英語ができない魔法使い   作:おべん・チャラー

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68話

 一向にオーシャンの言葉の能力は戻らないまま、ホグワーツは変革の時を迎えていた。ドローレス・アンブリッジが初代ホグワーツ高等尋問官という、よく分からないものを始めたのだ。更によく分からない事はそれが魔法省令だという事である。

 オーシャンは昼食を採りながらハーマイオニーに借りた『日刊予言者新聞』の紙面を手繰った。英語は話せなくとも読めるようになったのならば、つかめる情報は自分でつかむべきである。お陰で以前より図書館の利用回数が格段に上がった。

 

 その尋問官様はこのところ大変お忙しそうだ。『授業査察』と称して自分の担当以外の授業に顔を出しては、教室の後ろの方で一人参観日をして、手に持ったクリップボードに『評価』を書き付けているのである。すました顔で先生達に授業外の質問を投げかけては授業を中断する事はざらにあるし、生徒に授業の所感を質問して問題点を誘導的に引き出しているという証言もある。

 グリフィンドールのテーブルでは、先刻ハリー達が受けてきた『占い学』が話のタネである……らしい。

 

 「…………ああ、もう。これ、いい加減面倒くさいわ。早くいつも通りに戻ってくれないかしら」

 自分の語学力の無さを棚に上げて、オーシャンはうんざりとした。アンジェリーナが、どうしたの?、と書いて寄越したので、オーシャンは呟いた通りの言葉を書いて見せる。アンジェリーナからの返事はこうだ――たしかにテンポの良い会話にはならないわね。

 

 会話方法は確かに面倒だが、こうやってアンジェリーナが笑顔を見せてくれるなら、これはこれで良いとオーシャンは思った。友達と一つのノートにお絵かきをしあうなんていうのは幼年時以来の体験で、楽しかった。このコミュニケーション方法で発覚した事といえば、アンジェリーナは意外に絵が下手だという事だ。

 

 次の週の火曜日、オーシャンが遅れて朝食に行くと、グリフィンドールのテーブルがやけに騒がしかった。マクゴナガル先生も交えた喧噪の元に向かうと、なんとアンジェリーナである。彼女の隣に座ったハリーが先生をのろのろと見上げると、先生の鋭い眼光が彼に向けられた。

 

 三人はオーシャンが席に着いたのにも気づかずに強い口調で言い合っている。オーシャンが日記帳に『どうしたの?』と書いてハーマイオニーに見せると、彼女は少し呆れた具合で日記帳を受け取り、しばらくのあいだ何やら書き込んでいた。この騒ぎにはそうとうな理由があるに違いない。

 

 マクゴナガル先生が教職員テーブルに戻って、アンジェリーナもハリーに非難がましい一瞥をくれて出て行くと(最後までオーシャンに気がつかなかった)、ハリーが不満をロンにぶつけていた。ロンは気の毒そうにハリーの皿にベーコンを取り分ける。俺の奢りだ、と同僚を飲み屋で元気づけようとする魔法企業戦士の様だ。

 

 ハーマイオニーから日記帳が返ってきた。そこには、ハリーがまた『闇の魔術に対する防衛術』でアンブリッジに癇癪を起こして罰則を食らった事と、私は一生懸命止めたのに、ハリーったら!、という憤りが長々としたためてあった。ハリーはまたクィディッチから遠ざかるわね、という嫌みったらしい一文は、ついでのように書いてある。

 

 ハリーがまたあの陰険ばばあの罰則を! そうハリーを心配する気持ちと、そうするとアンジェリーナはまたいっぱいいっぱいになっているかもしれない、と冷静な考えが去来した。もう見えないアンジェリーナの背中とハリーを交互に見遣るオーシャンの様子に、ハーマイオニーがやれやれ、という風に息を吐いて日記帳をまたひったくる。

 

 『何か起こったら必ずあなたにも知らせる。安心してアンジェリーナの愚痴を聞いてきて。あ、耳では聞けないわね』

 そう書かれて返ってきた日記帳にオーシャンがクスリと笑うと、ハーマイオニーは頼もしく笑顔を見せてジュースに口を付けた。自分が世話を焼きすぎてただけで、この子達は随分大人になっていたのだなぁ、と感じる。

オーシャンはジュースを飲み干し、ベーコンとサラダをパンに挟んでサンドイッチを作ると、それを頬張りながらアンジェリーナを追うために大広間を出た。マクゴナガル先生が教職員テーブルから咎める調子で名前を呼んだのが聞こえた。行儀の悪さでも指摘されただろうか。

 アンジェリーナとの地下牢教室までの道のりで、彼女は全ての不満をぶちまける様に語った。

 口で語った所でオーシャンには何となく『何に怒っているか』くらいしか分からないので、アンジェリーナに『そんなに早口で喋られたら、あなたの愚痴を聞いてあげられないわ』と示したが、アンジェリーナは『聞かなくていいからここにいて』と態度で示した。

 アンジェリーナがそれでいいなら、という事でオーシャンは彼女の隣を黙って歩いているのだが、どうにもアンジェリーナの口は止まらない。これはハリーの事にかこつけて今までためにためた色んな不満を吐き出しているに違いなかった。

 そういえば、『ocean』という単語も何回か出てきている。『大西洋のバカヤロウ』と言っていなければ、オーシャンについての不満を言っているに違いない。『何でまだ言葉が通じないままなのよ。ちょっと面倒だわ』とでも言っているんだろうか。だとしたら、それを認めつつも付き合ってくれる温かい人柄は尊敬に値するものだ。その事実に今まで気づかなかった自分を、オーシャンはひっそりと恥じた。

 

 その日の夕食後、アンジェリーナや双子らと大広間を出たオーシャンの前に、いつもの爽やかさでセドリック・ディゴリーが現れた。

 アンジェリーナは最初、同じクィディッチのキャプテン同士自分に用があるものと思っていたが、セドリックがオーシャンの名前を口にして頬を染める様子を見て、ははぁ、と得心がいった様にオーシャンを見てニヤリと笑った。

 双子達が腕をまくってセドリックに近づくと、アンジェリーナはすかさず手を二回叩いた。まるで呼び寄せ呪文で呼び寄せられたかの様に、クリービー兄弟が双子の前に立ちはだかって彼らを階段へと押しやっていく。いつの間に写真家兄弟を傀儡にしたのだろうか。

 

 アンジェリーナは二言三言セドリックと話すと、オーシャンにウインクして、クリービー兄弟に追いやられていく双子を追っていった。いつの間にかリー・ジョーダンとケイティ・ベルが加わって、クリービーの二人をかなぐり倒してでも引き返そうとする双子を更に強い力で追いやっていた。

 オーシャンがニコニコとしているセドリックに、筆談でしか話が出来ない旨を日記帳に書いて伝えると、それを見たセドリックは嬉しそうに笑った。そして日記帳を受け取ってこう書き加えたのである――本当だ! 随分英語が上手くなったね!

 

 その後はしばらく、筆談で話をした。

 『日本語を書いているのに、あなた達には英語に見えちゃうのよ。全く、困った能力よね』

 『それでも君のために日本語を覚える必要が無くなって、僕としては助かるよ!』

 『優しいのね、あの時は本当に助かったわ、ありがとう。日本語、上手だったわよ。他にどんな日本語を覚えたの?』

 オーシャンが渡した日記帳を読んで真っ赤になって照れたセドリックは、打って変わって慣れない調子で覚えた日本語を書き連ねた。途中、筆を休めて少し悩んだ様子を見せたり目を閉じて深呼吸をしたりしていた。

 ややあって返ってきた日記帳には、ガタガタした文字で『おはようございます』『こんにちは』『こんばんわ』『つきがきれいですね』と書いてあった。最後の語句にオーシャンは驚くやら、笑うやら、だ。

 『月が綺麗ですね、なんてどこで覚えたの? お月様が出ている時にしか使いどころがないじゃない。こんな言葉より、使う機会が多い言葉はたくさんあるわよ?』

 さらりと返したオーシャンに、セドリックの眉は綺麗なハの字になって、返ってきた文字も心なしか覇気を失っていた。

 『ああ……うん……。響きが綺麗で良い言葉だと思ったんだよ。うん。そう』

 その後は目に見えて元気を失ったセドリックを励ましたり、授業や『高等尋問官』について話し合ったり、ハリー達の動向を話し合ったりした。話す内にセドリックの元気も戻ってきて、オーシャンは安心する。

 

 ふと気づけば周りに生徒が少なくなっている事に気づき、セドリックはもう寮に戻らなくてはいけない時間だと言った。オーシャンも頷きで返し、二人はそれぞれの寮へと戻った。

 

 グリフィンドール寮へ通じる『太った婦人』の隠し扉にカタカナ英語で合い言葉を告げる。寮に入ると誰かと強かに肩がぶつかり、筆談に使っている日記帳を取り落とした。バサリと開いて落ちる。

 すぐ近くでアンジェリーナと話していたハーマイオニーがそれに気づいて、オーシャンより先に日記帳を取り上げにかがんだ。

 礼を言って受け取ろうとしたオーシャンだったが、まさかその中身をハーマイオニーが見ようとするとは思わなかった。まあ、みんなとの筆談にのみ使っている物なので、別に見られて困る様な記述は無い――オーシャンはそう思ったのだが。

 

 開いていたページをしばし眺めていたハーマイオニーは、やがてペンを取り出してさらさらと書き加え始めた。

 『セドリック・ディゴリ―と話していたそうじゃない。あの人、日本語を勉強しているのね。これ、書いてあるのはどういう意味?』

 先ほどセドリックが書いたたどたどしい日本語の事だと思った。いつもながらこの子は知識欲が強いな、と感心する。ハーマイオニーが握っている羽ペンを貸して貰い、彼女が気を利かせて目の前に浮かべてくれたインク壷に浸して、オーシャンは返事を書き始める。

 

 『おはようございます、は朝の挨拶。こんにちは、は昼。こんばんわ、は夜の挨拶よ。つきがきれいですね、は夜空のお月様が綺麗ですねっていう事よ。大昔に日本人の渡英が珍しかった時代、アイラブユーをそう訳したっていう教授がいたそうだけど、』

 そこまで書いて手が止まった。ハーマイオニーとアンジェリーナが手元を覗き込んでくるのも構わず、オーシャンの意識は違和感の答えを探り当てようとする。

 月が綺麗ですね……月がきれいですね……つきがきれいですね……!?

 

 「あ……!? えぇ?」

 オーシャンは顔を真っ赤に染めて叫ぶと、日記帳を読み返した。挨拶の言葉と一緒に何故そんな言葉を覚えようとしたのかと思ったが、たどたどしい筆跡の裏にそんな真意が隠されていたなんて……。

 

 「……いやいや、そんなわけないわよ! ディゴリ―は純粋に」

 「わからないわよ? なんたって去年の件もあるんだし……え、あれ!? オーシャン!」

 首を振ったオーシャンの言葉に、日記帳から顔を上げたハーマイオニーはからかったが、言葉が通じているという事に気づいて声を高くした。しかし当の本人はそれ以上に声を荒げてハーマイオニーの両肩を掴んで前後に揺さぶり始めた。かつて無いほどに分かりやすいパニックだ。

 

 「去年の件!? 去年の件って何!?」

 「三校対抗試合の第二試合の時に、あの人にお姫様抱っこされてたじゃない。忘れたの? ねえ、それよりオーシャン……」

 「だってアレは私が意識を失っていたし、ディゴリ―は私達の歳にしてはやけに紳士的なところがあるから、きっと相手がわたしじゃなくてもそうしたわよ!」

 

 「でもあの試合の救助者役に選ばれたって事は、あなたがセドリック・ディゴリ―の『大事な人』である事実を明確に指してるのよ? そんな事より……」

 「何!? 訳が分からないわ、どういうことよ!? ディゴリーが私の事をそんな風に見ているなんてそんなこと……そそそ、そんな――だ、第一私はあの人の事が……」  

 「落ち着きなさいって!」ハーマイオニーが厳しい顔をしてオーシャンの腕を振りほどいた。もう少しで石にされてしまいそうな程の剣幕だ。

 「落ち着けって言ってもハーマイオニー、そんな――」言葉が止まると同時に、オーシャンはやっと、何かに気づいた顔をした。

 

 「……貴女、今『落ち着きなさい』って言ったの?」

 「あなたってどこまで鈍感なのよ? これじゃあ無理も無いわね。セドリックも苦労するわ」

 『落ち着いて』ハーマイオニーの言う言葉を聞いてみる。一言一句、生来聞き慣れた言葉として聞き取る事が出来る。日記帳は、と思って周囲を見回すと、アンジェリーナが渡してくれた。どうやらまたも床に落としてしまっていたらしい。礼を言って受け取ってパラパラとめくってみると、今まで日本語として読めていた友人達との会話の数々が、流ちょうな英文でなされていた。目眩がする。

 

 「何コレ、どういう事……? 何で突然このタイミングで……」

 頭を抱えるオーシャンをアンジェリーナが気遣わしげにソファに案内して座らせた。彼女は肩に手を置いたままその隣に座る。

 「それじゃ、今までだったら、パニックになったら英語が出来なくなっていたけど、今は通常がその状態になっていたから、反対に今までの状態に戻ったってわけ?」

 「よくわからないけど、そうとしか考えられないわね……。我が事ながら、面倒な体してるわ……」

 信じられない事実を肯定して、オーシャンは自分の胸に手を置いてみた。心拍は正常に戻っている。どうやら、神がオマケでもして能力を戻してくれたらしい。部屋に神棚を作って毎日参拝する事にしよう。そう決めると、仏が頭の隅でショックを受けている気がした。


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