―チリン、チりン。
玄関で呼び鈴が鳴り、モリー・ウィーズリーが出迎えるとそこにはオーシャン・ウェーンがいた。
「まぁ、早かったわね!むさ苦しい家ですが、どうぞ!」
「お邪魔します」
オーシャンが言って外井をくぐったところで、バタバタとした足音が階段の方から聞こえてきた。まるで転げ落ちる岩の様な勢いだ。ウィーズリーおばさんがしかめ面で階段を振り返ると、そこに登場したのは長身の双子達だった。
「おう、遅かったな、オーシャン!」
「首を長くして待ってたんだぜ、早く俺たちの部屋に来いよ!」
双子が口々に言う。その間を割って小さい姿が現れた。
「昨日家に着いたばかりじゃない!二人とも冗談ばっかり言うんだから!」
ウィーズリーの末娘のジニー・ウィーズリーだ。ジニーはオーシャンに挨拶して、元気いっぱいの笑顔を見せた。先学期に大変な事件に巻き込まれて死にかけたのは、もはや過去の事である。
オーシャンがハリーに宣言した通り、からすは行き先を一回聞いただけで、オーシャンを『隠れ穴』に真っ直ぐ連れてきた。オーシャンはトムに作ってもらった朝食を、からすに揺られながら優雅に食べているだけで良かった。
新学期が始まるまでの滞在期間、オーシャンはジニーと同じ部屋を使うように言われた。荷物を置くためジニーに案内されて部屋に入ると、そこは想像していた通りの女の子の部屋だった。一つだけある窓には、レースのカーテンがかかっている。少々使い古されている感じが、オーシャンにはアンティーク調で洗練されている感じに見えた。
棚の上にはいくつもの人形がおり、その横には棚に仕舞いきれなかったのか、学習用品がいくつかむき出しの状態で置かれていた。壁には女性のバンドグループらしいポスターが張られているが、何というグループなのかオーシャンは知らない。
「荷物、ここに置いとくのがいいわ。貸して」
ジニーに言われて、オーシャンの荷物はベッド下に押し込まれた。ジニーは一仕事終えるとふう、と息を吐き、そのベッドの上に腰掛けてオーシャンを見上げた。
「お世話になります」
オーシャンが言うと、ジニーは首を横に振り振り、微笑んだ。
「フレッドとジョージから、あなたがうちに遊びに来てくれるって聞いた時、とっても嬉しかったの!もちろんパパとママも嬉しがってたわ!」
「そんなに歓迎されると、逆に恐縮しちゃうわ…」
「あなたとハリーが私の命を救ってくれた事、忘れてないわ!来年の夏も、ずっとここにいてほしいくらいよ!ただ、―」
ジニーが言いかけた時、オーシャンは誰かの視線を感じて扉の方を見た。部屋の扉が細く開いていて、そこから青い瞳が覗いている。また背が伸びた様だが、そばかすだらけの顔は相変わらずだった。ジニーも気づいてそちらを向くと、扉の外にいたロンは慌てて身を引き、階段を乱暴に上がって逃げた。ジニーがその様子にクスクス笑う。
「あなたが遊びに来るって聞いてから、ずっとああなの。ビクビクしちゃって、変なの」
「―ふーん…」
思い当たる節があって、オーシャンはにやりとした。恐らく、先学期に「覚えておけ」と言ったのをちゃんと忘れてないのだろう。記憶を無くしたギルデロイ・ロックハートをオーシャンが口説いていたと、ロンがハリーに面白おかしく聞かせていた恨みをオーシャンももちろん忘れていなかった。「面白い夏休みになりそうね」
その日の夜は、オーシャンをウィーズリー家に歓迎するちょっとしたパーティが開かれた。全員が料理を前にして席に着くと、ウィーズリーおじさんが音頭をとるためか、グラスを持って立ち上がった。オーシャンはグラスを片手に乾杯の言葉を待っていたが、おじさんの口から出てきたのは感謝の言葉だった。
「ありがとう、オーシャン。君が助けてくれなかったら、今頃ジニーはここに座っていないだろうし、私たちも悲しみに暮れて夏の休暇をこんなにも穏やかな気持ちで過ごす事は出来なかっただろう。改めてお礼を言わせておくれ、ありがとう、オーシャン・ウェーン」
おじさんが言ってグラスを掲げると、みんながオーシャンの名前を唱和してグラスを掲げた。その光景を当のオーシャンはきょとんとして見ている。言われた事の意味が分かってくるにつれて顔が赤くなってくるのを感じた。
「では、私からも改めてお礼を言わせてもらいます。私をこんなにも温かく歓迎してくれて、ありがとう」
オーシャンは言い、世界で一番素敵な家庭であるウィーズリー家に、と杯を返した。みんな嬉しそうに笑っていた。
食事をしながら、色々な話をした。一家がこの夏に旅行したというエジプトのピラミッドでの話、現地にいた不思議な魔法生物、魔法史の一幕であろうと思われる様な不思議な壁画の話。
オーシャンはこの夏は何をしていたの、とジニーに聞かれて、彼女はこの夏に日本で父の監督の下に行っていた修行の話をした。日の出と共に起きて滝行、朝食を食べて体を整えてから父からみっちりと魔法授業を受ける。頭に知識を叩き込んだ後は、五キロメートルの走り込みをした。これは、忍術を扱うが上での基礎訓練であり、同時に精神鍛錬でもあり、事前の授業で頭に叩き込んだ内容を走りながら頭の中で復習するという過酷なものだった。
過酷な持久走に耐えた後はつかの間の自由時間である。しかしそれも、ホグワーツから出ている課題に消えた。そして夕食を食べて、風呂で一日の疲れを洗い流して就寝、と思いきや、まだ一つやることが残っている。それは、一日の最後に本物の呪術師である父と、道場で手合わせをする事だった。体術と魔法が飛び交う、アクロバティックな一戦である。これでオーシャンは何度も死にそうになった。
話を聞いていたみんなの顔が、一様にポカンとしていた。フレッドが言う。「一体お前の親父は、お前を何にさせたいんだ?」次に口を開いたのは、ウィーズリーおじさんだった。「君のお父上は、一体そのスケジュールのどこを使って仕事をしているんだね?」
オーシャン自身もその二つの疑問は持っていた。多分であるが、父はオーシャンを何者にしたいか、など考えていないだろう。今回の日本へ強制帰国された理由は、先学期にバジリスクと戦って死にかけたから、という事である。このしごきの裏には、次また危険な事に巻き込まれた時に死にかける事が無い様にという意図を感じる。後者の疑問についてはオーシャンにも分からない。一体いつ仕事をしていたのだろうか。
「じゃあ、何でもう帰ってきたの?ホグワーツ特急にはまだ早いじゃない」
ジニーに聞かれたが、これもオーシャンはその場で上手く説明ができなかったので、曖昧に誤魔化した。搔い摘むと、不吉と思われる夢を見たから、という事だけなのだが。
まさか両親にも内緒で出てきて、こちらでの宿も決まっていない状態だったとは、この温かい空間では切り出しにくい話である。しかし幸い、それについて深く突っ込んで聞かれるという事は無かった。
「それにしても、何でヘドウィグが手紙を持ってきたんだ?何でお前の手紙をハリーが代筆してるんだ?」
ジョージが聞いてきたので、オーシャンはニッコリとして言い放った。
「黙秘するわ」
話せば長くなる事であるし、それを説明するには、ハリーの起こしてしまった不祥事について話さなければならない。本人が不在の席でこの話をしていいのかどうかは、オーシャンには判断できなかった。それに、ハリーならウィーズリー家に余計な心配をかけたくないがためにこの席では明かさないのでは、と直感的に思った。夕食が終わった後で、ロンにだけは話して聞かせるだろうが。
オーシャンの思案を他所に、この件について口を開いたのは、意外なことにウィーズリーおじさんだった。
「どういう事情かは知らないが、君はハリーと一緒にいたんだね?だからヘドウィグが手紙を持ってきたんだ」
「どういう事?」
フレッドが父を向いて質問した。オーシャンは少し驚いていた。ウィーズリー氏が魔法省に勤めているとは聞いていたから、ハリーが起こした不祥事の話は少なからず知っているとは思っていた。しかし、それを家族との団らんの席で言い出すとは思っていなかった。
「親父、何でそんなこと分かるんだよ?」
「それは…ハリーが、おばさんを膨らましてしまう事故を起こしてね。風船みたいに」
「まあ、アーサー!」おばさんが息をのんだ。
「それで―まあ、ハリーは今『漏れ鍋』にいるんだ。少しでも落ち着けるようにね。事故を起こしたときは、少し興奮状態にあったみたいで…。君は、ハリーと一緒に『漏れ鍋』にいたのかな?」
ウィーズリー氏に聞かれたので、オーシャンは「ええ、その通りです」と答えた。すると、ウィーズリーおばさん、ジニー、そしてパーシーまでもが大きく息をのんだ。
「成人前の男女が、同室で寝泊まりするなんて!」ウィーズリーおばさんは、なんてこと、という表情で天井を見上げた。
「ハリーとオーシャンが…一晩中一緒…二人は、仲良し…!?」ジニーは顔を真っ赤にして涙ぐんでいる。まずい、失恋した乙女の顔だ。
「何か間違いでもあったら、どうする気だ!」パーシーは顔を赤くして怒っている。間髪入れず、オーシャンは言い返した。
「間違いが起こるとでも思っているの?」
平然と言ってのけたオーシャンに、誰も言い返す者はいなかった。しかし、彼女が大粒の涙を溢しだしたジニーの誤解を解くのには、丸々一時間かかったのだった。
ウィーズリー家での平和な夏休みが過ぎていった。オーシャンは毎朝キッチンに降りては、おばさんが朝食の用意をするのを手伝った。無事に誤解が解けたジニーとは、恋愛というには可愛いものだが、そういったいわゆる『浮いた話』をしたり、ジニーの部屋で宿題を見たりした。双子が悪戯をすれば、叱るのではなく諭すのがオーシャンの役目になった。長い付き合いで分かってきたのだが、双子は叱られるのより諭されるのが苦手らしい。双子を前に論じていると、よくおばさんからウインクが贈られてきた。
パーシーは大体部屋にこもっていたのだが、食事の席ではよくオーシャンと話してくれた。話題は専ら、進路のことについてだ。
オーシャンの学年になればそろそろ大まかな指標が見えてくるものだが、オーシャンは進路の事を何も考えていなかった。そもそもこちらに留学してきたのも、英国への憧れだけで大した目的があるわけでもない。就職をこちらでするか日本でするか、それともまた違う国でしたいのか、何の展望も持ってなかった。パーシーとそんな話をする事で、自分はもうそんな時期に差し掛かっているのかと、漠然と感じる事が出来た。我が事ながら、何とも呑気な話である。
ロンはオーシャンに、まるで小動物が警戒心を解く様におずおずと接する様になった。その姿がいちいち可愛くて、そんなに心をくすぐられては、報復(大した事をするつもりは無かったが)をするのももうばからしい、とオーシャンは先学期の一件は水に流す事にした。
オーシャンがウィーズリー家に世話になって五日目の朝、学校のフクロウが教科書のリスト等が入ったホグワーツからの手紙を持ってきた。パーシー宛の封筒中には、小さな首席バッジも一つ入っていた。おばさんはウィーズリー家二人目の首席の誕生を、諸手を上げて喜んだ。
フクロウはオーシャン宛の手紙も持ってきていた。生徒がどこにいても、ダンブルドア校長はお見通しというわけだ。
明日の朝、みんなでダイアゴン横丁へ出発することになった。ふと、手持ちのお金で学用品が全部買えるだろうか、という疑問がオーシャンの頭によぎったが、考えない事にした。人生はなるようになるのである。
その日の夕食の席では、珍しくラジオがつけっぱなしになっていた。ニュース番組では、魔法使いの監獄・アズカバンを脱走した囚人のニュースを流している。オーシャンは数日前にもまったく同じ内容のニュースを聞いた気がした。進展が全くないのだろう。
「まだシリウス・ブラックは捕まらないんですか、父さん」
パーシーが大人ぶった様子で父親に聞いた。おじさんは、魔法省の全力を挙げて行方を追っている、と、オーシャンが最近どこかで聞いたのと全く同じ回答をしていた。
その夜、おじさんとおばさんが話しているのをオーシャンが聞いたのは、全くの偶然だった。子供たちは全員就寝準備を済ませて自室に引き上げていた。オーシャンも一旦はジニーと一緒に部屋に戻ったのだが、部屋に教科書のリストが無いのに気づき、一階へ探しに階段を下りた。すると、おじさんとおばさんが何やら話し込んでいる声が聞こえてきた。夫婦の時間を邪魔しては悪いと引き返しかけたオーシャンだったが、おばさんが声を高くしたので足を止めた。
「じゃあ、シリウス・ブラックはハリーを!?」
「しっ!モリー、声が大きいよ。子供たちが起きて来たらどうする!」
その時オーシャンの脳裏に日本で見た夢の記憶が蘇った。警告夢か、魂の共鳴。ハリー・ポッター。そして、アズカバンから脱獄したシリウス・ブラック。
階段から姿を現したオーシャンに、おじさんとおばさんは肝を冷やしたに違いない。おじさんは突然現れたオーシャンに、話をどこまで聞いたのか確認を取ろうとした。「オーシャン、今の話、聞こえたかね?」
オーシャンは答える。
「いえ、ほとんど。お二人とも、少し私の話を聞いてくれませんか?日本で見た不思議な夢の話なんです」
「夢?」
オーシャンの言葉に二人は顔を見合わせたが、拒否する事は無かった。そしてオーシャンは、二人に日本で見た夢の話を聞かせた。そして、自分の妹によるその見解。今、彼女自身が導き出した答え。
オーシャンの話を聞き終えたウィーズリー氏は、自身の知る情報をオーシャンに教えてくれた。シリウス・ブラックが、ハリーを狙っている事。ハリーを殺すために、アズカバンから脱獄した事。
「奴は、ハリーを狙っている。『奴はホグワーツにいる』と、うわごとを繰り返していたらしい…。ハリーは今、危険に晒されている。今はダイアゴン横丁で大勢の魔法使いが見張ってくれているからいいが、ホグワーツではどうなるかわからない…」
「『奴はホグワーツにいる』…?」
「オーシャン、頼む。ハリーを見張って、守ってやってくれ。生徒である君に頼む様な事じゃないが、ハリーが危険な事に巻き込まれないように目を光らせておくれ」
「ちょ…ちょっと待って。ブラックが意味深なうわごとを繰り返しているからって、それだけで何故ハリーを狙っていると分かるんです?」
真剣に訴えた話の内容を根底から覆すようなオーシャンの疑問に、ウィーズリー氏は眼を瞬いた。しばし、二人は見つめあう事となる。オーシャンが質問を重ねた。「ただの寝言かもしれませんよね?」
「アズカバンの看守達の前では、囚人は夢を見ない」おじさんが二回目の質問に答える。
「そうなんですか。では、それは『意味深なうわごと』という事になりますね。しかし、ブラックの言っている『奴』がハリーであるといえるのは何故です?」オーシャンが更に質問を重ねる
「…ブラックは例のあの人の腹心の部下だった。例のあの人を退けたハリーを狙うのは、当然の流れじゃないのかね?」おじさんが質問で返す。
「では、それは何故『今』なんです?これまでだって、脱獄して殺しに行こうと思えば簡単だったはずです。ハリーがホグワーツに入学する前であれば、尚更」
「それは…」
ウィーズリー氏はオーシャンに言い返す言葉が無かった。言われてみれば、なるほど、そのとおりである。返す言葉もない。
オーシャンは続けた。
「もちろん、殺人者がホグワーツに侵入する可能性があるというのであれば、それは看過できる問題では無いです。シリウス・ブラックには、ハリーはおろか、ロンやジニーや、フレッド、ジョージ、パーシーにも、指一本触れさせる気は無いわ。でも、ブラックがハリーを狙っているというのは、正直、私には信用できない情報です。『奴』というのは、ダンブルドア校長かもしれないし、それ以外の先生方の誰かかもしれない」
「うぅむ…」
ウィーズリーおじさんが腕を組んで考え込んでしまった。その姿に、オーシャンは怪しい笑顔を湛えて言った。
「何にせよ、ホグワーツに手を出すのであれば、私も手を抜かずにお相手します。安心してください」