光陰矢の如し。日々は振り返る間も無い位、実に速い速度で過ぎて行った。
まず、クィディッチ決勝戦はグリフィンドールの大勝利に終わった。スリザリンに五十点以上点数差をつけて勝ち、グリフィンドールは決勝戦の勝利とクィディッチ優勝杯を同時に獲得した形になる。一週間は、みんなが浮足立っている祭りの様な日々が続いた。
しかし、次の現実は容赦なく生徒達に襲い掛かった。気づけば期末試験が数週間後に迫っていたのである。オーシャンや双子達五年生は、O・W・L試験-いわゆる、ふくろうと呼ばれる標準魔法レベル試験勉強に追われていた。
オーシャンは双子と共同戦線を張った。オーシャンが持っている知識を双子達に教え-基い、復習させ、双子達は新たに読んだ参考書から得た知識をオーシャンに教えた。ふくろう試験までに読んだ方が良いとされる参考書の数は多くは無いが、今からオーシャンが読んでいたら、その間に試験が終わってしまうからだ。
この作戦は我ながら上手くいっており、このまま順調に行けば、三人とも割といい成績を臨めるのではないかと思われた。
バックビークの控訴審の日が試験の最終日に決まったと、後輩から聞いた翌日、いよいよ試験が始まった。オーシャンは毎回の試験を、知識と集中力を総動員して臨み、試験期間中は毎晩燃え尽きて真っ白になりかかっていた。
「オーシャン、大丈夫?」
夕食の時にアンジェリーナに声をかけられ、ハッとした。気づくと、フォークに刺さったソーセージが口元で待機していた。
続けてアンジェリーナに問われる。「あなた、五分くらいそのまま動いてなかったけど、本当に大丈夫なの?」
口元にあったソーセージをぱくりと一口で食べて、オーシャンは思った。確かに、それはちょっと大丈夫じゃないかもしれない。O・W・Lを受けている生徒の大半は、大体一科目の試験が終わると今のオーシャンと同じ様に燃え尽きていたが、夕食の頃合いにはすっかり元気を取り戻して栄養を採っている。しかしオーシャンは、食事もろくに進んでいなかった。
「…今日はもう、帰って眠るわね。おやすみなさい」
席を立ったオーシャンにアンジェリーナは気遣わし気な視線を送ったが、彼女はいつもの笑顔で応じた。「大丈夫よ」
友人達より一足早く大広間を出て寮塔に向かっていたはずだったが、途中で何故か足が勝手にルーピン先生の部屋の方へ向かっている事に気づいた。歩く時に何も考えていないとこういう事になりがちだが、よりにもよって何処に向かおうとしているのだ、私は。
「……」
オーシャンは内心で舌打ちしながら、誰にも見られない内に踵を返した。そこでタイミングの悪い事に、ルーピン先生本人に行き会ったのである。
「ウミ、どうしたんだい?」
「-はっ…え、あぅ…」
あまりの不意打ちで完全に挙動不審になるだったが、先生はそんな様子は気にもせずに、オーシャンの顔を覗き込んでくる。あの、一番最初のあ授業の時と同じ様な距離感がそこにあって、オーシャンはあの時と同じ様に顔を明後日の方向に逸らした。
「顔色があまり良くないように見えるが…夕食はちゃんと食べたのかい?」
「せ…先生こそ…」顔を逸らしているので、先生の顔色は見えなかったが、オーシャンはそう返した。先生が微かに笑った気配がした。「私は大丈夫。ちゃんと食べているよ」
そういえば、面と向かってルーピン先生と話すのは、あの『忍びの地図』の一件以来だった。時間を置いたせいだろうか。恥ずかしさと、嬉しさの様な気持ちがない交ぜになって、前より大きくなっている気がする。
「みんなはまだ大広間で食事をしている時間だろう?君も早く行って、きちんと食事を採った方がいい」
ルーピン先生の優しい語調に心を揺さぶられながら、オーシャンは言葉も切れ切れに返答する。「いえ、あの…何というか、あまり食欲がなくて…」
ルーピン先生は「それは大変だ」と言った。「しかし、それなら余計に、きちんと食べてちゃんとした休養を取らないと、明日の試験にも支障が出る。マダム・ポンフリーに相談しに行ってはどうだろう」
「そうします」そう答えて医務室へ向かおうとした背中に、ルーピン先生が声をかけた。
「最近の君はいくつもの事に気を取らすぎているんじゃないかな。自分の事に集中した方がいい」
先生を振り返り、紅潮した顔で彼を睨みつけながら、聞こえない位の小さな声でオーシャンは呟いた。
「…人の気も知らないで、よく言うわ」
木曜日の午後、呪文学の実技が終わると、オーシャンは談話室へ戻るやいなやソファの上にばったりと倒れて動かなくなった。
食事の時間になってもオーシャンが起きだす様子が無かったので、アンジェリーナや友人達が声をかけたが、それでも起きる気配は無かった。双子達に揺さぶられた時などは、その手を払いのけた上、魔法を使って二人を隠し扉の前まで吹き飛ばした。どうしても起きたくないという、意思の現れらしい。友人達は諦めて、夕食へ降りていくのだった。
その時、透明マントを被ったオーシャンの後輩三人が、城を抜け出す姿を見た者はいなかった。
一時間後、オーシャンが目を覚ますと、友人達は周りのテーブルに教科書や参考書を広げて明日の試験に取り掛かっていた。他の学年の期末試験が終わっても、五学年と七学年の試験はまだ終わっていないのだ。
「あ、オーシャン。やっと起きた。お腹空いてない?」
もぞもぞと動き出したオーシャンに気づいたアンジェリーナが、夕食の時にとっておいたチキンをくれた。ぼさぼさの頭で、もしょもしょと食べている内に、頭がハッキリとしてくる。明日は魔法薬学の試験だ。
「-いけない。スネイプ先生に、聞きたい事があったんだったわ」
試験の為の復習をしていて、初歩的な『縮み薬』の作り方の事で、先生に質問があったのを忘れていた。どの参考書にも載っておらず、友人達に聞いても分からない事だから、どうという事でもないのかもしれない。しかし、解決されないと、何かもやもやする。その程度の疑問だった。
普段は夜遅くにわざわざ先生に質問などしに行かないオーシャンだったが、何故かこの時は、この問題を今解決しないと、明日の試験に心穏やかに挑めない気がした。
そんな訳で、オーシャンは友人達に行き先を告げて、談話室を出た。気を付けてね、とアンジェリーナの声が追いかけてくる。オーシャンは手を振ってそれに答えた。
夜の地下牢教室には、まだ明かりが点いていた。
オーシャンがノックをして声をかけると、部屋の主は不機嫌に答えた。「このような時間に何の用だ。明日の我輩の試験を軽視しているのか」
「いいえ、先生。『縮み薬』の事で質問があって参りました。夜分に申し訳ありません」
オーシャンの言葉に、先生は端的に答えた。「入れ」
静かにドアを開けてオーシャンが室内に入ると、一つの調合台の上で先生は薬を調合中だった。鍋の中で、何色とも形容しがたい色をした液体がぐつぐつと煮えている。鼻を突く臭いに思わずむせ返った。
「お仕事中でしたか。失礼しました」
オーシャンが恐る恐る近づきながら言うと、スネイプ先生は不気味ににやりとした。
「構わん。もう完成する所だ。それよりも質問を聞こう」
オーシャンが質問した内容は、やはり試験には関係の無い些末な疑問だったようだ。先生はその質問の答えを一応分かりやすい様に説明してはくれたが、「わざわざそんな事を質問する為に来たのか」とか、「それ位自分で考えてはどうだ」とか、散々な言い様だった。
「ありがとうございます。夜分に失礼致しました」
礼を言って頭を下げたオーシャンが帰りかけたその時、スネイプ先生が呼び止めた。「待ちたまえ」
「何でしょう」
先生に向き直ると、先生は作り立ての薬をゴブレットに注ぎながら言った。ニヤニヤ笑いを押し殺そうとしているのが、目に見えて分かった。
「実は、我輩からも君に頼み事がある。この薬をある人に届けてもらいたい」
夜の突然の訪問の代価がそんなものであれば、お安い御用だった。「わかりました。どなたに届ければいいのですか?」
スネイプ先生は意地悪く笑った。「ルーピン教授だ」
人の恋路に興味は無いけれど、ルーピン先生に遠回しな意地悪をしちゃうスネイプ先生