――地下室F1 大迷路――
「『中学二年生の春休み』――について、僕にも話してくれないかな?」
守原空の両腕の機能が失ってから、同時刻、白くて綺麗な廊下、地下一階の大迷路で、善吉と真黒は会話を繰り広げていた。
めだかと、他生徒会役員の二人――阿久根高貴と喜界島もがなもすぐ前にいる。そこで、歩いている途中に、真黒が唐突もなく、質問をしてきた。
中学二年生の春休み。
めだかが中学生のころ、最後に『乱神モード』になった春休み。それと同時に、守原空の異常性が見えた――春休みでもある。
「……まぁ、別に、隠すようなことでもないですしね」
前にいる三人がこちらを振り返るのを見て、視線を地面に置く。反射的に逸らしてしまった。『中学二年生の春休み』。それは、善吉にとっても、甘い経験ではなく、苦い経験で、辛い思い出だった。
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知っての通り、俺と
神様がいた、と言ったらどこまで信じてもらえるでしょうね。「唐突に何を言ってるんだ?」そうですね、何を言ってるか、分からないですよね。ですけど出たんです。春休みに、
高校生になった今でもそれは分からないんですが、なぜかその神様がでる前の時期、空は俺たちのことを避けてたんですよね。こっちから話しかけても全然無視で、一時期はそのせいでめだかちゃんが鬱になりかけたりして……。
とにかく、中学二年生の春休みを目前にしたら、空は俺たちを無視するようになっていた、ということです。それがあの神様と関係あるのかないのかと言ったら、曖昧で悪いと思うんですが、多分あったんじゃないのかと思ってます。
まあ、確証を持てないことを言っても仕方がありませんね。それでは本題に入ろうと思います。
さっき言ったとおり、空は俺たちのことを避けていました。なので、春休み初日に空の家に行くことになったんです「その前に行こうと思わなかったの?」確かに、俺たちを避けていたのはそれから数週間前でしたが、当初めだかちゃんと俺は、その事態を軽視していたんですよね。まあそういうこともあるかー、という風に。
中学生といえば俺だって、髪型をオールバックにして、反阿久根同盟のリーダーとして活躍していましたし。だから、今回のこともその内勝手に解決するものだと思ってたんですよ。またすぐに、仲良くなれるって。
俺たちを避けていて一週間して、変だなって思って。二週間で、これはやばいかもって感じて。三週間目に入る前に、空と会話を試みようと思っていました。「思っていた?」はい、できませんでした。話しかけようとすれば逃げて、捕まえようとすれば脱出して……と、どうしても話すことができなかったんです。それから春休みまでそんな感じにずるずると……。「めだかちゃんでも捕まえられなかった?」捕まえられなかったと言っておきます。空から避けられて少し傷ついてましたから、思うように体が動かなかった、というのもあるんでしょうがね。
捕まえられず仕舞いで春休みに入りました。
空の家を見つけるのに苦労はいりませんでした。普通に教師から聞けば、普通に答えてくれましたから。
そういうことで、めだかちゃんと俺、二人で空の家へと行きました。だけどその日は結局留守で、お互い今日は帰ろう、ということになって、俺とめだかちゃんは明日また行ってみようということになったんです。
春休み二日目。
その日も留守でした。チャイムを何回鳴らしても、ドアをたたいても、結局返事は返ってきませんでした。明日はもっと早く来てみよう、ということになって、その日もまた帰りました。
春休み三日目。
やっぱりその日も留守です。朝七時に着いたにも関わらず、空からの返事はありません。「旅行にでも行ったとは考えなかったのか?」カーテンが開いてましたからね。それで中の様子はちゃんと変わっている、というめだかちゃんの推理というか記憶で、二日目の早朝か夜には、少なくとも家に誰かがいた、という結論に達しました。「気持ち悪い?」そうかもですね、だけど、ですけど……あそこまで……。まるで俺たちと会話をしないように、誰かに脅されてるみたく、必死に逃げて……。だから、助けるつもりで空の家に来ました。「空が本当に俺たちを嫌っているか?」……それは、絶対とは言えませんが……嫌っていなかった……と信じたいです。……今思えば俺たちは狂ってたのかもしれませんね、ですが、それでも、十年以上の付き合いだったんですよ。だから、嫌っていたとしたらその十年を否定することになっちまう、なので、信じました。あいつは何も言わなかったけれど、信じたくて、信じました。
さて、前振りが長すぎましたね。ここでようやく、神様の登場です。変わらず春休み三日目で、空を探していて辺りも暗くなったころ、誰もいない路地で俺は神様に出会いました。「誰もいない?」そう、誰もいない、家もない、月以外の光さえない、そんな路地はないはずだったのに、まるで俺だけが別の世界に飛ばされたみたく……。そこで俺は出会ったんです、
白い毛をした狼でした。触れれば溶けて無くなってしまいそうな儚さを持っていた白さでした。青い月の光を全部ちゃんと反射している、立派な毛でした。でも、その白い毛を雪と同じようのものだと例えるには、あまりにも荒々しい雰囲気を出していました。
「で、どうなかったかって?」ここからは簡単で、その狼に――大神に俺は襲われました。俺はあまりに混乱してたからと、とりあえずは言い訳させてもらいます。俺はすぐに踵を返して逃げました。「なんでその狼が襲ったか?」たしか……人は害なす存在、そして人の血、神の血、どちらも併せ持つ、人と神を超えた我、大神こそが貴様らに罰を与える存在だー。とか、そんなことを言ってましたから、とりあえずその通りとお考えください。さて、続けましょう。俺は逃げました。しかし、追いつかれるどころか回り込まれてしまったんです。ドラクエよろしく、俺 が 逃 げ だ し た 。 し か し 回 り こ ま れ て し ま っ た 。 なんて、くだらないことを言ってる場合じゃないですね。俺の危機だ。
まあ、俺の危機だったんですけど、そこをめだかちゃんが助けてくれましてね「誰もいない不思議な路地にいたんじゃないの?」そうですね、なぜか友情パワーでめだかちゃんが来てくれた……じゃ駄目ですか? なんで来れたのか、めだかちゃんにも分からないらしいですし。まあ、めだかちゃんは瞬殺されてしまいましたが。「めだかちゃんが?」めだかちゃんがです。「じゃあ何で俺が生きてるか?」……なかなか酷いことを聞くな喜界島。まあ、めだかちゃんでもやられちゃうぐらいだから、そう思うのも仕方が無いけどよ。
めだかちゃんを気絶、とまではいかないものの、動けない状況にさせた、狼の取った行動というのは、なんのことはない、ただの体当たりでした。ただし、速さは桁違いですがね。あれはもう……音速に並んだ、と言われても納得ができるほどで、めだかちゃんでも一瞬何されたか分からないぐらいの速さでした。
アバラ数本、内臓破裂。それだけで済んだのが奇跡だったのかもしれませんね。めだかちゃんは少しでも動こうとすれば血を吐いて、対して俺は……腰を抜かして動けずにいました。……めだかちゃんがやられるとは、思いもしなかったんですね、誰にでも絶対に勝つ、それこそが黒神めだかだと思っていましたから。ここまで圧倒的にやられる図なんて、当時の俺は想像もしたことがありませんでしたよ。
そこからはスローモーションに周りが映って、狼が動けないでいる俺に、めだかちゃんを瀕死にさせた、あの体当たりと同じ速さで近づいてくるのが良く分かりました。それが分かっても、俺は動けずにいました。ああ――俺死ぬんだ、とか、呑気に考えていましたね。
『あ?』
けど、俺は死ななかった――そう、俺たちを避けていたはずの空が、俺を助けてくれたんです。いつのまにか、空が俺の前に立っていて。
そうしたら狼はなぜか横に吹き飛んで壁に当たり、呻いてましたね。人間と同じ言葉で。
うーうーと。苦しそうに呻いていました。
『……空?』
めだかちゃんは、空を不思議そうに見つめていていました。
空は、壁に当たって倒れこんで呻いている狼に近づいていきました。
『……おい』
そして空はそのまま狼の頭に足を置いて。
『我は神……』
踏み抜きました。
「どうして……」
めだかは言った。彼女にしては珍しく、動揺した声で。どうして――その続きは何も言えなかったが。
「……なにも、なにもそこま――……」
善吉も、それ以上は言えなかった。だって彼は、自分たちを助けるがために――神様を――人語を喋る狼を――人の血と神の血を併せ持つという大神を、殺したのだから。
春休み三日目。深夜。
気がついたら、周りには家があり、光があった。それと同時に空は、糸が切れた人形のように倒れ伏せた。
「…………」
狼の死体は消えていて。
空は倒れている。
めだかも重症だったが、歩けるぐらいに回復していた。
善吉は黙って、空をおぶった。めだかはゆっくりと立ち上がった。冷たい雫が、善吉の頬を打った――雨だ。
ポツ……ポツポツ……。と、雨は次第に勢いを増していった。
「善吉……黒神ちゃん……」
背中にいる空が、何か言っている。
「……ごめん、助けられなくて」
何を言っているのだろう。認めたくない。聞きたくない。助けられなかった? 誰を? 何を? 敵をか?
「ごめん……」
敵を助けられなかった、そうじゃないだろう? そういう理由じゃないだろう?
たとえ、そんな理由だとしても、今の善吉には認められない。認めたくなんかない。
「そんな風に……」
そんな風に、敵も助けられたように言わないでくれ。
お願いだから。
頼むから。
あの狼は――ただ人を不思議な路地に迷わせるような、ありえない能力を持った嘘吐きなやつであってくれ。
あろうことか俺は――
□ □
■ ■
箱舟中学高。あれから、残り少ない短い春休みも終わって、晴れて最上級生である三年生になった善吉は、後味の悪い夜だったと、顔を暗くする。
春休み中、空の見舞いにでも行こうかと考えたが、その前にめだかの病室にへと足を運んだ。まだ一人で行くほどの心の準備はできていなかったのだ。まあ結局、どっちに行っても同じで、既に退院していたのだが。あの夜にほとんど被害にあっていなかったはずの空はともかく、めだかはとんでもない。一ヶ月でも足りない怪我をたった一日で完治させてみせたのだから、改めてとんでもない。
まあそのとんでもない彼女でも倒せなかった相手を倒したのが、空なのだが。
まさかあんな力を隠していたなんて、今の今まで善吉は考えなかった。てっきりただの可愛い男の娘だとばかり思っていた。
「ふぅ……」
新しいクラス。空と同じクラス。席を立ち、意を決し、話しかけ――
「善吉! どうしよう、三年生になっちゃった! これはもう今年のミスコン(ミスターコンプレックス)には出なくて良いよね! いやー残念だな、本当に残念で仕方が無い。でもあの嫌がらせ行事は下級生のためにあるようなものだからね、いやー、出なくて良いで満場一致ってことで――」
「「「「「それは駄目!!」」」」」
「……お前ら、数の暴力って知ってるか?」
何時もどおりすぎる日常に、善吉は苦笑した。ああ、全く、俺が意を決してやろうとしたことを簡単にやりやがってと、善吉は思った。
ギャーギャーとやかましくなったクラスも、HRの予鈴が鳴り出すと途端に静かに鳴り始める。善吉は席に座る前に、ふーっふーっと息を荒げている幼馴染に向かって行った。
神と人を名乗る狼を殺した。それがどうした。俺の友達は――親友はこいつじゃないか。しかも俺を殺そうとした奴から救ってくれたんだ。何を考える必要がある、少なくとも俺にとっては、間違えを犯してなんかいない、あんな神様よりもよっぽど正しい人間じゃないか。
善吉は照れくさそうにお礼を言う。
「この前は……助けてくれてサンキューな」
素直にありがとうと言えない辺り、中学生の捻くれた考えを表している。高校生の今でも素直に言えそうにないが。
ああ照れくさい――さっさと休みになって、また俺の友達と遊ぶんだ――春休みの分まで。
青春は、青い月が出た春休みとともに、始まりを告げる。
「僕が助けた?」
まだその青春は終わらない。
□ □
■ ■
「それは……それはダメだろう?」
気持ち悪い。
気持ち悪い。
「そうですね。あいつは、生産者でも、分解者でもない、消費者を殺しましたから。悪いのかもしれませんね」
気持ち悪い。
何が?
守原空が。
気持ち悪い。
「……さっきの話を言及する前にさ、空君の変わっていることについて、他の人は何かある?」
どこが?
分からない。
気持ち悪い。
「何か、とは?」
分からないことも。
気持ち悪い。
「私にキスしたこと?」
神を払う。
守原空。
神払空。
気持ち悪い。
「いや、不自然なところとか?」
不自然。
自然。
自然な不自然さ。
「んー……空君の性格が変わってる」
性格が変わってる。
性格も変わってる。
「命よりも金が大事つってたやつがそれ言うか……」
命。
金。
神。
狼。
殺。
空。
「あ」
相談。
対談。
雑談。
「ん?」
神様。
転生。
させられた。
「柔道で試合したことがあったんですが……」
嘘は。
吐いていない。
はずだ。
「彼を投げたとき」
柔道では。
負けたらしい。
「なぜだか――」
溜め。
迷い。
言う。
「体重が軽かったんですよね」
重さ。
軽い。
「まるで――ないみたいに」
ない。
重さ。
「……あ」
真黒は声を漏らしたが、足音に消されて前にいるめだかたちに届くことはなかった。
自分の思いついた突拍子もない結論に、目を見開いた。
「…………」
今まで空と関って得た記憶が、ビデオの早送りのように浮かんでくる。
守原空は、嘘を吐くのが苦手だ。だから信じた、信じられた。そして――彼がそう装っているとも真黒には思えない。
――ああ。
口角が勝手に持ち上がる。苦笑いに口が開く。
笑えない。こんなことは笑えない。
「……まずはフラスコ計画か」
はまったピースを外す。でた結論が、本当の本当に真実なのか、まだ分からなかったから、ではない。認めたくなかったから。
両頬を叩き、頭を切り替え、リセットした。