英語ができない魔法使い   作:おべん・チャラー

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103話

「……と言うわけで、あの子に水薬を少し飲ませてからも、しばらく診ていたから……私が眠れたのは朝方なの。ごめんなさいね、あくびだなんて失礼を……」

 

 翌日の昼、『隠れ穴』にて、両家の夫人が揃うお茶会の席でディゴリー夫人は恥ずかしそうに笑った。ウィーズリー夫人の話を聞いていて、ついあくびが出てしまった言い訳をしていた所だった。モリー・ウィーズリーはそれを聞いて、痛ましさに顔を歪めている。

 

「……セドリック……平気な顔をしているけれど、まだ傷は深いのね……。まさか、毎晩うなされて起きるほどだなんて……」

 

「あ、いえ――あの事件のあと、ホグワーツではしばらく同室の子に迷惑をかけてしまったと聞いているけど、今はそれほど――毎晩ではないの……。でも、考えてみれば、まさに事件が起こった魔法省で働いているのだから、悪い記憶が呼び起こされて当然……かもしれないわね……」

 

 疲れが出てきたのだろうか、消沈した様子のディゴリー夫人は肩を落とした。モリーも頬に手を当てて悩ましげに肯定する。「そうね……」

 しかし、裏側を知ったからには、目の前の彼女にのし掛かる疲労だけでも取り去ってあげたい。モリー・ウィーズリーは杖を取り出した。

 

「疲労に効く水薬が、どこかに残っていると思うわ。それか、『元気呪文』をかけましょうか?」

 せっかくの申し出だったが、ディゴリー夫人はやんわりと断った。

 

「ありがとう。……でもそこまでお世話になるのは、申し訳ないわ。息子だって随分お世話になっているんですもの。このまま家まで『姿くらまし』して、ベッドで少し眠ることにするわ……」

 

 しかし、その意見にモリーは首を振った。上品に席を立ったディゴリー夫人の手首を慌てて掴んで、立ち止まらせる。

 

「体調が万全じゃ無い時に『姿くらまし』なんて、危険だわ! ばらけちゃったら、どうするの!?」

 

 家の前に片足が一本残されてたら、寝覚めが悪いわ、と言ったら、なんとかディゴリー夫人は留まってくれた。体調不良者の『姿くらまし』による、出発地点に体の一部を置いていってしまう事故は、夫のアーサーから年に数回聞いている。モリーはほっと息を吐いて、ディゴリー夫人を娘の部屋に案内した。

 

「ここで少し、眠っていくといいわ。娘が次に帰ってくるのはクリスマスだから、気兼ねなく使って」

「ありがとう、モリー……」

 

「いいのよ。さて薬は……」

 水薬を『呼び寄せ』るために杖を振ろうとして、突然聞こえた男の声にモリーは口を噤んだ。

 

「水薬より、こちらの方が良いんじゃないかな、奥様? 美空の歌声は最良の薬だぞ」

 

 いつの間にか扉の脇に、縮緬の小箱を掌に載せて格好を付けているブラックがいた。日本の歌手の話でディゴリー夫人と意気投合したらしいが、その、どこぞのプレイボーイじみた口調だけは止めさせたい。まったく、と腕組みして問いかける。

 

「ゴザルと庭の草むしりをしてくれていたんじゃないの? あと、いくら正体をバラしたからって、お客様の前にその姿でほっつき歩かないで」

 

 まるで彼の本来の姿の方が破廉恥であるかのような言い草に、ブラックは「言葉遣いが誰かさんに似てきたんじゃ無いか、モリー?」とおどけてみせる。その誰かさんであれば、多分ここで拳をお見舞いするだろう。

 

 モリーの顔色を読んでか、ブラックは「庭はゴザルが綺麗に片付けてくれたよ」と言って、掌に載る縮緬の小箱の蓋をあけた。可愛らしい音楽と共に、全てを包み込んでくれる様な、透き通った歌声が流れ出る。日本の歌姫・美空の名曲、『私の旦那様は箒乗り』だった。

 

 流れてきた歌を聴いて、ディゴリー夫人はほう、と息を吐いて枕に頭を預ける。そして、「……やっぱり美空の歌は、何回聴いても最高ね。よく休めそう……」と満足げに言い、すぐに安らかな寝息を立て始めた。

 

 

 一方その頃、夕食時の日本では――

 

「――っくちゅん! やだわ、大きいくしゃみ出ちゃった……。恥ずかしい」

 

「だからぁ、二人の娘を育て上げた母親のくしゃみにしては可愛すぎるのよ!」

 

 級友達にもなかなか聞かない、女学生のようなくしゃみを両手で押さえて頬を赤らめた実の母の可憐さに、娘の空が嫉妬で吠えていた。

 

 

 *

 

 

 ハリーの今期最初の魔法薬授業は、大成功に終わった。尤も大成功だったのは彼だけで、ハーマイオニーは授業の後しばらく口を利いてくれなかったし、ロンは「なんで僕にも教えてくれなかったんだよ」と、ことあるごとに槍玉に挙げた。

 

 ホラス・スラグホーンが教える最初の魔法薬学で、ハリーとロンが、今年はこの授業を受ける機会が無いと思っていたために、材料や教科書の用意が無い事をスラグホーンに伝えると、彼は快く教室の予備から教科書その他を貸し出してくれた。

 

 教室には生徒の実習用とは別に鍋が並んでおり、中にはスラグホーンの煎じた様々な魔法薬が煮えていた。中でも黄金色の『幸運薬』――フェリックス・フェリシスは生徒みんなの感心を集め、スラグホーンは今日の授業の最優秀者にそれを一瓶授与すると言った。

 

 みんなが素晴らしい薬を煎じようと奮闘している中で、借りた教科書をハリーが開くと、前の持ち主による走り書きがページの余白にびっしりと書き込んであった。当初はただの落書きとして気に留めなかったハリーだったが、ひょんな事からメモの指示通りに薬を煎じてみると、驚いたことに、スラグホーンでさえ惚れ惚れするほどの見事な『生ける屍の水薬』が出来上がったのである。

 

 教科書の走り書きの事など露とも知らないスラグホーンは、「この魔法薬の才能はリリー譲りだろう!」と満面の笑みでハリーを讃えて、約束通り彼にフェリックス・フェリシスを授与した。

 

 何事も教科書通りを良しとするハーマイオニーの嫉妬や、教室の隅からスリザリンのドラコ・マルフォイが睨んでいるのなんて、少しも気にならなかった。見知らぬ誰かの力を借りたのだとは言え、彼の記憶に無い両親との繋がりを讃えて貰ったのが、ハリーは嬉しかった。

 

「ハーマイオニー、機嫌治せよ。運も実力のうちだぜ。つまり、あの教科書を引いたのもハリーの実力ってことさ」

 

 夕食時、どこが悪かったのかしら、と自分の『上級魔法薬』のページを不機嫌に手繰りながら食事を頬張っているハーマイオニーを見かねて、ロンが言った。彼女が食事の時間に教科書とにらめっこをするのは試験前によく見る光景だが、まだ今学期の授業が始まったばかりなのだから、その姿を見せるのは時期尚早といったところだ。

 

 ハーマイオニーは、『上級魔法薬』をパタンと音高く閉じた。

「屁理屈はやめて、ロン。私は、ハリーが何の確証も無く変な落書きの言いなりになった事が許せないだけよ」

 

 何度目かのハーマイオニーの説教に、「ただの変な落書きじゃないって、何度も言ってるだろ」とハリーがうんざりした調子で返す。ハリーには彼女が、この教科書にも『リドルの日記』の様な危険な力が込められているのではないか、と心配しているのは分かっていた。しかし、ハリーの直感が、『プリンス』は違うと言っているのだ。

 

 裏表紙に『半純血のプリンス』と署名されたその教科書について、ロンは楽観的に「でもさ」と言った。

 

「実際、『幸運薬』が手に入ったのはそいつのお陰だ。もしかしたら、そいつこそが幸運の天使かもしれないぞ。これで、今期のクィディッチカップもいただきだ」

 

 ハーマイオニーは、とんでもない、と彼を睨んだ。

 

「ロン! 『幸運薬』を競技に使うのは、重大な違反行為よ! 先生も仰っていたじゃ――」「ほんの冗談だよ、ハーマイオニー!」

 

 ロンは非難に昂ぶるハーマイオニーの声から自分の耳を守るように、顔を背けた。その時、あちらの方に座っているラベンダー・ブラウンが彼を見て頬を染め、友達とクスクス笑ったのを確かに見た。

 

 最近、ラベンダーが時折こうして、ロンの一挙手一投足を見て友達とクスクス笑う事に、三人とも気付いていた。彼とすれ違ったりふと目が合ったりした時には、髪をいじりながら嬉しそうな笑みを見せる事にも。

 

 同じ女性であるハーマイオニーはその笑みの意味を羽根を浮かすくらいに簡単に理解する事ができるが、残念ながら当事者であるロンはそれを理解できずに、『女ってよく分からない』という顔をして肩を竦めることしかできずにいる。そしてその表情が、ハーマイオニーには腹立たしくてたまらない様だった。

 

「まったく……あのあほ面、たまったもんじゃないわ。見てるだけでイライラしてきちゃう……」

 

 夕食後の談話室で、寝室に新しい羽根ペンを探しに行ったロンの背中を見つめながら、ハーマイオニーは呟いた。ハリーは「ああ、うん……」と曖昧な声を出す。ちょうど今ロンは、すれ違ったラベンダーの何気ない風を装った挨拶に、ハリーと同じ様な言葉で返した所だった。黄色い声ではしゃぐラベンダーとその友達に見送られながら、首を傾げて階段を上がっていく。

 

 親友の背中を見ながら、ハリーはニヤリと口の端を上げる。

「あの鈍感さ、どっかの誰かさんを思い出すよ」

 

 明らかに熱狂的なまでに恋い焦がれられているにも関わらず、『私がいつモテたっていうの?』という名言を残した誰かを揶揄した彼に、ハーマイオニーの表情が複雑に動いた。その誰かの『今』の境遇を考えると、笑って良いのか怒った方が良いのか、決めかねている表情だ。

 

「……でも、『あの夜』は二人、良い感じに見えたわ。まるで、幾多の苦難も力を合わせて乗り越えてきた冒険家夫婦って感じの」

 

 ハーマイオニーは、魔法省で死喰い人と対峙した苦難を、この夏に両親と見た、そこそこに人気のある冒険活劇映画になぞらえた。クライマックスで主人公夫婦が手を取り合って敵を打ち倒すシーンには、何となくその二人を投影してしまったものだ。

 

『夫婦』という言葉にハリーは笑って、「セドリックが聞いたら、跳び上がって喜ぶだろうね」と言った。「君にそう見えてるなら、どうやら彼に『幸運薬』は必要なさそうだ」

 

 ハーマイオニーも笑って、ハリーが書き終わった羊皮紙を引き寄せて、レポートに誤りがないか添削しながら言う。

 

「そうね。それに、彼にとって『幸運薬』がどんな香りをしているかは、ロンでも完璧に答えられそう」

 

 ハリーは魔法薬のクラスでの一幕を思い出して、ニヤリとした。「その人にとって、一番魅力的な香りに感じられるんだっけ。確かに、そのテストは満点をとれるよ」

 

 何をそんなに時間をかけているのか、ロンが寝室から下りてくる気配は無い。ハリーは魔法薬のクラスで幸運薬の香りが鼻に抜けた時の、ウィーズリー家で嗅いだ花のような香りを思い出した。

 

 ふとハーマイオニーの顔を見ると、恐らく同じ時の事を思い出しているのだろう事が分かった。ぽっと赤く染まった頬を少しだけむっつりとさせて、眉は一瞬不服そうに歪んだ。彼女にそんな顔をさせる『とぼけ顔』は、一人しか思い浮かばない。

 

 その時、後ろから「ハリー!」と声がした。呼びかけるとほとんど同時に現れたジニー・ウィーズリーが、ハーマイオニーの隣に腰掛ける。

 

「クィディッチチームの選抜の日について、聞きたいことが――聞いてる?」

 聞かれて、ハリーはハッとして「ああ、うん」と生返事をした。ジニーの瞳が、怪訝な様子で彼を探る。

 

 彼が自分の『幸運薬』の香りの相手に気付いて放心してしまった事を、ハーマイオニーは長年のよしみでからかわないであげた。

 

 

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