雪解けの気配が見え始めた三月。その日が誕生日だったにも関わらず、ロンは意識を失ったまま医務室への入院を余儀なくされた。
夕方になって面会の許しがようやくマダム・ポンフリーから出た。医務室前でそわそわとしていたハリーとハーマイオニー、ジニーの三人は、病床で目を閉じたままのロンに駆けよる。
そのまま永遠にも感じられる十分があった後、医務室の扉を開けて入ってきたのはフレッドとジョージ、それにセドリック・ディゴリーだった。セドリックはベッドに横たわるロンを見て痛ましい表情を見せたが、双子は弟の寝顔を見るなり、ほうっと息を吐いた。
「せっかくの誕生日に、幸運な男だよ」
ジョージの言葉には、弟が息をしている事への安堵感が現れていた。額の汗を拭ったフレッドが「まったくだ」と首肯する。
「『三本の箒』で報せを聞いた時は、肝を冷やしたぜ。見ろよこの、人の気も知らない天使のような寝顔を」
いつもの軽口は、息が上がっている自分たちを落ち着かせようとしているかの様だ。
「二人とも、ホグズミードにいたの?」
ハリーが三人を見て訪ねると、セドリックが頷いた。「二人とも、仕事の関係で来ていたらしい。僕は『騎士団』の任務で」
彼らは手近の椅子を『呼び寄せ』て、ベッドの近くに座った。双子はロンのベッド脇の小机から、彼のための水差しを取ると順番に喉を潤す。よほど急いできたのだろう。二人の口を周回した水差しの中身は、ほとんど空っぽになっていた。口元を拭って、双子は言う。
「ああ。ゾンコの店の買収に来てたんだ」
「ホグズミート進出計画。驚いたろ?」
「『三本の箒』には?」ジニーがそう訊いて、フレッドは何のことは無い、という風に肩を竦めた。
「ま、久しぶりに来たから、バタービールでも引っかけて行くかって話になった」
「そしたらなんと、先客がいたんだ。セドリック・ディゴリーとニンファドーラ・トンクス。意外な取り合わせだろ?」
まるで、隣にセドリックの存在なんて無いかの様に、双子は代わる代わる話し出す。双子に耳を傾けるのはハリーとジニーだけで、ハーマイオニーはずっと鼻を啜りながら、眠るロンを見ていた。双子の話は続く。
「だから、やっこさんに『お前、トンクスに鞍替えか?』って言ってやるつもりで近づいたんだよ」とフレッド。セドリックが声を上げようとした時には、ジョージが続きを話していた。
「そうしたらこいつ、彼女に何だか夢中で喋っててな。『そうなんだよ、そこがウミの可愛い所なんだ!』とかなんとか」
呆れた顔で言う彼の隣で、話題の本人は片手で顔を覆った。
「どうしてそうなったのか知らんが、オーシャンの好きなところを何故か彼女にプレゼンしてた。彼女、半分呆れ顔だったぜ」
最後の言葉は、セドリックを見て発せられた。彼が顔を赤く染めて、叩きつける様に「黙っててくれよ!」と言うと、事務所の窓からマダム・ポンフリーが「お静かに!」と叫んだ。「それとも力ずくで退去させられたいの、セドリック・ディゴリー!」
今は立派に魔法省で勤めてはいても、ホグワーツの先生達にとってはいつまでも生徒の一人に他ならなかった。怒られた彼はしゅんと縮こまる。
どうやら、セドリックとトンクスの二人は『騎士団』の任務の僅かな休憩時間を、その謎のプレゼンに当てていたらしい。バタービールで随分打ち解けた様子の二人に見つかり、双子も巻き添えを食らっていた所で、ロンの話が舞い込んできた。それを聞いたトンクスは、双子と一緒にセドリックの事も城へ送り出してくれた。彼が、任務の途中だ、とそこに残ろうとすると、トンクスは「友達の一大事なんだから、行ってあげなさい」と彼の背中を叩いた。
「親父とおふくろは?」
仕切り直したフレッドに、ハリーが答える。「ダンブルドアに呼ばれて、校長室に」
「それで一体、何があったんだ?」
訊いたセドリックに、ハリーは順を追って訳を話した。ロミルダ・ベインに押しつけられた『愛の妙薬』入りチョコレートをロンが口にしてしまい、解毒の為にホラス・スラグホーンの部屋を訪ねた事。解毒は成功してロンはすぐに正気を取り戻したが、スラグホーンが彼の誕生日のために開けた蜂蜜酒に毒が入っていた事。ハリーがスラグホーンの薬棚からベゾアール石を取り出して、ロンの口に押し込んだ事。
フレッドは全てを聞いて腕組みする。
「これでいよいよ、家族の半分が君に命を救って貰った事になるぞ。さあ、君の望みは?」
「よしてくれ。ロンが目を覚ましてくれたなら、これ以上の望みは無いよ」
ハリーがそう言った時、眠り続けていたロンが何かを唸って寝返りを打った。ハーマイオニーが息を飲み、普段と変わらない寝息を立てだした彼を見て、その目元が安堵に緩んだ。
その後、動転した様子で医務室を訪れたハグリッドも加わって侃々諤々の議論をしている所をマダム・ポンフリーに見つかった。
「見舞いは一度に六人までです!」と怒鳴られた結果、すでに目を付けられていたセドリックが退室し、残りのメンバーで、ロンが何故この様なことになったのかを話し合った。
ハリーは、スラグホーンがこの酒をダンブルドアと飲もうと思っていたと語った事を思い出したが、そもそもの酒の出所が差出人不明のクリスマスプレゼントだった事から、スラグホーンが毒を盛った訳では無い事は明らかだった。
ではダンブルドアを狙った物だったのか、と考えると、それならそもそもダンブルドアに贈るはずだ。犯人に足が付かない様にスラグホーンを経由したのだとしても、美味しそうな酒を手にした彼が一人でそれを飲んでしまう可能性もあるわけで、ダンブルドア一人を標的にしたにしては、あまりに不確実な方法過ぎる。
ケイティにネックレスを渡した犯人と、今回の犯人は同じなのだろうか……。夜も更けると、一同は気味の悪さを抱えたまま、それぞれの場所に戻るしかなかった。
*
このところ、何をする気力も起きない。ピーター・ペティグリューが何回か一人で食事を運びに来たにも関わらず、オーシャンは脱獄を決行しないまま、まだ、そこにいた。見慣れた石壁をぼんやりと見上げて座っている。
あの日、セブルス・スネイプが自分に杖を向けたという事実が何故こんなにも心を砕くのか、彼女には理解する事が出来なかった。それに、奴と戦ったのは厳密に言えば二度目。一度目は、奴が罪も無い人狼を攻撃した時。あの時は先生を救うのに夢中で、こんな気持ちは一ミリも芽生えなかった。
死喰い人の巣窟で殴られて気を失ったオーシャンを再び乱暴に地下牢へ閉じ込めてから、あの男は一度も姿を見せていない。すっかり腫れも引いてしまったので、自分がどんなに酷い顔を生み出したのか、ネチネチと責め立てる事も出来なかった。
あの時、オーシャンが『開心術』を破った時のあの男の表情には、鬼気迫るものがあった。――単純に、自分の術が破られたのが気にくわなかったのだったら良いのだけれども……――そこまで考えて、また奴の気持ちなどを慮ろうとしている自分に舌打ちをする。
何故こんなにも、あの男が自分に杖を突きつけた理由を欲しがる。もしかして、自分でも知らぬ間に、彼に安堵を見いだしていたのだろうか? 敵地にあっても、力になる仲間がいると、助けてくれる味方がいると……依存してしまっていた?
「くっ……」
自分の弱さに、唇を噛みしめる。絶対に、孤独でも負けないと誓った。なのに。
彼らが生きてさえくれれば、私は一人でも絶対に負けないんだと思った、あの日の気概はどこへ行った。知らぬ間に他人を求めるという、この体たらくは何だ。
冷たい石壁に背中を預けて、ズリズリと力なく体勢を崩していくオーシャンだったが、ハッと気付いて、身を起こした。――そうだ。私は死んでいない!
あの日が何だったのかは知らないが――いや、あの蛇顔の言葉は、確か『クリスマス』と――あの死喰い人が集う会場から、命を携えて帰還した事自体が奇跡と言える。
何故、それが叶ったか……それは、セブルス・スネイプが、息の根を止める前に牢に放り込んだからだ。いや、更に言えば、スネイプが杖を上げたからこそ、私は生きている。
オーシャンは口元に手を当てて考える。あの日、何があったかを、感情に流されず、時系列に整理し、因果関係を推測する。
あの日、小鼠と共にオーシャンを迎えに来た彼に、おかしな所は一つも無かった。いや、あの時は、逃亡を勧めたくせにその機会を潰す様な真似をすることを不可解に思いもしたが、あれはオーシャンに警告をするためであった事が分かった。事実、その時の彼の行動に矛盾は無い。
何故、あそこに呼ばれたのか……目的は聞き出せなかった。どうせ『日本の秘術』の件か、さもなければきまぐれに仲良し集会の余興とされたか。――そう、最初に杖を向けたのは、ドラコ・マルフォイだ。スネイプやレストレンジのそれの痛みには遠く及ばなかったが、それでも確かな『磔の呪い』を。
あんなに泣きそうな――今にも逃げ出したがっている表情で他者を虐げる者など、ついぞお目にかかった事は無い。蛇顔は、オーシャンだけでなく新人の死喰い人をもいじめる余興を見いだした様だ。
呪いはずっとは続かず、何度か切れ間があった。合間に、蛇顔が何かを言っていたのは覚えている。生憎と、呪いによる苦痛が残っていたオーシャンには、発せられた全ての言葉を理解する事はできなかった。
そして、スネイプが杖を取った。――いや、違う。三度目の呪いを命じたヴォルデモートに、マルフォイは応える事が出来なかった。だからスネイプは、彼に代わって杖をオーシャンに向けたのだ。ヴォルデモートが、死喰い人に染まりきれていないマルフォイをくびり殺す前に。
だとしたらスネイプは、一歩間違えれば命は無い死地において二人の『子守り』をしたわけである。
「……それは、お忙しいことで」
呆れ半分に独り言ちたそれは、冷たい石壁に反響した。二重スパイに加えて、予定外に放り込まれた子ども達のお守り。隠密行動の忍者ならいざ知らず、敵に悟られないように自分と子ども二人の命を守るのがどんなに重労働か、考えただけで吐きそうだ。
……いや、まだ『役目』があったか。加えて彼はホグワーツ教師。全校生徒が五年間を必修する授業を受け持ち、このように面倒くさい事極まりない課外活動……彼は多分、世界で最も忙しい人間なのではないだろうか。
ふう、と息を吐き、思えば久々に動かした頭脳を休ませる。数回深呼吸をして、体の隅々に血を巡らせてみれば、吸う空気が何だか暖かい気がしてきた。ひょっとすると、冬を通り越して春が近づくまで、この部屋で一人ふて腐れてしまっていたのか? なんという時間の無駄を……。
オーシャンは体の感覚を確かめる。座っている石畳も、思い返せばあの日よりは冷たくない様な気がする。彼女は外に春が訪れつつある事を確信して、額に手をやり天を仰いだ。
……それならそれで、嘆いていても仕方が無い。失った時間は取り戻せない。これから何を成すか、それだけだ。切り替えていこう。
オーシャンは自分に言い聞かせて、まずは柔軟を始めた。次に脱出の機会が訪れても、縮こまった筋肉で思い通りの結果を導き出せなくなっていては本末転倒だ。
呼吸と共にゆっくりと柔軟を続けて、最後に目の筋肉をほぐしていた時だった。
足下に『Wait』の文字が刻まれていた。