「セーフだよね黒神ちゃん」
あれから10分。僕が生徒会室を出てから55分。
保健室を出ると消毒臭い匂いが消えて、違う空気が僕を包んだ。
一度、体の悪いものを全て吐き出すように空気を吐いてから歩き始め、さっきまでやってたゲームについて振り返る。残念ながら赤さんが笑っている所を見るという僕の願いは叶わなかったが、それはそれは、これはこれ。ネガティブになるのは良くない。それでも何時か絶対見てやるという決意を胸にして今日も僕は黒神ちゃんの下へと歩いた。
廊下を歩いている途中に、教室を覗いたりしてちゃんと時間を確認しながら柔道部の活動している場所へと向かったので、保健室の時計が壊れていて遅刻の罰として何かを受ける、というオチはなさそうだ。
そして現在、柔道部の活動場所。
そこでなぜか僕の会いたくなかった柔道界のプリンスこと
「5分の猶予もある。十分セーフだろう」
「それは良かった。ところでその手に持っている犬のコスプレ服みたいな物は何?」
「遅れた場合の罰だ」
「間に合って良かったー!」
猫のコスプレは前にやった事はあったが、あれはもう深夜のノリみたいなので本当なら絶対にやらないような事だ。
本当に、心の底から安心してから現在進行形で闘っている善吉と阿久根先輩を見てみる。
阿久根高貴先輩。別名、柔道会のプリンス。相変わらず変わっていない強さ。
――――それにしても変わったなあ。
何時もと変わらない柔道部のプリンス、阿久根先輩。いや
昔の話。
僕にとっては昔と感じる昔々の話。
――――――中学時代。阿久根先輩は
その時の阿久根先輩には何も無かった。だから誰かの言う通りになって何かを得ようとしたのだろう。
心の中に潜む苛々を無くしたかったのだろう。
何かを得たくて。
謎の苛々を無くしたくて。
だから
だから
人を。
物を。
その人物の言うとおりに。
壊せて壊して壊した。
邪魔な物を。
邪魔な人も。
関係ない物を。
関係ない人も。
容赦なく、当たり前のように。
潰して傷めて壊した。
そして当たり前のように黒神ちゃんもその被害にあった。
そして当たり前のように黒神ちゃんは何時も通り過ごしていた。
そして当たり前のように阿久根先輩は黒神ちゃんをまた傷つけた。
それでも当たり前のように黒神ちゃんは学校に通っていた。
どんな被害も怪我も、彼女は怒らず何もせず、ただ普通に学校に通ってみんなと一緒に笑って過ごしていた。
もちろんこの件で当たり前のように怒ったのは善吉だった。
何を思ったのか、中学デビューを果たして不良となりオールバックの髪型をしていた善吉は、その時の反阿久根同盟のリーダーとして共に阿久根先輩を彼女に代わって潰そうとした。
とした。と言ったのはできなかったからだ。何を隠そう、
善吉が彼を殴ろうとしたら、黒神ちゃんが善吉を文字通り蹴飛ばして止めてきた。
これにはさすがの破壊臣、阿久根高貴も呆気に取られた。なにせ今まで傷つけても怒らなかった彼女が、
そして黒神ちゃんは呆気に取られている阿久根先輩に向かって今と変わらず勘違いな上から目線演説を行った。
アニメのように都合良くその勘違いな演説に感動したわけではない。
分かったのだ。変わったのだ。
すがるべき人物が。
――――お前が俺の何かになってくれ。
そして当たり前のように破壊臣は改心した――――――。
「……で、善吉は何をやってるの黒神ちゃん?」
中学時代の事を少し真面目に振り返った所で、闘っていた善吉が阿久根先輩にひっくり返される場面が大きな音が僕の耳に響き渡るのと一緒に分かった。
かといってこれで善吉が負け、という訳ではなさそうで、二人の間合いが一定の距離になった所でまた善吉が阿久根先輩に向かって行く。
そして、僕の疑問には黒神ちゃんではなく近くにいた女性が代わりに答えてくれた。
「あれぞ柔道部恒例の阿久根方式の勝負やで。守原クン!」
「阿久根方式?」
恒例なのか。
ここだけの話、僕が関西弁を聞いたのはこれが初めてだ。
なので大阪弁なのか京都弁なのか僕にはわからないが、とにかく関西弁なのでちょっと感動した。うん、ちょっとだけ。
「そうや! 無制限十本勝負対無制限一本勝負の真剣勝負や!」
「真剣勝負……ねえ」
そんなハンデを着けてる時点で真剣なのかどうか怪しいものだ。
ていうかそんな依頼だったの?
「うむ。本来の依頼とは違ったのだがな」
そう言って黒神ちゃんが僕に鍋島先輩が書いたと思われる投書を僕に差し出す。
その投書の内容には柔道部の後継者を代わりに決めてくれ、という内容だった。うん。分かったけど善吉が闘ってる理由も分かんないし。本来の依頼はどうなったのかも分からない。
「後継者はどうなったのさ?」
「心配するな。もうすでに見終わった」
「見終わった?」
まだ1時間しか経っていない上に柔道部員って結構な数だろう。それを一時間足らずで見終わるなんてさすが僕らの黒神ちゃん! 常識が通用しないぜ!
でもどうやって判断したんだろう? 黒神ちゃんなら確かに一時間足らずで観察し終わりそうだけど少し面倒くさい気がするし、そんな大変な作業よりも黒神ちゃんなら別の解決策を思いつくだろう。それが何か考えていると今度は黒神ちゃんが答えてくれた。
「全員まとめて私が相手をした」
…………ご愁傷様です柔道部員のみなさん。
心の中で合掌。
「でも何で善吉と阿久根先輩が闘ってるのさ」
「男と男が闘っとる! そやし理由はいらへん」
またもや関西弁の女性が答えてくれた。
でも男だからって理由がいらないという事にはならないと思う。男女差別反対! 生徒会長差別反対!
差別について唱えた所でもう一つの疑問が僕を包んだ。
「じゃあ、肝心の柔道部部長様は?」
「ここにおるではないか?」
「へ?」
反則王が? やばいちょっとドキドキしてきた。
毛むくじゃらのいかにも反則を行いそうな顔を想像してから、また周りを見渡す。
……どこだろ?
再び見渡す。すると先程僕に阿久根方式を説明してくれた関西弁の女性が自分で自分に指を指しているのが僕の目に入った。
「……え?」
いや、待て、まだあわてるような時間じゃない。
反則王っていう異名で。
柔道部部長で。
「女性?」
「そやで!」
え? えええええええ!
口に出さない代わりに心の中で思いっきり声をあげる。
「女性だったんですね。てっきりこんな綺麗な女性じゃなくてもっと毛むくじゃらの男子高校生とは思えないぐらいの風貌でがははははとか笑ってる男の人だと思ってたのに……」
「うーん。おおきにって言うべき所なのか分かれへんなあ」
「おおきにだ! 初めて聞いた!」
ちょっと感動!
「……何や照れるなあ」
大分可愛い!
「ふん!」
「ぐべっ」
僕が嬉しがっているといきなり黒神ちゃんが持っていた扇子で僕の足元をすくい上げて転ばした。
顔からいった! 大分痛い!
「……何をする」
僕が黒神ちゃんの方を向くと、黒神ちゃんは僕と目を合わせるのを断るようにプイッと顔を背けた。
何これ、僕が悪いの?
ここで少し考察してみよう、なぜ僕は転ばされたかを。今こそ僕の頭脳が光り輝くときだ。
チクタクチクタクチクタク、チーン!
「寂しかったの?」
もう一度転ばされた。
□ □
■ ■
さてはて、僕が転ばされた理由は分からず仕舞いとして善吉たちの試合が終わった。
結果は善吉の勝利だった。阿久根先輩は善吉に一本取られて敗北。
……でも善吉は九本取られてるんだよなあ。
そう考えると阿久根先輩の勝ちでも良いと思うが、あの阿久根方式というルールでは負けだ。最初に決めて阿久根先輩も納得してた事だし、まあ良いのか。
でも良くない事が一つある。
「……なぜに僕も?」
僕も闘うことになった。不思議。
「ガンバレー」
「棒読みの応援ありがとうございます善吉君!」
おっかしいなー! なんでこうなったんだろう!?
もう一度僕の頭脳を光り輝かせてみよう。
善吉勝利。
↓
今度は僕の闘っている所を見たいと鍋島先輩が言い出す。
↓
だが断る。
↓
逃げるのは許さないと黒神ちゃんが言う。
↓
えーーー。
「僕が阿久根先輩と戦ってみな、3秒で終わるぞ!」
「えー、あの阿久根センパイに3秒で終わらせるだってー、スッゲー」
「3秒で終わらされるんだよ!」
自分が終わったからって善吉め……。
だが負けない。この憎しみと怒りを糧にしてあの柔道界のプリンス阿久根高貴と闘ってやる!
「来ないのかい、守原クン? 相変わらず臆病だね」
「やーい臆病者ー」
「善吉君マジうるさい!」
多分、鍋島先輩は僕も善吉並に強いって思ったから僕の強さも実際に見てみたいって思ったんだろうな。だけどそれは僕を見くびってる。
僕が善吉と一緒な訳がない(気がする)。
黒神ちゃんと一緒にいる善吉が普通に強いように、僕だってやれる(気がする)! ……やばい軽々と技決められて終わる気しかしない。
「行きますよ!」
強気から一瞬で弱気な考えになったが向かっていけばすぐに忘れると思い、そのまま阿久根先輩に向かって走る。
それに対して阿久根先輩は余裕そうな表情で向かってきている僕を待っている。
あー、でも相手柔道部だしなー。
くそっ、雑念が!
負けるよ残念ながら。
何ー!?
僕の心の中で天使と悪魔がで争っている。ただ今、圧倒的に悪魔のほうが優勢。やはり相手が柔道部、さらに赤さんと同じ十一組の特別体育科で阿久根先輩とあっては、負けることが当たり前に感じてしまうのも仕方が無いのかもしれない。
それでも、負ける事が当たり前でも僕は勝つ!!
柔道のルールは基本的なことなら分かっている。要は僕が転ばせれば勝ちだ。そして小さい人が大きい人にやるのに良い柔道の技は、一本背負い(ていうかそれしか知らない)。そして阿久根先輩の柔道着に勢い良く手を伸ばす。
やばい、すっげー怖い!
阿久根先輩はここまで僕が来ても何もしなかった。だが、だからこそ、逆に恐怖を感じた。なんだろう、嵐の前の静けさ、みたいな?
そう考えられていたのも束の間、僕の柔道着に鋭く相手の腕が伸びてきていきなり僕の視点が反転する。
「え?」
僕、ではない。なぜか阿久根先輩が声を漏らした。
……いや、しっかり技、決まってますよ。
「ぐえ」
見事予想通りというか何と言うか、軽々と投げ飛ばされた。
勿論、僕が。
「…………」
僕が痛みで悶絶している間に阿久根先輩は、自分の手を何か確かめるように開いたり閉めたりしている。
イケメンめ! 顔がいいからって何でも許されると思うなよ! 痛いんだぞ!
阿久根先輩はまだ何か疑問を持ったような顔つきだが僕を起こそうと僕に手を差し伸べてきた。
イケメンだ! 許しちゃいそう!
「時に守原クン。君、体重は幾つかな?」
「……40キロ代だったら良いのになー」
30キロ前半の高校生。探せばいるだろうが男でこれはなかなかいないだろう。痩せる事は簡単。太れない事が大変。女性に恨まれる体質だ。
仲間が欲しいよ……。
心の中で何度願っても叶う訳が無いのだが願ってしまう。
「……そうか」
この時はまだ、誰も気がつかなかった。
「そうですよ」
この阿久根先輩の疑問が。
魔法とも。
超能力とも言える。
僕のスキルの一端に関わっているという事に。
「では約束どおり柔道部に空を……」
「いやいや、そないな泣きそうな顔しても取れへんって! そないな約束もしてへんし!」