次の日の早朝、家族に見送られて、海はルーピン先生と、英国へと旅立った。海の家族があまりに気軽に送り出そうとするので、先生は眉根を顰めた。
ウミの事が心配ではないのか、と聞いた先生に、彼女の父は呵々大笑して答えた。「なぁに、わしの娘は海外のやんちゃ坊主に負けるほど、やわじゃないわい」
日本においては、かのヴォルデモート卿もやんちゃな非行少年なのだった。
つかの間の二人旅に疲弊しながらも、オーシャン・ウェーン(本名・上野海)は英国の地に降り立った。先生に付き添って『姿あらわし』した先は、(これが、今回の旅で疲れ果てる事となった最たる要因だった。何故って、付き添いする度に先生に触らなくてはいけないからだ。スマートに腕を差し出してにこりと笑う先生に、心の臓が何度破裂すると思った事か。)夕暮れの町中だった。人通りはない。
そこにあるという『本部』に入るのは、少々の時間を要した。オーシャンが住所を読めないのである。
「君が日本人だという事、すっかり忘れてたよ…」
日本からオーシャンを連れてきておいて、先生は頭を掻いてそう言った。『本部』の住所は機密であるからして、町中では不用意に口に出せない。どこで誰が聞いているとも限らないからだ。だから本部に出入りする者には、住所の書いた紙を見せるようにしている。この屋敷は、この住所を望んだ者の前にしか、姿を現さない。
先生があの手この手を尽くして三十分はかけ、やっとオーシャンは屋敷の中に足を踏み入れた。玄関ホールは暗く、明かりが灯っていない。
「先生、ここは-?」
「しーっ、静かに。暗いけど、足元に気を付けて進んでおいで」
忍者の訓練の一環で、夜目は効く方である。ついつい足音まで殺すと、先生はびっくりして振り返った。
「大丈夫かい、ウミ?着いてきている?」
「ええ、大丈夫よ、先生」
たどり着いたドアを先生が開ける。そこにはオーシャンが思っていたより、大勢の人がいた。
「オーシャン、よく来たわね!待ってたわ!」
そう言って一番最初に迎えてくれたのが、ウィーズリーおばさんだった。その後に続いて、ハーマイオニーとジニーも駆け寄ってくる。
食卓らしい長いテーブルには、『犬』とロン・ウィーズリーの二人が座っていた。
「貴女達もいたの…!?」
思いもしなかった人物の出迎えに目を白黒させていると、ルーピン先生が言った。
「モリーとアーサーも、立派な『不死鳥の騎士団』の団員だからね」
「リーマス、思っていたより遅かったじゃないか」テーブルを立ちながら言ったのは、シリウス・ブラックだった。彼はニヤリとして、こう続けた。「二人でどこで油を売っているのかと、訝ってたぞ」
「すまない。ウミのお父上が、泊っていけというものだから、一晩ご厄介になってた」
先生がそう返せば、ブラック、ハーマイオニー、ジニーの三人はニヤニヤとこちらの顔色を窺ってくる。オーシャンは赤くなった顔をさっと逸らした。その先に、不満顔でこちらを見ているフレッドとジョージ、そして見知らぬ紫色の髪をした女性がいた。
「それはお楽しみだった様で。良かったじゃないか、ウミ」
にやにやと下卑た笑いを隠す事も無く、ブラックが言った。オーシャンは「ええ、実に楽しかったわ」とツンとして答えながら、懐から縮緬の小箱と一枚の色紙を取り出した。
「母様も、お土産をこんなに持たせてくれちゃって」
もったいぶって言いながらオーシャンが見せた色紙にブラックは飛びついたが、彼女はそれを再びさっと懐に仕舞う。「そ…それは美空のサイン色紙か…!?」
「ええ、そしてこちらは-」縮緬の小箱をひょいと持ち上げて見せて、オーシャンは言う。「美空の名曲『私の旦那様は箒乗り』が込められた箱よ。蓋を開けるだけで気軽に、永遠に楽しめるわ」
怪しい微笑みで言い放った『飼い主』に、ブラックはゴクリと生唾を飲む。
「美空の全盛期、日本の歌唱チャートを席巻した歌箱だと…!?し…しかし、彼女の歌箱はもう絶版になっているはず…!ま、まさか…!?」
「そう、これは私の母様の歌箱よ!ファンが喉から手が出る程欲しい、『今の美空』のね!」
ブラックの表情が、雷に打たれた様になった。「と、録り下ろし…だと!?」
ルーピン先生が親友の表情に笑う。「私の親友が貴女の熱狂的なファンです、と彼女に教えたら、用意してくださったんだよ。親友さんに、って」
「父様にはもちろん、内緒だけれどね」そう言ったオーシャンが、再び懐から色紙をチラ見せした。カタカナで、「シリウス・ブラックさん江」と書いてある。しかもハートマーク付き。
妙な緊張感のある間が流れた。『飼い主』は再び、怪しい笑顔を湛える。「どう?いい子にするわね?」
途端、ブラックは真っ黒な犬に変化して、オーシャンの足元で『待て』をした。
「良い子ね」オーシャンに頭を撫でられているブラックを、ロンが冷めた目で見ている。「ハリーには見せられないな、こりゃあ……」
『不死鳥の騎士団』の本部で生活する内に分かった事は、この建物はシリウス・ブラックの実家で、純潔主義には日本人が歓迎されない事だった。それは、玄関ホールで紫色の髪をした魔女、ニンファドーラ・トンクスが誤って足を引っ掛けて、大きな傘立てを倒した時に起きた。
大きな音を立てて倒れた傘立てに驚いた様に、突然ホール中にの絵画達がけたたましい声で叫び始めた。中でも暗幕に隠れていた一番大きな肖像画が、耳をつんざくような嫌な音を発している。
「汚らわしい、塵芥の輩どもめ!我が祖先の館から出ていけ!血を裏切る、汚らわしい者め!」
ウィーズリーおばさんがホール中を駆けずり回って絵画達に『失神術』をかけている時、オーシャンは隣にいたブラックに訊いた。「酷い顔。まるで山姥の様。これは誰?」
ブラックがやれやれ、といった調子で答える。「我が親愛なる母上だよ。-おい、鬼婆、さっさと黙らないと…」
ブラックとルーピン先生が力づくで暗幕を閉めようと、肖像画に近づいた。対して絵の中の彼女は、オーシャンに目を止める。
「穢れた血のみならず、黄色い猿まで屋敷に入れおって…この恥さらし、育てられた恩も忘れたか」
随分と久方ぶりに聞く言葉に、オーシャンは声を上げて笑ってしまった。「あはは!随分と時代遅れの蔑称を使うのね!一瞬自分の事だって分からなかったわ。家ごと燃やされたくなかったら、ただの肖像画風情は黙りなさい」
オーシャンが可笑しそうに笑っている間に、ブラックと先生の手によって暗幕がぴたりと閉じられた。静寂を取り戻した空間で、トンクスが倒れた時に打ったおしりをさすりながら訊いた。「いてて…。黄色の猿なんて、どこにいるって?」
もう一つ分かった事は、日に何回か大人たちが『会議』をしている事。締め出された子供たち-特にフレッドとジョージの双子は、どうにか会議内容を盗み聞こうとして、『伸び耳』というまたくだらない物を発明した。
『耳』を会議が行われている厨房のドアへ慎重に降ろしている双子を見ながら、オーシャンは眉を顰めた。
「全く、やる事が相変わらず子供ね。だから会議の仲間に入れてもらえないのよ」
「俺達にも、知る権利はあると思わないか?」
フレッドは熱を込めて言うと、オーシャンはやれやれ、と首を振った。
「では、そんなせこい真似をしないで、正々堂々仲間に入れてもらえる様にお願いしに行ったらどう?」
「もちろん、したさ!何回も!」フレッドが言えばジョージが追随する。「その度におふくろが、『あなたたちはまだ学生です』ってな!?冗談じゃない、俺達もう成人してるし、ホグワーツだって今年で卒業だ!」
「でも学生じゃない。あきらめなさい」
双子の言い分に呆れたオーシャンが自室へ戻ろうとした時、『耳』で何とか拾った音を、フレッドが繋ぎ合わせた。
「-おい、ハリーがマグルの前で、魔法を使ったらしい」
会議が終わって扉が開き、子供たちが夕食に招き入れられた所で、オーシャンはブラックに詰め寄った。
「ハリーを迎えに行くのでしょう?私も行くわ」
先ほどまで会議で話し合っていた事を、何故オーシャンが知っているのか…それは火を見るより明らかだ。最近、会議の内容を盗み聞こうとして、双子が何やら怪しい動きをしていた事は知っている。ブラックはうんざりした顔で言った。
「私に言うな。リーマスに言え、リーマスに」
ハリーを迎えに行くというのだから、てっきり名付け親が張り切っているのだろう、と思ったオーシャンだったが、どうやら違う様だ。きょとん、としてルーピン先生を振り返ると、彼は少し厳しい表情でこちらを見ていた。
「盗み聞きとは、感心しないな。ウミ」
少し怯んだオーシャンだが、恋心を封じて立ち向かう。「…そう?忍者の諜報活動では基本よ。いち早く情報を仕入れる事で、取るべき対策がしっかり取れるわ。ハリーを迎えに行くのなら、私も行く」
「遊びに行くわけでは無いんだ。何があるか、分からない」
「そうね、私の時の様に、ハリーも吸魂鬼に襲われたのでしょう?後輩の命がかかっているもの。尚更いかない訳にはいかないわ」
「そうだ。吸魂鬼がマグルの町中に現れて、ハリーが『守護霊の呪文』を使ったそうだ。また吸魂鬼が襲ってきても、ハリーの呪文は強力だし、私やアラスターもいる。君の出番は無い」
恋心は封じていたはずだが、ルーピン先生が厳しく言い放った最後の言葉が胸に突き刺さった。見る間に勢いを無くしたオーシャンに、フレッド、ジョージが気遣わし気な視線を投げかける。トンクスが向かいの席から、先生に言った。「ちょっと…言い過ぎ…」
ブラックは座っていた席から立ち上がって、先生の肩を組んだ。
「…ほんっとうに、お前はだめだな。昔っからそうだ。女心ってやつが、まるでわかっちゃいない。いいか、そういう時は、こうやって言うんだ…」
耳打ちされた言葉を聞いて、疑わしい、とブラックの顔を見た先生だったが、彼が頷いたのでその言葉に従う事にした。オーシャンの目を、真っ直ぐ見て。
「ウミ、君にはここの守りをお願いしたいんだ。モリーや子供たちを、頼んだよ」
子供を諭す様な口調に一瞬反発を覚えたオーシャンだったが、真っ直ぐな先生の瞳に敵う訳もなかった。「…っ、任されたんじゃ…仕方ないわね…」
赤い顔で根負けしたオーシャンを、ブラックが笑っている。
「ふふふ…『言葉の魔法使い』様も形なしだな。ハーマイオニーから君達が仲良くなったいきさつを聞いたぞ?なんでも君は、『言葉の魔法使い』と呼ばれていたそうじゃないか?」
ハーマイオニーが一年生の時に、オーシャンの使う言葉は不思議だと、つけてくれた愛称だった。今ではこっぱずかしい思い出に耳まで赤くなる。
「うるさい、馬鹿犬!禿げろ!」
「待て、毛根だけは呪うな!私はまだまだ若々しくありたい!」
「残り少ない若さにしがみ付いて、みっともない。少しは大人の貫禄を見せなさいよ!」
「ほほう、リーマスの前でさえもそれを言えるか、面白い!」
「貴方と先生では雲泥の差。うさぎとかめ。月とすっぽんよ!貴方より先生の方が素敵に年を重ねて-…」
口に任せてから、自分の言おうとしていた事にハッとした。周りを見ると、誰もが何かを察した顔をしている。当の先生だけは、いつもの二人の罵り合いを慣れた様子で見ていた。
「良かった。ウミが来てから、やっとシリウスも元気になったみたいだ。ここの所、屋敷の掃除ばかりで滅入っていたみたいだったからね。…改めて、本部と私の親友を頼むよ、ウミ」
あれだけの告白を聞いて、この男は何も気づかないふりをしているのか、それとも聞いていなかったのか、はたまた本当に気づいていないのか。顔が火照り、目頭が熱くなる。オーシャンはパニックを堪えて、何とかキレ気味に言い放った。
「ああ、もう、任せなさいよ!馬鹿じゃないの!?」
後日、先生達はハリーを迎えに屋敷を出て行った。護衛隊の中にはトンクスの姿もあり、旅立つ前に二人が親し気に言葉を交わす姿が、オーシャンの目に焼き付いている。
「ニンファドーラ、杖は忘れていないだろうね?」
「失礼しちゃうわ、リーマス!いくら私だってそんなヘマしないよ!」
玄関ホールで短く言葉を交わした二人の間に、友情以上の物を感じて、オーシャンの心はもやもやとしている。そしてその姿を昼食の席でからかったブラックは、食後の掃除の時間にその報復を受けていた。
「…………ふぅーっ。…犬、まだここに埃がこんなにあるわよ。貴方の目は節穴なの?」
「…ちょ、ちょっと待てよ……。魔法を使わない雑巾がけなんか二十年ぶりで…」
「体力がついていかないって?天下のシリウス・ブラック様も老いたものね。そんなペースでやっていたら日が暮れてしまうわ。さっさと片付けなさい」
「…言うだけは簡単だよ。君も一緒にやったらどうなんだ?」
「雑巾がけで綺麗になるのは、家だけじゃないわ。まだ貴方の心はそんなに薄汚れているじゃない。貴方の手で一か所掃除をしていくごとに、貴方のその、人をからかう事を生きがいにしている汚物の様な心も綺麗になっていくのよ。分かったらさっさとやりなさい」
「この屋敷がどれだけ広いと思ってるんだ?魔法を使わなければ、とても一人じゃ無理だ」
「あら、実家の金持ち自慢かしら?でも、一理あるわね。ハリーが来るまでは終わらせたいわ。フレッド、ジョージ。見てるのは分かっているのよ。貴方達も一緒にどう?」
UA130000件越え、お気に入り1526件、しおり583件ありがとうございます!
2月9日、オーシャンと双子の会話を訂正。