めねばならない。その為にお前の力が必要なのだ」
「でも、どうやってあたしが」
「それは簡単だ」
ふいに近づいて、アリアの涙でこごった前髪を、男が撫でてやる。
「お前はマリアンヌ様と容姿が非常に似ている。姫はお命のため、城の深くに身を隠され、神官を下りられる決意をなさった。これからはお前が神官になるのだ」
「なっ」
「もちろん、お前のことは俺たち近衛兵が全力で守る。頼む。神官であり、王族である姫がロドの信者によって殺されれば、戦が起きるは必定。またあの惨劇が繰り返される。それを阻止するために、お前の力が必要なんだ」
「……っ」
アリアは先達の戦の酷さを思い返していた。確かに、ロドの信者によって姫が殺されれば、また大きな戦になるだろう。何か、したいと思っていた。神を殺そうと思うほど、戦を防ぎたいと、思っていた。まして敵は、大切な母を、シスターを殺した。
決して、許さない。
「……わかったよ」
「! 承知してくれるか!」
青年騎士の顔が喜びに晴れ渡った。アリアが、くす、とほほ笑む。
「大したことができるとは思えないが、助けにはなってやるさ。戦はもう、いやだしね」
「いいや、ただ生きているだけでいいんだ。ありがとうアリア!」
それから青年は額づいて。
「俺の名は近衛騎士団アランだ。長い付き合いになりそうだ。よろしくな、アリア」
「ああ」
アリアは、アランの手をとり、淡く微笑んだ。こうしてアリアは史上類を見ない、神官であり王族でもある少女の身代わりとなった。それがのちに、どんな残酷な結末を迎えるかもしらずに。
【第二章】
――アリアは夢を見ていた。もやのかかる、淡い、血なまぐさい夢。そこではシスターが、黒いローブの男に崖の上に連れていかれ、地に落とされガラス片のように粉々になっていく。そんな悲しい夢だった。
「シスターっシスターっ」
声を発そうと思っても、喉がふさがって声が声にならない。黒いローブの男がこちらへ振り向いた。その顔は歪んでいる。この男は――ロドだ。
「ロドっ」
ロドの黒き腕が勢いよくこちらへ伸びてきても、アリアはひかなかった。
「ロドっあたしは、あんたを、あんたの造ろうとする運命を、変えてみせるっ」
ロドの腕が、アリアを捕らえる。その間際、だった。
馬のいななきと同時に眼が覚めた。
「ん……」
ここは馬車の中であり、今は騎士のアランがそばにいて、こちらを心配そうにうかがっていたことを認めた。
「大丈夫か、うなされていたぞ。アリア」
「ん、ああ」
アリアは頭をかきかき、おどけるように笑った。そう、大丈夫。自分は今から神官に化け、戦神ロドの作ろうとする未来を変える。もう二度と、誰の犠牲も出さずに。――シスターの笑顔が思い起こされる。
(シスター、あたし、あんたのためにも、やってみせるよ)
馬車の小窓のカーテンを、アランが勢いよくひく。そこにはオレンジ屋根のどこまでも続く、海辺に沿うた美しい街並みが広がっていた。
道にはオレンジの皮が花弁のように落ち、石畳にはロマンチックな貝殻があたりにちりばめられている。
「ここが……」
アリアがぽつり、言うと、アランがにっこりして答える。
「そう、キッツランド本土の大国、ミランシェ王国だ。ここに、姫君がおられる」
◆
朝の光を受け、たてがみそよがすままに黒馬がひく馬車は丘の上の城にたどり着いた。城は町の中心部にあり、青の屋根をそびやかし、尖塔がいくえも青空を持ち上げているような高さを誇っていた。
そこに着くなり、アリアは、はああと大きく欠伸をした。長旅で疲れているのだ。眠りも浅く、嫌な夢も見た。彼女にとっては何気ない仕草だった。そこへ。
「違いますアリア様っ」
いきなり叱声が飛んできて耳に刺さった。アリアが一歩踏み出した、市松模様のホール奥より、一人の女がやってきた。
女は碧色の軍服を纏い、ブルネットの髪を肩のあたりでゆらめかせた、高慢そうな美々しい女だった。
「城の内部で欠伸をなさるのは、巫女様にふさわしくありません! おやめなさいませ!」
自分より年かさには見えるが、背丈が低い。そんな彼女に叱られて、アリアは一瞬困惑した。が、すぐに田舎のヤンキー魂で言い返した。
「なんだってあんた。あたしは長旅で疲れてるんだよ。なのに欠伸のひとつも許されないとは、どういうこったね」
これに、女は嘆息し、眼を思い切りとがらせた。
「まあ、まるでなっていない発音! いぎたない声! 聞き苦しい言い訳! これは相当の時間を頂きますわよ、アラン様」
女の冷たい一瞥に、アランが苦笑を浮かべる。
「まあ、よろしくやってくれ。マーガレット」
マーガレット? この苛立たしい女は、マーガレットというのか?
「そうですわアリア様! わたくしこそ、近衛兵団の一員にして、元は子爵家の出としてあなた様の指導を承る、マーガレットと申します! 末永いお付き合いになるかと思いますので、どうぞ、お見知りおきを?」
マーガレットの高慢な目つきに、アリアが思わず噛み付く。
「はあああ? どういうことだよ! なんであたしがこんな女の指導なんて受けなきゃいけねえんだ!」
「まあああ、なんて粗野なお言葉! わたくし、耳が腐りそうですわ」
「なんだとおお」
二人の諍いに、アランが困り顔で仲裁に入る。
「まあ聞け、アリア。お前が今から扮するは、この国の姫君にして神官だ。姫は美しく、優雅で気品のあるお方。その方に化けるには、お前も、そういう雰囲気をまとわねばなるまい、ということだ」
「はあ? やだよあたしがそんな」
「頼む! 二か月後には舞踏会もある。そこでお前の正体がばれて、ネシスに見抜かれればこの目論見は水の泡だ。どうか、頼む」
アランの真剣なまなざしに、つい、うん、と言ってしまったのは、世界を救いたかったからか。はたまた違う理由か。それさえも今のアリアにはわからなかったのであった。
◆◆
「そうではありませんアリア様っ」
その日から、マーガレットによりアリアへのレディ教育は始まった。それは熾烈を極めるスパルタ教育だった。怒り気味の肩をならすため、岩の入った籠を二時間両手に持たされ、直立も二時間、歩き方も三時間と、鄙出身のアリアにはきついものが続いた。ようやっとそれらが終わり、洒落た調度の部屋に帰され、一息つく。すると、部屋のベッドには発声のテキストがびっしり隙間なく並べられていた。これではまるで寝られない。
「お、おいあんた、あたしはどこで寝ろってんだい」
アリアが思わずそう詰問すると、マーガレットは。
「そのご本はお読みになったらベッド下にお置き遊ばせ。それまでは眠る間も惜しんで勉強ですわよ」
平然とした顔で部屋を出ていった。
「くっくっそー!! 」
アリアが怒り心頭で、テキストを次々破ろうとする。そのとき、部屋をノックする音が響き、アランが顔を出した。
「どうだ、やはり難しいか」
「アランっもうあたしは疲れて疲れて。こんなの、やっぱり無理だよ、あたしみたいな、田舎の、血筋もよくない不良娘みたいなのには、気品なんて、身につけられないよ……」
疲れているのか、珍しく弱音を吐いてしまうアリア。そんなアリアの髪を、柔らかく撫でて、大丈夫だ、とアランが微笑んだ。
「あきらめるな。この俺様がお前が見込んだんだ。きっとあきらめなければかなう。そう信じろ」
「そうかな……」
アリアが潤んだまなこでアランを見つめる。柔らかくアランが破顔する。
「そうだとも、だからお前も、俺様が見込んだ女なのだからと、自信を持て。きっと、うまくいく」
ほら、と、アランはそれから背後より手をまわして。
「わあ」
しょぼくれていたアリアの顔に、灯りがともる。そこには故郷デルバールの花である、ひまわりが幾本も顔を見せた。
「デルバールはひまわり栽培がさかんだと聞いてな。ホームシックを少しでも癒せるかと、もってきたんだ」
アリアがアランからひまわりを受け取る。故郷デルバールの香りがする。それは優しい特効薬として、深くこころに染み入った。
「ありがとうよ、アラン……」
「お、ようやく笑ったな。お前は笑っている方が可愛いよ。元気を出して、へこたれるな。話くらいは聞いてやるから」
そうして頭をごしごし撫でられると、いらだちの代わりに、不思議な感情が湧いてきた。なんという気持ちなのか、それはわからない。けれど照れくさそうに笑うアランを見ると、胸がどくどくと、歓喜に震えるのだ。
「な、なあ、アラン」
「ん? なんだ」
なんとなく、アランをこのまま帰したくなくて、もっと話していたくて、アリアが声をかける。
「あの、その元の神官マリアンヌ様は、どんな方だったんだ?」
「それは、な」
急に、アランの声が世にも穏やかな優しい声音に変じたので、アリアは少し落胆する。男のその瞳は、熱を帯びたその瞳は、確かに恋をしている眼であった。
「先の戦で俺が敵国の将を討ったとき、拝謁願ってな。それはそれは美しい人だったよ。お前にも似ていられるが、なんというか、常人離れしたオーラを漂わせていた。あの御方は月だ。薔薇だ。見る人の心を惑わせ、不安にさせるほど美しい」
これを聞いて、アリアがほうとため息をついた。世にも美しき薔薇に、鄙のひまわりが勝るはずもなかった。そのことになぜこのように落胆と寂しさを覚えているのか。そんな自分の気持ちが分からなかった。
アランがふいに、アリアの顎をすくい、微笑んだ。
「だが俺は、太陽に向かって一生懸命に咲く、ひまわりも、可愛いと思う」
「な、なんだって」
「――薔薇だけがすべてじゃないよ、アリア。お前はお前の花を咲かせなさい」
アリアがこころ千々に乱れたのを見てとったか、アランはさっと背を翻して部屋を辞した。残されたのは、ぼうっとなって頬を紅潮させる、アリアのみとなった。――破ろうとしたマナーのテキストはすべて、マーガレットの手書きだった。丁寧に絵入りで、不器用ながらも何十枚も書いてある。時折、頑張って、とメッセージも寄せてある。
「ちぇっ」
素直じゃないやつら、め。
「もう少し、頑張ると、するか」
そうしてアリアはテキストを開き始めた。
◆◆
そして迎えたミランシェ王族主催の舞踏会の夜。舞踏の間とあてられた大広間には、金の床を優雅に泳ぐ、名士貴族の姿が数多見えた。みなみな、昨今の地揺れや地鳴りなどの話題を一度は口にするも、それよりこのダイヤはどうだ、このシャンデリアは、といった自慢話に花が咲いた。そのとき、数百はいる招待客へと、扉の開閉を任されたアッシャーが、大声でかの女性の名を呼んだ。いよいよ姫君の登場である。
「ミランシェ王国第一王女、マリアンヌ姫、ご入来!!」
次には舞踏を終え、ホールにずらりと詰め込まれた招待客のみなみなが声を失った。美しき騎士、アランと、その側近マーガレットに連れられ現れたのは、世にも美しい容貌の女だったからである。純白の、裾にレースをたっぷりあしらったドレス、身に着けたパールもかすむような、美しい花のかんばせ。金の瞳が月光に浴して、光を放つ。それが攻撃的なものでなくて、どこか宝玉のような光を放っているのが、気品高く優雅で聞こえた王女らしい。姫は階段を下りる際も、決して首を前に突き出して、見苦しく歩を進めるでもなく、きちんとみなみなに会釈をしながら優雅にこちらホールへ歩いてくる。
「あ、あれがマリアンヌ様」
「噂に聞いた通り、息をのむほど美しいわ」
女性陣からも思わずそんな声が出るほど、アリアは美しきプリンセスを完璧にこなしていた。
「一時はご病気と疑ったが」
「それもでまだったか。ん?」
そのとき、アリアは出されたフルーツ入りのよく冷やしたカナッペを、口に運んだ。そのしぐさがいかにも、品があって、事情を知るものもはらはらさせない。
「マリアンヌ様っ」
「マリアンヌ様」
みなが我さきにとアリアに近寄る。そうして発する声はまさに天上のハープが如し、柔らかで耳に心地よく響く、王侯貴族の発音だった。
アリアがみなに囲まれている間、アランはマーガレットとひそかに赤ワインをくゆらせ、乾杯していた。
この舞踏会は成功だ――。誰もがそう確信した、そのときであった。
ガラスの割れるけたたましい音が響き、ローブを纏った怪しげな男たちが会場に乱入してきた。
「あっあれはっ」
黒のローブに金色の鍔の剣、金の短砲。まさに今、ロドの苛烈信者、ネシスが大挙して押し寄せたのだ。その数数十と見えようか。
「お前らは下がってろ! マーガレット、アリアを頼む」
近衛兵がわっとネシスに襲い掛かり、あたりは騒然となった。正装の裾を踏まれ破かれながら、逃げまどう人々。高いダイヤを捨て去っても、身軽に走ろうとするレディ。ネシスの一人がシャンデリアを撃ち落としたので、あたりは燭台のみの薄闇となり、パニックは極限に達した。
アリアは必死で城を逃げまどう、マーガレットの腕を掴んでいた。怖い。怖い。ロドに、殺される――。夢の中では立ち向かえたのに、実際に血煙けぶる現実に置かれると、それはあまりに恐ろしかった。城の奥へと逃げるマーガレットの腕。だが、宵闇を逃げまどううち、アリアははたと気づいた。その腕の力は、女の力ではない。そしてマーガレットだったはずの碧色の軍服は、いつの間にか黒のローブにすり替わっている。このものは、ロドの苛烈信者、ネシスだ……。
ぞくうっと背筋が凍りつくような予感にかられながら、立ち止まってアリアが問う。
「あんた、誰だ」
「はは、見抜かれた?」
男がローブを脱いだ。けぶったような黒髪に金の瞳が、闇にまがまがしく照り輝いている。
「やあ、はじめましてアリア。俺の名はルシフェール。ネシスを率いる、闇の神官さ」
「闇の、神官……?」
「そうとも」
なぜ、この男は自分の名を知っているのか。それもよく問いただせないままに、アリアは彼の次の言葉を待った。
「あんたがあのマリアンヌの代理神官というのは、ネシスならみんな知っているよ」
「な、なぜ……」
「いくら上手に化けたって駄目さ。あんたは、マリアンヌのようにはなれない。だってあんたは……」
おっと、とルシフェールが慌てて口に手をあてた。
「これを話しちゃあ、あんたは絶望の淵へ落ちてしまうだろうから、言わないね」
何か、あるのだ。隠していることが。
「どういう、ことだ」
アリアがきつく問いただそうとする。その瞳が紅く染まっていく。それをちらと見、ルシフェールがけたけたと笑った。
「はは、勘弁してくれよ。俺は光の神官とやる気はないんだ」
「アリアー!!」
そのとき、背後からアランの急いた声が聞こえてきた。近衛兵が集ってきているのだ。
「さて、じゃあ俺は帰るとしようかね」
「待てっ」
アリアがその袖を掴もうとする。
「絶望の淵に落ちるとはどういうことだ! 」
「いずれ、わかるよ。みんな隠しているだけでね」
そう、意味深長な言葉を残し、ルシフェールは煙のように姿を消した。
◆◆
「アリア、大丈夫だったか?」
「ごめんなさいアリア、わたくし、途中から何者かにすり替わられて……」
「大丈夫、あたしはなんともないよ」
それより。アリアは彼らに聞きたいことがあった。どうしてさっき、ネシスがいるのにも関わらず、アリア、と呼んだのだろう。そして絶望の淵に落ちるとは、どういうことだろう。それはもしや、昨今の地震や地鳴りに関係があるのか? アリアはもともと賢い娘だったので、思わずそれを問いただしたくなる。みなは私に、何か隠しているのではないか? 何か、絶望の淵に追い込まれるようなことを。
「これはどうしたことです」
そのとき、威ある声が響くと、近衛騎士たちが一斉に、こうべを垂れ、膝まづいた。アランも、マーガレットも、同じく床に額づいた。アリアだけがたたずんでいる。奥の神聖な白き扉が、ゆっくりと、開いた。
「こんにちは、アリア。我の名はマリアンヌ。こたびは、大儀でありましたね」
あっと、マリアンヌの姿を見たアリアは、言葉を失い、ただ立ち尽くした。現れたマリアンヌは、確かに顔かたちは自分に似ているが、圧倒的なオーラがあり、アリアは直視も出来ず、思わずひれ伏したくなるほどだった。
(この世に、こんなお方が、いたのか……)
そうアリアに思わせるほど、強く気高い、圧倒的な存在感が、マリアンヌにはあった。
「危険な任を背負ってくれてありがとう。さぞや怖かったでしょう。だけれど、もう少しの辛抱です。その日まで、よろしく頼みます」
その日まで? アリアがふいに疑問を覚えたのもつかの間。ふらっとマリアンヌがよろめいたのを、アランが抱き留めた。
「大丈夫ですか、マリアンヌ様……」
「すみませんね、アラン。いつも、迷惑を……」
「少しお顔色が優れないご様子。このままお部屋までお連れします」
そして緊張した面持ちで部屋に連れていくアランの背中を見、アリアは思わず身もだえしたくなる衝動をこらえた。あれだけの美女を見ても、対抗心をまた抱く己が、ただただ恐ろしかった。
◆◆第Ⅲ話
アリアはまた夢を見ていた。血なまぐさい、血煙が淡くけぶる夢。
これは、ロドが自分に見せているのだろうか。ふと、そう思うときがあった。
「いずれわかるよ。みんな隠しているだけでね」
あのルシフェールとかいう、謎の美青年の言葉も気になるのか、それが再びこだまのように夢うつつに響いてくる。
「――ロドよ」
ロドはまた崖の上にいて、今度は誰か美しい少女の手をひいている。誰なのか、わかっているのに、いまいち判然としない。もやの中だからだろうか。彼女を、今度はその崖から突き落とすらしい。
それへアリアは、恐怖を押し殺して声をはりあげた。
「なぜ、そのように生贄を欲するのだ。ロドよ」
本来、ロドは神であるからして、夢で見ても人間は目通りもかなわぬし、声をかけてもならぬ、と教わった。
けれど今のアリアはなぜだかそのような箍が外れて、ロドへと一歩一歩歩み寄っていく。
「ロドよ。なぜかように人を憎む。なぜかように……」
そのとき、ロドが一瞬、こちらを見据えた気がした。しかしロドは、すぐにその首を少女の方角に戻し、力強く彼女を地に叩き落した。
「ああっ」
血が流れ、肉がはじけアリアは絶叫する。
「なぜかように私を苦しめるのだ、ロドよ!!」
はたと、目覚めた。そこは城の一室、自室にとあてがわれた部屋のベッドの上だった。ベッドわきの椅子には、マーガレットが座っており、不安げな視線をこちらに送ってくる。
「おはようございます。どうしたのです。何かうなされていましたわよ」
「いや……なんでもない」
アリアは悪夢を振り払うように、何度か頭を振って我に返った。
「う……」
にしてもどうしてこうも頭が痛むのか。
「頭が痛みますのね。それは当然ですわ。昨日わたくしとやけ酒しましたものね」
「え?」
アリアが思わず声を漏らすと。ふっとマーガレットが苦笑して。
「失恋大確定パーティのことですわよ」
ああ! と思い出すなりアリアが赤面した。昨日の話である。