「何のつもりだ、貴様!」
激昂した様子のスネイプがベラトリックス・レストレンジに掴みかかり、冷たい鉄格子にその体を押しつける。鉄格子がガシャンと荒々しい音を立てるのを、オーシャンは牢の中から息を整えつつ聞いていた。
スネイプが姿を見せなくなってから、レストレンジは地下牢によく『遊び』に来た。そのたびにろくな会話も無く『磔の呪い』をかけられる側からすると、たまったものではない。初めてかけられた『磔の呪い』は、オーシャンの体を内側から、血の流れや神経至るところを苛み続けた。まるで、体の内側をチクチクと食い破られる様な痛みだった。
今日も相変わらず同じ遊びに興じていたレストレンジだったが、階段を足早に下りてきたスネイプによってその杖を制されて今に至る。彼女は相好を崩さず、それどころか、さらに楽しそうに笑って答えた。
「おやおや、随分とご挨拶だねぇ。お前が他のガキ共のお世話にいそしんでいる間、代わりに、寂しそうなウェンディちゃんと遊んでやっていたんじゃないか」
「……彼女の『説得』に任じられたのは、我が輩のはずだ」
むっつりと、いつもの不機嫌な顔で心を閉じたスネイプが言った。返すレストレンジは、蛇の様に舌をチラつかせている。
「『説得』が聞いて呆れたもんだ。いつまで経っても、このお嬢ちゃんから呪文一つ聞き出せない癖に。……ああ、そうか。お前は可愛い子供達の教師だった。教えるのはお手の物でも、聞き出す事は専門外、という訳か」
スネイプの眉が、更に難しく歪む。牢の外の会話を聞きながら、オーシャンは彼が自分に対して一度も開心術を使わなかった事に、今更ながら思い当たった。息を一つ、大きく吐く。どうやら呼吸は調った。もう、大丈夫な様だ。
スネイプの目が、チラリとこちらを見る。しかし一瞬でレストレンジの方に瞳を戻した彼は多くを語らず、再び彼女に対して口を開いた。
「……去れ、ベラトリックス。彼女の事については、我が君からその殆どを委ねられている。君が心配する所では無い。……それとも、『闇の帝王』に隠れて、その玩具で遊んでいた事を包み隠さず報告するかね?」
スネイプの意地悪い語調に、レストレンジの顔がさっと赤くなって、青ざめた。そして二人は少しの間にらみ合うと、やがてレストレンジの舌が「チッ」と憎々しげに鳴らされた。
「……帝王の『玩具』で遊んでいるのはどちらなのか、すぐに思い知らせてやるからね」
吐き捨てる様に投げかけられた言葉に、スネイプは薄く笑う。「ご理解いただけたようで、何よりだ」
その言葉で怒り心頭になったレストレンジは、肩を怒らせて足音高く地下室を後にした。牢の中から、オーシャンはやっと口を開く。「礼なんて言わないわよ」
不遜な物言いに呆れたため息をつきながら、スネイプはいつもの、階段脇の壁に背中を預けて寄りかかり、腕を組んで牢の中のオーシャンを見据えた。
「それが、助けた者に対する日本人流の礼儀かね?」
オーシャンは牢の中で片膝を立ててだらしなく座ったまま、わかりやすく肩を竦めた。
「助けて貰ったからといって、犬の躾も出来ない飼い主に尽くす礼は無いわ。そもそも貴方がいなくならなければ、あいつは遊びに来なかったんだもの。監督責任ってやつよ」
スネイプが口の端を上げる。
「相変わらず口が減らない様で、安心した」
貴方の方こそ、と思ったオーシャンがそれを口にしない間に、次いでスネイプが質問を投げかけた。『磔の呪文』に晒されたにしては、彼女があまりにけろりとしているのが不思議ならしい。
「貴様に効かないのは『服従の呪文』だけだと思い込んでいたが」
オーシャンは牢の中から、せいぜい余裕を持て余している様に見えるように、顎を上げて答えた。
「日本には、『心頭滅却すれば火もまた涼し』って諺があるの。今日までにあいつと『遊ぶ』機会がどれだけあったと思ってるの? 良いまじないの実験台になってくれたわよ」
まあ、実際にはそこまでの余裕は無かったわけだが。『磔の呪文』相手に効果が確認出来たのも、ついさっきが初めてなわけだし。
さすがに『闇の三大呪文』相手に効果を軽減させるまじないを作り出すのは、骨が折れた。おまけに呪文と印が相手にバレない様にしなければならなかったので、自然、今まで使っていたまじないよりも要される技術は高度となった。この程度のまじないとなると、もしかしたら呪術師である父であれば完全に『磔の呪文』を無効化する事が出来るかもしれない。足の裏をくすぐられる程度の感覚となった『磔の呪文』は、別の意味で危険ではあったが。
感覚が首筋に蘇ってきて、オーシャンは一瞬身震いをする。スネイプは面倒くさそうな顔をして、彼女の言葉選びの揚げ足を取った。
「この場合、実験台となったのは君の方だろう」
しかし、作ったまじないが大成功したオーシャンは、何を言われても今日ばかりは名前通りの寛大な心で許すことが出来た。杖も忍具も取り上られたが、それらを失っても、まだ自分には彼らに対抗できる術がある――その気づきが、彼女に気概を取り戻させた。
*
クリスマス、ハリーはウィーズリー家の招待を受けて、例年と同じく、『隠れ穴』に厄介になっていた。パーティの招待を受けたのはハリーの他にキングズリーやルーピン、それにフラー・デラクールだった。尤もフラーの場合は、『招待』というより未来の夫との『帰省』と言った方が正しいだろうが。ウィーズリーの兄弟達も、パーシー以外がみんな帰省してきていた。
「アリー、ケーキをどうぞ」
「ありがとう、フラー。おばさん」
ウィーズリーおばさんの手で切り分けられたケーキを、フラーが舞うように奪って列席者に配っていて、ハリーは受け取りながらも二人に向けて礼を言った。おばさんとジニーがフラーに呆れて目をぐるりと回している間に、彼女は最後にビルにケーキを手渡しながらキスをした。
ラジオからはウィーズリーおばさんの青春の歌姫だというレスティナ・ワーベックの曲が流れており、時々、日本のチャンネルに合わせようとするシリウス・ブラックとのチャンネル争いが起きている。その隣では、真っ黒な装束に身を包んだ忍者が七面鳥に舌鼓を打っていた。今まで『隠れ穴』で過ごしたクリスマスの中で、一番変な感じだ、とハリーは思った。
「それで――」
ルーピンの声に、振り返る。ハリーの隣に座る彼の顔色は、今までで一番悪く見えた。「ホグズミードでの件に君達も居合わせたって聞いたけど、本当かい、ハリー?」
「あ、うん……」
頷いたハリーの方へ、シリウス、キングズリー、ロン、ビルの視線が集まる。ハリーが一緒に現場に居合わせたロンと目を合わせると、彼はあのおぞましい光景を思い出したのか、途端に食欲を無くしてしまっていた。
ルーピンが言ったのは、ひと月前にホグズミードからの帰り道で遭遇した出来事だった。
ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人が雪風吹きすさぶ中を歩いていると、前方で二人の女の子が一つの紙袋を奪い合いながら、諍っているのが見えた。次の瞬間に紙袋が裂け、中から現れたネックレスに触れてしまった片割れの少女が、強力な『磔の呪文』の様なものに晒されたのだ。
被害に遭った少女は、ケイティ・ベル。ハリーと同じ、グリフィンドールのクィディッチチームメンバーだった。彼女と諍っていた友人のリーアンに事情を聞くと、ケイティはホグズミード村の中で、誰かから紙袋をダンブルドアに届けるように頼まれたらしい、と言うことだった。
幸い、すぐに駆けつけたハリー達によって助けが呼ばれ、気を失った彼女をすぐに城の医務室へ運ぶことが出来た。しかし、彼女が誰から紙袋を託されたのかは明かされないまま、生徒達はもやもやとした不安を抱えてクリスマス休暇へ入ったのであった。
「何があったかは、大体聞いている。……酷い話だ」ルーピンは悲痛に顔をしかめ、テーブルの上で組んだ手で口元を隠す。「……傷は、残りそうなのかい?」
昔に教えていた生徒への気遣いを見せたルーピンに、ハリーとロンが首を振って答える。「いや、目に見える傷は、多分……」
「あのネックレスに触れた瞬間、彼女の体が宙に浮いて……叫び声はあげていたけど、どこかが傷ついている様には見えなかった」
シリウスが顎を扱く。「まあ、防寒着を着ている外での出来事だったわけだしな。傷がついていても、見えなかった可能性は大いにある」
キングズリーも頷いた。「それほどの呪いがかかっていたのだったら、命を落としていた可能性もあった。本当に、君達がいてくれて彼女は命拾いをしたよ」
ケイティの傷は医務室で治せるものではなく、彼女はその翌日に『聖マンゴ魔法疾患病院』へ移送された。その後間もなく開催された、寮対抗クィディッチの対スリザリン戦には、ハリーと同学年のディーンを採用するしかなかった。
あの試合を、ドラコ・マルフォイは欠場した。ケイティにネックレスを渡したのも、きっとマルフォイに違いないのだ。ハリーにはそれが手に取るように分かるのに、友人達はそれを、ただの考えすぎだと言う。
しかし、ハリーはスラグホーンのクリスマスパーティに呼ばれた夜、何かの計略について話すマルフォイと、それに協力したがっているスネイプの会話を聞いたのだ。絶対にマルフォイは何かを企んでいるとの確信が、ハリーにはあった。
ルーピンとシリウスは、その事をどう思うだろうか……彼が考えを実行しようと口を開くと、玄関の呼び鈴が鳴った。
ウィーズリー叔母さんが応えて玄関ドアを開けると、「ごめん、遅くなった」と詫びながら入ってきたのは、ディゴリー家の面々だった。
「今、ケーキを切り分けた所よ」とモリー・ウィーズリーがセドリックに言えば、ディゴリー夫人が彼女に「お招きありがとう、モリー」と柔らかく言う。両家の夫人がにこやかに笑い合っている横ではエイモス・ディゴリーが、キングズリーと話し込みながらラジオに杖を向けてチャンネルを調節しているシリウス・ブラックを睨んでいた。言葉の通じる者が増えた事に、隅にいた三郎が明るい顔を見せる。「良い夜でござるな、セド殿」
セドリックはにこやかに、日本語を返す。「こんばんは、ゴザル」
ディゴリー家の三人が杯を空けた所で、今度はウィーズリーおじさんが帰ってきた。彼は上着を脱ぎながら、賑やかな食卓を見て「やあ、やっているね」と嬉しそうに笑う。そして早々に席については、残っていたサラダに手を付けてエイモスと仕事の話も交えて談笑を始めた。しかしエイモスの方は、妻と妙に距離が近い指名手配犯の方が気になって仕方が無い。彼は一生懸命にラジオのチャンネルをどうにかしようとしていて、妻もその杖先をそわそわと見守っていた。
セドリックは、ウィーズリーの双子達に掴まっている。「ほら、ヤドリギだ」と、ジョージがセドリックの頭の上に庭から持ってきた飾りを浮かすと、その片割れがふざけて大げさに唇を尖らせて見せた。
吹き出したセドリックは、「やめてくれよ」と笑いながらも、すぐに何かを思い出してその笑顔をしまい込んだ。
すぐにその理由に思い当たった双子がおふざけをやめると、彼らの後ろから陽気な様子のジニーが顔を出した。
「あーあ、辛気くさい顔! その顔見たら、きっとオーシャン、あなたから離れてくわよ!」
意外な人物からの意外な言葉に、セドリックは顔を上げる。彼女の兄達もそれを聞いて、訳知り顔で頷いた。
「あ~、まあ、そうだな」「アンジェリーナと喧嘩した時なんか、怒ってるって言うより消えたがっているような顔してたもんだぜ、毎日」
「あの子は、自分のせいで人が悲しむのが嫌なんだもの」
ジニーの言葉で、思い出す。夜の廊下で彼女を抱きしめた、あの時。チョウに面と向かって酷い言葉を投げつけられても、彼女の全てを否定するのは良くない、と彼女を庇っていた、あの悲しい優しさ。
「……そう、だね」
肩を落として何とか笑ってみせると、ジニーは何かを思い出した様にニヤリと笑った。セドリックは首を傾げる。「何だい?」
ジニーはロンを振り向いたが、その言葉はセドリックに向けたままだった。「誰かがあなたの事を、自分と同レベルだと思い込んでた事を思い出したの。キスをしたかしてないかなんて、さして意味が無いのはあなたの前だけなのに」
ふふふ、とおかしそうに一人で笑うジニーについていけず、セドリックと双子は首を傾げるばかりだ。彼女は、先月にロンと言い争いをした時に、ミュリエルおばさんとしかキスの経験が無い彼が悔しそうに顔を赤くして、「セドリックだって同じだろ!」と言っていたのを思い出して笑っていた。
正直ジニーとしては、オーシャンには好きな人とくっついてほしい。よくよく考えれば、それがルーピンでもセドリックでもどっちでも良いのだ。ただ、彼女の事をこんなにも愛している姿を見せられては、彼の評価を改めざるを得なかった。