とある箱庭学園の生徒物語   作:じょーく

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ひねったタイトル付けようとして失敗した例です。でも折角だからこのままで。


ちょっと前の日常
買イート


 人生なんて有るよりも無いことのほうが圧倒的に多い、と気づいたのは転生して中学生になってからだったか。箱舟(はこぶね)中学校に一番近くて安全な道筋(みちすじ)を歩きながら、僕はふと横に顔を向ける。そこは学校に行くまでに数ある中の分かれ道の一つで、普段ならばどうとでも思わないようなものなのだが、その時の僕はなんとなくセンチメンタルな気持ちみたいで、そういえばここを通ったことが一度もないなと、考え付いたものである。

 それが僕にはとても寂しく感じて、また、僕に通られたことが無いなんて可哀想な道だ、というような上から目線すぎる同情を僕はしたもので、一つ道が違うくらいなら充分間に合うかと、僕は学校のために毎日通っている道ではなくて、その通ったことの無い道を選んだ。そして少し歩くだけで、僕の知らない店があって、僕の知らない家があって、僕の知らない人がいる。それを見て僕は最初のように思ったのだ。人生には僕が思ったよりずっと知らないものが――無いものが多い。それは考えてみれば当たり前で、僕が普段から物事を良く考えていればとっくに気づけたことである。

 やらないで良いと言われた教科書の問題だったり、めくったことのないページだったり、座ったことの無い椅子だったりと、日常だけで無いものが多い世の中にも関わらず、僕は転生して、中学生に至るまでまったく思いつけなかったのだ。

 

 不知火ちゃんなら――不知火半袖(しらぬいはんそで)ならばどうなのだろうと僕は考える。僕が聞けば当たり前のように正しい答えを返す不知火ちゃんなら、なんでも知っている不知火ちゃんは、知らないことより知っていることのほうが多いのだろうか。それは僕には分からないし、知らない。

 こんなもんだ、そんなものだ。高校生になってできた友達について、僕は何も詳しいことを知らないし、知っていることのほうがずっと少ない。そこに友情はあるのか、それさえも怪しい。

 

 有るより無いことのほうがずっと多い。人生なんて、そんなものだ。

 

 

    □ □

     ■ ■

 

 

「食べ放題の店ってあるじゃん?」

「うんうん、あるねー」

「不知火ちゃんがそこに行くとしてさ」

 

 箱庭学園の生徒としての活動が、今日も今日とて疲れながらに終われた帰り道、たまには生徒会に入っていない者の特典として、生徒会の仕事を手伝わずに、箱庭学園に入ってから友達になった不知火(しらぬい)半袖(はんそで)という僕なんかよりも小さいぐらいの同級生と帰るのであった。

 お互いが並んで帰ろうとしてたところを善吉に見られたら、ませた小学生たちみたいだな、とか言われたので、これまた偶然(・・)黒神ちゃんに会ってしまったので、僕としては不本意ながらに善吉が下剋上(げこくじょう)を起こそうとしているというどこから来たのか、いつの間にか僕の耳に入っていたその計画を伝えておいた。勿論(もちろん)善吉が否定してもそれは黒神ちゃんを油断させるための罠だから、ここは正々堂々と決闘宣言をしてから問答無用で相手をしてあげようとも言っておいた。不知火ちゃんと一緒に箱庭学園を出るとき、善吉の悲鳴が聞こえた気がするが、それはきっと僕の気のせいだ。

 

「ほうほう、私が行くとして?」

 

 僕とは違い。

 僕とは違い。

 僕とは違い、小学生な見た目で子供みたいに興味津々そうな顔で相槌(あいづち)を打ちながら、僕の話を聞く不知火ちゃん。こんな見た目だけど腹黒で大食らいなのを忘れないようにと、僕は自分の中で念じる。

 

「そしたらきっと、その店は食べるものが無くなるよね?」

「うーん、食べきる前に追い出されちゃったなー」

 

 経験者の発言ってすごい。そしてそれに疑問を持てない僕も怖い。

 

「……まあそれはそれとして」

「として?」

「食べられるものが無くなったら、食べ放題できないじゃない?」

 

 包丁でも食ってろ! とか言われる可能性はこの場合排除しておく。そもそも刃物は食べちゃ駄目だから。

 

「そしたらその店は詐欺罪ってことになるのかな?」

「ふむ……今度やってみようっ♪」

 

 そのまま鼻歌でもしそうなぐらいのご機嫌で、あちらこちらフラフラとさ迷い歩きながら、どこかに美味しそうな店は無いものかと、クンクンと鼻を鳴らしながら、走ったり止まったりを繰り返す不知火ちゃん。

 

「お、あっちに美味しそうな匂いが!」

「へー、行ってみようか」

 

 ピコーン、と頭の上に電球でも出そうな閃きさを出しながら、どこかのお店を指差す不知火ちゃんを目にして、微笑ましい気持ちになりながら、走りだした彼女を追いかけていく。不知火ちゃんがそう言う時は本当に美味しい物を出す店が多いから、僕もそれなりの期待をしている。お金もまあ、食べ放題の店だったら不知火ちゃんに奢れるぐらいはある。もしも食べ放題だったらまあ、ここは男として奢ってあげるとしようか。

 

「ん……?」

 

 僕は立ち止まった。今、視界の隅に何か……。

 

「どうしたの(あき)ー! 早く早くー! 奢ってくれるんでしょー?」

「誰も奢るとは口に出してないんだけどなあ……」

 

 どうか食べ放題の店でありますようにと祈りながら、僕は急いで、その場で飛び跳ねながら僕の名を口にしている不知火ちゃんに向かって走りだすのを再開した。

 

 しかしこの時の僕はまだ、知らなかった。

 僕が視界の隅に捉えたものはあろうことか。

 

 不知火半袖=出禁。という注意書きであったことを、この時の僕はまだ、知らなかったのだ。

 

 

    □ □

     ■ ■

 

 

「ありゃ」

「れれれ?」

 

 ぽいっと、ゴミでも捨てるかのように、不知火ちゃんが見つけた美味しそうな店の中に入ったら、何かを言う暇も与えられずに、店先に投げ出された僕らだった。

 

「うーん、やっぱダメだったかー」

 

 僕が納得いかずにこのまま店の前で、客になんて酷いことをするんだ、を始まりにしてあることないこと叫ぼうとした矢先に、不知火ちゃんは分かった風にそう言った。やっぱ、と言ったか今、どういうことだろう。不知火ちゃんはそのままどこからともなくスナック菓子の袋を取り出して、顔を上に向けてから袋を顔の前にやり、そのまま袋の真ん中を持って破ると、その下にある不知火ちゃんの口の中にすっぽりとどんどん入るわけで、噛まずに飲み込んでいるらしく、そのまま袋の中身が空になるまでノンストップで食した(?) 不知火ちゃん、ぶっちゃけ怖い。

 

「あー、なんか食べたいなー」

「食べてたじゃん! しかも一人で!」

 

 僕にも寄越(よこ)してくれたって良いのに。友情が疑われた瞬間であった。

 

「で、やっぱってどういこと?」

「んー? 私が食べ放題の店の中ではブラックリスト入りになっちゃったらしくてさー、どうやら他の客の分が無くなる直前まで食べちゃったのが原因らしいね。あひゃひゃ♪」

 

 笑い事じゃない。何だよブラックリストって。しかし僕の中ではどうやら驚きよりも、ついにやったかという感情のほうが強く、そこまで動じはしなかった。

 

「あー、お腹へったなー」

「…………」

 

 なんだよ、そんな視線をいちいちこっちに渡してきて、何が言いたいんだよ。

 

「あーあ、お腹の空いた可愛くてか弱い少女のために何かしてくれる人、いないかなー」

 

 か弱い? 誰だそれ? もしかして病院でホームランボールを待ってる美香ちゃんのこと? だけど残念ながら僕にはホームランを打つ技術も力もないんだ。くそう、僕にも力が有りさえすれば。筋肉マッチョならなんとかできたのに。

 

「早く食べ放題以外のところで奢ってよ」

「ついに白状しやがった!」

 

 まあ奢っても良いけどさ。良いんだけどさ。なんだろう、この、別にいいけど、嫌じゃないけど嫌だ、みたいな感じ。プライド的なものだろうか。

 

「ふっ……良いだろう、その代り、僕の言うことを何でも聞いてもらおうか」

「やだ」

「ご立派なご判断で!」

 

 ちくしょう、僕の『それじゃあ奢らせないでね♪』大作戦が口に出すまでもなく敗れてしまった。にしてもここ店前だけあって結構人通りあるんだよな、こんなアホみたいな会話を高校生がしてて、一体世間の人たちはどう思ってしまっているのだろう。ふむ……なんか生暖かい視線が多いな。子供を可愛がるような。不知火ちゃんも見た目だけは小学生だからな。うん。僕は関係ない。

 

「まあでも良いよ、奢る奢る。奢らせていただきます」

 

 なんだかんだ不知火ちゃんにお世話になるほうが多いからな、なんか無駄にいろんな情報知ってるし、僕の中ではもはや黒神ちゃんと同等、いやそれ以上の知識を持っていると見ている。

 ……なんで一組の普通科なんだろ? 特別普通科でいけたんじゃないのかな。

 

「じゃあねー、焼肉とタコ焼きとポップコーンとアップルパイと今川焼とたい焼きとツナマヨとサンドイッチとカレーと鍋とそばとラーメンと――」

「少しは遠慮して!」

 

 親しき仲にも礼儀ありという言葉を一から教えてあげたいよ全く、このままじゃ、やれやれ系主人公になってしまうぜ。

 僕の突っ込みに不知火ちゃんはえーっ、とあからさまに嫌そうな声をあげたが僕は無視、そして仕方がないなあと折れてくれたかと思えば、じゃあタコ焼きは抜くよ、とふざけたことを仰ったので、僕は財布を開いてみせながら頭を下げてやった。なんなら靴でも舐めてやろうか、とか、そんなキメ台詞を吐こうと思ったけど僕のキャラじゃなかったから止めた。

 

「しょーがないなー、うーん……」

 

 考えている間にもペロペロキャンディを舐めている不知火ちゃん。奢る前に怒るという行動を僕は許されても良いはずだ。

 

「ふっふーん♪」

 

 何か良いことでも思いついたのだろうか、いきなり口角を思いっきり吊りあげて笑顔になる。わー、可愛い。だけど怖い。なんだろう。僕には女の子の笑顔が何か企んでいるようにしか見えない体質に出もなってしまったのだろうか。それともなんだ、まさかと思うけど、僕の友達であり親友であり心の友である不知火ちゃんが何か酷いことを企んでいるとでも言うのか。そんなのは有り得ない。僕は友達だ。絶対に裏切らないぞ不知火ちゃん。だからお願いします何卒ご慈悲をください。

 

「じゃあねー―――――」

 

 

    □ □

     ■ ■

 

 

 結局、僕らが来たのは食べ放題でもなんでもないただの喫茶店。別にメイドもいない、本当にただの喫茶店だ。そしてなんともまあ、奢る値段もちゃんと考えてくれて食べ放題の店なんかよりずっと安く済ませてくれる提案をしてくれた不知火ちゃん。憎さ余って憎しみ百倍。

 

「本当にやるの?」

「うん♪」

 

 素敵な笑顔ですこと。本当にもう、憎さしか込み上げてこない。

 僕はそれでもしばらく手を彷徨(さまよ)わせながら、拳を握ったり開けたりする。うわー、すごいやだ。奢るってだけで良くこんなこと思いつくな。むしろその腹黒さには感動……は絶対に覚えないけど、褒めたくはなる。

 許してくれないだろうか、という有り得ない希望的観念で不知火ちゃんの顔を見てみる。うん、許してくれないね、知ってた。はあ、と僕はため息を吐き、ようやく観念して店の人を呼ぶボタンを押す。

 

「メニューがご決まりですか?」

「ええ……まあ」

 

 うわー、可愛い店員さん。助けてくれないかな。そしたら僕はあなたに惚れますよ。本当に。

 

「……-スを」

「はい?」

 

 うわん、二度も言わせるとかどんな羞恥プレイなの。本当に泣いちゃいそう。でも首を傾げる店員さん可愛い。

 

「か、かっぷる、せん、よう、とろぴかる、はー、と、じゅーす、をください」

 

 いった、いったぞ、僕はいったんだ。

 

「……はい、畏まりました。カップル専用トロピカルハートジュースをお一つですね」

 

 繰り返された。

 繰り返された。

 繰り返された。

 この時の僕の心境を理解してくれる人間は果たしてどれくらいいるのだろうか、恐怖とも絶望とも違う。ひたすらの羞恥。その余りの恥ずかしさに馬鹿にでもされてるのではないかと、別に加害者でもなんでもないこの店員さんに疑いの目を向けてしまう。

 うん、なんだろうね。なんかここまで来るとどうでも良くなる。世界が今滅んでもきっと動じないでいられる気がする。

 ほーら、不知火ちゃんがすごいニヤニヤしてるけど、もう怒る気力もないもん。

 

「じゃあそれを一人で飲んでね☆」

「もうこれ以上僕を苛めないで!」

 

 なんて恐ろしい奴だ不知火半袖。まさかこれを利用しての羞恥プレイをさらに思いつくとは、もう本当に降参だ。

 

「空」

「なに?」

「すごい顔赤いよ♪」

 

 う~。言うな。そう言われると余計に顔が赤くなっちゃうんだ。ああ、さっきまでそうでもなかったはずなのに、どんどん顔が熱くなってんのが分かる。思わず隠すように下を向く僕だが、不知火ちゃんからすればさらに愉快なことだろう。

 なんてこった、まさか彼女もできてないのに、こんなことをさせられるとは。いや、できても嫌だけど。

 

「お待たせしました。カップル専用トロピカルハートジュースです」

「あひゃひゃひゃ♪ わーい、来たよ空ー☆」

 

 楽しそうですねー不知火さん。僕は恥ずかしすぎてトロピカルな気分だよ。そして店員さん、さりげなくあんたも笑ってるだろう、肩が震えてるのが下を向いててもなんとなく分かるぞ。

 

「ふぅ」

 

 さすがにこれを飲まずにはいられないかと、僕は店員さんが行ったのを見計らってから、観念して上を向く。すると、

 

「ほらほら、飲んでよ」

「え……」

 

 不知火ちゃんが二つあるうちの一つのストローを咥えていた。それは別に水を飲むためのストローじゃなくて、この、トロピカルなジュースを飲むための、カップル専用のストローの二つあるうちの一つで。そしてそれを両肘を付きながら、両方の手の平に自分の顎を乗せて飲んでいた。

 驚きだった。食べ放題の店を不知火ちゃんが出禁になるよりもずっと。てっきりさっき言った通り、僕に一人で飲ませるのかとばかり思っていたのに。

 だけど不知火ちゃんはその僕の予想に反して、小学生みたいな小っちゃい口でストローを咥えながら、僕にも飲むよう促している。腹黒、であるはずの不知火ちゃんがこうして助け舟を出してくれるなんて僕は考えもしなかった。失礼な話、ここで僕が飲み始めた瞬間に一人で颯爽(さっそう)と店内から去るものとばかり思っていた。

 

「な……」

「ん?」

 

 なんで、と言おうとして、止めた。聞くのは野暮ってものだろう。理由だなんて、そんなの――友達だから、で充分じゃないか――――。

 

「なんでもない。じゃあ僕も飲もうかな」

 

 抑えきれなかった。恥ずかしさなんて吹っ飛んでいった。僕はいつの間にか熱くしていたはずの顔がちっとも熱くないことに気づきながら、その抑えきれない笑みでもう一つのストローに向かう。やれやれ、本当にもう。

 

 やれやれ系主人公でも、良いかもな、とか、思った僕だった。

 

 

    □ □

     ■ ■

 

 

「…………」

「…………」

 

 えー。

 はい。

 なんというか。

 ここで終わっても良い感じだったんだけど。

 残念なことに、そうはいかないらしいのが世の中らしい。

 二人で飲むとか、一人で飲むよりずっと楽だ、とか思った僕を今すぐ全力で投げ飛ばしたい。カップル専用だぞ、気づけよ。

 

「…………」

「…………」

 

 はちゃめちゃ顔が近い。

 おいおい、なんだよ不知火ちゃん、これを狙ってたのか。僕らは友達だという僕の考えは間違えてしまっていたのか。違うよね。違うはずだよね不知火ちゃん。僕らはちゃんとした友達であり心の友なんだよね不知火ちゃん。

 

「…………」

「…………」

 

 なに? なんなのこれ? なんで不知火ちゃんはそんな何でもないような顔で、別にどうでも良いですよーみたいな顔で飲めるの? すごい、感動した。僕なんかもう全然飲めないよ。ただストローに口を付けてるだけになってるよ。ごめんね、ぶっちゃけ一口も飲めてない。なんか飲もうとしたらズルーッて音が鳴っちゃいそうで嫌なの。なんか嫌なの。

 

「…………」

「…………」

 

 全然トロピカルじゃないよ。しいて言うなら砂漠だ。水が飲めないギリギリの緊張感。いつ終わるかわからない道なき道。うん、改名しようぜ。カップル専用デザートハートジュース。デザートなのかジュースなのかはっきりしろってね。あっはっはっは。笑えねえよ。

 相手は不知火ちゃんだってのに、なんで僕はこんなにドキドキしてるんだ。そうだ、これじゃあまるで僕がロリコンみたいじゃないか。確かにストローを何食わぬ顔でちゅーちゅー吸ってる姿、あー可愛い。じゃなくてさ、なんなんだろうね、いつも暴飲暴食しているこの子がどうして今回に限って大人しいんだろう。

 

「…………」

「…………」

 

 いつまで続くんですかねえこれ。ちょっと長すぎやしませんか? もう思いきって何か言ってみる?

 

「…………」

「…………」

 

 ……言えない。もうすぐ飲み終わるであろうという希望が僕を許さない。

 

「…………」

「…………」

 

 いけ、行くんだ僕! もうこうなったら行くしかない! なんか言え! 喫茶店が凄い静かだぞ! これも僕のせいなのか!

 

「…………」

「…………」

 

 喉が……喉が渇いて何も言えない。飲み物を……って今飲んでんだよね、飲めてないけど。こりゃ一本取られ――

 

「あー、空?」

「!? な、何かな不知火ちゃん!」

 

 静けさを破ったのは誰でもない、目の前の不知火ちゃんその人だった。僕はそれを好期とばかりにストローから口を離して、やっとこの気まずい雰囲気が終わるのかと、少しホッとした僕だが、それでもやはり、さっきまでまるで彼氏彼女のように顔をあれだけ近くにやってたら、さすがになんとなくギクシャクしてしまう。

 

「えーとね、もう良いかなー」

「そ、そうだね。じゃ、えっと伝票ね。僕の奢りだから」

 

 慌ててさっき店員さんがこのジュースと一緒に置いてくれたはずの伝票を手に取る。と、慌て過ぎたせいで机の上にあったカップル専用ジュースの器に手をぶつけてしまい、中身を容赦なくぶちまけてしまった。

 

「あ、わ、わ、ごめん不知火ちゃん!」

「大丈夫ですかお客様!」

「大丈夫ですよー。回避余裕っ♪」

 

 不知火ちゃんはさっと椅子からどいて、制服にジュースが飛ぶことは無かったようだ。あー、良かった。そして店員さんも有りがとう。

 

「どうぞ会計ならあちらです」

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 伝票を取ろうとするところまで見られていたのか、それは定かではないが、僕が机からはみ出た床まで零れたジュースを拭くのにどう手伝おうか迷っていたところ、店員さんはそう言ってくれた。惚れそう、というのは冗談だが、憧れはする。

 

「じゃあ、本当にすみません。ありがとうございました」

 

 と、机を拭いてくれている店員さんにそう言って、会計に向かう僕らだった。

 

 

    □ □

     ■ ■

 

 

「さ、さーて、じゃあ帰ろっか。うん、楽しかったね」

「うんうん♪ あんなに慌てて超受けた☆」

 

 あひゃひゃ、と笑ったのに釣られて、僕も思わず苦笑する。慌ててしまったのは事実だし、まあ受け入れるしかあるまい。それにしてもなあ、不知火ちゃんもなんだかんだでツンデレなのかね。一人で飲ませようとしたけど一緒に飲んでくれたり。そのせいでドキッとしてしまったもんだ。

 あー、駄目だ。思考がまだちゃんとしない。

 

「さ、て、とー、じゃあ帰りますかねー♪」

「うん、僕はこっちだから、それじゃ」

「はいはーい♪」

 

 そのまま別れると、またどこから出したのか、不知火ちゃんは二口サイズぐらいのサンドイッチを投げて自分の口に入れながら帰っていく。まだ食べるのかと思ったが、思えば喫茶店にあれだけ長い時間居たにも関わらず、結局飲んでしかいないことを思い出し、普通のことかと思いなおした。いや、サンドイッチをもう二十を超して食べてる時点で普通じゃないけど。

 本当に、どうして普通科なのか不思議なもので、そして僕は不知火ちゃんのことを何も知らないんだなとも思った。

 まあ、そんなものだろう。知ってることのほうが少ないのが普通なのだ。だけど、やっぱりその知らないことが不知と言う彼女は、普通じゃないのだろう。

 

「それにしても、ジュース勿体なかったな……」

 

 机からはみ出るぐらいに零してしまったジュースを思い出しながら、僕は呟いた。結構美味しそうだったのに、さすがにトロピカルなだけあるよね。トロピカルの意味は知らないけど。

 

 トロピカルの意味さえ知らない僕は、なぜ不知火ちゃんも口を付けていたのに、あれほどジュースが零れてしまったのか、やはり僕は知らなかった。




ひねったオチにしようとして失敗したかもしれない例です。でも折角だからこのままで良いのかな……?

そして気が付いたら不知火ちゃんの回になってた。うーん、次は誰の回になるのか、作者にも分かりません。
男キャラ以外が良いな……。頼んだぞ、作者の手。
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