四人分のティーカップと一つのティーポットが、ぷかぷかと宙を漂ってきてテーブルに着地した。モリー・ウィーズリーが自分のティーカップを両手で包み、セドリックの隣の席に着く。「それで?」
聞いたものの、テーブルを挟み無言でにらみ合う、エイモスとセドリックのディゴリー親子は答えない。ディゴリー夫人だけが、配膳されたお茶にお礼を言った。
キングズクロス駅でハリー達を見送った後、両親に掴まったセドリックを連れて『隠れ穴』に戻り、現在に至る。駅で聞いて察するに、オーシャンと結婚したいセドリック対それを阻止したいディゴリー夫妻、という構図らしい。当事者の片方が不在で、しかもその片方も彼と結婚したがっているか、は、今のところ不明だが。
話し合いの場として我が家の居間を提供したモリーは、お茶を淹れる片手間で、仕事へと戻る長男とその婚約者(仮)を見送った。若い二人の仲睦まじいその背中を、モリーは複雑な面持ちで送り出した。
居間の席に着くのはディゴリー親子の三人とモリー、不在の当事者の血縁である忍者。それから、聞き分けの無い大型犬である。
ディゴリー夫妻の前では黒い大型犬の変身を解かないシリウス・ブラックは、何度、物置に帰れと命令しても聞く気を持たない。やっぱり『飼い主』でないとダメか、とモリーが諦めて嘆息すると、テーブルの傍にゆったりと腰を落ち着けたブラックの目は、『面白い物が見れそうだ』と輝いた。
エイモス・ディゴリーが口火を切る。
「それでもなにも、言ったとおりだ。私と母さんは、お前の結婚には反対だ」
頑なな様子のエイモスの口元は逆のVを描き、不機嫌を露わにしている。今朝にも聞いた言葉に、息子はムッとした顔で反抗した。
「……だから、父さん。父さん達は、ウミの事をよく知らないから、そうやって頭ごなしに……」
「父さん達の、どこが頭ごなしだ!」
息子の声をねじ伏せるかのように、エイモスは声を張って言葉を並べ立てた。
「六年生の時に、命を救って貰ったとは聞いている。お前の話も信じるし、愛息子を救ってくれたことに感謝もする。だが、結婚するとなると話は別だ! あの娘は、あの夜に、先生の腕を切断してやったと確かに言った! そんな暴力思想の輩との結婚なぞ、断じて許さん!」
一昨年の、三校対抗試合の最終試合後にあった出来事を言っているのだと分かった。セドリックの眉が怒りに歪んだが、エイモスの口は止まらない。
「それに、気絶したお前を物か何かの様に、雑につり上げて運んでいた。結婚した所で、可愛いお前が苦労するのは目に見えてる!」
頑なな調子の間に、確かに家族の情を感じさせた父の言葉を、「それは、父さんの想像だろう!?」と、息子は一蹴する。
「それに、去年の事だって二人に話して聞かせたはずだ! ウミは僕を守るために、『例のあの人』に連れさらわれたんだって!」
「そもそも、お前がそんな危険に加担したのだって、元はと言えば、そいつのせいだろうが!」
頭の硬い胴間声に、セドリックはガタン! と音を立てて席を立ち、父の胸ぐらを掴んだ。
「もう一回、そんなことを言ってみろ! いくら父さんだからって、こればかりは許さない!」
「ぐ……」初めて見る、愛息子の気迫。エイモスは動揺を見せ、ディゴリー夫人とモリーが「セドリック、落ち着いて」と、彼を落ち着かせて座らせた。
彼らの隣で、三郎は自分のティーカップの中身を見た。英語で話される会話内容についていけない彼のカップの中身は、もう底をつきかけている。
セドリックの肩に手を置きながら、モリーはエイモスを見る。「エイモス、仕方ないわよ。結局は、二人の問題なんだから……」
口に出した言葉を、モリーは心の中で、自分に言い聞かせる様に復唱した。
――そうよ、二人の問題。あの子が幸せならそれでいいのよね。……けど……。
愛する人を認めて貰おうとするセドリックの姿が、立派に育った長男と重なる。あなたが選んだ人なら、と、本当は笑顔で祝ってあげるべきなのだ。しかし。
エイモスの気持ちも、彼女には痛いほど分かった。そこを、簡単に納得できないのが親心なのだ。自分の手の届かない所に行こうとしている愛しい我が子が、心配で心配で、つい口を出さずにはいられない。
そんなモリーの様子には気付かないセドリックは、父親に言い聞かせる様に、指を突きつけた。
「そのとおりだ、父さん母さん。僕は誰に何と言われようと、彼女と結婚する。ウミを探し出して、二人で幸せな家庭を築くんだ!」
愛しい愛しい愛息子が、決意を固めた男の顔をしていることに、エイモス・ディゴリーは気付いた。頭の中に幼少期からの彼が蘇り、少し涙腺が緩む。しかし、心を鬼にして彼の行く手を阻まなければ。危険に飛び込もうとする我が子を止められるのは、親しかいないのだ。
「いいか!? セド、お前は騙されとるんだ! それでなくとも、かわいい一人息子をどこの馬の骨とも知れない日本人娘となんて……!」
「――っ! ……父さん、それ以上言うと……」
「黙れ!」
親子の争いに突然、野太い男の声が割って入った。全員がそちらを振り向くと、犬の変身を解いたシリウス・ブラックが、両の拳を固めて佇んでいる。全員がぎょっと目を見張った。
「シ、シリウス・ブラック!?」ディゴリー夫妻が恐怖に引きつり、モリーとセドリックがそれぞれ声を上げる。「シリウス!!」「ブラック、何で――!?」
ブラックは、そのどれもが耳に入らない様子で、怒りに肩を震わせている。
「……どこの馬の骨だと!? あいつはなぁ……あいつは――あいつは……!」
怒りに赤らむ彼の顔に、セドリックはハッとした。こんなにも憤っているブラックを、初めて見た。彼女の――ウミの存在は、彼の中でそんなにも大きい物だったのか、と、チクリと胸が痛む。
そして、ブラックは耐えかねたように口を開いた。
「あいつは……あいつは、日本が生んだ超女神級シンデレラ・美空の娘だ! アイツのことは悪く言ってもいいが、美空を侮辱する事だけは許さん!」
――痛み損だった。
エイモス・ディゴリーは、突然の指名手配犯の登場に、声を震わせながら席を立って杖を抜く。
「な、何のことだか知らんが、私の家族に手を出すのなら、よ、容赦しないからな!」
しかしそこで、家族を守ろうとする大黒柱の胸を鋭く押しとどめたのは、ディゴリー夫人だった。「あなた、黙って!」
エイモスも、その息子も息を飲んだ。静まった居間で、ディゴリー夫人のか細い声が、探るようにブラックに問いかける。
「……あなた、今、『美空』と……? 『美空』って、『宮瀬美空』……?」
ティーカップの中の最後の一滴を飲み干した三郎は、突然聞こえた叔母の旧姓に顔を上げた。するとちょうど、ティーポットがふよふよと漂ってきたので、礼を言いながらおっかなびっくり、注いで貰う。
ブラックはディゴリー夫人に向かって、どこか得意げに答えた。「今は結婚して、『上野美空』だ」
そしてポケットに手を入れる。エイモスは妻を守ろうと彼女の前に出ようとするが、ブラックが取り出したのは杖ではなかった。ポケットから出した彼の手には、いつかウミから貰った『お土産』があった。それを目にした夫人は、両手で口を覆って息を飲む。
「それは……美空のサイン色紙……?」
彼女は頬を紅潮させ、そのままポロポロと涙さえこぼし始める。訳が分からないエイモスだったが、妻を泣かせる男を敵と認定するまでに、そう時間はかからなかった。震えていた杖腕をしかとさせ、ブラックにピタリと杖を突きつける。
「おい。私の家族を悲しませようとするなら……」
「あなたっ!」
突如、耳から入って脳髄を走って行く呼びかけ。ついぞ聞いたことの無い伴侶の語調に、彼は跳び上がって姿勢を正した。「はいっ!」
ディゴリー夫人は、夫をキッと振り向いて捲し立てる。その剣幕と言ったら、かのミネルバ・マクゴナガルにも勝るとも劣らない。
「魔法省のお役人として、恥ずかしくないのですか!? すぐにウミ・ウエノの捜索に協力するべきです!」
「い、いや、しかし……」
見たことの無い妻の気迫に狼狽するエイモスだったが、夫人は夫には目もくれず、ブラックに興奮した様子で様子で語りかけた。
「それで、ブラックさん! そ、その色紙……もう少し、良く見せて貰っていいかしら!?」
指名手配犯はふざけているのか、どこぞの貴公子の様な調子で答える。
「いいとも……。よろしければ、こちらもご一緒に……どうかな、奥様?」
テーブルに置かれた縮緬の小箱に、またしても夫人の顔色が変わった。そこに置かれたのは、ウミが色紙と共に『お土産』として彼に与えた物だ。
「みっ、美空の歌箱!? 絶版したはずなのに、どうして……」
「フフフ……これは、君もまだ聞いたことが無い『上野美空』の歌声だからな」
夫人は、息も絶え絶え、という風に胸を押さえる。その様子を傍目で見ながら三郎は、叔母上の魅力は、国境はおろか性別さえ超えるのだな、とぼんやり思った。
ディゴリー夫人は、夫と息子の事など忘れてしまった様子で声を震わせている。目は、縮緬の小箱しか見ていなかった。
「そっ、そんな……あなた……あなた、どうして……そんな貴重なものを……」
「上野海には私も『仲良く』してもらっていてな。彼女の偉大なる母君が、私などのためにご用意して下さった」
「そ、そんな……! 録り下ろし……!?」
わっと泣き出した夫人の肩に触れたブラックは、うんうん、と頷きながら目元を濡らしていた。「分かる、分かるぞ、その気持ち……。ある日突然、芸能界を去った彼女と、こんな形で再会できるなんて、思っても見なかったよな……。大丈夫だ、これは夢じゃない……夢じゃないんだ……!」
モリー・ウィーズリーはさっぱり訳が分からないという顔をして、小声でセドリックに話しかけた。
「……何はともあれ、丸く収まった様で良かったわね」
セドリックは現実感の無い顔をみるみる内に明るくさせて、力一杯頷いた。
「うん……!」
その頃一方日本では――
「――っくち!」
夕食時、綺麗に揃えた指先で口を押さえる母を見て、娘が愕然として呟いた。「何そのくしゃみ可愛っ!」