英語ができない魔法使い   作:おべん・チャラー

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108話

 上階の扉が荒々しく蹴破られた音に、オーシャンはハッとした。冷たく静かな足音が息を飲む程の速さで階段を下りてきて、やがてセブルス・スネイプが牢屋を隔ててオーシャンの前に下り立つ。彼女が口を開くのよりも早く、彼は取り出した杖を牢の鍵に向けてサッと一振りし、いとも簡単に扉が開いた。

 

「出ろ」

 

 以前と全く同じ口調の指示。彼を信じていいのか決めかねている内に、見えない力が彼女の腕を掴んで牢から引きずり出した。

 

「……随分、強引ね。もっと優しく出来ないの?」

 掴まれた所をさすって文句を付けると、スネイプは彼女が何も言わなかったかの様に、「ここから先は、独り言だが」と前置き、オーシャンの顔を一度も見ずに話した。

 

「これからノクターン横町のボージンアンドバークスの店を通じて、ホグワーツへの襲撃が行われる。我が輩はそこへ『ネズミ一匹』を落とさねばならん。元の巣へ戻る道は、この一度きりだ」

 

――解放したかと思えば、この男は一体何を……それに、『襲撃』って――呆気にとられている様子のオーシャンの顔を、スネイプはそこでチラリ見る。そして本当に何も気付いてない様子の丸い瞳に、大仰に嘆息した。嫌みなため息に、オーシャンはハッとする。

 

「……『隠れ蓑』術で死喰い人の後を尾けたら、ホグワーツに帰れる……ってこと?」

 

 スネイプは肯定の代わりとして、オーシャンから視線を外す。そして嫌そうな顔で、腕を差し出した。目的の店までエスコートしてくれるという事だろうか? いや、しかしそれより……。

 

「あなたたち、ホグワーツに一体何をするつもり!?」

 声を荒げてしまえば、肺が痛んで咳き込んだ。ここにいる間、散々『遊ばれ』てきたダメージが体に蓄積されている。彼女が気付かないふりをしていても、体は悲鳴を上げずにいられない。

 

 彼女の咳が治まってから、スネイプは特に心配する訳でも無く、「三つ目の質問はそんなことで良いのか?」と言った。そして口の端を歪めて続ける。「我が輩なら、今後に出てくるであろう疑問の為に閉まっておくがな」

 

 これは、スネイプが初めてチャンスをくれたと理解していいのだろうか? オーシャンはやっとのことで答える。「ええ、そうね。早計だったわ。忘れてちょうだい」

 

 これから何が起こるにしても、それはきっと今までに無い最悪の事態かもしれなくて、オーシャンの頭の中は疑問で一杯になるはずだ。もっと明確な答えを得られるタイミングは、必ず来るはず。彼女がそう納得したところで、スネイプはまた、渋々腕を差し出した。「早くしろ」

 

 人生二度目のエスコートが、こんな悪い形で訪れるとは思っていなかった。彼の発する命令口調に不服な顔をするオーシャンは仕方なしに、差し出された腕を取る。次の瞬間、臍の裏側がぐいっと引っ張られる感覚がしたかと思うと、瞬きの合間に『漏れ鍋』の前に姿あらわししていた。オーシャンは突然の感覚にくらくらしている。

 

「……あの部屋全体に、妨害呪文が効いているんだと思ったわ。ここに来るなら、私一人でもできたのに」

「杖もなく、か?」

 

 ……そうだった。杖が奪われたままだ。一縷の期待を込めて『先生』を見ると、彼は汚泥を見つけたときのような表情で「気持ちの悪い目をするな」と言った。やっぱりコイツ、嫌いかも。

 

 彼は再びオーシャンから目を離して、周囲を覗いながら声を低める。

「すでに同胞達は、横町内で待機している。ここからは、ネズミはネズミらしくしていればいい」

 

 それがもう気配を消したほうがいいとのアドバイスだと理解したオーシャンは、『隠れ蓑術』で姿を消す。次の瞬間、スネイプの隣で僅かな音がしたかと思うと、そこに死喰い人が立っていた。ヒュッと息を飲む。あと一瞬遅ければ見つかっていた。

「スネイプ。どうしてここに? お前はホグワーツで待機する手筈だろう」

 

「カロー」何気ない仕草でそちらを振り返りながら、スネイプはバサリとマントを翻し、姿を隠したオーシャンを匿う。

 

「君達の案内役を買って出たまで。久しぶりの里帰りでは、目的の場所までたどり着けまい」

「それはご親切な事で」

 

 スネイプのとっさの言い訳を信じたカローは無感動に鼻を鳴らし、ダイアゴン横町へと繋がる道へ向かっていく。その後ろに続くスネイプの背中にピタリとくっつきながら、オーシャンは小声で笑った。

「さすが、生真面目な教師は言い訳が下手ね」

 

 すると顔色一つ変えない彼から、マントの下で強かに肘鉄を食らう。彼もこの展開は不本意に違いなく、オーシャンの理解が正しければ、『姿現し』で彼女をダイアゴン横町に送った後、スネイプはすぐにホグワーツに帰る予定であったのだ。彼は自分の機転の良さを呪ったに違いない。

 

 不意打ちを喰らってオーシャンの口から息が漏れた音を聞きつけて、死喰い人が振り返った。

 

「何か言ったか?」

「何でも無い」

 

 確実に聞こえた筈の音をごまかしもしないスネイプに彼は首を竦めて、横町へ続く道を開く。死喰い人が礼儀正しく横町を訪れる姿を、オーシャンは身を隠したまま不思議な面持ちで見つめた。

 

 カローとスネイプの二人は特に何の会話も無いまま、ノクターン横町の入り口へと向かっていく。オーシャンはスネイプのマントの下で彼の足取りに合わせてつつ、石畳が立てる足音を消して歩く。

 

 こいつらがこれから何をしようとしているのかという不安感と、ホグワーツに戻れるという期待感で、目的の店が近づくにつれてオーシャンの胸は高鳴る。彼らの元へ帰れると思うと、足音を殺すのすら段々と難しくなっっていった。

 

 ボージンアンドバークスでは思ったよりも多くの死喰い人が、作戦の開始を待っていた。ベラトリックス・レストレンジがスネイプの姿を見つけて眉を顰める。「スネイプ、何故ここに」

 

 そしていつものヒールを高らかに鳴らして、鼻先が彼の胸に突きそうな距離まで近づいた。「何を企んでいるんだい? お前の役割は、ここにいることじゃないだろう――おや」

 

 すんすんと鼻を動かして、彼女はフッと嗤う。「随分な香りをお使いじゃないか。亡者達が好きそうだ」

 

 彼は眉を顰め、マントの下に隠しているもののせいだと思い当たった。しかし、それを気取られる訳にはいかない。この女のあしらい方なら心得ている。

 

「フッ。君に人の体臭を嗅ぐ趣味があるとは、知らなかったな」

 そう返せばレストレンジは顔をさっと赤くして、身を翻した。

 

「勘違いはおよし。とにかく、私に近づくんじゃ無いよ。鼻がもげそうだ」

 

 スネイプの背中で、オーシャンは息を吐く。その後も続々と集まってくる死喰い人達から同じ様な質問を投げかけられたスネイプは、彼女を自身と店の壁の間に隠しながらそれらを躱し続けた。

 

 やがて店の扉が開き、くたびれた男が顔を出す。

「皆様、お時間でございます。中へどうぞ」

 

 店主の呼びかけに応じて、レストレンジが真っ先に動いた。戸口への階段を上がり、そこを塞いでいる店主の体を邪魔だと言わんばかりに小突いて店の中へ入る。

 

 ぞろぞろと店に入っていく死喰い人達を見ながら、スネイプはボソリと呟いた。「行くぞ。気取られるな」

 

 オーシャンはゴクリと息を飲んで、返答として彼の背中に軽く触れる。それを肯定と受け取って、スネイプは店の扉へ体を向けた。

 

 店の中は薄暗く、店内は異様な空気に包まれていた。これから起こる『何か』が、オーシャンの胸を不安で押しつぶそうとしている様だ。それでも、何が行われようとしているのか見届けないわけにいかない彼女は、首を伸ばして何とか死喰い人達の向かう先を見る。

 

 彼らが向かっているその場所は、一つのキャビネットだった。着丈が長い着物を吊るしで閉まっておける様な大きさの物で、観音扉は開いている。その棚板に、先ほど横町の入り口で会った死喰い人、カローが土足のまま足をかけて上がっていった。

 

 目を丸くして見ていると、彼を飲み込んだまま扉が閉まってゆく。そして一分ほどの後に再び開いたキャビネットの中には、カローの姿は無かった。その光景に特に感想を漏らすでも無く、次の女性が同じ場所に足をかけて、同じように姿を消した。

 

 残るはスネイプとオーシャンのみになった。彼は後ろに隠していたオーシャンを先に行かせ、店主に戸惑った顔をさせる。店主の目には隠れ蓑を被っているオーシャンの姿は見えず、スネイプが空のキャビネットを前にして立ったまま気を失ったかの様に見えたに違いない。

 

 オーシャンをキャビネットの奥に追いやって、スネイプが中に入る。彼がそこで振り返って再びオーシャンを背中にすると、店主のボージンがキャビネットの扉を閉めた。「……では、お気を付けて」

 

 

 *

 

 

 まるで悪夢の様だった。毒に侵されたダンブルドアの体。ホグワーツ上空に浮かび上がる、『闇の印』。息も絶え絶えに箒にしがみつくダンブルドアを度々振り返りながら、ハリーは何が起こっているのかさっぱり分からないまま、不安に焦る鼓動をなんとか抑えて『闇の印』のちょうど真下の天文台の塔へ向かって飛び続けた。

 

 校長がこんな風になった理由は、今夜出かけた海辺の洞窟にあった。

 

 ヴォルデモートが幼少期に子ども達を脅かすのに使っていたというその洞窟には、ダンブルドアの調査の通りに分霊箱が置かれていた。しかしそれは湖の中の孤島の真ん中で毒の水に沈められており、その水を飲み干さなければ分霊箱に手が触れられない様になっていた。

 

 校長は、彼自身に毒の水を飲み干させるためにハリーをそこに連れて行ったのだ。ハリーが水を一口飲ませるごとに、ダンブルドアは正気を失っていった。弱々しい子どものようにハリーが差し出す水の杯を嫌がり、半ば無理矢理飲まされる様にしながら何かを懺悔した。二人は共に涙しながら、辛い役目を乗り越えてやっとの事で分霊箱を手にした。

 

 ホグズミードで『姿あらわし』したダンブルドアは、もう立っていられなかった。そして、スネイプを呼んで欲しいと言う彼と戸惑うハリーの前に、『三本の箒』のマダム・ロスメルタが慌てた様子で現れて、ホグワーツの上空に『闇の印』が出ていると教えてくれたのだ。

 

 ホグワーツの無事を託した友人達が心配で、マダムに借りた箒で天文台の塔に目がけて飛びながら、ハリーの胸は張り裂けそうだった。気ばかりが急いて、何度も箒が本当に前に進んでいるかを疑った。

 

 二人一緒に天文台の塔へ着地すると、ダンブルドアは自らを支えられずにその場にくずおれた。ハリーは箒を投げ捨てて、その姿に駆け寄る。「先生!」

 

 ダンブルドアは力なく笑った。

「……ちと、年甲斐も無く無茶をしすぎたわい」そして頼みがある、とハリーを見上げる。

「セブルスを呼んできて欲しい。情けない話じゃが、もう一歩も動けそうにない……」

 

「……! わかりました、すぐ――」と腰を上げて塔の出口に走りだそうとするハリーを、ダンブルドアは呼び止めた。「ハリー」

 

 振り向く彼に、念のため、透明マントを身につける様に指示がある。「城に何が起こっているのか分からぬ……」

 

 その時、今夜出かける前に彼らが交わした約束――ダンブルドアのどんな命令にも……有事の際には自分を見捨てて逃げろという命令にさえも絶対に従うという、その約束がハリーを守った。

 

 彼が透明マントを身につけた直後、塔の入り口に ドラコ・マルフォイが現れた。

 

 

 

 *

 

 

 

 キャビネットを通ってきた先は、『必要の部屋』だった。室内は広大なゴミ置き場の様になっていたが、スネイプと別れて部屋を出た時の位置からすると、間違いない。どうやらボージンアンドバークスにあったものの対になるキャビネットがそこにあったらしく、死喰い人達はそれを通って学校に侵入した。

 

 先輩死喰い人達を部屋の中で出迎えていたドラコは、キャビネットの中からスネイプが顔を見せたのを見て、他の死喰い人達と同じ反応を見せた。眉根を寄せて「何故、お前がここを通るんだ?」という彼の質問に、スネイプが答えることは無かった。

 

 その場で二言三言会話した二人だったが、スネイプに「早く始末を付けろ。これ以上、我が君を煩わせるな」と発破をかけられて、ドラコは部屋を後にした。オーシャンはそのやりとりを、身を隠したまま聞いていた。

 

 その後スネイプは彼女に「どこへなりとも消えろ」と言って部屋を出たが、彼らの不穏な会話を聞いた後では、オーシャンは彼の後を付けずにはいられなかった。

 

 今、天文台の塔でダンブルドアに杖を突きつけているのは、ドラコ・マルフォイだ。他の死喰い人やスネイプがそれを取り巻いているその更に後ろで、オーシャンは身を隠したままそれを見ている。黒い後ろ姿に阻まれてドラコの姿は見えないが、彼の震える杖先はしっかりと見えた。

 

 取り巻きの死喰い人達は笑いながら野次を飛ばしている様子だが、オーシャンの脈打つ鼓動は全ての言葉を遮っていた。どくどくと激しい波の様な心音が、ただうるさい。

 

 まるで悪夢の様だった。城の中を死喰い人が跋扈し、生徒の一人が校長に牙を剥く。魔法省でオーシャンを背に敵の総領と戦っていた魔法戦士は、今や見たことが無い程に弱り切っていた。立っているのもやっとな様子の校長の顔は老いに陰っており、初めてダンブルドア校長の事がただの年寄りに見えた。

 

 ドラコの震える声が何かを喋っている。ダンブルドアが弱々しく答え、死喰い人がそれを野次った。彼らの言葉は分からない。しかし、このままではダンブルドアが死んでしまう事は手に取る様に分かる。こちらも敵を武装解除するしかあるまい。

 

 今のオーシャンは誰にも気配を悟られていないはずで、杖が無くても彼女には敵の武装解除をする術がある。ただし、一度に全員の武装を解除するのは不可能。丁寧に目の前全員の杖を奪っていては、ドラコにダンブルドアを殺す隙を与えてしまう事は十分にありえる。しかし先にドラコを攻めてしまうと、彼らを取り巻く死喰い人に殺される――どうすればいい。

 

 そこでふと、死喰い人達の隙間ごしにダンブルドア校長と目が合った。彼は身を隠しているオーシャンに向かって確かに、小さく、首を横に振った。

――何だ、今のは? 動くなと言うことか?

 

 彼の意図がオーシャンには読めない。ただ動向に注視する事しかできないでいると、未だ杖先を震わせているドラコに、死喰い人達がしびれを切らして罵り声を上げ始めた。その中で、校長が呼んだ名前が凜と耳に届く。

 

「Severus」

 そう呼んで、スネイプの方に顔を向ける校長は、願うように何かを言った。

 

 その後、一瞬だけあった間にスネイプがどんな表情をしたか、オーシャンには見えなかった。ただ、短い呪文と緑色の光が閃いたのだけが、視界に映った。

 

 ダンブルドアの体から力が抜けた。誰かが叫ぶ。死喰い人達が歓喜の声を上げ、死にゆく体が塔の縁から落ちた。校内に嬉々として引き返す死喰い人。スネイプの手はドラコを守ろうとするようにその肩に触れて、オーシャンの真横を通り抜ける時に、彼がこちらを冷たく見たのを感じた。

 

 怒号が彼らを追い立てる。膝が笑い、腰から力が抜け、オーシャンは地面にぺたりと崩れ落ちた。

 今起きたのは……悪い夢か? 

 






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