「オーシャン、大丈夫かな……」
大広間での夕食の時間、アンブリッジが騒ぎ立てている教員席を盗み見ながら、ハリーは声を潜めてロンとハーマイオニーに言った。
「…………大丈夫と信じましょう」
そう答えるハーマイオニーだったが、心配が拭いきれない様子だった。
「でも、午後の授業の『アレ』見ただろ? 僕は正直オーシャンがあそこまでするとは思ってなかった……。今思い出しても不気味で仕方が無いよ……。あれはまるで――」
「ロン」
ロンに続きを言わせまいとする様に、ハリーは親友の名を呼んだ。
確かに、ハリーとハーマイオニーの二人も思わなかったでもない。あの不気味さはまるで、闇の魔術の様だ、と。
「僕達のためにやってくれてるんだ。そんな事、僕は思っても口にしたくない」
そう言ってはいるが、ハリーの顔色も優れない。
自分と名付け親を深夜の談話室で会わせるために、オーシャンはこの危険な任務に身を投じてくれている。
それを思うと、自分が無責任にオーシャンの行為を非難する事は出来なかった。
*
夕食と、職員達の簡単な会議が終わり、アンブリッジ教授は一人、自室へ向かって廊下を歩いていた。月明かりが差し込む廊下に、彼女の足音が高らかに響く。
おもむろに、静寂を切り裂こうとする様な小さな音が聞こえた。同時に、狙い定められた小さな矢が飛び出す。
鋭く振り向いたアンブリッジの杖が描いた軌跡が、矢を弾き飛ばした。
「!」
天井の梁の上からアンブリッジのうなじを狙ったオーシャンが吹き矢を下ろす。こちらを不適な笑みで睨み上げた彼女と目が合う。
「怖くないわ。お話ししましょう」
オーシャンから目を離さず、アンブリッジは舌なめずりする様な、いやらしい猫なで声を出した。
姿を見せずに全ての事を済ますつもりだったが、こうなっては仕方が無い。長い嘆息を吐いて、オーシャンは廊下にひらりと舞い降りる。
「……それで、気分は?」
勝ち誇った調子のアンブリッジに聞かれ、オーシャンは肩を竦めて答えた。
「そうね、最悪……って程でもないかしら。少なくとも、事前に想定できた展開の一つだったから」
「ウフフ……強がる事はないわ……。もう生徒達はみぃんな、自分の寮に帰っている時間よ。こんな時間に城の中に出てきて悪い子ね。グリフィンドールは五十点減点。さあ、また私の部屋で罰則といきましょうね……」
「あら、嬉しい。楽しみだわ」
あくまでも強気な受け答えをするオーシャンをどう料理して痛めつけて、その生意気な口を一生利けなくしてやろうか……アンブリッジは口に出さずに答えた。私も楽しみよ、すっごく。
本来生徒への罰則は、その生徒の寮監に報告、日時を教員側が決めて連絡し、当該生徒に寮監が伝える規則だ。しかしアンブリッジは、グリフィンドールのマクゴナガル先生には事後報告で十分だと考えた。
この凶悪な生徒には、ただちに処罰を与えてやらないとならない。それも厳重に。
「両手を上げて、頭の後ろで組みなさい」
凶悪犯に警告する様に、アンブリッジは言った。オーシャンがのろのろとした反応を示している間に、杖先を向けたまま、注意深く彼女の背後へ回る。
そして背中の真ん中を杖で突きながら、アンブリッジは凶悪な“敵”の耳元に唇を寄せて命令する。
「……妙な真似をしようとしない事よ。そうすれば、あなたに呪文が当たる事は無いでしょうから。さあ、このまま管理人のフィルチさんの所へ行きましょう。まずはあなたが沢山持ち込んだ、日本の『玩具』を彼に没収してもらいましょうね……。それから、そうね、あなたが『良い子』になれる様に、何か道具を借りなくてはね……」
フィルチの部屋にコレクションしてある、拷問器具じみた道具達の事を言っているのであろう事は、オーシャンにも想像が出来た。
オーシャンはアンブリッジに背中を突かれながら廊下を進んで管理人室の扉をくぐり、懐に巧みに隠していた『まきびし』や『組紐』、『吹き矢』『五寸釘』をフィルチに没収された。
それからアンブリッジは手錠をいくつかフィルチに借りた。
「お手伝いしましょうか、先生……」と不気味な引き笑いで言ったフィルチだったが、アンブリッジは彼に射殺す様な一瞥をくれただけで、何も答えずに部屋を出た。
再びオーシャンの背を杖先で突いて廊下を進みながら、アンブリッジがうんざりした声を出す。
「何を出来もしないスクイブの分際で、私のお手伝いとは、思い上がりも甚だしい事」
アンブリッジは部屋までの道中、この学校の教職員、生徒達がどれだけ愚かしいか、また、忌々しい狼人間や森に棲む半獣達などについてその毒舌を休ませる事無く喋り続けた。
時々オーシャンが悔しそうに、あるいは苦し紛れに体を捩ると、杖先をぐいと体に押しつけて、無駄な抵抗は止めて進むように促す。
そうしてアンブリッジが部屋に到着すると、まず彼女はドアに施錠をし、部屋全体に防音の魔法をかける。そしてにっこりと笑顔でオーシャンに言った。
「これで大丈夫。どれだけ叫んでも喚いても無駄よ」
「くっ……」
初めて、オーシャンの顔が悔しげに歪んだ。その態度にアンブリッジは恍惚とした表情を見せる。いいわ、いいわ、生意気なアンタのその表情が見たかった! もっとその顔を見せなさい!
アンブリッジは机と椅子をひと組『出現』させ、その椅子にオーシャンの胴体をを魔法のロープで縛り付け、歌うように言った。
「まずは先日の『書き取り』の続きよ。そうね……まずこの羊皮紙いっぱいに、今日私にしたことの反省文を書いて貰いましょう。いかに自分が矮小で卑しい存在か、文章にして私に見せてちょうだい」
楽しくて仕方の無いという風なアンブリッジの様子にオーシャンは隠すこともなく舌打ちをして、用意された羽根ペンを取り、お望み通りの反省文を書き始めた。意外にも、それは普通の羽根ペンだった。
オーシャンが羊皮紙を埋めている間、アンブリッジはその様子をお茶請けにして、実に美味しそうに紅茶を飲んだ。
「……できました」
時計の針が着実に刻まれ、オーシャンはそう言って羽根ペンを置いた。
「どれ」
アンブリッジが完成した反省文を『呼び寄せ』る。その文章を読んで、彼女はこれ以上無いくらいにニタリと笑った。
「……よくできたわね。さあ、罰則を始めましょうか。こっちの羽根ペンを使って、この反省文があなたの体に染みつくまで書くの。もちろん、一字一句間違えずにね」
「でも、もう羊皮紙が……」
オーシャンに用意されているものは、もはや机と椅子とあの忌々しい羽根ペンだけだ。言いつのろうとするオーシャンに向かって、アンブリッジは、チッチッ、と指を振る。
「人の話を最後まで聞くのよ、留学生ちゃん。誰が、羊皮紙に反省文を書きなさいと言ったかしら?」
そう言うとアンブリッジは、杖を指揮棒の様に振るった。次の瞬間、オーシャンを椅子に縛り付けていたロープが解け、まるで竜巻の様な強引さでその下の学用ローブや肌着までもをオーシャンから奪っていった。東洋の色の肌が露わになる。
「ちょっと、なにを――」
彼女が両手で体を隠そうとすると、アンブリッジはまた指揮する様に杖を振るった。今度は魔法で従わせた左手と両足を、フィルチから借りてきた手錠で椅子に縛り付ける。そして机が消えて、オーシャンの目の前には例の羽根ペンがぷかぷかと浮かんでいた。
青ざめて困惑する様子のオーシャンに、アンブリッジはいつもの猫なで声で言った。
「『あなたの体に染みつくまで』と言ったでしょう。その傷一つ無い甘ったれた白い肌に、丁寧に真心込めて書きなさい」
自分の肌にそのペン先を立てるという事は、先ほどの羊皮紙いっぱいの文章が、オーシャンの体中に痕を残して走って行くという事である。オーシャンは予告された二重の苦しみに、言葉を無くした。口元がかすかに震えている。その瞳から、涙が零れだした。
アンブリッジは胸の昂ぶりを押さえて、あくまで猫なで声を出してニタリと笑った。
「あなたの体に染みつくまで、罰則は終わらないわよ」
「やっっっっ……ばいわね……」
ロッカーに向かって「我慢しないで、痛かったら声を出していいのよ。どうせ誰にも聞こえないわ。うふふふふふ……」と狂った笑いを上げているアンブリッジを、天井の梁の上から見ながら、オーシャンは呟いた。
どれだけ悪趣味な幻覚を見ているのだろう。
オーシャンが廊下で、アンブリッジのうなじ目がけて放ったのは、神経毒の吹き矢だった。
あの程度で死ぬ事は無いが、たいていの人間なら朝方、もしくは明日の午前中までは幻覚にどっぷり浸かれる量を塗っておいた。
因みに毒物は従兄弟の三郎が調合したもので、効き目はプロのお墨付きだ。
オーシャンは懐に手を入れ、懐中時計を取り出す。いつかのクリスマスに、ハーマイオニーから贈られたものだ。針はそろそろ真夜中を指そうとしている。
時間通りにブラックが来ていたとしたら、ハリー達はそろそろ彼に会うことができているだろう。
「ここまでさせておいて、時間に遅れたりしたら許さないわよ。あの馬鹿犬」
今宵一晩は薬が切れることはないが、幻覚の中にいるアンブリッジをこのまま放っておく事は出来ない。
このまま彼女自身も自覚がない内に、森にでも入ってなにかしらの事故で死んでしまっても厄介だし、もしかしたら通りがかりのスネイプ先生が、親切心で解毒してしまうかもしれない。
ハリー達の邪魔をさせたくない思いもあるが、アンブリッジからオーシャンへ足が付く事も避けたい。
オーシャンは時折ため息を吐きながら、日が昇るまで、わけのわからない言動を繰り返すアンブリッジを監視していた。
「……楽しそうだこと」
アンブリッジは、ロッカーの中の誰かの古びたローブに、幸せそうに喋りかけていた。
「ふふふふふ、まだまだよぉ~、もっと、もぉっといい声で鳴いてちょうだぁ~い」
不定期にも程がある更新なのに、面白かったコメントいただけて罪悪感で辛い……皆様にありがとうございます……もっと頑張れ、俺!!