英語ができない魔法使い   作:おべん・チャラー

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107話

 ハリーは短い間に、人生で最良の日を二回経験した。

 

 一度目は夏の始まりに、ほとんど忘れかけていたフェリックス・フェリシスを使ってダンブルドア校長からの課題であるホラス・スラグホーンの隠された記憶を手に入れた一日。

 そして二度目には彼が罰則を受けている間に、今期のクィディッチ・カップでグリフィンドールが優勝したと知った時だった。

 

 今考えると、その二つは繋がっていたのかもしれない。なんたって、あの幸運の薬、フェリックス・フェリシスを使ったからこそ、ハリーに与えられた幸運の余波で、それまで付きあっていたジニーとディーンの二人が別れる事になったからだ……そう、一週間経っても続く幸せ気分を噛みしめながら、ハリーは隣に座るジニーにその手を重ねた。

 

 火曜日の昼休み、二人は生徒達で賑わう中庭の噴水の縁に座って、他の恋人達がそうする様に語らいを楽しんでいた。ジニーの兄であるロンは複雑な顔を見せていたが、可愛い妹の相手をディーンに任せるよりは長年の親友の方が遙かにマシだと思い直したらしい。それに彼自信も同じタイミングでラベンダー・ブラウンと別れた事で、明らかに肩の荷が下りたには違いない。

 

 ロンとラベンダーの付き合いはクリスマスの頃からだったので、ジニーとディーンほど長くは無かった。しかし、ハーマイオニーはロンとラベンダーの二人がくっついていると、よく悲しそうな顔をした。だからそれが無くなって、ハリーもほっと胸をなで下ろしている。

 

 だからといって今まで通りというわけでもなく、くっつきそうでくっつかない、互いに煮え切らない態度を取る二人にはやきもきする。たまにこっそりと、ジニーと一緒にそんな二人の話をする事もあった。彼女も同じ事を思っている様で、特に傍目から見て情けない事この上ない実の兄の事をこっぴどく笑い飛ばしてやっている。

 

 ずっとオーシャンの事を見ていたセドリックは、毎日こんな気持ちだったんだな――ふと、そんな風に思った事がある。こんなに毎日キスしたいくらいの愛情に溢れているのに、よく彼はずっと我慢ができたものだ。

 

 昼休みが終わると、生徒達は各々のクラスに向かう。ジニーもハリーの頬にキスを残して、午後のクラスに向かっていった。ハリーも魔法薬に向かうために立ち上がると、ロンがハーマイオニーと一緒にぶらぶらと歩いてきた。

 

「よう、色男」

「やめなさいよ」ふざけた様子のロンに、ハーマイオニーは顔をしかめる。

 

 ハリーは曖昧な笑顔で応えて、三人で魔法薬の教室へ向かう。再び闇の時代が到来しようとしているのが信じられないくらい、毎日が平和だった。

「でも、君、本当にあの教科書を手放したのか? どこにやったんだ?」

 

 ロンの質問で、一連の記憶が呼び覚まされたハリーの幸せ気分は一転して、胃に重たい石を放り込んだ時心地になった。ハーマイオニーもこちらを振り向いたが、仕方ないわね、と肩を竦めただけで終わる。そもそも、『プリンス』の教科書に懐疑的だった彼女だ。同情してくれるとは月光草の露一滴ほども思っていなかった。

 

「『必要の部屋』だ。物がいっぱい置いてあって、もう部屋のどこに置いたかも覚えてない」

 

 そうなった経緯は、事件が起こったその日の夜に二人に話して聞かせた。マルフォイが男子トイレで泣いていた事。言葉も無く呪いをかけられそうになったので、プリンスの教科書に走り書きしてあった『敵に使う』呪文を使ってしまった事。それによりマルフォイの体が切り裂かれて、おびただしい血が流れた事。駆けつけたスネイプによって彼の命が助かった事。教科書を出せとスネイプに言われて、急いで『必要の部屋』にプリンスの教科書を隠したこと。その出来事が原因で罰則を喰らい、寮対抗クィディッチの決勝戦に出られなかった事。

 

「僕の教科書を奪っていった時は、何事かと思ったよ。まあ、新品にして返してくれたからいいけどさ」

 

 ハリーの手によってロンの『上級魔法薬』はプリンスの身代わりになったので、彼には詫びとして新しい教科書を買って返した所だ。ハーマイオニーは我が意を得たりという顔をしている。

「ほら、私の言ったとおりだったでしょう? あの教科書は危なかったのよ」

 

「違う。あの教科書のせいじゃない」

 尚もプリンスの肩を持つ様な反応をしたハリーに、彼女はしかめ面を向けて口を開きかけた。しかし、続く彼の言葉でその非難をしまい込む。

 

「得体の知れない呪文を使った、僕が……考え無しだった」

 

 あの時を思い返すたび、恐ろしさに背筋が粟立った。マルフォイの肉を切り裂く感触が、まるでハリーの手にも伝わっていた様だった。あのような恐ろしい闇の呪文を、今まで何度も助けてくれたプリンスが教科書に書き付けていた事実が信じられない。

 

 分かりきっていた事だが、その後の魔法薬の授業は惨憺たる有様で、その本来の調合の腕前をスラグホーンが、どうやら今日は調子が悪い、と好意的に捉えてくれたのが唯一の救いだった。

 

 傷が癒えた様子のマルフォイもいつもの席にいて、授業を受けていた。ただ、ハリーがそのような評価をされていても、いつものような野次は飛んでこなかった。

 

 

 *

 

 

 足下に刻まれているその文字をみて、オーシャンは首を傾げるばかりだった。

 

 Wait……オーシャンにもはっきりと理解できる、『待て』という指示。この文字はいつからここにある?

 この地下牢に入れられてからの記憶を隅々まで掘り起こしてみるが、思い当たるものはどこにも無かった。

 

 まさか自分で彫る訳も無い――自分でやったのなら、日本語を使うだろう。無意識下であれば、なおさら。となると、ここに出入りする者がこれを残した。

 

 あるのだとすれば、オーシャンが気を失ったまま牢に戻された、あの時か。しかし、何故?

 

 頭を捻りながら、もう一度肩甲骨付近をほぐす。そして、はたと気付いた。

 もしかして、この動きまでもを見透かされているのか? 下手に動くなと言われている?

 

「…………逃げろと言ったり、待てと言ったり、なんなの……? 訳分からないわよ……」

 

 口にしてしまえば、疲れがどっと押し寄せてきた。今さっきまでの意気込みはどこへ言ったのだ、と、自分に問いかける。

 

 でも、疲れた。振り回される事に。体も心も。

 オーシャンはその場に力なくへたり込むと、ただ眠りたいと強く思った。

 

 

 *

 

 

 ハリーにはこの学期中、校長であるアルバス・ダンブルドアその人が個人教授を行ってきた。

 不定期ではあるが夜ごとに呼び出され、校長室で二人、ダンブルドアの『憂いの篩』を覗き込んではヴォルデモートについての様々な人の記憶を見、その人となりを探求してきた。

 

 先学期が終わる前、魔法省での事件から程なく、ダンブルドアがハリーに明かしたのは、彼がヴォルデモートに破滅をもたらすという未来が『予言』に示されていた事だった。

 戦場と化した魔法省で死喰い人達がこぞって狙った物。あの小さなガラス玉に閉じ込められていたものこそが、それだった。

 

 ハリーが生まれる前、予言がされたその場に居合わせたダンブルドアによると、予言が示したのは残される命は二者択一……つまりヴォルデモートを倒さぬ限り、ハリーは生き残れない、という酷な運命であった。

 

 予言の運命に抗えないのならば、必ず彼の者を打ち倒すしか、ハリーに生存の道は無い。

 

 だからダンブルドアは限られた時間を使い、ヴォルデモートに関連する人々の記憶を見せ、仇敵となる相手についての情報をハリーに与え続けた。

 

 そして彼の者を倒すために必要だった情報が、ついにホラス・スラグホーンの隠された記憶から浮かび上がった。彼の者が死を回避するため、自身から切り離して隠した魂達――七つの『分霊箱』。それを探し求め、破壊することが、ヴォルデモートを完全に消滅させる一手となるのだ。

 

 すでに一つは、この夏にダンブルドアの手によって発見・破壊がされていた。ハリーは校長室で見た、酷く焼け焦げた指輪を思い出す。次いで、今学期になって急に黒く死んだようになった、ダンブルドアの片手が脳裏を過る。

 

 これから戦おうとしている者は、偉大なる魔法使いが片手を犠牲にして、やっと破れる物なのだ。もしかしたら、無事には帰れないかもしれない。

 

 ハリーは談話室に入ると、暖炉の傍でゆっくりとくつろいでいる親友達に詰め寄った。

 

「今すぐDAメンバーを集めて、マルフォイとスネイプを見張ってくれ。今夜は、ダンブルドアがホグワーツを離れる」

「何だって? いきなりどうした?」

 

 帰ってくるなり真面目くさった顔を向けた親友の様子に、ロンの声が裏返った。ハーマイオニーもハリーの様子から、冗談の類いではないらしいことは理解したが、何故そうする理由があるのかを理解できないでいる。しかし、ハリーには説明している暇が無い。

 

「分霊箱を見つけた。僕もダンブルドアと一緒に出かけなくちゃならない。マルフォイが何かを企んでいる。八階の廊下……『必要の部屋』を見張ってくれ」

 

 ハリーが校長室に向かう途中で行き会った『占い学』のシビル・トレローニーは、『必要の部屋』にいた青年に、締め出しを食らった。今学期中マルフォイが何度もそこに姿を消している事を突き止めたハリーには、彼が何か良からぬ事を企んでいるのだと分かる。現にトレローニーは、彼が勝利の高笑いをしていたのを聞いている。

 

 他にも、彼らに話して聞かせたい話がたくさんある。酩酊している様子のトレローニーから聞いた、『予言』をした時の事。それをドアの外で聞いていたのは、『死喰い人』のスネイプだった……。その情報を奴がヴォルデモートに届けたからこそ、ハリーの両親は……。

 

 しかし今は、行かねばならない。

 

 ハリーは大急ぎで部屋に戻って、ダンブルドアから指示のあった通り『透明マント』を引っ張り出す。戸口にとって返そうとすると、そこに心配そうな表情で立つ親友達がいた。

 

 これからハリーに待ち受ける苦難が、どういった類いのものなのか、彼らも感じ取っているに違いなかった。ハリーは二人の脇を通り抜けながら、マルフォイとスネイプの件について念を押す。そして、僅かに震えた唇をぎゅっと引き結び、もう一つの頼み事を口にした。

「無事に帰ってこられる保証は無い。……ジニーに、さよならを」

 

 ハーマイオニーの涙腺が綻び、指先が触れる前に彼は足早に階段を下り、寮から出て行った。彼女はロンの胸で涙を流す。

 彼は静かに口を開いた。

 

「……行こう。すぐにメンバーに合図を」

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