「――ん……」
寝室のベッドで目が覚める。朝方にカーテンが開けられたのであろう窓から、朝の光が差し込んでいた。
身を起こしたオーシャンは、寝ぼけ眼で昨日の出来事を反芻する。
結局あの後は、幻覚を見たまま千鳥足で暴れ柳の所まで行ったアンブリッジを追いかけていかなくてはいけなかった。
「逃げられないと言っているでしょう! さあ、大人しくここへ座りなさい!」
下手なオペラ歌手の様に暴れ柳に宣う様子をしばし覗っていたが、動き出した柳に殺されてはたまらない、と判断して、麻痺毒の吹き矢でアンブリッジを黙らせて、彼女の部屋に転がしてきたのだ。
その後真っ直ぐ寮の寝室に帰ってきたはいいが、眠ったのはつい一瞬前の様な気さえする。
久方ぶりに持てる忍術をフル稼働させたのだから、無理もない。
オーシャンはその場でぐいと一つ伸びをする。昨晩の肉体的疲労がばっちり綺麗に残っていた。
「ああ、おはよう、オーシャン。ぐっすり眠れた?」
同じくして起床したアンジェリーナに声をかけられ、オーシャンはベッドから這い出して、朝の挨拶を返した。
「おはよう、アンジェリーナ。今日も清々しい朝ね」
風に乗った雪雲が飛来して、朝の光を遮った。
*
学校中が動き出して、いつも通りの朝食が始まった。
オーシャンが、アンジェリーナや赤毛の双子達と共に朝食に下りると、いつもどおり、教職員テーブルには先生方が揃っているのが見て取れた。ただし、アンブリッジの席だけは欠けている。
「ウエノ」
友人達とテーブルに着こうとした所で、マクゴナガル先生に声をかけられた。端的に「こちらへ」と言われ、友人達に「先に食べてて。多分、授業の事じゃないかしら。ここのところ変身術が良くないから」と言って先生の後ろを教職員テーブルまで着いていった。
じろり、と目配せされたのは、変身術の事についてに違いない。決して嘘は言ってないからだ。
「さて、ウエノ」
先生が立ち止まってこちらを振り返ったのは、なんと校長席の真ん前だった。ダンブルドア校長も交えて話をしようと言うのか。
校長は面白そうな目で、マクゴナガル先生とオーシャンの二人を眺めている。
「私、回りくどいお話は嫌いです。今朝方、どこで何をしてましたか?」
マクゴナガル先生の問いかけに、オーシャンははっきりと目を見て答える。
「今朝方なら、寮の完璧なお布団の中でぬくぬくしていました。先生」
嘘はない。正真正銘、今朝方にはしっかりと布団に入っていた。しっかり眠れたかどうかは定かでないが。
マクゴナガル先生は疑わしそうにオーシャンを見つめたが、やがて一つため息を吐いた。
「……今朝、アンブリッジ先生が朝食に下りていらっしゃらないので、様子を見に行くと、部屋の真ん中で仰向けに倒れていました」
「それは痛々しい。……ですが、その事と私に、一体どんな関係が?」
しれっと言うオーシャンに、ダンブルドア校長の全てを見透かした目が、面白いものを見るようにキラリと光った。
しばしの間、オーシャンはマクゴナガル先生と見つめ合った。
もしかすると、まさかの寮監から罰則を食らうのかと内心ヒヤヒヤしたが、最後の一瞬、マクゴナガル先生が口の端を持ち上げて「仕方の無い奴だ」とでも言うように笑ったのを、オーシャンは見た。
「……もう行ってよろしい」
「……失礼します」オーシャンは短く言って、寮のテーブルへ踵を返した。
朝食の後、友人達と『魔法史』の授業に向かおうとすると、セドリックが追いついてきた。
双子に加えてアンジェリーナまでもが露骨に嫌そうな顔をする。ホグズミードでの一件から、アンジェリーナはセドリックの事を『鼻の下伸ばし野郎』と揶揄してきた。
「ウエノ、君、何をやったの?」
開口一番にそう尋ねられた。
「何のこと?」質問の意図が分かりかねたので、そう返す。するとセドリックは順を追って説明した。
「僕達の寮の三年生が、朝食の後『防衛術』の授業のはずだったんだ。でも今さっきフリットウィックから連絡があって、急遽三年生は『呪文学』に変更だって……。何でも、アンブリッジが急病で医務室に入院しているんだそうだ」
「あら」
「で、君がやったんじゃないかな、と思ったわけ」
セドリックは顎を扱きながら、悪戯っぽく言う。
「嫌だわ、塗布が多かったのかしら……いえ、ちょっと待って。それで貴方は何で、私の仕業だと思ったの?」
昨晩の仕事を思い返そうとしたのを中断して、オーシャンはセドリックに訊く。不思議な事が起こったら、まず人のせいにするのはやめていただきたい。
それでもセドリックは引かなかった。
「そこまで言うなら、君は昨夜の夕食の時間、教職員テーブルの上で何をしていたってわけ?」
昨夕の出来事は先生方にも言及されていない。もちろん知っているとは思うが、見て見ぬふりをしてくれたに違いない。そうでなければ、あんなに毒々しい色のスープに何も薬が混入していないなどと、言うわけが無い。
先生方はともかく生徒達には見えない様にしたつもりだったが、まさか、あれが見えていたのだろうか?
「……驚いたわ。ディゴリー、貴方本当にかくれんぼが上手くなったのね。それも見つける方の」
言い逃れの出来ないオーシャンが言うと、セドリックは得意満面に言う。
「あくまで、君専門だけどね」
歯茎まで浮きそうなセドリックの言葉に、それまで黙っていたアンジェリーナが大声を出す。
「っかぁー、聞いてられないわ! オーシャン、行きましょう!」
そしてオーシャンの手を引いて、朝のクラスに向かって勢いよく歩き出した。その勢いに気圧されながら、双子も後を着いていく。
彼女をさらわれたセドリックだったが、にっこりと手を振って四人を見送った。
「やったわ、クィディッチチームの再開許可が下りたって!」
そうアンジェリーナが嬉々として言ったのは、木曜の午後の事だった。
なんとか尋問官様が入院中の身だと言うのに、よく許可が下りたものだ、とオーシャンが言うと、アンジェリーナは彼女の推論を教えてくれた。マクゴナガルがマダム・ポンフリーの目を盗んで、錯乱の呪文でもかけて許可証にサインさせたのでは、というのだ。
「信じられない事だけれど。時に厳しく、時に大胆な寮監さまさまだわ」
一見荒唐無稽な話に聞こえるが、うちの寮監であればやりかねない、とオーシャンは思った。
「マクゴナガル先生も人の子って事ね……」
そんな素晴らしい日から数日後、ついに『正しい防衛術授業』の最初の日取りが決まった。
いつの間に部屋を見つけたのかしら、と首を傾げていたオーシャンだったが、いざ指定の場所に行ってみるとあまりにも見事な部屋だったので、驚いた。
「ホグワーツにこんな部屋があったなんて……。城で七年間生活しても、全部を知れる訳じゃないのね……」
ハリー達の見つけた部屋は、『必要の部屋』というらしかった。
城内の決まった場所に存在するが、扉は隠されていて、必要に応じて自ら姿を現す部屋なのだという。
室内に『必要』の名に相応しく、『闇の魔術に対する防衛術』を学ぶために必要な物が全て揃っていた。
部屋を使う者の望んでいるもの全てが揃っている。オーシャンとしては、『いたれりつくせり部屋』という呼び名の方が合っている気がした。
その後、ハーマイオニーの提案でハリーをリーダーとして正式に認め、この『勉強会』に名前を付けた。
『防衛協会』。Defense association――そう提案したのはチョウであった。頭文字を取ってDAとすれば、人前で話しても何について話をしているのか分からないだろう。
ジニーが「いいわね! DAって、『ダンブルドアアーミー』の頭文字だし!」と言えば、場が一気に活気づいた。
ハーマイオニーが『ダンブルドアアーミー』と書き加えた名簿を壁にピン留めするのを、アンジェリーナの隣でオーシャンが見ていると、いつの間にか反対隣にセドリックが立っていた。驚いて、思わずその姿を二度見してしまう。
「……ディゴリー、本当にそれ、止めた方がいいわよ」
「何のことだい?」
無意識にやっているらしかった。天賦の才とは、この事を言うのだろう。
アンジェリーナはセドリックに向けて小動物がする様な威嚇行動を一回取ると、オーシャンの手を取って「始めましょう!」と言った。ハリーが、武装解除の呪文を練習する為に二人ひと組になるように言ったからだ。
すぐに部屋には「エクスペリアームス」の声が溢れた。
アンジェリーナは最初、「できない……! オーシャンに杖を向けるなんて、どうしても……!」と葛藤していた。
対してオーシャンが冷静に言う。
「何年も授業で一緒に練習してるのに、今更何言ってるのよ」
「それもそうね」
そうアンジェリーナがけろっと言って唱えた武装解除の呪文は、的確にオーシャンの杖を捉えて弾き飛ばした。
杖を拾って構え直したオーシャンの方は、苦戦していた。
「エクスベ――エクスペリュ――エックス――ああ、もう! 守護霊の呪文が唱えられるのに、何で武装解除が唱えられないのよ!? 発音はほとんど同じじゃない!」
オーシャンの発言に、皆首を傾げている。カタカナ発音で頭四文字まで同じだという、オーシャンの主張である。
「やれやれ、日本人様の高尚なお悩みは、俺たちには理解出来ないぜ――おっと」
オーシャンの嘆きをせせら笑っていたジョージの杖が、セドリックの唱えた武装解除によって弾き飛ばされた。
「手元がお留守になってるぜ、ウィーズリー」
悪戯双子顔負けの悪い笑みでそう言ったセドリックだったが、反対方向から飛んできた呪文に杖を奪われた。「あっ」
「ふん、人のことを言ってる場合か?」
フレッドが、杖先をセドリックに向けたまま言った。形勢逆転。双子に挟まれ、彼はじりじりと悔しそうな顔を見せる。
「ちょっと、二人とも。一人に対して二人がかりは感心できないわよ――あっ」
見かねたオーシャンが双子にそう声を上げれば、フレッドの唱えた呪文が今度はオーシャンの杖を奪っていった。
「これで、不公平じゃないわけだ」
得意げにニヤニヤ笑っているフレッドとジョージの二人。間にセドリックさえいなければ、ハイタッチでもしそうな程の調子の乗りっぷりだった。
「もうっ、いい加減に――忍法・いづな落とし!」
フレッドが分かったのは、オーシャンが一瞬で距離を詰めて自分の懐に入ってきた事だけだった。次の瞬間には、雷の様な音と共に顔から地べたに崩れ落ちていたのだ。
「おいおいおい、ちょまっ――!」
そんな声を上げて、ジョージもフレッドと同じ運命を辿った。
二人の杖は部屋のどこかへ飛んでいってしまったらしい。オーシャンは、自分の手を不思議そうに見ている。
「ん~、刀と違って、どうも上手くいかないわね。杖だと軽過ぎて飛んでいっちゃうわ……」
「くそう……また何かの忍術か?」
起き上がりながら悔しそうに訊く双子に、オーシャンは微笑んで答える。
「武装解除の術は魔法だけなんて、私の前では思わない事ね」