キッツランド衰亡録   作:いちう

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◆◆

「いくら待っても出てきませんわよ」

 昨日、マリアンヌを部屋に連れていったアランの帰りを、白薔薇かおる回廊にて、アリアは待っていた。外は初夏といえど、まだ身震いするほど朝方は冷える。そのアリアへ毛布をかけてやり、マーガレットがつぶやいた。

「アラン様を待っているんでしょう」

「えっいやっ」

 挙動不審になるアリアを、ふっと、マーガレットが笑った。

「面食いですのね。困った偽姫君だこと。そんなところまでマリアンヌ様に似なくてもいいのに」

 「え」

 我知らず絶句してしまうアリアへ、マーガレットが言葉を継ぐ。

「そう、愛し合っているんですわよ。あの二人は。ご存知なかったの?」

「……ベッドの中で?」

「まああ! わたくしの教育がまったく行き届いていない! と怒るのも筋違いですわね……許しましょう。まあ、十中八九、そうですわね」

 はあと、嘆息するマーガレットの姿を見、今度はアリアが微笑を浮かべた。

「がっかりしているのは、誰かさんも同じかな」

 「ま! そんなところばかり賢さを発揮して。まあ、いいえとはいいがたいですわ」

 ふっ。

ほほっ。

 二人はそうして笑いあいながら、毛布を片手に自室へ下がった。そしてワインをやけ酒にあおり、アリアもマーガレットも二日酔いの地獄に落ちたのである。 

「昨日は聞けなかったけど、マーガレットは、どうして、その、やつのことを……?」

「まあ、あの方は、ハンサムだし、お優しいし、素敵な殿方ですしね。それに、幾度もわたくしを大戦中は庇ってくださったのよ」

 そう語るマーガレットの瞳は、常に似ず夢見るようだった。

「告白は、しなかったのか」

「できる訳ないでしょう? あの方はもうマリアンヌ様を生涯の恋人と定めていらっしゃるの。あなたにとっても残念ではありましょうけど」

「そんなの、わからないじゃないか。人のころは移ろうものさ」

 げへへとアリアがほくそ笑むと、マーガレットがまた、嘆息した。

「とにかく、朝食を食べにまいりましょう。今日はわたくしたち近衛兵団も忙しいんですの。なんたって、この王都の森に魔族が出たんですからね。あなたも、朝食のあとは謁見が待っていますわ。魔族の件で」

「魔族?」

 アリアがぼうっとして繰り返す。魔族とは、いったい何のことであろう。

 

「おでましくださいませ、巫女姫様」

 謁見の間に通されたアリアを待っていたのは、貧しい野良着を着た農民たちだった。

本来、謁見は貧しくとも爵位ある貴族まで、と決まっていたらしいが、アリアが無理を押して出る、と言ってきかなかったのである。それには、初めて聞いた魔族、という言葉にひっかかりを覚えたゆえでもあった。農民たちは震えながらも嘆願する。

「森に魔族が出て何人もわれらの仲間が連れていかれました。このままでは農作業になりませぬ。どうか、巫女姫様、お出ましになり、魔族を払ってくださいませ。どうか、お願いでございます」

 これに騎士たちは厳しい反応を返した。

 「ならん、ならん。目通りかなっただけでありがたいものを、なぜ姫様がそのような魔族払いをしなくてはならぬのだ。あのようにけがらわしきものたちなど、放っておけばよいのだ。姫様のお手をあのけがれた血で汚すことなど」

「し、しかし」

「いや、いいぞ」

 アリアは農民たちの眼を見て快諾した。農民たちの眼に涙がともる。彼らは万歳をしながら、次々にアリアを拝む。

「……な、なぜにアリア様、かような任を」

 見眼美しい騎士が、苦い顔でこう尋ねてくるのを、アリアが見返した。

「あのさ、お前らの中で姫巫女ってなんな訳? ただ生きているだけでいいのか? 私はそうは思わんよ。人のためになってこそ敬われてしかるべきであろう? 違うか?」

 

 

 そう凛然と答えたアリアに、騎士は返す言葉もなかった。

農民たちが去ったのち、ところで、とアリアが侍従に問う。

「すまないね。私は鄙出身だからわからんのだけど、魔族とはいったい何なのだ」

 侍従は黒のお仕着せの裾に眼を落とし、苦々しい顔つきで話し出す。

「魔族とは……かつてわれら人間の血肉をくらっていた化け物の末のものたちです。人ではないのです。それゆえ、連れていかれた農民たちもみな、今頃は骨になっているでしょう」

「ふうん」

人を喰らったものたちの末裔。ふつうならそれに恐怖や嫌悪を浮かべるものの、アリアは決してそんな感情を抱かなかった。シスターがよく行っていたものだ。

【病に苦しむものも、生まれに苦しむものも、苦しみながら生きていくものは美しいのです。決して、差別したり侮蔑したりしてはなりませんよ。真実は自分の眼で確かめるのです】

 それゆえ、アリアはさしたる恐怖心を持たなかった。それどころか。

「私は話してみたい。彼らと」

 アリアがそう決断したことはすぐに城中に伝わった。旧弊な思想を持つ大概は、

「代理のくせに、汚らわしいやつらを相手にすると勝手に決めて」と苦々しく思っていたが、一部の進歩的な貴族や官僚は、おや、とその慧眼に一目置いた。

 

◆◆

 二日後、騎士アランとマーガレット、その他十名ほどの騎士を引き連れて、アリアは黒き森へ入った。黒き森はとろけたような枝で幾重も空を覆う、光の射さぬ恐ろし気な場所であった。

「ここが、黒き森。魔族たちの住処、か」

 そのとき、がさっと、音が聞こえ、草葉を揺らすそれはみるみる大きくなって、アリアたちの一群を囲んだ。

「なっ」

 アリアたちが驚いているまに、一人の男が輪の中からやってきた。

「ここは我らの魔族の居場所!! とっとと出ていってもらおう!」

 アリアは初めて見る魔族に眼を見張った。耳がとがり、肌が真っ白だった。美しい容姿のものばかりだが、どこかその瞳には闇を内包している感を与えた。

「しかし、ここを農場として切り盛りしている農民たちが困っているのだ! どうかうまくやれんか」

 アリアが声を張り上げると、魔族たちは少しのあいだ押し黙った。

「む、無理だよおばさん」

 おば……と思わず言葉を詰まらせたアリアへ、少年魔族が話しかける。

「僕たちはあんたら神官王族の決定で、身分制度の一番低い場所に据えられ、人から嘲られて生きてきた。このあいだもそうだった。我々が人間と仲良くしようとしても、人間は石を投げ矢を射かけ、まるで取り合ってくれなかった。我々にだってこころがある。痛みがある。命があるんだ。それは平等だろう? なぜ僕らだけが常に追われ、差別されなくてはならないの?」

「……」

 そこでアリアは、シスターの教えを思い出していた。

【ロド様は言われました。生きとし生けるものはみな平等なのだと。ロド様の御前では、みな同じなのです】

「ロドの教え、か」

 くっとアリアが微笑む。確かに、みなが平等であったなら、どんなに素晴らしい世界だろう。けれど実際は、民を率いるもの。その民が率いるもの。と、階層が生じてしまっている。どうしたら、この不平等を解決できるのか。

「……そうだ」

 ふいに、アリアが発言した。

「パーティーをしよう」

 

 それからは忙しくなった。アリアはサマードレスの裾をたくしあげて、国中の貴族と謁見をかわし、こう口にした。

「魔族のやつらと、パーティーしようと思うんだけど」

「それは短慮にございます、姫君」

 年を召したどの貴族もそういってつっぱねた。魔族は本来人でないもの。ふつうの平民でさえ相手にしない貴族が、それ以下と位置づけられている魔族と仲良くワルツを踊るものか。そういう反発は少なからずあった。町のあたりにも、パーティーの参加を呼びかけるびらを撒いたが、反応はいまいちだったと聞いている。

「ふうーまたダメか」

 地方のさる貴族からパーティーの辞退の文が届いたとき、アリアは中庭の薔薇の香りに包まれて、長く息をついた。

「なかなか、苦戦していますか?」

 眼を瞑り、開いたとき、目の前にいたのは美しきマリアンヌであった。マリアンヌは白いドレスを翻し、しずしずと、足を伸ばして座り込むアリアの隣に座した。アリアは今パーティーのことで頭がいっぱいで、失恋のことなどすっかり忘れていた。

「そうなんだよ。みんな魔族とは無理だっていうんだ」

「ならば、諦めますか」

「絶対いやだ」

 微笑するマリアンヌへ、アリアが強い調子で断ずる。

「誰かのために誰かが犠牲になるなんておかしいよ。私たちは、みな平等なのだと、母が言っていたしね」

「耳の痛い話ですね」

 マリアンヌが苦笑を浮かべて、静かに告げる。

「実はね、アリア」

「うん」

「魔族や鄙人を冷遇する仕組みは、私が作ったのですよ」

「え」

 アリアが思わず茫然とし、マリアンヌを見つめる。彼女はまっすぐに、盛り上がってはなだれる噴水を眺めていた。

「仕方がなかったのです。国をひとつにまとめるには、国を豊かにし、他国との戦争に勝利するためには、貧しさを当然と思ってくれる民もまた、必要でした。なにせこの王国の都には、数千万の民が住まうのです。彼らを豊かにし、ひとつにまとめるには、犠牲が必要でした……」

 今度はマリアンヌが、じいとこちらを見据えた。この上なく寂しい瞳で。

「こんな私が、情けなく、憎らしいでしょう?」

「いや」

 アリアがすぐさま首を振る。

「苦渋の選択だったと、信じているよ」

 アリアがそういうと、マリアンヌがまた、はかなげな微笑を浮かべた。

「……あなたにはそのせいで、ご心痛、ご面倒をかけました。その罪はいつか支払うつもりです」

 謎のような一言を残し、マリアンヌは立ち上がった。

「パーティーの件、私も何か力になりましょう」

 彼女が立ち去った後は、まるでその退去を惜しむように、白薔薇が香った。

 

 翌日から、アリアには吉報が相次いだ。

「いいですよ。私たちもそのパーティー、参加させていただきましょう」

「おお、来てくれるか」

 謁見に見えた貴族たちの中でも、ちらほら、色よい返事を返すものたちが現れた。また、平民の中でも、有力な商家の娘たちがこぞってパーティー参加を呼びかけ、その波はキッツランド全域に広がっていった。これにはマリアンヌの助力もあろう、と、アリアは感付いていた。

「これは、空前絶後の大きな出来事になりそうですわね」

 忙しく働くアリアへと、マーガレットがにこやかに話しかけた。アリアも嬉しそうに顔をほころばせる。

「うん。そうだな」

「正直に申します……最初はあなたを、見下していました。鄙から来た、ただの代わりの人形、だと。でも」

 マーガレットが、実に晴れ晴れとした顔で告げる。

「今は違う。あなたが歴史を変えるのです。キッツランドを、その運命を、あなただけが変えていくことが出来るのですわ」

 そうして潤んだ瞳をして手を握ってくるマーガレットに、アリアは深い感慨を覚えた。

◆◆

 そして、パーティー当日。城の舞踏場には、キッツランドの貴族平民の多くが我さきにと押し入り、大変な盛況だった。商家の娘たちも頭が切れるもので、

「貴族様が出られるパーティーで声をかけられ、玉の輿にのりましょう」

 と方便を使ったらしいが、どうもナンパに走る貴族を見ると、あながち方便と決まった訳ではないらしい。

 宮廷楽師たちが舞踏のワルツをかき鳴らす。そのとき、主催者のアリアは、自室で魔族の娘たちの化粧を見てやっていた。もともと、魔族というのは美形が多いので、目鼻に少しパウダーを塗るだけでも、ずいぶんと印象が変わった。

「ほおら、綺麗になった。これで大丈夫。どこに出しても恥ずかしくない、お姫様の出来上がりだよ」

 アリアが微笑んで鏡台の前にてそう言うと、娘たちもにこやかに破顔して礼を言う。

「アリア、男たちの準備も整ったぞ!」

 アランがアリアを呼び立てると、そこには美々しく着飾った魔族の青年たちが、恥ずかしそうに並んでいた。

「おうおう、いい男ぞろいじゃないか。さあ、ではいくぞ」

 アリアがひらかれた扉より先導して舞踏に入っていく。

 みなが一瞬その美しさに圧されたか、言葉を失うが、次には黙りこくった。魔族を忌んで、そうしたのではない。今まで散々ひどい扱いをしてきた者たちに、どんな顔をしたらよいのか、わからなかったのである。宮廷楽師たちも、何を鳴らしたらいいのか、わからずに音楽がやむ。魔族の面々も、やはり、と打ち沈んだ表情を見せる。

 そのとき、アリアが魔族の青年の手をとって、踊り始めた。その舞踏は蝶のように軽やかで、楽し気であった。それらを見ているうち、ひとりの近衛兵が手拍子を打ち始めた。アランである。次にはマーガレットが、次には貴族や平民が、最後には宮廷楽師までもが、手拍子を打ち、満座のうちで踊る二人を讃えた。そのうち、一人、また一人と、種族を超えて手を取りあい、携えて青年少女たちが踊り始めた。若々しい感性はついに差別を乗り越えたのである。

「……我々も、いささかかたくなになっていたようですな」

「――ええ、そのようで」

 しまいには老いた貴族の面々も、ともに手をとり踊り始めた。宮廷楽師たちも優雅で楽し気なリズムを奏で始めた。それは感動的なシーンでもあった。

(どうだ、ロドよ)

アリアが胸を張って誇らしく思う。

(これでもまだ、世界は憎しみに満ち、それゆえ戦を起こすというのかよ)

少し、地揺れがあったが、それも気にならないくらい、あたりは美しい感情に満ちていた。 

 

翌々日、パーティーの大成功に名を知らしめたアリアは街に出ていた。なぜかアランと一緒に。

「最近マリアンヌ様のお元気がない。何か、元気の出るものを贈りたいから、一緒におしのびで来てくれないか」

 そう、アランが朝方自分の部屋を訪って言ったとき、少なからずアリアの胸には落胆があったが、とにかくアランと一緒に町に行けることには、素直に喜んだ。二人は人ごみに離れぬよう、どちらともなく手を繋いだ。

「このあいだは、ご苦労だったな。アリア。マリアンヌ様もお喜びだったよ」

「そ、そうかあ? なら、いいんだが」

 勝手なことをして、叱られるかと思った。アリアが頭をかきかき口走ると、アランがにこやかに首を振った。

「いや、そんな訳はない。あの御方は本来お優しいお方。先達の差別も冷遇も、国をまとめる為に仕方なく行ったこと。誰よりこころを殺して泣いていたのは、あの御方だったのだから」

「ふ、ふうん」

 この反応に、アリアがふいと顔を背けて、呟く。そういう話まで、するんだ。自分と手を繋いでおきながら。

「そういう優しい世界を、どうか、作っていってくれよな。お前の力で。お、ほら、みてみろ」

 アランが指さしたのは、町中で花びらのシャワーを受ける、花嫁行列であった。花嫁は純白のドレスを纏い、この上なく幸福そうに微笑んでいる。

「へえ、いいなあ」

「お、アランよ。お前も憧れるのか?」

 アリアが照れながら問うと、寂しい返答が返ってきた。

「ああ、だが俺は生涯、結ばれないのだ」

 勢いよく、心臓を冷たい剣で貫かれた気がした。アランのその切なそうな表情は、マリアンヌへの真の思慕を示していた。

「マリアンヌ様は巫女姫なのだ。だから清浄な身を保たねばならぬ。だから、俺たちは口づけはできても、交わることはない」

 ドキン、ドキン……。

 高まる心臓の音を聞きながら、アリアは心の底から尋ねたかった。

【巫女姫という運命は、変えられないのか?】

【今は私が巫女姫でないのか?】

そして。

【私では、ダメなの、か?】

 手は繋いだまま、店を見て回り、城へと戻った帰り際に、

アリアはアランにプレゼントをもらった。紅い華やかな櫛だった。

「今日は、一緒に選んで回ってくれて、ありがとうな。これは、ほんのお礼だ」

「ア、 アラン……」

 そうして自室を下がろうとする男へ、アリアがか細く声をかける。

「ん? なんだ」

 アランがくしゃ、とアリアの髪を乱す。アリアはたまらなくなって、呟いた。

「私、じゃ、ダメ、かな?」

 それが聞こえたか、聞こえなかったか。アランが笑って、返答した。

「――その櫛、大切にしてくれよな。付き合ってくれて、ありがとう」

 

◆◆

「うっうっく」

 その夜、自室にこもってアリアは、ひたすらに泣きじゃくった。櫛は、花が舞い散っていて、先ほどの花嫁を彷彿とさせ、アリアを焦がれさせた。

なぜ、あんなことを口走ってしまったのだろう。そしてなぜ、自分ではいけないのだろう。確かに、女として自分は、マリアンヌに圧倒的に負けている。なれど、けれど、それでもだめ、なんだろうか。精いっぱい努力するから、繋いだこの手をほどいてほしくなかった。そう思うのは、罪なのだろうか。

「ひっく、ひっく、アランの、馬鹿……」

「本当さ。お前を泣かす男なんて、馬鹿に決まっているよ」

 突然、男の声が響き、顔をあげると、そこには。

「ルシフェール!!」

 そう、闇の神官、ルシフェールが立っていた。

「結界を破いてきたのか。んっくっ」

 そのまま彼は、アリアの口をふさぎ、闇へと姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆第Ⅳ章

 

アリアは、また夢を見ていた。うつつに、眠りのまにまに。恐ろしい夢だった。地がぐんと音を立てて沈み、勢いよく海水がこの町に流れこんでひとびとを飲み込んでいく。

「きゃああ」

「誰か助けて!!」

 アリアはそれをどこか遠くで見つめながら、あまりのことに声さえ失っていた。

(私の民が、キッツランドが、滅び去っていく)

 それに対し何も出来ない、苦悩するアリアの脇に、また黒きローブを纏った男が一人、佇んでいた。

「ロド、か」

 アリアは顔面を覆っていた手をはがし、ロドに詰め寄る。

「ロドよ、何が望みだ。かように人間を苦しませ、殺し、それでもなお、その怒りはとまらぬというのか!」

 アリアの絶叫もむなしく、キッツランドが海の底へ沈んでいく。たくさんの人々を、生贄として。

「ロドよ、答えろ!! なぜ答えぬのだ!!」

 はっとして、自分の声で眼が覚めた。

 アリアは今、見知らぬ部屋のベッドで寝かされているらしかった。朝の光がうす曇りにさえぎられている。調度が赤で統一され、それが濁った血肉色を思わせ、アリアは余計に気分を悪しくした。

「やあ、ごきげんよう」

 そのアリアの部屋へと、ノックもせず入ってきたのは、闇の神官ルシフェールであった。

「ルシフェール!! なぜ、このような真似をっ」

「いや? とりあえずお礼を言おうと思ってね」

「なんだと?」

 訝しく思いながら、アリアは彼のあとについていった。

◆◆

 ここはうらぶれた古城のようであった。石畳の廊下がところどころ朽ち、鼠がはい回る音が耳近くに聞こえる。

「まあ、かけて、ゆっくりして」

 ホットプレイスのある部屋にて、アリアに椅子をひきすすめ、ルシフェールがその向かいに座る。

「おい、どういうこった」

 アリアがさっそく疑問を呈する。

「ネシスは私を殺すつもりだったはずだ。身代わりの巫女として、この命を絶やすはずだろう。なのになぜ、そのようにしない?」

 アリアがそう詰問すると、ルシフェールがにこやかに、首を振った。

「いや、そのつもりだった奴もいたけど、ネシスを率いる俺の考えは違う」

「どういうことだ」

「……これを見てもらおうか」

 突然、ルシフェールが脱ぎだしたので、アリアは一瞬ぎょっとしたが、すぐにそれもおさまり、茫然とした目つきで彼の裸形を見据えた。

 ルシフェールの体はほとんど黒ずみ、あざが出来ていた。強い力で殴られたり、ぶたれたり、あるいは煙管などで焼かれたのだろう。見るのも痛々しくて、アリアが顔を背けようとする。

「これも全部、あんたの代わりのマリアンヌがやったことだよ」

「あんたの、代わり?」

 思わずアリアが疑問を呈する。

「どういうことだよ。私はマリアンヌの代わりと聞いて、化けて神官になったのだぞ。それにその傷、いったいどこで……」

「はは、何も聞いていないんだねえ。さすが人間は、卑怯でずるがしこい」

 そうルシフェールが語るのを、アリアは一蹴もせず聞き続けていた。

「あんたには言うとしようか。実はね、ネシスとは、人間たちに恨みを持つ、魔族のものたちなんだよ」

「え……」

 ルシフェールがくす、と笑む。

「ほら、知らなかったろう? それも魔族の中でもその血濃く、人間たちの召使にもなれなかったものたちだ」

「な、なんだと」

「俺の体を見て何か思わなかったか? これは俺が人間に仕えていたころ、与えられた傷だ。主人にはよく言われたよ。こいつらは魔族だ。どのように扱ってもよい、と」

 「な、なんと」

「ひどいもん、だったよ。気に食わないことがあると、人間どもが俺を鉄の棒で殴り、蹴り、煙管で火傷を負わせたりね。俺たちは魔族ゆえ、痛覚はあってもすぐに傷は治ってしまう。その治りが追い付かぬほど、この傷は深く刻まれた訳だけどね」

「な、なんて……ひどいことを」

 涙をぼろぼろとこぼすアリアを一瞥し、ルシフェールがさらに笑みを深くする。

「そんな地獄のような日々の中で、支えとなってくれたのはロド様の教えだけだった。生まれ来るものはみな、平等で、誰が上でだれが下でもない。誰も傷つけられていい道理はない、と、俺たちはみな信じ続けた。だが魔族への非道な扱いは止まらず、俺は一緒に仕えていた妹が殺されたのを機に、ネシスを作った」

「殺され、た……だと」

「そうだよ」

 ルシフェールの笑いは、もはやいびつに曲がり、悪魔のように恐ろしく、そしてもの悲しかった。

「妹は暴行され、その挙句主人によって殺された。俺は主人を殺し、屋敷を遁走し、同じような傷を抱く仲間と集った。そしてひたすらロド様の声を待った。その答えは、すぐに来た」

 アリアはただルシフェールの言葉を待っていた。嘘とは思われぬ。彼らが酷い扱いを受けていたことも、それゆえ人間を憎むことも、ロドの答えを、待っていたのも。

「ロド様はある日、俺の夢に立ち、こう言われた。もうじきお前の望む未来がやってくる。その代わり、光の巫女を殺さねばならない、と」

「なっ」

 たまらずアリアが声を張り上げる。

「なぜ、そのように……! マリアンヌはいつも罪の意識があった。それをも殺せと、ロドが言ったのか! そして、信ずるのか! 」

「もちろん。なんたって苦しみの中から俺たちを救ってくれたのは、ロド様の教えだけだったのだから」

 これにアリアは言葉を失い、ただただ茫然自失となった。

「アリア、これは運命なんだ。ロドという神が造られた、創生の神話の一部なのだ。だからマリアンヌは死ななくてはならない。そうでないと、世界は壊れ、破滅するであろう」

「なっ何を言う……運命は変えられる……そのために私は今まで巫女の代わりとして……」

 そのとき、ぐらりと、地が大きく揺れた。花瓶が落ち、額縁が落ち、地はまるで波打つように大きく振動を始めた。

「ぬ、ぬわ……」

「ほら、ロド様が迎えに来ちゃったよ。俺たちがぼけっとしているから」

「ロドの、迎え、だと?」

「そう」

もはや立っていられぬアリアへ、ルシフェールがにこやかに答える。

「いよいよ、あの女を、殺す日がやってきたんだ」

 

 

 

 

 

◆◆第Ⅴ章

 

地揺れが続き、それがおさまった頃、アリアはルシフェールに連れられ、古城を出た。ルシフェールは言った。

「真実を見せてあげよう」

と。

 

 ルシフェールは格別、魔族の血が濃いのであろうか。黒き羽をはやし、アリアを王城へと空を飛んで連れていく。

 空から見下ろす地表は地獄のような有様だった。煉瓦造りの街並みは見るも無残に打倒されて、あたりは地が割れ、火を噴き、人々が逃げまどう様が見てとれた。

「な、なんという、こと……」

 アリアはしばし絶句したのち。

「ルシフェール、私をおろしてくれ!民が、民が死んでしまう」

「それは出来ない」

 断ずるような調子でルシフェールが言った。

「このままではもっと人が死ぬよ。それを食い止めるには、あんたが城へ行く他ない。そ

して見届けるんだ。創生の神話を」

 ルシフェールの言葉に、反発しようと思えども、それは確かに正鵠をえていた。今自分が地上に降りたとて、人ひとりに包帯を巻いてやるくらいしか出来ない。その包帯すら自分はもっていないのだ。

おそらくこの地震は、やまないのであろう。さらに恐ろしい災厄を連れてくるのであろう。

それを、防ぐには。運命の巫女として、ロドの造る運命を変えるには、城に行く他ないのだ。

「すまん、みんな」

 アリアが苦渋の表情でそう告げる。彼女をいだくルシフェールは勢いをつけて城へと飛び立っていった。

 

◆◆

 「こ、これは……」

 城へとたどり着いたとき、アリアは思わず言葉を失い、ただ立ち尽くした。城内はいたるところ深紅の血に塗られていた。深紅の血は人間の血のあかしであり、それはネシスにより城の人間たちが殺められたことを意味していた。

「ルシフェール、貴様……これはどういうことだ!」

城内に入り、床に足をつけてアリアが絶叫する。見慣れた、親切にしてくれた下女や騎士たちが、みるも無残な姿をさらして階段に引っかかっている。

「おい、大丈夫か」

 アリアが見慣れた騎士の一人を揺らすと、男は白目に少し生気を表して、

「我々は……ただ、マリアンヌ様を、お守りした、かった……」

 とつぶやき、こと切れた。 

「これがロドの、教えの、末か……」

アリアの眼からは血のしずくがあふれた。これが、ロドの教えの結果なのだろうか。優しき、穏やかな平和を打ち破ってまで、恨みを晴らそうとするのが、ロドの示した道なのか。

「私、私は、ロドを、許さない……」

 アリアがそう漏らしたとき、ふらふらになった状態のマーガレットが、階段の踊り場に、ドアを開けて姿を見せた。

「マーガレット!!」

 彼女をアリアが思わず抱きよせる。

「マーガレット、大丈夫か」

「アリア、どう、か、誰も、恨まないで……これは仕方のないこと、なのよ」

「え?」

「これは、そうなるように、定まっていた、運命、なのよ」

 どういう、こと?

 アリアの頭が疑問符で満ちていき、混乱をきたしていく。

「その女の言う通りだよ」

 そこで、城内に入るなり行方知らずになっていたルシフェールがやってきた。その右手に、マリアンヌの黒髪を巻いて。

「ひ、姫様っ」

「マリアンヌ!」

 マリアンヌを引きずるようにして連れて、ルシフェールがにこやかに登場する。

「ルシフェール、マリアンヌを離せ」

 アリアが紅い瞳で睨むものの、ルシフェールはまるで介さない。

「嫌だね。だってこの女を殺さないと、世界は滅ぶんだから」

「それが、お前の受けたロドの予言か」

「ああ。それはみいんな、知っているけどね」

 アリアがまた言葉を失う。アリアがマリアンヌののち、マーガレットを見つめる。

みな、苦しいような表情を浮かべ、うつむく。

「どういうことだ。何を隠している」

 アリアがややあって、地鳴りの中でこう尋ねた。ルシフェールが告げる。

「もうすぐ、このキッツランド大陸は滅ぶ。この大陸はロド様の怒りによって沈みだし、五千万の民とともに海の底に消えるんだ」

「な、何をふざけたことをっ」

「ふざけたこと? どの学者も、どの予言者も、いやアリア、お前が見てきた現実もすべて物語っているだろう。地震地鳴りが続き、やがてこの大陸は数千万の贄を連れて滅び去るんだ」

 それがいやなら。

「この女を殺せば、ロドの怒りは静まり、大陸は滅ばぬ。さあ、どうする巫女姫様。すべてを知っても、俺を殺してマリアンヌを救うか?」

 これにアリアの瞳は紅く染まったまま、涙をこぼし始めた。これが、本当にロドの運命なんだろうか?

 ロドには、運命には、勝てない、のだろうか。 

「アリア、かくしていてごめん、なさい」

 マーガレットの言葉のあと、マリアンヌも言葉を継ぐ。

「この者の、言う通りなの、よ。どの予言者も、みな口をそろえて言っていたの。私が死ななくては、この大陸は神の怒りによって滅ぶ、と……アリア、あなたを呼んだのは、真の巫女姫として、私が死んだあとに傷ついたこの大陸を、守っていって欲しかった、から……」

 マーガレットも、涙まじりの声を引き絞る。

「わたくしたちも、マリアンヌ様には、生きていてほしかった。だから、ネシスと戦う姿勢を見せてきた……けれど、もう、ここまでで、限界……だった」

「だけど……でも!」

 

アリアが泣き叫ぶと、マリアンヌが柔らかく破顔した。

「いいのよ、アリア。私は今まで、この国を守るために、あまりに犠牲を、強いてきました。鄙のもの、貧しいもの、魔族の末のもの……その罪を、払わねば……」

「そうだよこの呪われた巫女姫様よ!!」

 ルシフェールが、喚くようにマリアンヌの耳元で叫びだし、マリアンヌを激しく蹴りあげ始めた。

「お前さえ、お前さえいなければ、差別は生まれず、俺の妹も、俺も……!! こんな目にはっお前のせいでっ」

 なぶるままに任せていたマリアンヌの顔が、一瞬で血塗られた。深い傷を負ったアランが、背後からルシフェールの両腕を切り落としていた。

「な、に……」

「マリアンヌ様から、手を離せ……」

 ルシフェールが倒れ、マリアンヌは床になだれた。アランももはや息も荒く、座り込んでいる。地揺れが続き、宮殿の華やかな大理石が音を立てて崩れ始めた。天井が崩れ、上から落石のような大きな塊となって落下してくる。

 四人とも、押し黙っている。もはや、この国は滅ぶ。これが、神の示した、道なのか。

「アリア……」

 マリアンヌが手を伸ばし、アランがその身をかきいだいた。

「私、何もかも、あなたにあげます。この国も、身分も、未来への希望も、何もかも、あなたにさしあげます。だからどうか、この国を守って。そして……」

 激しい地鳴りがして、宮殿の床に深い亀裂が走った。

「私を許して……アリア」

 次の瞬間、マリアンヌをかきいだいたアランが、その亀裂に身を投じた。二人が亀裂に見えなくなる。亀裂はまるでそれを咀嚼するように、鈍い音をたてて口を閉じた。

「あ、ああ……」

 アリアが思わずか細い声を発す。二人が、二人が、消えていった。あの深い、亀裂と運命の中に、消えていったのだ。

「あああああああ」

 アリアは床に突っ伏して泣き叫んだ。これが、ロドの示した運命。ロドの導きたもうた、変わらぬ、運命だったのだ。

「あああああああ」

 アリアはそのまま、激しい地鳴りの中で意識を手放した。

 

◆◆

 

 夢うつつ、崖の上でアリアを待っていたのは、やはりロドであった。今はローブを脱ぎ捨て、その歪んだ顔でアリアを見つめている。それはどこか悲し気で、寂しそうに見えた。

「結局、私はロドのつくりたまいし運命に、抗えなかった……」

 アリアがそう言うと、ロドが初めて、口を開いた。

「マリアンヌは血を流しすぎたのだ。あそこで、死ぬ他なかった」

「これで、あんたの、運命通り、だよ」

 アリアがふらりと立ち上がり、崖の先へ歩き出した。その手を、ロドの手がつかんだ。強く、あたたかな手で。

 

「アリアよ」

 

「お前は生きねばならん」

 

「怒りと不浄にみちたこの世で」

 

「それでもお前は」

 

「生きていかねばならん」

 

「生きよ」

 

「真実の巫女よ」

 

その声がやむと、

 地鳴りはやみ、地震はおさまった。

 

 

 それから。

 アリアは傷ついた王国に君臨し、神官を廃し、政治顧問として、政治改革を行った。 

 身分制を廃止し、差別をなくし、あらゆる人種への平等を訴えた。

 そして、政治顧問から、民の願いにより、女王としてこの国に長く君臨することになった。無論、アリアは一手に政治を牛耳ることはせず、議会を作り、選挙制度も整えた。まさに君臨すれど、統治せず、を心得たのである。

 朝の謁見では、久しくしていなかったバルコニーでの演説を行った。女王としてこれは実に四年ぶりのことで、純白のドレスを纏った威厳ある女王の脇には、近衛騎士団を率いるマーガレットの姿があった。

 バルコニーに出、アリアは声を発す。

「私の愛する民たちよ。ごきげんよう」

 彼女はバルコニーから見える民草の姿をくまなく見てとり。

「今日は、あの恐ろしい日から三年と半年が経った。あれは、神の望んだ結末だったのか、と、今で私は疑問に思う」

「もっと、違う結末はなかったのか、もっと、違う道があったのではないか、と、私はこの四年、悩み、苦しんだ」

「民の中にも、あの恐ろしい日によって、大切なものを失ったものも多かろう。さぞやあの運命を、悔み、呪ったであろう」

「けれど、私は」

 女王は王冠を日に輝かせ、こう言った。

「運命とは、抗うものではない。かといって服従するものではない。その中で、生き延びていくものなのだ。自分の意志を、貫きながらも、生きていかねばならないのだ」

 それが、いかに難しいか。それは、アリア自身がよく知っていた。だけれど彼女は、愛する国民にどうしても言いたかった、自問してほしかったのだ。

「命は落とすものではない。どう費やしていくか、なのだ。だから、我々はこれからも」

「生きていこう。この、不浄と怒りに満ちたこの世界で」

「ともに、いつまでも」

 

 アリアの演説ののち、拍手はいつまでもやまなかった。その拍手は、人間からも魔族からも、貧者からも富めるものからも、等しく響き渡った。

 

 演説ののち、アリアは謁見のときを持った。地に降り、民草のひとりひとりと言葉を交わす。その中で、かつての自分くらいの、幼い、あどけない顔立ちをした少女が、自分の手を握り、呟いた。

「神様……」

と。

 これにアリアはすぐさまゆるやかに首を振った。

「違うよ。私は神様などではないよ」

「違うのですか?」

 少女があどけないばかりの顔で問う。アリアが厳かな顔で頷く。

「この世に人の数だけ信ずるものがあってよい。だが少なくとも私は、神様にはなれないし、なりたくないのだ。私はお前たちと同じだ。悩み苦しみ、間違いを犯すし、後悔もする」

少女が、はい、と顎をひいた。アリアが優しく笑う。

「わかってくれるね。この国を背負う民の一人よ」

 

 アリアは、自室に戻り、ドレス姿の自分を鏡で見ながら、ふうと息をつく。その姿は、かつて見たマリアンヌの姿にそっくりであった。

「これで、よかったのだな。マリアンヌ」

 怒りと不浄に満ちたこの世を、自分は生きていく。これからも、この先も、ずっと。人として、ずっと。

アリアは感に堪えたようにつぶやいた。

「マリアンヌ、私は、生きて、いくぞ……」

 

 

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