英語ができない魔法使い   作:おべん・チャラー

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65話

 ホグワーツに帰ってきた最初の週に早速、オーシャンはやらかした。

 

 今年度最初の『闇の魔術の防衛術』の授業。魔法省から派遣されてきているという担当教授のアンブリッジ先生は、未知数だ。昨日の宴会の時にハーマイオニーが教えてくれた事が本当だとすると、どういう事なのだろうか。―魔法省がホグワーツに干渉する、という事は。

 長年の学校生活で、仲間内でなんとなく決まった座り順で座って、いつものようにみんなリラックスした感じでおしゃべりをしていた時、先生が部屋に入ってきた。ローブの上に、今日も昨日と似たような派手派手しいピンクのカーディガンを羽織っている。「こんにちは、みなさん」

 「こんにちは」と、何人かの生徒がまばらに挨拶を返した。フレッドとジョージは悪友のリー・ジョーダンとも目配せをしてニヤリとする。教壇で、先生が舌を鳴らして否を唱えた。

 「それではいけません。立派な若者となってこれからの魔法社会を担うべきあなた達が、そんなことではいけませんよ。わたくしに挨拶する時はこの様に―『こんにちは、アンブリッジ先生』。」

 元気に挨拶してくださいね、と付け加えた後、先生の号令に従ってみんなが挨拶する。ほとんど唸る様だった。

 「よくできました」先生は満足げに目を瞬いた。

 

 「さて、あなた達は七年生―今年がホグワーツで学ぶ最後の年になるわけです。これから皆さんを待ち受けるのは、時に激しく時に優しくもある社会の荒波です。早い方ではもうすぐ就職先が決まる方もいると思いますが―」

 そこから先しばらく、昨日の宴会の席での挨拶の様な曲がりくねった文句が続く。教室中が、まるで魔法史のビンズ先生の授業に来てしまったかの様になった。オーシャンは一人ごちた。

 「…あの先生、もうちょっとまともな日本語で話をできないのかしら…」全然頭に入ってこない話を揶揄した呟きだったが、それを聞いた隣のフレッドとジョージが哀れみの視線を送る。

 「オーシャン、残念ながら―」「あれでも一応、彼女が喋っているのは英語だ」

 「あら、失礼。…もうちょっとまともな英語を喋ってくれないかしらね」

 

 その時、先生が少し声を高くしたので、オーシャンと双子は姿勢を正した。「―古き悪習は是正されるべきです」

 「これからは魔法省の指導要領通りの防衛術を学んで参ります。あなた達には卒業前に『N.E.W.T』という大舞台が待ち構えています。わたくしと一緒に勉学に励んで参りましょう。皆さん、羊皮紙とペンを出して、これを書き写してください」

 

 先生が杖で黒板を叩くと、そこにたちまち文字が現れた。

 みんな鞄に杖を仕舞い、羊皮紙とペンを取り出してすらすら書き写していく。オーシャンは三文字ごとに黒板を確認して、ゆっくり書き写した。筆記体で書かれた英文は時間をかければ読めるが、書くことはできない。留学当時から挑戦してはいるのだが、なんとなく、自分で筆記体を使って英文を書く事は、気恥ずかしくてうまくできないのだ。

 教室の全員が黒板の文字を書き写してペンを置いた時、まだオーシャンは「授業の目的2」を写している最中だった。何度目かにスペルを確認しようとして顔を上げた時に、アンブリッジ先生と目が合った。彼女は貼り付けた様な笑顔でこちらを見ていた。

 

 「…あ、ごめんなさい、先生。書くのが遅くて」オーシャンが言うと、アンブリッジ先生は猫なで声を出して、殊更ゆっくりと言った。「いいのよ、自分のペースで。わたくし達は、あなたを、待っています」

 先生の猫なで声に違和感を感じながら、オーシャンは黒板の文字を書き写す作業に戻った。途中、ジョージが低い声でオーシャンに言った。「すごいな。あのおばさん、まばたきしないでこっちを見つめてるぞ」

 オーシャン待ちの為に静かになった教室で、ジョージの「おばさん」発言は絶対先生の耳に届いたはずなのに、先生は「エヘン、エヘン」と嘘くさい咳払いをするだけだった。

 

 最後の一語を書き留めてペンを置くと、先生が「終わりましたか?」とオーシャンに訊いた。「お待たせいたしました」と彼女が答えると、アンブリッジ先生はこう言った。

 「いいえ、苦手な物に立ち向かい、遠い異国から学びに来ているあなたを、わたくしは尊敬します」

 先生がそんな優しい言葉を自分にかけると思っていなかったオーシャンは、思わず目を丸くした。その様子に言葉が通じていないと思ったのか、アンブリッジ先生は身振り手振りを付けて、ゆっくりとオーシャンに話しかけた。

 「ええと…わたくしは、頑張り屋さんの、あなたが、大好きです」

 

 「…先生、ありがたいんですが、先生の話す言葉はちゃんと私に伝わっております。英語を聞くことと話す事には問題ありませんので…。授業を中断させてしまって、申し訳ありませんでした」

 オーシャンが言った言葉に、先生は露骨に気を悪くした様だ。貼り付けていた笑顔を急に凍らせると、「ああ、そう」とだけ言って黒板に向き直り、杖で叩いた。黒板の文字が立ち所に消え去る。

 「では」アンブリッジ先生は再び笑顔を貼り付けてこちらを向いた。「みなさん、教科書は用意してますね?五ページを開いて、『第一章、初心者の基礎』を読んでください。おしゃべりはしないこと。それでは、はじめ」

 

 先生の号令でみんなが―双子のウィーズリーでさえ、教科書とにらめっこを始めた。

 これは参った。英文は苦手だ。可愛い後輩が辛抱強く教えてくれるおかげで数年前よりはましになったが、今でも長い英文を訳して読む時は多大な精神力を要する。要するに、教科書の五ページを訳して読んだ後なんて、オーシャンのMP(三郎が日本で暇を持て余した時に遊ぶゲーム『ドラゴンミッション』の用語で、魔法力の事)は限りなくゼロだ。

 

 腹をくくって、オーシャンは難しい顔つきで教科書に向き合った。彼女は特段視力が悪い方でもないのだが、自然と教科書に鼻先が近づいていく。まるで、教科書を見透かして、英語の後ろ側にある何かを読もうとしている様だ。

 今読もうとしている教科書は、決して難しい物ではない。それどころか七年生の使う教科書にしては図も大きくわかりやすいし、ずいぶん易しい書き方がなされていた。

 隣のフレッドが大きなあくびをした。「こんな面白い教科書にはお目にかかった事が無いぜ」

 「Mr.ウィーズリー、私語は慎むように。今は読む時間ですよ」アンブリッジ先生が厳しく言った。フレッドはまた黙読に戻ろうとしたが、やがて、辛抱ならん、とでも言いたげに先生に言った。

 

 「なんだって、こんな教科書を俺たち七年生に用意させるんだ?まるで一年生のはな垂らし共が使う教科書じゃないか」

 「発言の前に挙手なさい、Mr.ウィーズリー」

 先生が言う事に従ってフレッドが不承不承手を上げた。先生が猫なで声で発言を許可して、フレッドは全く同じ調子で全く同じ言葉を発した。

 

 「ええ、ええ。この本はあなた達にとっては少し易しすぎる―それはわたくしも、重々承知しております」オーシャンが顔を上げると、教室中の生徒みんなが不満そうな顔で先生を見ていた。

 「ですが―」先生は続ける。「魔法社会に出る前のあなた達だからこそ、この一年で基礎からの復習をする事が重要だと、わたくしは考えます。これまでの数年、このクラスで到底許す事のできない者達が教鞭を執ってきたのは事実。特に―汚らわしい狼人間など」

 吐き捨てる様な先生の言葉で、オーシャンのはらわたが煮えくりかえる。次の瞬間、見えない力に吹き飛ばされた先生が、黒板を通り越して壁に叩きつけられた。壁に貼り付けてある猫の写真の入った額がいくつか落ちて先生に当たって、彼女は変な声を出した。「おぎゃっ」

 

 クラスメイトみんながオーシャンを見る。彼女は席に着いたまま、髪の毛をボサボサにしたアンブリッジを冷ややかに見た。何事にも公平であるべき教師が、狼人間を侮辱する発言をするなど言語道断。おまけに彼女が侮辱した相手は、オーシャンにとって最高の教師であり、理想の殿方だ。絶対に許せる事ではない。

 アンブリッジが立ち上がり、クラス中の視線で誰がやったことかに気づき、オーシャンと目を見交わした。クラスのみんなには、二人の間に激しい火花が散っているのが見えている。

 アンブリッジが静かに言い渡す。「…グリフィンドールは十点減点。ウエノには罰則を与えます」

 オーシャンは氷の微笑みを見せた。「のぞむところよ」

 

 

 

 「ウエノ。ポッターの事はある意味仕方ないとも言えますが、あなたまで」

 昼食時にオーシャンはマクゴナガル先生に呼び出され、お小言を受けていた。最初の『防衛術』の授業でオーシャンがアンブリッジを吹き飛ばした事についてだ。ハリーもアンブリッジとやりあって罰則を受ける事になった事は本人からも聞いているが、それにしてもその言い方は無いのではないか。

 「お言葉ですが、ハリーは授業でヴォルデモートの―」「ウエノ!」先生の目が鋭く光る。どこで誰が聞いているともわからない状況で、好まざる者の名前を軽率に口にするのは愚の骨頂だと、その目が語った。

 

 「そうです。ポッターは真実を語りました。しかし、その真実を無いものとされてしまう彼の気持ちは分かります。ですが、あなたの場合は―」言ってマクゴナガル先生の視線が、一層冷ややかに研ぎ澄まされた。

 「あなたの場合は、気に入らない事を言われたからといって母親を叩いてしまう幼児の如き癇癪です」

 「…っ!先生は、種族的差別発言をする者に、このホグワーツで教鞭を執らせる事が適当だと、本気でお考えですか!?」

 「ドローレス・アンブリッジの件について、私がどう考えているかなどは関係ありません!」そう言い返したマクゴナガル先生の口が一瞬、悔しそうに結ばれたのをオーシャンは見た。

 

 「…あなたの罰則は、早速今夜から。今週毎晩科せられます。ポッターと同じ時間に罰則を行うとありましたから、十分注意するように」

 「…注意とは…?先生は、あの人がハリーに何かするとお考えで…?」

 声を低くして聞いた途端、マクゴナガル先生のするどい眼光がオーシャンを射貫き、その頭に雷が落ちた。

 「仮にも教職員たる者が生徒に危害を加えるなどとは考えたくもありません!注意というのは、あなたとポッターが互いに、これ以上彼女の前で失言をしないようにせよ、という意味です!」

 どうやら先生が言ったのは、互いに目を光らせあえ、と言う事らしい。それにしてもハリーと同じ時間に同じ場所で罰則を受けるというのだから、後輩が罰則中に悪意ある小言などでいじめられない様にするのは、この世に先に生を受けた者の使命である。

 

 

 

 みんなが夕食を始めている大広間の前でハリーと落ち合うと、そこにすごい剣幕でアンジェリーナが飛んできた。「ハリー、どういうつもりよ!」

 「え?」

 うんざりした顔のハリーが聞き返すと、アンジェリーナはヒステリック気味に叫んだ。「よりにもよって、金曜の五時に罰則を受けるだなんて!」

 こんなにすごい剣幕で怒鳴るアンジェリーナを、オーシャンは見たことがない。オーシャンが一瞬呆気にとられていると、アンジェリーナはオーシャンの視線に気づいて少し自分を落ち着かせようとしていた。

 

 「僕のせいじゃない!」負けじと言い返しているハリーにオーシャンが尋ねる。「金曜日に何かあるの?」

 ハリーが答えるより、アンジェリーナの方が早かった。「キーパーの選抜!オーシャン、知らなかったの?」

 「だって、基本的にクィディッチには興味が無いものだから…ごめんなさい」

 グリフィンドールチームの名キャプテン(らしい)オリバー・ウッドが卒業してから、アンジェリーナがキャプテンに選ばれたのは知っていた。ここ最近はいつも何か考え込んでおり、いつもより口数が少ないのは気にかかっていた。寮代表のクィディッチチームのキャプテンというものには、我々には計り知れないプレッシャーがあるらしい。ウッドも現役の頃、寮対抗クィディッチに命をかけているようなものだった。彼にも同じように重圧があったに違いない。

 

 クィディッチ競技場はもう予約したのに、とか、グリフィンドールが今季勝つか負けるかの重要な選抜なんだ、とかいつにない口調でハリーを責め立てるアンジェリーナに、オーシャンは言った。

 「ハリーに文句を言っても始まらないわ。たかが授業中の私語で一週間罰則を科すとは思わないもの。文句があれば先生に直談判しにいく、選手達は自分が守る…そういうキャプテンだったと思うわよ、ウッドは」

 ウッドの名前を聞いて、アンジェリーナがその場で泣き出した。ウッドから引き継いだ重大な役割への不安と、チームメイトや寮生達から前キャプテンと比べられない様にと気負っていたものが、一気に溢れ出した様だった。

 

 「そんな言い方…!」

 アンジェリーナも一生懸命だったのだ。自分の一言が大切な友人を傷つけたという事実に、胸が痛む。出来のいい刀で知らぬ間に斬られていた様に、オーシャンの胸にはじわりじわりと傷が広がり、心の臓が騒ぎ出した。

 騒ぎを聞きつけてフレッドとジョージが駆けつけた。彼らの声を無視して「ごめんなさい、言い過ぎたわ」となんとか言ってアンジェリーナの肩に触れようとすると、彼女がその手を払った。

 

 いつも自分の味方でいてくれたアンジェリーナを、自分の言葉が傷つけた。払われた指先が冷たい。心の臓が早鐘を打ち、双子が泣いている彼女を支えながら自分に何かを言っているが、聞き取れない。

 弱々しく首を振ると、代わりにハリーが双子と話をしてくれた。彼らも同じグリフィンドールチームではあるが、内情を知っているからかハリーを気遣っているそぶりを見せた。

 双子がハリーを送り出す。ハリーは英語が聞き取れなくなっているオーシャンの手を引き、アンブリッジの部屋へ向かった。

 

 オーシャンはハリーに手を引かれながら、アンジェリーナの事を思った。

 いつも、どんなときでも自分を信じてくれて、慕ってくれた彼女に、なんてひどい言葉をかけたのだろう。

 いつでも自分の味方でいてくれたアンジェリーナ。

 今、クィディッチチームキャプテンというプレッシャーに耐えている彼女に、自分は何故支える言葉をかけてあげられないのか。

 何故彼女を支えてあげられないのか。

 

 

 手を引かれるままいくつかの階段を上り、長い廊下を渡り、気がつくとアンブリッジの部屋の前に立っていた。ハリーがドアをノックする。甘ったるい声が答えた。「Come in.」

 

 ドアが開かれると、ハリーはその内装に嫌悪感を示していた様だった。

 確かに、先生の部屋らしからぬ内装であるな、とは思う。壁や調度品が桃色のレースやフリルで彩られ、飾り棚にはよほど好きなのか、愛くるしい子猫の写真がこれでもかと言うほど飾られている。花瓶には毒々しいほどの色をしたドライフラワーが飾られていた。

 

 アンブリッジが顔を上げて口を開いた瞬間、オーシャンは違和感を感じてたじろいだ。まだアンジェリーナに払われた指先は冷えていたが、心の臓は落ち着いている。

 アンブリッジに呼びかけられても動かないオーシャンに、ハリーが声をかける。違和感が決定的なものとなって、オーシャンに襲いかかる。

 

 彼らの言葉が、英語に聞こえた。


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